2004年6月

●プロバイダーにメールする   2004.6.30

プロバイダーのサポートの電話はなかなか繋がらない。契約者にしかその電話番号を通知しないところも多い。それだけ利用者からの問い合わせが多いということである。

さてこのプロバイダーのサポートだが、電話は繋がらないにしても、メールでの問い合わせに関しては、ほぼ確実に返信があるようだ。とはいえ多くはテンプレートをアレンジしたもっともらしい文面でもある。最近ではどこもクレーム対応が手慣れてきたと見え、短時間で妥当な回答が来るようだが、結局は特定のURLの参照を促すことで、うまいこと直接の対話を避けているといったところ。いかにも機械的で期待はずれという感も否めないのだが、逆にサポート側の立場で考えれば当然のことでもある。

しかし機械的と言えども、こちらから問題が解決した場合に、お礼と報告のメールを出したりすると、そのレスが意外にも人間臭かったりもして心温まる、なんてこともあるようだ。いやぁ、サポートの仕事っていうのも色々とタイヘンなのだと実感するひととき。である。

●80点主義   2004.6.29

その昔、売れ筋の自動車の開発コンセプトが、この80点主義と言われた。まあ売れてなかったメーカーが皮肉ってそう呼んでいた部分もあるのかもしれない。100点を目指さず適当なところで妥協しているという意味を込めて。

しかし商品を効率的に開発、販売する上においては、この80点主義、つまり全ての面、クルマで言えば、性能、安全性、居住性、コストパフォーマンス、デザイン、燃費等、どれをとっても80点という及第点を確保するという考え方は正解なのかもしれない。

80点を90点にアップさせるためには、50点を80点にアップさせるために費やした時間と同等の時間がかかる。さらに90点を95点にするためには、もっと時間がかかる。問題点を精査して詳細な部分を詰めていくという地道な作業が求められるはずである。そうなれば当然のことながらコストアップにもなるしリリースする時期を遅れてしまう。

であれば80点付近がもっともリーズナブルな妥協点なのかもしれない。志は常に100点を間指さなければいけない。しかしビジネスとしては80点で妥協する割り切りも必要。

●カーニング   2004.6.28

日本語には漢字、かな、カナ、の3種類の文字があり、これにアルファベットや数字が含まれる。そこでこれらが入り混じった文章を作成し、デザイン的な詰めを行う場合に、どうしても必要になるのがカーニングという文字間の調整作業である。ポスターやリーフレットのタイトル文字ではもはやデフォルトでこのカーニング作業が必要となる。ウェブデザインにおいても日本語のタイトルや見出しではこれが必須となる。特にカタカナと英文が混在した場合などはカーニング無しではとてもじゃあないがスキ間だらけの締まりのない文字になってしまう。

そもそも英数を扱うことを前提に開発されたDTPのアプリケーション。最近ではかなり日本語も意識されてはいるのだが、今日も多くの日本人のデザイナーが、一度タイプアウトした文字を左手でcommandキーを押したまま、右手で←キーを打ちまくっていることであろう。

●部品より全体   2004.6.27

NGとなったデザイン。たいていの場合はクライアントから、どこが気に入らないのか、どの部分が悪いのかというコメントを伴う。では、そのコメントの通り修正すれば良いか?というと、それがデザインに関わる部分であった場合は、うまくいかないことのほうが多い。

デザインが良く見えるかどうか?というのは、多くの場合、全体のバランスの良さで決まる。ひとつひとつの部品の完成度がいくら高くても、その組合わせと構成がまずければ第一印象として美しくは見えないのである。

クライアントからのコメントは無下にNGというだけでは失礼なので、具体的な指示をしてくる場合が多いのであるが、クライアントはデザイナーではない場合のほうが多い。コメントの中に個々の部品の善し悪しは含まれているが、全体のバランスまで想定、考慮している場合は少ない。

個々の部品が素晴らしければ全体も素晴らしくなると思われがちであるが、例えば大トロとチョコレートが同じ皿に並んで出て来たのではお互いの味を相殺してしまう。これに近い結果となってしまうのである。

●手順と説明   2004.6.26

何度か書いたプロバイダーやレンタルサーバーのサイト。各種設定や手続きの説明の記載が、何でこんなに解りづらいのだ!と思われるものがまだまだ多い。技術者が自分たちの言葉で書く以上は初心者には絶対に分らないのだ。と、ここに関してはだいぶ改善されてきて、特に大手プロバイダーの特に入会の手続き部分については、初心者でもほぼ分るような内容になってきた。

ただし、ちょっと深い階層に入って、ちょっと難しいことをやろうとするとまだまだ難しい。用語の使い方はさておき、何が難しいのかと考えてみると、本来「手順」だけを書けばいいものを、いちいち技術的な解説がそこに付加されているためではないか?とも思う。

解説したい気持ちは分る。ただし文章というものは、基本的に、どれだけ短い中に最低限必要な情報を詰め込めるか、ということを常に意識していなければならない。

学校のレポートで「何文字以上」「何枚以上」という条件をつけるから、だらだらと長い文章は得意でも、短く簡潔な文章が書けない人間が増えてしまうのだ。

●訴求ポイント   2004.6.25

ウェブサイトを作る前の打ち合わせ。クライアントは色々な要求をしてくる。どうせ作るのだあれば、あれもこれもと思うのは当然のこと。しかし言われたものを全部掲載していたのでは、コスト的にも納期的にも収まらない。かといって無下に断り続けるというのも印象を悪くする。どうすればいいか?

まずは一番訴えたいことが何か?ということを掌握する。特定の新製品なのか、工場の設備なのか、社長自身なのか、メディアに登場した実績なのか、色々とある中の何なのか。これが解れば、その部分だけを思いっきり前面に出して大々的にゴージャスに取り扱えば良い。そうすることで、他に出した細かい要求のことは無くてもいいと思う、又は忘れてしまうのだ。

ただしこれを外すとその後のやりとりが混沌としてくるのだが。。

●主義主張   2004.6.24

主義主張と言うと聞こえがいいが、実は改善しないための言い訳だったりもする。

ホームページを開設したがアクセスが増えないので相談したい。そこで色々と説明する。サイトの作り自体をもっと魅力的、個性的なものに。頻繁に更新すること。メールを駆使して顧客とのコミュニケーションをはかるように。などなど。

ところが「現状のサイトでも我が社の主張は明確である」「ホームページには手間をかけない主義である」「メールではなく直接会って話をする主義である」などなど次々と言い訳がましい主義主張。

結局は顧客側の視点で見ることをしない。色々と改善すべき点が分ってしまうと、そのことに対応するのが億劫である。ということなのかもしれない。そして、自分の主義主張が正しいと信じることが主義でもあるようだ。狭い狭い業界内の情報だけを信じて主張してもたかが知れているのだが。

●批判   2004.6.23

あるサイトから主宰者のメルアドが削除されてしまった。事情を聞いてみると、サイトの掲載内容を批判するような心ないメールが来るから。とのこと。

商品やサービスを提供しているサイトであれば、消費者からのクレームが来るというのは避けられないこと。これに対応するのも商売のうち。しかしそうでないサイトの場合、送られて来る批判めいたメールの多くは単なるイタズラであったり、社会経験のい少ない若者がその場の思い付きや受信した側の心情とかを考えずに無責任に出しているだけのもの。色々なサイトを巡回して揚げ足を取るネタを捜していたりもする。

ある程度アクセス数が増えてくればこういったメールが来る確率も高くなるというもの。まあ、まともに受けないで、そんなメールはざっと目を通したらさっさと捨ててしまえばよい。こういった過激なメールの送信者は実際に会ってみると、大人しい無口な青年だったりもする。

というようなことを説明して慰めるのではあるが、やはりすぐにはメルアドは掲載したくはないとのこと。よほど辛辣な内容だったのだろう。

●一行説明   2004.6.22

ウェブサイトの基本、と言われる項目の中に、そのサイトの内容が簡単にわかる「一行説明文」なるものがある。これは最近ではSEO対策のMETA DESCRIPTIONに使われたり、TITLEにそのまま入れられたりもしている。まあ、SEOは別にしても有るに越したことはない。

さてこの一行説明文だが、かなり有名で大きな企業や団体のサイトにもかかわらず、全く見当たらないという場合もある。そもそも名刺代わりのサイトで、運営管理も業者に丸投げというのは良いのだが、せめて何のサイトなのか?何の目的で作ったのか?ということぐらいは説明して欲しいものだ。

それがないとリンク集のページに掲載するときに、こちらで説明文を考えなければならないのだ。と言いつつも、本サイトにもそのような説明文が無かったりもする。

●観察日記   2004.6.21

立派な大人のプレゼンテーションが、小学生のアサガオの観察日記と同じだったりもする。表現のクウォリティのことではなく、考察、つまりその結果、今後どのような展開や可能性が考えられるのかという部分が欠落していて、結果報告だけに終わっている場合が多いのだ。

これだけ多種多様な情報が入手できるようになれば、その方法さえ分かれば誰でも情報の入手は可能になる。またその情報を分析して、ある傾向や方向性を見いだすことも根気さえあれば難しいことではない。

要はそこから先、一体どんな可能性や対策が必要なのか?と、この部分については独断でも偏見でも無理の有る論法でも構わないのだ。ここをプレゼンしなければ、そのプレゼンした人の「個性」が表現されない。誰がやって基本的に同じ、というものを要求されているのであればそれでもOKなのだが。結果を「報告」するだけでは「プレゼンテーション」ではない。

●有名人のファンサイト   2004.6.20

芸能人や有名人のファンサイト。そこに同じファンにとって有用な情報やコアな話題が話合える場。そういうものであれば良いのだが、単にその有名人のサイトからコピーしてきたプロフィールやディスコグラフィを載せているだけ。有名人のサイトを管理することで自分がその有名人に近づいたのではないかという自己満足のためだけに公開しているサイトというものは少なくない。自己満足のためだけならば非公開にして欲しいものだ。又は自分のパソコンのHDの中だけで楽しんで欲しいものだ。

しかしホームページを開設、公開するということは、全ての人が可能なわけでもない。少なくないといったところで数は限られていた。ところがblogの普及でホームページというハードルが一気に低くなり、誰でも比較的簡単にホームページらしきものを公開できるようになった。そして有名人の名前で検索をすると数多くのblogが検索結果に反映されるようになってしまっている。アーティストの歌詞の一部を引用して掲載したり、お笑い芸人のネタを一部掲載したり、で、そこにオマケ程度に毒にも薬にもならないコメント。トラックバックに反応した気配もない。

仕事で検索をする場合にも、そういった意味のないサイトが検索結果に反映されてしまう。それはそれでマーケティングにもなるかもしれないが、はやり時間とトラフィックにかかる無駄のほうが大きいだろう。

●反応   2004.6.19

便りがないのは元気な証拠という考え方もあるが、メールの場合、全くレスがないというのはいささか不安なものでもある。こちらからの送信が単なる報告であったにしても「了解しました」の一言レスがあれば有り難いものである。これで確実に相手に伝わったということになるわけだ。というのも、いくらインターネットのインフラが整備されて品質が高くなったとはいえ、メールの遅延、不達という可能性はまだまだ高い。プロバイダーが提供しているメールサーバのメンテや障害、ケータイの遅延、添付ファイルの容量制限のよる不達、サーバや受信側のセキュリティー環境によりはじかれるケース、などなどである。伝えたつもりが伝わってなかったということは、場合によっては多大な損害に繋がることも有り得る。「ありがとうございました。」の1行レス。心がけるようにしよう。

●理論に頼る   2004.6.18

多くの物事がロジカルに解決できれば、それそれはシンプルな構造の世の中になるだろう。しかしある程度は理論に頼らなければ物事前進しないということも事実。とはいえ理論だけに頼っていては色々な条件が複雑に絡み合った問題は解決できないし、新しい提案や企画も生まれてはこないだろう。

理論で解決するということは、明確な裏付けがあるので安心感がある。しかし到底理論だけでは解決できないであろう問題を無理に理論で解決しようとすると、どうしても不自然で非現実的なものにもなる。

何事も理論で解決できると思っている人。。。そういった人にデザインの意味を伝えるのは極めて難しい。

●blog利用者数   2004.6.17

検索結果のページにアクセスしてみるとNotFoundになっている。「見当たりません」と言われたってYahoo! で検索したんだぞ!ここが難しいところで掲示板やニュースサイトの過去記事の場合、そのファイル名のページに恒久的に同じ内容の文章が掲載されているわけでもないし、作る側の色々な事情で、同じファイルがいつまでも存在しているとも限らない。

blogが普及してきたことで、この「該当するページが見当たりません」というメッセージに遭遇する機会はもっともっと増えてくるのではないか?という気もするのだが、どうなのだろうか。

とはいえ今のところblog利用者人口は300万人といったところ。いくら普及したといっても1000万に達するまでにはまだまだ時間もかかるだろう。単なる契約者数であれば今後も順調に増えるのであろうが、記事を持続して書き続けるということは、そうそう簡単に誰にでもできるものでもないだろう。blogの中には他のサイトに掲載されている文章を引用してコメントするといった即席評論家みたいな使われ方が多い。これは最初からオリジナルの文章を書くという作業に比べれば簡単。評論家ばかりが増えてしまうというのも困った現象である。

●来なくなったメルマガ   2004.6.16

インターネットを始めた頃のはなし。なかなかメールが来ないので寂しい。その対策として、いくつかのメルマガを購読してみる。これがけっこう面白いので、次々に購読していったところ、大量のメールを受信するようになり、全て読んでもいられなくなってきた。

仕方がないので購読を解除しようなどとも思うのだがついつい忘れてしまう。そうこうしているうちに大量のウイルスが届くようになり、未承諾の広告メールや画像付きHTMLメールが勝手に届くようになってくる。もはや全て読んでいる時間などない。そして月日が流れふと気がつくと、当初購読していたはずのメルマガが、解除もしていないのに届かなくなっている。調べてみれば、その昔に購読していたメルマガはもはや1っつも来なくなっていた。なんてことはありませんか?

ウェブの需要がほぼ一巡したのではないか?ということは以前にも書いたが。メルマガとて何年も続けて発行し続けるのは簡単なことではない。よほどの根性がないとできないことなのだろう。それと、発行したからといって、そうそう儲かるものでもない。費用対効果を考えればやらないほうが良い。と思ってのことでもあろうかなかろうか。。。

●接触不良   2004.6.15

パソコンの不具合の相談を受けるとき、意外に多いのがこの接触不良である。要するにワイアーがちゃあんと差さっていないために起こる不完全動作。「プリンターが動かないのですが…」「コードがちゃんと差さってるか確かめてください」と、電話で説明すると同時でプリンターが動き出す音が電話口から聞こえてきて「あ、動きました♪」なんてこともある。

ついつい見落としがちではあるが、初心者にかぎったことではない。MacintoshではSCSIやFireWireのコネクターの接続が不完全な場合、重い画像データが一部欠落した状態でコピーされたり、ファイルのアイコンが表示されなかったりもする。ゴミ箱が空にできず、DiskFirstAidでチェックすると「キーコードが不正です」などいうメッセージが出たりもする。たしかに結果としてキーコードが不正なのかもしれないが、「コードがちゃんと差さってません」とメッセージが出ればより親切なのだが。。まあ、そういうワケにもいかないのだろう。まずは差し込み確認。

●コピー   2004.6.14

パソコンやインターネットが普及すると同時に色々な新しい言葉が市民権を得るようになった。同時に1つの言葉が今まで以上に広範囲で多くの意味を持つようにもなった。「コピー」。これはパソコンが普及する前までは「複写」。つまりXEROXを意味していた。ところが今では「コピーでいいから用意しておいてくれ」と言われると、何のことやらさっぱりわからない。データのコピーをのことなのか、印刷物の複写のことなのか、もっと抽象的な意味で、「本物でなくていい」という意味なのか、また、用意しておくということが、データのコピーをHDに置いておけばいいのか、何らかのメディアにコピーして人数分用意するのか、XEROXした紙を用意するのかなどなど。

そして個人差もあるのだが、コピーというものが、オリジナルと100%同じものを意味するのか、オリジナルの偽物。つまりコピーはあくまでも「複写」であり、オリジナルは「原本」として存在しているのか。という部分での概念の相違もあるようだ。

文章で「コピー」という単語を書くときに(複写)、(XEROX)、(紙)、(CD)、(ctrl+D)などなど、補足を入れないと通じなくなってきた。

●メールの表現   2004.6.13

ビジネスメールであれば、必要最低限のことを完結にシンプルに解りやすく書く。これが基本であるのだが、と、そんなことは分っているにもかかわらず長々と言い訳じみた説明が補足されていることがある。

何でそうなってしまうかといえば、自分が用件だけのメールを受信した時に不安になるからだと言う。相手が怒っているのではないかと思ってしまうのだ。確かに対面でのやりとりでは「○○して下さい」などという1センテンスだけの会話だけで用件を伝えることはない。相手の顔色や機嫌を察ししつつ、差し障りのない言葉で伝えるということが自然に身についている。

ところがこれがメールの文章となると、用件だけをシンプルに伝えるという行為が冷徹な印象を与えかねない。とはいえ電車な中からケータイでメールするような場合は、限られた時間と文字数の中で、相手の顔色をうかがっている余裕はない。とりあえず用件だけは急いで伝えなければいけないこともある。 というわけで、まあ、たまには電話でナマの声を聞いたり、実際に会って話してみりことも人間同士のコミュニケーションでは必要なのだろう。

●Googleを辞書代わりに   2004.6.12

最近は色々なサイトで和英、英和の辞書機能があるために、紙の辞書を使うことが全くなくなった。とかく便利なのがGoogleを使った英作文確認。特にそういったサービスがあるわけではない。英作文するときに、例えば be able toを否定文にするときにnotをどこに入れればいいのか?こういった疑問はインターネットがない時代には辞書に掲載されている例文を捜すか、参考書から該当する項目を見つけ出さなければならなかった。ところが今ではnot be able toと、be not able toの両方をキーワードに入れてみれば、どちらが本物の英文に使われているかが確認できる。これはある意味画期的なことでもある。もちろん同じことを日本語でも確認できる。同時に正しい日本語とされている表現よりも誤りとされているほうが多く使われていたりするところも面白い。

●職人に例える   2004.6.11

建築関係の会社。ウェブの打ち合わせに行くと、見たこともないアプリケーションのCDを出してきて、「これ、このパソコンに入れておいてくれないか」「ウイルスにやられたみたいなんだけども診ておいてくれないか」なんて言われることがある。正直そんなことまでは面倒見てられない。要するに世の中の「パソコンのできる人」は、パソコンのことなら何でも簡単にできると思っているのだ。

さてそんなときのどうやって説明するかと言うと。

「パソコンだって家と同じ。パソコンの専門家といっても、大工もいれば左官屋もいる。畳屋、瓦屋、内装屋、電気屋、水道屋、ガス屋、ブロック屋、とそれぞれ専門分野が違うんですよ。私はさしずめ内装屋といったところでしょうか。だから水道のことえを聞かれても、だいたいは分かりますが現場はできません。責任ある作業はできないし工具も持ってないし」と言うのだ。

たいていは納得してもらえる。ただし他の場所で「おー、パソコン屋にも左官屋がいるって知ってるか?」とか言われているかもしれないが。

●スクロールバー   2004.6.10

blog風デザインが流行っている。当然そのような要求も増えてくるのであるが、デザインを依頼されているのにblogそのものを使っては意味がないので、blog風センター振り分けのレイアウトをデザインしなければならない。blogの場合は基本的に各ページが1枚ずつの独立したファイル構成なのだが、実際のウェブサイトではフレームを使ったものをリクエストされることも多い。

さてそうなるとデザイン的に問題になるのがスクロールバーの処理。これが意外にも難しい。ページの縦方向の長さはページ毎にも異なり、もちろん見る側のブラウザのサイズによっても異なる。つまりページによってスクロールバーが出たり出なかったり。スクロールバーの幅分、ズレてしまうのだ。全て出してしまうという方法もあるが、スクロールしないのにスクロールバーが表示されるというのも不自然でもある。

そこでその解決法。ソースを全部書いていると長くなるので、考え方だけ。センター振り分けといえども「左からピクセル数で追っていってフレームで分割する。」ということ。これに気付くまでにけっこう時間がかかった。

●アポ   2004.6.9

通常3週間から1か月先の予定というのは、海外出張でもない限り確定していないことのほうが多い。なので1か月以上先のアポはすんなりとてれることが多い。ところがなかなかすっきりした回答をしない人もいる。「他の仕事の予定次第なので、今は回答できません」とか「その日になってみないと分かりません」とか「都合がつけば参加します」というようなもの。

任意のイベントや例会であれば、このような回答もOKなのだが、実務でのこういった回答は非常に困る。とりあえずOKにしていおいて当日ドタキャンでもいいのだ。実際、誰しもどんなトラブルが起こるか分からないし、特急の仕事が舞い込んでくる可能性もあるのだ。

そして、そういった回答をしてくる人に限って、実はけっこうヒマだったりもする。ヒマと思われたくないためにカムフラージュしたって意味はないのだが、まあ、そういう根性だから仕事が来なくてヒマになるという見方もある。

●新しモノ好き   2004.6.8

これからのビジネス、新しいニーズの開拓、なんてことを言いつつ、目新しい事業に手を出しては失敗を重ね、負債だけが増加していく。そんな似非SOHOコンサルタントみたいな人っていますよね。

何か新しい事業や企画の話があると、すぐさまその方向になびく。そうやって業種転換しているうちに、どんどんと成功する可能性が低く競合が多く寿命の短い方向へと進んで行く。ところが本人は流行の最先端をひた走っているような幻想の中にいる。

時代の流れがめまぐるしい中、じっくりと腰を据えて己のスキルを磨くということも必要。というわけでコアコンピュタンスという、いわばドッグイヤーのアンチテーゼ的な考え方も見直されていたのが既に5年ぐらい前のコトでもあるのだが。。

いつの時代にも「新しモノ好き」がいる。そして彼等は、新しいモノが好きというより、新しいコトをやっている自分が大好きなようでもある。

●ITオンチ   2004.6.7

TVや新聞で最近の事件や社会現象をIT化に絡めて語るいわゆる文化人。IT化によって子どもたちのコミュニケーションがうんぬん。現実とバーチャルの区別がうんぬんと言っているのだが、こういった人たちの言っている内容の是非はさておき、1つだけ分ることがある。それは語っているその人が、普段メールを使っているかどうか?ということ。

メールも使わず掲示板に書き込みもしたようなこともない人。つまりもはやITについていけてない人の論調は、明らかにITを自分たちとは別世界。縄張りの外の世界と捉えているのだ。これは運転免許を持っていない人が交通事故について語るのと同じように説得力がない。すぐにわかる。というかバレる。

メールやチャットをすること自体はもはやITというわけではない。当たり前の環境として今の社会と融合している情報伝達手段であるはずだ。メールを使うという行為を「IT革命」と呼ぶのは、新聞を読むことを「印刷革命」と言っているようなもんだ。

●デザインのアンケート調査-2   2004.6.6

街頭でオヤジ2人組に新製品のサンプルを見せて意見を聞いてみる。オヤジA「うーん、宜しいんじゃないでしょうか。値段次第では買うと思いますよ」。オヤジB「ボクだったら買わないな。全体的に新しさが感じられないし」。

ところが最初に見せたオヤジAが「うーん、イマイチかな。いくら安くても買わないでしょう」と言ったとする。そうするとオヤジBは「ボクだったら買うな。高級感あるし長く使えそうな感じだし」。

要するに大した主体性などはない。回りと意見を会わせることで長年生きてきたのだ。ちょっとしたところでも他人と違う意見を言って自己主張をしてみたいだけなのだ。

だからデザインに関するアンケート結果なんてもんは鵜呑みにしてはいけない。

●デザインのアンケート調査-1   2004.6.5

街頭でコギャル3人組に新製品のサンプルを見せて意見を聞いてみる。コギャルA「えー、なんかダッサーイ。今っぽくなーい」。コギャルB「おばさんっぽいしぃ。欲しくなーい」。コギャルC「買わなーい。絶対買わない」。

ところが最初に見せたコギャルAが「きゃ。カワイーイ!。えっ、いくらで売るの?欲しい欲しい」と言ったとする。そうするとコギャルBは「シブイシブイ。大人っぽくていい雰囲気」。コギャルC「買う買う!」。

要するに大した主体性などはない。回りと意見を会わせることのほうが重要なのだ。違う意見を言って、議論になったり仲間外れにされることを避けているだけなのだ。

だからデザインに関するアンケート結果なんてもんは鵜呑みにしてはいけない。

●一旦預かる修正要求   2004.6.4

ウェブを依頼してくるクライアントの中には、とにかくその場その場の思い付きで色々な変更、修正を要求してくる人がいる。こういった人の言う通りに作業をしていたのではいつまで経っても完成しない。昨日要求してきた内容で必死で修正している最中、今朝見たどこかのサイトを例に出して「やっぱりこんな風にしたい」といった具合だ。とてもじゃあないけどやってらんない。こういう人はレストランに行っても、料理の味が気に入らないと作り直させるのだろうか。

クライアントが気に入る、気に入らないは別にして、こちらはそれなりの時間と労力を使っているのだ。もちろんカネを支払うに値しないような、とんでもないデザインであれば別であるが、言えば何でもやってくれると思われては困るのだ。

ではどうやってこういう状況から脱却するのか?まずは要求が来た時点で、すぐに返事をしない。要求事項を箇条書きにして、それぞれどのくらいのコストがかかるか一覧表を作って提出することだろう。ついつい電話で修正依頼を受けてしまうものだが、どんな小さな要求でも、一旦預かってから回答するようにしよう。

●プロに頼む   2004.6.3

例えば日曜大工で本棚を作る。時間をかけてきちんと設計して、それなりの材料と道具を使えばプロ顔負けの作品ができるかもしれない。しかし実際にそのように作ろうとするならば、日曜大工センターで、材料を購入し必要な寸法に切断してもらう。鋸やハンマー、ドライバー程度であれば一般家庭にもあることだろうが、木ネジや釘、サンドペーパー、塗料、ニス、ハケ、といったものは、その時に購入しなければならないだろう。同時にどんな番定のものがどのくらいの量が必要なのかを考えつつ、時には買い忘れて再度店に走ったりしながら作るというようなことになる。結果として1つの本棚を作るためにには相当な時間とコストがかかってしまう。

仮に同じ物を木工所に頼んで作ってもらえば、材料を工具も全て揃った環境で、手慣れた職人があっという間に作ってしまうことだろう。 プロの仕事というのは、単にそのスキルだけではなく、整った環境と手慣れた方法で短時間に要領よく作ることができる。という部分が大きいのである。

●YST   2004.6.2

今年の5月31日より、Yahoo! Japanの検索エンジンがGoogleからYST(Yahoo! Search Technology)に変更された。このことで自社サイトの検索順位がどうなるとかSEO対策を考え直すとかあちこちで喧々諤々といったところだろう。

HTML上でのGoogleとの大きなSEO対策の違いは、Googleではほぼ無視されると言われているMETA name="description" を拾うといったところだろうか。国内でもGoogleのシェアが50%を越え、SEOもGoogle1本に絞って、言ってみればGoogle専用SEOのHTMLになっていたページも少なくないだろう。ところがここにきてYahoo! Japanがシェア奪回の反撃を開始した感もあり、こちらも無視するわけにはいかない状況にもなってきたようだ。

とはいえウェブ制作者がYahoo! Japan用SEO対策費を個別項目として請求するわけにはいかない。それをやったところで順位が変わらない。又は下がった場合のクライアントの反応は恐ろしいのだ。

●絶対   2004.6.1

コンピュータ関連の、特にプログラムの開発のような仕事の場合、開発者はクライアントに対し「絶対」という言葉は使わない。どんなに完璧と思ったプログラムでも、どこにどんなバグが潜んでいるかは分からないものである。また、インターネット特有の不可抗力や偶発的な要因、OSとの予期できぬ相性やバッディングによって、そのプログラムが正常に動作しなくなるという危険性があるからだ。

しかしクライアント側にとっては、いつまでたっても何か含みを持たせた自信のないベールで包んだような発言の連続に不信感をおぼえる場合もあるようだ。「何ではっきり言わないんだ?」と聞いてみると、わけのわからない専門用語を並べて意味不明のコトを言うだけ。ウソでもいいから「絶対に大丈夫です!」と言ってしまえばクライアントは安心するものであり、時にはそういった発言も必要。

しかし開発者側にとっては、「絶対に交通事故に遭わないクルマを作ってくれと言われても‥」といったところだろう。
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