2020年4月


●スポーツ観戦(1)   2020.4.30
無観客でのスポーツ観戦が増えてくる。撮影放送技術がこれだけ進歩しているのだから無観客でも十分なようにも思える。あとは歓声をAIが合成して追加すればいいだろう。例えばフィギュアスケートやアーティスティックスイミングは参加する選手がそれぞれの地元で演技し、その映像を見た審査員が採点るす方式にすれば選手は遠方地に移動しなくて済む。競泳も、参加する選手がそれぞれの地元のプールで同時に泳ぎタイムを競えば良い。水温や気温、水質や気圧などはそれぞれのプールで違っているので不公平ではないか?ということになるかもしれないが、そこはF-1のような考え方にして、水温や気温、プールの構造等ににレギュレーションを設けて、その範囲内で個々の選手に合わせた最高の環境を構築することを目指す。そこに関わるスタッフを含めたチームとして参戦する。レギュレーションに適合しているかどうかは協会が個別に派遣した測定器を備えたロボットによって行い、ネット接続で一元管理すれば良いのではないか。費用がかさむかもしれないが、毎回の選手と関係者の移動にかかる費用を考えればリーズナブルであるはずだ。→明日へ続く。


●わらわらと色々なところに出かけていく人たち   2020.4.29
家に居ることができなくて、わらわらと色々なところに出かけていく人たち。それが買い物であったり公園であったりするうちはまだいい。漁師でもマタギでもない人が海や山へ何しに行くんだ?という状況を撮影してネットにアップしてジャーナリスト気分になっている人たちもまた「不要普及の用でもないのに出歩いている人」なのである。確かに自分は大人しく家でステイしているのに、わらわらと色々なところに出かけていく人たちを見るとムカつくものだ。ただ、子供は仕方がない、また精神的に問題がある人は仕方がない、高齢者は仕方がない、などと言っていると国民全員が仕方がないということになってしまう。どこまでOKで、どこまでがダメという線引きもできない。それでも「要請」だけで「強制」や「命令」でなくてもなんとかなってしまう国に住んでいることをラッキーと思わなくてはいけないだろう。要請に従うことができずに、わらわらと色々なところに出かけていくおバカさんな人たちは、どこの国にもどの時代にも一定の割合でいるはずだ。しかし今の日本にはそんな人たちの割合は比較的少ないんだ、と思えば少しはムカつかなくなるというもの。


●白いマスク   2020.4.28
「マスクは白じゃないとダメ」という学校があるらしい。このクソ入手困難な時期に色指定かよ!という声が上がるのも当然のことである。管理する側から見れば、全員が同じ服装だと規律が守られやすい雰囲気も出るし、全員が同じ方向に向かっているという雰囲気も出る。だから軍隊は全員が同じ服装なのだ。しかし例えば義務教育の現場ではもはやそんなものは必要ないだろう。むしろ個性やオリジナリティーを重視する方向に変わってきている中、服装を画一化する必要などないはずだ。個性的な生徒に合わせたフレキシブルな教育ができない無能な教師がそんな規則を作るのだろう。白物家電が本当に白かった時代の人たちなのかもしれない。


●下準備   2020.4.27
普通の親は教育のプロではない。それ故に「教える」のは下手くそである。子どもに何かを教えるには、それ相応なテクニックや経験値やノウハウが必要であり、一朝一夕でできるものではない。だから「先生」というプロフェッショナルがいるわけだ(プロフェッショナルかどうか疑問?という先生もいるが、まぁそれは置いといて)。もちろん教えるだけの知識も必要だが、それ以上に生徒との信頼関係が大切である。この信頼関係を構築する前に無理に教えようとすると、飴と鞭の鞭だけを多用することになってしまう。子どもは放っておけが勉強などは絶対にやらないのだ。絶対に。それをいかにやらせるようにもっていくかの下準備が必須なのだ。何ごとにも下準備は重要であり、下準備をきちんとしなければ良いものは出来ない。自宅待機が長くなり、子どもの教育というものの親の担う役割が増えてくると、この下準備をしないで、いきなり「早くやりなさい!」「まだやってないの?」と喚くだけのバカ親も増えてくる。なぜバカ親かというと、子どものころ鞭で叩かれないと絶対に勉強をやらなかったためである。


●やることがない   2020.4.26
人間は「やることがない」が長く続くと精神的におかしくなるらしい。そうなる前に、なぜ「やることが無くても食べていけるのか?」を考えてみよう。自然界(飼育されていない)人類以外の動物は何もしないでいれば食料がゲットできずに餓死してしまうはずだ。やることがないなんてことが言えるのは人間だけである。他の動物は食べるためと子孫を作り育てるために常に何かをしている。居るだけで餌を与えられる動物園の動物でさえヒマでヒマでやることないのでノイローゼになるということなどない。人類という動物は、既に単独では生きていけない環境、つまり飼育されている環境に長いこと居たために多くのモノが「与えられる」ことに慣れてしまったのだろう。そしてそのモノが与えられなくなったときに、そのモノを巡っての争いや戦いが始まるのだろう。そうなると「やることができる」ので心配することはない。


●文字ばっか   2020.4.25
いち早く知りたいのが都道府県別感染者数推移のグラフだ。TVのニュースでよく出てくるあのグラフだ。グラフによって今のコロナの感染状況が直感的に分かるというもの。ところがネット上ではこのグラフがなかなか見つからない。比較的すぐに見つかったのは東京、大阪、千葉であったが、他の道府県(全て見たわけではないが)は数ページ探したが見つからなかった。総じて「情報量過多!」である。人間が1ページ(1つの画面)で読む気になれるのは、せいぜい400字までであろう。ヘッドラインの文字数は13文字までだ。それをごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃと色々なこと書きすぎだ。しかも各都道府県とも同じような内容も重複し過ぎだ!「新型コロナウイルス感染症とは」「知事からのメッセージ」「このページの情報は役に立ちましたか?」とかは1面に持って来なくてもいいだろ。どこのページも「文字ばっか」である。文字は書いた方は書いたことで満足する。しかし人間は基本的に文字を読まない生物である。ということを忘れてはいけない。と、ここまでで454文字。


●三す   2020.4.24
「三み」は避けるべきというのは昨日の話し。きょうは「三す」の話し。日本の伝統的文化の中でその存在が危うくなっているのではないかと思われるものだ。①相撲(すもう):人間同士が密着してしかもほぼ裸で戦うスポーツだ。そして相撲部屋の多くは「三密」のようでもある。②寿司(すし):素手で食材を作る。板さんがマスクに手袋で握るようになるのだろうか。③スタンプ(ハンコ):もちろんテレワークに馴染まない。ハンコもらうためだけに出勤なんてありえないだろう。コロナが一段落して世の中が落ち着いてくれば①②は長い時間はかかるかもしれないが復活するだろう。ただし今まで通りというわけにはいかず何らかの改善策を講じないとダメだろう。③は、コロナが収束してもスタンプレス(ハンコ無し)は加速して広まっていくだろう。そもそもコロナとは関係なくても不要なものだったのだから。公益社団法人 全日本印章業協会は、そもそも業界を守るためだけの存在であり、その他大部分の日本国民に甚大な迷惑をかけて甚大な被害を与えていたのだから、今回が良い機会でもある。


●出羽守   2020.4.23
出羽守(でわのかみ)は、やたらと海外や異業種の事例を引き合いに出して難癖をつけたがる人を指す俗な表現である。海外(外国)の事例と比較して日本はダメだと嘆く人を特に「海外出羽守」と呼ぶ。そして今回のコロナでもこの海外出羽守が横行している。隣の芝生は青く見えるではないが、とかく海外が行う施策は素晴らしく見える。確かに海外には進んだ素晴らしい施策はある。ただしそのことと引き換えに苦しんでいる部分もあるのだ。無尽蔵に資金がある国家などはないのだからどこの国でも全体のバランスを見ながら舵をとり運営しているはずだ。それを1つの施策だけを取り上げ「〇〇では給付金が〇〇円だそうだ!それに引き換え日本は!」みたいなことを騒いでいるのが出羽守だ。「〇〇ちゃん家の晩ご飯はステーキだった!でもうちはレトルトカレーだし!」みたいなものだ。〇〇ちゃん家は毎日ステーキを喰っているわけではないだろうし、うちだって毎日レトルトカレーではないはずだ。「三密」ならぬ「三み(僻み・妬み・恨み)」は避けるべきであろう。


●陰性   2020.4.22
多くの人が勘違いしているようだ。「陽性=感染している」「陰性=感染していない」のではない。「陽性=感染している可能性が高い」「陰性=感染している可能性が低い」ということだ。陰性と判定されたのに後から陽性になったという事例もあり、検査の後から新たに感染したというより、検査時にまだウイルスが十分な数に増殖していなくて発見できなかったという可能性が高いらしい。PCR検査では鼻の奥の粘膜を一部を採取するので、この時採取する綿棒が触れなかった部分にウイルスが潜んでいたとすれば陰性という結果になるはずだ。よく「人間ドックで検査した時は発見されなかったが後から癌と診断された」という話しと同じだろう。全身を隈なく調べるわけではないので直径0.1μmのウイルスを見落とすことがあっても不思議ではない。つまり「陰性=ウイルスがいたとしても十分な量に増殖はしていないようだ」ぐらいに考えたほうが良いのだろう。ちなみに安倍昭恵は人間ではなく「妖精」なのだそうだ。


●有名人   2020.4.21
おうちで〇〇しよう!ということで多くの人が〇〇するようになっている。それは「運動」「勉強」「遊び」「踊り」「仕事」であったりもする。そして有名人の一部にとっては「売名」でもあるようだ。もちろん本気で注意喚起したり社会貢献しようとしている有名人もいるが、「あ、こういう人もいたなぁ」という人が久しぶりに出てきて何かと騒いている。騒いで目立てばいいのであって、その内容はどうでもいいのだ。「無名は悪名よりも劣る」のであって、何もしていないと国民の多くに忘れられて「有名人」ではなくなってしまう。そうなってはいかんということで、政権を批判したり、その批判に対してさらに批判したり、政権に強く同調したり、罵詈雑言を浴びせたり、様々のツイートをしている。そして有名人は役者でもある。だからどんな役もできるのだ。「じゃ、今度は〇〇を批判して」と依頼すれば「あ、そう。わかった。」というふうに正義の味方から悪役に転じることもできる。だから芸能人や元政治家などの所謂有名人のツイートを真に受けてはいけない。どんなにYahoo! Newsを賑わせた場合でも。


●移動   2020.4.20
人間の不必要な移動がいかに感染を拡大させたか?ということを世界中の人が身に染みて分かったことだろう。逆に言えばいかに多くの人が多くの不必要な移動を今まで行ってきたのか?ということも言えるだろう。ある事務の仕事をするためにA市に住むBさんは電車とバスを乗り継いで1時間かけてC市の会社に通っていた。C市に住むDさんも同じように1時間かけてA市に通っていた。Bさんの仕事もDさんの仕事も内容的にはほぼ同じだ。というような無駄が世界中に無数にあるはずだ。大人も小中学生と同じに学区制を設けて決められた範囲内でなければ仕事をしてはいけないようにしてはどうか?というか産業革命以前の世界はそれに近いものがあったはずである。それが簡単に短時間で移動できることをいいことに、やたらと人類はあちこちへの移動するようになった。その目的地で行う何か?よりも移動そのものを楽しんでいる。フランスに住んでいながら1度もパリに行ったことのない人が国民の7割だった、なんていうのもつい最近の話しであろう。今回のコロナ騒ぎを機に、やたらと移動する癖を直した方が良いだろう。移動には相応の資源も浪費するのだから。


●お金の価値   2020.4.19
30万円もらえるはずが10万円になった!とブーブー言ってる人がいる。そもそもこの緊急事態で貨幣の価値も変わってきている。国民は国に税金を納め国民のために仕事をしてその見返りとして生活のインフラを使えて衣食住を与えられ教育や福利厚生が受けられるという、いわば国との間で契約を結んでいるのだ。その契約の具体的な細かい部分のやりとりに日本銀行券という仮想通貨が使われているだけのことである。根本的にお金は仮想通貨(電子マネー)と似たようなものなのだ。従って胴元の「国」が緊急事態ともなれば仮想通貨であるお金の価値も当然変わってくる。緊急事態下で大切なのは家族であり衣食住であってお金ではないのだ。お金はそもそも金(きん)であって人類共通の価値があるから、そこに共通の価値を割り当てることができた。それがいつの日からか紙幣が登場して発行者が「これが1枚で1ドルなのです」と宣言することで価値が決められるようになった。ほーらこの時点で紙幣は仮想通貨となったわけだ。


●株が上がる   2020.4.18
普段はなかなか見えない真の人間性みたいなものがこういう一大事になると見えてくる。今回株を上げたのが小池百合子と吉村洋文だろう。多少のパフォーマンスもあるのだろが「良くやってる!」感を国民にアピールできている。反対に「おまえは寝とけ!」と批判をされているのが余計なことをバタバタとやって周囲に迷惑をかけている「感染者を荷物扱い」の大村秀章。安倍晋三はどうか。国の最高責任者なので何かと批判の矢面に立つのは仕方ないにしても、嫁の花見、マスク2枚、源とのコラボ、で印象を悪くした感は拭えないだろう。それに輪をかけるようにバカ嫁の大分旅行には「だめだこりゃ」であろう。それに呼応するかのように支持率を下げている立憲民主も相変わらずヘタレである。「安倍晋三の源とのコラボ動画で抱いていた犬が尻尾を振っていないのはなぜか?」などということを国会で質問するようになっては「世も末」であろう。森田健作千葉県知事はどうか。「今度は自分のお家を見に行ったり、東京の床屋さんに行ったりしないぞ!」という強い決意が見えるように思えるのは考えすぎだろうか?


●一網打尽   2020.4.17
一度網を打ってそこにいるすべての魚を捕らえることを一網打尽と言う。一網打尽にするほうは少ない労力で大量の利を得ることができる。一網打尽にされたほうは甚大な被害を被ることとなる。だから戦争では、いかに敵を一網打尽にするか?いかに敵に一網打尽にされないか?を考えるようになる。その1つがインターネットの概念である。兵力を各地に分散させることで1箇所が攻撃されても反撃するだけの兵力を維持できるというものだ。そして一網打尽にされないためには「密集させない」ということも重要になってくる。ウイルスにとって密集している人間は一網打尽にするための恰好の餌食であったようでもあるのであった。


●webカメラ   2020.4.16
今、なかなか手に入らない商品がwebカメラである。テレワーカーが急激に増えたことでTV会議も急激に増えZoomミーティングのホストはスマホというわけにもいかないからなのだろう。10年以上前からだろうか、Skypeが使われるようになり頻繁にTV会議をおこなっていたが、だんだんとカメラを使うのが面倒になり、音声通話だけのミーティングが普通になってきた。でもってパソコンモニターにくっつけていたwebカメラも「ん?これって2〜3年使ってねぇな」ということでしまい込んでいたものを今回の事態で再度引っ張り出して使うことになった。「今、webカメラって買えないんだよね」という話をしていると、「あら、カメラなら使ってないのがあるわよ」と、ある年配の女性が言った。その女性が言ったカメラとは明らかにwebカメラではないものを意味しているであろうことは容易に想像がついた。がそのことを説明するのも労力を要するであろうことも想像がついたので「あ、だいじょぶだいじょぶ。すぐに買えるようになるだろうし、千円ぐらいだし」と答えておいた。すぐに買えるようになるかどうかは分からんし、もうちょっと高いだろうけど、とりあえず。


●ウイルス   2020.4.15
ウイルスは生物でもなければばい菌でもない。遺伝情報だけは持っているが自力で繁殖することはできないタンパク質の塊りである。生き物であれば殺してしまえば良いのだが、最初から生きていないので殺すことはできない。殺す、に該当する言葉が、不活性化させる、になるだろうか。また、単独でその存在を維持しつ続けることはできず、他の生き物にひっついてそのエネルギーを利用して活動を維持して繁殖するという非常にやっかいな物体である。自分では全く働かず、他人の収入だけを頼りに生きている人間みたいなものだ。そうして改めてイメージしてみると、自立せず、動的に活動せず、プログラムファイルからプログラムファイルへと静的に感染する「コンピューターウイルス」というのは実に的確な言葉であるように思える。


●パチカス   2020.4.14
パチンコがやっと自粛要請の対象になったようだ。コロナもどこ吹く風で開店前から密着して列を成していた通称「パチカス」たち。パチンコ業界は政治家と深い繋がりがあるために政府も自粛要請の対象に踏み切れなかった。という噂ももっともらしい。しかしパチカスとは、パチンコに依存し多重債務状態に陥り自己破産にも陥る人たち。負けたからといって店の台を壊れる勢いで叩く人たち。負けると罵詈雑言を店内で叫ぶ等のモラルに欠けた行為を行う人たち。パチンコをやりたいためだけに窃盗・強盗・強殺に手を染める人たち。生活保護を受けていて保護金を受け取ったその足でパチンコ屋に行く人たち。パチンコに興じる間に子供を炎天下の乗用車内に放置して死亡させる人たち。などの総称である。つまりどーしよーもなくとんでもない腐った人たちであり、そんな連中から唯一の楽しみであるパチンコを取り上げてしまったら、何をしでかすか分からない。おそらくDV、アル中、ヤク中、ぐらいは当たり前になるだろう。だったらやらせておいた方が社会的被害は少ない、というのが本音だったのかもしれない。


●海外旅行   2020.4.13
海外旅行に行った時の写真を見せる。一緒に行った人であれば良いのだが、そうではない人がその写真を見せられても面白くもなんともない。「他人の海外旅行の写真」と「他人のうちの子供の運動会のビデオ」は、見せられるほうはクソ面白くないし、ひたすら時間の無駄なのである。それではマズいということで、写真もビデオもネットで公開して、興味のある人だけが見られるようにしているのが今では一般的になっている。そしてその写真もビデオも、見る人がいかに少ないかということも実感し、己が「思い出作り症候群」であることを認識するのであった。そして「旅」は思い出を作るために行くのではなく、そこで体験したことを、その後の人生で活かすために行くものである、ということが分かってくるはずなのだが、なかなかそこまで分かってくる人は少ないようでもある。だから、その後の人生が残り少ない人でも海外旅行に行きたがるのであった。そして用もないのに海外へ行くということが、いかに危険なことなのかは今回のコロナ騒ぎで多くの人が痛感したことだろう。人間はその生まれ育った環境に適合するようにカスタマイズされているものなのだ。


●STAY HOME!   2020.4.12
今、世界はウイルスという敵と戦争状態にある。だから命が惜しければSTAY HOME!大人しく防空壕(自宅)に避難(待機)しなさいということだ。うっかり防空壕から出ようものならいつ敵の戦闘機の機銃掃射を浴びるか分からないからだ。機銃掃射であれば浴びた人だけが死ぬわけだが、今回の敵はKINCHO コンバットみたいなもので、人間は巣に戻るという習性を利用して防空壕に戻った仲間も全滅させるという恐ろしい敵なのだ。ということを理解しておいたほうが良いだろう。経営とか売上とか保証とか、全て命あっての話だろ。とはいえSTAYするHOMEがlessの人はどうするのだろうか。


●分母   2020.4.11
昨日までの都道府県別新型コロナの感染者数→北海道226・東京1528・神奈川375・埼玉271・千葉342・新潟39・長野21・愛知299・大阪589・京都273・広島25・島根1・福岡187・沖縄42、であった。これを人口(2019年10月の国勢調査)で割ると→ 北海道1/23,227・東京1/9,125・神奈川//24,533・埼玉1/27,075・千葉1/18,360・新潟1/56,975・長野1/97,572・愛知1/25,260・大阪1/14,980・京都1/9,462・広島1/112,319・島根1/673,891・福岡1/23,727・沖縄1/34,623、となる。東京と京都が1/1万人以上になっている。北海道、神奈川、埼玉、愛知、福岡はだいたい同じくらいで、大阪と千葉がちょっと高め。だからといって何か対策が変わるわけではないだろうが、分母というものを考えると、またちょっと変わった数字が見えてくる。


●オーバーシュート   2020.4.10
「オーバーシュート (overshoot)」という言葉がよく使われているようだが、欧米では、感染が一気に広がる「爆発的感染」を「outbreak」(アウトブレイク)、「pandemic」(パンデミック)という単語で表現されることが一般的なようだ。オーバーシュートの元々の意味は、行き過ぎたり、度を越したりすることで、為替相場について使われることが多いそうだ。日本ではなぜこのオーバーシュートが使われているかというと、医療の限界を超える、とか人々の想定を超える、とかいうニュアンスが含まれているからなのだろう。欧米ではどこまでが想定内であるのか?どこまでが医療の限界なのか?という基準を設定する暇もなくアウトブレイクしてしまったため、オーバーシュートという言葉を使うヒマがなかったのかもしれない。もう一つ最近耳慣れた言葉で「クラスター (cluster)」がある。軍事に興味がある人なら知っていると思うが「クラスター爆弾」という兵器があり、大型の弾体の中に複数の子弾を搭載した爆弾のことである。その破壊力と被害の恐ろしさを見ると、クラスターの恐ろしさも理解できる。



●緊急事態宣言   2020.4.9
かつて誰も経験したことなない緊急事態だ。前例が無いだけにこれからどうなるかは誰にも分からない。なぜもっと早く宣言しないのだ!と喚いている人たちもいるが早くすればするほど経済産業のダメージも大きかったはずだ。収入が無くなれば犯罪や自殺も増える。常にトレードオフのバランスの中で最もダメージが少ない方法を模索しての政府の判断なのだろう。今回の緊急事態ではほぼ全ての人がダメージを被るはずだ。そのダメージを最小限にするために政府も自治体も関連団体も足並みを揃えて協力しなければいけないはずだ。そんな中で批判と文句しか言わない連中がいる。言ってることは確かに一理あるかもしれない。しかし喚いて騒いだところで何かプラスになるのだろうか?ダメージを少なくすることはできるのだろうか?なんせ誰も経験したことのない事態だ。結果論と理想論を言うのは簡単だ。実行するのは結果論と理想論を言うよりも100倍難しいのだ。とは言え、一家揃ってRV車にバーベキューセットとクーラーボックスとバスケットを積み込んで、談笑しながらいそいそと出かけようとしている家族に、何らかのペナルティーを与えることはできないものなのだろうか…


●自宅待機   2020.4.08
Facebookの投稿を見ていると「この人、ヤバいんじゃないかな?」と思えるものが、増えてきたように感じる。精神が健康な人であれば多少の自宅待機にも耐えることができるが、そうでない人にとっては外部の人間とのコミュニケーションを絶たれるということは、想像以上に辛いことなのかもしれない。「ネットでのコミュニケーションは継続してできるんじゃね?」と思うのであるが、やはりネットだけでは満たされない何かがあるのだろう。その何かが、リアルでの他人との接触なのかもしれない。「心の弱い人」の精神も、医療と同様に崩壊するかもしれない。いずれにしても、今までルーティーンでやってたこともやってはいけなくする、ということは、何か新しいことを始める、のと同じくらいに辛いことなのだろう。


●テレワーク   2020.4.07
テレワークを始めて20年以上経つが、巷で言うほどテレワークは簡単ではない。「テレワークを実際にやってみるともはや会社に行きたくなくなった。」と言ってる人も少なくないようだが、確かに短期間であれば通勤という無駄とも思える時間が省略できるので実にリーズナブルな感じもする。ところがこの通勤というやつが実は丁度良い「運動」になっていたということがそのうちに分かってくることだろう。電車に飛び乗るために駅の階段を駆け上がる、なんてこともやらなくなるし、社内での毎日の移動距離だってバカにならない歩数になる。運動不足になって、自由な時間が増えて生活が不規則になり、仕事もする「小原庄助」状態になってしまうわけだ。ということでテレワークをやっていた仲間で結局身上潰した者もあれば、結局通勤生活に戻った者もいる。幼稚園から集団で行動することに慣れ親しんできた現代人が、そうそう簡単にはテレワーカーにはなれない。


●若者が電話に出ない   2020.4.06
若者が電話に出ないので感染経路が辿れない!という現象が起きている。若者が電話に出ないのは今に始まったことではない。もともと知らない番号からかかってきた電話には普通は出ない。出るとろくなことが無いからだ。どこからの電話か分からないのに必ず出る高齢者よりは賢いように思える。そして知らない番号からかかってきた電話に出ない理由は他にもある。今の若者は自分たちだけのコミュニティーを執拗に大事にするのだ。世の中が画一化される傾向にある中で「自分らしさ」「個性」を見出すためにコミュニティーの外からの人間が入ってきて掻き回されることを恐れている。そして自分の時間を他人によって潰されてしまうことでの拒絶反応もあることだろう。他にも理由はある。今の大人たちの中には何でもかんでも電話で事を済ましてしまう人がいる。そんな大人たちに嫌気が差して電話に出ないようになってしまったのかもしれない。


●マスク-2   2020.4.05
→昨日の続き。しかし国が1世帯に2枚ずつ配るマスクに関してマスコミは騒ぎすぎだ。1世帯に2枚ずつ配ることの効果はまだ分からないし、これがギャグやコントのレベルの無意味なことなのかどうかも今は分からないだろう。「長期政権を謳歌してきたが、今そのツケが国民に」とか言ってる人もいるようだが、だったらあんただったらどうしたんだよ?ってことだろう。今騒いだところでどうにもならんはずだ。いずれにしても批判が噴出する裏で、本当に助かっている人も少なからずいることだろう。みんな自宅待機でヒマになったぶん、こんなことに面白がって過剰に反応しているのではないかと思える。外に出られなくなった養鶏所のニワトリのストレスが溜まって騒いでいるようにも見える。まあ普段から反安倍の人たちがここぞとばかりにツッコむのは仕方のないところでもあるが、マスコミに誘導されたお笑い芸人が「コントかと思った」というコメントには、コントかと思うのであった。とりあえず今は賢い人は黙っているようだ。養鶏所のニワトリは死ぬまでゲージの中だが、我々はいつか出られる日が来るのだから、それまで我慢しよう。


●マスク-1   2020.4.04
マスク(mask)が何かと話題になっている。日本ではマスクと言えば不織布、布、ガーゼでできた両脇のゴムを耳にかけて口を覆う、国が1世帯に2枚ずつ配るらしいあの白いやつだ。しかしマスクの元々の意味は仮面であり、オペラ座で怪人が被っていたやつだ。その他「面」「覆面」「パック」「目隠し」などの意味があり、ほとんどは口の部分は呼吸用に穴があいているので新型コロナ対策には使えない。また動詞として「覆う」とか「被う」の他に、「秘める」「潜める」「忍ばせる」という意味としても使われるとのこと。ただし今回配られるマスクにはそんな深い意味のものが潜められてはいないでろうし何かを忍ばせているわけでも無いだろう。もともと日本人はマスクが大好きで、風邪でもないのに予防のために着用している人も多かったし、表情を読まれないため、個人を特定しずらくするために着用される場合も多かった。しかし欧米では日本ほどマスクをつけるということ自体が一般的ではなかったらしい。個人を特定しずらくするという意味ではカルロス・ゴーンに対しては全く効力が無かったということは記憶に新しいところでもある。→明日へ続く。


●ショートメール   2020.4.03
LINEがあるからショートメールなんて「いらねーんじぇね?」と思っている人も少なくないようだ。とはいえまだまだショートメールしか使えない人もいる。しかしショートメールではほんの「片言」の連絡しかできないので、コミュニケーションツールとしては不完全である。あるクライアントから「私のサイトのURLを名刺に印刷したいのだが、何て書けば良いでしょうか?」というショートメールが来た。どうやらドメインの前の部分、つまりhttps://のところがよく分からないということらしいので「https://xxxx.co.jpです」とショートメールをしたのであったが、これだと自動的にhttps://の部分が省略され「xxxx.co.jpです」となってしまい、xxxx.co.jpの部分はリンクになってしまう。例えばhttps://のどこかに半角スペースを入れればリンクされずに全文字列が表示されると予想されるが、半角スペースを入れたまま印刷されてしまうというリスクもある。ということでメールで伝えることにして、ショートメールは「メールを確認してください」の一言を送信した。ショートメールなんて「いらねーんじぇね?」と思った瞬間であった。


●働き方改革   2020.4.02
HTMLをいじっていると「んっ?なぜ動かん?」「何でやねん?」「おっかしぃなあ…」ということが頻繁にある。HTMLだけであれば比較的簡単に解決するのであるが、CSSなど他の言語が絡んでくると原因が皆目見当がつかないこともある。まぁ大抵の場合「なあ〜んだ、こんなことだったのか!」というようなシンプルなことが要因であり、「どうせ、そんなことだろう」ということも解決する前から想像はついている。またその問題が永遠に解決しないこともあり得ないし、集中力のある時にグッと考えれば解決できることも分かってはいる。しかし、こういった小さな不具合が未解決のまま寝てしまうと、かなりの高い確率でその未解決の不具合の夢を見る。しかもその未解決が様々な悪影響に発展する悪夢だ。その悪夢を見ないようにするには起きている間にその不具合を解決する以外に道はない。ということで働き方改革とかは全く関係のない次元での身体に悪い働き方をしているのであった。


●安倍昭恵-2   2020.4.01
昨日の続き→。そしてこれを機に左翼界隈では「安倍政権を終わらせよう!」と盛り上がっているようだが、悲しいかな安倍政権にとって変わる政権が無いので変わりようがない。「嫁はバカだけど、まぁ、いいか」というのが大方の見方であるようだが、今回ばかりは、そうもいかないような雰囲気もあるようなのだが…「政治」には疎い民衆でも「非常識」には敏感なようだ。ところがもしかして昨年の花見の写真では?との疑惑もあり、そうなると週刊誌ネタを国会で質問した野党の無責任さと、無能さがクローズアップされるわけだ。しかし、だったら何で「レストラン敷地内の桜の下で撮った」と総理は答弁したのだ?つまり今年の写真であることは認めているのではないのか?ということになる。と、そうこうしているうちに国民の関心は志村けん死去になっていくのであった。



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