▼天声人誤

●こえだめ

よくあるのが溜める部分が2つに分かれていて、右側は液体に近い状態の肥が溜まり、左側は表面が硬化し、ほぼ固体と言ってもいい状態になっているやつだ。

その硬化して固体化した表皮の表面は乾燥し、外枠のコーナー付近にはネコジャラシやスベリヒユがその恵まれた栄養分の元でのびのびと生育している。

トカゲやスズメはこの上を平気で歩きまわり、時にはカラスも歩く。ネコが走って通り抜けたこともある。

こうなると人間の子供が乗ってみたくなるのも無理もない。とりあえず最初は石を投げつけてみるのだが、握り拳ほどの石を力一杯たたきつけてもビクともしない。「ポッ」という情けない音をたてて半分ほど潜り込むだけである。貫通させるだけでも至難の技である。

こんなとき子供のうちの一人が漬物石としても充分使えるであろう大きな石を抱えて運んできたりする。彼は皆が小石を投げ始めた時点で、その硬化して固体化したこえだめの表皮を破壊するためには小石などではまず不可能であることを悟り、多少遠くに足を運んでも大きな石を捜してきたのであった。

このタイプの子供は、大人になっても皆が困っているときにちょっと違った切り口からの提案をしたりして、周囲の人間に重宝がられる。しかしせっかく彼が運んできた石を見て、「オレにやらせろ!」と叫び、横取りしてしまうヤツがいる。

このタイプの子供は、大人になっても他人の仕入れてきたネタを利用し、自分の手柄にしようとして失敗したりする。例外ではなかった。

彼は「オレにやらせろ!」と叫んだあと、その漬物石を頭上高く持ち上げ、こえだめの前に立った。他の子供はというと、近くに立ってはいるものの、体重はこえだめの反対側にかかっていた。そして石を頭上高く持ち上げた状態の彼も同じである。投げ終わった瞬間に逃げる体勢に入らなければならず、「投げる」と「逃げる」のどちらにプライオリティーを置くかといえば、もちろん「逃げる」である。結果、漬物石は投げつけられるというより、「落ちる」に近いかたちでこえだめの表皮の上に落下した。「ボッ!」という鈍い音とともに3分の1ほどめり込んだでけであった。

5mぐらい逃げたところで失敗に気付いて逃げる速度を緩め、丁度短距離の選手がフライングに気付いた時のように、アゴを上げたダラダラ走りをすることで残念さを表わしていた他の子供達は、ダラダラ走りのままUターンしてこえだめの周りに戻ってきた。

既にこの時をもって子供達の気持ちは皆同じであった。「どーしても割りたい!こえだめの表皮」であった。「割るまでは絶対帰らないぞ!」とも思っていた。とにかく今必要なものは漬物石を大きく上回る破壊力をもった何かであり、とりあえず皆で手分けをして周囲を徹底的に捜すことになった。

10分ほど過ぎたとき、一人の子供が顔を紅潮させ、かなり興奮状態で叫びながら走ってきた。「あったぞー!」この声を聞いて他の子供達はその子のところにものすごい速さで駆け寄ってきた。彼が発見したのは、角が一部欠けて捨ててあったU字溝のコンクリートの塊であった。この薄汚ないガレキが子供達にとっては非常にたくましく、美しいものとして目に写った。

形勢が不利になってきた反政府ゲリラが、政府軍の目を盗みやっとの思いで手に入れた最新鋭の地対空ミサイルを眺めているような心境である。

早速子供達はこのU字溝をこえだめの前まで運び、U字溝のそれぞれの角の部分にひとりずつが立った。特に何も打ち合わせはしていないが、U字溝がこえだめの表皮を打ち破るまでのプロセスのビジョンは皆共通のものを持っており、お互い他の子供が同じビジョンを持っていることを信じていた。

「いっせいの、せっ、でいくぞ!」一人が言うと、4人はおもむろにU字溝の角に手を掛け、持ち上げた。「いっせ〜」の「いっ」のところでU字溝はこえだめと反対側に大きく振られ、「せ〜」でこえだめ側に戻り、「の」でふたたび反対側に、そして最後の「せっ!」でU字溝は空中に高く放り上げられた。

別に練習をしたわけでもないが、4人の呼吸はピタリと合い、これ以上は無いであろう絶妙なタイミングでU字溝は宙に舞った。

漬物石の時とは違い、一度空中に放り上げられるため帯空時間が長く、そのぶん逃げるための時間も充分にあったため余裕をもって投げることに集中できたのである。

さらにこのとき願ってもないラッキーなことが起こった。空中でバランスをくずしたU字溝が縦になったのである。しかも割れて尖っている方が下になっている。そしてそのまま真直ぐ真下に向かってスローモーションで落ちていった。

『ドヴッ..』という鈍い音とともにU字溝はこえだめの表皮に突き刺さっていった。U字溝が半分ほど沈み込んだところで、一瞬動きが止まり、その直後に、ついにこえだめの表皮は、真っ二つに割られた。

割れたのを確認するかのように、止まっていたU字溝がまたズブズブと沈みはじめた。無念にも2枚に泣き別れとなった表皮は、その割られた側のヘリをU字溝に引きずられる格好で肥の中に沈んでいったが、この反動で外側のヘリが浮き上がり、その表皮の厚みと、表皮の裏側を露呈するはめとなった。

表皮の裏側では半分腐った血みどろの血管や神経をたくさんぶらさげた巨大なカサブタの内側が断末魔の乱舞をおこなっていた。割れた2枚のうちの1枚は、ほぼ縦になったところで垂直に沈み始めたが、もう一枚の方は今まで内側だった面を外側にして倒れようとしていた。勢いが余り、180度回転する格好になったのである。

あまりの喜びと興奮のため逃げるのを忘れて眺めていた子供達は、このとき裏返しになった表皮がこえだめの水面に叩きつけられる様子を思い浮かべ、始めて逃げる事を思い出した。「ワ〜」と声を上げて逃げ始めたが、時、既に遅かった。

逃げながら振り返ると、厚さ10cmほどの表皮はこえだめの水面やコンクリートの枠の部分に叩きつけられてこなごなになり、同時にこえだめの肥の粒や表皮の内側のどろどろの塊なんかが、まるでドラゴン花火のようにイッセイに空中に飛び出そうとしていた。

天声人誤

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