2015年11月

●プロのピアニスト   2015.11.30
アマチュアのピアニストは毎日決まった時間にピアノを練習する。プロのピアニストは時間のあるときには常にピアノを弾いている。アマチュアのピアニストに自由にピアノを弾かせると、自分の弾ける曲を弾く。プロのピアニストに自由にピアノを弾かせると、まだ自分が弾けない曲を練習する。アマチュアは自分の成果に対して他人が褒めてくれることに喜びを感じる。プロは達成するまでの試行錯誤や壁にぶち当たりそれを乗り越えることいったプロセスを楽しむことに喜びを感じる。最も困るのは志しや実力がアマチュアのくせに自分はプロだと思っているヤツだ。


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●電話番号   2015.11.29
地方の地域活性化のホームページでは、そこにある施設や店舗の電話番号に市外局番が書かれていない場合がある。その地域に住んでいる人にとっては不要かもしれないが、県外に住んでる人は市外局番がわからければ電話はかけられない。自分たちがわかればいい!というわけにはいかないだろうに。ハトヤホテルの「電話はヨイフロ♪」にしても普通は伊東の市外局番など知らない。文明堂の「カステラ1番電話は2番♪」に至っては10桁のうちの1文字だけしか歌っていない。②だけをタップしても電話はかからないのだ。ちなみに地方の温泉施設で電話番号の下4桁が4126のところもある。そして今では「◯◯◯◯、◯◯◯、◯◯◯〜♪」というように10桁全てを歌っているCMが増えたのは当然のことである。


株式会社「かくの木」
●業界通   2015.11.28
どんな業界でもその業界に長く居るうちに業界の事情に詳しくなり業界通になる。そしてこの業界通は業界の全ての事象に対して否定的で悲観的になる。誰かが何か新しいことをやろうとするたびに「それは◯◯だからムリだ」「それは◯◯なので不可能だ」と言って否定するようになる。そして悪いことにそのことが正しいと自分では信じきってることである。そのことが実は「老害」と呼ばれていることも知らずに。


ふじみ一店逸品
●国勢調査オンライン   2015.11.27
紙に文字を書くというのは実に便利なもので、文字が間違っていようが、汚くて読めなかろうが、未記入であろうが物理的に送信することができる。しかしネットではこれができない。オンラインの国勢調査でも未入力な箇所があると入力するまでアラート画面が表示され入力を促す。よほどヒマな時ならともかくクソ忙しいときに同居者の勤務先の市町村名まで調べていられないし、覚えてもいない。通常ネットショップでは未入力箇所に入力するよう促すアラートが3回表示されると、客は面倒くさくなって購入を止めてしまうと言われている。ということで国勢調査オンラインでも3回アラートが出たのでネットショップのルールに従うことにした。


話題の人の似顔絵BLOG
●新聞-2   2015.11.26
高齢者は生活パターンを変えることができない。だから毎朝新聞受けから朝刊を取り出してテーブルの上に広げて読むという習慣を変えられないのだ。ネットではとっくにニュースになっている半日遅れのNEWSとは言えないニュースをじっくりと読む。しかしその読んだ内容を覚えているかというとそうでもないらしい。ようするに、新聞受けのところに行く→朝刊を取り出す→居間に持ってくる→茶をすすりながら広げて読む。という一連のルーティーンの行動をとることで、精神が安定して健康維持のためにも役立つ。新聞はそのためだけにあるのだろう。


新座市に生息する動植物写真集
●新聞-1   2015.11.25
「新聞が無くなる!」とはもう10年以上前から言われていた。しかしそう簡単に無くすワケにはいかない。大量の紙が消費されて輪転機が回ってる間は、その「紙を印刷する」ことで生活している人もたくさんいるのだ。新聞の広告収入は購読数によって決まるそうだ。だから新聞社は「購読者数」とか「発行部数」を減らしたくないので、実際に購読された数ではなく、輪転機から出てきた部数を対外的にはアナウンスしてきたという噂だ。実際には誰にも読まれることなく廃棄処分される紙の量は半端ないらしい。そして新聞をとって読んでいる人といえば間違いなくパソコンもスマホもできない高齢者である。


ギフト似顔絵ルーム
●G-mail   2015.11.24
今ではほとんどの人がG-mailをメインに使っている。しかしMacユーザーの中にはMacOSにデフォでバンドルされているmail.appを使っている人も少なくない。Windowsユーザーの多くはOutlookに早々と見切りをつけG-mailに乗り換えたのだが、mail.appは問題も多いにしてもOutlookほど酷くはないので、とりあえず使えるということだ。またWebデザインの仕事をしている場合、複数のブラウザを常時起動してYouTubeやBlogger、Analyticsを使う際に、クライアントのアカウントでログイン、ログアウトを繰り返しているため、ブラウザ上で動作するG-mailは何かと使いづらい。メーラーとして独立したアプリであるほうが使いやすいしメールの見落としも少なくなる。しかしいずれにしてもメール以外のMMSやSMSやFacebookのメッセージやらSkypeやらtwitterとかから五月雨式に情報は飛んでくるようになってきているし、まあ完全に見落としを防ぐのも難しくなってはきているし。


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●お迎え   2015.11.23
畑仕事をしていた爺さんが突然仕事の手を休め「あ、お迎えが来た!」と言って、そのまま家に帰り布団に入る。そして次の朝には冷たくなって死んでいた、というようなことは実際にあったらしい。寿命を迎えたゾウが、自ら「ゾウの墓場」と呼ばれる場所に足を運んで死んでいくというようなことも実際にあるらしい。動物は本能的に自らの最後を知ることが出来るようだ。しかし現代人の多くは、あの手この手で延命処置がされるためにお迎えが来たシグナルを受信できなくなってしまっているのではないか。お迎えがシグナルを受信するためには、その瞬間まで健康で高感度なアンテナを立てておかなければいけないのだろう。ただし50歳過ぎたあたりから毎日何らかのクスリを飲んでいるようでは、その感度も落ちて、お迎えが来ても気づかずにいることになるのだろう。


一般人の似顔絵
●白人   2015.11.22
日本のゲームやアニメの主人公はほとんどがその外見が「白人」である。鼻筋の通った顔だけではない。プロポーションも8頭身で足が異様に長い。なぜ白人が受け入れられやすいか?と言えば単純に「カッコイイ!」からである。アメリカ等人種の種類が多い国ではなかなかわからないが、例えばドイツの北のほうなどに行くと、周りのほとんどすべてがアングロサクソンの白人であり、人間一人ひとりが実に「カッコイイ!」し「美しい!」のである。と同時に彼らから見れば、そこにやってきた日本人は「顔がたいらで目の小さい子供のような体型で表情に乏しい東洋人」でしかない。周りが全て白人なので、その東洋人っぽさも際立つ。ゲームやアニメで白人っぽい顔ばかり描いているイラストレーターに限って、その外見はより典型的な日本人だったりもする。プロポーションが8頭身で足が異様に長く鼻筋の通って彫りが深い顔のキャラがやたらと登場するアニメや漫画ばかりを見ているうちに「自分は白人」であると思い込んでしまっている日本人も少なくないようだ。しかし残念ながら「顔がたいらで目の小さい子供のような体型で表情に乏しい日本人」でしかない。


エルトゥールル号の響
●ケータイショップの店員   2015.11.21
小太りでメガネ、頭はやや薄めの見るからに「ヲタク」なケータイショップの店員。ある機種に不具合があったのでその件を質問したところ「そのような報告は受けていません」とのこと。「おいおいそれで終わりかいな?」という気分になる。接客業であるのならば「そのような報告があるかどうか調べてまいりますので少しお待ちください」とか言うのが普通だろう。しかしその店員は自分の接客態度に落ち度があるとは1ミリも思ってもいない。確かに昔のような「お客様は神様」的な接客は今の時代に必要ないだろう。しかし毎月通話料を払っている客が不具合を訴え、原因と解決策を知るために質問しているのに「オレは知らない」で終わらせようとしているのだ。パソコンショップでもそうだが、接客ができて、しかも商品知識がある人材を確保するのは難しいのだろう。だからとりあえず商品知識のほうを優先したリクルートがヲタクな店員を増やしているのだろう。


よくわかる実習 情報
●マルチタスク脳   2015.11.20
ネットではさまざまな作業が同時進行して一人の人間がこれに対応していくと、脳が「マルチタスク」の処理をしなければならない。しかしこのマルチタスクの処理に慣れてしまった脳は、ネットよりもペースの遅いリアルな社会に適応できなくなる恐れがあるらしいとのこと。確かにネットであればとりあえず「発信」して、そこで一区切りつけることができ、立て続けに「発信」することもできる。「受信」した内容についても、すぐに回答する必要もなく、自分のペースで自分の時間内に効率よく作業を振り分けることができる。いわば情報の大量生産だ。これに対し、リアルな社会では、相手にその場で伝えた内容に対して相手がどんな反応をするかは分からないし、即座に反応することもあれば、反応までに時間がかかることもある。情報の一品生産のようなもの非常に効率が悪い代わりに、奥の深い、レアな情報も得られることになる。この奥の深いレアな情報がネットでは得られなくなるのではないかという警鐘のようだ。


人生を変える似顔絵
●勤労   2015.11.19
人類以外の全ての動物には「勤労」という概念は存在しない。己を能力をフルに発揮するとすれば、それは食料を確保するときと、子孫を残すときだけだ。そして人類の中にも「食料の確保」と「子孫の繁栄」以外には能力を使わないという人間もいる。「勤労」をしないで「食料の確保」ということは、ようするに「貰う」か「盗む」ということだ。そして「盗む」ために他人の命を奪うということもあり、「貰う」ために競合する相手を殺すということも有りうる。人類の場合はこれらの行為は「犯罪」となり、見つかった場合は「罰」を受けることとなる。しかし人類以外の動物では、他の動物を殺したところで「犯罪」にはならないし「罰」を受けることはない。人類と他の動物とに「差」あるとすれば「勤労概念の有無」と「殺したときの罰の有無」だけである。思っているほど人類は偉くはないし、他の動物に近い生き物であるように思える。


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●デジタル健忘症   2015.11.18
現代人はあらゆる情報をインターネットで探そうとするが、そうして見つけた情報はすぐに忘れられてしまうようなのだ。ロシアのコンピューターセキュリティ会社カスペルスキーは、16歳以上の6,000人を対象とした国際的な調査を実施した。その結果36%の被験者が何かを思い出そうとする前にGoogleで検索すると回答した。確かにその方が早いし正確である。しかしこのことが日常化してくると、人間は何かを思い出そうとする努力を怠るようになり、その結果、思い出そうとする能力も低下してくるのではないか?と心配になる。一方では、そもそも人間には「知識の集積」というものは不要になり、必要な情報をいかに素早く正確に探せるか、という能力だけを身につけておけばオーケーという時代になりつつある、という考え方もあるようだ。


株式会社「かくの木」
●混線   2015.11.17
メールマーケティングは終わったと言われて久しいが、情報送信手段がバラバラになってきて不達(見てない)のケースが多くなってきた。そして何を使うか?は人によって考え方もまちまちで、どれが正しいかと言うこともできない。LINEはアカウントを広く公開している人が少ないし、Facebookのメッセージは常にFacebookにアクセスしている人でなければ受信できないし、SMSはスマホを常に使っている人でなければ見逃すこともあるし、G-mailも常時ブラウザを起動していないと見逃すこともある。twitterもskypeもinstagramもそのアプリを起動していなければ通じない。E-mailが主流だった時代にはメーラーさえ起動しておけばメールを見逃すことはなかったのだが、今はどこからどんな情報が飛んでくるか分からない状態だ。特にパソコンの前で1週間籠城して作業を続けているような人間は、情報から隔離されてしまう可能性が高いようだ。


ふじみ一店逸品
●丸投げ   2015.11.16
どう見ても企画力も無ければ事務処理能力も低い人間に特定の企画業務を丸投げする。到底その業務は達成できるわけがないし、満足のいく結果が出せるわけがない。と、丸投げしたほうもそのことは分かって丸投げしている。そうすることで丸投げされたほうが自分の能力のレベルに気づき、社内での自分の在るべきポジションを改めて認識させるために与えた「試練」のようにも写る。しかし実際には丸投げしたほうが、単に自分の手に負えない業務を、わざと出来ないであろう人間に丸投げして「◯◯◯に検討するように強く言ったんだけど、全然やろうとしない!」などと言って責任を回避しているだけの場合のほうが多い。


話題の人の似顔絵BLOG
●鉄道技術   2015.11.15
先日、インドネシア高速鉄道の受注が日本ではなく中国に決まり、「インドネシアは安全性を犠牲にして安さを選んだ」と批判する声が上がっているが、日本の鉄道技術は世界一と言われているにもかかわらずコストパフォーメンスでは中国に負けたということだ。このことは既に20年前に日本は液晶テレビ等の家電製品では十分に痛い目を見て経験してきたはずである。技術力だけではシェアは取れないということを。増して鉄道の日本製のシェアは世界のほんの僅か。鉄道技術は世界一とか言って威張っている場合ではなかったはずだ。そして中国製=低品質という概念も捨てるべきだろう。中国では2011年に40人が死亡する事故を起こしたが、これは鉄道運行の基本を無視したヒューマンエラーが原因で技術不足ではないというのが世界の共通認識だ。中国には数多くのブランドがあり、中には低品質のものもあるが、トップブランドは品質が低いわけではない。1980年代の日本製の家電製品でも酷い品質のブランドも実際にはあった。


新座市に生息する動植物写真集
●生業と私生活   2015.11.14
「お父さんは米屋なのに、朝、パンを食べる」←実際に小学生の書いた作文に矢野顕子が曲をつけて歌っている。米屋なんだから売れ残ったり余った米を食べたほうがいいんじゃないか?という素直な疑問なのだろう。一日中パソコンに向かって「CG」「DTM」「動画編集」「建築パース」「CAD」「データ管理」などをやっている人は意外とメールの使い方に疎かったり、SNSには参加していなかったり、ネットで検索する方法を知らなかったりする。目の前にパソコンがあるんだからついでにやればいいじゃん!と思うかもしれないがそうはいかないようだ。いっしょくたにすると生業と私生活、業務とプライベート、仕事と趣味の区別が自分でも分からなくなるのかもしれない。しかしそのことが客観的に見ると非常に非効率で無駄が多いようにも見えることもある。ちなみに運送屋で会社まで電車で通うドライバーは滅多にいないようだ。


ギフト似顔絵ルーム
●意識とコントロール   2015.11.13
米サンフランシスコ州立大学のエゼキエル・モーセラ博士によれば、意識とはすでに決定された物事を認識して、それを自分が行ったと主張するだけの受動的な機械に過ぎないのだそうだ。意識的な思考が自分の行動をコントロールしていると考えている人は多いが、そうではないということだ。ほぼあらゆる決定や思考は、無意識に機能している様々な部位で実行されている。そして、そこでなされた決定に基づいて肉体的な行動に移ろうとしたとき、あたかも有権者が選挙の投票会場に向かうかのごとく、無意識の意見が「基地本部」に送られるそうだ。この「基地本部」は無意識の会話に耳を傾けているが、そこに参加することはない。ただ、様々な意見が統合され、最終的な結論が出される会場を提供するだけだ。無意識下でどのような肉体的行為や反応をするのか決定されると、その拠点、すなわち意識がその仕事を実行し、まるで自分で問題を解決したかのような錯覚に陥るとのことだ。他人の成果をあたかも自分がやったかのように吹聴すやつを責めてはいけない。


コンビニ・スマホ・ホームページ
●植物の名前   2015.11.12
植物はどんな種類であっても己が生存して子孫を残していくために必死に生きている。その活動が人類にとって「良い」とか「悪い」とかとは関係の無い。しかしその植物に名前を付けるのは人間である。犬も猿も熊も植物に名前をつけたりもしない。従って全くもって人間の都合のみで名前を付けられた植物というのもある。家畜が食べると場合によっては中毒死することもあり、地下茎を張ってあっという間に繁茂して除草剤も効きにくい。→『悪茄子(ワルナスビ)』。夏から秋にかけ、小さな花を咲かせる雑草で、掃き溜めで発見されたことからこの名前が付いた。→『掃溜菊(ハキダメギク)』。継子は昔から「憎い」存在であったらしく、憎い継子の尻をこの草で拭くという棘だらけの茎や葉から由来する。だからと言ってこんな名前を付けることも無かろうに。→『継子の尻拭い(ママコノシリヌグイ)』。身近にある汚いものの代表は「屁」と「糞」であろう。だからと言って、そのまんまの名前を付けることもなかろうに。→『屁糞葛(ヘクソカズラ)』。いずれもごく普通に日本で見られる雑草であり、食用や薬用にはならないが、見た目が特におどろおどろしいとか醜悪なわけでもない。しかし本人(その植物)は、よもやそんな名前て呼ばれていようとは知る余地もなく、今日も可憐な花を咲かせている。


一般人の似顔絵
●高齢化社会   2015.11.11
高齢者は変化を嫌う。例えば選挙で国のある制度が変えることを提唱する候補者がいたとする。しかしその候補者が仮に当選したとしても実際にその制度が変わるまでには数年はかかる。どんなに素晴らしい制度であったとしても、それまで生きていなければ恩恵にはあずかれない。それに素晴らしいかどうかはやってみなければ分からない。だからリスクの少ない現状維持を高齢者は選んで当然である。そして高齢化社会が進むにつれ、選挙の投票に行くのは高齢者ばかりになる。投票日の若者は、休日出勤の時もあれば、家族サービスに充ててることもあれば、じっくり休養するための大切な休日であったりもする。増して都内に勤務していて都外に住んでいる若者にとっては地元のことはほとんど知らないし興味もないのだ。高齢化社会になるに従って、改革はしずらくなり一層の硬直化が進むようになるだろう。


エルトゥールル号の響
●自慢   2015.11.10
SNSで「自慢はしたいがあからさまに目立ちたくはない」ということで、例えば「車の窓から大好きな東京タワーが見える」と投稿された車窓写真によく見るとフェラーリのダッシュボードとエンブレムが写り込んでいる。というようなものを「間接自慢」と言うらしい。確かにフェラーリを所有しているといことは自慢に値するかもしれない。しかしその自慢野郎はフェラーリを設計したわけでも製造したわけでもない。お金を沢山出して購入しただけだ。仮にピカソの「ゲルニカ」を所有していた人がいるとしよう。日本円に換算すると100億以上にあるだろうと言われている。その所有者に対し周囲の人は「ゲルニカ」を所有していることを褒め称える以前に、「ゲルニカ」の芸術的価値について語り合うことだろう。所有している人というのは、それを作った人に比べれば賞賛の値ははるかに低いはずである。それを所有しているというだけであたかも自分が生み出したように自慢するのは嫌われることだろう。かといって「間接自慢」は更に嫌われるだろう。


よくわかる実習 情報
●ユートピア-2   2015.11.09
では将来的にユートピアを実現することは可能か?まず我々が生きている間には不可能なはずだ。そして一番の問題は人口であろう。世界の人口は2015年現在約70億であり、これが100億になるのは2050年ごろだと予想されている。こんなに地球上に人間がいたのでは、そりゃ食料や資源も不足するし、生きるために他人を傷つけたり殺すやつも後を絶たないし、戦争や紛争のネタも尽きないはずである。ユートピアが出版された1516年の世界の人口は6億人程度であったらしい。その時に『人口爆発の起きない理想郷』を提案しておけば良かったのかもしれない。ただし今現在生存している人間のほとんどが「人口爆発」によって生まれた人間だ。


人生を変える似顔絵
●ユートピア-1   2015.11.08
ユートピアは、イギリスの思想家トマス・モアが出版した著作『ユートピア』に登場する架空の国家の名前。現実には決して存在しない理想的な社会として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうものであった。しかし読み進むうちに「無理があるなぁ」と思える箇所も登場してくる。例えばユートピアの便器は純金でできていて、これは人間の金(きん)に対する物欲を無くすためだそうだ。価値の高いものに便をかけることで解消できるほど人間の物欲は単純な問題ではないように思えるのだが。このようにユートピアでは現実社会の問題点を1つずつ潰していって理想郷を理論的に構築していったものだが、現実社会の問題が実に複雑で一筋縄では解決などできないように、いくらバーチャルであっても社会という複雑なシステムを矛盾のない辻褄の合うものに仕立て上げることが、いかに難儀なことであるかが良く解る。ちなみにユートピアが出版されたのは1516年で日本では室町時代である。これが2015年の今に今現在の社会をターゲットとしたならば、まとめることは更に難儀で、もしかすると不可能なことかもしれない。


WebDesign
●ETER9   2015.11.07
もし自分が死んでしまったらFacebookの管理はどうしよう?と悩んでいる人たちに朗報(と言えるかどうかはビミョー)。あなたの人格やあなたのオンライン上での習慣を全て学んだ人工知能が、あなたの死後もサイバー世界であなたに成り代わって投稿したりコメントするというのがこのETER9だ。ETER9は人工知能が中心的な要素となるソーシャル・ネットワークで、本人がいない場合でも、バーチャルの「仮想人格体」が本人に代わって投稿や書き込みをしてくれる「カウンターパート」というものがシステム上のみに存在する。そしてまるで本人のように振る舞い世界と交流してくれるヴァーチャルな人格だ。カウンターパートは、あなたの行動や表現を観察し学び、あなたがこの新しいソーシャルネットワークを使うほど、カウンターパートはあなたについて学ぶことができるそうだ。これで「永久不滅」が手に入るとのことだ。「ETER9」はポルトガルのIT業者、ヘンリケ・ジョルジが立ち上げたソーシャルネットワークで、まだ試験サービスの段階だが、すでに5,000人以上の人が登録しているそうだ。


株式会社「かくの木」
●カメラマン   2015.11.06
「カメラマンという言葉はステレオタイプにならないのか?」とカメラマンに聞いたことがある。「なぜかカメラマンはずっとカメラマンなんですよ」との答えだった。2年ぐらい前のハナシだ。しかし最近になって業界では「カメラパーソン」という言葉が使われるようになった。数ヶ月前に乙武洋匡氏が「言葉狩りではないか?」とツイートして話題になった。「カメラマン」がステレオタイプであるかないかは別にして、何も「マンホール」→「パーソンホール」というように「パーソン」にすれば良いというモノではないように思う。「フォトグラファー」という言葉もあるし、動画であれば「ビデオグラファー」という言葉もある。もっとも現場では「カメラさんは?」とか「カメラは誰?」というように「カメラ」だけで人を意味する言葉としても使われるが、この場合の「カメラ」は動画を指す場合のほうが多いようだ。であれば静止画を「カメラ」または「スティル」、動画を「ムービー」または「ビデオ」と呼ぶことでステレオタイプは回避できるのではないか?いや、単に「マン」をとって全部「カメラ」で統一しても良いのでないか?そもそも胃カメラを撮る人は「胃カメラマン」とは呼んでいなかったし。


ふじみ一店逸品
●準備   2015.11.05
ある作業を依頼される。しかしその作業をするにはAさんがその前の下拵えをして、その下拵えを受け取ってからの作業開始となる。賢いBさんはAさんが作るであろうモノと似たようなモノを自ら作って作業のシュミレーションを行い、問題点、不明点を予め確認し、対処方法も解決方法も予め考えておいた。従ってAさんから下拵えを受け取った後の作業はスムーズに進み、納期までに完成度の高い成果物を納品することができた。一方能天気なCさんは「どうせAさんから下拵えが来るまでは、な〜んにもできないし!」と遊びほろけていた。結果はだいたい想像がつくことだろう。納期に間に合わない人はだいたいこんなパターンである。一方納期を守る人というのは常に「今、なにが出来るか?」ということを考え準備をしている。


話題の人の似顔絵BLOG
●シャンプー   2015.11.04
女性が多い家庭の風呂場で男が身体を洗おうとする。ところが大量の石鹸の部類らしきボトルはあるのだが、どれを使っていいのやら全く分からない。そもそもボトルに書いてある字が小さくて見えない。見えたとしても横文字なので読めない。読めたとしても意味がわからない。コンディショナーとかボディーソープとかトリートメントとかエッセンシャル何とかとかモイスチャー何とかとか弱酸性何とかとか「普通の石けんはどこや!」ということになる。「もっと分かりやすい字で大きく書いてあるシャンプーとかあったらいいと思いませんか?」と彼女たちに聞いてみると「そういうのがあったら買おうと思う」と答える。しかし騙されてはいけない。彼女たちは絶対に最終的には小さく横文字で商品名が書いてあるシャンプーを買うのだ。なんせ「天使の〜」と名前がついただけでそのブラを買うくらいなのだ。到底重くて飛べそうにないにもかかわらず。


新座市に生息する動植物写真集
●ヒットエンドラン   2015.11.03
野球で、投球と同時に走者が次の塁へスタートし、打者はその投球を打ち進塁を狙う戦術のことをヒットエンドランという。また戦闘機が目標となる敵機を見つけたら上空から一気に襲いかかって射撃を浴びせ、敵の前に出るより先に、急降下のまま逃げていく戦法のことをヒットエンドランとも言った。旋回性能は劣るが、速度が速く、重火器を装備したロッキードP38などが得意とした戦法で日本語では一撃離脱戦法などと呼ばれた。鳥居みゆきの「ヒットエンドラン」は、そもそもが意味不明であるが「HIT&RUN」→「打つと走」→「鬱と躁」…ではないのか?という説もある。いずれにしても「どっこも面白くない」と多くの人が感じていたギャグであろう。仕事においてもこの「ヒットエンドラン」を使うヤツがいる。アイディアが出ずに、みんなが煮詰まってる会議の席に旋風のごとく現れて、ささっと問題を解決してみんなが目を丸くしているあいだに疾風のように去って行く。そんな自分が「カッコイイ!」と思っているヤツだ。多くの場合、疾風のように去って行ったあとに、根本的なことが抜けていたことや、一瞬「画期的!」と思えるが現実的には不可能なアイディアであったり、そもそもが「お呼びでない!」内容であったりする。結果的には「周囲を混乱させるだけ」「みんなに余分な時間を使わせる」だったりもする。ちなみに「ランエンドヒット」は、ランナーが走り、ストライクだけを打っていく戦術。 ヒットエンドランはボール球がきた場合に空振りしてしまうこともありリスキーな戦術だが、ランエンドヒットならボール球は打ちにいかないのでリスクが少ない戦術だ。しかし考えてみれば、それって通常の盗塁と同じこともになる。


ギフト似顔絵ルーム
●ブルーバード   2015.11.02
日産自動車が2001年まで生産・販売していた「ブルーバード」というクルマがあった。もちろん英語圏の人に「blue bird」と言っても「青い鳥」以外のものは連想しないだろうし、クルマの名前だとしたら「ちょっと恥ずかしい」とも思うことだろう。日産の「ブルーバード」が最初に発売されたのは1959年のことだ。当時の日本人は外人が「ブルーバード」というネーミングをどう感じるか?などということは一切考えなかったのだろう。単に英語である、ということと意味が分かるということで「ブルーバード」というネーミングを受け入れたのだろう。米国のIron Horseという自転車メーカーで「YAKUZA」シリーズというのがあってYAKUZA KUMICHO(組長)、YAKUZA OJIKI(伯父貴)、YAKUZA ANIKI(兄貴)、YAKUZA WAKA GASHIRA(若頭)、YAKUZA BAKUTO(博徒)、YAKUZA CHIMPIRA(チンピラ)、というのがそのラインナップだった。外国の文化をいきなりネーミングに取り入れようとすると、何だかおかしなことになるようだ。


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●瞬間的な目新しさに惑わされる   2015.11.01
素人のデザインの多くが失敗するのが「瞬間的な目新しさに惑わされる」だ。例えばウェブデザインで、画面の背景色を黄色にしてみたところ、これが非常に新鮮で目新しく感じられ、一気に全部のページの背景色を黄色に変更してしまう。ところが「黄色」はそのサイトのコーポレートアイデンティティーでもシンボルカラーでも何でもない。従って見た人に「何で黄色なの?」と聞かれれば、「何となく新しい感じがしたから…」という無責任が答えになってしまう。特に背景色のように広い面積の色は、パッと変わると非常にインプレッシブで新しく感じるが、色を変えた本人が感じるほど、見た人は感じないものだ。変えた人は変わった瞬間のドラスティックな気分を知っているが、見る人は「黄色いのか」という「結果」しか知らないわけで変わった瞬間の感動などは知る余地もない。制作者にモノを作っていく過程での大小様々な感動が与えられるが、それらは決して見る人と共有できるのものではないということを覚えておこう。


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