▼天声人誤

●コンビーフ

アフリカ大陸の南東部にジンバブエとモザンビークに国境を接するパンパビアという人口80万の小さな共和国がある。ルアンダの内戦が国際的に注目を浴びた陰でほとんどニュースとして取り上げられることはなかったが、この国でも深刻な内戦が起こっていた。

パンパビア共和国は1970年にフランスの植民地から独立し、アメリカの援助を受けつつ特に大きな内紛も無く今日に至っていた。

この国は国土の70%が含塩土壌、つまり塩分が多く含まれているため穀物の栽培ができない土地であり、人々は残りの30%の牧草地帯で山羊や牛を飼いながら細々と暮らしていた。

しかし隣のモザンビークの紛争に目をつけた世界各国の武器ブローカーがこの国に行き来するようになり、モザンビークの内戦が沈静化した後も、彼等の一部はパンパビアに居残った。

モザンビークの戦闘の激化を当て込んでいた彼等は、大量の武器の在庫を抱え込んでしまったのである。その多くが中国製、パキスタン、イラン製の地雷で他に対戦車砲、拍撃砲などがあった。

在庫の処理に困った彼等はパンパビア共和国の少数民族チリチ族にこの大量の武器を格安の価格で売りつけたのであった。

チリチ族は反体制運動までには至らなかったものの、パンパビア政府に対しては土地の所有権や民族差別等、色々な不満を持っていた。さらにモザンビークからの難民がチリチ族の土地に流れ込んでできたため、ただでさえ苦しい彼等の生活を圧迫していた。

武器を手に入れたチリチ族は多数派のガビ族の牧場を襲撃するようになった。彼等のやり方は、夜中に牧場に侵入し地雷を埋め、翌朝家畜がその地雷を踏んで爆発したと同時にトラックで銃を乱射しながら牧場に押し入り、爆死した家畜をトラックに積んで帰っていくというものであった。

牛一頭あれば一家族一週間は喰うに困らないという計算である。武器を使うことで簡単にうまいものが手に入るということに味をしめてしまったのだ。そしてこの状況がだんだんにエスカレートしていき、内戦ともいえる状態になってしまった。

国連を通じて日本政府に食料援助の要請があったとき、外務省は実情を全く把握していなかった。パンパビアという国が何処にあるのかも知らない人間も多かった。とにかく何か喰える物を送らなければいけない事は確かなので農林水産省、厚生省と相談することにした。

当初は「米」という案が有力であったらしいが、あれだけ大騒ぎをしてタイやオーストラリアから輸入したものを、まずいの臭いのと文句をたれて結局捨てたり家畜に喰わせたりと、大変評判を悪くしたばかりなので、米などを送ろうものなら、それ見たことか、アフリカ人に喰わせるつもりだ、ということになりかねない。

次に魚の缶詰という案が持ち上がったが、これもまた色々と問題があるということになった。日露漁業交渉に当たって不利に働くという考えだ。援助するほどの魚があるなら漁獲量を削減しても問題はないはずだ、と指摘されかねない。また、尖閣諸島についても同じことで、特に台湾は尖閣諸島周辺での漁業件を主張している。魚の缶詰はやめようということになった。

現地でお湯の調達ができるかどうかわからないので「カップラーメン」の案はボツとなり、菓子はいかん、ということで「カロリーメイト」案は却下され、日本らしくないという理由で「カステラ」はNGとなった。それでは寿司では、と真面目な顔で提案した者がいたとかいないとか。さらに農水省の担当者が「我々に関係ないものばかり提案しないでくれ」という旨の発言もしたらしい。援助という根本的な主旨はどこかに行ってしまっていた。

さんざんもめた末、「コンビーフの缶詰」ということで落ち着いた。そこで国内の主だったコンビーフメーカーを当たってみたところ、大手の2社については、生産スケジュールの調整や在庫管理、食材の調達や生産ラインの増設等、色々と小回りの利かない部分があり対応しずらく、仮に対応できたとしてもコストの高い物になってしまう事がわかった。

結局売り上げ高で業界第5位の(株)山北コンビーフという静岡県に本社と工場を持つ従業員数129人の小さな会社にこのコンビーフの生産を依頼することになった。

出荷時のコンビーフ1缶あたりのコストが¥95、1週間で52000缶生産し、2週間以内に船積みするという契約内容であった。そして(株)山北コンビーフの社長の山北春蔵は、「我々のような中小企業でも世界に貢献できる時代になった。」と大変喜んだ。しかしその裏では「いい宣伝になる」とも思っていたはずである。

そしてこのとき(株)山北コンビーフの中ではちょとした問題が起こっていた。コンビーフの缶に使用する厚さ0.24mmの鋼板が取引先の鋼材メーカーより製造中止になったという連絡が入ったのであった。

一般的に缶詰に使われる鋼板の厚さは0.35〜0.4mmであるがコンビーフの場合に限り、あのゼンマイのネジみたいなので缶を巻取りながら開けることから、開けやすくするために0.24mmが使われている。

大手のコンビーフメーカーであれば、自社内に缶の生産工場を持っており、0.24mmの鋼板についてもかなりの量を在庫していたため、さしあたっての影響はなかったが、(株)山北コンビーフの場合は缶の製造は全て外注に頼っていたため、この0.24mmの鋼板の製造中止は、イコール鋼板の厚さの変更を意味することになった。

援助分の52000缶については、多少開けずらくなったとしても、クレームの対象にはならないであろうし、「品質を保つために特別に厚くしました。」とでも言えばみんな納得するであろうと(株)山北コンビーフの社長の山北春蔵は考えた。しかし問題は厚くなった分のコストアップである。事情を説明して1缶あたりのコストを¥95から¥99に値上げしてもらうよう交渉することも検討したが、とにかくコストが安いということで(株)山北コンビーフが選ばれたわけであり、今さら値上げ要求などはできなかった。

このころパンパビアでは戦闘が激化し、国道を走る車両は敵も味方も関係なく攻撃されるという状況になっていた。現在世界の紛争地域には必ずと言っていいほど「サマラ」と呼ばれる、いわゆる戦争のプロが介入している。サマラとはイスラム語で「庸兵」の意味で、報酬と引き替えに武器の正しい使い方を教育したり実践戦闘講座を開いたりしている。知らないヤツに出会ったら撃て!そうしないと自分が撃たれる。という内容の事を教えたりもする。彼等が陰で戦闘を激化させてると言っても過言ではない。

戦闘の激化に手をやいたパンパビア政府は、国連を通じ日本政府に対し、とんでもないリクエストをしてきた。「援助用の食料はパンパビア国内で車両による輸送中に攻撃される可能性が非常に高いため、仮に車両が爆破され炎上した場合でも、これに耐えうる品質及び梱包状態を要求する。」というものである。

この文章はすぐに和訳され山北春蔵のもとにファックスで届いた。文章の最後に担当者が付け加えた文は「そういうわけで宜しくお願いします。」であった。

えらいことになってきた。(株)山北コンビーフでは缶の鋼板が0.4mmの試作品を作り、梱包用の段ボールに入れて焼却炉に放り込んでみた。段ボールは燃えた。そして燃えたのを見てみんながっかりした。中味のコンビーフもずいぶんと焦げた。もしかしたら鋼板を厚くしたことが幸いするのでは..と思っていたが、ぜんぜん関係なかった。

実際に輸送用車両が爆発炎上したときの状況などが(株)山北コンビーフの従業員にはわかるわけもない。山北春蔵にしても同じ話である。しかしこのまま出荷するわけにはいかない。「とりあえずコストのことは考えず、絶対燃えないやつを作れ!」と山北春蔵は社員にはっぱをかけた。

試行錯誤が繰り返された後、缶の鋼板の厚さが0.9mm、これは冷蔵庫や清涼飲料の自動販売機の底板や裏板に使われている耐熱製に優れたニッケルとマグネシウムの混ざった合金で、梱包材にはグラスファイバーを混入させた尿素樹脂製のカートンが考案された。

さらにこのカートンの中にポリカーボの繊維による断熱材の仕切板が入れられた。最終的な実験では、これを焼却炉に放り込んで30分経過してから取り出したところ、コンビーフ自体は表面が多少焦げる程度で充分食するに耐えうることが証明された。しかし同時にこれら梱包費用も単価に乗せた1缶あたりのコンビーフのコストは¥135にも達していることもわかった。「受けるんじゃなかった。」山北春蔵は悔やんだが、もう後には退けなかった。

とにかくこのままのコストでは宣伝になるどころか大赤字である。何としてもコストダウンの方策を考えなければならない。かといって缶と梱包は安くすればまた燃えてしまう。考えられるのは中味、つまりコンビーフ自体である。とりあえずコンビーフの「肉」の量を減らし「脂身」の割合を増やしていった。

かなり「脂身」の多いコンビーフになったときのコストは¥122であった。まだまだである。「脂身」をもっと増やした。だんだん「肉」が見えなくなってきたが、そのわりにコストに貢献しないようであった。

資材担当者より悪い知らせが入ってきた。缶の鋼板の厚さを変更したことで、従来のプレス用金型が使えず、新規に製作しなければならず、また、プレス機自体も一回り大きな物を購入する必要がある、ということであった。これを単価に乗せた1缶あたりのコストに換算すると¥26になり、この時点での1缶あたりのコンビーフのコストは¥148ということになった。

「脂身」の部分にカンテンを混ぜた。そしてカンテンの割合は徐々に増えていった。「肉」の量もさらに減らした。ほとんどがカンテンになった。透明なコンビーフである。透明であるがために「肉」の量が少ないのがよくわかる。この時点でのコスト、¥119。

資材担当者より悪い知らせが入ってきた。缶の鋼板の厚さを変更したことで、従来の定尺の鋼板から取れる数が2/3に減ってしまい、缶単体でのコストが30%アップするというものであった。これを商品単価に乗せたこの時点でのコスト、¥133。

透明なコンビーフを試食した結果、味が薄いということがわかった。しかし「肉」の量はさらに減らさなければならない。「肉」を減らしたぶんヒジキを混ぜた。味は少し濃くなった。キリボシダイコンも混ぜた。だんだん味が濃くなってきた。少し希望が見えてきた。

営業担当者より悪い知らせが入ってきた。コンビーフはコンビーフの味がしなければいけない。と言われたそうである。これを聞いてみんながっかりした。

「犬のガム」をスライスして混ぜた。これがうまくいった。味がヒジキとキリボシダイコンに調和して何となくコンビーフじゃないかと思わせるような風味になった。このとき山北春蔵を含め(株)山北コンビーフの幹部は「いけるぞ!」という気持ちになった。そしてさらに「肉」の量を減らしていった。「肉」を減らしても味にはほとんど影響しないことがわかり、「肉」は全部とってしまった。

これは画期的なコストダウンである。残る問題は透明感である。このままではコンビーフには見えないし、中のヒジキやキリボシダイコンが見えてしまう。石灰を混ぜた。だいぶ濁って透明感が和らいだ。見た目もかなりコンビーフに近い。このくらい似ていればコンビーフと見間違える人もなかにはいるだろうと思われるくらいだ。

石灰を混ぜてからはだれも試食しなかった。石灰には味がないので、味のないものを混ぜても味は変わらないはずであるからだ。とにかくもう納期も迫っているし、早く生産体制を組まなければいけなかった。この時点でのコストを算出している暇もなかった。

恐らく多少の赤字にはなっていると山北春蔵は思っていたが、宣伝料だと思えば安いものであるが、缶に貼り付けるラベルはコストダウンのために一番最初にとってしまったので、商品自体は広告媒体にはならない。もっともこんなコンビーフは誰が作ったのかわからない方が良いのでラッキーなのかもしれない。などとわけのわからない葛藤のなかで、一刻も早く船積みして、自らの手から離したいと思っていた。

(株)山北コンビーフの生産ラインはフル稼働して52000缶のコンビーフをあっという間に量産し終えた。工場の敷地内に待機していた2台のトラックはこの缶詰を積み終わるやいなや、ものすごい勢いで工場内を貫け、県道へ左折していった。2台めは左折したときに左後輪が30cmほど浮き上がったが、わずかに蛇行しただけですぐに体制を立て直し1台めのトラックの後方にぴたりとつけた。

2台のトラックは前後の20cmの間隔をキープしたまま東名高速を170kmではしりつずけ、あっという間に横浜港に着き、高速を降りてもスピードを緩めることもなく接岸した貨物船めがけて突進していき、6輪ドリフトしながら、2台相次いで貨物船に平行にぴたりと止まった。

既に貨物船の近くで待ち構えていた(株)山北コンビーフの幹部は一斉に2台のトラックのハッチに駆け寄り、船積み作業を開始し、あっという間に52000缶のコンビーフは貨物船のコンテナの中に納まった。貨物船が出航する瞬間、(株)山北コンビーフの幹部は全員で岸壁から貨物船の船体を押した。

そして貨物船が水平線に消えるまでの1時間、大きく手を振りつずけた。その後全員でランドマークタワーの展望台からもう一度貨物船を見送った。

貨物船を見送ってから一ヵ月が過ぎた。パンパビアからも国連からも日本政府からも何の連絡もなかった。一つ言えることはこの食料援助はパンパビアの内戦の沈静化には何の役にも立っていなかったということである。それどころか戦闘はさらに激化し、戦闘と飢餓による死者の数が増え初めていた。そしてこのコンビーフがその大きな原因になっていたのである。

後に厚生省がこのコンビーフのカロリー計算をしたところ、栄養価が非常に低く、0.9mmの鋼板を手で巻取りながら缶を開けるために消耗するエネルギーよりも低いということがわかった。つまり食えば食うほど腹の減るコンビーフになってしまったわけだ。

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