2019年8月


●音声ファイルの自動再生   2019.8.23
音声ファイルをhtmlに埋め込む。そしてそのファイルをアクセスと同時に自動再生にする。<video src="xxx.mp3" autoplay></video>というような場合だ。ファイルによって音量は様々であり、いきなり音が出てびっくりする場合もあり、最新のブラウザではautoplayに設定しても自動的にmuteがかかり、手動で音量を上げないと音声を聞くことができないという仕様になっている。しかし作る側からすれば、短い効果音のようなものは再生されなくても見る人は全く気がつかず、手動で音量を上げることも絶対にしないために、入れる意味が全く無くなってしまう。まぁそれも時代の流れだかぁ仕方がないや、と諦めるまえに、インラインフレームの中に入れてしまおう。<iframe src="xxx.mp3" allow="autoplay" id="audio" style="display:none"></iframe>という感じにだ。


●解説   2019.8.22
高校野球でラジオ中継のアナウンサーが解説者に尋ねる「どういった攻撃が必要ですかね?」すると解説者は「まずは先頭打者が出ることですね」と答える。しかしよく考えてみよう。先頭打者は出ないよりも出たほうが良いに決まっている。そんなことは小学生でも分かるだろ。解説者なんだから、例えば「アウトコースのスライダーに手を出さずに、ストレートに絞ってコンパクトにセンター方向に打ち返すように心がけたほうが良いでしょう」とかいうのが「解説」のはずだ。アナウンサーが解説者に尋ねる「どんなことに注意すればいいでしょうか?」すると解説者が「エラーをしないこととフォアボールを出さないことですね」と答える。どんな場面でもエラーはしないほうが良いに決まっているし、フォアボールは出さないほうが良いに決まっている。もっと具体的に解説してほしいものだ。とはいえサッカー解説者の松木安太郎が「ここで1点欲しいですよね!」よりはマシだろう。いつだって誰だって「ここで1点欲しい」と思いながら試合をしているんじゃないのかな。


●心   2019.8.21
心が傷む、心無い、心が弱い、心が広い、などと「心」という言葉は色々と使われる。しかし心は心臓であり脳みそではない。人間は物ごとを考えたり、感情を表現するのは基本的に脳みその仕事であるはずだ。それを脳ではなく心臓に転嫁することで、感情を制御しきれなかった脳みそが責任逃れをしているようにも思える。それにしても「心」のつく言葉は多い。安心、心配、中心、一心、初心、小心、心労、心外、心情、改心、心境、放心、慢心、決心、熱心、用心、真心、肝心、良心、出来心、好奇心、枚挙にいとまが無いし、みんな脳の仕事だろ!「心太」を除いては。


●高校野球   2019.8.20
準決勝は履正社vs明石商、中京学院大中京vs星稜。いずれも大阪vs兵庫、岐阜vs石川という隣接した府県だ。また2回戦でも岡山学芸館(岡山)vs広島商(広島)というお隣県対戦があった。お隣県であれば練習試合もしている可能性も高く、対戦に新鮮さもなく、わざわざ甲子園でやる必要あるの?という雰囲気も否めない。一時期1回戦のみ東西2ブロックに分けて抽選を行っていたが、手間の割りに功徳が少ないとの理由でなくなったとのこと。このお隣県問題を解決するためには、例えば北から順に都道府県に番号を振り、その数字の差が5以下にならないように組み合わせる。またベスト16が出揃った時点でトーナメント表とは別に、再度組み合わせを行い、この時もできるだけ遠方対決を優先するように、また初対決を優先するように、コンピューターで決めれば良いのではないか。もちろんコンピューターが決めたのでは味気ない、抽選があるから面白い、などの意見もあるかもしれないが、大相撲の取り組みは日本相撲協会の審判部が決めている。観戦する相撲ファンにとって最も面白いであろう組み合わせを決めているのだ。高校野球の場合、「最も面白いであろう組み合わせ」を人間が決めると色々と問題がありそうなので、この際、コンピューターを使っても良いのではないか。コンピュータにとってはさして難しいことではないはずだ。


●1番最初   2019.8.19
昨日の「重複表現」で、なぜ「1番最初」が重複表現なの?という質問があった。答えは簡単で「最初から2番目は2番目」である、だから「最初から1番目は1番目」であり、つまり「最初」は「1番目」と同じ意味になる、ということだ。なぜ分かりにくいのか?と言うと、「1」の前の「0」という概念があり、1番目は最初ではない、という感覚があるからかもしれない。しかし「0」は「無い」という意味なので「1」の前が「0」というのは間違いである。だからサッカーもテニスも世界ランキング1位は「1番目」であり「最初」である。ところがボクシングでは世界ランキング1位は「2番目」であり、その前には「世界チャンピオン」がいて、「世界チャンピオン」が「1番目」となる。などというケースがあるので、「1番、最初」と念を押すような使い方もされるのだろう。列車の1号車の前には機関車という最初の車両があったりもするし。


●重複表現   2019.9.18
過半数を超える、一番最初、ダントツの1位、最後の切り札、コンピューターCG、LCDディスプレイ、中欧ヨーロッパ、思いがけないハプニング、射程距離、元旦の朝、存亡の危機、馬がいななく、すべて一任する、最もベスト、秘密裏のうちに、などがよく使われる重複表現だ。日本に来日、馬から落馬、頭が頭痛、などのように同じ漢字が入っていれば気がつきやすいが、そうではない場合にはなかなか気がつかずに使ってしまう。重複表現は文法的には間違いと思われがちだが、「意味を強調したり語調を整えるため、あるいは理解を確実にさせるために用いられる」とあるので間違いというわけではない。ただし連発すると確かに恥ずかしい。しかも微妙に間違えるともっと恥ずかしい。「もっともベターな方法だ。」のように。


●お盆の幽霊   2019.8.17
お盆に先祖の霊がやってきて、油断すると連れて行かれる。などと言われている。しかし「霊」なるものは実際には存在しない。ではなぜこの時期に霊がやってくると思われているのだろうか?まずは暑さがピークを過ぎ、気候が変動しやすくなっているということ。台風や夕立、大雨などにより、河川が増水したり海では高波が発生して水難事故が起こりやすくなっている。地上では昆虫たちが発情期になり活動が活発になっていること。夜道を一人で歩いていて突然飛んできたカブトムシが後頭部に激突することだってある。闇の中で木にとまったオオミズアオがゆっくりと羽を動かせば幽霊にも見えることだろう。そして最近では、監視カメラに写った幽霊が部屋の中を歩き回る映像が数多くYouTubeなどにアップされている。これらの多くは監視カメラにとまった蛾や羽虫がカメラの前で動いていた映像が、近すぎるために超ピンボケになって幽霊のように見えたというものだ。仮に幽霊なるものが実際には存在したとしても、薄着なので夏しか出てこれない。というのも一理ある。


●台風の予想進路   2019.8.16
テレビの天気予報では、必ず台風の予想進路なるものが表示される。予想進路は観測データを収集し、気圧、風速、風向などの「予測」に必要なデータを観測地点から集め、世界各地の気象関係機関がそれぞれ観測したデータを交換しているとのこと。収集したデータを気象庁のスーパーコンピュータに入れ、計算し、進路予測を行う。この際、入力する初期値にばらつきを与えて複数回の予測を行い、その平均値を取る「アンサンブル予測」という手法が取られているとのこと。そして、このようにして出力された「予測」を基に、最後は人間が判断して、テレビの天気予報で見る「台風の進路予測」がつくられるのだそうだ。いずれにしても予想進路にはブレ幅があり、このブレ幅が広い時もあれば狭い時もある。そして台風が過ぎ去った後に、1〜2日前の予想進路が正しかったかどうか?ブレ幅以内にちゃんと入っていたかどうか?を言及する人はほとんどいない。


●計画性   2019.8.15
近くの河原の土手にウォーキングに行くことにした。雨がポツポツ降っていたので傘を持って出た。台風が近づいているので天気の変化が激しい。さっきまで晴天だったのに急に大粒の雨が降りだしたりする。案の定、ポツポツ降っていた雨が急に土砂降りになった。ということは分かっているはずなのだが、河原の土手にはびしょ濡れになって諦めてトボトボ歩くランナーの何人かとすれ違った。きっと晴れてるときに家を出たのだろう。びしょ濡れになって諦めてトボトボ歩く親子4人のファミリーとすれ違った。子供たちは手にバトミントンのラケットを持っていた。家を出るときには、こんなひどい目に会うとは思ってもいなかったことだろう。人間はいかに計画性のない生き物であるかを実感した1日であった。


●アート   2019.8.14
おそらく多くの人が勘違いしている。アートはアートな作品を作ることである、と。しかしアートとは作品を作る過程において作者と作品の対話をすることであり、その対話をした結果が、たまたま作品という副産物として形に残るのである。なので、制作途中で作者がキレて作品を自ら破壊してしまって形に残らない場合もある。では作品を作ることを目的とした行動は何かと言えば、それは工芸、デザイン、建築、ポップアート、などであろう。そういう意味では宮廷画家の作品なども作品を作ることを目的とした行動だ。そして作品を作ることを目的とした行動には必ず「報酬」がある。従って報酬を目的とした創作活動はアートとは呼ばない。ということは、作品という形が残らず、何の報酬も得られなかったアートが世の中には数限りなくあったということだ。


●昔の話   2019.8.13
年寄りはなぜ昔の話ばかりするのか?例えば余命が10年、生きてきた年月が70年としよう。そうすると1:7つまり87.5%(7/8)が過去の事になるわけだから仕方がないのだろう。人間年をとればとるほど過去にすがって、過去を回想しながら生きているわけだ。例えば余命が1年、生きてきた年月が99年だとすると、99%(99/100)が過去の事になる。ということは若いのに昔の話ばかりする人は余命が短いということになるので注意しよう。


●再読み込み   2019.8.12
最近のブラウザは閲覧履歴を一旦消去してから再読み込みしないと最新データが表示されなくなってきている。以前は「再読み込み」だけで良かったものが、ちゃんとした手順で「閲覧履歴データの削除」をしなければいけなくなってきている。さらにスマホではこの作業が分かりづらい。Safariでは設定のサムネをタップしてからSafari→履歴とWebサイトデータを消去→履歴とデータを消去、という手順になる。Chromeでは画面右上のメニュー→再読み込みとなるのだが、これで履歴がどこまで消去されるのかは分からない。そしてさらに分かりづらいのが、ユーザーが「今、自分がどのブラウザを使っているのか?」ということだ。iOSの場合、メールの中のURLをタップするとSafariが起動するが、LINEのタイムラインの中のURLをタップするとChromeが起動する。そしてそのことをほとんどのユーザーが気づいていない。


●輝き   2019.8.11
「輝いている私を見て!」という一種の承認欲求。若いうちはそれもカワイイし憎めない。しかし歳相応の年齢になっても「輝いている私を見て!」という一心で行動している人もいる。それが趣味であっても社会貢献であってもビジネスであってもだ。そしていっくら輝こうと思っても、色々と劣化しているので磨けど磨けど輝かない。そして輝かくなると同時に周囲の人間が離れていく。しかし輝くのをじっと堪えて、輝くべく光を内部にエネルギーとして溜め込んでいた人間は、見た目は輝いていなくとも、周囲の人間を離れさせない何らかの魅力を内服させているものだ。だから若いうちも無理して輝かないようにしておこう。


●オーダーメイド   2019.8.10
スーツにしてもドレスにしても1着1万円で買えるとすれば、それは間違いなく工場で量産された既製品である。オーダーメイドとなれば5万円とかになる。と、そんなことは普通の大人であれば誰でも知っている。同じようにA4のチラシ1枚のデザイン制作費が1万円だとすれば、それは間違いなくフリー素材を組み合わせたものになるだろう。と、ところが、ロゴマークはオリジナルでデザインして欲しい。イラストはオリジナルで描いたものを使って欲しい。写真は現場に行って撮って着て欲しい。と、いうようなことはオーダーメイドであって、それなりの時間と費用がかかるということを理解していない人は少なくない。結果が1枚のA4のチラシだから制作費は”おんなじ”と思っているらしいのだ。とはいえ確かに着ているスーツがオーダーメイドと既製品では遠目には”おんなじ”だ。


●応急処置-2   2019.8.09
昨日の続き→。応急処置はあくまでの応急の処置であって恒久的な処置ではない。あと100年、200年経てば人口は確実に減る。200年後に半分になると予測する人もいる。1000年後には1/10になるかもしれない。そうなった時には今まで我々が作ってきた応急処置的なモノを取り壊し、廃棄しなければいけない。そして廃棄処分されなかったモノだけが、本当に人類が生存していくために必要なモノなのだろう。そしてその大部分は「自然」なのかもしれない。ではその大部分以外は?それは応急処置で経験した人類の「叡智」なのかもしれない。


●応急処置-1   2019.8.08
産業革命によって地球の人口は爆発的に増えた。これは人類の歴史上で異常な出来事である。この異常な出来事に対応するために人間は発電所や下水道を作った。火力発電は地球が何億年もかけて生産してきた化石燃料をほんの瞬間とも言える短い期間で燃やし尽くそうとしている。水力発電は下流に肥沃な土砂を提供そていた川を堰き止めて作ったものが、いずれはダム湖の底は上流からの泥で埋まり使えなくなる。そしてコンクリートには寿命があり永久に使えるものではない。ビルも橋も高速道路も下水道も電柱もコンクリートでできている。従って社会インフラの老朽化は大きな問題にもなっている。では作るときに将来のことは考えなかったのか?ということにもなるが、「人口が尋常ではない数に増えたので、これを養うたもの応急処置」だったのどろう。同時に「将来のことまで考えている余裕はないほどの緊急事態」だったようである。→明日へ続く。


●Excelの自動入力   2019.8.07
Excelのセルに上から1,2と入力して、この2つのセルを選択して、セルの右下にカーソルを合わせてポインターの+マークが黒になった状態で下方向にドラッグすると自動的に3,4,5,6,7,8,9,10と入力される。これは列(縦方向)だけでなく、行(横方向)でも使える。と、この機能は多くの人が使っていることだろう。そして例えばp1,p2と入力した場合にはp3,p4,p5,p6となる。また月,火では水,木,金,土,日となる。このへんまでは知っている人も少なくないだろう。しかしsunday,mondayで、tuesday,wednesday,thursday,friday,saturdayとなり、January,Februaryで、March,April,May,June,July,August,September,October,November,Decemberとなることはあまり知られていない。曜日と月の英語のスペルを正確に覚えている人は少ないので、スペルを確認するときにも便利である。もちろんSun,MonでもJAN,FEBでも機能する。曜日と月の英語のスペルと同様に忘れてしまうのが干支の漢字である。これも子,丑で、寅,卯,辰,巳,午,未,申,酉,戌,亥と出ることはあまり知られていない。嘘だと思ったらやってみよう。


●昇順降順   2019.8.06
名簿の殆どは昇順である。つまり50音やアロファベットの殆どは昇順で並べられる。数字の場合も大抵は昇順で並べられるが、売り上げ、成績など、数字が大きいほうが偉いとされている場合は降順で並べられることになる。なので降順の方が正規であり昇順は非正規というような印象を与える場合もある。また降順であれば一番大きい数値が最初に来るが、昇順ではその数値がどこまで大きくなるのかは分からない。と考えると降順のほうが便利で親切という見方もできる。などと考えているうちにどっちが昇順でどっちが降順だか分からなくなってくる。いっそのこと「小順(しょうじゅん)」と「大順(おおじゅん)」にしてしまったほうが間違いがないともおもうのだが。


●取材   2019.8.05
よくジャーナリストやコメンテーターが「きちんと取材した結果」とか「ちゃんと取材してきたから」とか言っているが、所詮は取材であって実際に現場で体験したわけではない。かいつまんで適当な情報を得たというだけであり、体験が100とすれば取材で得られる情報は1とか0.1程度であろう。さらに取材をするにしても、そこにかけた時間や労力、要領の良し悪しや情報源の信憑性や確実性も千差万別であろう。如何わしい週刊誌やスポーツ新聞だって「取材した」情報を元に記事を書いているはずである。辞書によれば取材とは、「芸術作品や報道記事の題材・材料を、ある物事や事件などから取り集めること。」であり、取り集めた材料の信憑性については、特に制限はしていないようである。だから取材したことの信憑性は全て視聴者に委ねられている。つまり鵜呑みにしてはいけないということだ。


●あいちトリエンナーレ   2019.8.04
表現の自由を盾に昭和天皇や安倍首相を侮辱する作品など展示して炎上している。その中でハイヒールの踵が安倍総理と菅官房長官の口の中に入ったオブジェが展示されているようだが、これが酷い。政治的な思想は抜きにしても、作品としての完成度があまりに低く稚拙である。高校の文化祭以下のレベルだ。そもそも安倍総理と菅官房長官の顔が似ていない。似ていないので「ABE」と書いてあったりもして幼稚なことこの上ない。新聞やテレビのニュースの風刺画的なイラストや人形であっても、似ていないまでも、とりあえず誰であるか分かるようにはできている。国内最大級の現代アートの祭典という触れ込みだが、アートを名乗る以上はアートを出すべきであろう。もっともそれ以前の問題が大きくて炎上しているようであるのだが。


●プレゼン(2)   2019.8.03
昨日の続き→。例えばある業界内で行ったプレゼンネタを、そのまま地元の商店会で行ったとする。業界内の人は知っていることが常識であることも商店会の人は全く知らなかったりもする。そうなると聞いているほうは、ひたすら眠気との戦いにしかならなくなってくる。例えばキャッシュレス決済システム導入のプレゼンを行う場合、商店主が知りたいのは「コストがいくらかかるか?」「ウチでもできるの?」「導入すればどんくらい売上が上がるの?」といった、至ってシンプルなことのはずだ。それを業界内でしか通用しない横文字を連発して、どうでもいいような事例を紹介して、アカデミック感を出すために難解なグラフや表を出す。というようなプレゼンがまだまだ多いようだ。聴講しにきた商店会の人たちは、「商店会長さんから出るように頼まれた」「連合会からの依頼があった」との、いわゆる「動員」をかけられた人たちも多い。だから始まって5分で眠気との戦いだけになってしまうのであった。


●プレゼン(1)   2019.8.02
色々な機会に色々な場所でプレゼンテーションを視聴することが多くなってきた。昔は印刷物を配布する、OHPに投影する、ホワイトボードに書く、などの方法でプレゼンが行われていた。そしてそれらを行うのは基本的に「先生」であり、ある程度のスキルが必要とされていた。しかし今では液晶プロジェクタが安くなった(1990年までは1台50万円とかだった)こともあり、誰でもプレゼンを行えるようになってきた。そしてプレゼンターのスキルも総じて高くなってきているのだが、未だに多いのが「喋りは上手いが何を言いたいのかが分からない」という内容のプレゼンだ。聞いているうちに「あ、それを言いたいのね!」と分かる場合もあるが、最後まで「で、結局何が言いたいの!」と分からない場合もある。これらの原因は、喋るほうは当たり前と思っている前提条件を、聞いている方は全く分からなかったりするからだ。→明日へ続く。


●記憶   2019.8.01
道を歩いていたら、自転車に乗ったオバさんに道を聞かれた。「ここをまっすぐ行って、2つ目の信号を右に曲がってすぐですよ」と言うと、そのオバさんは丁寧に礼を行って自転車に乗って走り出すと、最初の信号を右に曲がって消えていった。「2つ目の信号っていったのに…」とも思ったのだが、時すでに遅し。さてこのオバさん、特にせっかちとか、あわてんぼうというわけではない。人間の記憶とか理解力というのは、所詮こんなもんであろう。人のハナシは基本的に全部聞いていないし理解もしていない。聞いているのは1フレーズのみであり、この場合は「右に曲がる」という部分のみであったようだ。だから「○○と言ったはずです!」「何度言えば分かるんだ!」とかいう台詞の多くは、ほとんど無意味であり、言われたほうは同じ過ちを何度も繰り返すことになる。同じ過ちを繰り返されたくなければ、口頭での伝達だけではなく、何か他の方法を考えるべきだ。



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