2019年6月


●勘   2019.6.19
「オレの勘は大抵当たるんだよ!」と自慢気に言うおっさん。なんというおめでたさだ。そもそも人間には予知能力もなければテレパシーも使えない。「勘」というのは、その人間が経験したことを元に未来予測をするもので、例えば1歳児が芝生の上を走っているのを見て「転ぶよ!」と予想するようなものだ。そんな誰でも予測できるようなことを「勘」と言い換えることで、特別に備わった能力のように聞こえるだけである。ものごとの本質を理論的に考えられない人間が、決まって使いたがる言葉でもある。


●その辺   2019.6.18
クルマ「その辺に停めとけばいい」・ゴミ「その辺に捨てちゃえ」・酒「その辺で買ってこい」・道「その辺で聞いてこい」・ケンカ「その辺で止めておけ」・説教「その辺があんたの未熟なところだ」・愚痴「せめてその辺を何とかしてほしい」・算数「その辺の長さが10cm」・背中「その辺のところが痒い」・「その辺」は時間、空間を含めた、極めて限定的なものから極めて抽象的なものまで、近称、中称、遠称、不定称、にも使えるタイヘン便利で且つ無責任に使える指示代名詞だ。


●社会   2019.6.17
「社会」は「人間が集まって生活を営む集団」のこと。英語ではSocietyと訳される。社会人もSociety、学会も英語でSociety、社会学はSociology、また動物社会学、英訳ではanimal sociologyというのもあり、社会は人間に限ったものではないということのようだ。動物社会学では、ニホンザル社会の順位制やリーダー制、鳥類のなわばり制、アリやミツバチなどにみられる分業体制などについて、などが研究されているそうだ。ということは人間の社会というものは動物社会とあまり変わりはないということのようでもある。ちなみにSocial Networking Service(SNS)は適当な日本語は無いようであり、動物社会がSNSを利用するには時期尚早であろう。しかし油断してはいけない。ペット同士のコミュニケーションができるSNSを考えている人はいるかもしれない。需要はありそうだし。


●ネットには一切関わらずに生きていこう!   2019.6.16
ネットなどというものには一切関わらずに生きていこう!と決めている人たちの数はさすがに少なくなってきた。しかし高齢者の中には未だに「ネットには一切関わらずに生きていこう!」「スマホなんてできなくたって生きていける!」と心に決めている人も少なくはない。「今からマスターしたってどうせ生い先長くないし」とか言っている。しかしどうだろうか、仮に70才だとしたら、あと30年生きる可能性だってある。その間にファックスとかガラケーとかは姿を消すだろう。ネットやスマホ無しで生きていくのは段々と辛くなっていくはずだ。ただでさえ年寄りは家族の中で孤立し、みんなの話について行けてないのが、LINEができなければより孤立していき、ネット情報無しではもっと話について行けなくなる。断言する。残りの人生30年。ネットができるのとできないのでは生きていく楽しさに雲泥の差があるということを。


●心の穴   2019.6.15
「心にポッカリ空いた穴」などという表現がある。これに対して「心の穴を埋める」なんて表現がある。で、実際には、現実逃避をしたいとき、辛いことがあって何も考えたくないとき、などに心に穴が開いたことにしてしまうということのようだ。心に穴が開いてしまった私は可哀想でしょ!ということをPRしているようだ。そして上手くいかないこと、思い通りにならないことがあったときに、その代償行為として、やらなくてもいいようなことをやるのが「心の穴を埋める」ということのようだ。ものごとを真摯に受け止め、問題解決の努力を真正面から行い、精神的に自己完結できるような人には「心の穴」は無縁のようでもある。


●時間   2019.6.14
時間などというものがなぜあるのか?ビッグバーン以前には時間がなかったのか?時間の経つ速度は常に一定なのか?時間はなぜ守らないといけないのか?時間を割ったものが時間割なのか?時間になるとと時刻が来るのか?自由時間に働くと労働時間になるのか?時間は60進法なのになぜ秒の少数から10進法に変わるのか?時間は空間にのみ存在するのか?時間というものが無ければ歳はとらないのか?時間が止まるということは実際にはあるのか?いずれにしても時間というものは摩訶不思議なものであり、いくら理論的に説明されても感覚的には理解し難いものである。そもそも時計の長い針が2を指しているのが何で10分なのだ?


●理解力   2019.6.13
ネットショップでは、例えば購入の方法を勘違いしている1件の事例があった場合に、そのネットショップ管理者は速攻で対応する。99%の人は勘違いすることのない内容であってもだ。これが学校であれば状況が全く異なる。99%の生徒が正しく理解できた内容を間違えた生徒は単に×を貰うだけだ。先生が設問を間違いないように修正することはしない。99%が理解できたことを理解できない1%が悪いわけで、理解力が足りないということになる。×を貰った生徒は「何で俺だけが?」と思って間違いないように勉強をして理解力をつけるようになるわけだ。ところが世の中では多くのシチュエーションで理解力の低い人間でも理解できるようになってきているようだ。学校では理解力を養い、社会では理解力を不要としてきている。この矛盾、どうしてくれようか?


●与えられることが当たり前   2019.6.12
与えられることに慣れてしまい与えられることが当たり前だと思っている世代が今の若者なのだろう。与える方は苦労して、ある程度のリスクを負って与えていたのにもかかわらず、その与える側の気持ちは1ミリも理解しない。まあそれが今どきの若者なのだからしょうがない。とか言って嘆いている今どきの熟年たち。あんたらだって生まれた時には既に電気も、水道も与えられていたということを忘れてはいけない。そして先人たちは「こいつら電気も水道もあるのが当たり前だと思ってやがる!」と嘆いていたであろうことも。


●確定申告の電子化(3)   2019.6.11
→昨日の続き。①は今ではオリジナルの出納帳をExcelで作って運用している。年に一度の確定申告時よりも、日々の入出金の管理をいかに正確に行うかということのほうが大切であるということが分かったからである(遅すぎるが…)。②についても、結果的には自分用のオリジナルの出納帳をExcelで作って、毎年問題点を修正しながら地道に活用していくことが良いということが分かってきた。ただし最後の決算書と申告書は手書きのままとした。理由は手書きの決算書と申告書を商工会に持っていき、税理士の人と世間話しをすることが大切であるということ。税理士と契約しているわけではないので、この機会以外に税理士の話は聞けないからだ。③は、普通は税理士と契約していて、税理士がやってくれる仕事だということが、最初は分からなかった。何とか計算を合わせた決算書の貸借対照表を税理士に見せると「完璧ですね。簿記とかやっていたんですか?」と聞かれ、「あ、みなさん税理士に丸投げで、自分ではやってないんだな」ということが分かった次第であった。


●確定申告の電子化(2)   2019.6.10
→昨日の続き。やってみて分かったこと。それは、①確定申告は年に一度しかやらないので、翌年には昨年やった多くの内容を忘れているということだ。だからどの部分を電子化すればいいのかを見つけるまでには10年以上の時間がかかってしまったということ。それから②フリーランスのデザイナーという個人事業主には、これといったテンプレートが見つからないということ。デザイナーには仕入れもなければ売掛もない。世の中にある一般的なテンプレートは使えない。というか使ったとしても無駄が多すぎるということが分かった。そして仕入れがなく金の出入りが少ない割りに③貸借対照表の計算がなかなか合わないということだ。→明日へ続く。


●確定申告の電子化(1)   2019.6.09
会社を辞めて個人事業主になったころ、丁度世の中では電子化が少しずつ進んでいた。確定申告も例外ではなかった。しかし個人事業主になって初めての確定申告をしなければならず、電子化云々以前に確定申告というもの自体の手順がどういうものなのかあまり理解できていなかった。従って多くの個人事業主同様、まずは手書きのアナログで出納帳も申告書を作成してみることにした。そもそも確定申告は、源泉徴収票や郵送されてくる諸々の書類を提出する必要があり、100%電子化というわけにはいかないので、アナログのままのほうが効率的である部分もあるはずだ。つまり手書きのアナログを何回かやってみてから、どの部分を電子化すればいいのかを検証する必要がある。ということで最初はルーズリーフの出納帳をつけることから始めた。→明日へ続く。


●ホームページデザイナー(3)   2019.6.08
→昨日の続き。そしてもっとも大きな問題は③のビジネスパーソン、つまり「営業」の経験が多くのホームページデザイナーに無かったということ。資本主義の世の中は弱肉強食であり、色々な価値観の人間が共存していて、その中で個人で商売をしていく難しさや恐ろしさを笑ってしまうくらいに知らなかったのである。クライアントからちょっとした修正や変更を依頼されただけで「頭に来てしまう」「落ち込んでしまう」「傷ついてしまう」ということになるのだ。まるで小学生が自分の描いた絵を「下手くそ!」と言われた時のような反応である。そしてその代償行為がクライアントにたいする「悪口」となる。基本的に自分のスキルや経験不足から干されたのにもかかわらず「あそこの社長は我がままだから」「本当に身勝手なクライアントだから」とか言っている自称ホームページデザイナーというのもたくさんいたのであった。


●ホームページデザイナー(2)   2019.6.07
→昨日の続き。次に②のプログラミングが問題になってくる。個人でホームページデザイナーを始めた人の多くが文系であった。文系の人でも基本的なHTMLは理解することができた。しかしHTMLが4.0になり、FLASHが使われ始め、CSSやJavaScriptが使われるようになり、しかもレスポンシブ、CMSともなってくると、脳内のキャッシュにデータを一時保存しながら作業を進めるという所謂「理系脳」でないとなかなか追いついていけない。特に今では必須のレスポンシブに移行していった2010〜2015年ごろにかけて、多くの個人のホームページデザイナー(このころはウェブデザイナーと呼ばれていた)がホームページのデザインを受注するということを諦めざるを得ない状況になっていった。→明日へ続く。


●ホームページデザイナー(1)   2019.6.06
2000年ごろから個人でホームページデザイナーという仕事を始める人が増え始めた。ちょうどSOHOという言葉が流行っていたころだ。そして多くのホームページデザイナーは独学でHTMLをかじっただけでの定年退職者、専業主婦などであった。そして彼らのほとんどは、①デザイナー、②プログラマー、③ビジネスパーソン、としてのスキルも経験もなかった。しかしホームページを作れる人が希少であったために、それなりに仕事はあった。ところがホームページデザイナーを始めて1〜2年経つと、色々な問題が見えてきた。まず①のデザイナーとしてのきちんとした教育を受けていない人は、デザインに関しては素人であるということ。プロのデザイナーというのはクライアントの要望した通り、イメージした通りのデザインをしなければいけない。しかし素人は、自分のデザインをクライアントに強要するという方向になりがちである。プロは多くの引き出しを持っているが、素人の引き出しは大抵は1つしかない。クライアントも強要されたデザインに不満はあるものの「ホームページってこういうものなのか…」と思いつつ仕方なく受け入れていたのであった。→明日へ続く。


●AI   2019.6.05
AIはartificial intelligenceのことだが、この英訳を正確に知っている人は意外に少ない。auto informationとの答えには「なるほどねー」とも思える、というかこのほうが分かりやすいともいえる。もはや人工知能は自らが勝手にデータを集めて解析しているので「人工」なのは最初の部分のみで、あとは自動的に成長しているようでもある。しかし彼らが集められる基本データは、カメラを通した映像データとマイクを通した音声データを中心に解析を行っているはずであり、人間が感じることのできる「臭覚」「味覚」「触覚」はデータの中にインプットされていないのが普通であろう。「臭覚」「味覚」については、これらを感知してデータ化する研究はすでに行われているはずであり、「触覚」についても温度計や風速計などの精度を上げることでデータのインプットは可能であろう。しかし人間には「第六感」というものがあり、これはAIには簡単に真似できないはずだ!などと言う人もいるが、その「第六感」に頼る場面が比較的多い「麻雀」では、もはや人間はAIには手も足も出ない領域に達している。なんせ彼らは「絶対に疲れない」のである。


●情報   2019.6.04
情報はinformationと英訳されることが多い。しかしinformationはインフォメーションとカタカナ表記されることもある。そしてインフォメーションの意味は「案内」という感じになる。そもそも「情報」の意味は「ある物事の事情についての知らせ」ということのようで、要するに「お知らせ」である。テレビで「お知らせ」というとコマーシャルのことであり、視聴者が欲していないにもかかわらず一方的に知らせてくる情報である。英語のdataは表現の形式を表しているのに対しinformationは表現の内容を表すことが多い。とか色々と考えていると「情報」の意味が段々と分からなくなってくる。ただ一つ言えるのはメルアドはinfo@で始まるよりはjoho@にしておいたほうが安全だということだ。


●くっつき過ぎのQRコード   2019.6.03
日本のほとんどの市町村は広報誌なるものを発刊している。しかしこの広報誌の読者の多くは高齢者である。それではいかん!ということで、若者が興味を持ちそうな記事を載せたり、若者をターゲットとした企画を組んだりしているのだが、基本的な構造が高齢者向けなので、若者が読むことは無いようだ。まず記事の多くが「申し込みはハガキ」「予約は電話」が中心である。今どきの若者はハガキなんか書いたことないし。予約はネットが当たり前である。さらにネットやスマホに対する扱いがぞんざいでいい加減である。「市のホームページから印刷できます」「市のホームページから電子申請で申し込みできます」「市のホームページからも応募できます」って書いてあるのが何をどうすればいいのか若者でも高齢者でも分からない。そもそもURLも検索キーワードも書かれていないのでどうにもならない。それならば!という意味かどうかは分からないが、QRコードをたっくさん載せていたりもするのであるが、QRコード同士が接近し過ぎていて、読み込んだ時に、実際にどのQRコードに反応したのか分からない。作った人が自らスマホをかざして確認をしていないようでもある。


●自分の意見-2   2019.6.02
→昨日の続き。つまり最近の若者は、世界には70億人の人がいて、日本には1億人の人がいて、自分はそのなかのたった一人に過ぎず、膨大な数の人と、思いや感性を共有しているというようなことが、なんとなく俯瞰的にイメージできているのだろう。それに比べると、ネットが無い時代に人間性を培ってきた大人が、「私はこう思う!」とか「私の意見はこうだ!」とか唾を飛ばしながら力説している姿は、なんだか滑稽に見えてしまう。


●自分の意見-1   2019.6.01
最近の若者は自分の意見を言わない。そもそも自分の意見や考えを持っていない。と、嘆く大人も多い。自信がないわけではない。勉強をしてないわけではない。甘やかされているわけでもない。なぜだろか?と考えてみる。そこで思い当たるのは、これはおそらくインターネットのせいなのではないか?ということだ。今の時代は、人が何かを思った時、何かを感じた時、インターネットで調べてみると、同じことを思って、同じことを感じた人の意見が大量に出てくる。つまりそこで思ったこと、感じたこと、は決して自分一人のものではなく、多くの人と共有した思いや感性であることを知っているからなのだろう。明日へ続く→。



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