▼天声人誤

●童謡

童謡の歌詞の中には実に不思議なものが多い。もの心ついたときから半ばマインドコントロールで記憶させられているため気が付かないのだが、あらためてその意味を考えつつ復唱してみると色々と奇妙な点に気付く はずである。

例えば、夕焼けこやけの「こやけ」とか、仲良しこよしの「こよし」とは一体何なんだろうか?夕焼けは夕日で空や雲が赤く染まった景色であるが、「こやけ」というのは何処か夕焼けの他に焼けている部分があるのだろうか。「こやけ」というからにはそう大きく焼けている訳ではなさそうなのだが。「こよし」のほうは想像するに仲良しほど仲がいいわけではないが、きらいとかウマが合わないというほどでもない友人を意味するのであろう。

くつがなるという歌がある。「靴が鳴る」と書いてよいのだろうか。そしてなぜ靴が鳴るのだろうか。今どきのエアーマックスを履いた小学生が野道のアンツーカーよりかは柔らかいと思われる地面の上を歩いた場合音の出る要因は考えずらいのではないか。昔の小学生であったとしてもピヨピヨサンダルでもない限り特に音は出ないのではないか。しかも全員が手をつないで歌を唄っていても聞こえるほどの大音量で靴が鳴るのである。

さっちゃんの本名は「さちこ」で恐らく「幸子」と書くのだろう。両親が不幸で貧困に喘いでいる家庭では「この子は幸せになるように」と願い「幸子」と命名する場合が多く、それゆえバナナを一度に丸ごと一本食べてしまうことは許されず、また借金の返済に追われ一所に定住できずに近所の人が「ほんとかな?」と思っているあいだに一家揃って夜逃げをするのである。後にさっちゃんが大人になったときに作られた歌があがた森魚の「赤色エレジー」である。

どんぐりころころはお池に「はまった」とのことであるが、相当にでっかいどんぐりであったのだろう。「ぼっちゃんいっしょにあそびましょう」と言っているが、植物学的にはどんぐり自体に性別はないとのこと。

海にお舟を浮かばして 行ってみたいな よその国。行ってみたいのはいいけれど海外に行くにはそれなりの手続きが必要だ。行ってみたいなよそのくに、で本当に何の手続きも無しに来てしまう国の人が日本の近くの国にいる。

大きな栗の木の下では、なぜ「くり」なのか。春にはおぞましい臭気を放つ花粉を大量に撒き散らす。夏には栗の木につく害虫に気をつけなければいけない。特にイラガの幼虫などは触ったら最後、とても仲良く遊んでなどいられない。秋にはもちろん栗のイガが地面に落ちているし、運が悪ければ落下してくるイガが脳天を直撃することもある。大きな木の下で遊ぶのであれば「くり」は避けたほうがよいと思うのだが。

いぬのおまわりさんは「いぬ」であるが、いぬの訓練士は「人間」である。この歌がなければいぬのおまわりさんって警察犬のことかな?とか、警察のイヌドモが!と思う人もいるのでは?いずれにしても迷い猫の処理を犬に任せても埒が明かない。埒が明かないといえば手紙を「読まずに食べた」ヤギさんたちであろう。おそらく今ではメールをプリントアウトしてから食べているのだろう。

おはながわらったという歌がある。知らない人もいると思うので歌詞を全部紹介すると「おはながわらった(これを4 回繰り返す)みんなわらった いちどにわらった」これが一番、二番は最後の「いちどに」を「げんきに」に差し替えるだけ。シュールな歌である。

こわいの極め付けはやはりあかいくつであろう。何がこわいかといえばいきなりマイナー調で始まること、ちゃんとした理由も説明されないまま異人さんに連れて行かれちゃうことである。そしてその一連のストリーの中で赤い靴という小道具的な部分がクローズアップされ象徴的に描かれていることでさらに怖さを増している。横浜の波止場という固有名詞が唐突に出てくるのも不思議である。なぜ横浜なのか?長崎から船に乗ったら神戸に着いてしまうかもしれないからか。異人さんはナニ人なんだろう?なんとなくオランダ人のような気もするがモロッコ人とかコロンビア人であったらもっと怖い。想像するにタイガーマスクのミスターX みたいな服装をしているのだ。日本人の子供は人身売買市場で高く売れるらしい。

そして赤い靴の女の子の見返りとして日本の港にやってきたのが青い目をしたお人形である。ここでは何処の港に着いたのかは謳っていない。アメリカ製のセルロイドであるため焼却処分する際に有毒ガスが発生するため環境保護団体の抗議行動を恐れ、停泊する港がどこであるか公開しなかったのである。さらにこの人形は青い目から涙を流すという怨念が宿ったものである。きっと髪の毛も伸びるに違いない。

たきびという歌ではたき火自体を奨励している。もちろん今では、よほど田舎出ない限りは勝手にたきびをすることは条例で禁止されている。

おもちゃのチャチャチャでは鉛の兵隊がトテチテタしたりするが、鉛は乳幼児が口に接触する可能性がある場合には、厚生労働省によりその玩具への使用が厳しく規定されている。

1962年に作られたとされているおはなしゆびさんという歌では、「このゆびパパ ふとっちょパパ」ではじまりこのパパは「やあやあやあやあワハハハハハハ」とおはなしをする。となっている。昔からパパ=人当たりの良いメタボなおっさんであったようだ。そして「ママ」は「まあまあまあまあホホホホホホホ」、という風に、昔から事なかれ主義で責任逃れが上手かったようである。「にいさん」は「オスオスオスオスへへへへへへへ」、昔の兄さんは脳みそ筋肉で若干意志薄弱だったようである。「ねえさん」は「アラアラアラアラウフフフフフフ」となっている。どんなに自分が悪いことであっても、常に笑って誤魔化してその場を切り抜けていたのであろう。

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