2018年11月


●ふじみ野市   2018.11.30
埼玉県には富士見市とふじみ野市がある。富士見市はずっと前からあったが、ふじみ野市ができたのは最近である。富士見市ふじみ野東一丁目には東武東上線のふじみ野駅がある。従って県外の人はふじみ野駅はふじみ野市にあるものと思っている。富士見市の中にふじみ野という地名があることも知らない。そもそもが富士見市とふじみ野市が2つあることも知らない。富士見市を訪れた来賓が「本日はふじみ野市にご招待頂きありがとうございました。」などと間違って挨拶するのは日常茶飯事である。ふじみ野市は上福岡市と大井町が合併してできた市であり、名称は合併協議会委員による投票で最多得票で決まられたそうがだ、大勢の人間で決めると、大抵はロクな名前にならない。西東京市というバカボンのパパが考えたような名前になってしまった市も、比較的近くにある。


●関係者以外立ち入り禁止   2018.11.29
東京大学の赤門は「関係者以外立ち入り禁止」である。ところが実際には、多くの観光客や一般の人が自由に出入りしている。ある日、犬を散歩に連れて赤門からキャンバス内に入ってきた人がいた。ところがその犬が何かに蹴っつまずいて足を怪我したそうだ。そして犬の怪我を東京大学側のせいにして犬の治療費を大学に請求してきたそうだ。とそのことがきっかけで「関係者以外立ち入り禁止」と書くようになったとのこと。関係者以外立ち入り禁止の場所に勝手に無断で入ってきたあんたのせいで、あんたの犬は怪我をした、ということになるとのこと。東京大学にしては下世話な話しでもある。


●壁にぶち当たる   2018.11.28
絵が上手い人と苦手な人がいる。写生をしたとき、どちらが魅力ある作品を描くかというと、大抵は後者である。前者は「絵が上手い!」という自負がある。だから自分が描いた絵は「上手いですね」と褒められなければいけない。だから上手く描こうとする。上手く描こうとすると筆先のテクニックに拘る。自分の描いた線は美しく、洗練されてないといけない。自分が塗った色はクールで、バランスがとれてないといけない。だから紙と筆先ばかり見るようになり、モチーフを観察する時間が少なくなる。これに対し絵が苦手な人は、一生懸命モチーフを見て、見た通りに描こうとする。自分の絵がどう見られるかなどと考えている余裕はない。だから下手くそでも一生懸命さが伝わってくる魅力ある絵になる。ところがその魅力ある絵が他人から褒められるようになると、自分は絵が上手いものと勘違いして、筆先のテクニックに拘るようになる。そして魅力ある作品が描けなくなる。何事もそうだが「上手い」と言われようとするようになると上達が止まる。本人は「壁にぶち当たった」と言うが、その「壁にぶち当たった」ということ自体が、自分が上手いことを前提に言っている。


●面倒くさいヤツ   2018.11.27
「今日の夕方、何時だったら空いてる?」と聞かれて「えーと昼には◯◯に行って、その後◯◯さんに会う約束なの」。相手が聞きたいのは「何時」である。それを時系列で頭の中で整理してから「5時だったら空いてる」と答えれば良いハナシだ。この頭の中で整理するという行為を全部口にして、しかも相手の聞いていることに答えないから「何だか面倒くさいヤツ」と思われるのだ。さらに「自分はいつでも忙しい!」ということもPRしているので「やっぱり面倒くさいヤツ」と思われるのだ。


●異星人   2018.11.26
現在18歳の若者は2000年に生まれた。2000年には、まだtwitterもFacebookも使っている人はいなかった。GREEやmixiでさえもまだ無かった時代である。そしてWindows2000が発売された年でもある。インターネットではADSLが普及し「早くなった!」と喜んでいた時代である。携帯電話は3G時代になりつつあったがスマホはまだ無かった。そう考えると2000年が原始時代のようでもある。ところが現在18歳の若者が小学校を卒業するころ、インターネットは光が当たり前になり、パソコンのCPUの処理能力も格段に向上した。恐らく「パソコンやインターネット=遅くてイラつく」という概念は彼らには無いであろう。それだけでも彼らは異星人だ。


●Photoshopのタイムライン   2018.11.25
Photoshopのタイムラインのインターフェイスは、どこかで見たことがある…と思っていたのだが、それがiMovieであったことを思い出した。2001年、AppleはOS10に対応する動画編集ソフトの開発をAdobeに依頼した。ところがAdobeがこれを断ったため、キレたスティーブ・ジョブスは、仕返しにAdobeのFlashを使わないように呼びかけ、ブラウザのほとんどでFlashを使えないようにした。同時に「分かった!じゃぁ自分で作る!」と言って開発したのがiMovieだった。iMovieはMacOSに標準でバンドルされているため、多くのユーザーがAdobeのPremiereやAfter Effectsなどの動画編集ソフトを買わずに済んだ。と、ここまではAppleの勝利のように見えたが、ここにきてPhotoshopにmp4で書き出せる動画編集機能が加わったことで状況も変わってきたようでもある。というか、画像処理するアプリではmp4の書き出しが当たり前になってくるのだろうか。


●ドルガバのCM   2018.11.24
中国のドルガバのCMが問題になっている。箸の文化をバカにしている、とのことだが、それはその通りであろう。そしてそれは中国人に限ったことではない。日本人も同じだ。ヨーロッパでレストランに行くと、東洋人は隅のほうの席に座らされる。日本人は中国人のように大声で喋ったりはしないが「食べ方」については中国人同様、ズルズル音をたててスープを吸い込む。食べたものを口の中でいつまでもクッチャクッチャと噛んでいる。レストランによっては東洋人だけ、専用の部屋に隔離されていたりもしている。箸の問題ではない。「食べ方」のマナーの問題なのだろう。フランス人のカルロス・ゴーンが日本を舐めていたのも、このへんに根元があるのかもしれない。


●頑固   2018.11.23
老人は頑固だ。なぜ頑固なのかといえば、色々なことが面倒臭くなってきているからだ。色々なこととは、時代によって変化していく世の中の様々な事象のことだ。そして、面倒臭くなってきているというのは、その事象が変化した理由を調べて、感覚的にも理論的にも、そのことを理解して共有することが億劫になってきたということだ。その面倒臭さに比べれば、自分が今までに身につけてきた「考え」や「行い」を、「こうだ!」と言い切ってしまったほうがラクなのだ。老人になると体力も気力も衰えていき無理も効かなくなってくる。時代によって変化していく世の中の様々な事象を感覚的にも理論的にも理解するということが無理になってきた結果が「頑固」なのだろう。そして頑固を修正できたとしても、それまで生きていられる保証もないので、頑固なままでいるのだろう。


●中の下   2018.11.22
マーケティングは「中の下」を狙え。と言われている。「中の下」がボリュームゾーンであり、最も魚影の濃いところなのだ。ベストセラーの本を読んでみて「面白くもなんともない」と感じる人は、「中の下」以外のゾーンの人で、マーケティングの対象としては薄い場所に位置してるということになる。従って自分がどのへんに位置しているかということを理解しておかないと、色々と期待ハズレのことが起こる。といっても「中の下」の人の多くは、自分は「中の中、のちょっと上」と思っていることも留意しておくべきであろう。


●共感   2018.11.21
メールが来る。長文である。起承転結はしてはいない。何が言いたいのかも分からない。近況報告?相談?何かの依頼?愚痴?で、よくよく考えてみると、そのメールは「共感」を求めていることだということが分かってくる。Wikipediaによれば、”共感は、他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す。もしくはその感情のこと。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。通常は、人間に本能的に備わっているものである。”とのこと。今の時代、なかなか「共感」をしてくれるような人はリアルにはいない。だからネット上で「共感」を求めるようになったのだろう。あ、それでFacebookが「いいね!」ボタンを開発したのか。


●ウチは…   2018.11.20
最近はスマホの販売台数が頭打ちになり、アクセスログを見てもデスクトップとモバイルの割合もここ2〜3年、大きな変動もなく一定の数値を保っている。その要因の一つが「インドア・ジェネレーション」であるようだ。というような話しをすると、「ウチなんか家族全員がスマホだけで用が足りていて、もうパソコンはほとんど触らなくなっていますよ!」などと言う人がいる。そんなことは分かっているし、ウチだって同じようなものだ。ただそんな家族が大多数にもかかわらずスマホの伸びが止まっているのはなぜなのか?と考えたときに、インドア・ジェネレーションが浮かんできたということを言っているのだ。世の中全体の傾向の話をしているときに「ウチは…」という話しをされてもレスに困るというもの。「ウチは…」は、日本5千万世帯のうちの1/5千万の事例にしか過ぎない。


●ブラウザ   2018.11.19
ウェブブラウザにはどんなものがあるか?という質問をすると、ちゃんと分かっている人間は「Chrome、FireFox、Internet Explorer、Edge、あとOperaかな」とか答える。何となく分かっている人は「クロム、サファリ、エクスプローラーとかだよね」という感じ。分かってないのに知ったぷりする人は「グーグル、インターネット、ヤフー」とか答える。グーグル=Chrome、インターネット=Internet Explorer、ヤフー=謎?である。


●パソコンを使わない   2018.11.18
桜田五輪相の「パソコンを使わない」発言に、海外メディアもびっくり!国内でもびっくりしている人も多いかと思う。しかし特に驚かないという人も少なくないはずだ。なぜなら日本で政治家になるためにはパソコンは必須ではないからだ。事務員が後援会で名簿作りにExcelを使うくらいで、当選するためには、とにかく有権者との握手、街頭演説、駅立ちなどが効力を発揮して、ホームページでの効果は極めて微弱なのだ。そして投票に出かけて行くのは高齢者ばかりで、ICTの推進、とか子供へのプログラミング教育の推奨、などと言ったところで票には繋がらないのだ。欧米ではインターネットが普及する以前から飛行機のチケットはオンラインでキーボードを叩いて予約していたし、普通の人が普通にタイプライターを使っていた。それに比べると、日本はまだまだパソコン後進国なのだ。そしてあわよくば、このままパソコンとかインターネットとは無縁のまま一生を終えよう!と企んでいる高齢者がごろごろといるのであった。


●楽しみ   2018.11.17
人は何か次の「楽しみ」があると仕事も張り切る。しかし何も「楽しみ」の予定がないと、仕事にも生活にも張り合いがなくなる。本来であれば、その「楽しみ」を仕事の中に見出せば良いのだが、世の中の多くの人にとっての「仕事」は義務であり苦痛でありやらされてるものであるから、そこに楽しみなど見出せるはずもない。だからレジャーとか祭りとか旅行というものがあるのだろう。レジャーも祭りも旅行も「無くたって生きていけるもの」である。いっそのことレジャーも祭りも旅行も無くしてしまえば、人は仕事の中に「楽しみ」を仕方なく見出せるようになるのではないか?いやいや、それにはまだ千年早いような感じがする。


●圧力   2018.11.16
「上層部からの圧力があった」というと、さも上層部が自分たちの都合の良いように故意に操作した、みたいに受け取られる。しかし「圧力をかける」と「説得する」「強く推奨する」などとの違いは何なのだろうか?例えば担任の先生が私立高校に行くように説得したとしたら、それは「学力的に公立は無理なので、私立に行くことを推奨した」のであって、「圧力をかけた」という訳ではないだろう。しかし私立に行くように説得されたほうは、自分は公立に行きたいと思っていたのに、きっと先生は私立から賄賂を受け取って、私立に行くように斡旋しているのだ!などと妄想するようになる。自分の学力が低いということに触れたくないから、矛先を変えているだけなのだ。というようなことで「圧力があった」とか「パワハラを受けた」などと言っている事例は、たくさんありそうだ。


●虫   2018.11.15
虫は人間の体の中に棲み、その人間の意識や感情に影響を及ぼすものと、昔は考えられていた。カッとなって思わぬことを口走ってしまったり、暴力を振るってしまうような行為を「虫」のせいにしていたのである。腹の虫が治らない、というのも、本人的には冷静になっているものの、「虫」は怒りが治っていない、という意味である。いずれも虫のいい話である。虫唾が走る、というのは、その虫が出した酸っぱい唾液と考えられていたらしい。生命保険を解約した次の日に交通事故で死んでしまった人。虫の知らせがあったのだろうか。ん?逆だ。交通事故で死ぬ前の日に生命保険に加入するのが、虫の知らせ、のはずだ。いずれにしても人間の体の中には虫はいない。


●完成   2018.11.14
子供のころ、全ての物事には「完成」というものがあり、人はその完成を目指して何かを作り続けるものだと思ってきた。しかし大人になるに従い、全ての物事には「完成」などというものは無い!ということが分かってくる。子供に早くそのことを気付かせるためには、ぬり絵やプラモデルをやらせないことだ。


●なぜ謝らないのか?   2018.11.13
大人には大人の事情がある。何で素直に謝らないのか?なぜ正直に非を認めないのか?というような事象は絶えない。大人はしたたかである。どんなときにも冷静であり、計算高い。だから謝って非を認めた場合と、とぼけ通して話題とならなくなるまで待つのと、どっちが得か天秤にかけて考えた結果なのだ。謝って非を認めた場合には、本人だけでなく、家族や親戚、会社や取引先や金融機関、同僚や知人友人、など色々な人との関係に影響が生じる。であれば、とぼけ通して話題とならなくなるまで待つほうが得策であると考えるのも当然のことであろう。


●平均寿命(2)   2018.11.12
→昨日の続き。また、日本の厚生労働省が発表している日本人の平均寿命は、ある程度以上の年齢のデータについては除外して計算しているとのこと。これは、あまりに少数の高齢の人物のデータを算入すると、その生死によって寿命の統計が大きく影響を受けてしまうからである。そしてデータ除外の基準は年度によって異なり、例えば2009年度の調査では98歳以上の男性と103歳以上の女性に関するデータは取り除いているとのこと。つまり、日本の「平均寿命」は、正確なデータではなく、実態より短めに計算されていることになる。ようするに、平均寿命とは、かなりアバウトな数字であるようなので、細かいことを考えても意味はなさそうなのだ。


●平均寿命(1)   2018.11.11
明治時代の平均寿命は43歳、縄文時代は15歳、とか言われている。しかし80歳まで生きた人と、同じ数の子供が0歳で死んだとすると、平均寿命は計算上40歳になってしまう。0歳で死ぬということに、死産や中絶が含まれているかどうかも曖昧であるようだ。まして縄文時代のことなど分かるわけがない。現在でもアンゴラの平均寿命は40歳以下である。そして平均寿命とは0歳の平均余命のことである。仮に全年齢の平均余命を平均寿命としてしまうと、40歳の余命が40年ということになり、数値は一気に低くなる。じゃぁ、0歳とは生まれた瞬間なのか、1歳になる直前までの平均値なのか?ということで数字は変わってくるのではないか。となると、そもそも何で人間の年齢は0歳から始まるのだ?という疑問も生じる。生まれた瞬間から人間として存在しているのだから1歳でカウントすべきではないか?→明日へ続く。


●テレビのCM   2018.11.10
祝日の昼にテレビを点けた。どこにチャンネルを変えても見事なくらいにCMしかやっていない。NHKまでもが延々と番宣を流している。そして民放の番宣を含めたCMはさらに延々と続く。5分待っても「番組」らしきものが始まらない。こうなったらいっそのこと、民放は24時間CMだけを流し続ける、としてしまってもいいのではないかな。どうせロクな番組作れないんだから。新聞をとってる人も。記事を読むためではなく、折り込み広告を見るためにとっている、という人もす少なく無いのだから。


●漫画の実写映画化   2018.11.09
漫画を実写映画化するのは効率的だ。漫画という絵コンテが完成している段階からスタートできるからだ。小説などを元にストーリーは決まっていたとしても、そこから絵コンテを起こすというのは、時間もコストもかかる作業だ。そして実写映画化される元の漫画が、多少浮世離れしていても、シュールであっても、CGを駆使することで何とかなる。実際の現場で使われている絵コンテは、実にいい加減なものも多く、棒人間が手旗信号だったりもする。それがきちんとコマ割りされて、セリフまで活字で書かれた漫画になっているのだから、これをそのまま使わない手はない。しかしそうやって実写化された映画が、絵コンテ制作費を削減した分がクオリティに反映されているかどうかは別のハナシであるようだ。


●会議   2018.11.08
「みんなで忌憚のない意見を出し合おう」「もっと議論を深めよう」「とことん話し合って方向性を共有できるようにしよう」などの意見が会議の席上で出た。おいおいちょっと待て。今日の議題は「2020年度経営方針について」だ。会議の進め方が議題ではない。しかもこの会議は月例で開催していて今日で4回目だ。というように会議のための会議、会議のための議論、が実に多い。具体策を出さない、出せない人たちが、それでも自分の存在感を誇示したいがための不毛な意見だ。それと「議長」と「制限時間」と「議事録」が存在しない会議が実に多い。結局は一番偉いやつが一人で喋り、他の人間は早く終らせたいから反対意見は言わない。そしてその偉いやつは「みんなで話し合って決まったことだがら」と言い切る。そういうのは会議とかミーティングではなく、ただの与太話であり井戸端会議だ。


●自分に嘘はつきたくない   2018.11.07
自分のやりたいことをやる場合に使われるのが「自分に嘘はつきたくない」という言葉だ。ムカつくやつがいたから、ぶん殴って怪我をさせたのも「自分に嘘はつきたくない」からやった。ということになる。何かを「やりたい!」「やらずにいられない」となったときに、人はその「やる理由」を色々と考える。時にはそれが違法であってもだ。「悔いを残さないため」「家族を守るため」「死んだお爺ちゃんのため」「神のお告げがあったから」などなどだ。もっともらしい言い回しなのだが、自分のやりたいことをやりたいだけなのだ。


●漢字の読み方   2018.11.06
昔習った漢字の読み方が、今は違っているものも多い。「相殺」は「ソウサツ」でもOKになってるし、「出納」は「シュツノウ」でもOKになってるようだ。「耳ざわり」は「耳障り」と「耳触り」の両方が認められている。しかし未だに曖昧なのが「順風満帆」だ。ほとんどの辞書では「ジュンプウマンポ」は間違いだとされている。理由は音読みと訓読みが混在してはいけないとのことだ。なるほど、と思っていたのだが、その見解に対するツッコミもあった。じゃなんで「重箱」は「ジュウソウ」または「カサネバコ」とは読まないんだ?まさに重箱の隅的なツッコミである。が、いずれにしても昔習ったからといって、偉そうに「ははは、それはソウサイって読むのじゃよ」とか迂闊に言わないほうがいいだろう。確か「順風満帆」は「ジュンプウマンポ」と「ジュンプウマンパン」のどちらでも良いと習った記憶はあるのだが…と、記憶に頼るのではなく、ちゃんと現在の読み方を調べよう。


●質の良い人材を集める   2018.11.05
「質の良い人材を集める」とか言っている人がいる。しかし質の良い人というのは基本的に忙しい。なので今やっている仕事を辞めさせて引き抜かないといけない。当然それには、それなりの報酬と、業務の魅力が必要だ。で、忙しくない人間の多くは質が悪い。質の良くて忙しくない人間もたまにはいる。しかし業務の質は良いものの、人間性には大いに問題があったりもする。いずれにしても今の時代、大手企業が資本を投入して「質の良い人材を集める」というのであれば分かるが、個人や中小が「質の良い人材を集める」のは至難の技だ。それを簡単に「質の良い人材を集めて行うプロジェクト」などと企画書に書いたところで、絵に描いた餅にしかならない。


●ルールブック   2018.11.04
世の中自分がルールブックだと思っている人がたくさんいる。そういう人たちは、すぐに「あいつはダメだ」と言う。そしてそのダメな理由を聞いてみると、それは実に御無理御尤もなのだ。しかしよく考えてみよう。それはアンタのルールブックに則ったハナシだろう。世の中には色々なルールブックがあり、みんなそのルールブックに則って行動しているのだ。「何事も神に感謝しなければいけない」というルールブックもあれば「気に入らないヤツは殺してもいい」というルールブックもある。自分のルールブックを他人に強要したがる人っていうのは、単に、友どちがいないんじゃないかな?とも思えるのだが。


●著作権-3   2018.11.03
→昨日の続き。未承諾で勝手に使っているのではないか?と思われるものを日本でも数多く見ることができる。そして共通しているのが、その勝手に使っているであろう人たちに、全く罪悪感が無い!ということだ。断面がちびまる子の顔になっている手巻き寿司。石材店の店頭に置いてある石のドラえもん。ケーキにチョコペンで描かたミッフィーちゃん。アンパンマンの顔のアンパン。どれもぱっと見はかわいくて微笑ましく、制作者側から指摘されることも無いだろう。とも思っているようだ。ところが、こういったものの写真をInstagramやFacebookで堂々と公開しているケースも多く見かける。個人や家族で楽しむ分には問題ないが、商品として売っている場合は明らかな犯罪だ。しかもSNSで公開するということは、万引きした品物の写真を公開しているのと同じだ。海外の日本製キャラのパクりに対して文句を言っている場合ではない。


●著作権-2   2018.11.02
→昨日の続き。商工会のイベントで、子供向けのゲーム大会を企画し、成績優秀者に表彰状を出すことにした。そしてその表彰状にピカチューのイラストを入れることとなり、TV東京に電話して使用許可をお願いした。最初は先方も渋っていたが、商工会という公的団体が主催であること、子供向けであること、営利目的ではないこと、などを説明して、何とか使用許可が取れたという経緯がある。というように正式に許可をとることは非常に手間がかかる。そして目的がグレーゾーンな場合、電話をすれば、ほぼ間違いなく断られ、メールやFAXをすれば、ほぼ間違いなく返事が来ないということになる。→明日へ続く。


●著作権-1   2018.11.01
例えば個人商店でスタッフがピカチューのイラストを描いたPOPを店内に貼り出したとする。POPなので商品を売るという営利目的の行為であり、明らかな著作権法違反である。しかし権利者側からすればキャラクターの宣伝をしてくれているわけなので無下に指摘もしずらい。さらにこのような例は全世界に数限りなくあり、とてもじゃないが対応はしきれない。従ってよほど目に余る悪質な場合で無い限りは「黙認」ということになる。とはいえ段ボールで作ったピカチューを神輿に乗せ、祭りで町内を練り歩くという幼稚園。これも園児勧誘という営利目的行為であろう。この程度は「黙認」となるのだろうが、少なくとも教育施設なのだから、こういうことは自粛してほしいものだ。→明日へ続く。

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