2025年6月


●永久にやらないことのリスト   2025.6.13
面倒臭いことを後回しにすると余計に面倒臭くなり、それでも後回しにすると自分では処理しきれず、永久に「やらないこと」のリスト入りをする。そうなることは日本国民全員が、夏休みの宿題で体験しているはずだ。しかし多くの日本国民は、このことが分かっているにもかかわらず、分厚い「永久にやらないことのリスト」を持っている。人によってはこの「永久にやらないことのリスト」のほうが「今までやったことのあるリスト」よりも分厚くページ数が多かったりもする。ということで、学力が高い人ほど、または教養がある人ほど「永久にやらないことのリスト」のページ数が少なくぺらっぺらっだったりもする。しかしこの「永久にやらないことのリスト」を持っていない、または持っていても完全に白紙、という人はいない。そして「永久にやらないことのリスト」に書いたにもかかわらず最後にはやってしまうということもある。それが「死」である。


●らくらくスマホとかかんたんスマホ   2025.6.12
らくらくスマホとかかんたんスマホとかいうのがあって高齢者はこういうのを使っているのだが、これらが本当に楽ちんであったりカンタンであったりすることはない。使いこなせるわけがないということは分かっているのだが金を持ってる高齢者に売りつけるというdocomoやauの悪質な商売である。そもそも高齢者はマルチタスクではないしキャッシュを脳内にメモっておくことができないしハイパーカードの概念が無いのでどんなにカンタンにしてもスマホを使いこなせるわけが無いのだ。だからほとんどの高齢者はらくらくスマホとかかんたんスマホを電話としてしか使ってない。そして結局は家デンを未だにメインで使っている。じゃスマホいらないじゃんという話になるのだが、やっぱり外からかけることもあるので解約できずに毎月高い使用料を支払っている。さらに悪どいのは、家デンとスマホをセットで契約すると、ぐっと安くなるということ。これは、仮に家デンを解約すると月々のスマホの支払いが高くなるということ。家デンも解約されないように上手いことやってやがるということだ。なんか、もう貪りし放題だな。


●井の中の蛙   2025.6.11
”井の中の蛙大海を知らず、されど空の蒼さを知る”そりゃそうだろう。通常、井戸というのは海からは離れたところに掘る。岩盤や地形によっては海から100mのところに掘っても大丈夫な場合もあるが、一般的には海から300〜500m離れたところでないと海水の塩分が混入して井戸としての役割を果たさないらしい。もっともそれは”最低で”の話であって、海から数キロ以上離れたところにあるのが井戸というものだろう。なので井戸の中の蛙が井戸から出たところで海を見ることはできないというのが普通であり、仮に300mのところが海だとしても蛙の大きさでは海までたどり着くのは簡単ではないはずだ。だから海の大きさを知ることはけっこうムズいということにはなるのだが、でも空の蒼さは井戸の中から見上げても見ることはできるだろう。とまぁ、ここでの「蒼さ」は色ではなく、スケール感を言っているのだろうけど。でもやっぱり蛙は海を見ることのできるところまでは辿り着けないというのが前提のようだ。てか蛙は両生類なので塩分にとっても弱く、海を見に行く予定も目的はないはずだ。蛙は海に入ると死むし。


●カブトムシの天敵はスズメバチ?   2025.6.10
カブトムシが夜行性なのは、昼間は樹液を吸う時にスズメバチと競合するためだ!なんてことが、どっかの大学の研究者だか小学生の観察結果だとかで、さもありげに言われているが、これは嘘だ。そもそもカブトムシは昼間でも樹液を吸いに来る。そして夜であればカナブン、クワガタ、カミキリ、蛾、カブトムシ同士でも熾烈な樹液場所取り争いをしている。これが昼間であればカナブン、クワガタ、カミキリ、蝶、スズメバチが樹液場所取り争いになり、スズメバチだけが競合相手ではない。そしてカブトムシの成虫(特に♂の)活動時期は7中旬〜8月中旬で、8月中旬過ぎると多くは死んでしまう。対してスズメバチは9〜10月が最も活動が活発になる時期なので、両者が活発な状態で遭遇する時期は限られている。そもそもスズメバチは4月から11月まで活動しているので、スズメバチから見ても約1ヶ月の間しか出くわすことのないカブトムシが本当の敵とは言い難い。昼間の樹液場でのカブトムシの強敵といえば、最近個体数を増やしている外来種のアカボシゴマダラ(蝶)ではないだろうか。口から黄色いストローを出しながらガシガシと樹液を求めて歩く姿には。蝶としてのエレガントさや儚さの欠片もない。それと昼間の天敵はカラスである。カラスに腹側だけを喰われたカブトムシの「殻」を雑木林の中で見かけることがある。そういう意味では、確かにアカボシゴマダラやカラスが来ない夜のほうが安全だとは言えるんだけどね。


●似てるからといって一体化したらダメなもの   2025.6.09
似てるからといって一体化したらダメなものの代表例がテレビとパソコンだ。富士通「FM TOWNS」、ソニー「VAIO」シリーズ(一部モデル)、NEC「VALUESTAR W」シリーズ、東芝「Qosmio(コスミオ)」シリーズ、最近ではLGやASUSの一部モデルではテレビとしてもPCモニターとしても使えるタイプもある。ただしどのモデルの売れ行きもパッとしなかった。それもそのはずで、受動的な使われ方をするテレビと、能動的な使い方をするパソコンを一体化したところで、誰がどこでいつ使うねん?ということだ。大して売れなかったので大幅に値下げされて、同じスペックでテレビ無しのモデルよりも安くなったので、結局はパソコンとして使われるケースが多かったとか?じゃ、能動的なもの同士での一体型であれば売れたのか?というとそうでもない。 自動車が登場しはじめた頃、馬車にエンジンを取り付けたものが実際に登場しているとのこと。もちろん売れなかった。つまり、これからのモノと滅びゆくモノを一体化したところでニーズは無いということだろう。


●半分廃墟化した農家   2025.6.08
半分ゴミ屋敷化して半分廃墟化した農家というのをよく見かける。木造の母屋は老朽化して今にも崩れ落ちそうなのだが、その母屋に繋がってバブルのころに増築したであろう洋風の建物。その洋風な建物のテラスには洋風な白い椅子が数脚積み重ねられていて、その傍には中味がゴミであろうことが容易に想像できる濡れて腐りかけた段ボールが8個ぐらい(腐っているので性格な数が分からない)。母屋のほうも玄関と土間には正体不明の段ボールの山。ガラス戸の隙間から見える室内にも積み重ねて崩れかけている段ボールの山。と、その奥に洋風のリビングがあり、ソファーやテーブルがあるのだが、どちらもガラクタ置き場になっていて住人は床に座ってちゃぶ台を置いてそこで食事をとっている。母屋の向かい側に木造でトタン葺きの納屋があるのだが、目視で分かる程度に傾いている。軒下には何年も使ってないであろう赤い耕運機が2台。大きなビニールを巻いた筒が数本重ねて置かれていて、小さなベルトコンベアみたいな機械や、スコップや鍬などが無造作に置かれている。その納屋の奥には離れの木造の便所。こちらは完全に朽ちて原型は半分ぐらいしか残っていない。そんな半分ゴミ屋敷化した農家の玄関先で、落ち葉を丁寧に掃き掃除をしている若奥さん。いや、これってたぶん農業機械や農協ができて下水道や電気が来る前のライフスタイルがそのまま受け継がれようとしたが故のバグなんだなぁー。と思った。


●今までの暮らしをどう維持できるか?   2025.6.07
NHKのニュース。ここのところの物価高対策の話題。「今までの暮らしをどう維持できるか?という課題に取り組んでいかなければ…」的なことを言っていた。おいおい、国営公共放送がそんなこと言ったら国民がその気になってしまうではないのか。今の日本は、高齢化が進み社会保障費も増大している。少子化が加速して人口が減少し労働人口はダダ下がりである。そしてかつてのように海外でバンバン売れるようなプロダクツも作れなくなっている。日本クオリティのものを中国や東南アジアで激安で生産できるようになっている。円高も進んでいる。日本で作った製品は海外で売れなくなってきている。どう考えても「今までの暮らしは維持できない」ということになる。今までの暮らしは必要以上に贅沢であり過剰消費であった。それを正常に戻すというだけのことだ。身の回りには「無くても生活に困らないモノ」は、まだまだ掃いて捨てるほどあるだろ!何のこたあない。昭和40年ごろに戻ればいいだけの話だ。便所はぼっとん式だけどね。


●Windows11の微妙なアップデートは困る   2025.6.06
Windows11では、2024年11月から、それまでバンドルされていた「ペイント3D」がバンドルされなくなり、代わりに「ペイント」がグラフィックソフトウェアとして推奨されているとのこと。そもそも2次元のグラフィックソフトに「3D」と名前をつけてしまうところが、Microsoftの未来予測の甘さだったようだ。3Dグラフィックを扱うユーザーというのは限られていてマーケットもそれほど大きくはないはずだ。というわけで「ペイント3D」を使う人は思ったより少なく、結局元の「ペイント」に戻すことになったというお粗末な話。またWindows 11の右クリックメニューが、Windows11 24H2からメニューでの表示項目が少なくなり使いにくくなったという人もいるので、これをWindows11 23H2と同等に戻す方法というのがネット上で紹介されていた。大学の課題で、こちらで予めアップロードしておいたhtmlファイルを、学生がダウンロードして確認する、という作業を行なった。ところがダウンロードしたファイルを右クリックすると必要なメニュー項目が表示されなくなっていた。そこで「Windows11 23H2と同等に戻す方法」というのをやってみたのであるが、どれも不発だった。そもそも23H2と24H2の違いって何なんねん?大学のWindows 11が自動アップデートさせられてそうなったんかいな?と、どんどんと疑問は深まっていく。同時に学生からも「右クリックメニュー出ませ〜ん」というクレームが相次いだ。で、いろいろといじくっているうちに「ダウンロードフォルダの中のファイルでは右クリックメニューで表示される項目が限られている」ということが分かった。デスクトップに移動すれば解決するのだった。という単純なものだったが、だいたい23H2から24H2という微妙なアップデートをするから混乱するのだよ。そもそも何で「ダウンロードフォルダの中のファイルでは右クリックメニューで表示される項目が限られている」んだよ?


●震電   2025.6.05
震電(しんでん)は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が試作した局地戦闘機である。米軍爆撃機B-29の迎撃用として開発された海軍の局地戦闘機で、前翼型(エンテ型)といわれる形状で、胴体後部にプロペラのある特異な形を特徴とした戦闘機。試験飛行まで行われたが、実戦に使われることなく終戦を迎え「幻の戦闘機」と呼ばれた。その形状がユニークでスタイリッシュなこともあり、今でも戦闘機ファンの間での人気は高い。映画「ゴジラ-1.0」では、時代背景が日本の戦後間もなくということもあり、米軍に没収されずにたまたま残っていたこの震電に、主人公の元特攻隊員が乗り込み、最後にゴジラの口に、爆弾を積んだ震電で突っ込み、ゴジラを爆破することに成功するが、その直前に自分はパラシュートで脱出して、無事に帰還するというもの。ただし実際に震電は、前翼型ということもあり、設計上いくつかの問題を抱えていたのも事実であったようだ。その1つがパラシュートによる脱出装置であった。通常戦闘機の脱出装置は、キャノピー(風防)を手動で開いて自力で機外に出るという方式であったが、震電の場合、後方にプロペラがあるため、機外に出た直後のプロペラに巻き込まれて操縦士がミンチになってしまうということになる。 そのため座席ごと小型の爆薬で機外に打ち上げる仕組みにしていたはずだが、その打ち上げる高さや、速度、爆薬の量などは、何度も実証実験をしてみないと分からないはずであり、ぶっつけ本番ではあまりにリスクが高いだろう。また脱出時には、プロペラブレードを爆発ボルト(火薬)で吹き飛ばす仕組みが組み込まれていたとも言われているが、これもその爆破のタイミングや威力を実証実験してみないと分からなかっただろう。というか、そもそも零戦など日本の戦闘機は防御も簡素で脱出も非常に難しい構造になっており、燃料タンクが操縦席の近くにあり、火災で逃げられない事例も多く、脱出のための仕組みがほぼなかったため、最後まで戦う=死亡覚悟というケースが多かったようである。さらに、震電は幻の高性能局地戦闘機というイメージが植え付けられているが、実際には普通に飛ぶことさえままならないポンコツだったらしい。設計製造は「九州飛行機製作所」という会社が担当したが、彼らはそれまでに高速で飛ぶ航空機を作った経験もなく、局地戦闘機のノウハウもほとんど無かったらしい。また前翼型(エンテ型)は過去にも世界中で作られてきたが、まともに実用化された例もほとんどなかったとのこと。震電=夢物語だけが勝手に独り歩きした機体、ということのようだ。


●追い詰められると目先のことしか考えられなくなる   2025.6.04
人間は追い詰められると余裕が無くなり目先のことしか考えられなくなる。例えば震災で避難所生活を強いられたとき、明日食料がちゃんと支給されるかどうか?飲料水は?トイレは?寝る場所は確保できるかどうか?という至って目先のことを優先して考えなければならない。遠い未来のこと、10年後の将来のこと、などは考えていられなくなる。これは時間軸だけではなく、空間軸についても同じだ。避難所生活をしていれば、自分のこと、家族のことを考えるのが精一杯で、隣町のことや、他府県のことなどは考えないはずだ。増してやウクライナやパレスチナで起こっている戦争のことなどは眼中に無いはずだ。従って、国民の多くの生活が苦しくなって余裕がなくなってきている現状では、国際情勢や世界経済の話をしても、国民の多くは、聞く耳を持たなくなっているということだ。だから国や政府は、もっと身近な、生活に直結した問題を優先的に取り組まなければならない。でもまぁ、芸能人のスキャンダルのニュースには、みなさんあれだけ喰いついているということは、まだまだ余裕があると思ってよいのかもしれない。


●大切なものの価値   2025.6.03
人間は、失うことでしか大切なものの価値を知ることはできない。ただしある程度の教養のある人間であれば、それを失う以前にも、その大切さを分かっていることであろう。ところが教養の有る無しにかかわらず分かっていないのが、所謂コレクターと呼ばれる人たちのコレクションの価値だ。それは骨董品だったりフィギュアだったり衣料品だったり書籍だったりメディアだったりと実に色々とあるのだが、その所有者が亡くなった場合の親族が、その処理のために膨大な手間と時間を費やすことになってしまうのは、あるあるな話だろう。中には貴重で価値の高いものもあれば、本人の思い込みだけで、客観的な価値はゼロというのもある。と、それを分別するだけでもタイヘンな作業となる。仮に面倒だからまとめて廃棄処分するにしても、ものによっては、それなりの手間と費用がかかってしまう。その廃棄する状況を、もし生前の所有者が見ていたとすれば、さぞかし悲しみ気が狂ったように静止しようとすることだろう、などと想像するのではあるが、でもそれって失っても誰も困らないという点では、大切なものではないのだろうな。というか、失われずにそのまま存在するだけで、大いに周囲を困らせるという点では、そのコレクションの価値は総じてマイナスである。


●ギャンブラー   2025.6.02
ギャンブラーというと、英語では危険を恐れない勇気のある人、というニュアンスがある。しかしギャンブル依存症は、ギャンブルにのめり込んでコントロールができなくなり、日常生活や社会生活に支障が生じる精神疾患のことだ。つまり病気だ。というか、病気になる前に、例えばパチスロやる前に、何でこんな立派なパチンコ屋の建物が建てられるのか?宝くじ買う前に、何であんな有名な俳優を使ったCMを地上波でばんばん流せるのか?ということを考えてみれば分かるだろうに。全部おまいらから巻き上げたカネを使っているからなのさ。そしてそのカネを上納するために、今日もパチンコ屋や宝くじ売り場に通うアタマの悪い人たち。


●「お金」は無くなるのか?   2025.6.01
高齢者やITリテラシーが低い層の人間のため、 災害や停電、システム障害等の対策のため、などに一部「現金」は残るであろう。しかしメリデメを考えれば、近い将来には世の中のほとんどはキャッシュレスになるということは確定している。てか、もっと先のことを考えれば「お金」というもの自体がなくなるだろう。そもそも物々交換であったものが、それではメンドクサイということで「お金」というものを人類は考えだした。しかし社会が高度化してきて、必要なものを必要な量だけ社会が供給できるようになり、人々が必要なものを必要な量だけ生産できるようになれば、「お金」はいらなくなるはずだ。しかしそうなるのは、守銭奴のDNAが人類から完全に消えてからになると思う。



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