2020年3月



●安倍昭恵-1   2020.3.31
「昭恵氏花見」がトレンドになっている。小説家の花房観音氏は「無邪気と呼ばれる無神経さ、ピュアと言い換えられた無知」と言っている。ライターの松本創氏は「度を越した軽佻浮薄さ、知性の欠如は『凶器』になる」と言っている。色々とネットで調べてみると、大麻解禁を推奨したり、トランプ大統領との会食で一人で酔っ払ったり、安倍晋三との見合い(見合い結婚なのだそうだ)の時に30分遅刻したとか、そもそもお勉強が大っ嫌いだったとか、森永製菓の社長令嬢として育ったとか、世の中の人はみんないい人だと思っているとか、人間ではなく妖精なのだとか、面白い記事がたくさん出てくる。で「昭恵氏花見」が国会で追及されても安倍首相は『軽率な行動でした、妻に注意しておきます』とは言わず、「公園ではなく、レストラン敷地内の桜の下で撮った」と答弁した。きっと注意されても何を注意されて何がいけないのかが分からないだろうということが想像できたのかもしれない。いずれにしても今回の「花見」で、いままでの「無邪気でピュア」というイメージが単なる「おバカさん」に変わったかもしれない。→明日へ続く。


●神が下した判断   2020.3.30
コロナによるこの危機的な状況でも平気でパチンコ屋に並ぶDQNな人たち。すでに大量に買い占めているにも関わらず毎朝ドラッグストアに並ぶ老人たち。家に居られなくて親の言うことなど聞かずに渋谷や原宿に出かける勉強のできない中高生たち。こいつらがクラスター感染者を生み出す可能性は高いはずだ。そしてこういったどーしよーもない連中を淘汰するのが神が下したコロナという判断だったのかもしれない。と、思ったりもする。


●夢を託す   2020.3.29
選挙演説で「この道路は私が作りました!」というようなことを平気で言っている候補者。道路というものは自治体が何年も前から計画していてその計画に沿ってできるものであり一議員(一候補者)の力でできたものではない。そしてその候補者のことを「オレがあいつを当選させた」「オレがあいつに言ったからあの道路ができた」というようなことを吹聴している取り巻きたち。この情けない仕組みはなんとかならないものだろうか。とはいえ、夢を叶えることができないままで一生を終えることが分かってきたおっさんたちが、地域の候補者に夢を託しているという仕組みもあるのだから、ま、仕方のないところなのだろう。


●AIの可能性   2020.3.28
AIは膨大なデータを解析する。しかしそのデータはデジタルのはずだ。例えば画像データは8kであろうが16kであろうが1ドット1677万色だ。理論上では10億7300万色まで可能なようだが、いずれにしてもデジタルには限界というものがある。対してアナログは無限だ。また、データ化が遅れているものもある。例えば臭覚、味覚、触覚などだ。開発は進んでいるが、まだまだAIがインプットして解析できる領域には達していないだろう。テキストデータについては既に膨大な量を収集して学習して解析できるはずであるが、人間のコミュニケーションには「文書化」できないものも多々ある。文字が生まれる以前の人類が使っていたコミュニケーションの多くはデジタル化できていないようにも思える。だからAIが人間にとって変わることがきるのは、ほんの一部でしたないはずだ。そもそもAIは代謝も成長もできないし、子孫を残すこともできない。AIが有機体である人類を凌駕することができるのは遠い未来の話であろう。いや、永遠にできないかもしれない。


●完璧   2020.3.27
集中して何かの制作に取り組んでいると、誰でもついつい(というか必ず)客観的な視点を見失う。どんなに賢くて優秀な人間であっても、この傾向は拭えないということを覚えておかなければいけない。だから制作の途中で他人に見せて「奇譚のないご意見」を求めるべきである。どんなものでも「完璧!」というのは無い。必ず改善点はあるのだ!絶対にあるのだ!ところが多くの人はその改善点を他人に指摘されることを嫌う。指摘されたらその部分をやり直さなければいけないからだ。もしくは、やり直せない理由を必死に絞り出して言い訳をしなければいけないからだ。ところが普通に「ご意見」があったらお願いします!ではみんな正直な意見は言わない。正直に言うと、言われた相手が「落ち込む」か「傷つく」か「怒る」かのどれかになるからだ。そしてそうなることで「納期が遅れる」「余分な費用が発生する」「人間関係がおかしくなる」などの影響が出る。だから、だっさい成果物であっても、人は「完璧です!」という評価をすることになる。制作物は数学のテストではないので「完璧」はいくらでも安売りができるのであった。


●どうすんだ!?   2020.3.26
東京2020オリンピックの延期が決まった。このことに対して多くの国民は妥当な判断であると納得していることだろう。東京五輪を延期するか否か?の究極の2択だったわけであり、予定通りの開催も延期も、どちらにしてもそれ相応の痛みを伴うことも分かっていたはずである。ところがマスコミも個人のSNSへの書き込みも「東京2020の名称はどうする?」「チケットは?」「マラソンの札幌開催はどうなる?」中には「オリンピックの為に祭日が移動してるのをどうする?」と問題点の洗い出し合戦の様相だ。まあ洗い出し合戦だけなら良いのだが、その対応や解決策を政府や安倍総理に迫り「どうすんだ!?」的な記事も増えている。「じゃあんただったらどうすんだよ!?」と言いたくもなる。予定通り開催したほうが良かったのかよ!?でなければ少し黙ってろ。どうするのかは、これからみんなで考えるところなのだから。


●額縁-2   2020.3.25
→昨日の続き。絵画を鑑賞するときに人は作品を見るのであって額縁は見ない。ということは分かっていてもデザインしなければいけないのがテレビの本体だった。1970年代には木製の豪華なキャビネットにテレビは収められていた。中には扉がついているものもあり、まるで仏壇のようでもあった。それが1980年代にはプラスチック製の筐体になっていき、リモコンの普及とともに本体からオペレーションが消えていき、薄型液晶になると、もはやアルミフレームの額縁のようなシンプルなものに変化してきた。そうしてみると絵画の額縁は1970年代のままである。視聴者はテレビの筐体を見るのでは無く、画面に映し出された番組の映像を見るわけだ。同じように絵画を鑑賞するときには絵画そのものを見るわけであり、額縁を見るわけではない。その証拠に、鑑賞したときに感動した絵画が、どんな額縁に入っていたかという記憶は全く無いのであった。


●額縁-1   2020.3.24
絵を描くときに絵が完成する前から「どんな額縁に入れようか?」と考えている人がいる。もっと酷い場合には描く前から額縁を前提にした絵を描こうとしている人もいる。花道においても、花器ばかりに凝って花は疎かになっていると批判されることもあるようだが、花道は花器が無ければ基本的には成り立たない。しかし絵画は額縁が無くても成り立つ。著名な画家の作品は多くの人に見てもらうために立派な額縁が使われる。作品の価値が1億円だとすれば100万円の額に入れてもいいだろう。しかし5000円の価値しかない絵を2万円の額に入れるのはいかがなものだろうか?額縁無しでも鑑賞に耐えうるような作品を目指すのが基本であり、身分不相応の額縁に入れて「馬子にも衣装」と囁やかれないようにしよう。→明日へ続く。


●まさか自分だけは   2020.3.23
日本国内での新型コロナウイルス感染者数はクルーズ船を除き千人を超えた。日本の人口が1億2千万人とすれば12万人に1人が感染者ということになる。海外への渡航経験が全く無い感染者にとっては「まさか自分が感染するとは!」と思っていたことだろう。そして今でも「まさか自分は感染しないだろう」と思っている人が自分勝手ま行動をとって用もないのに街に出かけてたりするのであろう。例えば宝くじを買う人は「もしかしたら当たるかもしれない!」と思っていることだろう。いや、そう思っているから買うのであろう。しかし年末ジャンボ1等の当たる確率は2000万分の1なのだそうだ。人間とはつくづくおめでたいものである。


●才能と努力   2020.3.22
写真家が1枚の写真を発表した。その写真を見た学者は「写真家は人並み外れた感性と素晴らしい才能を待ち、シャッターチャンスを逃さない動物的な勘を持ち合わせた天才」なのだろうと思う。しかし写真家はその写真を撮るために何度もその場所に通い、何日もシャッターチャンスを待ち、何百枚何千枚の中から1枚を選んで発表したのであった。その間、待っても待ってもシャッターチャンスが訪れず1枚も撮影ができなかった日もあるし、大枚叩いて買った機材を結局使わず終いだったこともあるし、カメラの設定を間違えて何百枚の写真がパーになったこともある。学者が1本の論文を発表した。その論文を読んだ写真家は「学者は人並み外れた知識と素晴らしい才能を待ち、鋭い洞察力で物事を理論的に分析することができる天才」なのだろうと思う。しかし学者はその論文を書くために何度も実験を行い、何日も学生たちに指導をして、何十冊もの資料を読み、何回もの推敲を繰り返した末に発表した1本の論文であった。その間、何度やっても期待した実験結果が得られなかった日もあるし「もうこの実験は止めよう」と諦めかけた日もあるし、学会内や大学内の政治的な事情や予算の都合で実験が行えなかった時期もあった。要は何事も結果を出すのは才能ではなく努力ということなのだろう。そして人間は、自分と違う畑で起きたことは、極めて簡単な理論で片付けてしまいたがるようなのである。だから、学者が写真の芸術的な価値を、写真家が論文の学術的な価値を、それぞれ「才能」といった簡単な言葉で片付けるのだろう。まぁそれには自分の行ってきた「努力」は到底他人には真似できるものではない!という自負もあるのかもしれない。


●集団   2020.3.21
様々なイベントや祭典、集会などが軒並み中止や延期になっている。にもかかわらず家でじっとしていることができずにやたらと外出したがる人も多い。子供なら仕方がないが、大人なんだから少しの間は我慢しろよ!とも言いたくなるのだが、それでも何だかんだと用事を作って外に出かけていく人。トイレットペーパーを買いに行くのも、トイレットペーパーを買うことが目的なのではなく、買っておかなければいけない!という理由を作って出かける口実を作っているのではないか?とも思える。そう考えてみると、人は生活と関係の無い部分で、いかに頻繁に外出して出歩いているかということが分かるような気がする。とはいえ人間はそもそも集団で生活して集団でコミュニティを作りその中で承認欲求を満たしながら生きていく動物なのだから仕方がない。数百万年前にジャングルから出てサバンナに降りて生活をすることに決めたときからのDNAなのだから。そして今回、そのDNAとは関係なく水を得た魚なのが「引きこもり」のようだ。


●楽天   2020.3.20
GAFAとは、Google、Apple、Facebook、Amazonのデータ資本主義の支配者として世界を席巻している米国の4大巨大IT企業である。そしてこれに対抗すべく日本最大のeコマース・楽天が、GAFAの防波堤となり、日本発の今までにないビジネスモデルを確立するのではないかとも言われてきた。しかしどうだろうか、GAFAは、それぞれ(多くの批判はあるものの)斬新で画期的なサービスを提供してきたのに対し、楽天は小作人を集めた大地主に過ぎないのではないだろうか。その楽天が税込み3980円以上の買い物については一律送料無料にすると発表したが公正取引委員会の緊急停止命令の申し立てに応じて延期した。もし一律で実施されていたならば楽天の出店者の多くはより一層経営が厳しくなったはずだ。小作人(楽天の出店者の多く)は楽天から脱会すれば全く商品が売れなくなることは目に見えている。かといってこのまま楽天に居続ければ青天井に上米をはね続けられる。生きるのも地獄、死ぬも地獄ということになってしまう。そのような悲鳴を上げた小作人に対して大地主(三木谷社長)は「一部の店舗が騒いでいる」と軽くあしらっただけである。そんな日本最大のeコマース・楽天が「こんなやり方でいつまで続くのだろうか?」と、ぶいぶん前から思っていたのであるが…どうなるだろうか?株価は下落しているようではあるが。


●NHK   2020.3.19
ブラタモリを見ていて気付くこと。それはスタッフの多くがが見切れる(カメラのフレーム内に不必要なものが映り込んでしまうこと)ことだ。ということはカメラや音声、照明、ADは、不必要なもではなく、画面内に映り込むことで、撮影しているという臨場感を出しているのだろう。または「皆様からいただいた受信料はこんなふうにクオリティの高い映像をお届けするために必要な人件費として使っています」ということをアピールしているようにも思える。そういう観点で見ていると、スタッフ多いなぁー、ということを実感する。映画でも大河ドラマでもないんだから、スタッフは必要最低限でいいんじゃないか?テレ東だったらディレクターがカメラ回してADがレポーターがやって2人だけで何とかするんじゃないかな?とも思える。クオリティーを10%上げるために10倍の人件費を、皆様からいただいた受信料でかけているNHKであった。と、こんなことをしてるから「ぶっ潰す」というような勢力も台頭してくるのであろう。


●カラーコード   2020.3.18
HTMLにはカラーコードというものがあり、16進数の6桁の番号でカラーを表示するというもの。#000000が黒、#ffffffが白、#ff0000が赤、と言った具合だ。6桁の2桁ずつが、左から赤、緑、青、となり、16進数の6桁の番号でコンピューターで再現できる1677万色全てを表せることになる。この16進数により、それまで使われていた10進数のカラーコード、rgb(255,0,0)が廃れてきた感じがあったが、rgba(255,0,0,0.5) というようにaが追加され、最後の0.5が透明度を表すことで、10進数のカラーコードが再び多用されるようにった。一方の16進数のほうであるが、こちらも6桁から8桁にバージョンナップされ、左の2桁が透明度を表すようになった。しかし透明度を(16x16の)256段階で表す必要もない(10進法の0〜1でじゅうぶん用が足りる)のと、一部のブラウザでは対応していないということもあり、どうやらあんまり普及はしていないようでもある。もっとも色相と彩度と明度を順番に配置するHLS方式が RGB より直感的であると、多くのデザイナーは考えているようだ。ということでcolor nameの表示方法と、RGB10進数、RGB16進数、HLSにそれぞれ透明度を追加した表示方法を合わせると合計7種類のカラーコードがあることになる。どれも一長一短だが、いずれにしても方式は1つにしてほしいものである。


●物忘れ   2020.3.17
よくあるケースが「何かを人に伝えよう、大事な事なので忘れないようにしよう」と思っている間に、思っているだけで伝えたつもりになっている。つまり伝えていない、というやつだ。「忘れないようにしよう」と深く思えば思うほど忘れるようになる。これを心理学で何というかは知らないが、想像するに深い思い込みが現実の出来事と混同して起こる状態なのかもしれない。そして夢と現実の区別がつきにくくなってくる認知症の前兆かもしれないので注意しよう。もう一つ、よくあるケースが「考え事をしながらの歯磨きが、全く記憶に無い」ということ。ふと気付くと「今、歯を磨いたかどうか記憶に無い」のだ。不安なので念のためもう一度磨こうと思って磨き始めると、何となく「数分前にも同じようなことをしたような気がする」と感じるのだ。結果として2回磨くので歯の健康のためには良いが、これも「母さん、飯はまだか?」の認知症の前兆なのだろう。


●学校で教わっていないこと   2020.3.16
高齢者の会話を聞いていると、実はその違いが分かっていないんじゃないかな?と思える単語がいくつかある。例えば、ケータイとスマホ、パソコンとファミコンなどである。もっとも80歳の人が生まれたのは1940年であり、ケータイの普及が1995年だとすれば、その時すでに55歳であった。増してスマホともなればiPhpneの誕生が2008年なので、その時すでに68歳。ケータイとスマホとアイホンとガラケーとアンドロイドの違いなんか分かるわけがないし、分かる必要もなかったのだろう。ファミコンが流行ったのが1983年で、その時すでに43歳であり、ゲームで遊ぶ年齢ではない。パソコンが一般家庭に普及し始めたのが2000年ごろとすれば、その時すでに60歳である。新しいことをゼロから勉強するには、よほどのパラダイムシフトが必要なはずだったことだろう。しかし決して新しくはないその違いが分かっていないんじゃないかな?と思える単語もいくつかある。怪獣と恐竜、マグニチュードと震度、などだ。怪獣という言葉が使われ始めたのが1954年のゴジラからであり、マグニチュードという単位を気象庁が使い始めたのは1970年以降とのこと。つまり新しくはないということではなかったのだ。要するに「学校で教わっていないこと」は、よほどの積極性を持って自力で勉強しない限りは、一生曖昧で有耶無耶なままになるということだろう。さらに高齢者は「知ったぷり」をしたがるので、それが「一生曖昧で有耶無耶なまま」を助長している。


●問題   2020.3.15
問題が起きる。その問題を解決しようとする前に、①その問題は実は些細なものであるので放っておいても何とかなる。②その問題は放っておくと大変なことになるので解決することがMUSTである。③その問題は放っておくと大変なことにのだが外的要因が大きく解決する手段が見当たらない。の大きく分けて3種類がある。そして重大な問題に見えても実は①であることが多い。また重大であることは間違いないのだが③であって自分にはどうすることもできない場合も多い。ということで②のケースは極めて少ないということになる。その証拠に、どんなに深刻で重大な問題が起きても、なーんにもしないやつが今でもたーくさんちゃーんと生きている。


●印刷屋さん   2020.3.14
プリントパックなどの印刷通販は早いし安いし高品質だしサポートもしっかりしている。これでは町の印刷屋さんは太刀打ちできないかと思いきやそうでもない。受注した町の印刷屋さんは、そのまま印刷通販に発注して10%とかのマージンをとって商品を納めればいいだけのことだ。実際にそうしているところも少なくない。では一般の客が直接印刷通販に発注すればいいのではないか?と思うかもしれないがそうはいかない。印刷通販に発注すると発注の確認、データの確認、納期の決定、入金の確認、発送の連絡などなど1件につき5〜6回のメールが来る。複数の発注が重複すると意味が分からなくなる。そのうちの1つに何か問題があった場合、例えば…リンク画像が見当たらない、埋め込み画像がCMYKになっていない、フォントがアウトライン化されていない、明らかに写真の解像度が粗い、とかの修正を行った場合にはその修正作業と並行して納期と金額の設定も変更しなければいけない。とても素人が対応できるものではない。そしてそこには印刷屋さんの培った知識が生きるというわけだ。自分で印刷機をいじることなく知識だけで商売ができるのだから悪くはないだろう。


●バッファー   2020.3.13
クライアントがA社にPOPのデザインの仕事を依頼する。納期は3月31日と指定する。依頼されたA社は忙しかったので下請けに仕事を依頼する。納期はバッファーをみて3月25日とする。依頼された下請けは、その仕事をさらに孫請けに出す。納期はバッファーをみて3月20日とする。孫請けは、自分のところでは処理しきれなかったので、その仕事を個人のアルバイトに依頼する。納期はバッファーをみて3月15日とする。依頼されたアルバイトは「え!3月15日って明後日じゃねぇかよ。」ということで、その依頼を断ってしまう。しかしそのアルバイトは会社に内緒で仕事を請けていたA社に勤務するデザイナーであった。


●差別   2020.3.12
今回のコロナ騒ぎでヨーロッパでの東洋人への差別が話題になっている。そうでなくても特にヨーロッパでは白人至上主義が根本にある。ヨーロッパでは最近まで(今でも)基本的には白人が優先でありイエローは後ということになっている。買い物で並んでいるときにもイエローは後、キャンセル待ちの飛行機に乗るときでもイエローは後、という差別を受けたことがある日本人も少なくはないだろう。世界的、国際的には人種や民族による差別は「してはいけない」ということになっているが、黒人は猿に分類され人間とは別の生き物として扱ってきた白人がすぐに人類はみんな平等、というふうに頭を切り替えられない。ダウン症は白人より劣っている東洋人の遺伝子を持って出生したと考えていた白人がすぐに人類はみんな平等、というふうに頭を切り替えられない。第二次対戦中、アメリカ兵一人の命の重さは日本兵千人分に相当すると普通に考えていた白人がすぐに人類はみんな平等というふうに頭を切り替えられない。差別の壁は日本人が思っている以上にまだまだ高いのであった。


●共有   2020.3.11
大学のコンピューター室にペンタブ(ペンタブレット)が設置された。そして多くの生徒がそのペンタブを使うためにスタイラスペン(ペンタブレット用のペン)を借りにきた(スタイラスペンは盗んだりうっかり持ち帰ったりできないように先生が管理している)。ところが何度か授業をしているうちにスタイラスペンを借りにくる生徒が減っていき、半年後にはゼロになった。そこで分かったこと。スタイラスペンを借りにくる生徒は、もともとペンタブが使えないために「やってみよう」と思っていただけであって、何度かやってみたら使いにくいので、以降使わなくなった。そしてペンタブを使える生徒は、マイペンタブを持参して使っていたのであった。ペンタブは自分が使い慣れたものでないと使いにくいので、筆箱やノーパソと同じで「自分専用」でないとダメだということが分かったのであった。本来パソコンというものもパーソナル(自分専用)なコンピューターであって、みんなで共有するものではない。そして世の中には共有できるものとできないものがある。全てのものが共有できるのであれば人間一人ひとりのパーソナリティーというものも無いほうが良い、ということになってしまう。


●パスワード   2020.3.10
SNSにしてもネットバンキングにしてもパスワードを設定しなければいけない。ネットショッピングやネットゲームやアプリのダウンロードでもパスワードが必要だ。コンピューターやスマホ自体もパスワードが必要であり、ブログを書くときにもメールを送受信するときにもパスワードは必ず要求される。今の時代、一人が管理するパスワードは10個や20個では足りないのではないか。ということで自分が設定するパスワードは全部同じにしておこうとも思ったりするのではあるが、全てが同じ桁数というわけにはいかない。さらに、必ず数字を含まなければいけない、必ず大文字を含まなければいけない、必ず記号を含まなければいけない、などの制限があったりもする。ということで結果として微妙に異なった複数のパスワードを管理しなければならず、結局全てを記憶することはできずに、かえって煩雑で分かりにくくなってしまったりもする。そもそもパスワードとパスコードとキーコードと暗証コードと暗証番号はどこがちがうのだ?


●消去法   2020.3.09
日本は基本的に単一民族国家であり、国民のほとんどが共通の価値観や常識の下で生活を営んでいる。これに加えてインターネットというものが普及して多くの国民が同じ情報を共有するようになった。そうなると多くの国民がより一層同じ方向を向き、同じような考え方になる。その一つが現在の安倍長期政権であろう。多少の不祥事や不正は長年やっていれば出てきて当然である。だからといって政権交代するほどのことではない。だいいち交代するまともな政権が存在しない。だったら多少の不満はあっても今のままの方が良い。交代すれば少しは変わるかも?と思って交代させた民主党の悪夢は多くの国民は忘れない。ということで安倍長期政権はしばらくは続くであろう。消去法は最も安全な方法でもあるのだった。今回のコロナウイルス対策でも、マスコミはあたかも安倍首相が独裁的な判断で色々な要請を出して世間を混乱させているような記事を書いているが、今の時代、政府は専門家や有識者や官僚などの意見を総合的に聞いて最も国民にとって良かれと思う施策を打ち出しているわけで、それを発表するのが首相というだけだ。「混乱」と「感染」を比較して、消去法で「混乱」を選んだだけなのだ。文句を言うやつは混乱無しで感染を防ぐ方法を教えてくれや。


●商店街活性化   2020.3.08
地方の商店街で何か新しいことをやろうとすると必ず反発を喰らう。売り上げが減少して、このままでは消滅してしまうのではないか?という危機感から、色々なことを提案するのだが、そのほとんどが否定されてしまうのだ。マスコミで「商店街活性化の成功例」として取り上げられるようなものは、極めて稀なほんの一部の限られたケースであり、それとて長続きするとは限らないのだ。なぜ反発されるのかというと、①年金や他の収入で食っていけるので商売にはそんなに力を入れなくて良い、②後継者がいなくて自分の代で終わりと思っているのでいまさら商売に労力を使いたくない、③今まで色々なことをやってきたがこれといった結果が伴っていないので普通にやっていればそれで良い、などの理由だ。要するに根本にあるのは高齢化という問題があり、高齢者は新しいことには全て反発するのが常である。「もう長くはないので、このままそっとしておいてくれ」と言われてしまうと、反論の余地もない。


●フリーランス   2020.3.07
フリーランスと言うと聞こえは良いが、早い話が非正規雇用である。今回のコロナウイルスの影響でフリーランスの仕事が激減しているらしい。しかし嘆いたところで仕方がない。常に上司に監視されている正規雇用を避けて自由度の高いフリーランスを選んだわけだから、今回のようなことは想定内にしておかなければいけない。またフリーランスをする以上は1つのスキルだけでやっていくのはリスクが高い。2〜3足の草鞋を常時履き替えられるようにしておかないといけない。もしくは最初は裸足でも草鞋ができるまでの間に荒野に足を踏み出す勇気が必要だ。それが無理なら、悪いことは言わない、早く正規雇用してもらえるところに納まろう。そして声高に言おう「上が悪い!」と。


●要請   2020.3.06
要請とは「必要な事が実現するように、願い出て求めること。」であり、強制や命令ではない。今回の政府からの一斉休校の要請も、国が自治体に対して休校を願い出て求めているわけだ。ところがマスコミは一斉にこのことについて批判的な記事で花盛りだ。そりゃ今回の一斉休校要請についてはつっ込みどころは色々とあるし、不自由や不便を強いられる人もいることだろう。しかしそんな犠牲を払っても今、感染を食い止めなければいけないという判断なのだろう。もし政府が一斉休校要請をせずに感染が広がったとしたならば「なぜ学校の一斉休校などの思い切った措置をとらなかったのか?」とか言って後から批判するのだろう。そして、こんな状況を食い物にして政府を批判する記事を書いている、ここぞとばかりに売名行為を行っている著名人やコメンテーターが多いことにも困ったものである。例えば一斉休校ではなく、各学校の実情に合わせた対応が必要だ!とか言っているが、その対応の基準が誰がどうやっていつまでに、不公平のないかたちで決めるんだ?ということだ。そこにかかる膨大な人的負担を誰が担保するんだ?ということになる。批判するだけなら児童でもできる。


●ペイペイ♪   2020.3.05
日本でキャッシュレス化が進まない理由の1つが、高齢者が多すぎるということだろう。高齢者はスマホが使えないというより、現金のやりとりが1日の内での貴重な「人とのコミュニケーション」なのだ。例えそれがスーパーでのレジでの二言三言の会話であっても。人は他人とコミュニケーションすることで己の存在を確かめながら生きている。コミュニケーションする相手がいないと気がおかしくなるようにできている。これは人類が熱帯雨林から出てサバンナで暮らし始めてから長い年月をかけてDNAに刻み込まれてきた仕様なのだ。孤独になればなるほど些細な二言三言の会話が精神のバランスを保ち、今日を生きる活力になっているのだ。だから決済時にスマホから鳴る「ペイペイ♪」も、鳴らないよりも鳴ったほうが良いのであろう。たとえそれが一方通行であろうとも、相手が機械であろうとも。


●1党独裁   2020.3.04
中国は共産党の1党独裁である。アメリカは共和党政権であるが民主党がいつでも政権が交代できるようにシャドーキャビネットを準備している2大政党制である。日本はあまりに野党がしょぼいためにシャドーキャビネットができないままの事実上自民党の1党独裁になりつつある。かつては2大政党制が民主的であり、1党独裁は民主的で無いとされてきた。しかし1党独裁の中国が凄まじい成長を遂げ、2大政党制のアメリカが衰退していくとなると、1党独裁の優位性が際立ってくるようにも思える。ネットが世界中に普及し情報の共有化が進めば、国家の目指すべき方向性というのも、誰が考えてもだいたい同じようなものになってくるだろう。そうなると本当に2大政党制が有利なのかどうか疑問に思えてくる。民間企業では2大政党制のところはほとんど無いだろう。そんなことをしていたら政権交代のたびに膨大な時間とコストがかかってしまい生産性が落ちる。命令系統はトップダウンで効率良く伝わったほうが良いに決まっている。だから命令系統はトップダウンで一本化されている中国の1党独裁が台頭してきているのだろう。しかしその前にシャドーキャビネットが構築できない日本の野党は不要であることは確かなようだ。


●葬式、坊主、寺、墓   2020.3.03
人が死んだ場合、葬式を行わなくてはいけないという法律は無い。坊主を呼ばなくてはいけないという法律は無い。骨は墓に入れなくてはいけないという法律も無い。遺体を勝手に焼いたり埋めたり放置していたりすると法律で罰せられるが、葬式、坊主、寺、墓は必須ではないのだ。しかし人が死んだ時はなかなか冷静な判断ができなくなり周囲の人の言いなりになることも多く、それが極めて保守的であったり、己の利益になることを推奨したりするとなれば、葬式、坊主、寺、墓という一連の流れに従うこととなる。ところが最近では、密葬や家族葬、自然葬、樹木葬、散骨などが行われるケースも増えてきている。もちろん戒名なども行われない。従って寺も坊主も商売上がったりになり、坊主が物品販売や不動産販売などの副業をしなければやっていけなくなっている。これは前記のような人々の価値観や宗教観の変化もその要因であるが、人口が減少する中で明治時代から寺の数が変わっていないということと、死ぬまでの医療介護費が掛かり過ぎて、死んだ後に掛けるカネが無くなってしまっているという現実があるからだろう。


●書類   2020.3.02
書類の多くは「有る」ことが大事であって、その内容はいい加減であっても大丈夫なことが多い。もちろん記載されている内容を厳密にチェックされるものもある。しかしきっと誰にも目を通されないままキングジムにファイリングされ、5年後には廃棄されるであろうものも少なくないはずだ。そして毎年暮れになるとキングジムから5年を経過した書類を抜き出して廃棄処分するという作業が恒例になっているなんていう事務所も多いことだろう。こういう作業を「儀式」と言う。儀式なのでやらなくても良いのだが、新年を迎える前の恒例なので、やらないと新年を迎える気分にならないからやっているらしい。世の中の書類の多くが電子化され、紙の書類は相当減った。しかしまだまだ「有る」ことのためだけに、書いた人の「やった感」のためだけに、書かなければいけない書類も相当にあるようだ。


●文字と絵   2020.3.01
文章で説明すると、とってもとっても長くなってしまうことを、1つのイラストで簡単に説明できてしまったりもする。長い文章はそれだけ誤字脱字文法の間違いのリスクも増え、レポートや論文であった場合には減点の対象となるのだが、イラストの場合には、仮にデッサンや遠近法が狂っていたとしても減点されることはない。絵をか描く人間の立場で言わせてもらえば、デッサンや遠近法の狂いもちゃんと減点しろよ!でなければ、意味さえ通じれば文法的な間違いは減点するなよ!と言いたい。人類の歴史の中では絵のほうが文字よりも古いはずなのに、いつから文字が絵よりも偉くなったんだ!?



BACK

メニュー