2020年6月


● 男女平等   2020.6.30
権利は男女平等である必要がある。ただし物理的に平等にできない部分もある。例えば潜水艦には女性の乗組員はいない。女性用トイレを設置するスペースが作れないためだ。また平等にするのが性別の性質上難しいものもある。数百万年前に人類が熱帯雨林から地上に降りたころから、女性はコミュニティーを形成して相互で子育てをしながらその日々をどう生き抜くかを考えながら生きてきた。男性は狩に出かけ獲物と戦いながらどやって食料を確保したらいいのかを考えながら生きてきた。そしてそのDNAは現在でも受け継がれている。だからコミュニケーションや感情を優先し衝動的に行動する女性は「仕事」への適性は高いとは言えない。またガサツで大雑把で好戦的な男性は「子育て」には不向きであると言えよう。またアジアなどのモンスーン気候の地方に多く見られる農耕民族はより男女の役割分担がはっきりしていたはずだ。対して狩猟民族は女性も狩猟を行なってきたために男女の差は少ないと言えよう。だからヨーロッパの男女平等制度をそのまま日本に取り入れようとしても無理がある。ヨーロッパの女性は出産後翌日には退院するが日本人は1週間入院する。狩猟民族は子供が敵に襲われないようにするためにすぐに移動できるようにしてきたためであり、農耕民族は子供を匿うコミュニティーが確立されていたためであろう。これは物理的な民族的な差異であって、すぐに解消できるものでは無い。完全な男女平等になるためには男女という区別が完全になくならないといけないのかもしれない。


●クズ   2020.6.29
既得権を利用して、他人の血を吸っていきているような人間を「クズ」と言う。国が豊かになればこのクズも増える。肥えたブタには寄生虫が増えるように。しかしクズは端から見ればどーしよーもない社会の悪ではあるが、本人たちも自分たちがどーしよーもないことをしていることは分かっている。分かっていてもやめられないのだ。クズにはクズなりのノウハウやテクニックやスキルもある。そしてそのことを身につけることによっての効果は絶大でもあるようだ。罪悪感という部分の感情さえ押し殺していれば、こんなに素晴らしい生き方はない。だから多くの人間が今でも「クズ」を目指している。


● カメラマン   2020.6.28
ポスターに掲載するので写真データを送ってほしい。と依頼したところ「すぐに撮影して送ります」とのことだったのだが、送られてきたのは直立不動でカメラの方を睨んでいる写真が3枚だった。もちろんそんな顔の写真ではポスターには使えない。ポスターに使うのであれば最低でも10枚以上の色々な表情のショットの中から選ぶのが普通であろう。プロとまではいかなくても写真に精通したカメラマンがモデルをディレクションしながら撮影したものが望ましい。だがそのとき依頼された人は、どうやら最近高価な一眼レフを購入して、そのカメラを使いたかった。しかしカメラマンとしてのスキルも経験も全く無い素人だった。そして「2000万画素のカメラで撮ったから大丈夫!」と確信していたらしいのだった。だったらなんでプロのカメラマンという職業があるのか?というところまでは考えが及んでいないようでもあった。ちなみにカメラマンという言葉も最近ではステレオタイプになるとのことで、カメラパーソンと呼ばなくてはいけないらしい。そうなると余計に「カメラという機械に固執した人」というニュアンスも強くなるように感じるのだが。


●文字を読まない   2020.6.27
口で言っただけでは普通、人は聞いていない。だから必ず文書化する必要がある。しかし文書といっても、人が読む気になれるのは、せいぜい400字ぐらいであろう。「ちゃんとココに書いてある!」と言ったところで、それが絶対的なものではないし、読まなかったほうの落ち度ということにはならない。もし「ちゃんとココに書いてある!」が通用するのであれば生命保険の約款やソフトウェアの使用条件の規約も「読まないほうに落ち度がある」ということになるのだ。言ったほうは分かっていても聞いてるほうは理解していないのと同様、書いた方は理解していても読んだほうは理解していないのが常である。もし、読んで欲しいのであれば、でっきるだけ文章を短くするのが鉄則であろう。それでも読まないヤツは読まない。世の中に氾濫する多くの「文字」は書いたほうの満足感を満たすためのものなのであった。


●コロナ   2020.6.26
コロナは太陽の外層大気の最も外側にある、希薄なガスの層であり、普段は光球や彩層からの光が強いため見ることができないが、皆既日食の際には肉眼で見ることができる。神秘的で美しい現象であり、多くの商品名やブランド名にも使われてきた。家電メーカー、自動車、ビールなどは有名だ。また偵察衛星のプロジェクト名から店舗名の固有名詞まで幅広く使われている親しみのある言葉でもあった。しかし今では完全にコロナと言えば地球上の人類のほぼ100%が新型コロナウイルスを連想するようになってしまった。だから先日の皆既日食の際のテレビのニュースでも「コロナが見える」とはどこの局でも言わなかったようでもある。そしていずれは「コロナの意味」は「コロナの語源」となっていくのだろう。


●ほーら出てきた   2020.6.25
コロナは収束したわけではないが、収束したものとして扱っているかのようにも見える。収束したものとみなして活動をしないとそうそういつまでもお家で自粛はしていられない、ということもコロナ側も分かっていたかのようでもある。「ほーら出てきた出てきた」と人類の行動を高みから眺めて喜んでいるのかもしれない。バルサンを焚いて我慢しきれずに冷蔵庫の下から床に出てくるゴキブリを見るかのように。


●資料   2020.6.24
とにかく資料を大量に渡す人がいる。そして渡すと同時に口早に説明をするのだが、聞いているほうは早くて理解が追いついていかない。でもって後から確認の質問をすると「ちゃんと資料に書いてあるだろ!」と言って怒る。そして資料を全部渡してしまえば「丸投げ完了」なのである。マイペースであり自分勝手であり自己中なのである。資料を渡すときは、極力少なく、シンプルで分かりやすくして、簡潔に説明できるようにしておこう。大量に資料を渡すことでの「達成感」や「満足感」は渡した方の人間だけが味わうものであり、渡された方は「迷惑千万感」だけが残る。大量の紙の資料は捨てるだけでもタイヘンなのだ。こういう行為をペーパーハラスメントと呼ぼう。


●政権交代   2020.6.23
日本で政権交代が起きたのは記憶に新しいところでは、1993年の 宮澤内閣→細川内閣、1994年の羽田内閣→村山内閣、2009年の 麻生内閣→鳩山内閣、 2012年の野田内閣→安倍内閣である。最後の安倍内閣が現在も続いているわけだ。その間8年の長期政権であり、自民党の独裁政権という色合いも強くなってきている(マスコミがそのように煽ることもあり)ようだ。しかし1993年に細川内閣への政権交代が起きる前の最後の政権交代は1954年の 吉田内閣→鳩山一郎内閣だった。鳩山一郎内閣は政権交代当時は日本民主党という党名だったが1955年に保守合同が実現し自民党が結成された。つまり1954年から1993年までの39年間は自民党の一党独裁だったわけだ。これが1993年に細川内閣に政権交代すると、その翌年、当時の自民党と社会党が連立し政権を奪還する。そしてまた15年間の自民党の一党独裁となる。ということで社会党の村山内閣は2年弱で自民党の橋本内閣に交代するが、これは連立与党内の交代なので政権交代とは呼ばないらしい。ということで、政権交代が行われると同時に、または政権交代で勝馬に乗るために、与野党内の色々な政治家の鞍替えが行われる。理念とか思想とかとは全く関係なく行われるわけだ。この動きを「政治的」と呼ばずに何と呼ぼう。


●twitter   2020.6.22
人間であれば感情の起伏は当然ある。しかし憤慨や怒りは一時的で衝動的な場合が多い。後から冷静になって思い返してみると「なんであんなに怒ったのだろうか?」と感じるものも多い。ところが今の世の中twitterという悪魔の呟きツールがある。瞬間的で衝動的な怒りがまだ収まらないうち文字にして広く公開することができてしまう。後から冷静になって削除しても誰かに魚拓を取られている可能性もある。昔は密かに「日記」に書いてしまっておけばよかったものなのであろう。そしてtwitterでは、冷静で賢い人がついつい怒った勢いで呟いてしまい炎上したりもする。だから地位が高い人や首長はtwitterは使わないほうが良いとも言われている。いっつも怒っているトランプ大統領を除いては。


●印象   2020.6.21
「最近地震多くない?」と思うことがある。確かに東日本大震災の余震はしばらく続いたが、日本に地震が多いのは何億年も前から続いていることで、地球が生きている(地殻変動が続いている)以上地震は続くのだ。ヨーロッパやアメリカ東海岸はたまたま今は地震が起こらない時期にあるというだけである。「最近死ぬ人多くない?」と思うことがある。確かに季節の変わり目や寒暖差が激しい時期には亡くなる人も多少は増えるかもしれないが、基本的に人間は寿命が来た人から順番に死んでいるのだ。その量が突然増えたり減ったりはしない。人は印象に残るネガティブな出来事は頻繁に起きているように感じるだけの話しだ。「最近巨人はよく負けるんじゃない?」というのも悔しい逆転負けを喫したり、不甲斐ない負け方が何試合か続いたときの印象であって、順位表ではちゃんとトップにいたりするのであった。


●長電話   2020.6.20
無料のZoomは40分経つと切れてしまう。これは大事なところでぶっつりと切ってあえて不便な思いをさせて有料の「プロ」か「ビジネス」に誘導しようというものだ。しかし人間の集中力が維持できる時間はせいぜい10分程度である。10分を超えると会議や授業で「聞いてない人」が増え始め、30分を超えると、ほとんどの人が「聞いてない人」になる。よほど面白い話であればそうはならないが、そんな話ができるのはプロの噺家ぐらいであり、普通の人はそこまで面白い話はできない。従って40分経つと切れるというのは親切な仕組みなのかもしれない。またスマホで参加した場合、Wi-Fi接続しないで、かけ放題プランに入っていないと通話料金は利用者負担となってしまい、40分で切れてもらわないと困るという人もいる。とはいえ40分以上の長電話というのも一般的には珍しくない。と、そこで改めて考えてみよう。『長電話、話してるほうは時間が経つのを忘れていても、聞いてるほうは「早く終われ」と思っている』ということを。


●カオス状態   2020.6.19
メール添付でzipファイルが送られて来る。しかもロックされていてパスワードがないと解凍できない。さらに受けたほうはMacなのでzip解凍アプリかターミナルを使わないと解凍できない。と、そんなものを初心者に送信したところでどうにもならない。添付ファイルでの送受信でさえ覚束ない人もたくさんいるのだ。今のインターネットの世界には交通ルールというものがない。初心者から上級者までが同じ道路を違う速度でそれぞれが勝手な方向で走っている。歩行者も自転車もバスもタンクローリーもF1カーも戦車も入り乱れて走っているようなものだ。インターネットという道路を走るための免許証は不要であり仮に事故ったら保険もないので当事者同士で何とかするか泣き寝入りするしかない。そんなルールも免許もないカオス状態なのではあるが料金所だけはしっかり作られている。


●デザインの評価   2020.6.18
デザインが出来た。クライアントに評価してもらう。しかしそのクライアントは自分ではデザインの良し悪しが判断できないので複数のスタッフに意見を聞いた。ところが賛否両論が錯綜してお互いが熱くなって混乱状態となってしまった。そもそもそのデザインをする意義や必要性まで問うということになってしまったとのこと。デザインを評価するのは簡単ではない。直接発注する窓口業務を担当する人は、この簡単では無い仕事を安易に他人に振らないことだ。センスがあるとか無いではなく、複数の他人に振ると、大抵は話がぐちゃぐちゃになって収拾するため大きな労力を使うはめになる。仮に誰にも相談せずに担当者判断で勝手にOKを出してしまったものは、意外と誰も文句を言わないものなのだ。出された定食は食べる以外にないが、出す前に「何が食べたいか?」を聞くと、色々と迷ってしまうのと同じことだ。


●芸能人の政権批判   2020.6.17
落ち目の芸能人が突然政権批判を始める。あるとき「仕事のオファーが無くなってきたので国政選挙に打って出よう!」と思ったのだろう。そこで選挙のコンサルなどの専門家に相談した。すると「自民党公認で出馬するには候補者の競争率が高く難しい。出るんだったら野党からだろう」とアドバイスを受ける。そして「野党から出るからにはとりあえず政権批判をして注目を集めろ」とも言われる。さらに「とりあえず政権を舌鋒鋭く批判しておけば賛成者も反対者も反応する。とにかく注目を集めることが最優先だ。心配することはない、原稿は私が書くから。」などと言われる。落ち目とはいえ、一時期は全国に名の売れた芸能人であれば、そのツイートが顔写真とともにYahoo! ニュースで取り上げられたりもする。ということで、政治には1ミリも興味がないであろう落ち目の芸能人が突然政権批判を始めるのであった。


●両方を満足させることはできない   2020.6.16
東京アラートが解除されても感染者数が減らない。多くの人が批判をしているようだが、その全てが結果論である。結果論ならバカでも言える。「じゃーおめーが陣頭指揮をとってやってみろ!」ってことだ。感染を防ぐことと経済を停滞させないことはトレードオフの関係にあり両方を満足させることはできない。ライオンに追いかけられて崖っぷちに追い詰められる。ライオンに食われて死ぬか、崖から飛び降りて死ぬかの2択のようなものだ。と言うとかなり深刻な問題だが、もっと軽く考えてみよう。例えば巨人阪神戦ではどうだろうか。巨人が勝てば阪神ファンは必ず文句を言う。「なんであそこで○○に交代んさせるんや!?」と。阪神が勝てば巨人ファンは必ず文句を言う。「なんであそこでエンドランなんだ!?」と。どっちに転んでも必ず文句を言うヤツがいるというだけのことだろう。


●「◯◯をしてください」   2020.6.15
「◯◯をしてください」というメールを受信する。極めてフツーの要求をしているのだが、どこか上から目線な雰囲気がする。なので◯◯をするのではあるが、どうしても事務的な対応となり◯◯以上のことはやらなくてもいいや、という気分になる。だからと言って「◯◯していただくようお願いします」というような遜った書き方だとしても、まあ、単に「敬語を使いやがって…」という気分になり、対応は変わらない。「◯◯していただけると幸いです」とか「◯◯していただくと助かります」とかになってくると、受信した側も「少しはサービスしてやろうかな…」という気分になる。「◯◯してもらえると嬉しいです」とかになると、しなくてもいい、と言っているにもかかわらず、やらずにはいられなくなる。「◯◯していただくと△△は喜びます」とかになると絶対に無視できなくなる。というようなことであるのだが、それでも「◯◯をしてください」と書くのが一般的である。文面だけでは「気持ち」や「本当に言いたいこと」の10%程度しか伝わらない。そして「◯◯をしてください」と書かれると、単なる連絡事項であるにもかかわらず「命令された」という不快な気分になる人も多いようである。


●バナーデザインに女性の顔   2020.6.14
バナーのデザインには女性の顔を使うとCTR(クリック率)が上がるとされている。男性の顔の数倍になるとか言われているが、その顔の個体差によるところも大きいのではないかとも思える。ただし女性の顔を見た男性は生き物としての本能である異性への興味からクリックし、女性の場合は同性への敵対心からクリックするようである。男性の顔のバナーであった場合はそれを見た女性は生き物としての本能である異性への興味からクリックするが、男性の場合は同性への敵対心は無いのでスルーされてしまうのかもしれない。さらにバナーデザインに”美しい”女性の顔を使うと、男性からの異性への興味は増大し、同時に女性からの敵対心も増大してさらにCTRが上がるらしい。だから昔からの商品広告には女優の写真が使われてきた。どう考えてもその女優が乗っていないであろうクルマや、どう考えても使っていないであろう日用品、どう考えても食っていないであろう食品などなどだ。つまり食っているかどうかなどということはどーでもいいということだ。


●Googleyカレンダー(2)   2020.6.13
→昨日の続き。最初は分からないことが恥ずかしい、またはプライドが許さない、とかの理由ではないかと想像していたのだが、どうやらそうではないらしい。どこが分からないのか分からないのであった。「不思議なことに○○○が消えた」とか「なぜか○○○はいなくなった」と言うのであった。「それは消えたのではなく、余分な画面を出しちゃったから隠れて見えなくなったんですよ!」というところから説明しなければいけないらしい。そこが理解できてから、今度はログインとかブラウザとかアカウントとか、そういった概念を説明しないといけないのだろう。Googleカレンダーが更新できるようになるまでの道のりはまだまだ長いようだ。


●Googleyカレンダー(1)   2020.6.12
あるクライアントからホームページの更新依頼が来る。といってもブログの更新だ。費用はちゃんと払うとのことなので有難いのではあるが「ブログなんだから自分で更新してくれよ」というのが正直な気分である。更新内容を毎度LINEで送ってくるのだが、そこにかかった時間でブログは更新できるんだって、手順さえ覚えてしまえば。ということでせめてGoogleyカレンダーぐらいは自分で更新してほしい、ということで更新手順書を丁寧にIllustratorで作ってPDFにして送ったのではあるが、今日もまだ更新されていない…分からないなら「どこが分からないのかLINEでも電話でも聞いてくれば、いつでも教えてあげますよ」と言ってあるのだが…→明日に続く。


●クレーマー   2020.6.11
一人のクレーマーがクレームをつける。するとクレームをつけられた部分を改善する。しかしその改善はクレーマーにとっての改善であっても他の客にとっては改悪だったりもする。改悪の度が過ぎた場合は他の客がクレームをつけるわけだが、軽微だった場合には何も言わずにその店から離れていくこととなる。クレーマーにクレームをつけられ、もうそれ以上クレームをつけられたくないために盲目的にクレーマーの要求に従ったがために他の多くの客に逃げられてしまうというお店もある。確固とした理念とコンセプトを持ってお店を運営するようにしよう。クレーマーの多くはクレームをつけるという方法でしか他人とのコミュニケーションが取れない寂しい人なのであるからして、そんな人の言うことはいちいち真に受けてはいらんない。一人のクレーマーのクレームした箇所を改善したとしても、クレーマーはクレームをつける箇所を常に捜しているのだからクレームが無くなるというわけではない。


●ローソンPBのデザイン   2020.6.10
ローソンのパッケージデザインをした佐藤オオキ。東京五輪ロゴで“パクリデザイナーとして話題になった佐野研二郎に続き「デザイナー」という職種の価値を貶めるような行動を行ったようだ。すっげー分かりにくいパッケージデザインをしたまでは仕方がないとしよう。デザイナーであれば最初の何案かをクライアントに提示した時点でこういうデザイン案はあってもよい。採用したクライアント側の責任でもあるし、考え用によっては先を行き過ぎたデザインという解釈もできよう。問題は「物を選ぶ労力が無駄」とか「店頭での見た目だけでなく、商品を家に持って帰った時、雑音にならずに生活に馴染むパッケージを目指した」とか余計なことを語り、自分の部屋の写真まで公開したということだ。まぁデザイナーである以上、自分のデザインしたものを自分の言葉でプレゼンテーションできなければいけないし、そうするように教育も受けてきたことだろう。しかしだ、40年近くデザイナーをやってきた経験で言おう。「ベラベラとよく喋るデザイナーは大抵はセンスが無い」「センスある優秀なデザイナーか寡黙である」ということを。


●金魚   2020.6.09
昭和の時代には、家電製品の普及に伴い火鉢が使われなくなり始めた。その火鉢に水を入れ、玄関先で金魚を飼っている家をよく見かけたものだ。そしてその金魚、最初は縁日の金魚すくいか何かでゲットしてきたであろうものが、何年も経つうちに丸々と太って火鉢の中を悠々と泳いでる姿もよく見かけた。火鉢ほどの容積があり、飼っている金魚が数匹であれば、特に何にも世話をしなくても、自然に生えた藻や自然に発生したボウフラを食べているので良かったのだ。これが時給自足型社会の縮図みたいなものだろう。しかし火鉢よりもはるかに小さい容積の水槽で、金魚すくいでゲットしたよりもはるかに多くの金魚を飼おうとするとそうはいかない。絶えず酸素を送り込み、毎日餌を与え、頻繁に水槽の掃除をし、飼い主がつきっきりで世話をしないといけなくなる。ところがいくら注意していても水槽内の1匹が何かの病気に感染すると、それが原因で全滅することがある。狭い水槽で密集して住んでいたために起こった、人類が最近経験したやつだ。


●高音質・高画質-3   2020.6.08
→昨日の続き。そして音にも脳内フォーカシング作用はある。もしかすると視覚よりも顕著かもしれない。例えば雨の日の街中で隣を歩いている人と会話をしても相手の言っていることは聞き取れて理解できる。しかし同じ状況で機材を使って録音をすると、周囲の雑音が大きくて会話の音声はほとんど聞き取れないのだ。雑音とは、雨が傘に当たる音、車道を走るクルマのエンジン音、クルマのタイヤが路面の水を跳ねる音、街の雑踏音、風切音などである。そんな溢れる雑音の中から会話の音声だけにフォーカシングできるということだけでも大したものである。さて音質にしても画質しても、これだけフォーカシングできるということは、そのときの音質、画質のクウォリティはそんなに高くはないのではないかな?とも思うのだが、いかがなものだろう。認識できる最低限のクオリティであるような気もするのだが。


●高音質・高画質-2   2020.6.07
→昨日の続き。高品質の画像が求めているのはあくまでも忠実性であって、その画像を見た時に人間がどう感じてどう思うかはあまり考えられていないようだ。だから理想の画像は忠実性を極めた高スペックなモノになってしまう。等解像度な細密な画像であって印象派の絵画ではないのだ。美術館にはスーパーリアリズムの絵画作品もあれば印象派や古典の作品もある。残念ながら高品質が目指しているのはスーパーリアリズムだけである。人間が感じることのできる範囲はもっともっと広いはずなのだが。このことは音質についても言える。現在の「高音質」とは忠実性だけを追求しているようだ。例えば欧米製のオーディオ機器はは表現力に長けている。周波数特性だけを見れば日本製の機器のほうが優れているのだが、演奏者が伝えたい部分の表現力、味わい、空気感といったようなモノでは欧米製のほうが優れているのだ。逆にその機器の周波数特性は凸凹であったりもする。人間の感性で作った音を再生しているからなのだろう。→明日に続く。


●高音質・高画質-1   2020.6.06
高音質とはビットレートとS/N比と周波数が高いものが、クリアで忠実性の高く高音質と思われがちだ。しかしどうだろうか?例えば画像でいうと4kより8k、8kより16kのほうが高画質であると思われているが、それはあくまで高解像度を追求しての話しである。高解像度の画像は目に入ってくる情報量が多すぎて人間の脳で処理できる領域を超えていて、すぐに疲れてしまう、または脳内でのフォーカシングをしなければ見ていられなくなる。脳内フォーカシングとは、例えばドブ川に咲いているキレイな花を見る時に行われる作用だ。人間の目はドブ川のキレイな花を見る時に、花だけにフォーカスを合わせて見る。これは被写界深度とか絞りとかの問題ではなく「見ようと思っているモノだけを見る」という脳の作用である。だからその花の写真を撮ってもドブ川のゴミや汚物が写り込んでしまい、花のキレイさが打ち消されてしまう。カメラのレンズは画角に入ったものは全て写すが、人間の脳は画角に入ったモノの中なら自分の見たいモノだけにフォーカスを合わせているということだ。だから16kの画面を見ても、その中の自分の見たいモノだけにフォーカシングしてしまうので、フォーカシングされていない残りの部分を16kで再生し続けているのは無駄なのである。→明日に続く。


●バッタ   2020.6.05
インドでバッタが大量発生している。大量発生しているバッタはバッタの中でも移動や繁殖が早く、特に大きな被害をもたらすサバクトビバッタという種類。成虫は1日に最長150キロの距離を飛び、その間に2グラム前後の体重と同じ量の野菜などを食べるとのこと。そんなサバクトビバッタであるが、彼ら一匹一匹は自分が生きるために野菜を食べ、次の食料を見つけるために長距離を移動し、子孫を残すために生殖活動を行っているのだろう。そして彼らは生まれた時には既に周囲に多くの仲間がいて、そのことが当たり前だと思っているはずだ。そしてただ「食べる」「生きる」という行為が、自分たちが大量発生することで「人間」という他の生物に多大なる損害を与えているということは知る余地もない。人間も今の時期は歴史的に過去に経験したことなないほどに大量発生していて、飛行機に乗って1日に最長15000キロの距離を飛び、地球上の資源を消費し尽くし、地球上に生息してきた他の生物たちに多大なる損害を与えている。人間はバッタと同じだ。


●思ったほど出なかった   2020.6.04
便所に入って考え事をしながらう◯こをする。う◯こをし終わって便所を出る。ところが便所を出て数歩、歩いたときにまた少しの便意を催す。そして数秒間立ち止まってその便意を確認する。確認したところ大した便意ではないのだが念のため便所に戻ってう◯こを再開する。すると案の定、う◯こは思ったほど出なかった。本編に比較するとほんの僅かの量であった。今回の「東京アラート」後の感染者も、こんなふうに「思ったほど出なかった」ということになればよいのだが。


●文句を言う   2020.6.03
他人が何かの行動を起こすと必ず文句を言う。何も行動しないでいても必ず文句を言う。どっちにしても必ず文句を言う人というのは、文句を言うことで自分が注目されたいだけであって、他人のやることに文句をつける以外に自分の存在を周囲に認めてもらえないのであった。そして自らが行動を起こすことは絶対に無い。そのことで文句を言われるのが恐いのだ。しかしどうしても自分から行動を起こさないとどうにもならない事情があり、仕方なく自らが行動を起こすことになってしまった。案の定その行動のアホさに周囲から批判が相次ぎ、いつも言っている「文句」を言われる側の立場になってしまった。そうなると精神のバランスが崩壊して次の行動に出ざるを得なくなる。何と言うことはない。次の行動とは文句の言った人間の文句を言うことだ。そして、そんなことの繰り返しが「文句を言う人」が世の中で存在することが自他共に確認できる出来事なのであった。


●ファイル容量   2020.6.02
遅ればせながらデジタルデバイドの第2波がやってきた感じだ。と思わせるのは「ファイル容量」をいうものを分かってない人がいかに多いか?ということだ。2000年ごろの「IT革命」と言われた時代には、鬼のように重い画像ファイルをメール添付で送信するような人がいたわけだが、回線環境の改善に伴って、そのような行為が「迷惑である」という認識が薄らいでいった。しかし今回のコロナによって家でパソコンを操作する人が急増し、過大な負荷によって落ちるサーバーや、混雑時にアクセスできないウェブサイトなどが続出したはずだ。そしてそれが「何で?」か理解してなかった人も多いようだ。多くの人が一斉に巨大な荷物を送ろうとすれば物流は遅延したりパンクする、ということは誰にでも分かる。しかしその巨大な荷物がいかに巨大であるかを感覚的に分かっていない。またその巨大な荷物が、はるかにコンパクトでも用が足りるということと、コンパクトにする方法が分かっていない。畳一枚が入る段ボールに指輪を一つ入れてクロネコヤマトの配送センターに並んでいるような光景である、ということが。


●お願い   2020.6.01
みかんを段ボールに100個入れるように指示をする。ところが確認してみると98個しか入っていなかった。人は上手くいかなかったときには必ず悪いほうに考える。「あいつ、2個ガメやがったな!」と。しかし98個しか入っていなかった理由は他にも色々と考えられる。指示された人が知的障がい者で数がうまく数えられない。指示された人が事務方の助っ人で作業中にも電話が何本も入ってきて作業に集中できる状況ではなかった。指示する言葉が早口過ぎて100個と言う言葉が聞き取れなかった。100個詰めると段ボールのフタが閉まらなかった。もともとみかんが98個しかなかった。指示したことができないとすぐに怒る上司というのはそういった想像力がない無能な人間だ。そして無能な上司に限って指示を出すときに「命令」になる。優秀な上司は指示を出すときに「お願い」になる。あ、でも軍隊で上官が部下に「お願い」していては戦争には勝てない?ところが今は無人爆撃機のオペレーターとかは元ゲーマーのオタクだったりするから「命令」とかされるとムカついたついでに上官の自宅を爆撃するかもしれないので、やはり「お願い」しておいたほうが安全だ。



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