2020年12月



●時が止まった時   2020.12.31
色々と年末の身辺整理をしていると時が止まったままなのではないか?と思えるものがいくつか見つかる。大学の授業のために作った教材、クライアントに説明するたに用意してプリントアウトした資料、使い方を説明するために綴じたPDFのマニュアル、その多くが今年の3月ぐらいから手付かずでそのままになっている。9ヶ月経った今、もはや見ることも使うこともないであろうし廃棄する以外の道はない。もし、コロナがなければ、こういった資料もずうっととっておいたのかもしれない。そしてこういった資料を見ると、半年の間に世の中が大きく変わったことも実感する。広島の原爆投下の時刻を指したまま止まっている時計を見るような感覚でもある。


●会議-3   2020.12.30
→昨日の続き。会議とは、それぞれ異なった立場の色々な意見を集約して、一定の方向性や解決策を見出すためのものであろう。しかし個の能力が高くなってきて、だいたいの考えていることがみんな同じになってきたとしたならば、複数の人間が集まって話し合う必要はなくなってくるはずだ。個の能力が高まり高度なトップダウンのシステムが確立されれば会議はいらないということだ。それでは独裁になってしまうのでは?と思うかもしれない。しかし結果的に独裁であるにもかかわらず独裁に見せないための手段として会議というプロセスが必要であったのだから無くてもいいはずだ。


●会議-2   2020.12.29
→昨日の続き。特に日本人は会議が好きだ。会議で決まったことは「みんな参加したよね」「みんな聞いてたはずだよね」というふうに後から反論されないための予防線のためであり、参加者全員の総意であるかのように見繕うためであり、声の大きい個人の意見を組織全体のようにカムフラージュするためのものでもあった。リアルな会議では会議中に他の仕事をすることは基本的に許されない。しかしZoom会議ではビデオと音声をoffにすれば他の仕事をすることもできる。会議の内容が全て自分に関係するとは限らないので、そんなときは他の仕事をしたほうが効率的なはずだ。ということはだ、自分に関係する場面でのみ参加するば良いということだ。ということはだ、であれば全員が好きな時間で参加できるオンデマンド方式にしてしまえ!ということだ。→明日へ続く。


●会議-1   2020.12.28
もはや会社における会議というイベントというか儀式は必要無いであろう。オンラインで十分であり、オンデマンドでも何とかなるだろう。学校の授業がオンラインのオンデマンドでも何とかなるのだから会社の会議も工夫すれば何とかなるだろう。議長が議題を公開して参加者はそれに対する意見を書き集計して傾向と方向性を見出すということもできるだろう。ビジネスチャットを1日中オープンにしておいて空いた時間にカキコしてもらってもいいだろう。そもそも会議というのは複数の人間が同じように時間を拘束されるので組織にとっての無駄は大きい。議事録を読むだけで用の足りる出席者も少なくないことだろう。また声の大きい人間や地位の高い人間の発言が優先されるような会議であれば会議の必要はない。「命令」とか「指示」で良いはずだ。→明日へ続く。


●早とちり   2020.12.27
早とちりな人に電話でパソコンの操作方法を教える。例えば「そのページの右上にバナーがありますよね?』「ありますあります、でもクリックすると◯×△□◎▽と出てきちゃいます」「あ、待ってください!まだクリックしないでください!」「そのバナーの下にログインの文字がありますよね?」「えーと、あったんだけどログインできないです」「あ、だからまだログインしないでください!あるかどうか確認しただけですから」「あれー?へんな英語の文字が出てきて、えーしーしーいー…」「あ、アクセプトね。アクセプトはしないでください!」「あ、押しちゃったけど何も起こりませんよ?」「えーと、今はどこのページにいますか?」「見たことのないページです。」「えーと、最初に見ていたページに戻れますか?」「う〜んと、あれっ?消えちゃった!」「今パソコンの画面には何が出てますか?」「窓から光が差してる絵です」「ブラウザを閉じちゃったんですね…」「また出すのはeのマークでしたっけ?」「いやいやモンスターボールみたいなやつ」「えーと、モンスターボールモンスターボールっと、あれどっかいっちゃたなぁ」「アイコンが勝手にどこかに行くことはないので、落ち着いて捜してみてください」「えーと、落ち着いて落ち着いてっと、あっ!電話だ。もしもーしもしもーし!」てな具合である。早とちりな人は永遠にパソコンを覚えることはできない。


●かけ放題   2020.12.26
スマホの機種変をした。その際にショップの担当者から「通話をあまり使われていないようですが、1回の通話は5分以内のことがほとんどでしょうか?」と聞かれた。確かに通話の多くは5分以内で終わることが多いので「そうですね」と答えると「現在通話がかけ放題になっていますので1回5分以内のコースに切り替えますと月々の料金がxxxx円安くなりますよ」と言われたので「だったらそっちにしてくれ」と答えた。そしてしばらくしてから1年ほど前に「1回5分以内のコース」から「かけ放題」に変更したことを思い出した。そしてその時は「長時間の通話を頻繁にしているようですが、この頻度でしたらかけ放題にしたほうがお得ですよ」と言われてかけ放題に変更したことも思い出した。そこでまた「あっ、やっぱりかけ放題に戻してください」ということになった。そこでまたよくよく考えてみると1年前といえばコロナ前である。コロナ前ということはZoomも使っていなかった。ということはZoomによって電話をする頻度が大きく減ったということだ。確かに電話は1対1のコミュニケーションであるのに対してZoomは複数の相手に同時に同じことを伝えられる。次に機種変するときには、また1回5分以内に戻そうと思った、いやそのころには「電話をする」という行為がオプションになっているかもしれない。


●ワイドショー   2020.12.25
ワイドショーの司会者やコメンテーターやゲストに対する悪口やパッシングがネット上を賑わしている。〇〇はもう降板させろ!とか▽▽の言ってることは意味不明だ!□□の発言にはいつも腹が立つ!っていうか、それなら見なければいいハナシだし、それでも見てモンクを言っているということはTV局の思うツボでしょ。局として毎回ワケの分からないことその場限りの出まかせや極端な偏向思考な人に発言させて視聴者を刺激して視聴率さえ稼げればそれでいいのだ。だから「室井佑月」とか「ウーマン村本」とか「ラサール石井」とかを出演させるのだろう。じゃないとワイドショーがNHKのニュース解説みたいになってしまいあなたも見なくなるでしょ。


●バッテリー   2020.12.24
ケータイの機種変サイクルは2002年には平均約2年であったが、2020年には5年近くになっているそうだ。一方でiPhoneのバッテリーは「フル充電を500回繰り返した後も最大容量80%を維持できる」ように設計されているとAppleは説明している。しかしこれは言い方を変えれば、フル充電500回で、バッテリーの最大容量は20%劣化するということ。フル充電500回は、ざっくり言うと1年半〜2年ほど。ということは現在のスマホ利用者の多くはバッテリーの最大容量が20%以上劣化したスマホを使っているということ。例えば4年以上使ったスマホのバッテリーは、急激に残量表示が落ちたり電源が入らなくなったりというトラブルと表裏一体で騙し騙し使っている人も多いということ。だから、消費電力が低い通信方式(Bluetooth Low Energy)を使用しているので、バッテリー消費は非常に微量と言われても、インストールしているユーザーは少ないCOCOAなのであった。


●大接近   2020.12.23
木星と土星が大接近した。もちろん実際に大接近したわけではなく、大接近して見えただけのことである。しかしこのニュースを本当に木星と土星が大接近したと思っている人(大人)もいることであろう。天文に詳しい人からすれば「まさか、いくらなんでもそんな大人はいないだろう!」と思うかもしれない。しかし何年も前の話になるが、ある大人が「天の川って、小さな星の集まりなんだって」と言っていたのを思い出すと、大接近もまんざらではない。いつか宇宙人がUFOに乗って地球にやってくる!と信じてる大人も、クリスマスにサンタさんがトナカイの引くソリに乗ってやってくる!と信じている子供と同じように、けっこういるようなので。。


●アバストセキュリティ   2020.12.22
いつからだろうか、MacOSをバージョンアップしたときにアバストセキュリティというアンチウイルスソフトが自動的にインストールされるようになった。これによってことあるたびに「Mac が脅威に晒されています」というようなメッセージが勝手に表示され、こいつが非常にうざったい。あまりにも頻繁に出てくるので、もしかして新種のウイルスではないかと思ったくらいだ。アプリケーション一覧からアバストセキュリティを選んでゴミ箱に捨てようとしても捨てられない。アンインストールというファイルもないので、もしかして本当に新種のウイルスではないかと思った。本気で気合いを入れてネットで調べてみたところどうってことはない、アバストセキュリティを起動した後に設定のプルダウンメニューから「アンインストール」という項目があり、こいつを選ぶことで無事にアンインストールすることができた。しかしこれは明らかに分かりづらいアンインストール手順でもある。「Mac が脅威に晒されています」というようなメッセージがあまりにうざったいので、いっそのこと有料版をインストールしてしまって細かい設定をすることでメッセージを非表示にできるのでは?と思って有料版を注文してしまう人が1000人に1人いるだけでも商売としては成功なのだろう。ウイルスを開発するよりも安全でリスクの少ないやりかただ。


●第九を歌う   2020.12.21
年末になると日本人は第九を歌いたがる。「こんなときこそ第九を歌うんだ」そうだ。バカかね君は?第九を合唱するということは飛沫を散布するということだ。歌い手の間隔を空ければ感染の確率は半分になるかもしれない。合唱用のマスクを付けて歌えば感染の確率は20%になるかもしれない。ただし絶対にゼロにはならんのだよ。家でじっとしていれば第九の合唱によって感染する確率は絶対にゼロになるのだよ。マスクを付けて歌うということは継続的に飛沫をマスクというフィルターの外側に強制的に噴き出そうという行為を連続しているということだ。そうすればいずれは飛沫に含まれていたウイルスはマスクの外に出るのじゃよ。合唱用のマスクの目よりもウイルスははるかに小さいということも知らんのかよ。そもそもマスクは感染の確率を小さくするもので、感染を100%防ぐものではない。そのマスクに内側から何度も何度も何度も圧力をかければいずれはウイルスはマスクの外に出るのじゃよ。第九を聞きたければ膨大な数の過去の動画がYouTubeにアップされているのでそいつを聞けばいい。合唱用のマスクをつけて開口率が落ちてさらに人数も減って迫力も音量も歯切れもない第九を聞いてもしょうがないはずだ。歌いたいヤツが歌いたい一心で歌うことを正当化するなよなバカ。


●外出自粛   2020.12.20
感染者数が増えるに従ってマスコミは外出自粛を要請ではなく強制にできないか?というような方向に靡いてきた。そしてその裏には「自分が感染したくない!」という切なる願いがあるのだろう。これは多くの視聴者が感じていることに同調しているものでもある。しかし例えば飲食店にしてみればどうだろうか。人が外出しなくなれば売り上げは無くなる。しかし家賃や光熱費は払い続けなければならない。先の見えない状況の中で負債だけが雪だるまのように膨らんでいく。もう死ぬしかない!ということで実際に自死する人も増えている。飲食だけだはない。旅行、宿泊、舞台、イベント、仲卸業など様々な業界で同じような状況になっている。下手をすれば、というか実際にコロナで死ぬ人より自殺する人の人数のほうが多いのだ。だからいきなり外出自粛を強制することはできない。ということは分かっていても、やはり自分は感染したくない!から、外出自粛を要請ではなく強制にできないか!と声を大きくすることになるのだろう。その人間の自分勝手さがワイドショーに反映されているようにも見える。


● DQN   2020.12.19
政治家や官僚の多くは、いわゆるエリートである。エリートは小学校から社会人になるまで、いわゆるDQN、ヤンキー、不良とは違う道を歩んできた。それだけに、いわゆるDQNがいかにDQNであるかということは感覚的に分かって無いのでは無いかと思うのだがどうなのだろうか?DQNは、我慢ができずにすぐにキレる、先読みができない、起きている間は常に衝動と煩悩で過ごしている、計画性の欠片もない、ちょっとでも難しいコトは考えようとしない、何でもいいから目立ちたがる、自分のことだっけしか考えていない、などなどである。そんなDQNに「 不要不急の外出は自粛すゆように!」なんて言ったって分かるわけがない。気分が赴くままに遊びに行ってしまうのであった。「外で遊ぶとコロナで死ぬぞ!」ぐらい言わないとダメなのではないかな。感染者数の20代が占める割り合いが高いようであるが、その中でDQNの占める割り合いがけっこう高いのではないかと想像するのだが、どうなのだろうか?もっともDQNであるかどうかの定義なんてなにのだろうから分かるわけもないのだが。


●エビデンス   2020.12.18
エビデンスとは証拠、根拠を意味する言葉で最近になって頻繁に使われるようになった言葉でもある。主には「科学的根拠」という意味で使われることが多い。また、経理処理のための証憑性を担保する請求書や領収書を指す場合や、システムの開発分野において作成したプログラムが想定どおりに動くことを示す証拠や検証結果を指すときになどにも使われるとのこと。なぜ頻繁に使われるようになったかというと「GoToが感染拡大に繋がった科学的根拠は無い!」と言うと、断定的で重い結論のように聞こえるが「GoToが感染拡大に繋がったエビデンスは無い!」と言うと、そこに曖昧さや不確定な余地が残っているかのような印象を与えるからだろう。しかしエビデンスが有ろうが無かろうが、「人間が移動しなければ感染拡大はしない」ということと「移動するからには感染のリスクを必ず負う」ということは確かなはずである。それでも移動したいから、エビデンスという都合の良い言葉を使うのであろう。


●ジャーナリスト   2020.12.17
ジャーナリストは明治時代には操觚者と言われていた。操觚とは文章を作ること、作文することである。現在では、ジャーナリストはあらゆるメディアに報道用の記事や素材を提供する職業を意味する。記事や素材を提供するのであれば、もちろんそのための取材も必要であろう。しかしこれだけネットが普及すると自分の足で取材しなくてもネット上の情報だけでも操觚は見繕えるだろう。また自分にとって都合の良い情報だけを集めて、あたかも取材した結果であるかのように見せることもできるだろう。そして現在のジャーナリストは批判はするが対案は出さないことがデフォルトになっているようでもある。嫌いな食べ物だけを列記して、それらがいかに不味いかだけを訴えるている過保護なガキのようなものだ。だからジャーナリストという肩書きだけで、信用ならんヤツと思えてくるのだろう。これだけ情報を集めることが簡単になった今、世の中の平均的な情報を平均的に集めていれば、こういう思想にはならんだろ!という偽ジャーナリストが増えているようにも思える。


●結果論   2020.12.16
結果論を語るのは簡単だ。GoToと感染拡大には何の因果関係もないのでは?と言い続けてたのに何で今になって停止するんだ!日本の感染者数のグラフはGoToをやっていない韓国とまったく同じであり停止しても意味はないはずだ!などなど色々な意見がある。しかしだ、だからと言って何もしないでいるわけにもいかない。何もしなければしないで後になって「何であの時何もしなかったんだ!」と叩かれる。何をすればどんな効果があるかが誰も分からないから、何かをやってみるしかないのだろう。というようなことをごちゃごちゃとやっているうちに、結果論だけを偉そうに言っている人間の愚かさがだんだんと浮き彫りになってくるように思える。今回のパンデミックが起こらなければ、相変わらず結果論だけを偉そうに言っている人間が安泰のままでいられたのかもしれない。


●仕方がない   2020.12.15
GoToの停止をどう思っているか?ということを街頭で道ゆく人にインタビューしている場面をTVで頻繁に見る。そしてその回答は押し並べて「行きたいけれどしょうがない」「今の状況では仕方がない」といったようなものだ。そもそもこういう状況でも出歩きたい人たちがいるから感染がおさまらんのじゃよ!と怒っている人も多いかと思うのだが、怒りの対象は実はこういう人たちではない。実際に街頭でインタビューすれば「GoTo自体を中止すべき」また逆に「経済を回すためにはGoToは継続すべき」という意見もあるはずだ。放送する側からしてみれば、そこにある一定の方向性が見えるようにしなければ、番組としてまとめにくくなるので、特定の意見だけをピックアップして編集することになる。そしてそのことで、あたかも国の愚策に国民は戸惑っているのが現実、であるかのように見せることでまとめている。まぁそうでもしないと視聴率がとれないのだから仕方がないのが民放の仕組みなのだから仕方がない。


●平等   2020.12.14
社会人のテレワーク化が進み、学生の授業のオンデマンド化が進む。通勤通学の時間が削減されたと喜んでいる場合ではない。賢い社会人は削減された時間で副業を始めている。これからの世の中、会社なんてものはいつ潰れるか分からないし、1つのスキルだけでは生きていけないかもしれない。賢い学生はバイトで生活費や学費を賄い、バイトが終わってから勉強するようにしている。バイトという社会勉強もしっかりと身につけるという一石二鳥の学生生活だ。こういった賢い人たちと、そうではない人たちとの生活水準の差は、これからはさらに広がっていくのだろう。平等とか公平とかいう概念も薄れていくのかもしれない。もっとも人類全てが完全に平等であったとしたら個の存在する意味がなくなるしねぇ。


●高齢者パソコン教室   2020.12.13
高齢者向けのパソコン教室が非常に繁盛しているそうだ。「パソコンなんか一生やらずに残りの人生を過ごそう!」と心に決めていたところが、どうやら世の中そうも言っていられなくなった。人生残りの10年が、パソコンができるのとできないのでは大違いになる!ということが分かって来たらしい。しかし「パソコン教室に通いはじめたので、もうこれまでのように肩身の狭い思いをしなくて済む!」とか思ったら大間違いだ。パソコンは英語と数学を足して1で割ったように難しいのだ。しかも高齢になってからでは生きてる間にマスターできるものではない。覚えたことの8割を忘れながら進捗していくので、進歩は大陸の移動速度のように遅い。だから高齢者向けのパソコン教室は繁盛する一方で、あまりの難しさに途中でやめてしまう人も多いようだ。まぁそれで回転率が高くなるから繁盛しているのだろう。


●顔出し 2020.12.12
Zoomの画面に複数の人が写り遠隔会議をしているのがテレワークだと思っている人も多いことだろう。しかしテレワークはもっと広い意味がある。例えば上司が電話で「下半期の会計報告を作って、添付ファイルで送ってくれ」と言われてその作業をするのもテレワークであろう。そもそも仕事を依頼したり請けたりするためにいちいち顔を出す必要はないはずだ。リアルでは指示を出したり受けたりするとに仕方なく顔が出ちゃったというだけだ。顔を見ることで「安心感がある」とか「気持ちが伝わる」と言うのであれば、安心感があって気持ちが伝わるような情報の伝え方を工夫それば良い。そうなると一生顔を出すことない上司とかも登場するかもしれない。いや、顔を出さないから登場したとは言えない。こうして社会全体が謎の闇組織化していくのであった。


●ソフトランディング   2020.12.11
コロナの感染者が増えているのになぜGoToをやるのか?それは「やっていくうちに段々と国民の多くが気付くであろう」ということだ。「感染のリスクを負ってまでGoToするこたぁない!」ということを。「仮に感染したらGoToで安くなったぶんでは補えきれない金額の出費になる」ということも。つまりいずれはGoToをやっても利用する人間の数が減ってくるということだ。そうやって利用する人間の数が減ったということが数字で明らかになったときに、GoToは中止ということになるのだろう。いきなり止めると揺り返しが大きく、色々と混乱するから段々にフェードアウトしていくソフトランディングを狙っているのではないかな?と思うのだが、どうだろうか…


●なに言ってるか分からない   2020.12.10
なに言ってるか分からないメールやLINEがときどき来る。なに言ってるか分からないのでなにをやったらいいのかも分からないし、なにを質問したらいいのかも分からない。わざわざ電話するほどのことでも無さそうなのだが、放っておくのもガン無視するのも気が引ける。例えばどう見てもInstagramなどはやってないであろう人からインスタをホームページに載せてくれ、という依頼が来た。最初はホームページにInstagramのページを埋め込むのかと思ったが、どう見てもInstagramなどはやってないであろう人である。これは全くもってなに言ってるか分からない。仕方がないので電話して聞いてみると、スマホで撮った写真のことをインスタと呼んでいることが分かった。やれやれ。


●伝家の宝刀   2020.12.09
こんな会議のために毎回集まるのは無駄だしコロナ感染のリスクを考えると次回からはオンラインでの会議にすべきではないのか?とは誰もが思うことである。ところがそんな話をしている最中に、おもむろに懐に手を入れて伝家の宝刀を抜くジジババがいる。なんのこたぁない、伝家の宝刀とはガラケーである。わしらこれを使っているからオンラインでの会議はできんのじゃよ!ということのアピールであった。ガラケーのサポートが終了するのは一番遅いドコモで2025年、そうなった後はどうすんだよ?とは誰もが言いたい。まあそれまでおまえらが生きていればのハナシだけどね。とは誰もが思うことであった。


●テレワーク   2020.12.08
今年のコロナ騒ぎでテレワークという言葉がクローズアップされ、実際にテレワークを行う人も急激に増えた。その前にテレワークという言葉が流行ったのは2011年の東日本大震災直後であった。その前といえば2000年前後のIT革命という言葉が流行ったころであろう。その前は1995年にビルゲイツが語った未来でテレワークを示唆していたし、1990年代には情報通信ネットワークの拡充や企業ネットワークの整備や携帯端末の急速な普及によってテレワークが脚光をあびるようになり、その前となると1983年頃の東京都三鷹市でのさまざまなテレワーク施設の開設と勤務実験による実証であろう。その前に遡れば1973年頃にロサンゼルス周辺でエネルギー危機とマイカー通勤による大気汚染の緩和を目的として始められたとのがテレワークであったとのこと。というわけで昔っからあった言葉であり、昔っからテレワークをやっている人もいた。そしてテレワークのメリットというのも昔っから分かっていたことだし、何で今になってこんなに騒いでいるのだろう?と、1998年からテレワークしている身として、改めて思うのであった。


●Flash Playerの終了 2020.12.07
2020年12月でFlash Playerの開発と配布が終了する。これによってFlashで制作したコンテンツが全てブラウザでの再生ができなくなる。オールFlashの場合には画面がうんともすんとも動かなくなるわけだ。2005年ごろがFlashの全盛で新規に制作されるサイトのほとんどでFlashが多かれ少なかれ使われていてウェブ制作者はActionScript(Flashを動作させる言語)を必死に勉強した。ところが今や当時の活気はどこへやら。画面のあちこちに「Adobe Flash Playerはブロックされています」の表示が出てつぎはぎになったトップページを見かけるようになった。しかしそんな状態になったホームページがあちらこちらにあるということは、いかに管理者が自分のホームページを見ていないか?ということだろう。中には自分のホームページのURLさえも知らない場合もあったりもする。この調子で行けば2020年が過ぎてもつぎはぎ状態で放置されたホームページはあと数年はそのままの状態で放っておかれることになるだろう。そしてあるときレンタルサーバーから更新の連絡が来て「何なんだこの請求は?身に覚えがないから更新しなくていいや」ということで自然に消滅するのであろう。


●角度 2020.12.06
はやぶさ2カプセルが無事帰還した。大気圏への入射角は地球同心円に対して12度±0.2度というのだから凄い精度である。と、そこで思ったのだ0.2度というのは360度を360分割した角度が0.1度でその倍なのか?それとも小数点以下は急に十進法になって10分割した倍なのか?恐らく時間の単位と同じく後者なのだろう。しかし時間は地球は約365回自転すると太陽の周りを一周公転するという、どうしても十進法にはできない事情がある。しかし角度は人間の概念だけで決められるはずだ。従って一周を100度としても良いはずだ。そうなると直角は25度で三角形の内角の和は50度ということになる。それでも問題はないのではないのか?現状の、一周が360度と1年が365日というのは非常に紛らわしいと思ったことはないのかね?人類の諸君!


●店内のBGM 2020.12.05
「店内のBGMが大きいお店は音量を下げてネって誰か偉い人が言ってくれないかな…(小声)」と会食時の“心がけ”について新たな提案。ゴールデンボンバーの鬼龍院翔が呟いた。まったくもってその通りである。店内のBGMをがんがんの音量で流している店がいかに多いか!ということだ。同席の人の会話はほとんど聞き取れないので、マスクを外して大声で飛沫を大噴出させながら叫ばなければ会話が成立しない、というような環境にしていることで感染を奨励しているようなものだ。店先に消毒液を置くまえにBGMを消せ!ということだ。そのへんの認識がないところが、無頓着でがさつで愚鈍ということなのだろう。コロナ対策をするということは、必要な備品を揃えることではなく、感染しないような「気配りをする」ということのはずだ。


●レコード(4)   2020.12.04
昨日の続き→。やはりいくらハイレゾになったとはいえデジタルはデジタルである。拾うポイントを多くして誤魔化しているだけでリニアに全ての音を拾っているアナログには勝てない。ということでオーディオセットを処分するのを止め、復活させることにした。とはいえFMチューナーは完全に死んでいたので新しく買うことにした。FMチューナーは物理的なメディア無しで聴けるので重宝する。ということでAmazonで捜してみるとKENWOOD KT-V990(定価59800円・1987年頃)が6000円で売っていたので、こいつをゲット。アンテナは地デジの75Ωをぶっ刺したら正常に受信、音色も過去に使っていたものと遜色ない(テレビの音も再生できるのであったが地デジの前の仕様なのでこれはできない)。ということでオーディオセットを無事に復活させることができた。しかしアナログだから復活できたのであって、例えばLD(レーザーディスク)を中心にしたAVセットを組んでしまった人とかはどうしているのだろうか?専用の地下室とかまで作っちゃた人とかもいるし。LDがレコードのように復活することは絶対にないだろう。


●レコード(3)   2020.12.03
昨日の続き→。ということでアナログの音はやはり素晴らしい、とはいえいずれは使えなくなるということになる。そして今潔く処分しておかないとジジィになるに従って未練がましくなりモノが捨てられなくなるであろうことは分かっている。ということで「やっぱり処分しよう!」ということで分別するためにレコードのビニール袋の材質をネットで調べてみた。するとレコードのビニール袋だけで数多くの商品が売られていることが分かった。Amazonや楽天、メルカリ、モノタロウなどなど。「えっ、こんなに需要があるんかいな」と思い、レコードプレーヤーのカートリッジも調べてみると、復刻版、新製品も含めてあるわあるわ。使っていたオルトフォンのCONCORDEも生産しているらしい。さすがにSPU-GTEはなかったしEMTのXSD15も見当たらなかった。それでもカートリッジがこれだけの種類があれば恒久的にレコードは聴けるということが分かった。2005年頃であればレコードプレーヤーのカートリッジでググってみてもオーディオテクニカの数モデルしか出てこなかったように記憶しているのだが。密かに復活しつつあるという噂は聞いていたが、ここまでとは思わなかった。明日に続く→。


●レコード(2)   2020.12.02
昨日の続き→。音楽CDが登場した1990年頃からレコードは一気に衰退しはじめた。多くの人はレコードの扱いの煩雑さに困っていたことも確かであろう。同時にCDは音が良い!という噂に騙されていた。実際に理論的にもCDの音がアナログレコードに勝るはずもなかったのだが、ジャケットから出す→レコードを拭く→ターンテーブルに乗せる→慎重に針を落とす→針飛びやホコリによるノイズを心配しながら聴く、という一連の作業から解放された喜びのほうが大きかったのであろう。ソースがCDとなると、アンプやスピーカーによる音の差は少なくなり、マニア向け高級オーディオ製品の存在意味も薄くなっていった。やがてオーディオ製品は電気屋の片隅に追いやられ、(今は亡き)iPodの普及でより影が薄くなり、パソコンやスマホが普及してくると、音楽を聴くシチュエーションがパソコンとスマホが中心となっていった。2000年を過ぎた頃からオーディオ製品を購入しようとしてもDJ用のレコードプレーヤー以外は手に入らなくなってきた。ということはレコード針も手に入らなくなり、持っていてもいずれは使えなくなるということになる。明日に続く→。


●レコード(1)   2020.12.01
家にあった大量のレコードを、もう聴くこともないだろうから処分しようと思った。しかし塩化ビニールの丸い板、それを入れてあるビニール袋、紙のジャケットなどを分別するのが面倒だ。ついでにオーディオセットも処分するのは力仕事になりそうであった。灯を入れてみたところノイズが酷くてとても音楽を聴ける代物ではないと思ったのは5年ぐらい前であったので、もはや今は捨てる以外の道はないだろう。試しにオーディオセットを単品ごとに動作確認してみた。カセットデッキ、DATは全く動作しない。チューナーはノイズが酷くて使えない。と、そこで気づいたのだが「ノイズが酷くてとても音楽を聴ける代物ではないと思った」のはFMチューナーで確認したからであり、アンプとスピーカーは無事な可能性もある。ということで動作することが分かったCDプレーヤーをつないでみたところ、数十年前と同じように音が出た。試しにレコードプレーヤー(自作でターンテーブルはDENON、アームはSMEとスタックス)をちゃんと動くことが分かった。しかも音が良い!デジタルの音に慣れていたせいか改めてアナログの音の良さに気づかされた(アンプはDENON、スピーカーは自作でElectro-Voice SP8Cフルレンジ+Lo-D H-54HDツイーター)。明日に続く→。



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