2015年2月

●バイラルメディア   2015.02.28
思わず誰かに教えたくなるようなネタを次々と掲載するのがバイラルメディアだ。バイラルに(ウィルスのように)拡散されることに特化したコンテンツ提供を行っているとされ、Facebookのタイムラインなどで見出しと画像がセットになった記事のこと。情報拡散力を利用して、インパクト・話題性のある動画や画像を中心とした記事に、短期間で爆発的なトラフィックを集めることを目的としたブログメディアを指す。記事の上下に大きめのソーシャルボタンを配置し、共有しやすくしたレイアウトと、スマートフォンでの閲覧を意識したデザインが特徴とされる。とまあ蘊蓄をこねると以上のようなことだが、これらは要するにバナーやポスターなどのグラフィックデザインの基礎ということになる。そこに動画という概念とスマホというメディアを意識するということが付加されただけだろう。


有名人の似顔絵
●予定表   2015.02.27
会社の中に一人はいるのがメモ帳の予定表がびっしり埋まっている人。そしてわざわざ他人に見えるようにそのメモ帳を開いて「う〜ん。来週は空いてないなぁ。いや待てよ、木曜の夕方ならなんとかなりそうだ…」とか言ってるやつ。「オレはこんなに忙しい!」ということをアピールしているのだ。誰しも毎日決まった時間働いている。工場労働者が自分の予定表に毎日「組み立て作業」とか書かないし、八百屋のおっちゃんは予定表に毎日「青果物販売」とは書かない。予定表がびっしり埋まっている人が格段忙しいわけではないし、人並み以上に仕事ができるわけではない。見た人は「几帳面な性格なんだなぁ」と思う程度である。またわざわざ他人に見えるようにそのメモ帳を開く人に対しては「話しを聞いてくれる人が少ないいんだなぁ」と思う程度でる。


LINEスタンプ顔面遊離男
●自費出版   2015.02.26
電子出版が普及することで素人でも簡単に本が出版できるようになると勘違いする人がいる。電子であれリアルであれ他人にお金を払わせて本を買ってもらうのは簡単なことではない。まずは作家の知名度が必要。そして文章を書く国語力が必要。この両方が無い人間に限って売れた時の印税をどうするか?無断転載されない為にどうすか?といったようなことを日夜考えている。甚だしい狸の皮算用である。そこで自腹を切って自費出版をして作家気分を味わう人もいる。出版社は自費出版する人はお客様なのでホイホイおだてて沢山の本を印刷させる。ちゃんとした本のように出版社側が内容やクウォリティについて口を挟むことはない。普段話しを聞いてもらえない爺さんに金を払わせ数百人のエキストラのバイトを雇って聴衆になってもらい2時間ほどの話しを聞いてもらう。話しの内容は聞いていなくても構わないがとりあえず聞いてるフリだけをして話しが終わったら盛大に拍手をするだけでよい。自費出版はこれに近いものだ。


話題の人の似顔絵BLOG
●やたらと条件を出すやつ   2015.02.25
仕事を依頼しても遊びや食事に誘ってもやたらと条件を出すやつがいる。「5万以下の仕事は請けない」「納期に余裕がない仕事は請けない」「一方的に命令されるような業務はやらない」といった具合だ。仕事ならまだいい。「何様のつもり?」と言って出さなければいいだけだ。しかしペライベートでは面倒くさい。「火曜日は避けて欲しい」「朝早いのは行けない」「混んでるところはイヤだ」「待たされるところには行きたくない」といった具合だ。そういう人間は基本的に食べ物の好き嫌いも多い。そしてそういう人間は基本的に責任は負わずに他人のやることに文句ばかりをつける。そしてそういう人間に限って「少しのリスクでも避ける」「臆病でよく吠える」「弱虫」である。もっとわかりやすく言えば「腰抜け」である。


新座市に生息する動植物写真集
●炎上   2015.02.24
お笑い芸人のtwitterが炎上する。よくあることだ。自分の考えや行動はいくら正しいと思って主張したところで日本だけでも1億人以上の人が住んでいて国民全てが共用する価値観とか正義というものはありえない。トラブルを起こさず敵を作らないためには黙って何もしないでいるのが最も安全だ。しかし社会経験が浅く思ったことを短絡的に呟いてしまう芸能人も少なくない。例えばフォロワーが10万人いたとすればそれだけでももはや統率できる人数ではない。自分が正しいかどうかは別にして、迂闊なことは呟けない状況にあるということを認識しておかないといけない。炎上したtwitterを消火しようと躍起になったところが火に油を注ぐ結果となることも多いようだ。まぁそれが売名目的であればそれはそれでいいのだが。


親子の似顔絵教室
●過去を振り返る   2015.02.23
もう未来があまり無い人は過去の話ばかりをする。果てしなく広がる未来に限りない可能性がある人は未来の話だけをする。老人は過去の話、若者は未来の話をするというわけではない。医者に宣告でもされない限りは自分にどのくらい未来の時間が残っているかは普通はわからない。そしていくら高齢であろうと未来の時間は存分に残っているはずだ。過去のことは過ぎたことであり取り返すこともできなければ修正することもできない疑う余地のない固定化された事実でしかない。未来のことは無限の可能性があり、どう振る舞うかによってどのように展開していくかはわからないという夢と楽しみがある。だから過去のことを振り返り悔やんだり恥じたりする時間があったら未来のことを考えたほうが良い。しかし全く過去のことを振り返らないでいると「学習能力が無い!」と言われてしまうので、ほどほどに過去も振り返るようにしよう。


コンビニ・スマホ・ホームページ
●地球上で最も汚染された場所   2015.02.22
1957年にソ連の核廃棄物貯蔵タンクの冷却装置が故障。急上昇したタンク内の温度によって大爆発を起こし大量の放射性物質が大気中に放出される事態となった。この爆発の規模はTNT火薬70t相当で、約1,000m上空まで舞い上がった放射性廃棄物は幅約9km、長さ105kmの帯状の地域を汚染して約1万人が避難した。これは‬1986年のチェルノブイリ、2011年の福島第一原発に次いで歴史上3番目に重大な原子力事故とされているが、過小評価されていたという意見もある。そもそも当時のソ連では、放射能の危険性が認知されておらず、放射性廃棄物の扱いはぞんざいであり、廃液は付近のテチャ川や湖カラチャイ湖に放流されていた。やがて付近の住民に健康被害が生じるようになると、液体の高レベルの放射性廃棄物に関しては濃縮してタンクに貯蔵する方法に改められた。カラチャイ湖は現在でも地球上で最も汚染された場所であるとも言われ、実際にここで一時間被曝すると死に至ると言われている。


一般人の似顔絵
●日本と欧米の芸術性の違い(2)   2015.02.21
パリの新都心の広場にはホアン・ミロの大きな彫刻がある。どんなアングルから眺めてもスキのない緊張感のある造形的にも非常に完成度の高い芸術作品である。一方日本ではどこの駅前にでも予算消化の為だけに作られた芸術性のカケラもないようなガラクタのモニュメントが数多く見られる。これほど乱立する前に誰も「止めろ!」と言わなかったのが不思議である。街角の音楽家は欧米のどこの街でも見ることができる。しっとりとしたバイオリンの演奏だったりバケツをドラムにしてリズミカルに叩く姿だったりもする。そしてみんな「上手い」&「楽しそう」なのだ。一方日本ではフォークギター片手に何やら喚いている若者。「上手い」か「訴えるものがある」のどちらかがあればいいのだが、どっちもない。まあ、日本では駅前にモニュメントが建てられるようになったのも街角で音楽を演奏するようになったのも、せいぜい数十年前からのことであろう。ヨーロッパでは中世から行われていたことであり歴史も違うわだ。


有名人の似顔絵
●日本と欧米の芸術性の違い(1)   2015.02.20
日本では絵画や彫刻、デザインを目指す人間のほとんどが文系である。理系の人間の中には物事を全て「理屈」でしか考えることができない人もいるということも事実だ。しかしだからと言って芸術系の人間は全ての物事を感性だけで捉えれば良いかと言うとそうではない。日本の(自称)芸術家の中には全く数学や物理ができない人間も多い。これは(自称)芸術家だから理系のことはできなく(やらなく)ても良いと勘違いしているだけだ。欧米では技師や建築家から転身して画家になった芸術家も多い。とくに(自称)芸術家でなくても長い歴史の中で多くの人に芸術の感性やセンス、見る目が染み込んでいるのだ。だから航空機の外観デザインは全くインダストリアルデザイナーが関与せずに技術者だけでそのフォルムを完成させることもできるのだ。


LINEスタンプ顔面遊離男
●AUTODESKの教育機関・学生向け無料提供サービス   2015.02.19
AUTODESKがMayaなどの3Dソフトなどを教育機関・学生向けに限り無料提供サービスを開始した。数年前から英語版での無料提供サービスは行っていたが昨年8月から日本語版の提供を開始した。AdobeCCは教育機関・学生向けが¥1980/月だがAUTODESKは3年間無料なのだ。Mayaは普通に購入すれば¥50万のソフトであり到底学生では買うことのできないし教員でも個人的に購入するのは難しい価格だ。無料提供サービスの手続きは多少手間がかかるが50万のものがタダとなれば手間も惜しむこともない。今まで購入していたのは企業であり学校がメインだったのだろう。しかも毎年小出しにマイナーチェンジしてバージョンアップしてきた。そして5年も経つとOSが対応しなくなってくるので決して安くはない費用をかけてバージョンアップしなければいけなかった。まあそんなこんなで儲けてるうちに、3Dプリンターの普及も手伝って無料のソフトが色々と登場し、うかうかしてられなくなったということなのだろう。


話題の人の似顔絵BLOG
●ただの人の制作物   2015.02.18
園児に絵を描かせると、1分も経たないうちに描いた落書きを持ってきて「できたよ!できたよ!見て見て!」とうるさい子供がたまにいる。大人でもいる。瞬間的な思いつきで書いたほとんど落書きに等しいメモを持ってきて「ねえ、ねえ、こういう企画どうかな?聞いて聞いて!」といった具合だ。彼らは神童でもなければ鬼才でもない。ただの子供でありただの大人だ。そのただの人が短時間で作った制作物には普通に考えて「価値は無い」のだ。ただの人であればあるほど、何かを制作するときには何度も何度も見直して修正をしながら充分な時間をかけて練り上げる必要がある 。「才能あるね!」とか「資質があるね!」とか言われる人は、そうやって何度も何度も見直して修正をしながら充分な時間をかけて作ったものだからである。決して天才とかではない。最初は普通の人なのだ。


新座市に生息する動植物写真集
●起業家と失業者は紙一重   2015.02.17
紙一重というよりほぼ同義語である。ただしここで言う起業家とは実際に起業したのではなく起業しようとして準備をしている人たちだ。今ではどこの自治体にもインキュベーションセンターという起業家養成所があり、そこには将来起業を目指す人たちが集まってくる。そしてその将来起業を目指す人たちはいつまで経っても起業をしないでインキュベーションセンターに通ってくる。本気で起業を考えているのであればさっさとインキュベーションセンター通いをやめて実際に起業をするはずであろう。片や失業者のほうも職を手にして社会に出て働くための職業訓練施設に通っていたりもする。そしていざ働き口を紹介すると「希望していた仕事と違う」「温度差を感じる」「私の能力に合ってない」などとグズグズ言って働かない。どちらにも共通しているのが「勇気がない」「失敗を恐れる」「能力が低いわりに理想が高い」「自分中心である」「人に命令されるのがイヤなわりに人に命令するほどの度量は無い」「基本的に教養が無い」といったところだ。そしてこういった人たちを支援するために多額の税金も使われている。そして彼らは仮に今のままの生活を続けても食うに困ることもない。


親子の似顔絵教室
●我慢   2015.02.16
生活が豊かになってくると、人は「我慢」というものをしなくてもよくなる。空腹を我慢する、暑さ寒さを我慢する、退屈さを我慢する、痛いのを我慢する、辛い労働を我慢してやる、難しい勉強を我慢してやる、スマホをいじるのを我慢する、といったような「我慢」をしなくても済むようになってきたわけだ。昔は「もう我慢ならん!」と言っていたことが、今ではすぐに「我慢できない」ということで我慢を解消する行動をとってしまうわけだ。ちょっと我慢すれば良いものを我慢できない。当然のことながら我慢ができない人間は「弱い人間」に育つ。耐え忍ぶことを知らないから我慢しなければいけないコトが起こるとすぐに精神が崩壊してしまい、そのことがストレスとなって襲ってくる。放っておいても「我慢しなければいけないコト」が無尽蔵にある時代には自然と強い人間が育ったのだが、今は作為的に我慢しなければいけない状況を子供達に作ってあげないといけない。そしてその状況を作った人間は嫌われ、恨まれ、憎まれ、嫌がられるわけだ。そしてそうなることは分かっていても我慢しなければいけなくなる。


コンビニ・スマホ・ホームページ
●ゴーストライター   2015.02.15
昨年はゴースト作曲家が「ゴーストライター」と称されることが多かったが、元々ゴーストライターというのは確立した立派な職業である。多くの芸能人やスポーツ選手が本を出版し、あたかも自分が執筆したように見せかけているがそのほとんどはゴーストライターによるものである。本を書くというのはある意味職人技であり素人がいきなり本を書こうとしても到底無理な話である。よほどの文章力と国語力と経験がないと本など書けるはずがない。ではなぜゴーストライターは自分の名前で本を出さないか?というと、これははっきり言って「売れない」からである。逆にいうと本の売れる売れないは中味のクウォリティではなく作者の知名度によって決まる。どんなに素晴らしい作品でも作者に知名度がなければ売れないのである。ということで名もないゴーストライターたちは今日も有名人の名を借りてせっせと執筆活動をしている。


一般人の似顔絵
●食料   2015.02.14
人間は、地球上で唯一「自分で狩りをしなくても食っていける」生物である。もちろん自分で狩りをしなくては食っていけない人間も多く存在するが、先進国の一部の人間は自分の食料を自分で獲る(採る)ということはしない。それどころか食料を育て収穫するという工程にも全く手をかさなかったりもする。それどころか食料を人間が食するに相応しい味に加工する「調理」という工程にも全く手をかさなかったりもする。それどころか他の人間が「調理」した食料に対して「なんだこの味付けは?こんなもん食えるか!」と言って調理した食料を廃棄して新たに調理し直させたりする。そして彼らは彼らの「住居」と良ばれる住処の中で毎日のように「メシはまだか?」といって食料を要求する。その多くは「おやじ」と呼ばれる種類の人間である。


有名人の似顔絵
●老人かどうか?の基準   2015.02.13
「老人かどうか?」を判断する基準は「スマホが使えるかどうか?」だろう。周りが勧めるからといってスマホに機種変したところが、どうにも使いづらくて結局ガラケーに戻したという人は明らかに「老人」だ。多少は使いづらくても頑張って何とか使えるようになった人は老人ではないと言っていいだろう。今、ガラケーが見直されつつある。しかしキャリア側にとっては従来のガラケーのままでは1世代前のネットワークである3Gの回線を提供し続けなければならないという問題があるのだが高齢化が進むに従って絶対的な需要があるので止めるわけにもいかない。老人は別に「AndoroidやiOSが嫌い」だからスマホを敬遠している人はいないだろう。「テンキーが使いたい」「タッチパネルは難しそう」という理由からガラケーを使い続けている。ということだが、30年前であれば「老人」と呼ばれる人の基準は「テンキー(プッシュホンやATM)が使えない」だったはずが、いつ変わったのだろう?


LINEスタンプ顔面遊離男
●つまらない話をする人がよく言う台詞ランキング   2015.02.12
gooランキングが行った、周囲にいる「“つまらない話”をする人がなぜかよく言うセリフランキング」。トップ10は→、【1】ほら、私(俺)って○○だからさ 【2】ここは笑うとこだぞ! 【3】この前すっごく面白いことがあってさ〜 【4】おいおい、ここは○○って言わなくちゃ 【5】もう、ノリが悪いな〜 【6】あれ、面白くなかった? 【7】おいおい、空気読めよ〜 【8】友達の友達がさ〜 【9】なんちゃって(笑) 【10】ボケたんだからツッコんでくれよ〜。だそうだ。共通しているのは話の中身にオリジナリティーがないために、何とか個性的にしよう装飾していること。それとここにはランキングされていないが、つまらないハナシであるにもかかわらず自分で話したあとに自分で必ず笑うやつ。


話題の人の似顔絵BLOG
●文書化   2015.02.11
文書化、つまり文字で書いてみて自分の考えをまとめるというのは仕事の基本だ。これをやらないで自分の考えを人様の前で発表するというのはいささか無謀である。というか何が言いたいのか伝わらない場合が多い。人間の考えというものは常に思いついたり思い出すことであり、無制限に枝葉が別れていくため、1本の「話」としてまとめ上がるのは至難の技である。文書化することで自分の考えや伝えたいことを整理整頓して1本のストリーとして構築することになる。「オレはペシャリで何とかする!」「私は話すことで相手に伝える!」とか言ってるヤツは文書化するスキルを持ってないための言い訳に過ぎない。小学校から読み書きを学んできた理由をもう一度考えてみよう。文書化することを億劫がってはいけない。


新座市に生息する動植物写真集
●オレが紹介した   2015.02.10
ある程度偉い地位にいるオッさんは、何かと人や会社を紹介したがる。既に誰に依頼するかは決まっているにも関わらず、違う(自分の知ってる)人を執拗に紹介したがる。そうすることでそのオッさんにも何がしかの金銭的メリットがあるのかというとそうでもないようだ。その紹介した人間が関わったプロジェクトが成功したときに「オレが紹介した」と言いたいだけのようなのだ。そしてそういった紹介したがるオッさんに限って自分では何もしない。きっと「現場で汗する仕事からは引退し、人管理するエージェントとしてやっていこう!」というようなことを企んでいるのだ。ようするにもはや現場では使えなくなった人間である。人や会社を紹介したことで、本人はプロジェクトを成功させるために貢献したと思っているのだが、実際は「振り回して混乱させている」だけの場合が多い。


親子の似顔絵教室
●フォントサイズの可変   2015.02.09
Googleの「モバイル ユーザビリティを重視する理由」で「次の点で使い勝手を良くする必要があります。」とあり、その中で「拡大縮小が可能なフォント。」というのがある。しかし可変するにしても可変範囲をどの程度にするかは微妙なところ。あまり大きくできるようにすると5文字ぐらいで改行みたいなことになるし、あくまで一般的に「読みやすい」大きさに予め作っておくのが普通だろう。またユーザーにとってはその「フォントサイズ可変ボタン」がそのページだけのものなのか?そのサイト全体のものなのか?OS全般のものなのか?どこで元に戻すのか?が分からないので、かえって混乱するはず。特にスマホでこの可変ボタンの為にスペースを割くのも勿体無い。iOSの設定のアクセサビリティにも「より大きな文字」というのがあるが、これもどこまで作用するものか不明(調べれば分かるどろうけど)。実際にこの要件は満たさなくてもスマホでのGoogleの検索結果には「スマホ対応」という文字は表示されるようなので対応しなくても大丈夫のようだ。


コンビニ・スマホ・ホームページ
●スマホ対応   2015.02.08
Googleはモバイルでのユーザビリティを重視していく方針でGoogleの基準を満たしたサイトにはスマホでのGoogle検索結果に「スマホ対応」という文字が表示されるようになった。当然といえば当然であり世の中「ホームページ=モバイル(スマホ)」になりつつある。しかしどんな業種であろうが経営者が50歳以上のところはこの流れについていけないようだ。自分が使わないからスマホ用のサイトに興味がない、というか知らない。ガラケー使って人るも少なくないし。スマホ用のサイトの話をしても感覚的に「信じられない」ようだ。「オレはパソコン用だけでいい!」とか「スマホ用のページではテンション上がらない!」ってあんたのことではなくて世の中の動向のことを話ているんだけど。ネットショップなどでは近い将来スマホ用のホームページがないと売り上げも全く伸びなくなるはず。その時に焦っても遅いというか、その時は事業を辞めるか若い人に引き継ぐかのどちらかになるだろう。運転免許を持ってない人は運送屋はできない。


一般人の似顔絵
●名簿   2015.02.07
名簿を作る。そうすると100人に1人程度は見たこともない読めない漢字があるものだ。その漢字を漢字辞典でへんや作りや部首を調べて読み方に当たりをつけたところがフォントが小さすぎると画数が省略されたりフォント自体が対応していなかったりもする。どうにかこうにか正しい漢字をタイプアウトするまでに膨大な時間を費やす。日本は世界でも群を抜いて苗字(ファミリーネーム)の種類が多い。さらにキラキラネームなどが加わり事態をより複雑にしている。名簿一つ作るのでも英語圏に比べるとそこに費やす時間は格段の差があることだろう。名簿作りという特にクリエイティブでも建設的でのない事務作業にこれだけの手間がかかるという実情は何とか改善したいものだ。が、できないだろうな。


有名人の似顔絵
●写真   2015.02.06
ブログやFacebookを見ていると、明らかに写真の上手い人と下手な人がいる。もちろん使っているカメラによる差はあるが、基本的には「上手い人は10枚ぐらい撮って、その中から一番良い写真を選ぶ」のだが「下手の人は一枚だけ撮って、その写真を掲載する」という差である。センスとかテクニック以前の話だ。撮影する枚数は多ければ多いほど良いというのは極めて当たり前のことであり、一発勝負でアングルもタイミングもフォーカスも全て上手くいくということは有りえないのだ。そして下手な人に限って撮った写真を全て(シャッターを押した数だけ)掲載したりもする。これでは下手な写真が増えるだけであり自己満足以外のなにものでもない。「できるだけ多く撮って、できるだけ少なく載せる」が基本だ。


LINEスタンプ顔面遊離男
●オリジナリティー   2015.02.05
絵の得意は子供がいたとする。来る日も来る日も絵を描いていて「この子は天才だ!」「おおきくなったらピカソだな」とか言われるほどに絵が上手だった。しかし大人になった彼女は近くの運送会社に就職し事務の仕事をしている。なぜあれほど上手かった絵の道に進まなかったのか?と周囲は疑問に思ったが、実際に彼女のスキルではマンガのアシスタント、アニメーターの手伝い程度の仕事しか無かった。確かに彼女はめちゃくちゃ絵が上手かった。しかし上手いだけであった。そこにはオリジナリティーが全くなく、作品の全てが「模写」だったのだ。こういう人材は世の中に掃いて捨てるほどいるのだ。大切なのはテクニックではなくオリジナリティーだ。


話題の人の似顔絵BLOG
●シャボン玉   2015.02.04
中国人が作曲した曲が日本のパクリであったという問題。他国の事は言えない。日本の70年代フォークソングの中にはボブディランやビートルズの明らかなパクリと思える曲もある。当時はネットも無かったし洋楽を聞く人も限られていたしレコードとラジオ以外に聞く手段もなかったし録音できるような機材を持っている人も少なかった。そのまんま歌詞だけを日本語にしただけじゃん!という曲もあった。パクリではないが偶然にも非常に雰囲気の似た曲というのもある。野口雨情作詞・中山晋平作曲の日本の童謡「シャボン玉」とEric Claptonの「Tears in Heaven」だ。どちらもお互いを参考にしたとは思えないし時代も異なる。共通するのはどちらも幼くして亡くした子供を詠っているというものだ。


新座市に生息する動植物写真集
●ネットで売る商品   2015.02.03
ネットで商品を売れば従来のリアルでの販売に対してプラスの売り上げになるものと普通の人は考えるかもしれない。しかしネットでの販売を始めたところが全く売れないという商品も沢山ある。というかそういう商品のほうが多い。そもそもが需要が限られていて、しかも顧客のほとんどが高齢者であり、地元の人や地域の一部でしか知られていないような商品はネットで売るだけ無駄なのだ。かといって売る前から諦めてしまうことはない。ネットはどこで誰が見てるかわからない。地域限定の高齢者向けの需要が限られている商品をリアルで販売するためにネットで大量に「仕入れる」業者がいるかもしれない。極めて可能性は低いが、想定外に期待するのもいいかもしれない。


親子の似顔絵教室
●認知症になりやすい人   2015.02.02
「人は出世するためにみな嘘をついている」「人は信用できない」「人は自分の利益になることにしか積極的に動かない」などと思っている人は、そう思ってない人に比べて約3倍、認知症になりやすいそうだ。これは東フィンランド大学の脳神経学者チームが平均年齢71歳の1449人を対象に調査した結果だそうだ。認知症の原因には高血圧、高コレステロール、喫煙などがあるが、これらの要素も調整した上での結果だそうだ。認知症の症状の一つに、妄想や思い込みで他人を犯罪者のように極度に疑い糾弾したりすることがある。これはもともとそういう性格だったものが認知症になり理性の歯止めが効かなくなってそうなってしまったのか?、もともとそういう性格だったから認知症になってしまうことで他人からは「認知症だからしょうがないか…」と思わせ、本気での争いに発展させないための制御装置が発動したのか?、というと、なんとなく後者のような気がする。


コンビニ・スマホ・ホームページ
●まだざっとしか読んでないが   2015.02.01
「まだざっとしか読んでないが」とか「まだ詳しく目を通していないが」などという人はほぼ間違いなく「じっくり読んでいる」。そしてその内容に動揺して心中穏やかでない。その動揺を隠すために「まだざっとしか読んでないが」=「私にとってはさして重要なことではない」というポーズである。そもそも何十枚にも渡るレポートであれば「ざっと読む」こともあるとは思えるが、400字にも満たないメールであれば、一気に全文読めちゃうはずだ。「ざっとしか読んでなかったので改めて読み直してみると」なんていうのも怪しいものだ。読んで内容を理解するまでのプロセスは普通は相手に伝える必要などないはずだし、そこで自分がいかに冷静であったかということも伝える必要はない。読んで動揺したから冷静さを醸し出すような言い回しでカムフラージュしなければいけないほど動揺している証拠だ。


一般人の似顔絵
過去記事

メニュー



























.