2021年7月



●句点   2021.7.31
句点(くてん)は、日本語の文書で、文の終わりに打たれる約物(やくもの)であり、マル「。」と終止符「.」の2形があるとのこと。その他文章の終わりに「。」の代わりに「…」や「。。」や顔文字が使われる場合もある。もちろん文章なので約物に何を使うかは書く人の自由であり、違反したからといって罰があるわけでもない。しかし終止符「.」が文の終わりに打たれる約物として認められているということはあまり知られていないし、実際に使われている文章を見ることも少ない。もし「見たことない」という人はネット上で公開されている「論文」の中から捜してみるとよいだろう。しかし「.」で終わる文章というのは読みづらいものである。半角の英数には馴染むが全角の日本語にはフィットしない。増して全角の日本語に対して半角の「.」(ドット)が使われると見えない場合もある。しかし「.」が正式に認められているから使うという発想自体が、いかにも論文を書く「学者」らしくもある。読む人がどう感じようがルールとして認められているのだからどこが悪い!ということのようだ。ルールが間違っているのならルールを変えればいいだろう、という発想だ。そんなめんどくさいこと、誰もやんねーよ!なのだが。


●無観客   2021.7.30
オリンピックも中盤に差し掛ってくると、テレビ観戦する方も無観客慣れしてくる。観客がいないことは、もはや忘れてテレビの前で応援しているという人がほとんどではないのだろうか。1976年に武道館行われたアントニオ猪木対モハメド・アリを見に行った友達が言っていた「小さくて何をやっているのか全然見えなかった」のだそうだ。ナマで見ることでの活気や熱気、臨場感はあるのだろが、肝心の選手が小さくて見えないのでは困るのではないか。選手がけではない。卓球のように球がの小さくて動きの速い競技も、テレビで見た方が確実なのではないか。もっと球が小さくもっと速い射撃競技などはナマで見るメリットは何なんだろう?とも思う。中継技術やオンデマンドでのCG合成技術がこれだけ進歩してくると、もはやナマで見るメリットは無くなってきているのではないのだろうか。


●ピーク   2021.7.29
国民の興味はもっぱら五輪の日本のメダル数であろう。しかしメダル数と同様に増えているのがコロナの感染者数である。そして日本の感染者数のグラフを見ると、決定的にヤバいことが分かる。欧米やインド、南米などでは第1波の大きな波が収まったあとに第2波がきているのだが、第2波のピークは第1波に比べて低く抑えられているようだ。一方東南アジア、アフリカなどは、今が第1波の真っ只中で、これからピークになることだろう。では日本の何がヤバいかろいうと、第2波のピークが第1波を大きく上回っていて、第3波のピークは第2波のピークとほぼ同じ。そして今は第4波がピークに向かっていて、このままではピークは第3波以上になることは確定している。世界各国のグラフを見ても後の波が前の波を上回っているところは少ない。しかも第4波までが明らかに見えるグラフのところは無い。それでも日本は感染者数自体が圧倒的に少ない、という意見もあるが、それは欧米に比べての話しで、オーストラリアやニュージーランド、台湾などに比べれば多いのだ。第4波までもを許して、さらにその第4波のピークがもっとも大きいということは、いかに学習能力が低く、能天気でアタマの悪い国民が多いかということではないのだろうか。


●ラジオ   2021.7.28
外出時にらじるらじるを起動してオリンピックの実況を聴く。ちょうど柔道の中継をやっているところで、ドラゴンボールに出てきそうな「アベータ」という選手が戦っているところだった。実況のアナウンサーもこのいアベータに肩入れして応援しているようにも聞こえた。絵が見えないラジオというものは、聴く方が予めその内容に関する知識を持っていないと、時としてまったく違うものをイメージしてしまうこともある。「アベータ」の正体は「阿部詩」だった。


●ツリー構造   2021.7.27
仕事やプロジェクトの多くはツリー構造になっている。つまり幹、枝、葉と大きく分けられるということだ。だから何か問題が起きた時に、その問題が、幹、枝、葉のうちのどこで起こったのかを見極める必要がある。根本的な幹の問題であるにもかかわらず、葉の部分のみを何度もいじくり回しているというのも、よくある話しだ。逆に作業が進捗していき、最後の葉の部分の詰めに入っているにもかかわらず、幹の部分をバッサリと崩してしまうなんていうこともある。前者は現場の作業員に多く、後者は現場を知らない権力者に多い。しかし前者が権力者(◯◯長という肩書きの人間)だったりすることも少なくない。


●マスク越し   2021.7.26
テレビで専門家やゲストをリモートでつないでその喋っている映像を流すことがある。しかしリモートで恐らく1人でいるであろうはずなのにマスクをしていることがある。街頭インタビューでもマスクをしている人に喋ってもらっているシーンをよく見かける。これはテレビだから見る人にマスクをつけることを推奨しているのではないかと思いきや、そうではない。映像を編集するほうにとっては、ものすごく都合が良いことなのだ。たとえばマスク越しに「おはようございます」と言っていた映像でも、音声だけ差し替えて「殺してやる」にして編集しても絶対に不自然にはならない。なのでナマ放送でない限りは、マスクの人が喋っている内容は、真に受けないほうが良い。


●デマ   2021.7.25
1910(明治43)年のハレー彗星は、それまでと比べてかなり地球に接近したため、まず「地球に衝突するのではないか?」という噂が流れた。続いて「尾に含まれる毒により、地球上の生物は全て窒息死する」「彗星が地球にぶつかって地球が割れ、海の水が全て流れ落ちる」「地球上の空気が5分間ほどなくなる」などのデマが流れ、そのデマに乗じて「尾に含まれる毒の効果がなくなる飴」なるものが発売されたくらいだ。今思えば何とも非科学的でばかばかしいデマであったのか、ということになる。しかしデマを信じた当時の人をバカにはできない。「コロナワクチンを接種すると身体が磁石にくっつくようになってしまう」というのは「地球上の空気が5分間ほどなくなる」に匹敵する非科学的で根拠のないばかばかしいデマであり、このばかばかしいデマを信じる人は本当の救いようのないバカとしか言いようがない。人体という有機体が磁石にくっつくようになってしまうなんてこたぁあるわけがない。そんな救いようのないバカがまだいたという史実は、後世まで語り継がれることだろう。


●パソコンができる   2021.7.24
高齢者は「若者は全員がパソコンができる」と思っているがそうではない。もっぱらスマホばかりでパソコンを触ったことのない若者もいれば、そもそもがデジタルやバーチャルの概念が理解できない若者もいる。後者は目に見えないものを想定することができなかったり、記憶の一部を自分の脳内に一時保存して、必要な時に書き出すということができないのだ。つまり目に見えるもの以外の実在を認識できないのである。ところがそういうヤツに限って幽霊や宇宙人を信じていたりもする。とまあ、そんなことは置いておくとしても、若者であれば全員が全員、パソコンができるわけではないということを理解しておこう。ということはだ、高齢者の全員が全員、パソコンができないというわけではない。できるひとはできるのだ。つまり年齢を問わず、できる人はできて、できない人はできないということだ。ただそれだけのハナシだ。


●しばらくの間やめておいたほうが良い   2021.7.23
世界の人口は2100年も超えたあたりから減少に向かうのではないかと言われている。そして70億を切るには、そこからさらに100年かかるとすれば、あと180年の間は人類はパンデミックと付き合っていかなければならないことになる。インターネットが普及して世界中の人たちが情報の共有ができるようになる。しかし共有できるのは悪い情報、嘘の情報も、根拠の無い情報、も同じであり、玉石混合の情報が錯綜しまくるだろう。世界中の情報発信者全てが、一定の理性と常識的な判断力を持って情報発信ができるまでには百〜千単位の年月がかかることだろう。人種差別などというものは、すぐになくなるはずはない。どんな人間でも自分たちが優位に立ちたいし関わりたくない相手もいるはずだ。本当の意味での平等や平和が訪れるのは、地球上の人類の混血化が進み、人類全体がフラットでニュートラルになるときかもしれない。たぶんそこまでいくには千〜万単位の年月がかかることだろう。 だから世界中の人間がどこか1箇所に集まって何かやる、などということは、しばらくの間やめておいたほうが良い。


●相撲のルール   2021.7.22
白鵬の相撲っぷりには毎度賛否両論あるようだ。どちらかというと否定的な意見の方が多いように思える。しかし不思議なのはあれだけ否定的なことを言うなら、なんでルールを変えないの?ということだ。張り手、肘打ち、ガッツポーズ、行事へのクレーム、観客への万歳三唱の要求、仕切り線から離れての立ち会い、優勝できそうもない場所での休場、懸賞金を奪い取るような仕草、勝負が決まった後のダメ押しの突き、などなど全部禁止にしてしまえばいいのではないだろうか?あ、あと勝ち星の売買、本場所中のキャバクラ通い、地方場所での不倫、大麻の使用、賭け麻雀、野球賭博、カラオケでの灰皿での強打、付き人への暴力、金属バットでの殺人、などもルールブックで禁止にしないといけないだろう。あ、そうか。後半の問題が多すぎて、前半のルール改正まで手が回らないのか。


●恥を晒す   2021.7.21
東京五輪によって日本は世界に対して色々な恥を晒した。何事も皆で集まって話し合わないと決められないスピード感の無さ。全てが後手後手になる予測能力の無さ。強力なリーダーシップで全体を引っ張るようなリーダーの不在。海外からの圧力がないと変えられない自浄能力の欠如。明らかに相応しくない人間(佐野研二郎に始まり森喜朗を経て小山田圭吾、のぶみに至る)が重要なポストに就いてしまうという調査能力の低さ。世の情勢に合わせてコロコロと意見が変わる日本人一人ひとりのアイデンティティーの低さ。しかし最も恥ずべきは、世界に恥を晒したことを喜ぶような組織、団体、人間がの日本国内に少なくない!ということだろう。


●賢くない人-2   2021.7.20
→昨日の続き。賢い人たちが集まった組織であれば、他人の意見や行動を批判するようなことは滅多にない。仮に批判するにしても、相手を傷つけたり、落ち込ませたりしないように、細心の注意を払い、言葉を選んでやんわりと指摘する。言われたほうも相手が気を遣っていることを理解するので、その批判を素直に受け入れる。ところが賢くない人たちが集まった組織では、相手にダメージを与える、相手を凹ます、でなければ最低でもマウントを取るということが目的だから、すぐに喧嘩になる。ブリキのバケツに大量のザリガニを放り込んだ時のように、瞬間的にバトルロイヤルが始まるのであった。しかしそのバトルロイヤル中のバケツを大きな池にぶちまけると、ザリガニたちは各々勝手な方向にスーっと泳いでいき、何事も無かったかのように池の底の泥に潜っていくのであった。賢くない人を1ヶ所に集めて密にしてはいけない。


●賢くない人-1   2021.7.19
賢い人たちが集まった組織であれば、他人の意見や行動を批判するようなことは滅多にない。全員が賢いので、その賢い人が言っている通りにやっておけば問題がないということを誰もが分かっているからだ。しかし賢くない人たちが集まった組織では、みんなが他人の意見や行動をやたらと批判する。自分が常にマウントを取ろうとしているので、その障害になりそうなことは排除したいからだ。自分が過去に行った違法行為が晒されそうになったからだ。自分が抱えている膨大の負債の額がバレそうになったからだ。不倫していることがバレたらえらいことになるからだ。なので賢くない人たちが集まった組織内での会議とか打ち合わせでは、人間の負の部分の暴露合戦の様相を呈してくる。議事を進行させようということよりも自分を守り自分が少しでも優位に立とうとするからそうなるのだ。賢くない人は普段の生活の中で他人より優位に立つことができないからそうなるのだ。そして優位に立つことができないことが、マウントを取られた!と勝手に思っているからなおさら熱くまるようなのでもあった。→明日に続く。


●愚か者は物事を複雑にする   2021.7.18
感染者数の増加、オリンピック、無観客、ワクチンと、政府を批判するネタは尽きない今日このごろ。しかし学生のころ、どう考えても政治経済を全く勉強してなかったであろう芸能人、アスリート、お笑い芸人などが、えっらそうに断定的なことを言っていて、それをあたかも信憑性の高いことかのように取り上げるマスコミ。確かにこういった人たちが「一般市民枠」ということは分かる。しかし今回のコロナ・緊急事態宣言・五輪開催の一連の出来事は「一般市民枠」では処理しきれない、色々な問題が複雑に絡み合った難問のはずだ。それを特定の視点のみで見ていないにもかかわらず、えっらそうに断定的なことを言う人間が多すぎやしないか?こいつらがただでさえ複雑な問題をさらにかき回してぐちゃぐちゃにしている。「愚か者は物事を複雑にする」の法則。


●国が悪い!   2021.7.17
東京の感染者数が増えエラいことになっている。エラいことになると決まってエラくない人たちが騒ぎ出す。エラくない人たちが口にする定番が「国が悪い!」だ。だったら悪くない国に移住すればいいじゃん、ということになるのだが、エラくない人たちのほとんどは外国語が喋れないので日本に居るしかない。だったら政治家に立候補して国を変えればいいじゃん、といったところでそこまでの勇気も無い。だったら役人になって少しは国を変えることに貢献すればいいじゃん、といったところでそこまでの学力も無い。だったら国を変えられるような何らかの活動をすればいいじゃん、といったところでそんなカリスマ性の欠片も無い。結局「国が悪い!」と思うのは、あんたが偉くないことが起因しているんだよ!ということも分からないまま、今日も「国が悪い!」と言い続けるのであった。


●普通の人の意識   2021.7.16
ホームページを作った。ところがスマホで見るとタイトル画像の幅が大きすぎて画面内に収まっていない。横にスクロールしないとタイトル画像が見えないのだ。こんなデザインは明らかにNGであり、クライアントに提出できるものではない。ということでこのホームページを制作したデザイナーは制作会社の社長に説教を喰らうことになる。その光景を見ていた事務の女性「何をそんなに怒ってるんですか?」「だって、ほら、こんなデザインを作ったんだぞ!」といってスマホを女子事務員に渡した。すると彼女は画面を何度かスクロールしながら首を傾げ「え、どっかおかしいんですか?」と言った。彼女は誤字脱字や表現の不適切な部分を探していたのであり、タイトル画像の幅については特に疑問に感じなかったのであった。デザインっていうものに対する普通の人の意識は、こんなものである。


●一部の先進国でも確実に増加、その後   2021.7.15
7月4日の記事をアップデートしてみる。 最新の1日の感染者数のデータを見てみると、
アメリカ 7月8日:48,685人←7月2日:30,398人←6月20日:3,955人
イギリス 7月10日:31,800人←7月2日:26,706人←5月16日:1,506人
ロシア 7月11日:250,33人←7月2日:23,218人←5月4日:7,770人
スペイン 7月8日:17,317人←7月2日:12,563人←6月21日:2,360人
赤い▲が増加中。太文字はピークに達しようとしている国→現在の世界の状況 (COVID-19 Global tracker)
欧州の多くの国は第1波がピークで、東南アジアやアフリカは今が第1波のようである。
こんなんだけど、どうなのよ?


●自分が知ってることはみんなも知ってる   2021.7.14
学者の研究発表を聞いていると「こいつバカなんじゃないの?」と思うことがしばしばある。何がバカかというと、自分がどんな成果を求めてどんな研究をしたのか?という概要をほとんど説明しないでいきなり専門的な話になるということ。そして自分が知っていることはみんなも知っていると思っているということ。さらには知らないほうがおかしいとも思っているということ。高校生のころ土方のバイトをやたときに。プロの土方のおっちゃんが「兄ちゃん、ちょっとスコップ貸してみ!」と言ってスコップを横取りして「こうやって掘るんだよ!」と言って自らが掘ってみせた。そこには「何でこんなことができないんだ…」という一種の苛立ちを見てとることができた。学者も同じである。「何でこんなことも知らないんだ‥」。しかし「自分が知ってることはみんなも知ってる」としたら学者の専門家としての価値も薄くなろうて。


●昔は良かった   2021.7.13
「昔は良かった」などと言っている人間にロクなやつはいない。全ての人間は全て平等に「今」を生きている。「今」を生きる以上は、「今」に馴染み、対応するために己を順応させながら生きていかなければいけない。両親はこうやってきた、とか、先代はこうして生きてきた、などというのは全く関係ない。「今」の世の中の変わりようといったら昔とは比較にならないほど目まぐるしい。「昔は良かった」としても昔に戻ることは絶対にできないのだ。だから「良かった」「昔」のコロナ前に生活に戻ることは絶対にできないのだ。川の流れの中で「流されまい!」として必死に何かに掴まっているから消耗するし辛いのだ。流れに身を任せてしまえばラクになるというもの。川はそんなに深くはないし、流れはさほど急ではない。流されまいとするから、川は深く感じ、流れは急に感じるのだ。自分が止まっているから、周りが異様に目まぐるしく見えるだけのことだ。


●そうだラインから始めよう   2021.7.12
やっぱりパソコンが使えないとダメだ→とはいえパソコンは敷居が高すぎる→そうだスマホから始めよう→しかしメールやインターネットは敷居が高すぎる→そうだラインから始めよう。ということでスマホに機種変して何とかラインから始めたという人も、コロナ禍でお家時間が増えた中では多いようだ。望ましいことでもある。しかしラインができるようになった多くの高齢者はラインができるようになったことで満足し、またはそれだけで順応キャパがオーバーフローして、そこから先のズーム、メール、SNS、パソコンには至らないことがほとんどのようでもある。果たしてズーム、メールぐらいまで出来るようになるのだろか?その前に寿命で死んでしまうのだろうか?後者のほうが圧倒的に可能性が高いように思える。


●農耕民族   2021.7.11
農耕民族は他の人間に出会ったときに、まずは「その人は味方になってくれるか?」と考える。狩猟民族は他の人間に出会ったときに、まずは「その人は敵か?」と考える。だから狩猟民族は他の人間に出会ったときに、自分は敵でない!ということを強く訴えなければならない。そうしないと殺し合いになってしまうからだ。そして敵でないことを強く訴えるために必要なのが笑顔である。その笑顔を見せることができなくなるのを恐れるから狩猟民族はマスクをしない。農耕民族は人と会っても殺し合いにならないのでマスクをすることに抵抗はない。ただし農耕民族は帰巣本能が強いために集中豪雨でも家に居たがって、なかなか避難しないらしい。しかしコロナで家にいろ!と言われると家から出たがるのはなぜだろう。


●ゴキブリの親分-2   2021.7.10
→昨日の続き。ゴキブリの親分は言った。「そら、言わんこっちゃない!それはゴキブリホイホイといってな。殺虫力が従来の1.5倍と言われている新兵器なのじゃよ。だからいいか、これから2週間の間は命を守るため、絶対に台所に出てうろうろしてはいかん!」ところがこれを聞いた若いゴキブリは、3回目ともなれば感覚も麻痺してきて、2日後にそーっと出てみたところ、何も起こらなかった。後を追うように、若いゴキブリが一匹、また一匹と台所にそーっと出る。今度はゴキブリホイホイもなければ、殺虫剤の気配もない。一匹の若いゴキブリは戸棚の裏に戻ると言った。「何も起こらなかったし、しかもほら、こんなに美味しそうなものをゲットしてきたぜ!」と言って、そのホウ酸団子を口にした「ガブっ!」。ゴキブリの親分は言った。「そら、言わんこっちゃない!自分のため、大切な人のため、これから2週間の間は、絶対に台所に出てうろうろしてはいかん!」と、こうしてゴキブリの緊急事態宣言は永久に繰り返されるのであった。


●ゴキブリの親分-1   2021.7.09
ゴキブリの親分は台所の戸棚の裏で皆んなを集めて言った。「最近ここの家主は強力殺虫剤を購入したらしい。だからいいか、これから2週間の間は安全のため、絶対に台所に出てうろうろしないように!」ところがこれを聞いた若いゴキブリは、どうしても我慢できずに3日後に台所にそーっと出てみたところ、何も起こらなかった。「台所に出たけど何も起こらなかったぞ」と言うと、若いゴキブリが一匹、また一匹と台所にそーっと出る。そして9日目に30匹ぐらいが出たときに、「シュー!!」と強力殺虫剤の音。6匹が帰らぬゴキブリとなった。ゴキブリの親分は言った。「そら、言わんこっちゃない!安全安心のため、これから2週間の間は、絶対に台所に出てうろうろしてはいかん!」ところがこれを聞いたはずの聞いた若いゴキブリは、どうしても我慢できすに4日後にそーっと出てみたところ、何も起こらなかった。「台所に出たけど何も起こらなかったぞ」と言うと、若いゴキブリが一匹、また一匹と台所にそーっと出る。今度は殺虫剤を吹きかけられる気配もない。そして11日目に30匹ぐらいが出たときに、8匹が帰ってこなかった。→明日に続く。


●YESかNOでズバっと   2021.7.08
国会の答弁を聞いていると「何をぐたぐたと言っているんだ!YESかNOかはっきり言えばいいだろ!」と思うことがある。しかし国が決めることというのはYESかNOでズバっと決められるようなことは無い。国民には様々な立場で様々な価値観や思想の人間がいる。YESかNOでズバっと決めてしまえば必ずそのことに対しての大きな反動があるはずだ。だから何事も曖昧で有耶無耶のままで按配や様子を見ながら進めていかなければならない。例えば「お父さんのほうがお母さんよりも先に死んじゃえばいい」と言われた場合にYESと答えてもNOと答えても問題になるだろう。政治家は高学歴で頭のいい人が多いはずなのだから、物事をYESかNOでズバっと決めてほしい! とか言ってるお笑い芸人がテレビに出ていたが、頭のいい人ほどズバっと決めずに曖昧で有耶無耶のままで按配や様子を見ながら進めていくのであった。


●マルチタスク能力   2021.7.07
何か一つのことに集中して仕事をしている最中に他の仕事を頼まれる。このときにその頼めれた仕事を正確に理解して受け入れることができるかどうか?が仕事が、できる人、と、できない人、の分かれ目になるのだろう。できない人は「今忙しいから」と言って断る。できる人はその依頼内容を正確に理解して受け入れることができる。何か一つのことに集中しているときに、他のことを正確に理解できるということは、脳内のキャッシュの容量が大きく、それを処理するマルチタスク能力にも優れたCPUを搭載しているということになろう。一つのことに集中して仕事をしている最中に他に7つまでの仕事を頼まれても大丈夫だったのが聖徳太子だったのだが、8人同時説の他、10人同時説、聖徳太子架空人物説もあるとのこと。いずれにしても3〜5人程度の同時では「説」にはならないらしい。


●オーディオブック   2021.7.06
オーディオブックがゆっくりではあるが確実に市場規模を伸ばしている。本というのは読むものであって聞くものではない!などと言っている原始人もいるようだが、読むと聞くとではそこに費やす労力が明らかに違う。その違いは「書く」と「喋る」ぐらいであろう。そもそも文字を読むということが義務教育の中に取り入れられていたのは、音で聞かせる技術が発達していなかったためであり、最初から音で聞かせる技術が普及していれば、読むなどという七面倒臭いことは必要なかった。となると読む→聞くとダイレクトに伝わるので、文字という媒体も必要ないこととなる。それでは人類が今まで培ってきた文化はどうなる!と原始人たちは発狂するかもしれないが、それは、日本で東芝の電気釜が普及し始めたころに「電気で炊いた飯など食えるか!」と喚いていた原始人と同じだ。便利なものは必ず普及するの法則なのだ。来たメールを確認するときには音声読み上げアプリを起動して音声で聴く。そのほうが読み間違いも少なく、読み直す回数も減らせる。つまり効率的なわけだ。ということで封書で届いた種類を開封して読もうとするとき「すっっっげーめんどくセー!!」と昔以上に感じるようになったのであった。


●1998年フランス大会   2021.7.05
サッカー日本代表は1998年フランス大会ではじめてのW杯出場を決めた。出場が決まった時、多くの日本人が「予選突破」を予想した。また予選突破は無理にしても少なくとも1勝はできるであろうと誰もが予想した。しかし実際は3敗で1勝もできずに、得点も1点のみで、無惨に予選敗退した。それが当時の日本代表の実力であり現実でもあった。今の日本のコロナに対する予想もこれと似ているのではないか?年内にはワクチン接種が行き渡りコロナは収束する。それって「理想」「希望」であって、「現実」ではないのではないかな。


●一部の先進国でも確実に増加   2021.7.04
収束に向かっているのは一部の先進国のみであり、と昨日は書いた。しかし改めてここ数日の1日の感染者数のデータを見てみると、
アメリカ 7月2日:30,398人←6月20日:3,955人
イギリス 7月2日:26,706人←5月16日:1,506人
ロシア 7月2日:23,218人←5月4日:7,770人
スペイン 7月2日:12,563人←6月21日:2,360人
*右の日付は最近2ヶ月以内で最も少なかった日
各国ともピークのときほど死亡者の数は増加していないにしろ確実にリバウンドに入っている。絶対数は少ないがイスラエルやオーストラリアも増加傾向のようだ。どう考察するかは→あなた次第(いずれもデータは COVID-19 Global trackerによるもの)。


●楽観論   2021.7.03
世界の感染者数は既に1.8億人を超え第2波が終わり第3波に入ろうとしている。そして累計の感染者数から回復者と死者を除いた(グラフ赤い部分の幅)も増加中だ。コロナは世界的には今でも増加中であるにもかかわらず、収束に向かっている感が漂っているのはなぜだろうか?収束に向かっているのは一部の先進国のみであり、圧倒的に人口の多い途上国では感染者数が急増しているにもかかわらず先進国の状況しか報道されない。というのもあるが、そもそも人間は楽観は好きで悲観は嫌いなのである。ポジティブは好きでネガティブはイヤなのである。明るい話は好きで暗い話はキライなのだ。美しい物が好きで汚いものは嫌いなのだ。楽しいことが好きで辛いことは嫌いなのだ。メジャーが好きでマイナーは嫌いなのだ。だからこれだけ感染者数が増えてきて相当にヤバい状況であるにもかかわらず楽観論だけがちやほやされるのであろう。人間という生き物は自分にとって都合の良い情報は信じるが、都合の悪い情報は無かったことにするのだから仕方がない。


●4k8k   2021.7.02
2kと8kの差を肉眼で感じるためには最低でも80インチのモニターが必要である。と、これはNHKの技術者から聞いた話。増してやスマホの画面が8kである意味は全く無い。2kと4kの差ですら、肉眼で分かるのは、1本の動画の中で本当に限られた数シーンしかなく、それもよほど目を凝らして集中して見ないと分からない。というのは大学の映像の先生。本来8k以上でなければ専門的な用途はないはずが、早く売りたいがために4kを商品化してしまった。とは元大手メーカーの技術者。そもそもが医療とかバイオとかの専門分野での用途だったものを無理くり民生用として売り出しているだけのものだ。フツーにテレビを見るぶんには、全くもって必要ないものなのであり、人間の目の解像度をとっくに超えている。買うのはテレビというデバイスではなく8kを持っているという自己満足でしかない。


●性   2021.7.01
性同一性障害の元男性が女性に性転換をする。それがアスリートだった場合には圧倒的な強さで優勝するというケースも出ている。言い換えれば成績の上がらない男性アスリートが性転換をして、女性アスリートとして好成績を残すということも可能だということ。そもそも「ホントは男じゃないの?」と疑われた女性アスリートは過去にも多く存在した。また「性の曖昧さ」を明確にする必要性から性別適合手術を受けたという例もある。性を確定するのは外見の他、ホルモン検査や染色体検査があるのだが、どれも決定的ではなかった。そもそも昔っから、両性具有者や中性というのは存在していたわけであり、全ての人類を男女どちらかに分別するというのは不可能なことでもあったはずだ。そもそも生物というのは本来♀だけであったものが、血が濃くなるのを避けるために♂ができたわけであり、そのことで人類も繁栄したわけであるが、いささか繁栄し過ぎたために、また♀だけに戻そう!と神は考えているのやもしれぬ。



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