2003年11月

●画像の分割   2003.11.30

重〜い画像でも問題なくウェブに貼付けられるようになった昨今ではあるが、だからといって1枚の画像を単にベロっと貼付けたのだは芸がない。やはりプロとしてはテーブルで何枚かに分割して小さな画像が同時に平行して読み込まれる心地よさを演出したいものでもある。

とはいえそれは一瞬の出来事。納期が迫ってくれば大きな画像をそのまま貼付け、あとはクリッカブルマップでリンクを貼るというようなことにもなる。

しかし問題はロールオーバーやCGIの読み込みボタンがその画像に含まれている場合。クリッカブルマップだけでは対応できなくなり、結局は細かく分割したテーブルを組まざるを得なくもなる。

そこで問題なのがformタグ。CGIでは使わなければいけないことも。しかしこれを入れる場合にはテーブルのレイアウトに隙間ができてしまうことがる。

色々とやってみたところ、テーブル組みに影響が出ないのは<tr>と<td>の間。いかにもウラ技。こんなことをやっているからHTMLは方言の固まり、などと言われてしまうのだろう。

●Win95とMacOS8   2003.11.29

高齢者にとってはパソコンは若者が想像する以上に難儀なものである。97年頃から地道に操作を覚えて、今ではなんとかパソコンのできる人として認知されている高齢者が大きな問題に直面している。

OSである。こういった人たちがパソコンを習い始めたころはWin95かMacOS8。ところがもはやこういったOSのマシンは購入することもできないし、新たなアプリケーションをインストールすることもできない。ウイルス対策でウインドウズアップデートを繰り返しただけでもWin95にとっては相当な負荷にもなる。また、この世代のブラウザはIEもネスケもバージョン3。もはや多くのサイトが再生不可能。

じゃあ新しいマシン買えばいいじゃあないか、などと気軽に言ってはいけない。がらっと様相が変わってしまったWindowsXPやMacOSXを、また最初から覚えるのは気の遠くなるような作業となってしまうのである。

古いOS、MS-DOSとまでは言わないが、もっとサポートをしっかりして欲しいものである。

●何でも相談室   2003.11.28

パソコン何でも相談室、とか、インターネットよろず相談、というような企画があり、その相談員を依頼されることがある。しかいこういったものの報酬というのは非常に安い。主催者曰く、その相談に来た人に営業をかけて大きな仕事を取ればいいじゃないか。営業の場として活用しても全く問題ないです。

これは相談員にとっては一見美味そうな企画のようにも思える。しかし実際に相談に来る人というのはあくまでも相談が目的。ウェブ製作を依頼しようという人はほとんどいない。相談に来る人とウェブ製作を依頼する人、これは似て非なるものなのである。どのくらい違うかというと、スーパーに食材を買いに来た人と、ラーメン屋にラーメンを食べに来た人、ぐらいである。

食材を買いに来た人にラーメンを食べて行くように勧めたところで、実際にラーメンを食べて帰る人はほとんどいない。

●受信メールの量   2003.11.27

その昔、滅多にメールが来なかったころはメーラ起動時にダイヤルアップ接続してメールを受信。その後回線を切断してから送信用のメールを書いてまた接続して送信。送信が済んだら回線を切る。というような手順が一般的であった。中にはメールを書いている間もずうっとつなぎっぱなしにしていて、その分の接続料金を払っていた、などという人もいたようだ。

今ではほとんどが常時接続。メーラのスケジューラーで定期的にメールサーバに受信しに行くという設定の人が多いようでもある。中には他人が来た時にだけ受信音が鳴るように設定しておき、私はメールが沢山来るんだぞ!ということをさりげなくアピールする人もいる。

まあ、メールが沢山来るようになるには自分も沢山書けば良いのだが、無作為にメルマガを申込めば、いくらでもメールは来るようにもなる。沢山来れば偉いというものではない。

●コスト意識   2003.11.26

もちろん不況のせいでもあるのだが、外注する際の金額が万単位になると経営者の承認が必要となるような企業や事業所が増えている。バブルの最盛期であれば10万や20万でも担当者レベルで発注できていたものがである。しかしどちらが良いかと言えば現在の状況のほうが健全ではないのだろうか。徹底したコスト意識は確実な経営を遂行する上では必要不可欠な条件であるはず。

しかしこの徹底さが度を過ぎるとかえって経営が苦しいのだはないかと疑われることにもなる。いい加減な会計管理が元で一気に潰れてしまうところもあったが、段々と厳しくなって最後にギブアップするというパターンも少なくはない。経費をケチりにケチって常識を超えてしまうというのは後者の末期症状でもある。

「今度でかい仕事を出すから、これはタダでやってくれないか?」などという依頼には気を付けよう。

●成功するための理論は無い   2003.11.25

現在Googleの検索対象となっているページ数は約33億。これからホームページを作ってGoogle検索結果の最初のページにランクさせるというのは神業である。これはランクされないということを前提に考えたほうが無難でもある。また実際にウェブショップで確実に利益を上げているホームページはほんのひと握りにすぎないという事実もある。ホームページで飛ぶように商品が売れるというのは夢物語りに過ぎず、実際に売れているホームページにはそれ相当な経営者の試行錯誤と努力があるということを認識しなければならない。ホームページといえどもその成功する確率は実店舗と大きな変わりはない。実店舗と違うのは、そのための初期投資と運営コストが2桁安いということである。とはいえホームページは無くて良いかというと、もはやそうも言っていられない。情報の発信源として、事業所や店舗の経営方針を広く訴求する上では必須ともなりつつある。ではどのようなホームページ戦略が必要なのか?これは一概に回答できるほど簡単なものでない。「中小企業経営に活かす実店舗戦略」と同じで、その業種、経営方針、地域性、事業規模等により様々であり、成功するための理論があるとすれば、その理論に基づき既に多くのホームページがおさめているはずでもある。

●デザインの好み・職種編   2003.11.24

全ての職種の傾向を分析するわけにもいかないので、とりあえず理系文系、つまり営業系と技術系ということで。これは例えば広告代理店と設計事務所のそれぞれの駐車場を見てみるとわかる。明らかに広告代理店のほうがバラエティーに富んでいる。RV、外車、スポーツカー、軽。。設計事務所のほうは白のセダンが目立つ。

具体的なデザインはというと、技術系ではオーソドックスできちんとした落ち着きのあるレイアウト、モノトーン基調の色使い、メタリックな質感、書体はゴシック、といったところ。これは決してコンサバティブということではなく、ものごとを1つ1つ順を追ってきちんきちんと解決していくという仕事をしているせいではないか。

実はこの営業系と技術系の好みの違いは、前記した年齢や性別による好の違いとりも顕著であり傾向が明確であり、当てはまるケースも多い。

ウェブをデザインする前に、クライアントが営業系と技術系のどちらなのか、またはどちらの出身なのかは押さえておくのは重要なことであったりもする。

●デザインの好み・性別編   2003.11.23

これは時代とともにその差はなくなってきているものの、完全になくなったわけではない。ただし1つ言えることは男性がかっこいいと感じるものの多くは女性もかっこいいと感じるということ。その逆も然りである。要はデザインとしての完成度が高いかどうかということを見極める上での男女差は無いということ。

しかしそのデザインが良いか悪いかという感じるセンサーの感度は、やはり女性のほうが上回っているようである。男の場合、感じるよりも先に理屈で考えてしまう場合も多いようだ。その場合のほとんどは過った判断となる。理屈で解決できればデザインは苦労しない。

また、色的ではパステル調、ピンク、形としては丸を好む傾向が女性には強いようである。このへんは、時には男には理解しがたい領域であったりもする。

●デザインの好み・年齢編   2003.11.22

大雑把に言えば若者はビビットを好み高齢者は地味を好む。ということになるのだが、違う切り口で見れば若者は差別化や個性を好む傾向が強く、高齢者は他と横並びを好むということも言える。

50歳以上のクライアントに最初にデザインを見せたときの反応。その多くは「‥‥」である。良いか悪いかのか判断できないというのが実際のところなのだろう。そこで話を詰めていくと、結局はどこが悪いかという消去法的な手順でもって問題の部分を他のサイトと同じようになるように修正していくという結果になる。「目立つ」ことより他と横並びの「 安心」を求めるのだろう。一概に全てがこのような好みであるとは言えないが、これに当てはまるケースは少なくない。

高齢者が地味な色使いを好む物理的な理由もある。人間の目の水晶体は年齢とともに透明感が落ちて行く。つまり濁って正確な色彩が見えなくなる。従って高齢になればなるほど、普段から彩度の落ちた世界を見ているということ。

●新し物好き   2003.11.21

どこの会社にも1人はいるのが新し物好き。社長が該当する場合が多い。税金対策で固定資産や消耗品費を使うということも考えられるが、基本的には本当に新しい物が好きであるようだ。

もちろんそういった新しい物を購入し使用することで、満足したり誉めたり不満を言ったり批判したり、いずれにしてもその使い心地を独断で分析して他人に話すということが目的のようだ。まあ、これも話題作りやコミュニケーションの一環ということであろう。

しかし新しい物というのは量産ベースに乗っていないうちに発売されるために割高であるのが普通。5年前の液晶テレビの価格を思い出せばわかる。ところが世の中の新し物好きが、まだ割高であるのにもかかわらずこういった商品を購入するために徐々に需要が拡大し、同時に生産効率も上がりコストが下がり、新し物好きではない人がリーズナブルな価格で購入できるようになるのだ。資本主義社会において新し物好きは欠かせない存在だ。

●CRTとLCD   2003.11.20

実際にモニターを使ってみてのレポート。CRTはS社の19インチ。LCDはI社の19インチ。

とりあえず体積と重さ、価格や解像度はおいといて、LCDのほうが勝っている点。まずは電源を入れた直後と長時間使い続けた後でも画面の輝度やコントラストに差が出ないということ。実はこれがCRTでは、ほんの僅かではあるが差があったということ。微妙な色を選ぶ際にはちょっとした障害でもあった。

次に…と、思ったところで特に思い当たらない。それだけCRTとLCDでの差は無くなっているということだろうか。 ではLCDのデメリット。まずは「白」の再現力が完全ではない。若干黄色味かかった感じである。また、速くスクロールした時に、僅かに表示がブレる(信号がついてこない?)。ただしこれらはCRTとLCDの違いによるものではなく、機種による違いかもしれない。

これも一概にデメリットと言いづらいがMacintoshのモニターアシスタントでの調整が完全に対応しない。というのもあるが、逆にモニター側でのAUTO調整機能の精度が高いのであれば必要はない部分でもある。 まあ、いすれにしてもこれといった差はない。といったところだろう。

●面白くて作っちゃう   2003.11.19

世のWebサーバの中には、頼まれもしないのに他人の、または他社のWebサイトを勝手に作ってしまって公開もできずに放置されているというWebデータというものがけっこうあるはず。自分のサイトを作ってみたら、これが意外にも楽しくて、他人のサイトまで我慢できずに作っちゃうというもの。

逆に言うと、自分のサイトに掲載すべくコンテンツがなくなってしまったのだ。とはいうものの、ホームページエディタで簡単に見栄えのいいサイトが作れちゃったものだから、その喜びを再び堪能したく他人のサイトまで作るという行為。

で、これらのサイトに共通して言えるコト。やたらと動画やBGMが多く、非常〜に重たいわりにコンテンツが希薄であるということ。そして、そのデザインセンスはと言えば…いや、センスとかいう以前の問題が多いようだ。

●重複表現   2003.11.18

ぱっと見、気がつかない重複表現というのがあるものだ。「HTML言語」。これはLがLanguageでそもそも言語の意味。「LCDディスプレイ」。Dは最初からDisplay。製造業のサイトのコピーで見かける「加工プロセス」。加工は英訳すればprocessing。動詞ではprocess。まあ、ここまでくると指摘するほうが揚げ足取りかもしれない。「CD-Rのディスク」。 「の」が入っているから良しとするか。

トートバッグのトート(tote)は「運ぶ」という意味。バッグはといえば「ものを入れて運ぶ道具」となる。つまり「ものを入れて運ぶ運ぶ道具」となるわけだ。マグカップのマグはそもそも「取っ手付きのカップ」のこと。これは「取っ手付きのカップ付きカップ」だ。自動車のタイヤ。無理矢理和訳すれば「自動車の車」「クルマのクルマ」とも読む。

だいぶ強引になってきたのでこのへんで止めておこう。

●初心者のウイルス対策   2003.11.17

パソコン初心者にその操作を教える。教室としての授業であれば、それなりに順を追って時間をかけてレクチャー、指導すれば良いのだが、Webを管理するためにメールの受発信やWebの閲覧などの基礎を教えるとなると、その指導のための時間を別枠で設定するというわけにはなかなかいかない。どうしても何かのついでに、ということになる。

その限られた時間内で基礎を指導するのもけっこうタイヘン。そして毎度時間切れで説明、指導できないのがウイルス対策である。Windowsアップデートにしろ、Norton AntiVirusにしろ、初心者に教えるには難しすぎる。かと言ってOutlook以外のメーラを推薦しても、周りがみんなOutlookなので、何かあったときに誰にも教えてもらえない。増してやMacintoshとなるとさらに利用者は少ない。と、こんな事情もウイルスを蔓延させる傾向に一役かっているのかもしれない。

●ウェブデザインの著作権   2003.11.16

ウェブコンテンツの中でも個々の画像データやコピーライトには著作権なるものが自動的に発生し、厳密に言えばクライアントとの契約時にこの著作権を譲渡するかどうかということを取り決めなければならない。とはいえ実際には契約書も覚書も交わさないままでの取引きも少なくなく、このようなことを意識しないで仕事をしている場合も多い。

しかしウェブページというのは画像やコピー、動画や全体のレイアウト等、時にはストリー、ナビゲーションを含めた階層設計等、多くの要素から成り立つ総合的著作物ということも言えるだろう。従って映画に著作権があるように、ウェブページ全体にも著作権なるものが発生するはずである。

ところが以前ウェブページの意匠権についても書いた通り、ブラウザが頻繁にバージョンアップされ、クライアント側の環境が多種多様で、ウインドウサイズや画面解像度によってもデザインが変化するようなモノを、どう扱うのか?なんて考えている間にもウェブを取り巻く環境は日々変化していくのであった。。

●無視されるNetscape   2003.11.15

Netscapeの利用者が減少する中、MacintoshではSafariが主流に、Internet Explorerは、当然ではあるがWindowsでのシェアを不動のものにしている。またログを見る限り、Netscapeでは相変わらず7.XXよりも4.XXの利用者のほうが多いようでもある。そして有名なサイトの中にもNetscapeでの表示を無視しているものが増えてきた。そこでMacintoshのNetscape4.7ではきちんと表示されない、または動作しない有名サイトを調べてみた。 などなど、調べ始めたらけっこうある。全然見られないものから、文字化け、何度も読み込みを繰り返すもの、デザインレイアウトが崩れているもの等、様々。問題とまではいかないが、ちょっとした支障まで含めれば相当な割合ではないだろうか。http://www.yahoo.co.jp/でも、本来白であるべき背景色がグレーになる。

●テキストデータの意味   2003.11.14

なぜウェブページでは文字を全て画像データにせず、テキストデータにするのか。その理由は大きく分けると3つ。まずはデータを軽くすること。次にクライアントが環境に応じて大きさや書体を変えられること。そして最後が更新する際の手間である。

しかしどうだろうか。これだけディレクトリスペースが大ききなり、回線速度も向上してくると、データを軽くする必要はあまりなくなってきている。ムービーを10秒縮めたほうがよっぽどデータの軽量化には効果があるというもの。

ではクライアントの環境はといえば、既に多くのページがCSSでフォントのサイズをガチガチに固めてクライアント側ではアレンジできなくなっている。

では更新の手間はどうか。実はPhotoshop5.5あたりからはテキストデータをレイヤーで浮かせたまま、いつでも書き換えができるようになっている。手間はちょっとかかるが感覚的にはHTMLファイルの書き換えとあまり変わりはない。

タグ以外にはテキストデータ皆無というページがそろそろ登場してくることだろう。

●Photoshopで丸を描く   2003.11.13

幾何形体を描くときにはPhotoshopよりもIllustratorのほうが正確だし自由度も高い。しかしちょっとしたコーナーRを描くためにいちいちIllustratorを起動させるのは億劫。それがためにフリーズしてしまうなんてことも。

楕円形ツールや楕円選択ツール、角丸長方形ツール等を使えば良いのではあるが、選択範囲を反転させたり切り取ったり、そのときのアンチエイリアスを調整したりとけっこうな手順を要する。

そこでそんなときに便利なのがテキストで打つ「●」。これをラスタライズして切断して部品として使うという方法。場合によっては「○」の大きいのを打ってボールドにすればけっこう太い曲線にも使える。

さらにこれを応用すれば思わぬ書体の一部がいい味を出していたりもするのだ。

●書類の捨て方   2003.11.12

インターネットがない頃、受発信した紙の書類をファイルして棚に入れたり机の上に置いたりと、ずいぶんと原始的なことをやっていたものだ。そして年末の大掃除の時に不要になった書類を大量に捨てたりもしていた。基本的には1年以上開いてないファイルは捨てるように、などという指導に従い選別をするものの、なかなか苦労して作った書類を捨てるには勇気がいるものだった。

そして今では、そもそも紙の書類などというものは瞬間的にしかとっておく意味はなくなってきている。平均すれば1ヶ月以内に用は無くなるのではないか。ほとんどの書類は何らかのソフトによって作成させている。つまり紙になる前のデータとしてどこかに残っているのだ。

しかしそのデータでさえも、1年経てばもう使えなくなくなっているものも少なくない。過剰書類持ちの検索貧乏になる前に、潔い書類の捨て方が必要になってきているようだ。

●手紙   2003.11.11

ITリテラシーというと、どうもパソコンの操作ができること、と勘違いされがちだ。操作ができることよりも、利用できること、つまりパソコンを活用して業務の効率化が図れるか、生活の中での趣味や知識、楽しみの領域を広げられるか、ということがリテラシーなのではないか。

良い例がE-mail。メールの受発信ができます。添付ができます。アドレス帳の管理ができます。などというのはリテラシーではない。メールを利用して効率的な情報交換ができるかということがリテラシーなのだ。

仮に「手紙が書ける人」というのは、主に手紙の文章を自分で書いて、相手に情報を伝達出来る人のことを言う。便箋を折って封筒に入れて切手を貼って宛先を書いてポストに入れる。ここまで出来ても肝心の手紙の本文が書けなければ手紙が書ける人ではないのだ。

●印刷物の資料   2003.11.10

Webを制作するとき、その原稿を印刷物で渡されてしまったときには閉口する。なんだこれ全部タイプアウトすんのかよー、といった重い気分になる。手書きならともかく活字になっているということは誰かがどこかでデータを持ってるはず。今どきワープロなんてこともあるまい。ちょっと手間でも出所を探ってもらえればこちらの作業量は格段に減るのだが…

もう一つ閉口するのは会議や講演会に参加したときに渡される印刷物の資料。沢山もらえば有り難いなんてことは ない。もらった資料がA4換算で数百枚に及ぶことも珍しくない。これを全部読むのに何時間かかるか想像できないのか? そしてそんな時間があるとでも思っているのか?さらにはそれほど読んで有用な資料なのか!

こういった資料の大半は紙ゴミになる、ということは分かっているだろうに。配付する資料は必要最低限にとどめるべきである。

●Win98トラブル-オマケ   2003.11.9

今回ヤフオクで購入したマシンBには、OFFICE98、128Mのメモリー、そしてキーボードとマウスがついた。トータルでの出費は約13,000円。これを高いとみるか安いとみるか。ついでにCDドライブ、FDドライブ、ファンや電源等のいざというときの交換用パーツも手に入ったわけでもあるが、これらを利用する可能性は極めて低い。逆に廃棄しようとすれば3000円程度はかかるだろう。

増してこの復旧作業に費やした時間は約半日。時給換算すれば修理に出したほうが安いという見方もあるかもしれない。 しかしこういったトラブルに遭遇すると、その対処方法や附随する知識などなど、得るものも少なくない。同じようなトラブルに会った時に的確な判断もできるようになるし、他の人へのアドバイスもできるようになる。

まあ、金額では換算できないメリットはあるものの、もうやりたくない!という気持ちも強いのであった。

●Win98トラブル-5   2003.11.8

考えてみればマシンAの問題はHDのみではないのだろうか?では移植したマシンBのCD、FD、HD、のドライブをマシンAに戻してみてはどうか。いずれにしてもHDにOSはインストールされているのだ。

ここまでくるとハーネスの抜き差しも馴れてきたので何の苦もなくなり、さっさと差し換え、目をつむっても覚えているネジの位置へドライバー(ネジ回し)を突っ込みCD、FD、HD、のドライブを入れ替える。

もはや上カバーやフロントパネルはどっちがどっちやら。リカバリCDもどっちがマシンA用かB用か、そんなもんはどうでもいい。AとBで力を合わせて1台の動くマシンを作ればいいのだ。

というわけで、見事移植に成功し、マシンA(を基本とする)は引き続きアプリケーションをインストールできる状態となり、パソコンとしての機能を回復したのでありました。

●Win98トラブル-4   2003.11.7

試しに(何の根拠もないのだが)マシンAのCD、FD、HD、のドライブを(これが板金にくっついて一体になっている)そのまま外してマシンBに移植してみた。そしたら何とこれが動いたのだ。初期化もFDISKを使わずリカバリCDだけで完了。Windows98のOSもインストール完了。

この時点ではまだ中味むき出しで、モニターとキーボード、マウス、電源しか接続していなかったので、そのままカバーを取り付け、LANケーブルUSBも接続していざ再起動!…動かない。。

さてどうしたものか。メモリーを差したり抜いたり、内部のハーネスを抜き差しすること何回か。でもダメ。目の前に見えた明かりが段々と暗くなっていく。。…明日へ続く

●Win98トラブル-3   2003.11.6

さて今度はFDISK捜し。色々と有識者に聞いてメール添付でデータを送ってもらったり、他のWindowsマシンを使っての制作方法を教わったりと、何とか起動用のFDが出来たのではあるが、結果は同じ。どうやってもHDの基本領域を開放ができない。

こりゃあもうマシンBのHDもどっかが破損してるか寿命が近いのだろうと思い、急きょ近所のPCショップへ。新品のHDを買ってきてマシンAに取り付けてみた。さあ、これで大丈夫だろうと起動ディスクを入れ、電源を入れてみる。…ところが新品HDも結果は同じ。「区画テーブルに異常が…」のメッセージ。

もはやここまでか…修理に出すか、中古でも完動品を買うか。。しかし、2台のマシンと新品のHD、これを上手く組み合わせれば何とかなるはず。…明日へ続く

●Win98トラブル-2   2003.11.5

ここから話がややこしくなるので、最初に壊れたマシンを「マシンA」、ヤフオクで落札したほうを「マシンB」とする。

さて翌日届いたマシンBではあるのだが、これが電源を入れたところがモニターに灯が入らない。HDも動いていない様子。さあ困った。「値段が値段だけにノーリターン、ノークレームでお願いします」と書いてあったし、まして無理を言って翌日送ってもらったので、出品者にメールするわけにもいかない。

おそらく送り出す前にはちゃんと動いていたものが、輸送途中の振動とか、落下かなにかで物理的なダメージを受けたのではないか。

仕方がないのでマシンBのHDを取り外してマシンAに取り付けた。これでHDの初期化とリカバリをしようとしたところ、「区画テーブルに異常があります。FDISKを使用して区画を作成しなおしてください。」というメッセージとともに先に進まなくなってしまうのだ。…明日へ続く

●Win98トラブル-1   2003.11.4

Windows98、5年ほど前に購入したマシンが壊れた。HDが逝ってしまったようであった。最初はたまに起動できなくなるといった症状だったが、それがたまにではなく頻繁になり、ほとんどになり、全くになってしまった。

さてどうしたものか。修理に出せば最低でも2〜3万はかかるだろう。かと言って新品に買い替えるとしたらアプリケーションも全てXP対応にバージョンアップせねばならない。それは色々な意味で面倒。

ということでヤフオクを覗いてみたところ、全く同じ機種が希望落札価格7000円で売られていた。迷わずこれを一発落札。連休前だったので入金が3日後になってしまうため、無理を言って出品者に入金確認前に送ってもらうことにした。ネットバンキングの入金確認画面のスクリーンショットを添付して。…明日へ続く

●夢と現実   2003.11.3

商品やプロジェクトを企画するときに必要なのが「夢」である。こういうことをやってみたい!こんな商品やサービスがあれば素晴らしい!という理想でもある。これがないと「今の人材で何が出来るか?」とか「このコストの範囲で何が作れるのか?」といういたって保守的な発想になってしまい、競争力も個性も魅力も無いものになってしまうのだ。

しかしいざスタートしてからは、やはりそこにある現実を無視するわけにもいかない。人材も納期もコストも限られている。ゴールが近付いて来るにつれて段々と現実性を増すと同時につまらないものになっていく。とはいっても最後まで夢を捨てずに限界に挑んでいく姿勢を維持していけば魅力あるものになる可能性もある。とはいっても夢を見過ぎると、いつまで経ってもゴールに辿り着けないということにも成りかねない。

このへんのさじ加減が非常に難しいのである。

●パソコンの価格   2003.11.2

パソコンの店頭価格を見ると、安いものでは10万円、高くても30万以内といったところ。50万、100万というセットを見かけることはない。これはある意味非常に妥当な価格であり成熟したカテゴリーの商品に見られる傾向ではないかと思う。

クルマはどうだ。新車では100万のものから1000万以上のものまである。1000万のクルマは100万のクルマに対して目的地に10倍早く着くわけでもなければ室内が10倍広いわけでもない。燃費は逆に悪かったりするのが普通だ。それでも1000万のクルマを買う人というのは、自己満足、見栄、税金対策、といったような理由ではないかと想像する。日本にはアウトバーンもなければ1昼夜ぶっ続けで走る砂漠の中の一本道もないのだ。

パソコンでも自己満足のために必要以上に高い商品を購入するという人もいるはず。しかし、そういったニッチな市場に向けて開発する余裕もメーカー側になくなってきたようだ。入れ代わりが早く、スペックの上昇速度も早い。その早さを嘆くユーザーも少なくないが、逆にそういった流れが健全な価格の商品を生み出してもいるようだ。

●熱く語るおっさん   2003.11.2

どこの会社にもいるのが会議好きなおっさん。会議の席となると、とにかく発言を連発する。言ってることは「なるほど」なのだが、発言しているうちに自分も興奮してきてエンドレスとなる。自分の発言が会議を長引かせ、出席者の貴重な時間を無駄に費やしていることなどお構い無しだ。

こういったおっさん達に共通して言えること。それは「文章を書かない」「自分で手を動かさない」ということ。30分かけて熱く語った内容でも、実はA4の紙1枚に箇条書きにして配付すれば、出席者が5分目を通すことでその内容は全員に理解される。

こういったおっさん達。自分では「話が上手く、説得力がある」と思い込んでいるのだが、実は物事をまとめて文書にする能力がないだけなのだ。

●ビジネス感覚   2003.11.1

ファインアートを目指して一生懸命制作に励んでいる人。決して顧客に媚びることなく制作の過程での己と作品との対話を楽しむ。と、ここまでは良いのだが、そのわりに「売れな〜い、売れな〜い!」と煩い。

売る事が目的ならばもっと顧客ニーズを考え、市場の情報を収集して、売れる作品を制作すべきである。例えファインアートであっても。それがイヤなら「売れない」などと言ってはいけない。

一生懸命に優れた作品を制作していれば、いずれその芸術性を認めてくれるような画商さんがやってきて高い値段で作品を買ってくれるはず、なあんて勘違いしている自称芸術家も少なくないようだ。

クロード・モネは商人だった父親の影響もあり、自分の絵を売り込む才能には長けていたようだ。サルバドール・ダリの言葉「私はお金が大好きだ」。マーケティング能力とビジネス感覚に優れた巨匠と呼ばれる画家は多い。
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