2005年1月

●暴走   2005.1.31

SOHOに限らず個人事業主の場合、指摘される、指導される、という機会が少ない。「何だかあんなコトやってちゃダメだよな」と陰口は言われても実際に面と向かって本人にそんなコトを言う人はいない。全て自己責任であり、ダメなように見えても成功する可能性がないわけではない。だから迂闊に指摘もできないのだ。

しかしこういった事情をいいことに明らかに間違った方向に暴走する事業主も少なくない。もともと組織の中で働くよりも、自己流で他人に文句を言われるコトもなく自由にやりたいから独立したわけでもある。だから余計に他人の言うことに聞く耳を持たない。

それだけに一度暴走し始めると止める人がいない。というかそのような面倒な役割は誰も受けない。ある程度大きな企業であれば役員会や相談役、顧問など、制御するためのシステムはあるのだが、個人事業主の場合はそれがない。 そして今日も暴走したあげくに崖から転落する個人事業主がまた○○人。。
●黙って対処   2005.1.30

デザイナーのプロと素人の差。その1つが「ハラを立てずにさっさと対処する」ことができるかどうかということ。クライアントから修正要求が来る。理にかなったものであれば良いのだが、多くは理不尽でありクライアントの我侭であり納得できない内容のものである。デザイナーとして、色々と考え、より使いやすく、より美しく作ったつもりのものを否定される。まともに考えればハラの立つことでもある。

しかしこれにいちいちムカついていたのでは仕事にならない。なんせおカネをもらっているのだ。深く考えずに言われた通り黙って対処することが肝心。ハラを立て、そのハラの立った理由を整理しつつ怒りがおさまるのを待っている時間があったらさっさと対処しよう。この切換えが即座にできるかどうかがプロと素人の差でもある。
●やっぱり紙がいい   2005.1.29

ウェブページをプリントアウトして打合わせに使う。便利なものである。必要があればその場でコピーをとって自由にボールペンや鉛筆で書き込みこともできる。そんな時には「やっぱり紙はいい」と思うものである。

紙のメリット。それはパソコンの画面に比較して約4倍の高密度であるため情報が圧縮され高密度で確認できるということ。そして長年使い慣れてきた親しみと扱い方の巧みがある。

ということで一度紙を使うとなかなかペーパーレスには戻れなくもなる。しかし紙のデメリットは検索に時間がかかるということ。何冊もの整理された棚に並べられたファイルと整理途中の机の上のファイル。どちらにも属さない紙のまんま段ボールに入れられたり壁に貼られたりしたファックスやコピー。さてこの中から必要な情報を捜し出すのは至難の業でありそのために膨大な時間を要したりもする。結局無かったりとか捨ててしまったりとか。

それに物理的なスペースも要する。つまり紙は保管や保存には不向きなのだ。一時的なメディアとして時にはプリントアウトすることも効率的。しかし情報として整理して保管するにはやはりデータのほうが格段に優れているようだ。
●図書館   2005.1.28

図書館を利用する人としない人がいる。しない人にとってはどんなに近くに立派な図書館があっても関係ないのだ。仮に利用するにしても捜すべき本も読みたいと思う本もない。せいぜい週刊誌であろう。そして仮に捜したい本があったとしても、その本がどのコーナーにあってどうやって捜し出すのかはすぐには分らないであろう。

インターネットの検索も同じようなもの。キーワードを1つ入れただけで「いらないものが沢山出てくるので意味わかんない」などと言ってるような人は結局は有効活用はできないのではないのか。

積極的に本を読もう。つまり自力で情報を捜して知識を得よう。そう思っている人は、図書館に行っても、Googleに行っても、それなりに目的のものに辿り着くことができるのだろう。
●馬車   2005.1.27

世に自動車が普及し始めたころ、馬車を製造しているメーカーの経営は一気に苦しくなったはず。そうなったときの選択肢はそれほど多くはない。1.馬車の生産を中止する。2.観光用の需要だけに対応すべく会社の規模を大幅に削減する。3.馬車に代わる新たな商品の開発、生産を行う。といったところだろう。今まで通りの規模で馬車を生産していくという選択肢は有り得ないのだ絶対に。

ところが「馬車が命」の経営者は、新たなデザインの馬車を沢山作って商品ラインナップを拡充、馬車の市場の中でのシェアアップを目指す。取引先の反応も悪くはない。「これなら行ける!」と思ってしまうのだ。しかし実際に生産を始めたところがオーダーはほとんど来ない。大量の在庫を抱えたままぶっ潰れてしまう。

というような会社。馬車に相当するような「需要は急速に縮小しつつある製品」を今まで通りに継続して作ろうとしている会社。ありますよね、未だに。
●のんびり屋   2005.1.26

メールのレスの早さは人それぞれである。ウェブショップを運営している人や情報交換の大部分をメールで行っている人は基本的に可能であれば即レス。と、こういった人たち同士でのコミュニケーションの中に遅レスの人が一人入ると全体の進行が滞ることになる。メールをチェックする回数が少ないということではなさそうだし、文章を書くのが苦手ということでもないらしい。単にのんびり屋さんということのようだ。ただしのんびり屋と言うと憎めないような印象もあるのだが、実際には自分のコトしか考えず、他人の状況をイメージできない大ボケ野郎だったりもする。
●人に聞くよりウェブに聞け-2   2005.1.25

例えばネットバンクの手続きは、銀行に行って行員に聞くよりもその銀行のサイトを訪れヘルプセンターの電話番号を調べて電話で聞いたほうが格段に早くて確実な情報が得られる。同様にクルマのディーラーで営業マンに仕様の細かいコトを聞いても分る範囲は限られている。カタログを引っ張り出して調べるのがせいぜいだったりも。これもそのクルマのメーカーのサイトに行けばかなり詳細なデータが得られる。ついでに購入までできてしまうわけなのだから、人に聞く、以前にディーラーの存在意味は?とも思いたくもなる。

銀行やディーラーに限らずウェブと実店舗の両方で販売やサービスを行っている場合、実店舗の担当者にウェブのことを聞いても的外れであることが多い。特に重い肩書きの年配者が出てきたときには、さっさと断り家に帰ってインターネットしよう。そのほうが絶対に早い。

自社のサイトの存在すら知らないスタッフがいることもある。
●人に聞くよりウェブに聞け-1   2005.1.24

そのほうがよっぽど早い。例えばあるアプリケーションの使い方。これは当然のことながらウェブ上にはその情報がどこかに掲載されている。そのメーカーのFAQコーナーやユーザーが開設した掲示板など、かなり詳細な情報があるはず。ただし目的の情報に行き着くまでは簡単ではない。

なのでついつい知っているであろう人に聞いてしまうのだが、聞かれたほうも在庫の知識で回答できない場合は結局ウェブで捜すことになる。

そして頻繁に聞かれるほうは捜してるうちにその要領を習得し効率的な検索ができるようになる。聞いたほうにその手のスキルアップは無い。 こうして検索能力の格差が生じてくるのだ。
●ウソ-2   2005.1.23

さて仮にA1氏が正直者で、最初にA社内でそのキャラクターのウェブへの掲載について確認をしていたとしよう。A社は会社の規模としてはそれなりに大きく実績も売上げもそこそこで対外的には優良企業として名が通っている。しかし実際には縦割りの組織構造であるために、このような細かい確認をするためには関連各部署の承認を得る必要がある。可にしろ不可にしろ結論が出るまでにえらく時間がかかるのだ。で、実際のウェブの公開時期を考えると到底その結論が出るまでには間に合いそうにない。B社も制作がスタートできないはず。

そこでA1氏は先に独断でOKを出し、それが問題なければBEST。問題があってもクレームというかたちで処理すれば社内的に関係者に確認するよりも圧倒的な早さで「不可」という結論が出せる。と、踏んだのだった。

かくしてB社はぶつぶつ言いながらもデザインを修正して予定の公開日にはウェブをアップできたのだった。
●ウソ-1   2005.1.22

A社からウェブ制作の依頼を受けたB社。ある商品用のキャラクターをウェブに掲載していいかどうかB社はA社の営業担当者A1氏に確認したところOKとのことで掲載したのだが、しばらくしてからA1氏がB社に言った。「申し訳ないがやっぱり掲載しないで欲しいと言っているので、削除してもらえませんか」と。B社としてはデザインを大幅に変更しなければならず「クソ!最初からダメならダメって言えよ!」という気持ちをおさえて変更作業にとりかかる。

で、これが実はA1氏は最初からA社内で確認をとらずに勝手にOKを出していたのだ。ところがウェブを見たA社の他部署から「勝手に使われては困る!削除してくれ」とクレームがついたのだった。

つまりA1氏は大ウソつき野郎ということなのだ。A社内でもB社に対してもウソをついているわけだ。が、実はこれにはA1氏の計算通りの結果でもあったのだ。
●パチンコ   2005.1.19

パチンコ好きと言われる人に聞いてみる。「今までのパチンコの通算成績は勝ってますか、負けてますか?」と。ほとんどの人はこう答える。「とんとんかな。マイナスにはなってないと思う。」

中にはいわゆるパチプロと呼ばれる人、または組織的に情報収集と解析を行ってロジカルに攻略している人もいるだろう。しかし多くの一般の人にとっては「通算成績はマイナス」なはずである。でなければパチンコ屋が商売として成り立とうはずもない。

パチンコ屋に入る前に一歩立ち止まって見上げてみるといい。この豪華絢爛装飾ぎらぎらの建物を建設するために銀行から借り入れた資金を誰が返済するのかって。「キミたちだよ」。
●リンク画像のアウトライン-2   2005.1.18

もう1つは、たとえば写真のデータで、レイアウトを調整するために周囲に故意に不規則な余白を作る場合があり、これは見ただけでは分るものではなく、クリックできる範囲が多少は広くなったところで使用上問題があるわけでもない。ところがその余白も含めたアウトラインが見えてしまうために、わざわざ別にブランクの画像を埋め込んだり複雑なテーブルの指示でこれを回避しなければいけなくなる。

ではこのアウトラインの表示が本当に必要か?と言うと、IE以外のブラウザでも多くの人はこのアウトラインが表示されないということにすら気付かず使っているはずでもあり、そもそもそれを分らせるためにポインタが矢印から指のアイコンに変わるわけでもある。

そしてflashのコンテンツ上でのリンク画像ではIEでもこのアウトラインは表示されない。そのことに不自由を感じるというわけでもないだろう。つまり「無くてもいい機能」なのだが。

ちなみにflashではテキストに貼られたリンクはレスポンスの範囲がブラウザに比べて狭いようでもある。テキストを囲い込むような矩形の透明な画像を重ねて、こちらにリンクの指示をすることをオススメする。
●リンク画像のアウトライン-1   2005.1.17

Internet Explorerではリンクが貼ってある画像データをクリックするとその画像データのアウトラインが表示される。Winでは細い点線、Macでは青い太い線で。そしてこの小さな親切が制作側にとっては大きなお世話となる。

例えばクリッカブルマップを作る時。ポインタが矢印から指のアイコンに変わる範囲というのは、仮に2〜3ピクセルずれていたところで人間の感覚では気がつかない範囲であるのだが、このズレが視覚的に露呈されてしまうのだ。このためにクリッカブルカップの座標を細かくチェックして修正するという作業を伴うはめになってしまう。

四角い画像であっても左右、上下がそれぞれ同じようなクリアランスで統一しなければいけない。そして不規則な形状な場合には、クリックできる範囲を大きめな四角で囲い込んで誤摩化していることも見えてしまう。また、クリッカブルマップでは楕円の指示ができないので、楕円の画像の場合は、四角か正円のどちらかを状況に応じて使い分けるのでもあるが、これもバレてしまうわけである。
●標準フォントサイズ   2005.1.16

いつも悩むフォントサイズ。いったいどこが標準なのやら考えていても仕方がなく、とにかくその都度クライアントの要求や世の流れ、ブラウザのシェアなどに合わせて良かれと思う方法を選ぶしかない。正解などは存在しない。

この問題はある程度は常に考えておかなければいけないのではあるが、悩み過ぎると良い結果にはならないようだ。悩むだけならいいのだが、例えば小さめのフォントに設定した状態で長時間作業した後に、大きめのフォントのページを見ると必要以上にでかく見えるのだ。その逆も然りである。

こんなにでかくていいのか?これが世の標準なのか?などと余分な疑問が沸いて出てくる。所詮はフォントサイズなんてものは相対的な判断しかできないのであって絶対値はありえない。そもそも人間の視力や感性も千差万別。最低限「読める」というところから考えればいいのだ。
●サイトポリシー   2005.1.15

最近はあまり見かけなったトップページの「IE5.0以上でご覧ください」というような表記。これは1つにはIEのシェアが90%以上になったため(現状90%を割り込んで、少しずつ下がってはいるが)と、もう1つはブラウザに限らずアンチウイルスソフトやJavaScriptやCSS等の細かい表記を伴わなければ現実的ではなくなってきた、ということもあるのだろう。実際にサイトポリシーというページを設けてコト細かに説明しているサイトもある。

ではこれが必須かと言うと、確かに細かく解説されているのは親切ではあるのだが、多くの利用者はこれは読まないであろう。そして読んだところで理解できないであろう。という意味では必須ということではないのではないか。

そしてこういったページを作った以上、今後のブラウザ動向に応じて更新していかなければならない。これはこれで手間のかかることでもある。
●字は読まない   2005.1.14

Blogの利用者の急増している。2004年はBlogの年などと言われ、あたかも日本全土がBlogブームのような印象でもある。しかし実際の利用者は1000万人には満たない。ケータイやTVや新聞に比べればまだまだマイナー。10人に一人にも満たないのだからこのBlogなるものが情報発信の文化大革命と言うには時期尚早だろう。

では今後利用者が1000万人を越え、2〜3000万人となるのだろうか?かつて写真週刊誌なるものが一気にその売上げを伸ばしたのだが、その理由は明解。字より絵(写真)なのだ。字を読むのは労働。絵を眺めるのは娯楽なのだ。この違いは大きい。

ウェブページでも1ページに書く文字の量は400字程度が安全。1000字を越えると読んでもらえなくなる確率は高くなる。「いや、私だったら読む!」という人もいるが、それは10人に一人の「読むのが好きな人」なのである。

Blogは「読むのが好きな人」「書くのが好きな人」のための新しい文化であろう。デザインや視覚的な訴求が中心だったウェブが文字情報中心に移行しつつある、などというのは身勝手な勘違い。
●実力   2005.1.13

どんな組織でもそこに複数の人間が集まった場合に、その人たちの実力が均一であるということは滅多にない。大抵はそれなりにバラついている。そして組織全体の実力が上がって来るに従って実力の無い人間がクローズアップされてくる。

実力の無い人間は、不平、不満、文句、他人の批判が多い。周囲を否定することで自分を正当化して実力の無さを補おうとしているのだ。恐らく故意ではなく本能でそうしているのだろう。

実力の有る人間は問題が起こっても他人や周囲のせいにせず、自分の中で解決しようとする。そこで試行錯誤、工夫することでさらに実力がついていくのだ。そして実力の有る人間と無い人間との差はさらに広がっていく。
●自分の子供率   2005.1.12

何の事かと言うと、モノを作るときに予め想定しておくと便利な単位である。例えば絵画や書などの芸術作品は「自分の子供率100%」に近い。半年かけて1個作る腕時計は「自分の子供率90%」。高級な注文住宅は「自分の子供率80%」。オーダーメイドのドレスは「自分の子供率70%」。逆にスーパーのチラシは「自分の子供率10%」。ファーストフードの多くは「自分の子供率5%」。ウェブサイトの場合は、まあ「自分の子供率20%〜80%」とクライアントの要望によってその幅は広いだろう。自分で作る個人サイトのほうが「自分の子供率」は高いようだ。

つまりどこまで愛情持って思い入れてこだわって作るか?ということ。 スーパーのチラシを「自分の子供率90%」で作ろうとすると、いつまでたっても終わらないし、非常にコストの高いものになってしまう。商業ベースである以上、こだわりよりも割り切りのほうが重要でもある。

町内会の案内のチラシを「自分の子供率80%」で作ったりしていると「おせーぞ!」と言われるのだ。
●ケータイの普及率   2005.1.11

電気通信事業者協会の調査によれば2004年現在携帯電話の契約数は約8500万台とのこと。これは国民の約70%が持っているということになるのだが、総務省によれば2003年現在で、20代が85%、65〜69歳が25%、70代は11%と、高齢になるほどその利用率は低くなっている。インターネットやパソコンと同じようなものだ。

しかし不思議なのは20代の残り15%。ケータイに限っては社交的でない人間ほど使っていそうな気もするし、カネが無いといってもケータイは必須であろう。どうしてもその15%の「人種」がイメージできないのだが。。

入院中、服役中、修行中、など足しても15%には満たないだろうし、あとは家族の誰かと兼用している、契約は親名義、といったところなのだろうか。。
●blogでいいじゃん   2005.1.10

なにも高いカネ払って形式だけのウェブサイトを作らなくたって、blogを開設して定期的に記事を更新していったほうが訪問した人にとっても読みごたえがあるし記事を書くほうにとっても色々と新しい発見があり問題点の改善にも繋がるかもしれない。

と思われるようなサイトも数多くある。blogだけではなくプロバイダが提供する簡易ホームページ+レンタル掲示板であっても同様の効果も得られるであろう。と、こういったツールを活用している人は思うはずである。

では、なぜ企業や団体がこういったツールを活用しないでコストをかけてまでも形式的なサイトを作るのか?その答えはいたってシンプル。記事を更新する人材がいないのだ。専門のスタッフを雇用すれば年間で最低でも200万ぐらいはかかるであろう。であれば100万でそれなりに格好の良いサイトを例え形式的であっても作ってしまったほうがいいのだ。
●終わりの無い仕事   2005.1.9

プログラマの仕事は、その仕事が完璧に動作するようになった時点で完了。もちろん複雑なものになれば思わぬバグや仕様上の多少の矛盾が発生することもあるようだが、基本的には「問題なく動くようになった」という「完了」のタイミングがある。

ところがデザインの場合は終わりが無い。細かい部分を全てより良い方向に改善しようと思えば無限に継続できる作業でもある。その分、ツブシが利くのかもしれないが、逆にそれだけ制作者が自分に対する甘えが許されてしまう仕事でもある。

自分でもイマイチではないかと思いつつクライアントに提示したものの産後の肥立ちは思わしくない場合が多い。
●手書きの年賀状   2005.1.8

年賀状ソフトでも最近は手書きの筆字を描けるものもある。それに行書や筆字でインストールされているフォントを合わせれば、もはやぱっと見、手書きなのかどうかは判別できないくらいになっている。

さて年賀状というのも大量に来た場合には1枚ずつ丹念に読んでいるヒマもない。むしろ来た人にちゃんと出したかどうか?をチェックするだけでいっぱいいっぱいであろう。

そんな中、ちゃんと読んでもらうためにはやはり目に止まるデザインであるということも大切。これだけパソコンが普及すると、かえって手書きのへたっぴな文字のほうが目立ったりもする。とはいえこれだけ作業効率に優れた年賀状ソフトを使わないで1枚ずつ手書きというのも今さらできるものではない。ではどうするか?筆時のフォントでもお年玉の番号に重なるように印刷すると手書きに見えたりもするものだ。
●年賀状ソフト   2005.1.7

パソコンのソフトで唯一安定的な売上げを上げているのが年賀状ソフトだそうだ。確かにそのコストパフォーマンスたるや半端ではない。凄い内容のわりに安い!毎年一度は必ずバージョンアップしてコンテンツも追加され問題点は改良され価格は下がる。これほどお買い得な商品というのも滅多にないだろう。

さて、パソコンが普及してから何年か経ち、ふと不思議に思うことがある。それほど深い付き合いもなかった人。恐らくこれからも顔を合わせることもないであろう人から年賀状だけは毎年来る。

これは、想像するに年賀状ソフトの住所録に登録されたデータを、毎年そのまま印刷しているためではないか…。印刷の有無をチェックする機能はどのソフトにもあるようだが、名前を見て出すか出さぬか考えるよりも全部印刷して出してしまったほうが手っ取り早い!ということはないだろうか。。
●あるもの全部送ってください(その3)   2005.1.6

クライアントから来た資料。郵送とFAXとメール添付で似たような書類が何度か来て、一体どれが最終なのやら。。なんてことがあるかもしれない。そうなった場合には「ちゃんと整理された最終版を送ってください」とお願いすることによって、クライアント側も改めて自分達がやりたいことが整理できたりもする。最初はそれらの資料を全部送ってしまうことで自分達の手間を省略するつもりが、よく見れば矛盾や未解決な部分が次々と見つかり、結局は受信したほうが、その度に修正もするという悪循環に陥ってしまう。であれば最初から「とにかくあるもの全部送ってください。あとはこっちでまとめます」と言って、サイトコンセプトの構築からライティングまでまとまて受けてしまおう。
●あるもの全部送ってください(その2)   2005.1.5

クライアントから来た資料。郵送とFAXとメール添付で似たような書類が何度か来て、一体どれが最終なのやら。。なんてことがあるかもしれない。そうなった場合には「ちゃんと整理された最終版を送ってください」と勇気をもって言うことも時には必要。一通り来た順番に従って目を通しても全く分らないということもある。クライアントとしてはそれらを全部送ってしまうことで自分達の手間を省略しているわけなのだが、受信したほうはその何倍もの手間がかかった末に結局はわけがわからないということもある。であれば最初から「とにかくあるもの全部送ってください。あとはこっちでまとめます」と言い切ってしまおう。そのほうが後々ラクに作業が進められたりもする。
●あるもの全部送ってください(その1)   2005.1.4

クライアントから来た資料。郵送とFAXとメール添付で似たような書類が何度か来て、一体どれが最終なのやら。。なんてことがあるかもしれない。しかし来た書類の量だけを見て「ちゃんと整理された最終版を送ってください」と言うのは時期尚早。一応は一通り来た順番に従って目を通せば段々と分ってくるものだ。クライアントとしてはそれらを全部送ってしまうことで自分達の手間を省略しているわけなので、そこで改めて手を煩わさせるということは、その場ではお願いすればやってくれるかもしれないが、そのような要求をしないで「とにかくあるもの全部送ってください。あとはこっちでまとめます」と言い切る競合が登場してきたときには次の仕事は来なくなるだろう。
●誤字   2005.1.3

Googleで検索する。国語の教科書では誤字とされているもののほうが実は一般に広く使われていたりもする。という話は以前にも書いたが、明らかな誤字というのも少なくないようだ。誰が読んでも気がつくものが検索結果でポツンと出てくると、これは何とも恥ずかしいものである。しかしながらインターネット人口がこれだけ増えてくると同じ間違いをする人が何人もいることがある。これが検索結果としてそれなりの数となって出てくると、間違いとは気付かずにそのまま使われることもあるので注意が必要。

例えばプロゴルファーの「宮里藍」。もちろん同性同名の他人を含めてであるが「宮里愛」で1800件ほど表示される。大半はゴルファーの宮里藍の間違いとして掲載されているようだ。また「vodafone」。「vodahone」でも1700件出てくる。そしてこの場合は「もしかして: vodafone 」とも表示されるので、「vodahone」が間違いであることは一目瞭然。そうとは気付かずvodahoneの蘊蓄を延々と書いてる個人サイトや掲示板。これも恥ずかしいものである。

が、それ以前に商品名やブランド名というものはスペルの間違われる可能性が低いものにしたほうが良さそうでもある。でないと公式サイトにたどり着けない消費者の割合が増えてしまうだろう。
●確認しよう   2005.1.2

ウェブのメリットは印刷物のように細かいスペルチェックや誤字脱字の確認をしなくて済むということ。あとからいつでも修正が可能なのだ。デザイナーにとっては、印刷物の版下が納期ギリギリで完成し、集中力も途切れ気味の中での朦朧としてスペルチェックの作業を行うという試練から開放されるわけでもある。 しかし、いくら後から直せるといっても、一度は目を通し、文章や数字に間違いがないかどうかは確認する必要はある。クライアントに納品するのであれば当然のことである。いつでも直せると思って甘く見ると、後から大変なことにもある。

これと同様に、ウェブ制作者に提出する原稿も、送信する前に必ず確認するようにしていただきたいものだ。明らかな誤字であれば修正もできるが、商品の価格や商品番号の間違いはほとんどの場合、ウェブ制作者側は気付かないはず。下手をすれば1桁安い価格で商品を売らなければならないハメにもなるのだ。
●ネジ   2005.1.1

ネジ1本、日曜大工センターで買えば50円。ところが全く同じネジをスキー用品屋さんや自動車部品屋さんで買うと500円だったりもする。同じような例。ジョンソン綿棒1袋100円。これがオーディオ機器のヘッドクリーニングキットの交換用の消耗品として購入すると500円だったりもする。

SOHO事業者も同じような状況になることがある。単体の仕事で直接請け負った場合には5万円のものが、大手から発注されたプロジェクトの一部として受けた場合には50万になることも。

ちなみにネジと呼ばずにボルトと呼ぶだけで高く売れることもあるようだ。
過去記事

メニュー



























.