2017年01月

●お花畑人間   2017.01.31
ある若い女性が、足の病気で片足を切断しなければ助からないため、足の切断手術を受けることになった。ところがこの女性、自分の足が切断されて、これから一生、片足の無い障がい者として生きていかなければならないにも関わらず、全くもって落ち込んだ様子もなく、傷ついた態度も見せない。あまりにニコニコして楽天的な女性に先生が尋ねた。「これから一生、片足の無い身体になってしまうというのに、何でそんなに楽しそうにしていられるのかい?」すると女性は「だって先生、また生えてくるんでしょ!」。先生が、足は二度と生えてこないとの旨、説明すると、女性はエラく落ち込んだとのことだ。世の中が豊かになって、こういったお花畑人間が増えてきたのか?それともネットの普及でこういった実話(フィクションかもしれないが)が急速に広まるようになったのか?いずれにしても笑えないハナシであろう。

●無駄遣い   2017.01.29
日本の人口が5000万人を超えたのが1910年頃。最も増えたのが2010年で約1億3000万。そして2100年にはまた5000万を切ると言われている。日本の経済、産業、教育、福祉などは、そのほとんどがピークの1億3000万を想定して設計、発展してきた。それが絶叫マシンのように瞬間的に強烈なGを伴い減少するわけだ。乗っている人たちはたまったものではない。髪の毛は逆立ち、絶叫し、泣き叫び、嘔吐したり失神、失禁したりもする。例えば1億3000万のマーケットであれば1個100円で売っても利益で出ていた商品が、5000万のマーケットでは1個300円で売っても赤字になるという現象も現れることだろう。「作って損した」「維持ができない」「誰が使うの?」というものが日本中に溢れてくることだろう。日本全体が廃園になったテーマパークのような状態になるかもしれない。そうならないようにするためには、国民全員が「無駄遣い」をしないようにするしかないのかな。

●回答と質問   2017.01.28
メールでの質問。わざわざ分かりやすいように箇条書きにして質問項目ごとに番号を振っても、その番号通りに回答してくれない人。もしかして気に入らない質問なので、敢えて素直に回答してないのかと思いきや、そういうことではないらしい。その人のメモリーの量というかキャッシュに制限があり、マルチタスクではないために一度に処理できる情報量に限界があるのだろう。ところが回答するときのメモリーが貧弱な代わりに質問するときの処理能力は尋常では無い速度だったりもする。この矛盾は、ようするに「話をするのは好き」で「話を聞くのは嫌い」というだけのことのようだ。

●Wi-Fi   2017.01.27
Wi-Fiが飛んで無いのはカッコ悪い。だからいたるところでWi-Fiが飛ぶ様になってきた。ところがこのWi-Fi、一気に全国に普及するかというとそうでもない。「ホントにWi-Fi必要なの?」とか「じゃ、誰が使うの?」という意見もチラホラと聞こえてくる。そういえば数年前のカンファレンスや学会発表ではiPadを使う人を見ることができたが、最近はてっきり見かけなくなった。そもそもタブレットではノーパソのようなヘビーな使い方はできないし、スマホのように電話も架けられない。電子書籍も思ったほど普及してないし、Wi-Fiが無くても普通の人は困らないというのが実情なのだろう。ウェブのアクセス数を見ても「タブレット」は3年前からほぼ横ばいである。

●ナビ   2017.01.26
カーナビが今のように普及していないころ、クルマで遠出をするときには地図を片手にドライバーをナビゲートする「ナビ」をする人が助手席に座ったものだ。しかしこの「ナビ」はラリーのような本職ではなく、家族や親戚のうちの誰かや友達の一人が担当することがほとんどだった。「ナビやってよ?」「よっしゃぁ!」という感じで。ところが運転中を通して随時ナビをやっているかというとそうではない。居眠りしたり雑談したり何か食べてたりで、退屈してくると地図を見ながら「あれ?この道であってんのかなぁ?」とか「こっち行くと早そうだから行ってみよう!」とか言い出す。ドライバーが道に迷ったり、その道順で良いのかどうか不安に思っているときには爆睡していたりする。自分の都合の良いときだけ無責任なナビをするならば、いっそのこ常に一切の口出しはしないでいてもらったほうが有難いものだ。そんな有難くない「ナビ」が、どこの職場にも一人や二人はいる。

●レコード   2017.01.24
レコードとは英語の「Record」で「録音されたもの」の意味であったものが、「音楽の記録された塩化ビニールの直径30cmの黒い円盤」を意味する言葉となった。しかし1980年に登場した音楽CDによってレコードは一気に衰退し、さらにiTunesの普及により完全に過去の遺物となり「レコード大賞」という言葉だけが虚しく残った。そして巷ではレコードなるものは一切見かけなくなり、レコードプレーヤーはスクラッチ専用だけという状況になった。ところが最近になって、どうもこのレコードが復活する兆しがあるようだ。デジタル音源がコンピューターグラフィックスとすればレコードは油彩画のような表現力があるということが見直されてきたのかもしれない。見事に復活を成し遂げるのか、はたまた一過性のブームであり、また消えてしまうのか、今後の動向を見守った上で、我が家に大量にあるレコードを最終的に捨てるかどうかを考えることにしよう。

●勝手にハードルを下げるな   2017.01.23
素晴らしい企画書を作り、素晴らしい文章を書く人が制作したデザインが、笑ってしまうくらいにダサかったりもする。そもそもデザインというスキルは、プランニングやライティングと別物であり、その分野での専門的なノウハウが必要なものである。ところが文才と企画力がある人は「オレが考えてデザインしたものだから」という幻想と思い込みと、色々と勝手に構築した理屈によって、自分のデザインを「素晴らしいもの」と決めつけてしまうらしいのだ。いくら才能があっても基礎ができてなければ世の中には通用しない。自分の知らない世界のハードルを、自分の都合で勝手に低く設定してはいけない、ということだろう。

●文化の違い   2017.01.22
英語のTuna(ツナ)は、一般的に「マグロ」と訳されることが多いが、正式には、スズキ目サバ科マグロ属に分類される魚の総称で、5属14 - 15種が含まれるということらしい。具体的にはカツオ、キハダ、メバチもTunaということになる。日本人から見れば「マグロとカツオは全然違うじゃん!」ということになるが、英語圏の人から見ればColt(若い雄馬)、Mustang(野生馬)、 Stallion(種馬)は、日本語では全部ひっくるめて「馬」である。言語の違いというより文化の違いであろう。例えばWhistle(ホイッスル)もRecorder(リコーダー)も日本語では「笛」である。外人からしてみれば「全然違うじゃん!」ということになるだろう。

●科学的証拠   2017.01.21
科学的証拠をどんなに突きつけたところで頑なに自分の信じていることを曲げない人がいる。というかそういう人がほとんである。例えば「死」というのは科学的にはその有機体の機能が全て停止して2度と再生しない状態になることであるのだが、未だに多くの日本人は「成仏」とか「魂」というものを信じている。人は、事実がどうであるかということよりも、自分の立場のほうが大切なのだ。仮に科学的な「死」を肯定した場合に「墓参り」も「仏壇」も「寺」も必要無いということになる。だから事実がどうであろうと先祖代々受け継がれてきたことを多くの親類縁者の手前上、継承していかなければいけなくなる。だからアメリカ人の33%が未だに進化論を信じていない。恐らく彼らはキリスト教徒なのだろう。

●聖書   2017.01.20
多くの欧米のホテルでは、デスクの引き出しの中に「聖書」がある。これを読むか読まないかは自由だ。日本人のような無神論者は読まないであろうし、イスラム教徒やヒンドゥー教徒も読まないことだろう。人類は類人猿が進化したものであることは世界中の理科や歴史の教科書に書いてあるにもかかわらず、聖書には「この世は始まりはアダムとエバ」と書いてある。多くのキリスト教徒が世界を支配していたころ、進化論を唱えたダーウィンや、地動説を唱えたコペルニクスは、キリスト教徒の猛烈な反発に遭った。しかしコペルニクスがキリスト教に対する科学者の勇壮な闘争というモデルで語られることが多いが、これは19世紀以降に作られたストーリーであり、事実とは異なるそうだ。つまりそのころ既に「本当は地球のほうが動いているんじゃないかな…」ということをキリスト教徒も薄々気付いていたということだろう。いつの時代も「現実」は後の世代で語られるほどドラマチックではない、ということだろう。

●気まぐれ   2017.01.19
気まぐれな人には2つの種類の人がいる。①根っからの天然で気まぐれな人。②本来真面目で理論的で冷静で頭がいい人、だ。②の人は、周囲の人に「真面目で冷徹でとっつきにくい」と思わせないために、気まぐれでいい加減で衝動的な行動や言動で、相手を油断させたり、フレンドリーな印象を持たせるための演技であったりもする。または①の人を見て「あのように無責任で天真爛漫な性格であれば、さぞかし幸せであろう」と想像し、そうなってみて幸せかどうかを実験&実践している最中の人である。しかし②の人は、いくら表面的に「気まぐれ」を装っても、その裏にある「計算高さ」を完璧に隠すことはできない。

●スマホ対応   2017.01.18
正確なデータは無いが、現時点でのいろいろなサイトを見ると、ホームページのアクセスの割合は、ざっくり、スマホ:6、タブレット:1、PC:3、といったところだろう。スマホ対応が遅れているサイトの種類としては「中小企業」が最も多いようだが、そもそも中小企業のサイトは社長の自己満足で作っているところが多いので、スマホ対応されていなくても別段、問題も無いようである。次に「自治体公式サイト」である。自治体からの情報は今でももっぱら「広報誌」という紙媒体が主力である。サイトのアクセス数に占める割合の多くは「職員」だったりもするので、スマホ対応されていなくても、すぐに不利益を被る人は少ないのであろう。しかし「観光協会」のサイトがスマホ対応されていないのは大きな問題だろう。ノーパソ持参でやってくる観光客は限られているはずである。まぁ、内部の人間がガラケー族中心であれば仕方がないところでもあろう。

●マーク   2017.01.17
図形とかマークと呼ばれるものは、現物の形状をデフォルメして視覚的にわかりやすくデザインされたものが多い。トイレの男女のマーク、子供をモチーフにした横断歩道ありの道路標識、電車や汽車を図案化した踏切ありの道路標識、急いで走る人を図案化した非常口のマーク、タバコをモチーフにした喫煙所のマーク、車椅子をモチーフにした障がい者用のマーク、ゴミ箱をモチーフにしたリサイクルマーク、健康な人をモチーフにしたであろう特保のマーク、などがあるだろう。しかし星形の形をした星は恒星にも惑星にも存在しないし、人間に限らず地球上の生物の心臓はハート型はしていない。

●民度   2017.01.16
民度を測る基準は何か?①まず他人を殺さないようになること。例えば集団で一人の人間をリンチして最終的に殺してしまうような行為も含めてだ。②次に殺さないまでも、他人に暴力を振るったり、肉体的に傷つけたりしないこと。③その次が、他人のモノを盗まないようになること。④共生、協同、環境などを意識すること。と、だいたいこんなところだろう。世界中を見た場合には、まだ①ができない人たちが多いことに驚く。ネットの普及でその事実が明らかになったとも言えるだろう。そして、もちろん「戦争」も①に含まれる。そして④の次に来る、最後の⑤は「言葉の暴力も使わないようになること」かもしれない。これは現在の先進国と言われる国家でもまだまだ達成できていないところがほとんどだろう。言葉や文章相手を高圧する、叱咤する、威圧する、威喝するようなことを、しないで済むような国家になるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。

●「いいね!」ボタンに騙されてはいけない。   2017.01.15
ある投稿に100個の「いいね!」がついたとする。ではその100人がその投稿を読んでいるかというとそうではない。Facebookにアクセスする、自分の知り合い投稿に順番に「いいね!」をしていく。もちろん記事そのものは読んでいない。付き合いというか儀式というか習性というか。ようするに自分は沢山の「いいね!」をして、引き換えに自分の記事にも「いいね!」してもらい、Facebookというバーチャルの世界の中で輝きたいのだ。例えば「ネットショップをオープンしました!」という記事に沢山の「いいね!」がついたとしても、誰もそのネットショップには買いに来ない。「いいね!」はマーケティングとは全くの別物である。

●ホームページといえばパソコンで見るものと思っている人   2017.01.14
ホームページといえばパソコンで見るものと思っている人が未だにいる。そしてその人はスマホで見たときのことを一切考えていないから困るというか滑稽だ。①入力フォームにチェックボタンを付けたい→スマホの画面ではちっこ過ぎて押せない。②ポップアップウインドウで表示したほしい→そもそもスマホには別ウインドウという概念が無い。③フォームから添付画像を送れるようにしてほしい→スマホではファイルサイズの制限があるため、ほとんどの画像が送れない。④パンくずナビをつけて欲しい→スマホ画面では一瞬でスクロールして見えなくなるし、ちっこくてタップできない。などなどである。パソコン机の前でExcelで一仕事して「あ"ー疲れた!」とか言って机を離れソファーに寝転びスマホでウェブを観る。てな使われ方が主流ということを知らないらしい。

●逃げ道   2017.01.13
狩猟で獲物を仕留める一つの方法が「逃げ道を無くす」ことだ。逃げ道を無くされた獲物は、最後には狩人が銃を持って待ち構えている場所に出てこざるを得なくなる。自殺する人間も同じなのではないだろうか。どんなに辛いことがあっても逃げ道さえあれば救われた命というのは沢山あったのではないだろうか。頼れる人、愛する人、解放される場所や時間、現実から逃避できる場所や時間、などがあれが人は自殺などはしないはずだ。しかし現実から逃避したまま帰って来なくなるというのも困ったものだ。死んでしまうよりかはマシではあるが。

●理不尽で無理な要求   2017.01.12
納期ギリギリで理不尽で無理な要求を出してきて、言ってることが二転三転するクライアント。そのクライアントは果たして他の取引先や業者にも同じように理不尽で無理な要求を出しているのだろうか?答えはNoである。それなりの実力があり結果を残していて、ここにしかできない!という強みを持っている取引先には決して理不尽で無理な要求はしないはずだ。つまり理不尽で無理な要求をされるということは、基本的に「代わりはいくらでもいる」と思われ、「舐められている」ということだろう。クライアントの不平を言う前に、己のスキルアップに精進せよ、ということだ。

●政治家と芸人   2017.01.11
政治家の放つギャグは時として救いようのないくらいに、つまらなく、外れていて、寒いことがある。しかし聴衆は「つまらなく、外れていて、寒い」と分かっていても、仕方なく、つきあいで無理に笑ったりもする。政治家は芸人ではないのでギャグを放つ事は本業でもなければ、日夜「ウケるギャグ」を考えているわけでもない。そしてギャグの面白さと政治手腕とはあまり関係が無いものだ。そしてこのことと同じように芸人が政治について主張すること、なんてもんは、政治家から見れば「表面的で、勉強不足で、外れていて、寒い」ものなのだろう。だからお笑い芸人は政治については語らないほうが賢明である。

●ノーアウト満塁   2017.01.10
ノーアウト満塁は点が入らない、と言われている。しかし得点の可能性を感じる分、点が入らなかった時の印象が強いために言われているのかもしれない。またノーアウト二、三塁や一、三塁のときは打者を敬遠して満塁にすることもあり、点は入っていないがチャンスが膨らんだ感は強いために「ノーアウト満塁よりもチャンスが大きい」というような印象が強いのかもしれない。ノーアウト満塁以上の大きいチャンスは存在しないわけであって「一番凄いものは批判されやすいの法則」に従ったものなのかもしれない。昔どこかの大学生がノーアウト満塁、1アウト満塁、2アウト満塁の平均得点を算出した結果、それぞれ2.1点、1.4点、0.7点だったらしい。当然の確率であろう。印象ではなく統計で物事を語ったほうが絶対的に正確だという例だ。

●アナログ人間   2017.01.09
人とは実際に会って話すのが主義なので、とか書類は実際に紙にして見ないと頭に入らないとか、写真はパソコンの画面で見てもどうもピンとこないとか。「人とは実際に会って話すほうがいいに決まってる!」「書類も写真も印刷物のほうが見やすいいに決まってる!」ってなものだ。実際に会う時間も無いし費用もかかるからSkypeにしようと言ってるのだ。実際に会った成果が10とすれば、Skyeだってその半分ぐらいの成果は得られるはずだ。それを「実際に会って話すのが主義」とか言って、コミュニケーションしないままでいれば成果はゼロのままだ。書類も写真も同じことだ。費用対効果で考えるべきだろう。デジタルを生理的に受け付けないのは分かるけれども…。

●郵便ポスト   2017.01.08
毎年明らかに年賀状の来る数も出す数も減っている。10〜20代では1通も出さないという人も珍しくない。そして商店街ではシャッターを閉める店も増え、店が栄えていたころには多くの人に利用されていたはずの郵便ポストも汚れて煤けて錆が浮いていたりするようになった。「こんなポストに投函しても大丈夫なのか?」と思われるようになり、なおさら利用する人も少なくなる。ただしどなんなに薄暗い場所にある薄汚い郵便ポストであっても、投函した郵便物は大抵はちゃんと届くのだから大したものである。ちなみに「郵便」と「ポスト」は同じ意味であり、郵便ポストというのは重複表現になる。だからどうと言うこともないのだが。

●地方創生-2   2017.01.07
ヨーロッパでは町の中心には必ず教会がある。その教会を中心に町というのもが形成されている。町という集落に人が集まって住んでいて、町とそうでない部分(森や草原や畑)の区別ははっきりとしている。クルマで100km走れば次の町に到着するという感じで、町と町の間には基本的に何も無い。しかし日本では町とそうでない部分の差は曖昧である。住宅地はアメーバーのようにじわじわと広がっていき、住人が増えてくるとコンビニやファミレスができる。全国総郊外といった様相だ。そしてじわじわと広がってきた居住地域は、人口の減少とともに衰退し、空き家とシャッターの閉まった商店街となっていく。日本全国どこでも都心が、日本全国どこでもゴーストタウン、ということにもなってきている。いずれにしても人間は特定のエリアにある程度は密集して住まないと効率が悪い。そういう意味では、地方創生というのは非常にコスパの低い方策であろう。

●地方創生-1   2017.01.06
田中角栄の日本列島改造論では日本全国どこでも都心と同等の利便性とサービスが受けられることも目標としていた。高度成長期の右肩上がりの時代であればそれでいいのだろうが、高齢化と少子化が進み、地方の人口が明らかに減少している今の時代に「地方創生」という考え方は相応しくないだろう。地方に行けば役所には広大な駐車場があり、役人一人当たりの床面積は東京の3倍ぐらいはあるだろう。どこの地区にも立派な公民館や集会場が建設中であり、東京で稼いだカネが不毛な田舎に注ぎ込まれているのが現状であろう。地方は不便が当たり前。利便性を求めるのであれば都心に引っ越せばいい。というのが正論なのだが、そこは農耕民族。慣れ親しんだ土地からは離れることはできない。先祖の墓とかがあればなおさら移動したがらない。そして政治家はそんな地方の活性化と再生を支援したがる。当然のことだろう。地方の1票は都心の1票よりも数倍重いのだった。

●20年前   2017.01.05
ウェブサイトをデザインするには、HTMLとCSSを理解して、できればJavaScriptやCGIも使えるようにしたい。さらにはCMSが使えてPHPまで理解できていれば、それなりに立派なウェブサイトはデザインできるだろう。20年前であれば、とりあえずHTML1.0が分かりFTPを理解できれば、ホームページなるものを作ることができた。相当な進歩であると同時にホームページ制作というものが、かなり高度に専門職化したとも言えるだろう。20年前であれば、定年退職したおっさんや専業主婦の小銭稼ぎでも、頑張って勉強すればウェブデザイナーになれたが、今はそれなりの専門知識がなければ無理な話であろう。それだけに20年前のように、こちらが作ってアップするそばからホームページビルダーで次々と更新していくような無礼なクライアントはいなくなったようでもある。

●オリジナリティー   2017.01.04
オリジナリティーのある作品を作るのは簡単ではない。「作品」と呼ばれる制作物の99.9%はオリジナリティーが無いものである。本人的には一生懸命作ったのであろうが、じゃぁ、同じようなものや似たようなものを他の誰かが作れるか?と言われると、99.9%は「イエス!」ということになる。制作物はまずは「模倣」から始まる。その模倣した物をベースにして、そこからいかにオリジナリティーを出すのか、を模索していくことになる。ところが最近では、その「模倣」の段階で「パクリ」と称され叩かれてしまって、次のオリジナリティーのステップに進めない場合も多いようだ。従って「模倣」の段階の作品はSNSやブログで公開してはいけない。

●アドバイス   2017.01.03
どうにも行き詰まったてどうしていいかわからなくなったので何かアドバイスが欲しいという人。しかしそんな人の99%が結局こちらのアドバイス通りの行動はしない。本人にしか分からない事情もあり、その事情は全て的確に説明しきれないものであったのかもしれない。と同時に何が行き詰まったのか?何がどうにのならないかを説明しているうちに自分で解決策が見えてきたのだろう。大抵のことは冷静になって理論的に考えていけば、自ずと向かうべき方向性は見えてくるものである。そこで考えるという作業を面倒に感じて、他人に代行させようとしたから「アドバイスが欲しい」と言っているだけなのだ。多くの場合、こちらが親身になって考えるほどのことはない。

●SSL(2)   2017.01.02
→昨日の続き。ではなぜSEはSSL(TLS)を推奨するのか?それは「セキュリティは大丈夫かね?」とか聞いてくるエライさんに対して「はい。SSLで暗号化しているので心配ありません」と答えるためである。そして万が一漏洩した場合に「SLLで暗号化しているからウェブサーバーからとは考えにくい…」とか言うためである。いくらセコムで施錠したところで、その気になれば泥棒は入れるのだ。むしろセコムのステッカーが貼ってあることで「この家には盗まれたくない大事なものがあります!」ということをアピってるようなもんだ。

●SSL(1)   2017.01.01
メールフォームにただ漠然と「SSLを使えば暗号化されるから安心だ」と思っている人は多い。しかしSSLはあくまでもブラウザとサーバー間の通信を暗号化する技術だ。そしてメーラーとの通信にはサポートされていない。メールフォームでは送信後に入力内容がそのまま確認メールで送られてるのは普通であり、その内容は暗号化されていない。つまり「丸見え」ということになる。それで仮にフォームに入力した情報が漏洩した場合に「SLLだから安心だと思っていたのに何でやねん!」というふうに逆に信用を損ねることになりかねない。まぁ、とはいっても何処から何時漏れたか?などというこよは誰も分からないのだ。→明日へ続く。

BACK

メニュー