2014年4月

●風評被害   2014.04.30
風評被害という言葉があるが、これは実際に「被害」と言えるものなのだろうか?消費者が高い放射線濃度の商品を知らずに食べてしまった場合はそれは消費者にとって「被害」であろう。しかし安全な基準値であるにもかかわらず消費者が買わないという状態は「被害」とは言えないのではないだろうか。放射線濃度の数値がまったく同じであった場合でも原発からより遠い地域で採れた(獲れた)物を選ぶのは消費者心理としては当然のことである。またいくら生産者が「安全だ」と言ったところで生産者は買ってほしいから言うのあって、10年後、20年後に身体に異常が出る危険性はゼロと言い切れるのだろうか。その放射線濃度を測定した線量計の数値はどこまで信頼できるものなのだろうか。放射線は非常に微妙で繊細なものであり正確な数値を測定するのは難しい。逆に計り方によっては数値を操作することもできるとか。仮に20年後に癌が発症したにしてもその原因を特定すことはできない。それだけに少しでも危険性が少ないであろう選択をするのは消費者に与えられた当然の権利である。
●腐ったウンコのように   2014.04.29
「できない」「やれない」理由をケツの穴から腐ったウンコのように、次から次へと机の上にもりもりと出して積み上げる人。そんなに出されたって汚いし、臭いし、捨てる場所はないしで、とにかく処理に困るのだ。建設的、積極的な意見は1つも出さずに、どうでもいいような、聞いてもしょーがない「できない理由」「やれない理由」だ。よくぞそれだけ次から次へと出てくるものだと閉口するしかない。口を閉じていないとウンコのお釣りが飛んでくるし。
●官僚   2014.04.28
官僚と言うと既得権を乱用して私腹を肥やして暴利を貪っていて贈収賄で捕まる、といった印象を持っている人も少なくないようである。しかし多くの官僚が逮捕されるようでは国家の運営が成り立たない。しかし悪代官のイメージで描かれた官僚のドラマを見た一部のミーハーで頭の悪い人達は、本気で官僚=悪人、だと思っているようだ。官僚になるのは一流の大学を卒業したエリートであり、官僚たちが実際に日本を動かしていると言っても良い。ろくな学歴もない人間が官僚の悪口を言うように仕向けるドラマやマンガはそろそろ止めたほうが良いのではないか。そういう時代ではないだろう。
●かたちから入る   2014.04.27
「すぐにかたちから入るんだからぁー」という台詞を頻繁に聞くが、人間は基本的に「かたちから入る」ようにできている。本質、性能、仕様、機能、などから入るのは難しく、見た目で入るのは比較的簡単だ。例えば二股のニンジンは形が悪いということで出荷できないが、実際に食べて味に問題があるかというとそうではない。これが魚の場合はどうだろうか。背骨が曲がった魚は水銀やクロムなどの環境ホルモンによる奇形の可能性もあり、その魚自体に化学物質が含まれている可能性もある。だから味がうんぬんの前に、そういった奇形のものは生物としての遺伝子が避けるように出来ているのであろう。二股のニンジンは形が美しくないだけであるが、放射性物質などによる影響での奇形の可能性が全く無いわけではない。従って消費者は本能的に形がキレイなものを好んで買うわけである。だから「デザイナー」という職業も成り立つのだ。
●習うより馴れろ   2014.04.26
「ピザって10回言ってみて」「じゃこれは?」と肘を指差す。今どきこんなプリミティブなゲームに引っかかるヤツはいないが、実はこれは人間の「馴れ」を利用したゲームである。10回言っただけであるのに人はその言葉に「馴れ」てしまうのだ。馴れたものは繰り返し行なうのに少ない労力で済む。馴れてないことをするのに比べれば格段に簡単になってくる。だから勉強でもスポーツでも「馴れる」ことが勝利のために必要になる。どんなにポテンシャルの高い人間でも、全く馴れていないとこを、いきなり行なっても良い結果はでないはずである。逆に人間は「いとも簡単に馴れてしまう」という特性を持った生き物でもある。この特性を利用しないのは勿体ない。
●ビンゴ   2014.04.25
回転する籠からタマが出てくるビンゴゲームはあまり見かけなくなった。デジタルで番号をランダムで表示するデジタルビンゴマシン、またはそのような機能が付属したカラオケマシン、またはタブレット端末用のビンゴゲームアプリということになる。ただし共通しているのは参加者に配られるミシン目の入った紙だ。これは1枚ずつ番号の並びが違っていないと意味がないのでなかなかデジタル化はできないのだろう。例えば参加者全員が自分のメルアドを登録することで、メルアドごとに違った並びの番号のカードがスマホに添付メールで配信され、出た番号をぷよぷよのように消えていき、消した跡が5つ並べば「ビンゴ!」というこてはできなくないかもしれない。ただしコンピュータなので本気で演算処理をすれば、ランダムで出てくる番号は数十番目までを一瞬で出すことが可能となり、配信されたカードが一瞬で「ビンゴ」なのかどうか分かってしまうということにもなる。そうなるとビンゴというよりスピードくじになってしまう。
●ホームページのアクセス数   2014.04.24
ホームページのアクセス数は急に下がることはない。ゆっくりと時間をかけてじわじわと下がっていくだけに、下がったこと、下がった原因についても気が付かないままのサイト管理者も多い。ホームページというものは、そのコンテンツが有用で面白く、定期的な更新を行なっていればアクセス数は微増していくはずである。これがある数字で止まったでままであるとするならば、それは「微減」する要因によって、「微増」が相殺されているということだ。コンテンツのことは除き、構造的な問題だけにかんして言うならば、それは「スマホ対応していない」「Flashを多様したまま」のどちらか、または両方であることが多い。
●10進法   2014.04.23
今の世の中には10進法と12進法が混在している。時間の場合は1分が60秒なのに、1秒が0.1秒の10倍と、突然10進法が登場する。人間の指が10本だから10進法、親指以外の指の関節が12だから12進法、などと言われているが、例えば地面に丸を書いて等分割していくと12よりも8のほうがわかりやすいはずだ。いずれにしても何進法かは人間の都合でいかようにでも変えられるはずである。ただし1つだけ、1年が365日というのは変えようがない。しかも365はどうにも割り切れない数だ。仮に365進法というのを作って、9以上の1桁の正数の数字を356個デザインして365到達したときに1桁繰り上がる。この365進法を切り刻んで時間や方位、距離などの単位にすればいろいろとすっきりするのではないか?まあその100倍ぐらい混乱もするはずだが。
●スクリーンショット   2014.04.22
デザイナーやマニュアル本の執筆者にとっては非常に頻繁に利用するのがこのスクリーンショット機能である。Windowsの場合はプリントスクリーンと言って、キーボードの右上のあたりにこのボタンがある。MacOSではshift+command+4のショートカットキー、またはグラブというアプリを使う。しかし意外と知られていないのがiOSのスクリーンショットだ。わざわざスクリーンショット専用のアプリを使っている人も多いと思うが、ホームボタンを押しながらスリープボタンを押すといういたって簡単な手順だ。シャッター音も再生されるので分かりやすい。撮影された画像はカメラのアプリの中に保存される。Andoroidも4.0からスリープボタンと音量のマイナスボタンを同時押しすることでスクリーンショットが可能になった。気をつけなければいけないのはスクリーンショットで撮影した画像は簡単には表示できないようにしておくことだ。何かの間違いで表示されたスクリーンショットのデータは単なる画像データでありながら稼働するインターフェイスと見た目は全く同じなので、うっかり画像上のボタンをクリックしてしまうことも多い。時に画像データであることに気が付かないで「フリーズした!」と慌てることもある。
●ニュース   2014.04.21
韓国の「セウォル号」の沈没事故のニュースは、生存者の可能性が低くなるにつれて、日に日にマスコミの扱いが小さくなってきている。レーシア航空機の失踪事件は、失踪したという事実も機体がまだ見つかっていないという事実も忘れ去られようとしている。インドネシア・バリ島沖での日本人ダイビング事故は、まだ行方不明者一人が見つかっていないが(捜索も打ち切られているが)マスコミでは全く取り上げられなくなった。ニュースなのでいつまでもマスコミが扱っているわけにはいかない。しかしニュースを見て神妙な顔をして「胸が痛む…」とか言っていた人間が、次の瞬間にチャンネルを変えたバラエティーを見て「ギャハハハ!」とか笑っている。今の時代、情報の出入りが激しくなり、それに呼応して人の感情の揮発性が非常に高くなっているように思える。
●そこそこできる   2014.04.20
仕事はそこそこできる。頭の回転も速いしそれなりの知識もある。しかしこれといって特筆すべきスキルや実績があるというわけではない。が、プライドは高く、他人の言うことは聞かないし、基本的に自分の思い付きに惚れ込んで「オレって天才?」な気分になる。そういう人が実に多いような気がする。そういった人たちが、もっと素直になって、余計なプライドを捨て、他人を尊重することと協調することを覚え、真摯に生産活動に携わるようになれば日本のGDPはもっと上がるはずである。
●ブログのアクセス数   2014.04.19
とっくに更新するのも止めてしまい、アカウントだけは削除していないブログからアクセス数の報告メールが来ることがある。1ヶ月間の訪問者数が50人、PVが55とのことだ。このブログの更新を止めたのは1年以上前だ。いったい誰が何のために訪問してくるのだろうか。同じブログ内のユーザーが何かの間違いで一瞬だけ迷い込んできた。たまたま検索サイトで捜していたキーワードに合致する文字列があった。広告宣伝用徘徊ロボットが無差別に侵入してきた。しかしどちらにしろ本気でせっせと更新しても特にPR活動をしなかったとしても同じくらいのアクセス数なのかもしれない。ブログとは、ただ公開しているだけではいかに読んでくれる人がいないか。ということと、いくら放っておいても最低限のアクセスは保証されているということだ。
●紙と水   2014.04.18
テーブルの上で湯飲みをひっくり返す「あらあら…」と言いながら、箱の中のティッシュを5枚、10枚と急いで取出しお茶を拭く。普通に見られる光景となっているが、こんなシーンはあと何年見ることができるだろか。紙というものは主に熱帯雨林を伐採して作られる。伐採する熱帯雨林が無くなれば作ることはできなくなる。では布の台ふきんを使ったらどうかということになるが、台ふきんを作るには綿花が必要。綿花も熱帯雨林と同じ植物だ。では合成繊維どうか?合成繊維は化石燃料から作られる。石油が枯渇すれば作ることはできない。布の台ふきんを使うと1回ごとに洗う必要があるわけであるが、そのためには水を使う。今の時代の先進国では紙も水も非常に安価でほぼ無尽蔵に使うことができる。しかしそれは産業革命から世界の人口が100億になるまでの、歴史的にはほんの一瞬の「良き時代」の出来事に過ぎないのかもしれない。
●フェミニズム(2)   2014.04.17
1966年に始まった「チャコちゃん」というTVドラマがあった。ドラマの中で子供たちが「男と女、どっちが偉い?」という話題になって、主人公のチャコちゃんは交番に行って、おまわりさんに「男の犯人と女の犯人、どっちが多い?」と聞くシーンがあった。「そりゃ男だなぁ」とおまわりさんが答えると「ほらね、やっぱり女のほうが偉いんだ!」「社会の教科書を見てみろ。女なんか出てこないだろうが。社会は男が作ってきたのだ」というのも似たようなものではないのか。要は生物学的に構造や役割が異なる雄と雌には、それぞれが得意なカテゴリーがあるというだけではないか。ちなみにフェミニズムの思想は多様であり、一本の思想と考えることはできないそうだ。
●男尊女卑   2014.04.16
爺さんが犬の散歩から家に帰ってきた。外は雨が降っていて犬はびしょ濡れである。出迎えた婆さんは「あらあらタイヘン…」と言いながら犬をバスタオルで拭いている。爺さんのほうは傘をたたむと手伝うでもなく無言で家の中に入って行く。「あとはおまえやれ」とも言わないで、まるで貴族が奴隷に対する振る舞いのようにだ。日本でもまだまだ男尊女卑の思想や風習は根強い。もともとは日露戦争の富国強兵政策のなごりである。小さい頃にそう教育されてしまった高齢者には男尊女卑の思想が染み付いてしまったのだろう。だから爺さん、あんたが偉いのではなく、たまたまその時代の国の方針だっただけだ。
●フェミニズム(1)   2014.04.15
作家の中山千夏がジョージアの缶コーヒーCMで「サラリーマンやラーメン屋、工事作業員、果ては幼児まで、いろいろな男が、社会はオレが作っていると宣言していた」ということで「(ジョージアの缶コーヒーを)二度と買うものか」と新聞のコラムに書いたらしい。中山千夏がフェミニズム運動を始めたきっかけは45年前、「社会の教科書を見てみろ。 女なんか出てこないだろうが。社会は男が作ってきたのだ」と男性に言われたことだったという。だからといって缶コーヒーCMまでに目くじら立てるほどのことではないだろう。缶コーヒーという商品自体、働く男をターゲットといして作られたものでもあるし、ファブリーズのCMでは「男だけが臭い」みたいになっている。それがマーティングというものであろう。
●プロ向け(2)   2014.04.14
身近なところでは「Mac Pro‎」というコンピュータがある。これも決してPROが使う専用モデルではなく、多くはMacをこの上なく愛するMac愛好家が使っているようだ。Mac Proは多様な拡張性を備えていたものの、その拡張性を活かして何かを拡張したいと思ったころには本体のスペックそのものが時代遅れとなり拡張するより買い替えたほうが早い(安い)ということにもなる。結果、Macで仕事をしているDTP屋さんの多くがすぐに買い替えが効いてコストパフォーマンスの高いMac miniを使っていたりもする。そもそもiPhoneやiPadにはプロ仕様などという概念もなければ需要もない。成熟していって最大のコストパフォーマンスの範囲に集約されてくると、PRO用、素人用の区別はなくなってくろのだろう。ホチキスやセロテープのように。
●プロ向け(1)   2014.04.13
プロの投資家向けのハイリスクで複雑な商品で、制度上一般投資家も勧誘できるため、知識のない高齢者などへ販売されトラブルが多く発生しているのが「プロ向けファンド」である。そもそも投資などはプロでなければ採算がとれない仕事である。素人が手を出せば9割以上は損をするとも言われている。それだけプロフェッショナルな知識やノウハウが必要とされるものだ。しかし全くの素人であるにもかかわらず「プロ向け」「プロ仕様」というものに手を出してしまう浅はかな消費者は後を絶たない。「プロ」という言葉にそそられるようだ。オーディオ機器のモデル名の最後に「〜PRO」とつけると良く売れた時代があった。もちろん買うのは素人であり、プロ向けのモデルには間違っても「〜PRO」とはついてはいない。そもそもがプロ用は価格は2桁違い販売ルートも一般向けとは異なる。「プロ向け」「プロ仕様」を本当に使いこなせるのはプロだけである。
●鯨尺(2)   2014.04.12
ところが先祖代々長年に渡って鯨尺を使ってきた人にとっては「急にメートル法を使えと言われても…」という気分だったに違いない。単位は1つに統一すべきであっても、とりあえずは鯨尺を取引上で使ったところで黙認をしておき、自然と使われなくなるのを待つ、というスタンスだったのだろう。人間誰しも「使い慣れたモノが使い易い」のだ。しかし今は「使い慣れたモノが使い易い」などとは言ってられない。使い易かろうが、使いにくかろうが、使わなければ時代に取り残されていくだけだ。もしかすると「取引上又は証明上の通話にフーチャーフォンを使用してはならない」となるかもしれない、いやいっそのこと法律で取り決めてしまったほうが皆さん諦めてスマホを使うようになるかもしれない。
●鯨尺(1)   2014.04.11
法律は取り締まらなければ無いのと同だ。計量法第五十九条、鯨尺の目盛のある長さ計の鯨尺の目盛は、織物の長さを計る場合の外、取引上又は証明上の計量に使用してはならない。とある。これに違反した場合には罰則があるわけだが、実際に永六輔は逮捕されなかった。逮捕して身柄を拘束しておくと、色々とべらべら喋って五月蝿いうことで逮捕しなかったのかもしれない。なんせ永六輔は「男のオバさん」である。しかしなぜ鯨尺を使うと違法になったのだろうか?これは例えば誰かが10進法の時計を作って販売したとなると、世の中が色々と混乱する。だからモノを計る単位は1つに統一すべき、ということなのだろう。
●高波と津波   2014.04.10
打ち寄せる波の中でも特に波高の高い波を高波という。波高は高いものの、その高波をかぶった一瞬だけを耐え凌げば何とかなる。しかし津波は波高の高い波の高い部分だけが連続して押し寄せて来るので継続的に耐え凌がなければならない。ダンプカーに追突されたのが高波だとすれば、津波は100輛編成の貨物列車に追突されたようなもの。追突された瞬間だけではなく、その後も連続的に強い力で押しやられるわけだ。3キャリアのスマホのシェアが入れ替わるのは高波、パソコンの販売台数が落ちているのは津波だろう。
●イラレデータをウェブに(2)   2014.04.09
逆もある。最新のIllustratorとOSで作ってあるために1つバージョンが落ちると一部の機能が使えなくなる場合もある。そしてフォントのアウトライン化の問題。これは常につきまとう。全てアウトライン化するとテキストの修正ができなくなり、アウトライン化していないと制作時のパソコンにインストールされていたフォントでないとデザイン的に正しい再現ができない。というようなことを加味して考えると、結局は印刷物をそのままスキャンして使った方が早いし間違いが無いということになる。ウェブに掲載する画像は72dpiだ。イラレからjpgに書き出した画像もスキャンした画像も大差はないのだ。ただしウェブ制作会社の多くはイラレのデータが欲しいと言ってくる。時間がかかった分を制作費に反映できるからだ。
●イラレデータをウェブに(1)   2014.04.08
会社案内や商品カタログ等の印刷物のデータをウェブに載せて欲しい、というリクエストが来る。しかしこれが一筋縄ではいかない。まずは大量のDVDに焼かれたデータが送られて来る。その中から掲載すべきファイルを見つけるのが一苦労だ。ギガバイト単位のフォルダの中に膨大な数の似て非なるデータが入っている。しかも1つのファイルが重い為に開くだけでも時間がかかる。ほとんどがイラレのデータではあるが、その元になるpsdデータやepsデータが含まれている場合もある。そしてこいつらは半端無く重い。あとはイラレのバージョンの問題がある。DTP屋さんは未だにMacOS9でIllustratorがバージョン10.0を使っていたりもして、これが最近のMacで開けない。
●治具   2014.04.07
何かモノを作るときに必要なのがこの「治具」と呼ばれるものだ。工場では治具を開発設計して使うことが当たり前なのだが、一般にはあまり知られていないようだ。IT関連の事務職ではスキャナーを使う時にこの治具の有無、または出来不出来が取り込んだ画像のクウォリティに大きく影響する。裏写りをしないように、位置出しが正確にできるように、原稿の折り目やシワが目立たないように、といった目的で極めて簡単な作りではあるにしても治具を作っておくとその後の作業が捗ることになる。もっとも椅子に座ったままの体勢で腕だけを伸ばしてスキャンしようなどと横着なことを考えているのは言語同断である。
●そおっと(2)   2014.04.06
未だによく分かっていないパソコンを今から覚える必要もないだろう。そんな時間があったらスマホの使い方を覚えたほうが良い。音楽を聞くためにCDプレーヤーの使い方を覚える必要はなく、iTunesでのダウンロードの方法を覚えるべきだろう。本屋で本を捜すヒマがあったらAmazonで検索する方法を覚えたほうが早い。若い人にとっては「なにそれあたりまえ」だけど、世のおっさんおばさんたちは「音楽はレコードで聞く」「柱時計には振り子がついている」と思っている人がたっくさんいるのだ。そのような人たちが古い価値感から世の中の常識にそおっと乗り換えるのは想像以上にタイヘンなことのようなのだ。
●そおっと(1)   2014.04.05
1995年にWindows95が発表され、その後の10年でパソコンとインターネットが急激に世の中に普及した。そして一方では「パソコンが無くても生きていける!」「インターネットなんかやらなくたって死にやしない!」とほざいていた人もたくさんいた。しかし現在、そういうことをほざく人はほとんどいなくなった。どうしてるんだろうか?というと、だいたい2005年から2010年の間ぐらいにそおっとパソコンを購入し、そおっとインターネットに契約し、そおっとパソコンの勉強をしたのだが、未だにパソコンの使い方はよく分かっていない。ということのようだ。
●プロフィールの似顔絵   2014.04.04
Facebookのプロフィールに自分の似顔絵を使っている人がいる。その中にはどう見ても「似てないだろ!」「美化するにもほどがある!」「自己満足以外のナニモノでもないだろ!」というのがある。本人だと判らなければ画像を掲載する意味がない。そういう人間はだいたいにおいて「自信がないわりに自己顕示欲が強い」ようだ。そして「自分では言いたいことが沢山あるが、他人に指摘されたり注意されたりするのは絶対にイヤだ。」というタイプの「ヲタク」の悪い部分だけを持っているような連中だ。根本的にはFacebookで実名を晒したくないのだが、みんながやってるから仕方なくやってるようだ。ならばさっさと匿名が使えるSNSに引っ越して思う存分に「似てない似顔絵」を使うが良い。
●マントヒヒ   2014.04.03
人間と他の哺乳類との一番の違いは何か?生物学的にも社会学的にも実に様々な答えがあるだろう。そしてその一つが「人間は1年中発情期である」ということだろう。確実に子孫を残すためには1年中発情期である必要があったのか?またはそれ故にこんなに個体数が増えてしまったのか?それともいずれは自らを殺し合いや伝染病で滅亡させるために予め遺伝子に組み込まれていたプログラムなのか?いずれにしても今の人類は生物として高等になり過ぎたのかもしれない。マントヒヒぐらいの知能で止まっていれば、もっと幸せに暮らせたであろう。ただしそれでは麻酔は発明されなかったであろうが。
●麻酔   2014.04.02
もし江戸時代の中期に産まれたとすれば、その一生を終えるまでには世の中のほとんどの事象が変わらないままだったであろう。現在はパラダイムシフトの真っ只中であり数年で世の中の価値感が大きく変貌する。うかうかしていると時代に置いていかれるというゲシュタルトが崩壊しっぱなしの恐ろしい時代である。子供たちに聞いてみる。「過去の時代に生まれ変われるとしたら、何時の時代がいいかな?」すると、「平安時代!今みたいに忙しそうじゃないから」「江戸時代!のんびりしてるから」といった答え。「君たち、1つ忠告しておくが、オレだったら、せめて麻酔が普及してからの時代にするけどね。」
●ライター兼務のウェブデザイナ   2014.04.01
ウェブデザイナの仕事の多くはスマホサイトの制作である。依頼してくるクライアントの多くは既に公開しているパソコン用サイトをスマホ用にして欲しいというものだ。スマホ用のページはパソコン用のページに比べて1/20程度の面積しかない。パソコン用のページのコンテンツをそのまま押し込んだのでは収まるわけもない。文章は短くリライトしなければいけなくなる。かといってクライアントがスマホページ用にテキストをリライトしてくれたりはしない。とはいえ文字数を指定してプロのライターに依頼するわけにもいかない。ページの面積や画像データのサイズも考慮して文字数を調整しながらの作業になるからだ。といわけでウェブデザイナがライターの仕事も兼務することが多くなる。逆にライティングのできないウェブデザイナは個人事業主としてはやっていけなくなってくるようだ。
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