2013年12月

●ウェブデザイナーの仕事   2013.12.31
ウェブデザイナーの仕事はかなり減ってきた。ほとんどの企業は既にホームページを持っていて、しかも数年前に作ったものをそのまま公開し続け、年2度、夏期休暇のお知らせと年末年始のお知らせを更新する程度だ。スマホ対応する予定も全く無く、ホームページは作るとカネがかかり、管理には手間がかかり、持っていることが直接利益に繋がらないことも分かってきた。またFacebookページやブログでも十分にホームページの代わりになるということも分かってきた。だからウェブ制作者はSEO対策を抱き合わせとするというバカの一つ覚えのような営業活動をせざるを得ないのだろう。
●自分と自分の周り基準   2013.12.30
例えば自分の身の周りにiPadを使っている人が3人いたとする。そうすると「今では多くの人がiPadを日常的に使っている」という錯覚に陥る。実際にiPadを所有している人は一般の商工業者や一次産業に携わる人も含めれば日本の全就労人口のうちの1割にも満たいないだろう。世の中それほど急速に変わるわけでもなければ人間の価値観も突然変化するものでもない。増してやICTとは離れた世界の人達、例えば漁業関係者とか、長距離トラックの運転手とか、林業に従事している人たちの中にはiPadが何なのか知らない人も多いはず。一日中テレビをつけっぱなしにしているおばちゃんだってまだまだ沢山いるはず。そんな人にYouTubeの話をしたところで全く埒が明かないというもの。
●3Dプリンターの市場   2013.12.29
製造業のゲシュタルト崩壊のように言われている3Dプリンターだが、実際に職を失った金型屋さんとか試作屋さんがいたという話はまだ聞かない。また家庭用としての3Dプリンターの需要というのも決して大きいわけではなく、ものづくりが趣味というのニッチな市場でもある。したがって3Dプリンターの製造メーカーは国内外を含めて百花繚乱状態でどれが良いやら悪いのやら。ただ一つ言えることはAmazonやYAMADAで売ってるモデルは色々と性能的に問題が多く、消耗品の樹脂で儲けようとしていることは明らかであるようだ。同じく消耗品のインクで儲けている従来のプリンターのメーカーであるEpsonやCanonが黙っているのも市場が小さいせいだろう。
●視認性に優れたフォント   2013.12.28
フォントなんて好みの問題だ。ではなく視認性に優れたフォントというのは理論的に決まっている。長文の物語などを読んでも疲れない所謂「視読性」に優れたフォントは欧文ではセリフ体、和文では明朝体とされているが、視認性に最も優れた欧文フォントはずばり「Gill-Medium」である。サンセルフでも「Arial」「Helvetica」などもよく使われるが「Gill-Medium」は似ている文字が最も少なく誤読の可能性が低く最も視認性に優れているとのこと。行間は20〜30%、長文は小文字を使うこととされている。以上はNASAが作成したマニュアルによるもので航空機やスペースシャトルなどの緊急時のオペレーションマニュアルはこの「Gill-Medium」が使われているとのこと。しかし和文となると視認性に優れたフォントを決めるのは困難を極めるだろう。アルファベットは26種類であり、これに大文字、小文字を区別して、数字と記号を加えたとしても100種類未満だろう。しかし和文では漢字だけでも2000近くある。視認性に優れたフォントを捜すよりも英語を勉強したほうが早そうだ。
●金持ちは幸せかどうか   2013.12.27
これはその人の年収がいくらかでない。あくまで相対的な基準で「隣人に対し」「同僚に対し」「同期に対し」収入が上回っていれば幸せであり、下回っていた場合は不幸であるということだ。例えばホームレスであっても隣のダンボールの人より収入が多ければ幸せであり、年収1億円の人でも隣に住んでる人が年収1億1千万であれば不幸ということになる。まあ人間の欲には限度が無いと思う半面、幸せの基準なんて他愛の無いものだなとも思える。
●レスポンシブルwebには無理がある   2013.12.26
スマホで読む400字はウザいほど長い。パソコン画面で読む400字は味気ないほど短い。スクリーンサイズを考えれば当たり前のことである。iPhoneで読む電子書籍は限りなく長く読破するには相応のエネルギーが必要だ。そう考えるとKIndleやiPad miniは電子書籍に最適なサイズであることは分かってくる。そもそもレスポンシブルwebなどと言って、パソコンとタブレット端末とスマホを同じソースで表示させようということは根本的に無理なのだろう。自転車と軽自動車とダンプカーで同じ大きさの荷物を運ぶようなものだ。
●故人のブログ   2013.12.25
ブログが一般に普及してから10年といったところだろうか。そうなるとブログを書いていたの人の中には故人も大勢いるはず。しかし普通は死ぬ前に遺書にブログのIDとパスワードは残さないだろう。遺書を書くこともなく死んでしまった人を含め多くの故人のブログは放置され公開されたままであろう。例えば1年間更新されなければ自動的にアカウントが消去されるというようなシステムであれば別だが、多くのブログはしばらくの間、または恒久的に公開されたままであり、読んだ人は作者が故人であることも気付かないであろう。このままでは無尽蔵に故人のブログが増え続け、いずれは生きている人のブログの数を上回ってしまうのではないだろうか。
●歳上だから偉い   2013.12.24
A社の社員BとA社の部長Cがいたとしよう。社員Bは取引先D社の担当者Eと一緒に部長CにD社の商品を説明していた。ここでは社員Bと部長Cはあくまでも同じA社の社員でありA社から給料をもらって働いている。しかし部長Cは歳下の社員Bと担当者Eに対して明らかな上から目線でモノを言う。あたかもオレは人生の先輩だと言わんばかりに。そして社員Bと担当者Eは歳下の後輩であり同年代の仲間。それを指導するのが部長Cというような構図である。もちろんこれは大きな間違いであり、年齢とか経験値には関係無く社員Bと部長Cはあくまでも同じA社のスタッフであり担当者EはD社の代表として話をしに着ている。「歳上だから偉い」という概念をシチュエーションを選ばず露骨に出してしまう「クールではない」人間がまだまだ少なくないようだ。
●いい加減な人   2013.12.23
いい加減な人、適当な人、というのはいつまで経ってもいい加減であり適当である。もっとそのテーマに深く突っ込んで徹底的に探求すればもっと楽しくなるであろうことも志半ばで「こんなもんでいいや!」という具合に自分自身で終止符を打ってしまう。だからいつまで経っても「浅い」ままである。将棋で言えば3手先までしか読まない。しかしそのいい加減さや適当さが実は大きな失敗をしない秘訣でもあるようだ。いい加減で適当な人間は思いのほか生活も収入も安定しているし、それなりに幸せな暮らしをしている。何ごとも「良い加減」で「適度で妥当」なところなのだろう。
●レスの無いメール   2013.12.22
依頼のあったウェブサイトを公開しました。依頼のあったポスターの版下を添付しました。ご要望通りにウェブサイトを更新しました。といういうなメールを出しても全くレスの無い場合がある。頼りがないのは元気な証拠とも言い、OKで問題がなければレスしないことがデフォルトになっている場合もある。定期的な仕事であればいちいちレスは不要なのでレス無し=OKということでも良いのだが、全くの不定期な仕事の場合はやはりレスがないと失礼だろう。労を労って欲しいわけでもなく、誉めて欲しいワケでもない。単にそのメールが届いているかどうか確認したいだけだ。「確認しました」「受信しました」の一言でもいい。
●テレビのリモコン   2013.12.21
欧米のテレビのリモコンはどう整理してデザインしてもボタンの数は50個以上になってしまう。日本のようにテレビが地デジに移行してチューナーを追加したような場合にはリモコンの数が倍になってしまう。そう考えるとスマホのようにモード切り替え可能なタッチセンサーのリモコンが必要になってくる。しかし家庭用のリモコンではバックライトが必須でありバッテリーの寿命の問題もある。であれば使わないときにはドック(充電器)に入れておくようになる。しかし使う時にはドックまでリモコンを取りに行かなければいけない。ドックまでの距離がテレビよりも遠かったりもする。じゃあ電力自体をリモコンに飛ばしてしまうか。ということはリモコン自体が信号の送信機であり電力の受信機ということになる。そもそも大して広い部屋でもないのに全てをリモコンで操作しようというところに問題がある。小さいテレビを手の届く範囲の近くでリモコン無しで見るようにしよう。であればリモコンにテレビの画面を付けてしまえばいい。しかしそれではケータイでワンセグ見ているのと同じだ。それでいい、という意見もあるが。
●ややこしくしている   2013.12.20
ブログに記事を書いたという行為を説明するときに、投稿する、公開する、掲載する、書く、アップする、見せる、載せる、うpする、などの言葉が使われ、どれが正しいということもない。コンピュータがフリーズした場合には、フリーズした、凍った、止まった、動かなくなった、固まった、死んだ、反応しなくなった、落ちた、コンフリクト した、逝った、応答しなくなった、などの言葉が使われ、こちらもどれが正しいということもない。ただでさえややこしいコンピュータというもののある状態を意味する言葉が統一されていないことがより状況をややこしくしている。
●老害   2013.12.19
何度かこのテーマで書いてきたが、年に1〜2度はこれはまさに老害だなァという光景を目の当たりにする機会がある。まず老人は往々にして頑固で人の意見を聞かず自分に非があっても謝罪しない。これだけでも周囲から反感を買うには充分だ。さらに上から目線であり言葉遣いが命令形であり言うことを聞かないと激怒する。だから周囲からは「早く死ね!」と囁かれることとなるのだが、そういう老害老人に限って長生きする。誰にも相手にされなくなったことに気付き段々と丸くなっていく老人と、老害を撒き散らしながら段々とボケていき老害の威力が衰えていく老人と、老害を撒き散らしているうちに突然死んでしまう老人の、まあだいたい3種類ぐらいあるように思える。
●大容量ファイル送信サービス   2013.12.18
大容量ファイル送信サービスというものがよく使われるようになった。しかし大容量のデータって何なんだろうか?テキストデータではいくら詰め込んだところで大容量と言えるサイズまで大きくするのはタイヘンだ。動画データであればすぐに大容量にはなるが、ちょっと高画質で尺が長くなれば転送できる限度をすぐにオーバーしてしまう。となると残るは写真データである。しかし素人が撮影した写真データは誰が何のために使うのだろうか?ウェブに掲載するのであればいくら大きくても1枚1MBを超えることは少ない。WORDやPPTに貼り付けるにしても、最終的に家庭用プリンタで印刷する、または液晶プロジェクタで写して見せるものであれば高画質にする必要は全く無い。要するにデジカメが初期設定モードが必要以上に高画質になっていて、多くの人がそのまま使っているから大容量ファイル送信サービスというものが必要になってきたということだ。
●色褪せる   2013.12.17
クラスで一際輝いていた友達が、時とともにその輝きを失い色褪せていく。学校だけではなく会社でもそういう人はいるものだ。そしてその原因の多くが「慢心」であろう。人間は誰しもそのスピードに差はあるにしても進化している。慢心はこの進化を止める。退化しないまでの他の人間に比べると相対的に後退しているように見え、結果として色褪せてしまうわけだ。一度褪せてしまった色は復活させるのは難しい。全体を塗り直すにしても下地の錆を落として表面をきれいに磨いてからでないと塗料は乗らない。下地の処理が不完全のままではすぐに塗装もメッキもはげ落ちてしまう。だから一度色褪せると一生色褪せたままの人間が多いわけだ。
●自分を出す   2013.12.16
新人クリエーターがよく言われるのが「自分を出すな!」だ。仕事の大半がアシスタント業務やパシリである以上、そこに「自分を出す」ことは誰も期待してないし誰にも許されてもいない。また出したところで、それは誰でも出来る初歩的な稚拙なことである場合がほとんどだ。それでもアシスタント仕事に満足できない新人がついつい自分を出してしまい、ディレクターに怒られることも珍しくない。しかし極めて希に出した自分の表現がディレクターに「素晴らしい!」と評価されることもある。しかしそれはあくまで希であり1万回に1回ぐらいの確率のことだ。だからとりあえずパシリの間は自分を出さないでいたほうが賢明である。
●viewport-2   2013.12.15
例えばtableはwidth=100%と書く。tdの幅の%指示はブラウザやOSによって解釈が異なるので幅方向にはtdを連続させずにtable全体の幅だけを%指示する。画像を同様に幅だけを%で指示する。テキストサイズは%での指定はできないのでpxで指定する。これは機種の解像度によって多少の差異はあるものの、だいたい本文の文字を50px程度に指示すればiphoneでもgalaxyでも違和感は無い。意外と使えるのがblockquoteだ。横幅が100%ではキツキツの印象が強くなってしまうような場合に何%にしたらよいか、と考える前に無条件でblockquoteと指示してしまったほいうが早いし、それなりの見栄えになる。
●viewport-1   2013.12.14
スマホ用サイトを作るときに必ず登場するのがこのviewportだ。少し前まではcontent="width=320px"と書いていたが、この320pxはiphone限定なので最近ではcontent="width=device-width"と書くのが一般的であるようだ。width=device-width は「デバイスの横幅で描画してください」という意味なので、解像度がiphoneとは異なるgalaxy やHTCにも対応できるとのこと。であればもともとviewportの指示は要らないのではないか?という発想でスマホ用サイトをデザインすることは不可能ではない。基本的にタグ内にピクセルの数値での指示を使わないようにすれば良い。代わりに多用するのは%の指示である。
●ネガティブ思考   2013.12.13
旅行に行く。ネガティブ思考な人間は「寝坊して電車に間に合わなかったらどうしようか」「天気が悪かったら何をして過ごそうか」「嫌いな食べ物が出たらどうしようか」「トイレが和式だけだったらどうしようか」「民宿にバスタオルがなかったらどうしようか」「旅行中に家族に事故があったらどうしようか」「宿に津波が襲ってきたらどうしようか」などなどなどなど数え上げたらきりがないネガティブな出来事を想像する。そしてその旅行自体が大きな心配ごとの塊とあり、無事に帰ってきたときには、大きなため息とともに胸を撫で下ろすことになる。最初から行かなければいい、又はポジティブ思考になって思いっきり楽しむ、のどちらかにしてほしいものだ。
●買い替え需要   2013.12.12
LED球というと、寿命が長く切れることも滅多になく発熱もしないと思われがちだが、実はかなりの熱を持つし過電圧では当然のことながら切れる。あくまでも白熱球に対して発熱が少なく寿命も長いということだ。消費者にとってはLED球は白熱球の10倍程度の価格で「高い」という問題があり、売る側にとっては買い替え需要が10分の1以下になってしまうという問題がある。例えばパンストは技術的にはいくらでも強度を上げることはできるが、それでは買い替え需要が無くなることから、あえてすぐに破れるように作ってある。ジャガイモのピーラーはジャガイモの皮と同じ色にすることで、誤って皮と一緒に捨ててしまう人が多くなることを目論んだ買い替え需要を狙っている。「買わせる」と同時に「捨てさせる」ことを考えなければ大量消費は見込めないが、すぐに壊れるようではクレームやリコールの対象になってしまう。工場製品の量産はこのへんのさじ加減が実に難しい。
●老人は何かと心配する   2013.12.11
老人は何かと心配する。心配すること自体は悪いことではないのだが、問題はその表現方法だ。近くにいる人間をつかまえて「まだか?」とか「どうなってるんだ!?」とか問い詰めたり高圧的な言い方をする。みんな関わりたくないので「さぁ…」とか「私に聞かれても…」といったような曖昧な答え方をする。すると余計に心配になり語気を荒げる。そしてみんな避けるようになり誰も返答しなくなる。本当は「アンタのほうがよっぽど心配だ」と言いたいところを我慢して。
●なくす   2013.12.10
よくモノをなくす人がいる。しかしなくなったのはモノであって、モノというのは物理的にアトムとして実在しているので、濃硫酸を浴びたり融点を超える高熱で熱したりしない限り消えてなくなることはない。「なくなった」というのは物理的に消滅したのではなく、管理者の記憶から存在場所に関するデータが消去されたために、あたかもモノが消滅したように感ずる錯覚である。そして管理能力の低い人は頻繁にこの錯覚に陥り頻繁にモノがなくなる。さらに自分の管理能力の低さを棚に上げて「どっかいっちゃった」などと言う。そうじゃなくて「どっかやっちゃった」だろ!まあ、どっちでもいいから早く捜せよ。
●営業職   2013.12.09
営業が本職の人は実に姿勢が低い。そこまで丁寧でなくてもいいものを…、と思うこともしばしばある。しかしその必要以上に丁寧で謙った態度が営業的なトラブルを避けるためには重要なのだ。人にはそれぞれ性格がある。すぐに切れるとか、常に悲観的であったり自虐的であったり精神的に不安定であったりもする。そういった人(お客さま)と万遍なく気分を悪くさせることなく付き合い、確実に報酬を得るためには必要以上に丁寧で謙った態度が必要となるわけだ。大企業の営業ともなれば「クレーマー」や「とんでもない客」への対応もちゃんと研修を受けて教育されている。だから滅多のことでは怒らない。ちょっと気に入らない客が来る度に気分の悪さを顔に出していたのでは営業職は務まるはずもない。しかし気に入らない客が来る度に「もうやってられない!」と言ってそのお店や会社を辞めてしまう人も少なくない。だいたいにおいてそういう人が自分が客の立場のときに相手を気分悪くさせるような態度をとるものだ。
●トリミング   2013.12.08
画像処理ソフトを使えば誰でも簡単に写真をトリミングできる。そしてデジカメのほうも誰でも簡単に高画質の写真を撮影できるようになった。ということはプロの報道写真や芸術写真でもない限りは望遠レンズというものも必要がなくなる。標準レンズで高画質で撮影したものをトリミングすれば良いのだ。効果としてはデジタルズームと同じだ。しかしアナログのズームのように被写体に寄っているわけではないのでレンズの性能の悪さがそのまま拡大されてしまうので画質はイマイチのものとなる。望遠レンズは重いし高い。素人が扱うにはファインダー内に動きの速い被写体を収めるのさえ難しい。周囲が暗い場合は確実に手ぶれを起こす。手ぶれ防止のためには相応の三脚が必要。となると出費がかさむし持ち運びも大変。てなことを考えると多少の画質の劣化には目をつむり標準レンズで高画質で撮影したものをトリミングしたほうが確実でリーズナブルであるはずだ。ただし巨大な望遠レンズをぶら下げて歩いている時のドヤ顔はできなくなってしまう。
●推敲   2013.12.07
特に執筆が本業でなくても書いた文章は必ず推敲すべきであろう。読み直せば必ず修正したほうが良い部分は見つかるはずである。例え簡単なメールの文書であっても推敲を重ねることで、相手が気分を害することなく、余計なことを考えずに、確実にこちらの要求を理解できるようになるはずである。逆に言えば推敲してないメールというものも多すぎる。一度読み直して、相手の立場で考え、ちょっと文章を書き直すだけでだいぶ違うのだが。そもそも文章の主語がなく5W1Hが全く存在しない文章というのは書いてる本人が相手に期待している成果に対して5%ぐらいしか伝わっていないと思ったほうが良い。
●予感   2013.12.06
イヤな予感がしたという経験は誰にでもあることだろう。しかし人間には予知能力のいうものは無い。だいたい未来のことが分かるなどあり得ないことだ。だから世の中には博打や勝負事やスポーツの試合が成り立つわけだ。イヤな予感というのは後になって思い起こせば「イヤな予感がした」と感じるだけで、人間は常に色々なことを次から次へと考えていて、その時に考えていたことのうちのマイナス思考的なところだけを選んで「イヤな予感がした」というストリーをアタマの中で勝手に編集しているだけのことだ。そして「イヤな予感が的中した」というのも決して超能力ではない。例えば目の見えない人が交通量の多い道路を渡ろうとしたときに、その光景を見ている人は「危ない」ということを経験上感じ取り、実際に車に撥ねられる確率も高くなる。そして実際に撥ねられるとしたら、それは「イヤな予感がした」のではなく、経験上車に撥ねられる確率も高くなっていただけのことだ。だから撥ねられなかったとすれば「イヤな予感がした」とは言わない。撥ねられたという悪い結果になったときに人は「イヤな予感がした」と言う。
●馬の道   2013.12.05
自動車が一般市民に普及し始めたころ「私は自動車のようなメカは苦手だ。ただし馬術には自信がある。だから自動車ばかりではなく馬の走れる道路も充実させて欲しい」などと言っていた人もいたようだ。これが今は「私はスマホを操作するのは苦手だ。ただしパソコンを操作するのは得意だ。だからスマホだけではなくパソコン用のホームページも充実させて欲しい」などと言っている人に相当するのだろう。自動車が普及したと同時に馬の道が充実したという話は聞いたことがない。
●テレビを教育に   2013.12.04
例えば日本では学校ということろには国民の全てが通い勉強をする。成績に個人差もあり評価が必ずしも一定ではなく自治体によって取り組み方も色々となるものの、この教育の制度が国全体の生産力の増強と発展に大きく貢献していることは間違いのないところであろう。しかし1960年ごろに国中に急速に普及した「テレビ」というものは、基本的に娯楽が中心である。余暇を楽しむというだけならまだいいが、時間の許す限り決して高尚とは言えない安易で浅はかなプログラムを垂れ流し続けている。この「テレビ」というものを学校と同じように「教育」というスタンスに位置づけてはどうだろうか?既にテレビは「娯楽」という意味でも「情報提供」という意味でも、その役割はインターネットに取って変わられようとしている。これまでのように視聴率のためなら手段を選ばないというやり方を一新して「教育」のための情報配信メディアになってもいいのではないか。1957年に「一億総白痴化」という言葉が流行した。「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させてしまう」という意味合いの言葉である。その汚名を晴らす上でも。
●とことんやる   2013.12.03
とことんやる!というと何だか必要以上に凝り性とか拘りが強い性格のように思われるが、実は物事を遂行するにあったては成果物の完成度とクウォリティを上げるためには必須条件でもある。企画を練る、デザインする、文章を推敲する、音楽を作る、何をするにしても何度も何度もNGを出してやり直す、納得が行くまで修正を繰り返す、そうやって「とことんやる」ことで作品も人間もブラッシュアップされていく。とことんやる途中では、どうにもならなくなって途方に暮れたり、それでもとにかく「やる」こと以外に選択肢が無い現実に向き合って絶望感を感じたり、最後には頼る人がいないという事実に強い孤独を感じたりする。そうして「とことんやった」ことのある人間と、「とことんやった」ことのない人間では人としての実力に雲泥の差がつくはずである。
●16:9   2013.12.02
電気店で4:3のテレビを見かけることはなくなった。ほぼ全てが16:9である。あるとすればタブレット端末の一部が4:3に近い画面比率なくらいだ。16:9を「ワイド」、4:3を「ノーマル」という言い方をメーカーはしているが騙されてはいけない。「ワイド」ではなく上下を少し切った結果が横長になっただけだ。そもそも人間を撮影するときは4:3のほうが収まりが良い。人間は普通は立っている、または座っているので縦長な形をしている。人間が立っているシーンでは16:9だと両端のスペースが無駄に余ってしまう。人間の視野だって正確に測定することはできないにしても、どちらかと言うと4:3に近い視野角のはずだ。ビデオカメラでも4:3のモードが無くなりつつある。このままでは人類はシュモクザメのような顔の形に進化してしまうのではないか。
●そこまで親切ではない   2013.12.01
ウェブサイトのコンテンツの量が徐々に膨れ上がりページ数も膨大になり自分でも全体を把握できなくなってる。テキスト中心のコンテンツの場合、量が増えて来ると同時にスペルのミスや誤字脱字も増えてくる。時間を見て確認、修正、推敲しようなどと思っていても、また新しい文章を書かねばならなくなって、そちらの方を優先する。一度作ったものを確認、修正する作業よりも新しいものを作る作業のほうが楽しいので自然とそうなる。そして今まで書いたものの中に仮に誤字脱字があったとしても「読んだ人が教えてくれるだろう」と思うようにもなる。実際、そういう場面も何度かあった。しかし勘違いしてはいけない。そのようなケースは極めて希であり、読んだ人の大半は誤字脱字気が付かない、または気が付いても親切に教えてくれるまでには至らない。普通の人はそこまで親切でもなければヒマでもない。
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