2019年11月


●営業するデザイナー   2019.11.30
小規模な会社や事業所では仕事が途切れてしまったデザイナーが自分で「営業」することも少なくない。ところがデザイナーの本職は営業ではない。本職で無いが故に基本的に営業はヘタクソである。「仕事が欲しい」という気持ちがすぐに会話やメールの中に出てしまい、そのガツガツした貪欲な雰囲気が相手にバレてしまうのだ。世の中にひしめく海千山千のプロの営業とやり合うにはいかにも力不足だ。営業が「デザイン」するととんでもないことになるように、デザイナーが「営業」をすると、大抵はとんでもないことになる。とはいってもデザイナーとて幾度となく失敗を繰り返していくうちに段々と営業が上手くなっていくものでもある。「センス」が無いのに、何かの拍子で間違ってデザイナーになってしまったデザイナー。本当は「営業」のほうが天職だったりすることを、後になって気付くこともあるのであった。


●努力   2019.11.29
世の中には2種類の人がいる。できるだけラクをして遊んでいたい人と、できるだけ努力をして学んでいたい人だ。当然のことながら前者の方が圧倒的に多い。前者に「なぜ努力して学ぼうとしないのか?」と聞いてみると、「努力して学んでも見返りがない」からだそうだ。ん?ということは学ぼうと努力したことがあるんだな、ということになる。要するにここでの努力は、目標の実現のため心身を労してつとめてほねをおっている人の努力に比べれば耳垢ほどの小さな努力なのだろう。10秒間難しいことを考えるのも、目標達成のために一生血反吐を吐くまで働く続けるのも、同じ「努力」であるようだ。学生がメール添付で課題を提出する際のコメントに「単位がとれるよう努力しました」と書いてあったことで思い当たったことである。その学生の作品は「ちょっと考えた」程度の平均以下のものであった。重さ1kgの石を持ち上げただけでも、「頑張った!」ということであるらしいのであった。


●保線   2019.11.28
鉄道はなぜ24時間営業ができないのか?というと、線路は重量のある列車が走行するうちに軌道の変位・レールの摩耗が生じる。これを放置しておくと乗り心地や走行安定が悪くなり、さらに進行すると脱線の原因になるため、定期的に保守を行い、規定の状態を維持することで安全性を保つ。この一連の流れを保線と言い、営業終了時に毎日行う作業となる。これを人間に例えれば「睡眠」ということになる。起きている間に生じた細かい傷や不具合を修復し、走行が不安定にならないように補修をするのだ。しかし歳をとっていくと日中の活動が活発でなくなるために修復する箇所もそれほど多くなくなるために早く目が覚めてしまうようになる。修復する箇所が少ないというより、今さら修復しても仕方がない箇所が増えるからかもしれない。


●ニュースとデマの区別   2019.11.27
事実に反する扇動的で謀略的な宣伝やいいかげんな噂話のことをデマと呼ぶ。デマには確かな根拠や確証もなく、裏を取ることもなければ取材をすることもない。以前は週刊誌やスポーツ新聞にデマに近いようなニュースが掲載されていたが、ネット社会になるとデマを飛ばしているのはほとんどが素人である。素人が飛ばした数多くのデマの中からニュースサイトを運営するプロが面白そうなものを選んでニュースとして掲載する。掲載されるとデマを書いた人間には薄謝な報酬が支払われる。というようなシステムが確立しているので、現時点でデマを無くすということは難しい。以前はYahoo! Newsのちゃんとしたニュースの中に、こういったデマが紛れていると、それとなく分かったものだが、最近では紛れ方が巧妙になってきてちゃんとしたニュースとデマの区別がつきずらくなってきた。それとも我々見る側が麻痺してきているのだろうか。


●代替アプリ-2   2019.11.26
→昨日の続き。QuickTime7の代替であるが、QuickTime10では編集機能が無いので完全な代替にはならない。もちろんAdobePremiereでもiMovieでも機能的には代替できる。しかしちょっとした編集(主に不要部分にのカット)のたびにいちいちPremiereを起動させるのも面倒なハナシだ。動画編集のソフトも数が多いのでCatalinaで使えるかどうかはダウンロードするまで分からない。従ってシェアウェアはリスクが高く無料を探すしかない。そこで見つけたのが「Filmora9」というアプリだ。iMovieのさらに簡易版という感じでちょっとした編集には使いやすい。「超高速カッターツール」という機能を使うことでQuickTime7でやっていたようなことが簡単にできる。ただしアプリの機能全体をスタンバらせなければいけないために、起動時間が少々長い。といってもどのみち動画は保存や書き出しに時間がかかるので、まあ良しとしよう。


●代替アプリ-1   2019.11.25
MacOSがCatalinaになり、使えなくなったアプリがいくつかあったことは数日前に書いた。そこでどんなアプリで代替できたのかを具体的に説明することにする。まずOffice2013はOffice365にすることでほぼ代替とすることができるのであるが、その前にOffice365は無料ではない。なのでExcelの代わりにはMacOSにバンドルされている表計算ソフト「Numbers」がほぼ100%互換である。PowerPointの代わりは同じくMacOSにバンドルされている「Keynote」で特に不自由はない。Wordの代替は「Pages」ということになるが、無料のテキストエディタでも高機能で優れたものがたくさんあるので、あえて「Wordの代わり」を意識しないで、用途に応じて自分が使いやすいものを使えばいいようである。Windowsユーザーでも、Wordの代わりにPowerPointを使っている人も少なくないそうだ。→明日へ続く。


●法律   2019.11.24
制限速度50キロの道路を60キロで走るのは違法である。しかし60キロで走ったところですぐに捕まるわけでもなければ誰かに通報されるわけでもない。しかも制限速度50キロの道路を60キロで100回走ったとしても恐らく同じであろう。スーパーで万引きをしてもバレなかったとしよう。仮に同じスーパーでもう一度万引きをしたらバレて捕まるかもしれない。制限速度50キロの道路を60キロで走った場合にはその速度超過が原因で交通事故を起こし人を殺してしまうかもしれない。しかし万引きで人が死ぬことはない。と、これだけでも不公平であり不完全であるように思える。これだけ世の中が複雑で多様化してくると、それに見合った法律を作らなけらばいけない。そしてその作業はものすごくタイヘンになってくるのだろう。執行するにも遵守するにも人間の能力を超えてくるのだはないだろうか。


●国家でない国   2019.11.23
まず最初に思い浮かぶのはスコットランドや北アイルランド。これらはイギリスを構成するカントリーの一つである。パレスチナは自治区であって国家として承認は受けていない。コソボ共和国は旧ユーゴスラビアに残された自治州で事実上独立国家として行政を行っているが国際的な国家承認は受けていない。台湾は中国を中心とした国々が台湾の独立を頑なに認めないために、未だに台湾は中国の一部ということになっている。クルド人は中東の各国に広くまたがる形で分布する民族であって国家を持たない民族である。また「国と地域」の「地域」に該当するのは、クック諸島、西サハラ、ソマリランド、北キプロス、南オセチア、アブハジア、ニューカレドニア、仏領ギアナ、バミューダ、フォークランド、ジブラルタル、プエルトリコ、グアム、東サモア、グリーンランド、スヴァールバル諸島、香港、マカオ、ウイグル、チベットなど未だに多く存在する。ちなみにプエルトリコはプエル-トリコではなくプエルト-リコなのだそうだ。


●Catalina-2   2019.11.22
→昨日の続き。まずOffice2013はOffice365にすることでほぼ代替とすることができた。QuickTime7は既にQuickTime10がずいぶん前からリリースされているし、フリーでの動画編集アプリも色々とあるので何とかなる。Macのテキストエディタも色々とあるので代替を探すのは難しくない。しかしFTPには無料アプリというものがない。数は色々とあるが実際に購入してダウンロードするまではCatalinaに対応しているかどうかは分からないのであった。ということでネット上で調べてみるとCyberDuckというアヒルのアイコンのアプリが使えそうだということが分かってきた。ということで犬のアイコンのFETCHがアヒルのアイコンのCyberDuckになった。DogがDuckに変わったわけだ。アイコンだけを見ると、あまりバージョンアップという雰囲気はしなくなった。


●Catalina-1   2019.11.21
CatalinaはMacの最新のOSで10月8日にリリースされた。iPadを外付けディスプレイとして使え、Apple Pencilを利用すると液晶タブレットとして利用出来るSidecarという機能が追加された。バージョンアップは無料で意外とすんなりとMojaveからの移行ができる。ただしバージョンアップが終わった後で多くの人が驚いたことがある。それは32ビットアプリケーションが完全に使えなくなっていたということ。具体的にはMac版Office2013のWord、Excel、PowerPoint、それとAppleの思い入れが強いと思われるQuickTime7、MacのFTPの定番FETCH、Macのテキストエディタとして重宝していたmi、などなどである。さて困った。バージョンアップしたあとにMojaveに戻すことは簡単ではないし、いずれにしてもCatalinaにしておかないと将来的には色々と困るはずである。しかし最も困ったのはFETCHだ。→明日へ続く。


●自己紹介-2   2019.11.20
世界のほとんどの国は多民族国家である。例えば米国人の自己紹介ページでは、肌、髪、目の色、ルーツとなる民族名などが記載されている。しかし日本人の多くは肌は黄色人種で髪と目は黒の大和民族である。そして同じ民族なので個体差も少ない。従って「自己のアイデンティティを確立」しておかないと他の日本人の中で「私」が埋没してしまう可能性も高くなる。「プロフ」ではプロフィールに特化していたページが、現状ではそれぞれのSNSの雛形に沿ったかたちの自己紹介となってしまっているため、それらのページが全て「私」という一個人を的確に表現したものではなくなってしまっているのではないだろうか。そしてこういった「私」の表現がサイトによって異なっているという現実が、「私」自身が、「私」というものが分からなくなってしまっているということに繋がってはいないだろうか。


●自己紹介-1   2019.11.19
今の若者の多くは、複数のSNSのページにアカウントを作り、プロフィールのページを作ったりもしている。その昔、携帯電話が普及しはじめたころの日本では、モバイルサイト上に自己紹介ページを作成できるサービスである「プロフ」が高校生の間で大流行し、このプロフが後のmixi、その後のFacebookやtwitterのユーザーへと継承されていったという経緯がある。つまりネット上で「私の自己紹介」をすることで「自己のアイデンティティを確立していく」という文化が以前からあったということになる。しかし今では一人の人間が、その「プロフ」のページに似たようなものを、あちこちに作ってしまっていることから、自分でも自分が何者であるかが分からなくなってきてしまっているのではないかな。


●人の話を全く何にも聞いていない人   2019.11.18
人の話を全く何にも聞いていないという人がいる。全くもってなんにもだ。そういう人に向かって一生懸命ハナシをしたところで全くもって時間の無駄であり、何の成果もメリットも利益も産まない。そしてそんなことはハナシをする前から分かっている。しかしそれでもハナシをしなければいけない場合がある。しかも毎日だ。それが教師という職業なのだから仕方がない。


●瞬間芸   2019.11.17
多くの人は「注目されたい」「凄い!と言われたい」などと思っているはずだ。しかしそれが実現できるのは、極々限られた一部の人間だけである。そしてその極々限られた一部の人間は、そこに至るまでの多大な苦労と努力をしてきたはずである。この努力を苦労を無しにして注目されるようになることはできない。「勉強しないで頭が良くなる」「働かないで儲かる」「食べて痩せる」ことが不可能であるのと同じだ。しかし「努力しないで注目される」のは絶対に有り得ないわけではない。「想定外の犯罪を犯す」「持って生まれた特徴がある」「事故からの奇跡的生還」などがあるだろう。軍隊時代に落馬して顔をぶつけたことにより、アゴはずしが可能となり顔が一瞬で短くなる瞬間芸で1970年代のテレビ界で活躍した「クシャおじさん」がこれに該当する。今でも、平成のくしゃおじさん、中国版くしゃおじさん、などがいるようだが、初代ほど注目はされていないようである。瞬間芸が流行るのも「瞬間」のようだ。


●革命   2019.11.16
そもそも学校の勉強だけでも追いついていけない人がたくさんいるのに、学校では教えてくれないコンピューターとかインターネットなるものを自力で勉強しろったって、そんなもんできるわけがない。ということで2000年頃のIT革命には多くの「大人」がIT革命から取り残された。そして今度はキャッシュレス革命2020が始まる。生きている間に2度の革命を体験するハメとなった現代の大人は不幸としか言いようがない。なんせどちらの革命も学校では教わったことのないことなのだ。仮に平安時代や江戸時代の前期に生まれていたならば、今とは比べ物にならないような、平和で気楽でストレスや脅迫観念の無い生活を送れていたことだろう。


●捻る   2019.11.15
人間歳をとれば誰でも体力は衰える。そして高齢になるに従って身体を「捻る」ことが難しくなってくる。自転車に乗って後ろを振り返ろうとすると振り返った方向に自転車の進行方向が振られる。クルマを運転してバックで後ろを振り返ろうとすると下半身も連動して捻れてしまうためにアクセルとブレーキの位置が分からなくなる。歩いていて交差点で左右を確認しようとしまず右を見る。次に左を見る。そのとき本当に右が安全だったのかを忘れてしまい、念のためもう一度右を見る。高齢なので左右を見ると動作もゆっくりである。そして2回目に右を見たときには、左が本当に安全だったか不安になりもう一度確認する。こうして交差点でペッパーくんのようにゆっくり首を左右に振っている高齢者が増えているのであった。


●amazonを装った偽メール   2019.11.14
amazonから「ご注文の確認」のメールが届く、かなり巧妙にamazonを装った偽メールである。メールのレイアウトもamazonのロゴも商品の写真も本物そっくりである。ただし注文した覚えのない商品の「ご注文の確認」のメールである。注文した覚えがないので偽メールだと判断して何もしなければ良いのだが、あまりにも本物っぽいのでついつい反応したくなる。ところがこの手の偽メールでお決まりの「支払い方法の情報を更新する」ボタンが見当たらない。また偽メールなので「注文についてのヘルプページ」「領収書のヘルプページ」などもリンクされていない。この偽メールをamazonからのものだと信じて、本当に注文をキャンセルしようとした場合はどうするか?と考えた場合、とりあえずこの「ご注文の確認」のメールに返信するだろう。ということで「返信」すると、uhhyqff6o5gkqcyyyhr2@acccss618zjp.comといったような怪しいメルアドに送信されるのであった。実際に返信すると、そこを起点に、詐欺行為がスタートするのであろう。「ご苦労なこった」と思うとと同時に「よくできてるなぁ」とも思うのであった。


●無料ホームページ   2019.11.13
無料ホームページ制作アプリが沢山ある。こんなに種類があったのでは初心者は一体全体どれを使ったらいいのか全く見当がつかないのではないのか。簡単なものでは初心者でも10分あればできてしまうようなものもある。そして全てのアプリに共通しているのは有料コースへの誘導である。広告が入らない限りは、有料コースへの誘導して会費を徴収する以外に利益を得る方法もないことは確かだろう。しかしこれだけSNSが普及し、多くの人が、雑多でごったなホームページもどきを作ってしまっている状態で、いくら無料であるとはいえ、新たにホームページなるものを作ろうとしている人って、どんだけいるのだろうか?そもそもホームページとSNSの違いをきちんと説明できる人は、とっても少ないというのが現実だろう。


●保護されていない通信   2019.11.12
いつの日からか「保護されていない通信」「安全ではありません」という文字がURLの入力窓に表示されるようになった。これによって多くのサイト管理者は「これはヤバイ!」「早くSSL化しなくては!」「こんな表示が出たんじゃアクセス数が落ちる!」ということになって、結果として最近ではほとんどのサイトが、SSL化されたサーバーに移行した。従って今では「保護されていない通信」「安全ではありません」を見つけることも難しくなったくらいだ。そこで大学一年生100人に聞いてみた。「『安全ではありません』という文字がURLの入力窓に表示されることを知ってた人は手を挙げて?」すると一人も手は挙がらなかった。そして「『安全ではありません』という文字がURLの入力窓に表示されるサイトを今、スマホで探してみてください」すると一斉にスマホをいじり始めて、しばらくすると「あ、あった!」という声があちこちで聞こえてきた。と、使う側の認識はこんなもんである。サイト管理者が心配するには及ばない。


●池袋暴走事故   2019.11.11
アクセルとブレーキの踏み間違いが原因で二人の命を奪った飯塚幸三元院長。JNNの取材に対し謝罪と反省の弁を述べた後に、「安全な車を開発するようにメーカーの方に心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、外出できるような世の中になってほしいと願っています。」と発言した。これには当然のことながら批判が殺到した。「なに被害者面してんだ人殺し」「車の問題じゃないだろ」というような意見だ。そもそも飯塚幸三は通商産業省技官、東京大学工学博士、計量研究所所長、工業技術院長、クボタ取締役、国際度量衡委員会副委員長などを歴任し、いわゆる超エリートであり、今までの人生の多くは「命令する側」の人間であり、こういう人間の特徴としては、何か事が起こると必ず「苦言を呈する」ことをせずにはいられないのだ。たとえそれが自分に過失があったことでもだ。そしてクルマの運転という作業においては、決して自分は「命令する側」の人間ではないということを忘れているのだろう。


●ホームページとチラシ   2019.11.10
「ホームページに商品のチラシを掲載できますか?」→「できます」→「費用はどのくらいかかりますか?」というようなやりとりはよくあることだ。商品のチラシを掲載するといっても、モデル数や枚数はどれくらいか?PDFをダウンロードするタイプで良いのか?などの条件によって費用が大きく変わることは素人でも想像はつくことだろう。これは例えばレストランに電話をして「明日の予約はできますか?」→「できます」→「費用はどのくらいかかりますか?」と聞いているようなものだ。何人で何時に行って何を食べるのかを言わないと費用は分からんだろ!ということだ。恐らく上司に「チラシを載せるといくらかかる?」と聞かれて、それをそのままこちらに聞いてきたのだろう。そしてホームページとチラシでは、その役割や表現方法が大きく異なる、ということも理解していないようだ。こうしてホームページは単なる「チラシ置き場」になっていくのであった。


●本音   2019.11.09
政治家の発言は常に最大公約数的なものでなければいけない。次も当選するためにだ。一部の限られた層の有権者のみを優遇するような発言をすればメディアに叩かれてしまい票が減少してしまう。だから本音を言うと当選できなくなる。つまり発言のほとんどは建前論になってしまう。従って講演でもインタビューでも会見でも常に本音を言わないように気を使わなければいけない。しかも何時誰が録音しているか分からないので、私的な場所でも本音を言わないようにしないといけない。なので本質に触れない発言が多くなり「何も考えていない」「浅はかだ」「バカなんじゃないか」とか言われるようになってしまう。そして、そうやっているうちに、自分でも本音が何なのか分からなくなってくるらしい。それでも当選できれば全てOKなのだ。


●CGと肉眼の違い(3)   2019.11.08
→昨日の続き。さらに人間は壁に掛った絵画を見るときでも、シャッター速度1/30秒程度の動画で見てる。どんな映像も静止画ではなく、動画として脳に送られているのだ。これに昨日の「揺らぎ」を加えると、人間の目は、いかに不安定でいい加減であるかということが分かる。そして被写界深度も非常に浅く、画角のアウトラインもまったくもってうやむやなのだ。対してCGは全てがカチッとし過ぎている。もしかすると油彩画のマチュエールも、肌の透明感も、静止画(写真やCG)では再現できないものなのかもしれない。常に揺らいで補正しながら映しだしている動画だからこそ、それを人は感じることができるということになるのかもしれない。油彩画を、どんなに素晴らしい機材で写真を撮っても絶対に原画を超えることができない理由も、そんなところにあるのだろう。


●CGと肉眼の違い(2)   2019.11.07
→昨日の続き。では何が違うのか?ということになるが、それは「視点(カメラ)が固定されているか否か」ということになる。CGでは視点となるたカメラがオブジェクトを常に固定された状態で捉えている。そしてこのことは映画でもテレビでも同じことである。対して人間の目は固定されていない。つねに揺らいでいて、その「揺らぎ」を常に補正しながら見ていることになる。しかし映画やテレビは映像がアナログということもあり、また見慣れてるということもあり、そのことの不自然さに見ている人は気づいていない。しかし、人間の目はカメラのように固定されていないということが、肉眼でモノを見たときのリアリティーを損ねているのだ。明日へ続く→。


●CGと肉眼の違い(1)   2019.11.06
CGは最終的なアウトプットがLCDや有機ELの極めて薄べったい素子であり、そこに油彩画のようなマチュエール感や、肉眼で見た「透き通るような肌」の表現を求めるのは所詮無理な話し(しかも1677万色という限られた色数の中で)である。しかしよく考えてみたら最終的なアウトプットはLCDや有機ELではなく、水晶体を通った光が網膜に焼き付けられ、視神経を通って脳が感じる。ということになる。ということはリアルな映像もCGも最終的なアウトプットは同じということになる。CGといっても最終的には人間の目が見るということだ。明日へ続く→。


●社長の満足   2019.11.05
「私が満足できるクオリティのものさえ作ってもらえれば、それだけで良いことだ。細かいコトは要求しない」と偉そうに言う社長。これを聞いた真面目な社員は社長に満足してもらえるべく、最大限のクオリティのものを作ろうとする。しかし待て。社長の満足できるクオリティがどのくらいのモノなのかをハッキリさせてから指示しなければダメだろう。そもそもクオリティなんていうものは青天井で上を見ればキリがない。しかも仕事には納期と予算というものがある。「満足できるクオリティ」を数値化する、または具体例をあげて指示するべきだろう。とまあ、こういうことを言う社長に限って、できてきたものを見て、ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃと文句をつけるものだ。要するにその社長には企画力が無いというだけだ。企画力が無い社長も困ったものだが、自称「アイディアマン」の何でもすぐに思いついちゃって何でもやらせる社長よりはまだマシである。


●遺伝子   2019.11.04
子供は母親と父親の遺伝子を丁度半分づつ受け継ぐわけではない。母親の遺伝子が濃い場合もあれば父親の遺伝子が濃い場合もある。そうしておかないと兄弟がみんな同じになってしまうからだ。しかし両親の遺伝子の割り合いだけで調整しようとしても、そのバリエーションには限りがあり、兄弟はみんな同じ亜種になってしまう。それではいかんということで、祖父母やそれ以上前の世代から世代を飛ばした隔世遺伝というものがある。この隔世遺伝を混入させることでバリエーションの幅は大きく広がる。しかしそれでもまだ足りないということで、受精できる精子の確率をこれに加えた。射精一度あたりの精液が含む精子数は通常1億〜4億程であり、子宮頸部に到達する前に約99%が死滅し、子宮まで到達できるのはおよそ数千〜数十万。排卵期に卵子の目前まで到達できるのはおよそ数十〜数百であり、その中の一匹のみが受精に成功するわけだ。もしその中の一匹が他の一匹であった場合には、皆さんの人格、キャラ、個の意識、も違うものになっていたはずである。そして皆さんと全く同じ人間が作られる可能性は限りなくゼロに近いということになる。ということはゼロではないということにもなる。だからもしかすると世界の70億人の中には全く同じ人がいるかもしれないのだ。


●知らないこと   2019.11.03
人は自分が知っていることは「簡単」と感じて、自分が知らないことは「難しい」と感じる。そして自分が知っていることは、多くの人が知っていると感じ、自分が知らないことは、多くの人にとっても、知らないことだと感じる。だからテレビのクイズ番組でアイドル系芸能人が問題に答えられないときには「なんだ、こんなことも知らないのか!」と感じるようになる。今の時代、一般人であれ、芸能人であれ、博士であれ、「知らないこと」のほうが「知っていること」よりも遥かに多いはずだ。だからテレビのクイズ番組の回答が分かった程度で鼻の穴を膨らましてはいけない。


●井の中の蛙   2019.11.02
村一番の力持ちが上京して序二段力士と相撲を取ったところが一瞬で投げ飛ばされる。村で一番絵が上手い天才と呼ばれている若者が状況して美大の入試を受けて見事に落ちる。などという話しは昔は沢山あった。しかし今ではどんなに山奥に住んでいても、ネットでゲームをすると、そのランキングが瞬時に表示され、日本で自分がどのくらいの位置にいるかが分かる。ネットでゲームをしないまでも、ネットでは色々な人の体験談や指南情報を得ることが出来る。ということで今では「井の中の蛙」を見かけることは無くなったのだが、それでも極く稀に見かけることもあるが、2019年は見かけることができる最後の機会でもあろう。


●豪語する   2019.11.01
「IT革命」が盛んに言われていた2000年ごろ、「パソコンなんかできなくたって生きていける!」と豪語していた人たちも、ついにパソコン無しでは生きていけなくなってパソコンをやり始めているようだ。と、ここまで20年かかるのだから人間がいかに保守的な生き物であるかということだろう。そしてそんな人たちは「パソコンなんて、やってみれば意外と簡単なものだ!」と今は豪語している。しかし彼らはソフトをインストールするためにフロッピーを何枚も入れ替えたり、OSをバージョンアップするために徹夜したり、Webページを表示させるために1時間待ったり、ISPに契約するために手書きの書類を何度も郵送したりする、などの、気の遠くなるような苦労は知らない。20年前からパソコンの処理能力は1万倍に速くなり、パソコンを扱う難易度も1万倍とは言わないまでも100倍ぐらい簡単になっているのだが。今さら豪語されてもなぁ。



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