▼天声人誤

●死の階段

この階段を下り始めた者は絶対に戻って来られない。確実に死ぬ、という階段があるらしい。青森だか岩手だか定かではないが、標高数百メートルの山の中腹の、とある山道の突き当たりがその階段になっているらしい。冬場は雪に閉ざされているため、犠牲者の大半は夏から秋の紅葉の時期。一度に複数の人間が犠牲になることも珍しくない。

断面がちょうど二次曲線を描いたような地形の山腹にあり、一体誰が何のために作ったのかは不明である。ただし、その階段を下りて生還したという例は皆無だそうだ。

緩やかな上り坂の山道の突き当たり。木々の合間から開けた風景は絶景とまではいかないまでも、そこそこ良い景色の場所でもあり、ベンチでもあれば一休みしたい処でもあるのだが、そこから極めて自然にその階段が続いているために、ここまで来た人のほとんどは、その階段に足を踏み入れてしまう。

階段は石段であり、昔その場所に寺院があり、建物は火災か何かで消滅し、今は石段だけが残っている、と考えるのが普通であろうが、よく考えてみれば、その石段の付近に寺を建てるために充分な平地は存在しない。明らかに階段だけが単独で作られたものなのだ。しかし、そこまで深く考えずに道成りに歩いて行くのが普通であろう。

石段は、一段の段差は大きくなく、比較的緩やかなものだ。一定の段差を数分下りて行くと、自然とその段差に足も馴れ、リズミカルに下りることができるようになる。下りなので体力の消耗も少ないのだろう。

最初の100段ほどは普通の石段である。しかし100段を過ぎたあたりから、踏み込む石の表面が前方に約0.1度傾斜する。一段に0.1度ずつ角度が増していくのだ。10段で1度だ。100段で10度になる。10度というと、かなり急に感じる傾斜だ。坂道でもその傾斜が10度というのは、かなりの急勾配だ。

そして次の100段では傾斜は20度になる。このあたりで下りる人は異変に気付くようだ。下りる速度が自分が思う以上に速くなり、一歩一歩の踏み出しと着地が滑るような感覚になる。同時に前方にこの階段の終わりであろうちょっとした河原が見えてくる。

そしてその河原が、地面に対して平行ではなく、こちらに向かって立ち上がっているようにも見えてくるのだ。そして気付く。河原が立ち上がっているのではなく、階段がかなりの深い角度で前傾していることを。

しかしそう気付くのは400〜500段ほど下りてしまった付近だ。すでに階段の傾斜は45度を超えている。立ち止まってしりもちをついたところで、体は静止せず、引力によって数百メートル下の河原に向かって引きずりこまれていく。

滑り出す体を反転させ、うつ伏せになって石段にしがみつくにも、しがみついた石段は地面からずり落ちていく。体重プラス石の重さが滑る速度を加速してしまう。

ほぼ垂直に近くなった石段を「ふ、ひょー!」とかワケの分からない叫びとともに人々は谷底に落ちて行くというのが、この「死の階段」であるとのことだ。

天声人誤

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