▼天声人誤

●高島坪団地

都内某所にある高島坪団地は日本でも有数の自殺の名所になってしまった。多いときには月に数十人の飛び下り自殺者があり、一家団欒食事をしているときに窓の外を人影が落下していくということにも住人は馴れてしまった。

人が飛び下りたときというのはなんとなく殺気めいたものを感じるらしく家族全員が食事の手を止め、それとなく窓に目をやっていることが多い。「今月は多いわね。」母親が呟く。「うん、でも今のは速かったな。」父親が言う。子供達は止めていた手をまた動かしはじめ、無言でカレーライスの続きを食べる。

朝管理人が外へ出ると、多いときには二つ三つと死体が、あるものは花壇の縁に、あるものは駐輪場にところがっている。管理人は馴れた手つきで竹ぼうきを使って飛び散った脳味噌をチリトリに集め、ポリ袋に入れて生ゴミ置き場に運ぶ。そしてポケットからチョークを出し死体に沿って地面に線を描いた後、死体の両足を両脇の下に抱え、ふんぞり返った格好でズルズル引き摺って駐輪場傍の粗大ゴミ置き場まで運び、「ふ〜」と一息ついて額の汗を手で拭って部屋に戻って茶を一杯すすってから警察に電話をする。

実は人が地面に叩きつけられた瞬間にはそれなりに大きな音がするので管理人は自殺があったことはその瞬間に気が付いているのであった。しかしその度にいちいち死体を片付けたり警察に連絡したりしていたのでは一日に三人以上の時は完全に眠れなくなってしまうので翌朝にまとめて処理するようにしている。E-mailのようなものだ。

死体の中には稀に微かに息のある物もあるが、大抵の場合は警察が来るまでには死んでしまう。しかし中にはかなり元気なものもある。管理人は警察が来るまでには死にそうもないと判断したときは駐輪場傍の粗大ゴミ置き場まで運んだ後、花壇の裏に置いてある大きな火鉢を振り翳すのであった。

高島坪団地の飛び下り自殺者の場合、どうも他とは違った特異な傾向がある..と、下赤塚警察自殺心理捜査2課の田所警部は考えた。通常自殺者には大きく分けて二つのタイプがあり、ひとつは完全終焉型と呼ばれ、自分が死ぬと同時にこの世の中が全て終わってしまい、後には野も山も残らないという自分の死=世の終わりという考え方である。この場合、遺書、家族や友人に宛てたメモや走り書きなどはいっさい残さず、靴を脱ぎ揃えるようなこともない。

そしてもうひとつは悲観実行型継続未練亜種-乙種に分類されるもので、自殺はすると決めたもののその判断が本当に正しいのかどうか自信がもてず、世に多くの未練を残しながらも世を去っていくという未消化な精神状況のもので、家族に宛てた手紙を延々と書き、生命保険の処理方法と担当者の電話番号、葬式の来場予想者名簿や、墓石に使う石の種類のリクエスト等、後に残った者がなるべく困らないようできる限りの情報提供をするタイプである。

彼等はきちんと靴を脱ぎ揃え、靴下も脱いできれいに畳んで靴の中に入れ、帽子やジャケットもきちんと脱ぎ揃え、いざ飛び下りようとして、ちょっと振り返ったところジャケットの位置が少しまがっていたので、これをなおして、さあ飛び下りようと思ったのであるが、今着ているセーターが結構高かったので、こいつも残しておこうと思いつき、そうこうしているうちに素っ裸になってしまい、今度こそ飛び下りようと思ったのであるが、素っ裸のままでの死体ではやはり恥ずかしいことに気付き、パンツ一枚だけははくことにした。しかし落下途中でこのパンツは簡単に脱げてしまい、しまったと思い戻ろうとしたがダメであった。

これら二つのタイプのうち、通常は後者の悲観実行型継続未練亜種-乙種が全体の7〜8割を占めるのであるが高島坪団地の飛び下り自殺者の場合は約9割が完全終焉型であった。

田所警部がもうひとつ疑問に思ったことは、一般的に高層住宅からの飛び下り自殺者の場合、ベランダや階段の踊り場から飛び下りるケースが全体の8〜9割であるが、高島坪団地の場合屋上から飛び下りるケースが7割になっていた。確実に即死しようというのであれば落下場所が特別柔らかい材質でない限りは6〜7階以上であれば安心である。この方が落下している時間が短くて済む。落下時間が必要以上に長いと色々と余計な事を考えたり、時には「やっぱりもう一度やり直そう!」などと考えが変わったりしてしまう。また強風にあおられて落下目標地点が大幅にズレたり、必要以上に汚い場所や痛そうなところに流されたりもしてしまう。

もうひとつベランダや階段の踊り場から飛び下りるケースが多い理由としては物理的環境が心理面に及ぼす影響が考えられる。屋上の場合、広大な空やそこに浮かぶ雲、遠くまで続く街並、畑や街路樹等の風景...と、これらを眺めているうちに一人の人間というものがいかに小さな存在であるか、今自分が自殺しようとして悩んでいることがどれだけちっぽけなことか、等々...せっかく思い切って実行しようとした自殺行為を止めてしまうのである。

これに比べ階段の踊り場はなんとなく陰湿で薄暗く、ちょっとその気になれば死神が後ろから押してくれるような雰囲気があり自殺するには恰好の場所なのである。

しかしながら高島坪団地の場合屋上から飛び下りるケースが圧倒的に多い。田所警部自身の経験ではサンプル数が少ない場合は踊り場:屋上の比率が逆転することもあるが、今回の高島坪団地のように自殺者がそれなりの数を重ねてくれば自然と正常な比率になってくるはずであった。

「これはひとつ徹底的に調べてみる必要がありそうだ。」そう呟いて田所警部は火を付けて間もない煙草を灰皿に押し付け席を立った。

一方高島坪団地管理事務局では増える一方の自殺者をなんとかして減らすべく対策会議を開いていた。このままでは団地全体のイメージダウンにつながり、ただでさえ伸び悩んでいる入居希望者がさらに減少して累積債務がまたまた増えてしまうのであった。

屋上のフェンスを改良したり警備員の数を増やし夜間のパトロールを強化する等ありきたりの案はいくつも出た。しかし自殺するほうは決死の覚悟で自殺するのであり、ましてやサルやクマとは違い知能が高いので多少の障害は克服してしまうであろうというのが全体的な意見であった。

それならば少し視点を変えて、"飛び下りたいヤツは飛び下りさせてしまえ。そのかわり飛び下りても死なないようにしてしまえ"という提案があった。この意見には全員が軽率にも賛成したため本当に実行されてしまうはこびとなった。

各棟の1階と2階の間に幅3m程のひさしを建物の周囲に張り巡らすというのが具体的な対策方法であった。このひさしのシートはトランポリンと同じ材質である。当然のことながら1階の住人からは苦情が殺到した。しかし2階以上に空きがある場合は優先的に移住できるようにしたり、優先的にトランポリンで遊ぶことができるとか、ひさしの下でたこやき屋を開いても良いとか、家賃を値下げしたりしてなんとか折り合いをつけた。

田所警部は最も自殺者が多い41棟の屋上で意外な事実を発見した。屋上のフェンスは幅30cm間隔で縦に鉄パイプが埋め込まれ、足元から1.2mぐらいの高さでこの縦のパイプにこれも鉄パイプの手摺が溶接されていた。しかしこの溶接が不完全であったらしく継ぎ目部分から錆による腐食が進み、縦のパイプとの結合部がいたるところで朽ち果てていた。

試しに手摺のパイプを両手で掴んで力一杯ネジってみるとバリバリと音をたてて手摺の一部がとれてしまった。人の身体が余裕で通過できる隙間ができた。その隙間からちょっと身を乗り出して下を見てみたところ、すごーく恐かった。あまりコワかったので屋上の中央地点まで戻ってしまった。

そこであらためてフェンスを端から順に見渡してみると、なんと10mおきぐらいに手摺が欠落していた。コーナー附近では2〜3mおきに手摺がなかった。給水塔の裏の人目につかないところでは30cmおきに手摺がなかった。

これでは飛び下り自殺を促進しているようなものだ。いや、もしかすると落ちて死んでいるのは自殺者だけではないかもしれない。田所警部はそう思い過去の死亡者の例を思いおこしてみた。

ある高校生は長さ30cmほどの鉄パイプを握りしめたまま死んでいた。恐らく田所警部のように手摺のパイプを両手で掴んで力一杯ネジり、もげた拍子に落ちてしまったのであろう。そういえば最近近所の中学や高校で鉄パイプで作ったヌンチャクが流行っているとか。

ある中年の男性は双眼鏡を首にぶらさげたまま落ちていたし、ローラースケートをはいたまま落ちた若者もいた。たぶん手摺に体重をかけたり勢いよく掴んだだけでも手摺がもげてしまったのだろう。

アベックが二人揃って死んでいたこともあった。きっとイチャついているうちに盛り上がってフェンスに体重をかけたのだろう。

口から火を吐きながらものすごい速さで落ちていった不良も目撃されていた。屋上でアンパンをやっていて一服しようとフェンスに寄り掛かろうとして落ちたのである。

落ちる途中で持っていたライターの火が肺の中のシンナーに引火して口から火を吹いたのだ。

色々と思いおこしてみると全員が自殺というわけでもなさそうであった。というよりもほとんどが事故死であった。しかし田所警部は自殺が担当であり事故死となると担当が違うので田所警部には関係なかった。担当が違う部署や課には、たとえどんなに有益な情報であっても与えないというのが公務員の掟であり田所警部はこの掟を守った。

トランポリン工事が終わり、高島坪団地での自殺者の数は激減した。本当に自殺しようとして飛び下りた人は死んだと思った瞬間に身体が再び中に舞い上がるのだから、それはもう驚きものである。いかんせん高いところから降りているのでリバウンドも半端ではない。屋上から降りればリバウンドは5階まで行くし、その次のリバウンドでも3階までは行く。

一家団欒食事をしているときに窓の外を人影が落下していくと思ったら同じ人影が上昇していき、また上から下に通り過ぎる。家族全員が食事の手を止め、この人影を眺めている。「今日は多いわね。」母親が呟く。「うん、でも今のはダサかったな。」父親が言う。子供達は止めていた手をまた動かしはじめ、無言でカレーライスの続きを食べるのだが外でボヨ〜ンボヨ〜ンという音がするのでついついは窓を開けて外を眺めたくなる。地上付近ではギャラリーが集まり弾むたびに拍手がおこる。こうなるともう自殺しようとして飛び下りたなどとは言えなくなってしまう。

自殺者が多かった41棟の屋上では若者が集まっていた。OLや小学生の姿もあり、時々歓声と拍手がおこっていた。そこにはあの寒々とした自殺の名所の面影はなかった。久しぶりに様子を見に来た田所警部は一人の若者に何をやっているのか聞いてみた。「えっ?おっさん知らないの、バンポリンだよ。」「バンポ..リンって?....」「バンジートランポリンのことだよ。」
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