2008年1月

●仕事はクールに   2008.1.31

自分の仕事を評価してもらう、認めてもらう、ろうを労ってもらう、なんていうのは素人が考えること。仕事に対して対価を支払ってもらい、また仕事の依頼が来る。これだけで十分であり、プロの仕事はそれが全てだろう。

やたらと誉める人間に限ってカネ払いが悪かったり、変に気を使う人間ほど次の依頼は来なかったりするものだ。カネさえ払ってくれれば良し。それ以上に女々しいことは望むべきではない。仕事はいつでもクールにこなすことが大事だ。

●ハードディスクの故障-3   2008.1.29

物理的故障でもHDD内部とは別の電気的、物理的故障という可能性もある。 これはOSの不具合等による「論理故障」とは別のもの。 例えばコンデンサなどの故障(寿命)により、HDを物理的に起動させるための 電圧が不足するとか、基板上での接触不良による故障等であり、これらは HD本体とは別なので、環境を変えることで復旧する。従って修理費用も それほど高くはないはず。

また、物理的な故障が軽度な場合には、環境を変えることで一時的に 復旧する可能性もあるのではないかと想像する。

しかし電気で動く機械である以上は、電気的物理的の複合的障害や、 停止したままその原因が分からず終い、なんてこともあるのだろう。

●ハードディスクの故障-2   2008.1.28

まず物理的故障とは、
  • ディスクを回転させているシャフトと軸受けの摩耗のよる  物理的な寿命
  • フランジ部分のケース内側との接触によるディスクの停止
  • ディスクとジンバル(アーム先端の磁気ヘッド)との接触
  • ホコリ等によるディスク表面のキズ
  • 磁気ヘッドの剥離、位置ずれ
恐らくこういったことではないかと想像するのだが、 いずれにしても、磁気ヘッド部分はディスクが 回転中は 0.1μm 程度しか 浮上していない(停止中は軽く接触している)ため、上記のような状況を 手作業で修理するのは物理的にはかなり難しいはず。アナログ腕時計の 修理とは精度の桁が違うようだ。仮にデータを復旧できたとしても その費用がウン十万とかいうのも納得できる。

●ハードディスクの故障-1   2008.1.27

ハードディスクが起動しなくなり、メーカーや販売店に相談すると「それは物理的な故障の可能性もあるので、データは復旧できません。」などと言われる。仕方なく復旧専門の業者に依頼すると、「物理的な故障であった場合は復旧できない可能性があります。復旧できた場合の費用は1Gにつき10万円です。」などと言われる。

ハードディスクは磁気ディスクを磁気ヘッドで読み書きしているものなのだから、このディスクを取り外して読めばいいんじゃないか?などとも思うのだが、どうもそう簡単なものではないらしい。

●浦島太郎   2008.1.25

時計屋に行ったお婆さんが驚いた「今の時計は振り子が付いてない!」と似たような話をよく耳にする。レコード屋に行ったらレコードが売っていない!とか、パンクを修理したらチューブが入っていない!とか。

しかし一番驚くのは電気屋のようだ。もはやビデオデッキなるものは無い。ビデオテープもカセットテープも棚の片隅にちょびっと置いてあるだけ。テレビはみんな液晶かプラズマ。2槽式洗濯機やコードの付いたアイロンもマイナーな存在。コタツの中には出っ張りが無い。フードプロセッサーとかワインセラーとかIH調理器とかお茶粉末器とか天井収納物干しとか天ぷら油クリーナーとか、そんなもの電気にやらせる必要あるのか?というものばかりだそうだ。

●クルマとケータイ   2008.1.24

ケータイはコミュニケーションするための重要なツールでもあり、他人に見られる機会も多く、友達同士での話題になることも多い。それだけに現代人にとっては最も重要なアイテムであろう。一昔前であれば「他人に見られる機会の最も多いアイテム」はクルマであったのだが、コストのハードルはケータイのほうがはるかに低い。免許も不要だし事故って死ぬこともない。だから普及したわけだ。

しかし最大の難点は「忘れて外出する」可能性があるということ。ケータイを忘れて外出したときの不安感には計り知れないものがある。クルマにはその心配は不要だ。

●機能   2008.1.23

例えばパソコンは、かなり純粋な「マシン」である。従ってそこで機能というものが重視される。しかしケータイはマシンとしてよりファッションとしての要素が強い。従って機能よりもデザインやマーケティングが重要となる。 工場で使うマシン。例えばプレス機には、ファッション性やスタイリングはあまり関係ない。

どんな工業製品にもその機能の占めるウエイトというものがある。市場が大きくなるに従ってこのウエイトを定めるのが難しくなる。だからマーケティングが必要になるのだが、マーケティングは機能に比べれば抽象的であり当たる確率も高いわけではない。従ってとりあえずは機能を充実させた商品づくりが安全ということにもなる。

●所有欲   2008.1.22

身に付けるもの、持ち歩くもの、は所有欲を満たすだけでなく、その「もの」を購入するまでのプロセスを楽しむものでもある。だから他人に「もの」を貰っても喜ばないし嬉しくない。それが自分が欲していたものとちょっとでも違うとNGなのだ。無いほうがいいのだ。

ものが無い時代を経験した人たちは、このへんの感覚が分からないようだ。だから「最近の若者は何を考えているか分からん!」ということになる。最近の若者にしてみれば、人より高いものに憧れ、所有物で自分の価値観を高めようとする行為が理解できないのだろう。

●石橋を叩いて   2008.1.20

デザインを進める途中、どうも色調が地味で暗過ぎるのでは?と感じることがある。もちろんその逆もある。そんな時に少しずつ明るめに調整していくと、やってるうちに基準が分からなくなるものだ。まずは思いっきり明るくしてみて、これじゃ明る過ぎだろう!というところまで行ってから戻ればいいのだ。そうすることで限界と妥協点がそれとなく見つかるものなのだ。石橋を叩いて渡るのは非効率的。仮に橋が落ちても自分が死ぬわけではないのだから。

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●オートマとマニュアル   2008.1.19

学生と社会人が懇親会の席で「ホームページビルダーならできるけどHTMLなんて 絶対無理だ!」と言っていた某社長と、 「オートマは運転できるけど、マニュアル車なんて絶対無理だ!」 と言っていた学生。

社長のほうは「何言ってるんですか?マニュアル車のほうが運転するのは 絶対に面白いんだよ!」 一方学生は、「やっぱHTMLで作ったほうが全然面白いですよ!」 と、まあ、そんなもんでしょう:-o

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●強豪   2008.1.18

世界の強豪は沢山いる。もちろん国内にも競合は多く存在する。同じ市内や町内の同業者と争うのとはワケが違う。ネットショップで商品を売る以上、最低でも国内の競合他社全てが競争相手となるわけだ。

どこでも売っているような商品を並べて「思ったように売れない。」とか「Yahoo! の上位に表示されない。」なんて言っても、そりゃ当然のハナシだ。増してやAmazonのような超強豪と同じ商品を売るのは無謀というもの。最近は本だけではない。

閲覧者は瞬時にして日本中のどこのネットショップに移動できる、と、理屈では分かっていても、いざ商品を売る段になると実店舗の感覚が拭い去れないようでもある。

●誰を信じるか   2008.1.17

家族、親友、尊敬する先輩であったり上司の言う事を信じるというのが一般的かもしれない。しかしその相談する内容によって信用する相手は変わる。例えば病気のことは医者、法律のことは弁護士、ということになるはず。

しかしホームページに関しては、毎日のようにウェブ制作を行っている我々のようなプロよりも、ホームページビルダーで自分でサイトを作っている友達の言うことを信じる場合も少なくない。まだまだ甘く見られている業種でもある→ウェブデザイナ。

●フランス料理に梅干し   2008.1.15

色々と苦労しながらフランス料理を作っている最中に「あ、これも入れてください。」と言ってクライアントが持ってきた梅干し。梅干しは健康に良いから入れたほうが良いそうなのだ。と、こんなことがよくある。

全体のバランスとテイストを考えながら作っているウェブサイト。突然全く違うテイストのイラストを持ってきて「これをトップページに入れてください。」と、そのイラストは若者に見せたら「か〜わいい!」と好評だったから入れたいのだそうだ。料理に比べるとデザインの歴史はまだまだ浅いようだ。

●格好つける   2008.1.14

格好をつけて見栄えを良くするのがデザイナの仕事ではあるのだが、格好を良くして体裁を整えることが必要な場合と不要な場合とがある。特に事業を行う場合には格好を整えることに執着し過ぎると良い結果には結びつかないことが多い。

格好を良くするかどうかは、そのターゲットとする利用者や消費者が格好の良さを求めているかどうか?で決めるべきだろう。格好悪くても、泥臭くても、好感が持たれ指示されるケースも少なくないのだ。

●渋滞   2008.1.13

渋滞の原因は色々とある。事故、工事、五十日、月末、街道沿い大型店、イベント、行楽、帰省、Uターン。しかし渋滞しても目的地に予定通りに到着できるクルマを作るのは無理な話だ。これはインターネットでも同じ。表示速度が遅くなる原因は色々とある。にもかかわらずどんな状況下でもサクサクとサイトを表示できるマシンを作る、またはホームページを作るというのは無理な話なのだ。

●デザインの基礎   2008.1.12

ウェブデザインにおいてもデザインの基礎ができているのと、そうでないのとでは表現できる範囲と完成度が違ってくる。例えば光りの方向と陰影を理解していないとドロップシャドーやアクアボタンなど、立体的な表現が不自然になるし、色彩をある程度ロジカルに理解しておかないと色調を決定する過程で膨大な時間を要したりもする。

しかし今からデザイン学校に通って基礎から学ぶというのもなかなかできることではない。せめて通信でも良いので、デザインの基礎はある程度習得しておいたほうがいいだろう。ウェブデザインを仕事とするのであれば。

●設計   2008.1.11

ウェブデザインはウェブサイトという建築物の設計でもある。ただし設計だけが優れていれば良いというものではない。 そこには個性やセンス、設計とは別の意味での魅力がなければいけない。

そもそもデザインという言葉は、設計という意味に訳される場合と、スタイリングやビジュアルを意味する場合とがある。この解釈は国や業種などによって異なるが、少なくともウェブデザインの場合は、設計とビジュアルの両方が求められるものである。

●ホームページは儲からない   2008.1.9

などと言われて久しいが、実際には本当に儲からないことのほうが多い。なぜかと言えば、ホームページを単体で考えるからだ。企業の存在意義や社会的役割、経営コンセプト、利益目標、広告戦略、顧客管理戦略と、順番に考えていき、その中でのホームページの役割と位置づけをしっかりと設定すれば良いのだ。ホームページという部分だけを見れば儲からなくても、全体として儲かればいいだけの話だ。しかしそうやって考えてみると、ホームページは必要無い!という結論に至ることもあるのだが。

●検証   2008.1.8

クライアントから「ここにこのボタンを移動して空いたスペースにこれとこれを追加してほしい。」というような要望が来る。そうすることでその部分だけを見れば改善はされるのだが、サイト全体としての統一性や使い勝手に問題が出ることがある。

こういったことは文章で書くだけではなかなか検証はできない。実際に図なり絵を描いてみて使い勝手を検証しなければ新たに生じる問題点は発見できない。この検証をきちんとできるかできないかがプロと素人との差でもあるのだろう。

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●違うジャンルで   2008.1.7

あくまでも個人的な経験の範囲での話だが、転職をする場合、今までとは全く異なった業界に就くほうが成功する確率が高いように思う。ある意味、商品知識や業界事情に詳しくなりすぎると、ある程度先が見えてしまったり、色々な経験が邪魔をして、新たな提案やトライアルがしづらくなってしまうのではないか?とも想像する。1つの業界の中で、全ての人間がその業界の中を転々としていたのでは血が濃くなるばかりで、全体が硬直化していまうのかもしれない。外からの新しい息吹を吹き込むことを目指したほうが良いのだろう。

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●事例   2008.1.6

起業するとき、色々な過去の事例を参考にして、そこに成功の秘訣を見出したくなるものだ。しかし取り扱う商品の種類や価格帯、ターゲットとなるユーザー層や人種、販売やサービスの形態、地域性、人脈、投入出来る資本、などなど、その条件は多種多様であり、過去の事例で自分に100%合致するものは無いと思っていいだろう。ちょっと条件が変わるだけで、事例は全く通用しなくなったりもする。

結局は自分が開拓者であり、事例を作り、起業研修会でプレゼンする、というくらいにならなければ成功はしないだろう。

●ブログに綴る叙情詩   2008.1.5

ビジネスのメールに自分の信条や心境を切々と綴る人がいる。それで何をどうして欲しいのかいうと、特にどうして欲しいとかではなく、単に気持ちを理解して欲しいのだと言う。まあ、その気持ちは分からないこともないが、そういった行為はプロジェクトの進行を遅延させたり勘違いやトラブルの要因ともなりかねない。だからブログがあるのだ。思う存分叙情詩をブログで綴ればいいのだ。

●人のイヤがる仕事   2008.1.4

「何でこんなことまでいちいちオレに聞いてくるんだ!」というようなことがよくある。しかしここでキレてはいけない。それだけ頼られてるということなのだ。色々な相手と仕事をする以上はハラの立つこと、ムカつくことは多々ある。しかしそこをいかに我慢してポシティブな方向に解釈して進めるかが大切。

ちょっと面倒でムカつく仕事は我慢してこなしていくべきだろう。これを続けることが信頼に繋がる。とはいえ「どんな簡単な仕事でも他人にやらせよう」という生き方の人間もいるので気をつけたほうがいい。

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●凧   2008.1.3

凧は横方向の空気の流れを地面から繋がれた糸によって浮力に変換して宙に浮いていることができる。サラリーマンも似たようなものだ。会社という常に流動する組織が風であるならば、糸の長さと太さが個人の能力だろう。風が強過ぎると糸の短く細い人間はぷっつんするし、風が弱いと太く長い糸の人間は落下してしまう。微妙なバランスを保ちながら浮力を保っているわけだ。逆に言えば、このバランスがおかしいと思ったら、今の風に固執せずに、さっさと新しい風を捜すほうがいいのだろう。

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●クリックとスクロール   2008.1.2

クリックが1つ増えると、その分、そのページへのアクセスは減少する。これはよく言われることなのだが、なぜかスクロールに関しては無頓着であるようだ。クリックはマウスのボタンも一度押すだけであるが、スクロールはドラッグする、またはマウスのローラーを回すというように、明らかにクリックよりも費やす労力が大きいのだ。

いかにしてスクロールをさせないでコンテンツを閲覧させるかがウェブデザインにとっては重要なポイントでもあるのだが、このことに気を使っているウェブ制作者は意外に少ない。

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●ホームページの不安   2008.1.1

ホームページを作るとなると、果たしてどのくらいの人が見てくれるのだろうか?という不安がつきまとう。そして仮に世界中の人が見るとなると、今度は「こんな内容でいいのか?」「オレの写真はあれでいいのか?」「このままでは恥ずかしい…」といったような不安にかられる。

そういうクライアントに限って、自ら更新するなんてことは全くない。だからホームページそのものの効果も反響も体感できない。だからいつまでたってもホームページは謎と不思議のかたまりのままなのだろう。

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