2019年3月


●MacOSのアップデート(3)   2019.3.25
昨日の続き→。ということで最新版のOS、Mojaveへのアップデートをもう一度やってみることにした。そして今度は何とか無事にアップデートすることができた。しかしこれで一安心というわけにはいかない。なんせOSがアップデートされたのだから、諸々のアプリもアップデートしないと使えなくなっていたり使えたりで、その確認と対応で丸1日はかかってしまう。その中でも最も戸惑ったのはAdobe製品のアップデートだ。MacOSのアップデートでAdobe製品もアップデートになったのか、たまたまAdobe製品のアップデートと重なったのかは分からない(調べれば分かるのだろうが、分かったところでこちらがやることは何も変わらないはずなので、特に調べようとは思わない)が、とりあえず頻繁に使うPhotoshopでのオペレーションには慣れておく必要がありそうだ。→明日へ続く。


●MacOSのアップデート(2)   2019.3.24
昨日の続き→。OSをアップデートしないまましばらく使っていたのだが、ある時トラブって(OSがフリーズして)起動しなくなった。そしてまたディスクユーティリティーでタイムマシンから3時間ほど前のデータに上書きして復活させたのだが、しばらく使っているとまたトラブって起動しなくなった。このOSのフリーズした原因は不明だが、一度アップデートしようとして起動しなくなったことの後遺症で、頻繁に起動しなくなるということになったように思われる。が、もちろん本当の原因は分からない。ディスクユーティリティーで復活させるには①OSを上書きする。②タイムマシンからのデータに上書きする。という選択肢があり、OSの上書きのほうが速くて確実なのだが、一度アップデートを試みたためか、上書きするOSは最新版しか選べなくなってしまっている。しかしタイムマシンからのデータに上書きではまた3時間かかってしまい、今後OSがフリーズした場合も3時間かかるということだ。→明日へ続く。


●MacOSのアップデート(1)   2019.3.23
OSのバージョンは最新にする必要は無い。特にMacは。世に出回っているアプリの全てが最新OSに対応しているとは限らないからだ。にも関わらずAppleは最新のOSにアップデートするように促してくる。と、その促しに従ってアップデートしようとしたところが案の定起動しなくなった。起動しないというのは青くなる。とりあえずは起動してくれないと何もできない。なんとかディスクユーティリティーでタイムマシンから3時間ほど前のデータに上書きして、とりあえず事なきを得たが、一時はどうなることかと思ったものだ。以前Adobeのサポートに電話したところ「今、動いているのであれば絶対にOSはアップデートしないでください!」と強く言われたことを思い出した。AppleもAdobeもお互いの作ったものを隅々まではとても検証していられないのだろう、ということも容易に想像がつく。とにかく「今、動いているのであれば絶対にOSはアップデートしてはいけない」ということなのだろう。→明日へ続く。


●ジキルとハイド   2019.3.22
ジキルとハイドは解離性同一性障害の代名詞として二重人格を題材にした代表的な作品である。和名は「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」となっていて1886年1月に出版された。ここで「奇妙な」という言葉が使われているが、1886年当時では人格が二重の人は奇妙に見えたのだろうか。2019年現在、二重人格の人は珍しくない。普通の人でもネットの書き込みとリアルでの会話では人格を使い分けないと上手くいかない。会社と家庭でもまったく同じ人格では色々と不便なことが多い。親戚、友人、同僚、で人格をある程度使い分けるのは普通になっているのではないのだろうか。今や国民全員がプチジキルとハイドになっているのではないのだろうか。


●花札   2019.3.21
Nortonと言えば、今ではAntiVirusだが、20年前はNorton Disk Doctorだった。白衣で聴診器のおじさんが、たらいのようなでっかいハードディスクを診断しているチープなアニメーションだ。DOLBYと言えば、今では映画のエンドロールで必ずロゴマークが出てくる音響記録・再生技術の総合研究開発企業だが、50年前はテープレコーダーのヒスノイズを軽減する装置を作っていた。Macintoshと言えば、今ではApple社のコンピュータだが、コンピュータが普及する以前は、Apple社とは全く関係の無い超高級オーディオアンプのブランドだった。そしてNintendoが、かつては花札のメーカーであったことは有名だ。花札の裏面のデザインは「大統領」「天狗」「都の花」のいずれかだっかが、これに「マリオ」がいつのまにか追加されていた。そして「マリオ」はおもて面にもマリオのキャラがデザインされているために、0点札と10点札の違いが分かりづらい。


●13の法則   2019.3.20
Yahoo! Japanのニュースのヘッドラインが13文字以内であることはよく知られている。「読む」のではなく「見る」ことで直感的に相手に伝えるためである。逆に言えば、人間は13個を超える要素を一度に処理することはできないようである。例えば飲食店のメニューでも13以内であれば適切なメニューを選ぶことができるが、13を超えると色々と目移りして混乱して、結果的に本来食べようと思ってもいなかったとんでもないものを注文してしまったりもする。一度に会う人間が13人以内であれば、どの顔が誰であるかが段々と分かってくるが、13人を超えると、時間が経ってもみんな同じ顔に見えてしまう。なので、ウェブサイトの1ページにつけるボタンは13個以内にしよう。


●ノートをとる   2019.3.19
最近の大学生は筆記用具もノートも持っていなかったりもする。ノートをとるように促すと「先生、書くもん無〜い」といった具合である。バックの中には大量の化粧品と食べ物とスマホが入っている。ホワイトボードをもっぱら写メで撮る。それでも写メで撮る学生はマシなほうで、何にもしないでぼ〜としていたり、机に突っ伏したまま動かなくなっている学生もいる。彼らが勉強しに大学に来ていると思ってはいけない。何にもしないでぼ〜としに来ていたり、机に突っ伏したまま動かなくなりに来ているのだ。親が学費さえ払ってくれれば、それ以上のことを望んではいけない。


●判断する能力   2019.3.18
人間には①判断できる人間と②判断できない人間の2種類がいる。①は「自分で判断して、仕事をする能力がある人間」であり、社会や国で決められたルールの中で、常に自分で判断をしながら仕事をしている。従って基本的には保守的な思想になりやすいとされている。かたや②の「自分で判断できない人間」は、常に「自分が裕福にならないのは国や社会のせい」と思い込んでいる。だからどこに行っても、誰に会っても、国や社会や会社の悪口を言っている。従って左翼的な思想になるケースが多いとされている。子供はまだ自分で判断することができないので左翼的な思想に染まりやすいが、大人になるに従い、自分の立場や能力と、社会の関係が理解できるようになっていき、自分で判断ができるように、普通はなっていくと思うのだが、そうならない人もいるようである。


●着ぐるみ   2019.3.17
着ぐるみの中には間違いなく人間が入っている。大人であれば100%そのことを知っているにもかかわらず「ミッキ〜♪」と叫んでTDLで着ぐるみに抱きつく大人がいる。あれは中身が人なのだよ。そして着ぐるみの表情は固定されている。感情による表情の変化も無い。しかも人間より2まわりデカい。デカすぎるので可愛いとは言えない。中の人も相当に体力を消耗する苦しく辛い仕事である。にもかかわらず、子供なら分かるが、大人までもが、なぜそんなものに感情移入ができるのだろうか?それはきっと珍しいからだろう。しかし渋谷のスクランブル交差点を渡る人間が全て着ぐるみだったら、とても「ミッキ〜♪」と叫んで抱きつく気分になれないだろう。単に、人間は珍しいモノに興味を抱く、ということだけのようだ。


●公園   2019.3.16
誰がこんなことろで憩うの?と思えるような小さな公園が至る所にある。地面は雑草で覆われ、遊具は壊れて動かず、ベンチは鳥の糞で座ることができないまま朽ちていて、水飲み場は水が止められたまま。人口が減っているのだから相対的に公園の数も減らさなければいけないはずだ。維持管理にはそれなりの公費が使われているのだ。福祉や教育の施設を新設すると、色々と苦情やクレームが出ることもある。しかし公園の新設に反対する市民はいない。だからといって作り過ぎだろう、誰も憩おうとは思えないしょぼくて汚い公園。誰もクリックしないであろうしょぼい広告バナーのようなものである。


●国家の境界線   2019.3.15
「アメリカだったらこうはいかない」「ヨーロッパではそれが常識だ」などと言う人がいる。確かに欧米に見習う点は多い。しかし日本と欧米とでは異なる点も多い。歴史、民族、文化などはもちろんのこと、人間の体格、男女の差異、食べ物や言語まで、違っている部分のほうが多いくらいである。もっとも全てがアメリカと同じであるとすれば、日本は独立した国家ではなく、アメリカの「州」の一つになってしまったほうが早いはずだ。そうなっていないのは、それなりの理由があるはずだ。では数百年、数千年先ではどうなっているだろうか?世界中への相互の行き来が簡単になり、世界中の人たちの文化レベルや貧富の差が少なくなり、言語は徐々に統一化されてくると、もはや国家の境界線というのも必要なくなってくるのではないか?とも思える。しかし近々のデータでは、むしろ国家の数は増えているようだ。分裂と統合を繰り返しながら徐々に統合される方向に向かうのか?それとも世界中に国家という名の小さなコミュニティーが無数に生まれてくるのか?誰にも分からない事なのだろう。いずれにしても「最終形」というものは、無いような気はするのだが。


●もしもし   2019.3.14
気がついてみればスマホになってから「もしもし」と言わなくなったような気がする。本人以外は電話に出ることがないので、いきなり話し始めても大丈夫だからなのだろうか?スマホというデバイスの形状が「もしもし」と言うにはそぐわないからなのだろうか?通信品質の改善によって「もしもし」と言って通話を確かめる必要がなくなったからなのだろうか?動揺「うさぎとかめ」が歌われなくなったからなのだろうか?LINEのチャットで「もしもし」と書き始めることがないからなのだろうか?といろいろと想像してみるのだが、確かなところは分からない。そもそも今の子供は「もしもし」を使うのだろうか?しかし「もしもし」を全く使わなくなったわけではない。Skypeでは、けっこう頻繁に「もしもし」を使う。


●地図   2019.3.13
おっさん5〜6人組に道を聞かれた。「すいません、このへんに◯◯庵という蕎麦屋はないですか?」「さぁー、知らないですね」「〇〇街道沿いにあるって聞いたんですがねぇ」「〇〇街道はもっとずっとあっちのほうですよ」と答えると、おっさんの中の一人が地図を片手に出てきて「今、我々がいるのがこのへんで…」と、もう一人のおっさんがiPadを片手にググマを表示しながら「おかしいなぁ、今いるところがココなんだけどなぁ」「いや、こっちかもしれないな」「でもここまではあってるんだしなぁ」という具合に、おっさん二人は『自分の地図のほうが正しい』合戦が始まってしまった。彼らにとって、目的地に着くことよりも、自分の地図の方が正しい、ということのほうが重要であるようだった。「あの〜、もう去っていいですか?」と聞くと、おっさんの中の一人が「あ、はい」。まあ最終的にはたどり着けるだろうからその場を去ることにした。


●頭の悪い人   2019.3.12
「AがBである。従ってCがDの場合、EがFになる」ということを説明する。これで人間の頭の良し悪しを図ることができる。頭の良い人は「AがBである。従ってCがDの場合、EがFになる」ということを最後まで聞いて、その経緯を遡り、A〜Fのポジションをイメージして、全体の理論を理解する。頭の悪い人は「AがBである。」まで聞いた時点で「ねぇねぇ何でAがBなの?」「何でAがBになるの?」というところに気を取られ、「従ってCがDの場合、EがFになる」というところは聞いていない。要するに「AがBである。従ってCがDの場合、EがFになる」とい3つの要素を一度に脳のメモリーに記録することができないのだ。また、記録しようとしないから、脳のメモリーは増えないままなのだ。だから「死んでも治らない」と揶揄されるのだろう。


●確定申告の書類   2019.3.11
商工会員には毎年確定申告の時期になると、国税庁から確定申告に必要な書類一式がドサっと郵送されてきていた。最終的に提出する決算書や申告書は、以前から国税庁のウェブサイトからダウンロードが可能であり、書類が郵送されてくる前に、ダウンロードした種類にさっさと書き込んでしまうという人も少なくなかったのではないだろうか。そういう人にとっては郵送されてくる書類一式が不要なものとなり、そのまま資源ゴミに直行ということになる。しかしこれが、来年度より郵送されないことになったようだ。インターネットが普及しはじめて20年ほどになるが、今になって「やっとこうなったか」と感じるのだが、そもそも確定申告は税理士に丸投げで、自ら書類を作成するという人は少ないらしい。そして自ら書類を作成する人の多くは税理士に依頼するカネがない人たちでもあり、ダウンロードという作業ができるかどうか?と不安であることも確かなようだ。


●職人の思い   2019.3.10
一つのモノを作るときに、職人は色々なことを考える。「少しでも美しいものを作ろう」「ここまでやるとサービスし過ぎだがやってしまおう」「手間の割に報酬が少な過ぎるけど我慢しよう」「簡単な割に報酬を貰い過ぎだが黙っていよう」「こんなに傍でガタガタ言われたんじゃやってなんねぇ」「こんな同じようなパターンをいつまでも作り続けていて大丈夫か」「素人は黙ってろ」「これも修行のうちと考えればよいことだ」などなどだ。完成したものをクライアントに見せたとき、大抵は「思った通りの出来で満足です。ご苦労様」と言われる。しかしそれが本心であるかどうかは分からない。社交辞令である場合も少なくない。職人の思いとは裏腹に、クライアントにとっては「あればいい」だけのものを作っているわけだ。報酬を貰っている限り、そこで「褒めてもらおう」などという思いは、おこがましいということだ。


●「あればいい」だけのもの   2019.3.09
一つのモノをデザインするときに、デザイナーは色々なことを考える。「少しでもカッコイイものをデザインしよう」「ここまでやるとサービスし過ぎだがやってしまおう」「手間の割に報酬が少な過ぎるけど我慢しよう」「簡単な割に報酬を貰い過ぎだが黙っていよう」「こんなにグタグタ言われたんじゃやってなんねぇ」「こんな同じようなパターンをいつまでもデザインし続けていて大丈夫か」「そこまで言うなら自分でやれよ」「今回は自分でも上手くいったと思っている」などなどだ。完成したデザインをクライアントに見せたとき、ごく稀に「素晴らしい!感動した!」と言われることもある。しかしほとんどの場合、クライアントは何も言わずに報酬だけを振り込む。デザイナーの思いとは裏腹に、クライアントにとってデザインとは「あればいい」だけのものであることがほとんどなのだ。


●メールが受信できなくなった   2019.3.08
メールが受信できなくなったので助けてくれ!という連絡があったので助けに行ってみると、OSはWindowsVISTA、メールクライアントはMozilla Thunderbirdだった。そしてThunderbirdを推奨したことを思い出した。当時、もはやOutlookはダメだろうという風潮があった。かといってBecky!やEudoraではマニアックすぎるし、Shurikenを買うほどでもなく、G-mailは今ほど普及してなかった。ということでThunderbirdをインストールしたという経緯であった。が、そのThunderbirdが何もしていない(設定をいじったりしていない)のにメールを受信しなくなったというのだ。幸いインターネットには接続できるし、Thunderbirdもメールサーバーまでは読みに行ってるという感じだった。ということで「Thunderbird 受信できない」でググってみる。と、パスワードを保存しないで、起動する毎に入力することで受信できるようになった。いまどきVISTAでThunderbirdを使っているなどというのは極めてレアであろう。そしてこの解決方法が分かったところで、2度と発動することもないだろうということは残念だ。


●ステレオタイプが形成されるプロセス   2019.3.07
年金生活者の女性はほぼ一日中テレビを見ている。そしてその時間の大半がワイドショーである。そして見事なまでに洗脳されている。なので芸能人の好き嫌いが明確であり、ワイドショーで貶された芸能人は「嫌い」であり、ワイドショーで褒められた芸能人は「好き」ということになる。もちろん彼女たちは自分で取材したわけでもないし、その信憑性についてネットで調べたわけでもない。情報源はワイドショーオンリーであるにもかかわらず、あたかも「自分の意見」かのように語るのだが、言ってることはみんな同じだ。そして「あぁ、こういうプロセスで『ステレオタイプ』っていうものが形成されていくんだな」と、しみじみ思ったりもする。


●ネット上の情報   2019.3.06
ネット上には様々な情報が飛び交っている。何かを知ろうと思って、とりあえずググってみる。様々な解説サイトが検索結果として表示される。しかしそのうちの多くは、誰が書いたものであって、その「誰」が何者で、どのくらいの知識やスキルを持った人間であり、サイトに書いてある肩書きや略歴が、本当かどうかも分からない。そして書いてあることの信憑性も確実性も全く分からないのである。ということで「ネットは信用ならん!」ということになるのだが、だったらテレビや新聞や週刊誌は信用できるのかと言うとそうでもない。ということを教えてくれたのはネットであろう。


●パソコンモニター   2019.3.05
パソコンのモニターが壊れた。モニターが壊れるというのは、だいたい電源を入れても何も映らない状態になるというもの。そしてその状態はほぼ突然やってくる。調子が悪くたってだんだんと映らなくなってくる、ということはあまりない。予期せぬ時に突然やってくるのだ。当然モニターが壊れると仕事にならない。だから急いで近所のパソコンショップに買いに行くハメとなる。と、考えてみると、モニターだけはネットで買った記憶がない。ということは、数年に一度、毎回突然壊れて映らなくなって近所のパソコンショップに買いに行くハメとなっていたわけだ。そして毎回感じることは、モニターが壊れたときの「何もできない感」は、何とも侘しいものである。


●いっぱい字が書いてあってウザい   2019.3.04
ネットショップのオーナーに有りがちな、この部分の説明が足りないのではないか?この表現では正確に伝わらないのではないか?だから売れないのではないか?という思いから、説明分やコピーライトをどんどん継ぎ足していくという現象。オーナーはそうすることで「これで漏れなく完璧だ!」と思うのであるが、見る方にしてみれば「いっぱい文字があってウザい!」という印象が真っ先に与えられて、0.5秒でそのページを離脱する。カルロスゴーンの名言で「素人は問題を複雑にし、プロは問題をシンプルにする」というのがある。盛り沢山、豪華絢爛、百花繚乱、デラックス、ゴージャス、とかは昭和の時代には支持されたが、今は基本は「Simple is best」である。ネットショップなどのネット関連だけではない。チラシ、リーフレットなどの印刷物などの多くに共通して言えることだ。作った方は「いっぱい書くことで満足」。見る方は「いっぱい字が書いてあってウザい」。ということになる。


●面倒くさい世の中   2019.3.03
子供が何かを主張していれば「子供だからなぁ、まあそんなふうにも考えるよな」「オレも子供の頃は同じようなコトを思ったものだ」というのが大人の反応であろう。そして子供は主張していた通りに世の中はいかない、社会はもっと複雑であって、色々な人が色々なことを考えながら社会は形成されている、ということが段々に分かってくる。子供だから、若いから許される、ということも多いのだ。ところがネット社会になると、発信者の年齢が不明という場合も多い。子供が言っているのであれば仕方がないが、大人が言っているのであれば問題だろう、ということも少なくない。そして今まで何か一つの事に特化して生きてきた、所謂「世間知らず」の大人が、中学生のような稚拙な発言をSNSでしてしまったりもする。それにまた反応する子供や若者も多い。ということで収拾をつけるのが面倒くさい世の中になってきたようである。


●高須克弥   2019.3.02
高須クリニックの高須克弥院長が宮中茶会に招かれニュースにもなった。民進党の大西健介議員らを相手取った名誉毀損訴訟を起こしたり、ツイッター上での村本大輔(ウーマンラッシュアワー) との応酬でも話題になった。高須克弥は医師であり医学博士、昭和大学医学部客員教授、医療法人社団福祉会理事長、高須クリニック院長、浄土真宗僧侶。 芸能人を中心とした有名人の手術を数多く手がけた。また、格闘技K-1のリングドクターとしても活動し、国際美容外科学会会長および日本美容外科学会会長も務めたというマルチな活躍ぶりである。しかしもっとも「凄い!」と思ったのは、ホリエモンから面前の大三元を上がったことだ。大三元を面前で上がるということは極めて希であり、毎日1ヶ月間麻雀を打ち続けてもお目にかかれないであろう。しかも放銃させた相手がホリエモンである。何かを「持っている」としか思えない。


●庶民   2019.3.01
高い教養と学歴があって頭の良い人たちの多くが理解していないのが「庶民」である。ただ漠然と「収入が多くない普通の人」と思っているようだ。人は自分が知っていることは他人も知っていると思いがちである。「高齢者でもQRコードを使えばスマホサイトにアクセスできるようになる」とか言う若者。「営業担当者が自分でHTMLを書き換えれば済むことです」とか言っているSE。QRコードを使える高齢者はほとんどいないし、HTMLをいじれる営業担当者は極めて少ない。そして高い教養と学歴があって頭の良い人たちの多くは「庶民」の視点でものごとを考えることができない。だから「庶民」は「やれば何でもできる」ことを前提にした企画を作ってしまうのだ。「庶民」に「何かをやらせる」ことがいかにタイヘンで難儀なことであるのかを知らないようだ。



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