2004年10月

●異なったパターンの作業   2004.10.30

パソコンに向かったままひたすら作業をしているA君に声をかける。隣の席にすわって横から「A君」と呼ぶ。ところが返事がないどころかこちらを見もしない。「おいおいシカトかよ。。まあ、それだけ集中して仕事してるんだからしょうがないか」と思っているとケータイが鳴る。メールが来た。A君からだ。その本文に一行「はい。」 そんなバカなことが!と思うかもしれないが、一日中メールでコミュニケーションしていると、ちょっとしたことでも言葉を発するよりもキーボードを打ったほうがラクなのだ。一定パターンの作業を長時間続けているときに異なったパターンの作業を間に入れるのは効率が悪い。工場の生産ラインと同じこと。だから一日中電話で仕事している人にとってメールは億劫に感じるのだ。
●自転車   2004.10.29

子供に自転車を買ってあげる。これで子供の行動範囲が広がり、今までは行けなかったような危険な場所にまで行ってしまう可能性があるわけだ。とまあ、そのへんのところは保護者がきちんと説明、教育していれば大丈夫であろう。

これはインターネットに関しても同じようなもの。問題は保護者がどこに行ったらいけないのか、危険な道路に行くとどんな危ないことが起こるのか、暗い夜道を一人で走るとどんな危険があるのか、というようなことをきちんと教えればいいのだ。

これが分らないから結果やみくもにインターネットを否定するということになってしまうようだ。自転車に乗れないままでは、大人になってから色々と不便だろうに。
●一人称   2004.10.28

会議の席で賢い人は発言に一人称を使わない。つまり「私の考えでは」とか「私はそうは思わない」という言い方はしない。これだけ情報が氾濫している時代、一人の人間が知り得る情報は限られている。どんなに知識の豊富な人でも「知らないコト」のほうが「知っているコト」よりはるかに多いのだ。

「私の意見」などといっても所詮はその人の知識と経験によって導き出されたもの。その人の情報量が少なければ少ないほど信憑性にも説得力にも欠ける。そのことを補うために一人称を連呼する場合もあるようだ。また、一人称を加えることで自己を印象づける効果というのも確かにあるが、あたかも自分のオリジナルなような言い方をする人間に限って受け売りだったりすることも多い。

参加者それぞれが違った情報も持っているのだから、まずは相手の情報を受け入れお互いにその情報を交換し共有することから始めよう。一人称を頻繁に使うと、いざという時に説得力に欠けることになる。
●時間   2004.10.27

最近ではパソコンの時刻設定を手動で行うということもなくなってきた。時計用のボタン電池が切れた、なんていうのは過去の話。 全く気にしなくてもよくなった。

しかし、よーく考えてみると、果たして1日のというのは24時間のことなのだろうか?それとも地球が1回自転をする時間のことなのだろうか?そりゃあ同じコトじゃあないか?と思うかもしれないが、実は違うそうなのだ。地球の自転は内部に駆動エンジンがあるというわけではない。惰性で回っているので、コマのように常に減速しながら回転している。従って回転速度は一定ではない。2億年で1時間遅くなるとのこと。つまり1日で0.000018秒ずつ遅くなっているのだ。

さらには自転の速度にはかなりのムラがあり、減速とは別のバラツキもあるとのこと。これらを調整するのがうるう秒というもの。しかし10億年後に1日が29時間になったときには、果たして1日が29時間になっているのだろうか、それとも今の1秒が約1.2秒になり、1日は24時間のままなのだろうか?
●専門店化   2004.10.26

デパ地下の同じフロアに、1.お米とお茶と乾物を売っているお店、2.和菓子と茶器とお茶を売っているお店、3.お茶とコーヒー豆と紅茶を売っているお店、4.お茶だけをうっているお店、があったとする。それぞれ売り場面積が同じだった場合、本当に美味しいお茶を買おうとしたら4の店で買うという人が多いことだろう。それだけ品数を多そうだし、珍しい商品や、高級な商品も有りそうな気がする。また店主もお茶に対するこだわりがあって蘊蓄も沢山持っていることだろうと想像できるからだ。

これが同じフロアでなければ2も3も有りだろう。デパ地下ではなく、近くに同じ商品を扱っている店がなければ1でも問題ないだろう。

しかしウェブショップの状況はデパ地下以上に各店舗が隣接して並んでいると考えたほうが良い。消費者は瞬時に次から次へ移動するのだ。なので、基本的にはできるだけ専門店化したほうが良い。出店するためのコストや手間も実店舗に比べればはるかに少ないし。
●正しい英語をGoogleで   2004.10.25

ちょっと専門的な英語を辞書で調べてもなかなか適当な単語が出てこない。また、出てきた単語が果たして本当に妥当なのか?外人が読んで理解できるものなのか?ということも解らない。ではその分野の用語解説の掲載されたサイトがあるか?というと、これもなかなか見つからないし、そのサイトが日本語で解説されているとも限らない。専門の書籍を購入するにしてもウェブで買うには本当に必要な語彙があるのかどうかは不明ということもある。

そこでGoogleを使う。以前にも書いたが、該当するであろう英単語(複数)で検索し、実際にどれだけ海外のサイトで使われているかを確認する。そしてもっと解りやすいのは、その単語でイメージ検索してみて、実際に言わんとしているモノの写真が出てくるかどうかをチェックする。

これをやってみると、英語というのはいかにシンプルで簡単な単語の組合せが多く使われているか。和英辞典の英語はいかに学者的であり現実的ではないか。ということが解る。
●オール「5」   2004.10.24

通信簿の5段階評価(あまり使われなくなってはいるが)で、「5」というのは各教科でクラスの何%ということが定められているそうだ。これをみんな頑張ったから、という理由でクラス全員に「5」を与えてニュース(問題)になったこともある。

確かに規定を破ってまでも全員が「5」というのは美談のようにも聞こえるが、本来「5」を取るはずだった生徒にしてみれば「グランプリ」が「参加賞」に格下げになったようなもの。

ウェブページの各部品の魅せ方。これは制作者にしてみれば全てを目立たせたいところ。ボタンも写真も文字も。。

しかし全部を目立たせて「5」にしてしまうと、結局は全てが目立たなくなる。「目立つ」というのは相対的な問題なのだ。「5」は1ページ内に1つか2つ。あとは「2〜4」ぐらいでおさめておく。そうすることで全体のバランスがとれるのだ。
●空き容量   2004.10.23

受信メールの整理を定期的に行う。用件が済んだものは削除する。添付ファイルも含めて相当量のメールを削除することになるのだが、メーラがスッキリはしたものの今ひとつこの作業を終了したときの達成感がない。と、思ったら、この削除した時点でHDの空き容量が増えるのを確認するというコトをいつのまにかやらなくなっていたためだ。

最近では添付ファイルでも数十M級のものも増えているしHTMLメールも多い。これらを数ヶ月分まとめて消すだけでけっこうな空きスペースに貢献するはずなのだが、HDの容量自体がはるかに広大になっているので、その影響も微々たるもの。

ここ数年の間にパソコンを使い始めた人にとってはHDの空き容量は最初から関係ないようでもある。とはいえ「パソコンが調子悪い」と言っている人の中には、全く掃除しないで貯める一方のデータでHDが満杯という場合も。いくら広大でも長期間無秩序に貯めればいつかはいっぱいになるものだ。
●覚えようとするな   2004.10.22

パソコンの操作を覚えようとする初心者。その多くはノートに操作手順をメモろうとする。実はこれが根本的な間違い。

紙と鉛筆がなければ覚えられない操作手順であるならば、パソコンのOSとしてもアプリケーションとしてもNGである。視覚的、感覚的に画面を追いながらオペレーションできるのがパソコンのインターフェイスというもの。教えるそばでノートをとられるというのも効率が悪いし、そもそもパソコンを使う根底にはペーパーレスというコンセプトがあるのだ。

人に操作を教える時、同じ画面を見ながらであれば簡単なことが、記憶を頼りに電話で教えるとなると難しいもの。細かい操作手順を全部記憶しているわけではないからだ。 大切なのは概念を覚えること。具体的な手順は画面を見たときに思い出して使えるようにしておけばいいのだ。人間の記憶容量も効率的に使おう。
●今ごろになって   2004.10.21

2000年以前、ホームページというものは世間で騒がれてはいたものの、実際に利用している人の数は限られていた。また、利用している人もダイヤルアップ接続であったため、1日のうちの利用時間は限られていた。

これが2003年ごろのBBの普及で、一気に利用者と利用時間が増えてことで、それまで休眠状態だったホームページが、なぜか活性化する、という現象も起きているようだ。 そろそろ閉鎖しようか、と思っていたサイトの掲示板に書き込みがぽつりぽつり。そのレスがちらほらと。仕方がないので管理人もレスを書き込む。こうしてささやかなコミュニケーションが始まり、閉めるに閉められなくなる。

また、リンク集への登録申請がぽつりぽつり。リンクに加えた以上、すぐに閉鎖するのも失礼なので、公開しているうちに、また1件、2件と申請依頼が。。公開当初であればこんなに嬉しいことはなかったのだが、今となっては「あー、また来ましたよ」と、感動のない対応になってしまうのであった。
●Flash   2004.10.20

Macromedia Flash。やってみたいのだが私でもできますかね?と質問されることがある。Flashは非常の奥の深いモノであり、簡単なことなら比較的簡単にだきなくもないが、難しいモノは限りなく難しい。何をやりたいのか?によってそこにかける時間と労力は大きく異なる。

ところがこういった質問をする人に限って具体的にどんなことをやりたいのか決まっていない場合が多い。単にFlashができる人になりたいだけ。ホームページにFlashで作った動画を入れて自慢したいだけ。という場合が多い。

本当にFlashを使いこなしたいと思ったら、まずはマニュアル本を買うなりウェブで関連の情報を集めるなりして、自力でスタートするってもんでしょう。他人に「私でもできますかね?」と尋ねる時点で「まあ、やめといたほうがいいでしょう」という回答をしておくのが現実的ということになる。
●男女平等   2004.10.19

メールだけのコミュニケーションをしていた場合、相手の性別や年齢が判らないまま仕事を進めていたりもする。そういう意味ではインターネットの世界では男女を区別する概念は薄らいでいるだろう。メールの書き方だけをとれば、平均して女性のほうがスキルが高いというのも事実だろう。

一方アナログの世界では、男女平等と言いつつも男尊女卑が染み付いたおっさん達も多い。このおっさんたちの子守りのために多くの女性が膨大な時間を浪費している。それじゃ不公平?と思われるかもしれないが、そんなこともないようだ。高齢者夫婦の場合、妻に先立たれた夫の平均余命は3年。夫に先立たれた妻の平気余命は15年とのこと。

男は退職した後、何をするのかを考える。妻は未亡人になった後、何をするかを考える。連れ添いがいなくなった時から第二の人生が始まる、というご褒美が女性にはあるのだ。
●公開時期   2004.10.18

ウェブサイトの公開時期。これをきちんと決めてからプロジェクトをスタートさせましょう。

意外にも公開時期が不明確なまま進行しているプロジェクトというものは多い。時間をかけてゆっくり検討して納得のいくものを作りたいというケースだ。資料を取り揃えるまでの時間に余裕を持ちたい。ウェブサイトの公開のために自分たちがせかされるような状況にはなりたくない。ウェブですぐに儲けようとは思っていないので、将来のスタディーのためにじっくりとやりたい。というような理由。

しかしあまりゆっくり時間をかけ過ぎると、世の中の変化のほうが早くなって、気がつけばその変化に追従するために変更を繰り返すだけのものになってしまう。そしてウェブは将来のものではなくて「今」のもなのだ。将来はどうなっているのかなんて誰もわからないもの。

とにかくどんなサイトでも公開時期をしっかり決めてさっさと作っちまうに越したことはない。
●検索サイト   2004.10.16

GoogleでもYahoo! Japanでもそれなりの単語を入れて検索すればアダルトサイトにアクセスできる。これがけしからんという意見もあるようだ。じゃあキッズgooだけで何とかなるかといえば小学生までならともかく中学生になればそうもいかない。大人と同じ情報が欲しくなるというもの。

検索サイトは言ってみれば電話帳のようなもの。電話帳にだって風俗やサラ金も載っている。しかし電話帳が青少年の教育のためによろしくないという意見は聞いたことがない。楽天やライブドアが関連サイトからアダルトにリンクできるからといって青少年育成のプロ野球の精神に反する、ということになればNTTだって同じことでしょう。それと球団関連新聞社が発刊してるスポーツ新聞の風俗記事だって相当なもんでしょ。
●検証できない   2004.10.15

デザインA案は訴求力はイマイチだが、このデザインであればすぐに公開できるし、コストもかからない。デザインB案は、印象的で訴求力も強いのだが、いかんせん制作に時間もコストもかかる。どちらを選ぶべきか?

残念ながらどちらを選んだにしても、その判断が果たして良かったのかどうか検証する術はない。デザインに限らず、人間のやることの全ての判断、決断が、検証できない選択なのであろう。

結果だけを見てごちゃごちゃ言っても仕方がない。他を選択していればもっと悪い結果になった可能性だってあるのだ。

というわけで、決断した以上は、後々「こっちを選択しておいて本当に良かった!」と言えるようなストリーを自ら作っていかなければいけない。 A案だって残った時間で詰めていけば訴求力は上がる。B案だって色々と工夫することでコストも下げられるし制作時間も短縮できるはずなのだ。
●苦手   2004.10.13

ピーマンが苦手:これは子供のころに親に無理矢理食べさせられた経験が大人になっても苦手になったケースが多いとのこと。ネコが苦手:これは体質的にアレルギーがある場合、または子供のころに引っ掻かれた等の記憶がトラウマになっているもの等があるらしい。

パソコンが苦手:これは子供のころにほとんどの家庭にはパソコンはなかった、という人間が人口の大半を占めているので、経験や記憶が苦手にさせているということはほとんどないだろう。パソコンには毛もはえてなければ匂いもないので体質的なアレルギーというのも考えづらい。

つまりパソコンが苦手と言ってる人のほとんどが、パソコンはよくわからないし面倒なのでやらないだけなのである。苦手という言葉で自己責任を逃れるような表現を選んでるだけ。「パソコンが苦手」なのではなく「パソコンができない」と、正直に言いましょう。
●資料盛り沢山   2004.10.12

ウェブサイトの制作を依頼を受けたはいいのだが全くもって資料がもらえない、なんてことはよくあるのだが、逆に大量の資料をもらう場合もある。それがコンテンツとして必要な場合もあるのだが、とりあえず関係ありそうなものは全てコピーとって渡してしまえ!という感じの場合もあるのだ。

会社案内、商品カタログ、チラシ、他社製品の参考資料、マニュアル、雑誌での紹介記事などのカラーコピーや白黒コピーが束になって厚さ3cm。どれをどこまで掲載したいのやら全く分らず付箋も貼ってなければコメントが書き込まれているわけでもない。そして送ったが最後、送ったほうは一仕事終わった気分になっているので問合せしても回答がなかなか来ない。忘れたころに「まだ?」って言われたって出来るわけないでしょ。全部読むだけでも1週間かかるんだぞ。
●アイコンのカスタマイズ   2004.10.11

Macintoshを使っているデザイナーがWindowsを使って不便に思うことの1つがアイコンのカスタマイズ。Macintoshではファイルでもフォルダでも簡単にカスタマイズすることができる。これは例えば「山田物産」という企業のウェブデータのフォルダであれば画像データで漢字の「山」というのを作ってアイコンにしておくと、数あるフォルダの中から簡単に見つけ出すことができ、作業の効率化につながる。同様にindex.htmlだけを常にオリジナルデザインのアイコンにしておく、ウェブデータの中でもカテゴリ毎に決まったデザインのアイコンにしておく、などなど、視覚的に認識しやすくする工夫が可能となる。Windowsでアイコンをカスタマイズするのはかなり裏技的な操作が必要。

ところがMacOS Xでは、このアイコンが時として化けてしまうことがある。たまたまビデオからスクリーンショットで撮った巨人戦のベンチ内の堀内監督の画像。デスクトッップ上のアイコンのいくつかがこれになってしまったことがある。あまり美しいものではなかった。来期も続投のようだ。
●編集の妙   2004.10.10

スポーツニュースで繰り返し放映されるイチローの安打の場面。野球に興味の無い人が見ると、イチローは打席に立てばほとんどがヒットを打つような印象も持つかもしれない。もちろん画面では「打率3割7分」とか表示はされているのだが、何気なくぼうっと見ていればそんな数字には気がつかない。

1試合を通して、さらには1シーズンを通して野球を見ていれば、優秀な打者といえども4割の確率で安打は打てない。逆にレギュラーで出ている野手であれば最低でも2割程度は安打を打てるということが分るはずなのだが。

国会中継でも同じだ。後からニュース用に編集したものには、編集者の意思次第で見る人への印象の与え方は大きく変わる。さらには特定の政党の広報誌ともなれば、その党の政治家が勇ましく雄弁に質問する場面だけを抜粋して掲載する。実際は答弁でけちょんけちょんに言い負かされたとしても、そんなことはおかまい無しにだ。 マスコミの情報は、多かれ少なかれ「大本営発表」と思ったほうが良い。
●モニタの画像解像度   2004.10.9

こんなものを作ってみました↓
http://www.swany.ne.jp/minba/h/768sf.html
http://www.swany.ne.jp/minba/h/768ie.html
http://www.swany.ne.jp/minba/h/768mz.html
上から順にSafari用、IE用、FireFox用のWindowsXP、IEでの1024×768の時のブラウザ画面サイズを想定したもので、それぞれMacintoshで制作するときに使うと便利なもの。ちなみにWindowsで制作する場合はその画面自体でチェックできるので不要。

ただし1280×1024で制作する場合には、やはり1024×768を想定しておいたほうが良いだろう。現在の画像解像度のシェアは1024×768が約70%といったところだろうか。しかしこのサイトのログを見る限りでは1280×1024のほうが多い。今後は 1280×768も含めた1280幅が主流になりそうではある。

それからWindowsのIEでも最近ではGoogleやNortonのツールバーを追加したり、カスタマイズして使っていたりする人も増えているので、実際にはこのサイズから上下に30ピクセルぐらいマイナスしたぐらいが安全かもしれない。
●示唆   2004.10.8

「前の担当者は、夢物語みたいな非現実的な提案ばっかりしてるわりに、基本的なところでミスが多くて困ったものだ。キミはミスがほとんどないので安心して任せられるよ」と、これは言ったほうは若干の皮肉を込めて「言われた通りのことばかりやってないで、もっと積極的な提案や、思い切った行動をしたらどうだ?」という意味を示唆した発言である。

ところが聞いたほうはといえば、言葉通りに受け取って、自分はミスが少なく信頼されているとしか思わない。そんなもんである。

しかしこういった発言に対して敏感に反応して発言者の意図を読み取ろうとする人もいる。ところがこういった人は普通の何の意図もない発言までもをヘンな疑いを持って捉えるようになり、一種被害妄想的な傾向にあったりもする。

多少キズつこうが落ち込もうが、正直にダイレクトに伝えたほうが良い場合のほうが多い。
●劣化しない   2004.10.6

古い住宅街の狭くて暗い裏通り。数十センチほどの幅の庭(というか通路?)に所狭しと並べられたプランター。そこには半分枯れかけた然して美しいとも思えない植物が花もつけずに植えられている。恐らくほったらかしにされているのだろうと思いきや、ちゃんとその植物に水をやり、プランター内の雑草を駆除し、肥料をやり、世話をしている人を見かける。

人に見せるとか、美しく飾ろうとか、そういうコトではなく、単純に自分と植物との対話、コミュニケーションを楽しんでいるのだろう。その植物が珍しいとか豪華であるとか食用になるとか、そんなことは関係なさそうだ。

ホームページにも同じことが言えるのではないだろうか。客観的に見てどうのこうのではなく、単純に自分が楽しめるものであればいい。無理に更新しなくても気が向いたときにいじればいい。他人にとやかく言われる筋合いはない。そういうのがあってもいいはず。放っておいても文字が茶色くなったり、画像がしぼんじゃったり、データの一部が消えてしまうなどということはないのだ。
●上司は大切   2004.10.5

請求書を2枚プリントアウトする。1枚はクライアントに郵送し、1枚は控えとしてファイルする。では2枚のうちどっちをクライアント用にするかというと、これが事業主であればハンコがきれいに押されているほう。従業員であればハンコがきれいに押されていないほう、ということになる。控えは上司が見る可能性があるからだ。

本来従業員であっても顧客優先で考えるべきと言いたいところであるのだが、人間誰しも直接おカネをくれる人のほうも向いている。従業員にとっては上司や自社の社長のほうが大切なのである。人間的に大切というわけではない。おカネをくれる人だから大切なのだ。
●お知らせ  

10月2日〜4日まで、所用のためこのコラムの更新はお休みします。
●家   2004.10.1

ホームページを無理矢理和訳すれば家項。つまり家ということになる。家を作る時には、まず設計図があり、基礎工事をして骨組みを作り、屋根、壁、外構、内装、という順序で作られる。ホームページの場合も少なくとも制作者の頭の中には設計図がある。そして基礎となるコンセプトを固め、骨格となるディレクトリ構成を作り、ヘッダー、背景壁紙、フレーム、コンテンツ、という工程で作られていく。

しかしこれらの工程は施主(クライアント)の目に見えるものではない。仮に家の場合、骨組みと屋根までが完成した時点で「間取りを変えて欲しい」という要求をする施主は滅多にいないだろう。目の前にその現物が見える。これを作り直すためには時間と労力とエクストラのコストがかかるであろうことが容易に想像できるからだ。

ところがホームページの場合、ディレクトリ構成とヘッダーが完成した時点でもクライアントは平気で設計図の変更を要求してくる。基礎も終わって骨格も屋根も完成しているのに。。 まあ、その変更要求を結果的に受けてしまう作り手側にも問題はあるのだが。。
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