▼天声人誤

●巡行ミサイル

湾岸戦争のとき、バクダットで生中継している特派員の上空を実際にトマホークミサイルが通過して行く映像は衝撃的であり、本当にあったんだ、あんなミサイルが...という思いがした。

巡航ミサイルにはTVカメラが内臓され、前もってインプットされた攻撃目標物の映像データと照らし合わせ、自分が攻撃するターゲットを識別できる。たとえばそのターゲットが人物であっても、顔の特徴やからだつきから判断できるらしいが、ここで大きな2つの問題が生じる。

1つはターゲットが「そっくりさん」であった場合だ。もう1つは速度が速すぎるということだ。詳しくは知らないが、たぶん音速に近い速度で巡航し、最低でもせいぜい400km/hぐらいなのではないか。だからターゲットの2〜3m手前で「あっ、違った!」と気付いても手遅れになる。日本人でもカダフィー大佐なんかに似ている人はけっこういるので、そういう人は気を付けたほうがよい。もっとも気が付いた時にはもう遅いのだが....

そこでこういった不幸なそっくりさんの犠牲をなくすためには、F-35 ライトニングやホーカー・シドレー ハリアーのようにホバーリング(空中に浮いたまま静止すること)のできる巡航ミサイルがこれからの時代には要求される。ホバーリングはやたらと燃料を消費するので、長距離ミサイルの場合特に燃費の改善が必要となる。さらに通信機能を備え、あらかじめインプットされたデータを状況の変化に応じ随時修正し、これに対応できるようになれば完璧である。

あるテロリストの指導者を攻撃目標として発射された巡航ミサイルは、アフリカなり、中東なりのテロリストのアジトに向かうが、ターゲットがそこにはいないということがわかった。関連機関の情報によれば、どうやら資金調達のため東京に潜伏しているらしい。「せっかく来たのに..」と思いつつ巡航ミサイルはホバーリングしながら180度方向転換し、東へと向かった。レーダーに感知されないよう低空を保ち、インド洋、東シナ海を経て、東京上空にたどり着いた。

徐々に速度を下げ、品川上空にさしかかったところで、速度を40km/hに落とし、第1京浜の自動車の列の中に両翼端のランプを点滅させながら、典型的優良ドライバーの車線変更のように入っていった。通常の車線変更とは角度が90度異なっていた。最新の情報によればターゲットはこの付近のホテルに潜んでいるらしい。唖然として見守る周囲のドライバーの目をよそに、巡航ミサイルは高度1mを保ち、自動車の列の中を、周りの自動車の流れに合わせながら、ゆっくりと日本橋方面に向かった。

ホテルが見えてきた。巡航ミサイルは左翼端のランプを点滅させながら、左後方から二輪車が来ないのを確認してからゆっくりと左折してホテルの入り口に向かった。

巡航ミサイルは全長が6mあり、ホテルの回転式の入り口からは入ることはできない。隣に自動ドアがあった。自動ドアの前で巡航ミサイルはホバーリング用の下向きのエンジンの出力を上げた。重量が2tを超えるミサイルを空中に浮かばせておくだけのパワーがあるので自動ドアぐらいは簡単に開けられそうなものであるが、不幸にもこのホバーリング用のエンジンは翼の付けね付近にあるため、自動ドアのスイッチ、つまり人が乗る部分からは1.5mほど離れた位置にまでしか届かないのであった。この距離から少なくとも数十kgの圧力を感知させるためには相当なパワーが必要である。

周りにあったプランターを倒し、ダスキンを空中に舞上げた末、やっと自動ドアが開いた。「さあ、入るぞ!」と勇んで前進しようとした巡航ミサイルであったが、ホバーリング用のエンジンの出力を上げすぎたため、ミサイル自身も地上4mぐらいのところまで上昇していた。あわてて出力を下げ、高度を落とし、地面ぎりぎりのところでまた出力を戻し、ホテルのロビーに頭を突っ込んだ時にはドアは閉まり初めていた。腰のあたりをドアに挟まれ、左右にふにゃっと揺れてしまい、最新ハイテク兵器らしからぬ失態を披露してしまった巡航ミサイルであったが、なんとかレセプションの前までたどり着いた。

カウンター越しに頭半分突っ込み、空中で静止した巡航ミサイルは、その先端上部の蓋を開け、6インチのLCDモニターをにゅ〜と突き出した。そこにはターゲットの写真が映し出されている。これを目の前にしたレセプションの若い女は、驚きのあまり、ただただかぶりを振り続けた。隣にいた年配の女は腰はほぼ抜けていたものの、若い女よりは冷静なようで、「ねえ、これってミサイルじゃない!ちゃんと教えてあげないと怒って爆発するわよ!」と言った。

これを聞いた巡航ミサイルは、この年配のほうに向きを変え、ゆっくりと全身を先端を下にして3度ほど傾け、またゆっくりと水平に戻った。うなずいたのである。若いほうは、人間の爆発とは意味が違うことを悟り、ことの重大さに気付き急に喋り始めた「えっ、あっ、あの、このお客様なら、そのテレビとは違って、ひっ、ひっ、髭をはやはやはやかして、いっ、いますが、いま、おっ、おっ、お泊ですが、ひるまは、いっ、いつもがい、外出して、...」ここまで聞くと巡航ミサイルはゆっくりと後方に移動し、方向転換し先ほどの自動ドアに向かおうとした。

人間の殺し屋であれば、ホテルのロビーでターゲットが帰って来るのを待てばよいのだが、巡航ミサイルの場合燃費の関係上、ターゲットの行く先々を追いかけて行かないとガス欠になってしまうのである。ガソリンスタンドでも巡航ミサイル用の燃料は売っていないし、かりに売っていたとしても現金の持ち合わせがないし、滅多に来ないのでカードも持っていない。

エンジンを切って待つという手もあるが、その場合、待っているのか、捨ててあるのかわからないし、現実的に考えれば、警視庁の爆弾処理班に信管をはずされ、腑抜けにされてしまう可能性もある。

とにかくターゲットが今いる場所に行かなくてはいけない。ターゲットが行きそうな場所のデータを収集、分析しながら、ゆっくりと方向転換し、方向転換し、方向転換し、あれっ?後方翼がカウンターにぶつかって方向転換ができない。

何度も切り替えしをして斜めになったり、必要以上にエンジンをふかしたりしているうちに、見かねたホテルの従業員や宿泊客が1人2人と近寄り、巡航ミサイルの方向転換を手伝い始めた。「おい、そっ ち持て!」「あっ、ちょっと待った、こっちがひっかかってる。」「そう、その調子、ゆっくりゆっくり、あ〜とストップストップ!」などと叫びながら10人ぐらいで方向転換作業が進められた。「よし!機首を少し下げて、」といっているときに巡航ミサイルが間違えてホバーリング用のエンジンの出力を上げて「こら!違うだろっ!」と機体をひっぱだかれたりもした。箪笥や机とは違い、これはミサイルであり強力な爆発物である。とにかく前方の先端にある長さ3cm、直径1.5cmの金属の棒、つまり信管の部分だけには絶対に何も触れないよう、細心の注意を払いつつ約1時間後に無事方向転換作業は完了した。

沼地にはまって出られなくなったアフリカ象や、浅瀬から出られなくなった鯨などを人間が救出したとき、助けられた動物は人間たちのほうを何度も振り返りながら去っていくのが一般的であり、人間に助けられた巡航ミサイルとしても振り返って礼をしたい気持ちはあったが、振り返るためには方向転換を伴うため、やらないことにした。ロビーから外に出る時の自動ドアはベルボーイが開けてくれたが、チップを払ってやることはできなかった。

巡航ミサイルがホテルを出てから約10分後、近くの銀行で大爆発があり、100m四方が粉々に吹き飛び多くの死傷者がでた。犯人はもちろんあの巡航ミサイルである。しかしターゲットは5分ほど前に銀行を出ていて無事であった。この爆発の原因は銀行の自動ドアが、手で触れるタイプのものであったことではないだろうか、とホテルの関係者は口を揃えた。

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