2017年5月

●努力   2017.5.31
なにごとも「努力」をしなけらば良い成果は生まれない。努力無しで素晴らしい成果だけを求めようとしても大抵はうまくいかない。そしてその「うまくいかない」ことのストレスのはけ口として他人を責めたり、罵ったり、もしくは自分が「いかに不幸であるか!」という運命に転嫁したりする。実際にそういう人はたくさんたくさんいる。素晴らしい成果を出す人というのは、「努力」を怠ってはいけないことを知っている人だ。しかし、一方では「努力は長い死への道のりを少しだけ楽しくしてくれる」ということを言う人もいる。

●撒き餌   2017.5.30
釣りを行う際に魚をおびき寄せるためにまく餌が撒き餌である。これは魚だけでなく人間をびき寄せるために撒かれることもある。本命の「餌」に食いつかせるために、売れないであろうことわかっているが、商品の種類の多く見せるための、自分だったら買わないであろう派手で目立つがセンスがない商品を、撒き餌とするわけだ。しかし人間には魚と違い、優れた学習能力があり、ある程度の未来を予測することもでき、さらには小売形態の主力がネットショップに移行するのに従って、撒き餌という伝統的な漁法は廃れつつあるようだ。

●画像認識技術   2017.5.29
Googleが画像認識技術を色々と採用している(AI化が進んでいる)らしいのだが、このことで、検索結果にも画像の有無や、その画像によってイメージできるものが結果に反映されるようになっているような気がする。今まで、ソースをじっと穴のあくほど眺めて検索結果に反映されるであろうポイントは探していたのだが、そこに画像データが加わるとは思っていなかった。そしてGoogleのAIが画像を判定しているというらしいという都市伝説が広がっていくと、良くも悪くもSEO業者の対応範囲がより広く抽象的になってくることだろう。それでもSEO業者は「Googleは画像を読まないのでGoogleからは画像の部分は真っ白に見える!」と言っている。仮にGoogleがエンコードしたソースから画像を推測しているとすると、けっこう凄いことになる。同時にSEO業者も立場がなくなるというもの。

●不安は騒々しい   2017.5.28
期末試験になると「オレ、全然勉強やってないし」「昨日徹夜でやろうとして寝ちまったし」とか言っているヤツが必ず居る。そしてそういうヤツは大抵ロクでもない点数を取る。「自信は静かで、不安は騒々しい」という格言にある通り、不安を払拭したいがためにベラベラと喋っているわけだが、それで払拭されるわけもないほどに確固たる現実的な不安のはずだ。しかし静かなヤツが自信たっぷりであるとも限らない。後手を縛られ、目隠しをされて、処刑台に立たされた死刑囚のように観念して静かにしている場合もあるようなのだ。

●追いつくまでのはあと30年はかかる   2017.5.27
フランスのある会社を訪問したときに、部長として紹介されたのが20代の女性であった。彼女は昼休みになると通常のスタッフ(日本で言えば平社員)と一緒にキャピキャピしながら昼食をとっていた。「管理職としての専門の教育を受けた、人の管理の専門家」だそうだ。これが25年ぐらい昔の話だ。そしてまだインターネットなどというものは世界に存在しなかった時代であるにもかかわらず、その会社ではパソコンからオンラインで飛行機のチケットを普通に予約していた。その会社は決して「大手」でもなければ「先進的」でもない、従業員50人程度の普通の会社であった。日本がこれに追いつくまでにはあと30年はかかるのではないか?と思ったのだが、チケットの予約については既に追いついたにしても20代の管理職を見ることはめったに無い。5年後はどうだろうか?

●遠近法-2   2017.5.26
→昨日の続き。人間は、その理論は理解していなくても「近くのものは大きく」「遠くのものは小さく」見えることは経験的に解っている。ところがそのことを解ってない人もいる。罪人の夫婦が地下の座敷牢に閉じ込められていたのだが、ある時、その夫婦が座敷牢の中で子どもを生んだ。そしてその子はその座敷牢の中で育った。10歳のとき家族そろって釈放されることになり、馬車に乗って夫婦の実家に向かった。すると馬車の中で少年が叫んだ。「止めてくれ!あの小さい橋の上を、こんなに大きな馬車が渡れるわけがない!」彼は10年間、狭い座敷牢の中しか見たことがなかったのだ。

●遠近法-1   2017.5.25
人間の目は「近くのものは大きく」「遠くのものは小さく」見えるようになっている。人間以外の動物も恐らく同じだろう。仮に近くのものを遠くのものも同じ大きさに見えてしまったら、というか実際に同じ大きさだったら、それはそれはタイヘンのことになる。幸い地球は丸いので、地平線の向こうのものは隠れて見えないが、隠れる手前の「モノ」はところ狭しと詰まって存在していることになる。そう考えると「遠近法」は実に良くできた法則だ。→明日に続く。

●そうはいかない   2017.5.24
舛添要一前知事時代に導入された観光ボランティアのユニホームの見直しが決まった。デザインとはコンセプト云々以前にカッコイイかどうかが最も重要であることが証明された一例だ。ネットが普及する以前であれば、多少ダサいデザインでも、プレゼンする人の手腕次第で何とかなったのであろうが、今はそうはいかない。佐野研二郎のエンブレムのときに「そうはいかない」ということが分かっただろうに。既得権のあるオッさんが決めたデザインは大抵がダサい。既得権のあるオッさんはだいたいにおいて造形的なセンスが無く、自分にセンスがないことも知っていて、デザインを理屈で考え、早く決めたいという気持ちが相まって、結果としてトンデモないデザインを選んでしまうことが多い。既得権のあるオッさんが決めたデザインでないデザインを選ぶことが賢明かもしれない。

●ポジティブとネガティブの割合   2017.5.23
悪い日が1日に対して良い日が5日未満出会った場合、何か月も何年も後に振り返ったときに、人は悪い日のほうが多かったと感じるそうだ。1回批判されたことは、5回褒められたことより、強く記憶に残るそうだ。普通に平穏な生活をしていても、たまに起こる悲しいこと、不幸な出来事は深く記憶の中に刻み込まれるとのことだ。逆の見方をすれば「あー、私の人生はなんて不幸なんだ。。」と感じている人のほとんどは、いたって普通の幸せな生活を送っていたりもするということだ。

●東芝の掃除機   2017.5.22
トルネオVという掃除機の問題はカラーバリエーションだ。シャイニーレッド・サニーブルー・グロッシーホワイト・オニキスブラック・サファイアネイビー・エメラルドグリーン・ガーネットオレンジ・トパーズイエロー・ルビーピンク。アメジストパープルの10色だ。嗜好性が低く、筐体の半分は黒いサイクロン部分むき出しの掃除機という製品にこんなに多くのカラーバージョンは必要ないだろう。ネーミングには凝っているが、全色並べるとクレヨンとかM&Mみたいだ。例えばiPhone7のカラーバリエーションは、ローズゴールド・ゴールド・シルバー・ブラック・ジェットブラック・レッドとなっている。ブルー系は含まれておらず、この6色を並べるだけで美しい。東芝のセンスの無さは相変わらずのようだ。

●altタグ   2017.5.21
altタグを書く理由は①画像が表示されるまでの時間にテキストが画像の内容を表示する。②視覚障がい者への対応。③コンピュータに、より的確にHTMLを理解させるため。などがあるようだ。①については今は相当にでかい画像でも一瞬で表示されるので不要であろう。②は、視覚障がい者が見ないページであれば不要であろう(階層が4つも5つもあるページでは視覚障がい者が記憶で頭の中にサイトマップを作らなければいけないので、現実的に階層の深いページは見られない)。③はコンピュータにとっては望ましいが、Googleのランキングにはほとんど関係ないはずだ。にもかかわらず多くのウェブ制作業者がaltタグを書く事を勧めるのは、基本的にウェブ制作の価格は制作時間である。全ての画像にaltタグを入れると、すっごく時間がかかる。ということだろう。すでに15年ぐらい前からYahoo! Japanのページでは「alt=""」というようにaltタグが空欄になっている画像がほとんどだ。Googleの例えば「広告」ページ(https://www.google.co.jp/intl/ja/ads/)でも全てのimg src=のaltタグは「alt=""」という空欄になっている。とにかく全ての画像にaltタグを入れると、すっごく時間がかかるので、その時間で他のことをしたほうが良いだろう。

●遊び   2017.5.20
今の子供は遊びを知らない。野っ原に連れていって「さぁ、好きに遊んでいいぞ!」と言っても、何をしていいのかわからない。スマホやゲーム機やタブレット端末がないのに遊べと言われても困る、のだそうだ。と、嘆いている大人を野っ原に連れていって「さぁ、好きに遊んでいいぞ!」と言っても、ゴルフクラブも釣竿も酒もないのに遊べと言われても困るのだそうだ。

●83倍ズーム   2017.5.19
2015年に発売されたNikonの「COOLPIX P900」というカメラがある。昔の35mmフィルム式カメラでの2000mmに相当する光学式のズームであり、一般的な天体望遠鏡に相当する。50倍とか60倍のズーム倍率(40倍ぐらいまでが光学式でそこから先はデジタルというものが多い)のコンパクトデジカメは各社から相次いで発売されているが、さすがに83倍というのは後にも先にもCOOLPIX P900だけのようである。そして最初で最後の超望遠とも言われている。発売から2年経って、値崩れもしていないようだし、他社が追従もしていない。さらに後継機は125倍ズームを採用との噂もある。もはや天体望遠鏡は不要となる。

●森友学園   2017.5.18
まだやってやがる…、というのが国民の大半の印象だろう。不正受給額はたがだか6000〜7000万円、国がどうのこうのと騒ぐ額ではない。関係者全員を証人喚問したところで真相が見えてくると思っている人は少ないだろう。まるで1950年の黒澤映画「羅生門」のようだ。一人の侍が殺害された経緯を色々な人が証言するのだが、その証言が各人の都合によって見事に食い違うということを描いた作品だ。検非違使で証言するのは、蒔き売り、旅法師、盗賊、侍の妻、死んだ侍(巫女が証言)。人は誰でもそれぞれの立場で自分が有利になることしか言わない、ということだ。籠池元理事長、元理事長の妻、近畿財務局、安倍昭恵、辻元清美の言うことが一致するとは思えない。嫁がグチる姑の話と姑がこぼす嫁の話が、常に正反対であるのと同じことだろう。

●自己嫌悪   2017.5.17
自己嫌悪とは自分で自分を嫌う感情のこと。 自分を責めたり、卑下したりして、嫌な気分になることだ。そしてこの感情は何かを生み出すこともなければ経験値として蓄積されることもない。深い自己嫌悪に陥ると、「なにもかも面倒になり」「なにもかも退屈になり」「なにもかも気に障るようになり」やがて「鬱病」になってしまう。しかし安心しても良い。「自分が嫌いなのは君1人じゃない。大勢の人間が君を嫌っている」からだ。

●生きる意味   2017.5.16
「生と死の極限状況に身を置けば、自分の生きる意味が見出すことができる」と思って、裕福で安定した生活を捨ててイスラム国(IS)のような組織に入る。「生きる意味」に関わる悩みは、ネットやSNSでは容易に回答は得られないからだそうだ。一方で「このまま生きていても、いずれは餓死する」「このままでは、どっちにしても誰かに殺される」という理由で入る組織が「アルカイダ」や「タリバン」だった。イスラム国(IS)は2013年ごろからインターネットを駆使して世界的に戦士を募集している。いずれにしても「生きる意味」に関わる悩みを、解決、相談、模索する窓口を、もっとたくさん設けておく必要があるのだろう。そしてこのことは「インターネット」では明らかに力不足で安直で軽いものであるようにも思える。

●安いカメラ   2017.5.15
安いカメラやスマホでは良い写真は撮れないと思っている人は多い。しかしあくまでも写真を撮るのは人間である。写真の良し悪しはシャッターを押した人間によって決まるのであってカメラの値段によって決まるものではない。その証拠に写真の下手な人間に高級一眼レフを持たせたところで絶対に素晴らしい写真は撮ることはできない。逆にプロの写真家はどんなに安いカメラであっても、それなりに素晴らしい写真は撮れる。良い写真が撮りたければ、高いカメラを買う前に写真の腕を磨こう!といっても人間はラクして高い成果を得たがるものであるので先にカメラを買う。

●企画ができる   2017.5.14
自称「企画ができる」という人の中で、本当にオリジナリティーのある企画の出来る人は少ない。大体は人の作った企画の組み合わせであり、どこかの雛形を流用したものだ。色々と考えた末に、結局は昔っからある企画の焼き直しであったりパクりであったりする。まずはパクリから始めるのがオリジナリティーではあるのだが、ほとんどの場合がパクリの段階で終わり、それ以上の発展も進展もないままに終息する。そういった自称「企画ができる」という偽プランナーの方々とは数多くお会いしている。

●CM   2017.5.13
テレビのCMがどんどんと長くなっているのには色々な理由もあるだろう。昭和のCMは便所に急いで行ってこないと本編に間に合わない、という恐れがあったが、今のCMではクソでもできる長さである。まぁ、便所でないにしても確実に一仕事できる時間である。コーヒーを入れる。カップ麺にお湯を入れて待つ。メールを読んで返信する。Facebookに1本投稿する。twitterに3本投稿する。着替える。食器を洗う。洗濯物を干す。マンガを1本読む。電話を1本する。などなどだ。今は確実な一仕事でできるのでトータルでの効率は良くなっているのだが、作る側としてはCMを見てもらえる可能性が減っているのではないだろうか。CMがどんどんと長くなっているのと同時にテレビの画質もどんどんと良くなっている。画質が良くなると当然のことながら目は疲れる。目を休ませるという意味でも長くなったCMは人に優しいとも言える。

●感謝   2017.5.12
「生きがい」「やり甲斐」を感じるときに「感謝されるとき」という答えが多い。裏を返せば「いかに感謝される機会が少ないか」ということになる。そもそも感謝は、口に出して、文章に書いて、するものではない。日常生活の中で、自然に行えばいいものであって、それが相手に伝わらぬとも、心の中で思えば良いことである。また、自分が感謝されているかどうかは、相手の態度や表情によって感じれば良いものであって、相手に強要するものでは、もちろん無い。そもそも「感謝されること」を望んでいる人たちは、それに見合うだけの感謝を他人に対して行っているのか?だから、子どもたちが親に「育ててくれてありがとう」と感謝を述べる行事である「2分の1成人式」などというアホな儀式を考えるヤツがいるのだ。

●遅刻   2017.5.11
先生が遅刻した生徒に尋ねる「なぜ遅れたのですか?」「僕が教室に入る前にチャイムが鳴ったからです。」もっともな答えである。これからの時代、人間が働く時間が徐々に減少し、いままでのように、きっちりと時間で管理される必要性も薄れてくるであろう。フレックスタイムも浸透し、テレワークも普及し、オンデマンドのコンテンツが一般化してくると、そもそも時間というものの概念も必要なくなってくるのではないか。そして人々は「急ぐ」という感覚もなくなり、人類全体が、のんびりとして、まったりとした時間を過ごすようになるのではないか。そして真っ先に無くなるのが「遅刻」と言う概念であろう。

●演出の都合でフル出演-2   2017.5.10
→昨日の続き。西部開拓時代の白人の乗った幌馬車がインディアンに襲撃されてライフルでの銃撃戦が始まる、というのは西部劇によくあるシーン。しかし代表的な「コネストーガ幌馬車」は1750年ごろが起源とされていて1820年頃に輸送手段として最も多くの需要があったらしい。その少し後に生まれたのがインディアンの中でも好戦的で有名なアパッチ族の「ジェロニモ」で1829年。そして「西部を征服した銃」として有名な「ウィンチェスターライフルM1873」は1873年製。というように、かなり近代になっても、必ずしも時代は一致していないものが演出の都合でフル出演させられろことはあるようだ。

●演出の都合でフル出演-1   2017.5.09
原始人と恐竜と火山がフル出演させられている映画とかが昔あった。原始人をホモ・サピエンスとした場合でも誕生は約25万年前で、6500万年前に恐竜が絶滅してから6475万年後であって、ほとんど「現在」である。また地球上で最も火山活動が活発だったのは2.5億年前だったそうだ。ただし火山は現在でもあるので原始人や恐竜と共演する可能性はなくもないが、少なくとも原始人と恐竜は同時に登場することはできない。ただし恐竜は無理にしてもマンモスは4大文明発祥のころまで生存していたという説もあり、サーベルタイガーは1万1000年前までの地層から化石が発見されているので、ホモ・サピエンスとの共演は可能であろう。→明日に続く。

●田舎者   2017.5.08
田舎から東京に出てくる。そして人の多さと新宿や渋谷の駅の広大さと複雑さにぶったまげる、というのは昔の田舎者だ。今ではむしろ田舎から来た人間のほうがきっちり下調べをしてくるから迷子になることは少ない。田舎者でもスマホとナビは持っているのだ。逆に東京近辺に住んでいる人間のほうが「行けば何とかなるだろ!」と高を括っていたところが本気で迷子になるケースが多いようだ(恥ずかしいので口には出さないが)。そしてSNSの普及で、田舎から出てきて人間関係が作れずに不安になる人が減少したために、新興宗教に入る若者も減少して、多くの教祖様が困っているようだ。というように色々な意味での地域格差はなくなってきていて、むしろ田舎者のほうがQOLが高くスマートだったりもする。

●BCP(事業継続計画)   2017.5.07
普通に一般的に使われる言葉になっているが、「企業が自然災害、火災、テロ攻撃などに遭遇した場合に、事業資産の損害を最小限にとどめ、事業の継続、復旧を可能とするために、その方法、手段などを取り決めておく」ことだそうだがどうなのだろうか?自然災害にもテロ攻撃にもその種類や規模が多すぎて決めきれないように思う。そしてそういった非常事態に機能を失わずに稼働できるシステムが「インターネット」のはずだ。従ってBCPをより完全に実行するためには世界中の企業が統合して1つの組織となり、さらに世界中に支社を分散させることになるのではないだろうか。では世界にはどのくらいの数の企業があるかというと、数えることは不可能であるらしい。企業は人間と違って死亡によって戸籍を抹消される事がないので、自主的に解散などの手続きをして抹消しない限り増え続けるそうなのだ。BCP(事業継続計画)するまでもなく、企業はその存在を継続できるらしい。

●ディストピア   2017.5.06
ディストピアは、ユートピアの正反対の社会である。 一般的には、SFなどで空想的な未来として描かれる、否定的で反ユートピアの要素を持つ社会という着想で、その内容は政治的・社会的な様々な課題を背景としている場合が多いとされているが、実際にはかなり抽象的で定義しづらい言葉である。ユートピアは「理想郷」という意味で、対義語があるとすれば「現実郷」となるはずだ。しかしディストピアは現実ではない。ユートピアが天国であるとすればディストピアは地獄というような位置づけのようだ。その前に、ユートピアが理想郷とされているが、全ての人間が理想とする社会などというのはあるはずもなく、それを理論立てて説明するために、かなり無理をして「それって、ありえないだろ!」的な内容も多々あるのがユートピアでもある。そう考えるとディストピアのほうが、現実的に「有り」かもしれない。

●SEO対策(3)   2017.5.05
→昨日の続き。一昨日の投稿で「1秒間に1000万ページを解析する必要があり」と書いたが、Googleでは100万台のコンピューターで解析している、との指摘があり「1秒間に1万ページを解析する必要があり」と訂正することにする。ついでに「JavaScriptだけで数百行のソースの中から該当するHTMLタグ」というのも、どうやらGoogleは画像も読んでいるようなので、JavaScriptの比ではないデータ量になる。画像データをエンコードして読んでいるとすると、一般的なjpgデータでは1〜100万文字に相当するので、とんでもない量の文字数になる。またFacebookやpinterestのように1ページのデータ量が、閲覧しているうちに過去に遡って延々と表示されるタイプのページも増えてきているので、いずれにしても1ページのデータを全て読み上げるというのは不可能なような気がする。とはいえGoogleのことだから全て読み上げているのかもしれん。

●SEO対策(2)   2017.5.04
→昨日の続き。多くの人が勘違いしているのが、『クロールしやすくする=ランクが上がる』ということで、この2つは実際にはほとんど相関関係が無い。もともとHTMLというのはコンピュータ(Googleのクローラだけでなく)が理解しやすい記述方法を推奨していて、それが<section>などの構造化タグ、<alt>タグ、“keywords”などのMETAタグ、<h1>などの見出しタグ、sitemap.xmlなどが「クロールしやすくする」に当たる。一方の「ランクが上がる」のほうは「ユーザーにとって有用である」が最優先され、「クロールのしやすさ」はプライオリティーがずっと下になる。従ってランクを上げるためにクロールしやすくするというのは決してイコールではない。仮に全く同じサイトであれば「クロールしやすい」ほうが多少はランキングに優先されるかもしれないが、それは些細なことであろう。なので、あいかわらず「h1タグがー」とか言っているSEO業者の言うことはもはや無視で良いだろう。→明日に続く。

●SEO対策(1)   2017.5.03
世界には10億のサイト(Internet Live Stats)と1兆のページ(2008年Google発表)があり、Googleのクローラが毎日廻ってるとすると1秒間に1000万ページを解析する必要があり、昨今のJavaScriptだけで数百行のソースの中から該当するHTMLタグがどうのこうのという解析は行ってはいないのではないかと想像する。ではどうしているかというと、全体の構成要素(テキスト、画像、動画、Script等)を大掴みにして、それをユーザーフレンドリーと照らし合わせて判断し、クローラが巡回しながら内容を学習していく、というなシステムになっているようである。そして今までのSEO対策として有効とされていたことや、SEO業者の言うことはもはや無視で良いかと思う。→明日に続く。

●方法は無い   2017.5.02
楽して儲かる方法などはほとんどない。考え、工夫し、失敗を重ね、努力してからこそ儲かる方法にたどり着けるのだろう。それでも稀に全く楽して儲かる方法がニュースになることもある。滅多に無い極めて珍しいことだからニュースになる。そしてニュースになった後で同じことをやろうとして失敗する輩が大勢登場したりもする。「勉強しないで頭が良くなる方法」「好きなものを食べてダイエットする方法」と並んで「楽して儲かる方法」は、世界の3大「方法は無いもの」なのである。

●ドローン   2017.5.01
無線操縦機のQueen Bee(クインビー)は女王蜂という意味。これに対して雄蜂がDrone(ドローン)ということになったらしい。もともとドローンは軍用の無人機として広く普及した「ターゲット・ドローン」と呼ばれる標的機であった。標的機とは機銃やミサイルの試射・射撃訓練を行う際に標的として使われる機体のことであり、第二次大戦末期に日本軍がアメリカ本土を狙って打ち上げた風船爆弾や、ドイツ軍のV1飛行爆弾なども、アメリカ軍、イギリス軍の戦闘機にとっては標的機としての役割も兼ねて撃墜されてもいたらしい。またハチの(ブーンという低い)羽音や、働かずに女王蜂を妊娠させるだけの雄のハチ、有益な仕事をせずに他とはわかれて暮らしている人などもドローンと呼ばれるらしい。ドローンとは非常に広義である。

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