2002年8月

●LCDモニタ   2002.8.31

市場に出ているパソコンのLCDモニタではXGA(画素数は1024×768)が一般的になっており、さらにはQXGA(画素数2048×1536)やQSXGA(2560×2048)といった超高精細・高解像度のディスプレイが実現されているようだ。

PhotoshopやIllustrator、またPainterやShade等、ウインドウが多く表示されるアプリケーションを操作するときには非常に使い易い環境となるわけである。

さらに省スペース、省電力というメリットを考えると、コストの問題のみをクリアすればもはやCRTの存在意味はなくなるように思える。そして近年中に世界のパソコンでLCDの割合がCRTを逆転するであろうと言われている。

しかしLCDにもコスト以外のデメリットもある。CRTは電子銃から放出されたビーム、つまり光そのものを見ているのに対し、LCDは光を透過するフィルターを見ていることになる。言ってみればステンドグラスである。

従って輝度や明度が高い領域での色の平坦化のような現象が起こる。具体的には、例えば壁紙に微妙なテクスチャーの変化を持つ和紙のパターンを使用したときに、LCDではこの微妙さが表現されないのである(もちろんLCDにも色々スペックがあるので、そのレベルには差はあるが)。

デザイナにとってはまだCRTを重宝する時代がしばらくは続くように思えるのだが…

●ベンツかフィットか   2002.8.30

ホンダのフィットというクルマをデザインする過程で、だいたいのデザインイメージが完成し、そのモックアップモデルをディーラーにプレゼンテーションする。

このときにそのデザインコンセプトをきちんと説明せずに「どうですか?」とたずねたとするならば、「もっと高級感が欲しい」とか「室内が狭い」とか「安っぽいんじゃないか?」などという意見が出る可能性がある。

多くの場合、いきなりデザインのコメントを求められると、ついつい個人的な好みで意見を言ってしまうものである。つまり「もっと高級感が欲しい」と答えた人間は、その人の漠然としたクルマに対する価値観を基準とした、つまり自分が憧れているベンツをイメージしてコメントするのである。

これはグラフィックデザインやウェブデザインでもよくあること。ローティーン向けの化粧品のパッケージを年輩の人に見せると、「落ち着きがない」「安っぽい」というような意見が出る。

「この商品は女子高校生をターゲットとしていますので、女子高校生の視点で意見を言って下さい。」と最初に釘を刺しておいて、オヤジたちを黙らせておく必要がある。

●縦書き   2002.8.29

Internet Explorer5.5から日本語の縦書きが対応となっている。記述は例えば<div><p style="writing-mode: tb-rl;">ここが縦書きになる</p></div>のようになる。しかし残念なことにNetscapeやMacintosh用Internet Explorerでは対応されていない。せめてMacintoshで対応していれば実際に使えるところなのだが…

ところがWindows用のNetscapeでは、フォントの設定のところでその種類を選ぶときに、上のほうにスクロールしていくと、日本語フォント名の頭に「@」が付いたものがある。「@MS明朝」といった具合だ。

そしてこれを選択すると日本語が縦書きに表示することが出来るわけなのだが、横に寝た状態での縦書きになってしまう。一体どんな時に何のために使うのだろうか。。

●アンケート   2002.8.28

「あなたは電車の中で立っているお年寄りがいたら席をゆずりますか?」という項目がアンケートにあったりする。回答欄には、□はい、□いいえ、の2つ。なぜ2つなのか?そんなもんはケースバイケースのはずである。

一日中歩き回って足が棒になっていたならばゆずらないし、体力に余裕があればゆずる。また、そのお年寄りが60歳ぐらいであればゆずらないし、90歳ぐらいに見えればゆずる。次の駅が終点ならばゆずらないし、そのお年寄りが大きな荷物を持っていればゆずる。。

「あなたは米軍のアフガン空爆に賛成ですか?」などというのもある。これはテレビや新聞で報道される断片的な情報だけで答えるのは無責任であり、日本人では知り得ない複雑な政治的宗教的背景があるはずであり、明らかに情報の不足しているほとんどの日本人は「分からない」と答えるのが妥当なはず。

というわけでアンケートの中には得られた結果の信憑性が疑われるものも少なくない。さてインターネットの普及率はシンクタンクの電話によるアンケート調査で行われる場合も多いようだが、どこまで信用できるかは微妙なところでもある。

●命令されない人々   2002.8.27

サラリーマンであれば通常上司というものがいる。公務員にも上司はいるが、民間ほど決定的な命令権を持っていない場合が多い。上司がいないのは個人事業主や主婦、失業者や隠居した老人である。子供の場合は親や先生が上司の代行を行う。

さて上司のいない人々というのは実に扱いにくい場合が多い。命令されてその命令に従うという習慣がない(または忘れている)ので、とにかく他人の言うことを聞かない。無理矢理に自分を正当化しようとする。間違いを正さない。反省しない。謝らない。等々である。

まあ、そういったわがままな生き方をあえて選んでいるという場合もあるのだろうが、なんとか命令されないまま生きていこうとするあまり、周囲から有用な情報が得られなくなり、だんだんと孤立して見放されていくという場合もあるようだ。そしてそのような人に限って情報は持っていないがプライドだけは高い。

●万歩計   2002.8.26

「1日一万歩はなかなかいかないんですよ」と、万歩計を付けている人と駅のホームで話しているところに電車が来る「あ、このヘンで乗ると降りたときに階段に近いんですよ」とその人が言う。歩きたいのか歩きたくないのかどっちなんだ?

これは歩きたくはないが、1日一万歩を歩いたという結果は欲しいのである。そのためには1歩で3つぐらい数字が増える万歩計を使えばいいのだが、そうと分かってしまうと達成感は薄れてしまう。

それにしても数字にこだわるあまりに本来の目的を見失っているというケースは多い。アクセスカウンター、1日に受信するメールの数、ハードディスクの容量、CPUの速度、回線速度etc..多いからってアンタが偉いわけではない。。

●リンクの報告   2002.8.25

90年代までは自分のページで他のサイトを紹介、リンクする場合はリンク先の承諾を得るというのがマナーとされていたようだ。しかし最近では、特に大きなサイト(有名なポータルや大手企業等)では、承諾依頼のメールを出してもレスがない場合がほとんど。個人サイトでもレスが来ることは少なくなってきている。

逆にこのサイトにしても、同じディレクトリ内の「みんばのお店・有名人の似顔絵」にしても特に承諾無しで色々なところからリンクされている。とても掌握できる範囲ではない。

ところが今でも「勝手にリンクしないで下さい」というようなことを言う人もいる。サイト内に「リンクの場合は事前連絡を」という表示をしておけば良いのだが、これがない場合は基本的にリンクフリーと解釈されて当然なのである。要はウェブとして公開した時点で、無断でリンクされることも認めている、ということであり、リンクされたくないのであれば公開しなければいい、ということになっているようなのだ。

●命令癖   2002.8.24

大抵の人は命令されるよりは命令するほうが好きなはずだ。だから命令される立場から命令する立場に変わったときには爽快感と充実感がある。しかし今の世の中その逆もあるのだ。企業内での降格というのがそれだ。昔はよほどのヘマをやらないかぎりは降格というのはなかったが、今はそうでもない。又、従業員がみんな辞めてしまって一人になった事業主もこれにあたる。

そして真価が問われるのは降格した後、一人になった後の意識改革だ。具体的にはルーチンのつまらない仕事を毎日ちゃんとこなせるかどうかということ。単調な雑務、手間がかかるわりに儲からない仕事、我慢が必要な業務等、今まで他人に命令してやらせていた事を自分でやらなければいけない。

しかし一度ついた命令癖はなかなか治らないもので、いつまで経っても命令する側の感覚でいたがために通常業務が回らなくなり、解雇されてしまうサラリーマン。結局新たな従業員を雇ったところが、その人件費も捻出できずに潰れてしまった事業主など。

今までと同じように命令する立場で己のステイタスを維持しようとするとロクな結果にはならない。リセットする勇気と開き直りが必要なのだ。

●情報量   2002.8.23

インターネットが普及する以前、さらに遡って1980年代。このころに比べると、一人の人間が得られる情報量は圧倒的に多くなっている。

しかしちょっと昔の人は「知らないと恥ずかしい」という意識が強い。「聞くは一時の恥‥‥」ということであり、とにかく知らないことは恥であり、恥をかきたくないために知ったっぷりをすることになる。

しかし「知らぬは一生の恥」である通り、知ったぷりを繰り返すうちに一生の恥に該当する項目が増えていってしまうのである。で、そういう人に限って「何だそんなことも知らないのか!」と他人が知らない事で自分が知っている事は偉そうにほざくのである。

こういった人たちがニッポンのIT化を遅らせている張本人であることは言うまでもない。

●PDF   2002.8.22

リンクのテキストをクリックして、そのページに飛ぶと思いきや、「保存しますか?」のメッセージが出てダウンロードしてアクロバットで開くと長大な書類が登場する。というようなことがよくある。

PDFにしてしまえば印刷もキレイに出るし、ほとんどの人が使えるし、何となく新しい技術を使ったような気もするが、実は観るほうにとっては「本当に必要」としている以外の情報としてはWelcomeではない場合が多い。

インターネットで閲覧させる以上は、できるだけブラウザの基本機能の範囲で表示できるような情報が望ましいはず。ページを移動するたびにアクロバットを起動させる必要があったり、Javaが動き始めたり、Plug-inのインストールを要求されたりするのはうざったい。

特にPDFというのは、もともとはテキストをキーで打っているわけで、画像の元データもBMPやJPGがあるはずである。であれば出来るだけHTMLで表示できるようにしてあげるべき。

●イタズラ   2002.8.21

こんな相談のメールをいただきました。

ホームページを作ってプロバイダーが提供しているメールフォームを利用しているのですが、これだとイタズラやイヤガラセのメールが増えるので、メールソフトが起動するようにしたほがいいと友人に言われたのですがどうなんでしょうか?

メールフォームはほとんどが利用している回線に影響されることなく発信できるし、メルアドを入力しなくても発信できます。またメールソフトが起動する時間も省略できるし、書き出しの文章や書式を考える手間も省けるし、ウイルスが送られてくる可能性も低いです。つまりカンタンに気軽に発信できるというのがメリットです。しかしそれだけにイタズラやイヤガラセが来る可能性も高くなります。

実際、私のサイトにも多くのイタズラやイヤガラセ、それに一方的な批判や誹謗などが来ます。ただしこれらはレベルの低い取るに足らない内容ばかりです。一読して削除するだけなので特に気にしなければ何も実害はありません。

メールフォームの方が良いか悪いかということは、そのホームページの目的や種類にもよるので一概には言えませんが、実際のお店なんかでも来客が増えれば冷やかしの客も増えます。買いに来た客だけをふるいにかけようとしても普通はうまくはいきません。

従って多くの情報を収集したいのであれば、基本的には間口を広げるという意味でメールフォームのほうが良いでしょう。ただしある程度のイタズラやイヤガラセは覚悟しておいたほうがいいということも言えます。

イタズラやイヤガラセがイヤなら確かにメールソフトが起動するようにしたほがその可能性は減りますが、絶対に無くなるワケではありません。

●デザインの基本   2002.8.20

国内のウェブページの中にはデザインの基本がなっとらんページが少なくない。というか非常に多い。HTMLとか環境による表示の違いはさておいて、のハンシである。

まずは文字のレイアウト、サイズや書体が整理されていない。そして画像のレイアウト。サイズや形状がバラバラであったりする。また写真そのものもアングルや明度、彩度が統一されていない。あとはサイト全体でデザインの表現や手法が統一されていない。そして色の使い過ぎ、無意味な画像や動画の多用といったところである。

このへんだけでもちゃんと気を付けてデザインすればかなり良くなるはずである。欧米のサイトでは、この部分が実に「きちん」としている。日本のウェブのデザイン水準が低いと言われる原因でもあるのだ。

しかしだからといってあまり型にはめすぎると変化がなく退屈なページになってしまうし、画像が極端に少ない「字ばっか」のページにもなってしまう。

まあ、このへんのさじ加減が難しいところでもあるのだが。。

●英語   2002.8.19

飲んだ席上で英語を話したりするとヒンシュクをかう場合もある。英語なんか話してカッコつけやがって…という具合だ。また「オレはアタマ悪いから英語はわからない…」なんて言う人もよくいる。じゃあ英語を話しているいる人がみんなアタマいいのかというとそんなことはない。アタマが良くない人でもコミュニケーションできるのが言語というものであり、特に英語はできるだけ多くの人が使えるように合理的に簡略化された部分もある言語なのだ。

英語を話せる人に「英語を覚えるコツは?」と聞くと、ほとんどが「努力です」と答える。もちろんホームステイや留学で英語の環境の中で培った語学力というのもあるはずだが、こういった環境無しでペラペラな人というのはとにかく努力なのだ。

その努力を知らずに英語=インテリと決めつける人も少なくない。そしてそういった意識がまかり通る状況自体が日本のグローバル化の遅れの象徴でもある。

●バックアップのメディア   2002.8.18

バックアップのメディアは何が良いか?と聞かれたときに即答する人はあまり信用してはいけない。どんなデータをどのくらいの頻度で一度にどのくらいの量をバックアップするのかによって選択肢は異なるはず。

それと重要なのは現在の環境。どんなマシンを使っていて既にどんな記録可能な周辺機器を持っていて、それぞれがどんな接続方式になっているかも確かめなければいけない。もちろん初期投資額とランニングコストも確かめる必要がある。

これが意外と重要な問題であるのだが、メディアが簡単に購入可能かどうかということ。都市近郊であれば問題ないが、それぞれのメディアが日本全国でこでも簡単に手に入るかというとそうでもない。100円ショップでCD-Rは買える場合があるし、一部のコンビニではMOを置いているところもあるとか。

そして最も重要なのが、そもそもバックアップをとる必要があるのか?ということ。それとCDだMOだDVDだと考える前に、FDでも充分ではないのかどうか確認するということである。

●被リンク   2002.8.17

どうしたらGoogleの上位にランクされるか?ということがよく話題になる。そこでポイントになるのが被リンクの数。しかも有名なサイトからのリンクが有効。そしてもう1つが過去の実績。Yahooのおすすめサイト等に取り上げられたことがあるかどうか、ということ。

さてそうなるとおのずと答が見えてくる。「Googleの上位に載る方策を考えるヒマがあったら、とにかく見て楽しいサイト、客観的に価値のあるサイト、コンテンツが充実したサイトにすることに労力を使いましょう。結果はあとから付いてくるもの。」ということだ。

どうしたらテストでの順位が上がるか?というのと同じ。作戦を考えるよりも勉強しろ!ということだ。

●責任とれよな   2002.8.16

あるデザインA案に対して、ここはもっとこういうふうにしたほうがいい!という修正案を出すオッサン。その修正案に従って修正されたものをB案とする。明らかにA案のほうが斬新で今風であり、B案は古臭い感が否めない。

だからといってB案を無視してA案をクライアントに提示し、すんなりとOKが出た場合でも、オッサンは何でB案にしなかったと怒る。いつまでも怒るのである。

ではB案を提示した場合にはクライアントから「もっとカッコよくならないか?」というクレームが来る。オッサンにそのことを伝えると、「私が言ったのはあくまで1つのアイディアであり、言われた通りそのままやる必要はなかった」などとぬかす。

そもそもB案はオッサンの言う通りの事以外は一切認めなかったではないか。その通りやる以外の選択肢は与えられていなかったはずである。

否を認めるとこがまるで敗北を意味するかのように頑なに己を守ろうとするのは何故だろうか。。

●キー配列   2002.8.15

そもそもキーボードのキー配列は、最初にタイプライターを開発したときに、その物理的性能に限界があり、あまり速く打たれると印字が追い付かないために、出来るだけ打ちづらい配置にしたものが今日まで継承されているとのこと。人間の順応力とは恐ろしいものである。

では出来るだけ打ちづらい配置であるものを出来るだけ打ちやすい配置にしてみたらどうかというと最初は打ちづらいことこの上ないはずである。でもこれに馴れてしまえば、きっと今よりも打ちやすくなるはず。全世界で一斉に切り替えれば、生産効率が数%アップするのではないだろうか?

しかし馴れてしまえばどんなキー配置でも結局は同じで生産効率が全くアップしないような気もする。どっちだろうか?

●勘違いヤフー   2002.8.14

Yahooは実に色々な勘違いをされている。一番多いのはYahooがプロバイダーだと思っている人。まあこれはYahooBBとかもあるので仕方のないところ。

次がソフトだと思っている人。オレのパソコンにはYahooが入っていない!というような人である。まあ、このへんまでは初心者にはありがちな勘違い。

その次に多いのが、Yahooという国際組織が世界中のインターネットを管理していて、メルアドやURLもYahooに申請して取得しなければいけないと思っている人。Yahooに許可してもらうことで「インターネットができる人」として正式に認可され、与えられたメルアドやURLを使うことが出来るようになる。そしてその中でも成績が優秀な者がYahooの検索結果の上位のランクされ、ホームページのアクセス数も向上し、インターネットビジネスの成功へとつながるのである。それにしても成績優秀って何の成績なのだろうか‥‥

●縮小路線   2002.8.13

企業が拡大路線から縮小路線に変換している。縮小というとあまりいいイメージではないがシェイプアップ路線、又は少数精鋭主義、もしくは売上げ縮小&利益率拡大型、そしてコアコンピュタンス尊重型などと言うと聞こえがいい。

さてこういった方針変換するのはいいのだが、実際に中で働く人間がこういったシステムのシフトに追従できるかというとそうでもないようだ。例えば部長に昇進したとする。20年前の部長は多くの部下を抱え、とりあえず指示と命令だけをしていれば良かったし、多くの部下が部長に気を使い顔色をうかがいながら仕事をしていた。

そして「オレもいつかはああなるぞ!」と思いながら働き続け、実際に部長になってみると部下はパートを含めた2人しかおらず、肩書きこそ部長であっても実務上は兵隊兼任の指揮官である。だからコピーもお茶汲みも自分でやらなければならない。実質やっていることは平社員とあまり変わりはない。ただそこに責任という重石が追加されただけなのだ。

さてこんなあはずじゃあなかったと思うかもしれないが、実はこれが健全な姿なのかもしれない。大量生産、大量消費が許される時代はもう来ないだろう。

●愚痴   2002.8.11

愚痴のメールというのがたまに来る。本来愚痴というものはこぼすほうにとっては多少は発散されて気持ちが切り替わるというメリットはあるものの、聞かされるほうは迷惑以外のなにものでもない場合が多い。だから一般的に賢い人は滅多なことでは愚痴はこぼさない。

しかし愚痴のメールの中には、愚痴を装ったへりくだった報告であったり、巧みに同意を求めるために愚痴風な書き方をしたり、何らかの回答を遠回しに要求しているために愚痴っぽい文面になったりと、純粋な愚痴でない場合のほうが多い。

ではこの純粋でない愚痴と純粋な愚痴をどう見分けるかというと、答えはカンタン。純粋な愚痴に対しては、いくら考えても適当なレスの文章が思い浮かばないのである。ということは、相手がフォローのしようのないような自己中心的で感情的でとりとめのないようなものがピュアな愚痴なのではないかと思うのだが、いかがなものだろうか?

●宗教   2002.8.10

コンピューター関連の企業やマスコミ関係、少なくても大手企業と呼ばれる会社で事務職を行っている人たちにとって、インターネットの使うのは当たり前、E-mailができるのは当たり前になっている。そしてこういった人たちの中には、「今どきパソコンが操作できないのはよほど頑固なほんの一部の年寄りと、よほど頭の悪い人」だと思っている人もいる。

逆に個人商店の経営者や中小企業の事業主、また第一次産業に携わる人たちの中には、「インターネットなんてものは虚像であり、流行りものである。いずれはそんなものが不要であることに多くの人たちが気付く時代がやってくる」と本気で思っている人もいるのだ。

デジタルデバイドうんぬん以前に、こうなってくるとどちらも宗教だ。つまりお互い相手を邪宗と思っているから和解することは望めないのである。困ったものである。

●リンク色   2002.8.9

初心者が作ったホームページの中には、あれも言いたい!これも目立たせたい!ということで、やたらと文字に色をつける場合がある。こうなると見るほうは、どの文字にリンクが貼られているのかさっぱりわからないということになってしまう。

ホームページの作り方の書籍などでは「基本的にリンク色は青」「リンク済みは紫(又は緑)」にすることが望ましいということが書いてあるが、ウェブデザイナーにとっては、少しでも差別化するために、このリンク色をいじってみたくなるところでもある。要は青でも赤でも白であったとしても、他の文字と違うことが一見して判り、そのルールが1つのサイト内で統一されていればいいのでないかと思う。

また稀な例ではあるがリンク済みの色と、リンク色とを同じにしたほうが分かりやすいという場合がある。ある特定のページに何度もアクセスする可能性が高い場合や、故意にあるページになるべく多く導きたい場合などである。

いずれにしても文字の色が増えるということは「読みにくくなる」ということ。

●某市役所のホームページ   2002.8.8

某市役所のホームページ。更新を重ねるうちにデザインが次第にばらばらになっていき、当初相当な金額をかけたであろうトップページは「本当にオフィシャル?」と思うほど貧粗なデザインになってしまっている。

こうなってしまった原因は庁内に統括責任者がおらず、各課が勝手に自分の担当ページを勝手なエディタを使って更新しているということ。サイト内の各ページに統一感が無く、リンク色までバラバラで、使いづらいことこの上ない。

この埼玉県N市のサイトの中でも最もヒドイのは市の広報のページ。印刷物の広報誌をそのままスキャナで拾ってJPGデータで掲載している。表示に時間はかかるし読みづらい。そして何と言っても視覚障害者が読めないのだ。民間ならともかく公共のサイトがこんないい加減なことをしていいのだろうか?と、問題に思う人が少ないのも事実。視覚障害者が「一番知りたい部分が読めない…」と嘆いていたのも事実である。

●繋がらない   2002.8.7

インターネットの接続設定は既に何十回とやってはいるものの、すんなりと繋がらないケースも少なくない。

最近あった例…部屋の電話線のモジュラージャックに信号が来ていなかったというもの。これを某社のサービス担当者に話したことろ「ああ、よくあります」と軽く言われてしまった。よくあることらしい。部屋の壁のジャックがあるからといって、そのジャックに必ずしも信号が通っているものではないらしく、家主がそのことを知っているというものでもないらしい。

最近あった例その2…メーラの設定をしたのだがこれが受発信できない。何度となく確認して必要な項目を入力しなおしたがやっぱりダメ。最後の手段でそのプロバイダーに電話で聞いてみたところ「Netscapeではユーザ名を認識しない文字があるんでダメなんですよ」とのこと。そのプロバイダーは国内最大の某社。ここがNetscape Messenger(ネスケのメーラ)を規格外としているということだ。う〜んやはりネスケ危うしか。。

●アクセスカウンター   2002.8.6

最近ではアクセスカウンターは付けなくて良いというクライアントが増えている。理由は「少ないと恥ずかしい」がトップ、「あまり信用できない」が2番目、「流行りじゃない」と「ログを見るからいらない」が3番目といった感じである。

ウェブページは本気でPRや告知活動を行わないと、ほんとーにアクセスは少ないもの。最初から「とりあえずあればいい」という人にとってはカウンターは確かにあると恥ずかしい。

また、今ではほとんどのプロバイダーでカウンターの初期値を任意で決められるし、数字の増え方もマチマチであり、確かに信用できるものではない。

というわけで確かに流行りではなくなってきているようにも思われる。30年ぐらい前、自転車にスピードメーターを付けるのが流行ったが、これに近いものがある。

そしてログを見るというのは最も妥当な理由である。しかしそうは言っても、頻繁に更新もされず、掲示板もないようなページではカウンターしか変化するものがないというのも事実か。

●Google   2002.8.5

オランダの「OneStat.com」の調査では、世界のサーチエンジンの利用シェア1位はGoogleで何と46.5%で、全世界でダントツのシェアである。2位のYahoo20.6%を大きく引き離している。http://pcweb.mycom.co.jp/news/2002/04/18/18.html

1999年頃ではYahoo、infoseek、gooが御三家という感じではあったが、Googleの登場で大きくシェアが塗り替えられた。

このような状況になってくると、GoogleとYahoo以外へのサーチエンジンへ登録する意味がなくなってくるのではないかと思う。実際自分で利用する場合もGoogleとYahooでほとんどの用が足りてしまう、とういうか他のサーチエンジンでの検索結果がGoogleとYahooよりも有用であるケースも少ない。

そういえば97〜99年当時、せっせと登録申請していたCSJ、ドラゴンサーチ、千里眼とか、はどうなっちゃんでしょうか?

●キーワード   2002.8.4

「成功している自動車部品販売のウェブショップ」「学芸会で使うドアを開けるときの効果音」「木炭式アイロンの写真が載っているウェブサイト」といったようなものを『知っていたら教えて欲しい』という依頼がある。インターネットの専門家だから知っているんじゃないかと思って依頼してくるようだが、20億ページもあるウェブの中でも、せいぜい1人が記憶にあるのは100ぐらい、頑張って覚えても1000ぐらいじゃないかと思う。いくら専門家でもそうそう知っているものではない。

ではこのような依頼に対してどうするかというと、「成功している自動車部品販売ウェブショップ」「学芸会ドア効果音」「木炭式アイロン写真」というようなキーワードでgoogleで検索するだけで大抵の場合は要望に応じた適当なページが見つかる。1発で見つかることもあれば、多少キーワードを変えたり、他のサーチエンジンでも捜してみることもある。特にここ1年ぐらいの間で妥当なページがすぐに見つかることが多くなってきた。

そして依頼主にそのページのURLを連絡すると「早いですね!ありがとうございます。」というようなレスが来る。「ただキーワードを入れて検索しただけなのに…」と思うのと同時に「誰がやっても同じようなページが見つかるンだけどね」とも思う。また「自分でやれよ」と思う気持ちもないわけではない。

●サポート   2002.8.3

パソコンメーカーやプロバイダー、周辺機器メーカーの電話サポートは一時期に比べるとかなり繋がりやすくなったし、対応も良くなってきたように思う。中にはフリーダイアルで、東京から大阪まで延々と話ができる場合もあり、電話代だけで利益がすっ飛びやしないかこちたが心配になってしまう場合もある。

さて平均的に対応が良くなったとはいうものの、周辺機器でもアクセサリーやパーツのメーカー、又はソフトの販売会社等の中には、まだまだ腹立たしい対応しかできないトコロもあるようだ。

先日も某(あまり有名ではない)ソフト屋さんに電話したところ、とにかく繋がらない。サポート開始時刻の少し前からかけっぱなしにしてもダメ。そして3日目にしてやっと繋がったのではあるが、こちらもダメもとでかけているので、マシンも起動していなければ取説も用意していない。そして担当者の説明も非常に専門的。初心者であれば判るワケのない専門用語を早口で並べるのである。ある意味諦めを促すような対応なのだ。

まあ、たしかにたかが数千円の商品に対して30分〜1時間も説明していたのでは、その説明員の人件費だけでソフト単体の利益は消えてしまうわけでもある。。 。

●無断転載   2002.8.2

ほとんどのサイトには「無断転載禁止」という意味の記載がされていて、これを無視してそのコンテンツを転載した場合には明らかに犯罪となるわけである。

しかし転載されたからといって、転載した相手に対して損害請求をしたり、それなりの罰を与えるというのは非常に難しい。ホームページに掲載しているコンテンツというのは、まあ言ってみれば農家の無人野菜販売所みたいなもので、悪意をもって持っていかれてしまえばそれまでである。

本当に大切なもの、勝手に使われては困るものであればオープンなサイトには掲載すべきではないのであるが、どうも「無断転載禁止」のステッカーを貼ることで、ある程度のセキュリティーが保証されると勘違いしている人も多いようである。世の中悪いヤツもたくさんいるのだ。

そして著作権や無断転載に関してあまりこと細かに書くと、これがその悪いヤツ等の悪意をあおることにもなる。

●寿命   2002.8.1

パソコンを使っているほとんどの人は周辺機器なるものを複数所有している。

HDに寿命があるということは何度か書いたが、同じようにモニターやMOドライブにも寿命があり、CDドライブも永遠に使えるものではない。

モニターは液晶にしてもCRT(ブラウン管)にしても基本的には電球と同じで絶対的な寿命がある。CRTの場合は放っておくと徐々に輝度が落ちてくる。ある範囲までは設定でフォローできるが、輝度を最大に上げても新品の標準より暗くなったらその時点で(デザイナーが使うTOOLとしては)実質上使えなくなってしまうということになる。

MOやCDも回転系の駆動部品以前にピックアップ周りがダメになってしまうことが多いようだ。そしてなぜか周辺機器のうちの1つが寿命になると、立て続けに他の機器も寿命になるということが多いようだ。

逆にプリンターはあれだけの駆動系がありながらメカ系が寿命になるもでには相当な時間がかかるようだ。また、モデム、TA、ルータ等は、物理的にはほぼ半永久的に使えるようではあるが、用途ととしての寿命はすぐに来る。
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