2005年6月
レンタルサーバの管理者ページからサービスの変更や、オプションの追加、ログ解析のページなどなど、移動する度に認証画面が現れる場合がある。移動する前のページにIDとPWが書いてあり、それを入力するという場合もあるのだが、ブラウザによっては各ウインドウがアクティブになるかどうかで、そのIDとPWがコピペできないなんてことも。
確かにそれぞれのコンテンツが違うサーバに置くことで一括管理しているのであろうし、それぞれに一定のセキュリティーを持たせるためにはこういった対策が必要になるのであろう。と、その実情はよく分かる。
しかしだ、こういった何度も認証をパスしないと辿り着けないサイトでは、多くの人が途中で面倒になって諦めてしまい、電話でサポートに直接問合せするハメになっているということ。そして初心者の90%以上が最初の2ページぐらいでわけがわからなくなり挫折しているという実情も分かって欲しいものである。
●理論より実績 2005.6.28
コンピュータをいじっている限りは「何じゃこりゃ?」とか「何でやなん!」という疑問に謎や頻繁に遭遇するものである。しかし幸いなことにインターネットというものがある以上は自力で解決策を見いだすことも不可能ではいのだが、コンピュータ関連の情報はあまりにもその数が膨大であるため、必要な解答に行き着くまでには相当な時間を要したりもする。
そこでその問題の解決策を知っているであろう人、またはそういった人が参加しているであろうMLやBBSに質問を投げることになるのだが、そこでちょっと困るのが、理論だけでの解答。それはそれで有り難いのだが、こちらは問題を解決することが最優先であり、理論よりも実際に同じ問題に遭遇して解決したという実績の解答が最も有り難いのだが。 理論だけでの解答の中には、これこれこういうソフトをインストールしてこういう機器を使えば解決できるはず、というようなものも。時間もないし、そのためにコストもかけたくないから、こうやって質問しているのだが。。と思うことも。とはいえ親切に解答を書いていただいているので文句は言えないが。
●高齢者用ケータイ-2 2005.6.27
TUKAの「ツーカーS」はコンセプトが徹底している。液晶もカメラも取り説も無しというもの。これに対してDocomoの「らくらくホン」はあくまでも普通のケータイの流れの中での亜流。
さてどちらがいいの?ということだが、実はDocomoは「ツーカーS」のようなモデルは販売できないのではないかと想像する。業界トップとしては、自らのシェアを安い機種に移行してしまう危険があるのではないか。TOYOTAが軽自動車を作らなかったのと同じ理由だ。逆にそれまで苦戦していたTUKAは絶対的な差別化できる商品が必要だったわけだ。
また「ツーカーS」はいかにも「老人用」というコンセプトとデザイン。自分で老人とは思いたくない老人たちは 見た目は普通で、中身がカンタンな機種を買うだろう。そういう意味では「らくらくホン」のほうがニーズが広いかもしれない。とはいえ「ツーカーS」も予想以上に売れているらしいが。
●高齢者用ケータイ-1 2005.6.26
もはやどこに行っても公衆電話がなかなか見つからなくなったし、高齢者といえケータイを携帯する必要に迫られてきたようだ。
実は高齢者マーケットはケータイ普及時からある程度は予想はされていて、問題は市場に導入するタイミング。これを見極めていたはずだ。早すぎると空振りになるので慎重になっていたのだろうが、ここにきて、やっとGOサインが出た!という雰囲気なのだろう。
「090」と「070」が振り分けられたのが1999年。ここから爆発的に普及したとすると、やはり高齢者市場は5年後だった、という感じだろうか。
これは予想より早かったかもしれない。あまり遅いと高齢者の高齢化が進んでしまうという理由もあったとかなかったとか。
ちなみに公衆電話。今どき駅なんかで使っていると「外人?」と思われるようだ。若者の間で流行るかもしれない→公衆電話。
●任せっきり 2005.6.25
NTTやプロバイダーや業者やパソコンショップや社員の知り合いの詳しい人や経営コンサルに任せっきりで構築したインターネットと社内LAN。トラブる度に違うところに相談、依頼。中には大した作業もしないでボッタくっていくやつも。その度にけっこうな出費なのでこれはたまらんと、商工会や自治体のボランティアバンクのようなところに相談し、これまたスキルにバラツキのある色々な人間がやってきて色んなコトを言う。
水道であれば業者に任せておけば良い。こちらは蛇口をひねるだけなのだ。しかしコンピュータは蛇口の何万倍もの操作手順がある。そうそういつでも思うように動くものではない。業者丸投げの発想。これがいつまでたってもトラブルの絶えない社内のコンピュータの元兇である。少しは自分らでも勉強するようにしよう。
●ウェブショッピングに適した商品 2005.6.24
最近DVの予備のバッテリーをウェブショップで購入。これは実にウェブショッピングに適した商品でもある。というのも同じ品物を実店舗で購入しようとした場合、まずは在庫があるかどうか?という問題がある。どんなに大規模な店でもDVの全機種分のアクセサリーを在庫しているという可能性は低い。取り寄せともなればまた同じ店に足を運ばなければならない。仮に在庫があったとしてもレジに並んで「ポイントカードお持ちですか?」「イエ」「今、ポイントカードをお作りしますと、このような…」と、余分な会話をしなければならない。
純然たる消耗品。とにかくあればいいのだ。そこにはこだわりや付帯するサービスや大幅な値引きや特典は必要ない。すぐに必要なのだ。そういった商品を購入する時にはやはりウェブショップに限る。ところが購入する際に入力ページをよく確認しないとメルマガが配信されてきたりもするので気をつけよう。
●Google Library Project 2005.6.23
ついに、というか当然考えられる手段として、Googleが世界中の大学図書館の蔵書をデジタル化しようと試みているらしい。日本国内での書籍と雑誌の販売伸張率は毎年3%程度ずつ減少しているとのこと。いつの日かは世界中の本というものの大半がデジタル化されるであろうことは極めて自然な流れでもある。 その過程で紆余曲折は何度もあるにしろ。
今回のGoogleの目論みは大規模な著作権侵害に及ぶことになる可能性もあるため、その合否は最高裁判所に委ねられる可能性もあるとのこと。仮に合法となった場合は世界中の出版社にとって死活問題ともなるはず。さてどのような判決になるのか興味のあるところだ。
しかしこういった場合の裁判所の判断は、合法か違法かというよりも社会的に及ぼす影響、つまりこのGoogle Library Projectが肯定した場合に損害を被る人間がどのくらいいるのか?ということも重視されるであろう。そうなると出版社がこのGoogle Library Projectを損害と考えるか転機ととらえるかによって、その判決も変わってくるようにも想像するのだが。。
●資源 2005.6.21
ある事務所で社長が一喝。備品や消耗品の管理があまりにいい加減なのできちんとしろ!とのこと。これを聞いた総務部長は社員総出で消耗品の整理を命じる。使えなくなった筆記具を分別し、いらなくなった紙は裏が使えるものを集めてメモ用紙に使えるように。他社製品のカタログでは現行商品以外の古いものは廃棄。などなどで丸一日作業となった。
しかしそこにかかった人件費を計算してみると、筆記具も紙も全部捨てて新しく購入したほうが安くあがる。カタログも全部廃棄して、今後は必要に応じてウェブで確認するようしたほうがよっぽど効率的だ。
紙に頼りモノだけに価値観を感じ皆で作業したことに達成感を感じインターネットを利用できない。そんなおっさんたちが仕切る限りはこれからもまだまだ無駄な仕事は増えるであろう。
●メカに強い人 2005.6.20
自称メカに強いという人たち。オーディオやビデオの配線はお手のもの。ちょっとした家電製品の物理的な故障は自分で治せる。カメラやクルマについてもけっこう詳しく、語らせれば一蘊蓄こけるだけの知識と経験も持っている。というようなメカに強い人ではあるのだが、ことパソコンに関してはこういった知識が仇になったりもするようだ。
まずは故障、というか動かなくなったとき。その原因の多くはソフト面にあり、メカ的な部分が物理的に壊れるということは滅多にないのだ。しかし自称メカに強い人たちは「どれどれ」とばかりにしゃしゃり出てきて、コネクター類の接続を確かめたり、CDを何度も出し入れしたり、筐体を叩いてみたりと、解決できそうにもない治療を試みるのだ。
そしてもっと始末が悪いのは、こういった人たちはパソコンもメカだからオレなら普通の人より何倍も早く操作を覚えられると錯覚し、基礎を勉強することなく、いきなり難しいコトをやろうとするということ。時として周りの人にとっても迷惑をかけることになる。
●時間はきちんと 2005.6.19
ケータイからメールが来る。「暫くの間、パソコンでメールが確認できませんので、至急の用件はケータイまでお願いします。」というもの。何が問題かと言えば「暫く」という表現だ。外出しているので今日の夜まで、パソコンが壊れているので直るまでの数日、出張しているので帰るまでの1週間、と、いろいろと想定できるのが「暫く」という言葉。添付ファイルを送るとしても待ってから送ればいいのか、すぐに他の方法を考えなければいけないのか?ということだ。
「暫く」の他にも、「少し待ってください」とか「近いうちの連絡します」とか、ファジーな表現は色々とあり、これらを使われると非常に困るのだ。ちゃん日にちと時間を明記しよう。決まってないのであれば決まってから連絡するようにしよう。どうも日本人はこういった曖昧な表現が好きなようだ。
●著作権の理解度 2005.6.18
デジカメで撮影した写真をPhotoshopで画像処理して広告媒体としてプロ級の写真並みに仕上げたところが、DPE屋さんでプリントを拒否された。つまりプロが撮影した写真をむやみに印刷することで著作権侵害の幇助を避けるということだ。と、これはアメリカでの話だそうだ。そしてその判断基準の曖昧さが問題にもなっているらしい。
日本だったらどうだろうか?恐らくその写真の完成度をDPE屋さんのスタッフが店頭で判断してプリントを断ることはないだろう。それほど写真のプロとアマチュアの差異を見極められるほどの目利きは少ないように思う。
それ以前に、写真というものに著作権というものが存在し、他人の著作物を勝手に自分のサイトに掲載してはいけない、ということすら理解していない人間がまだまだ多い。
無断転載した写真の下に「問題があったら削除しますのでメールください」などと書いてあるものもある。無断転載を宣言しているわけだ。言語道断である。
●アナウンサー 2005.6.17
テレビのアナウンサーやレポーターがインタビューしているとき「こいつ、全然人の話聞いてないんじゃねーか?」と思われるようなやりとりをすることがある。相手が答えているにも関わらず同じ質問をしていたり、相手の質問に対して全く見当外れの答えを口走ったりと。。
こういった状況をテレビで見ながら「この局のアナウンサーはレベルが低い!」とか「アナウンサーのくせに日本語知らないんじゃないの?」とか言ってる人も多いだろう。
しかしそんなことを言ってる人。いざ自分でやってみると良い。時間に追われ、NGを出さないよう、間が空かないように、対話する相手から言葉を引き出すように、失礼なことを言わないように、噛まないように、自分の表情にも気をつけ、と色々なことを考えながらの作業なのだ。とても素人がいきなりできるようなコトでもないのだ。
●準備 2005.6.16
時としてメールのやりとりが白熱してチャット状態になることがある。そうなるとその論法や理屈だけでなく、メールを書く速さがそのチャット状態を有利に展開するために重要になる。
ではどうしたら速く書けるか?キーボードを打つ速さではない。自分の考えを文章にまとめる速さが必要だ。とはいえそうそう相手の書いた内容に対して即レスできるものではない。
一つの方法。完璧ではないのだが。メールを書く、そして送信した直後に相手のレスを想像してそのまたレスを書いておくのだ。相手の性格や状況が分かっていれば大筋外れることもない。また、最初のメールで一定のレスを引き出すように誘導してもよい。
相手にしてみれば自分が書いた内容に対して1分も経たぬうちに500文字ぐらいのレスが来るのだから「こりゃかなわん!」と脱帽する。しかしたまには相手から思わぬレスが来て、書いておいた原稿が全く使えなくなることもないことはない。そうなったらちょっとアレンジしてこのコラムに転用する。
●まずはコンセプト 2005.6.15
某プロ野球チームのOB会で長老組は「今の若い選手は練習のときにユニフォームを着ない。おまけに茶髪にピアスじゃ勝てるわけがない!」これに対して若手組は「今どきの選手は、そんなことを言っても言う事は聞かない。色々と拘束するといい選手は集まらない」と批判。似たような意見の相違は一般の組織の中でもよくあることだろう。とかく年寄りは過去に自分が体験したものを肯定し、そうじゃないものを否定するという発言をしがちだ。若手はその発言の内容よりも、時代錯誤な意見を偉そうに命令口調で発言するその態度にムカついているのだ。まあ、それはさておきどちらが正しいのか?
球団経営側がまずは運営方針を決めることが先だろう。「過去の実績にとらわれない自由な野球」とか「伝統に従った堅実で紳士的野球」というような方針だ。日本ではこういった運営上の重要な方針を監督に委ねがちだ。しかしこれは広告戦略や中長期での経営展開に大きく影響する部分。監督が決まる前に決めておくべきことだろう。そしてその方針にハマる監督を捜すべきなのだ。
コンセプトが決まらぬうちに現場を決めようとするから無理がある。根幹を決める前に枝葉の議論をするから混乱する。よくある話だ。
●できません! 2005.6.14
クライアントから難しいリクエストが。例えばウェブページを全て A4サイズで印刷できるようにしたい、というような。これに対応しようとすれば 「PIXUS iP8100、ドライバーバージョン1.02、4辺フチ無し印刷時、WindowsXP、Internet Explorer6.01、表示設定デフォルト、フォントサイズ中、モニタ解像度1024 x 768でフルスクリーン状態」用、というような条件を付ければ可能である。そう言っておかないと思わぬ環境で「うまく印刷できない!」と言われてしまう可能性があるからだ。できなくはない。しかし色々と細かい条件設定が必要。というのが本音。
そんなときは「できません!」と言い切ってしまうに限る。「できないとは言いきれませんが…」とか言うと、そこに望みを持たれてしまう。おおよそ不可能っぽいときは言い切ろう。
上記の例でその理由を聞かれれば「本や新聞のように印刷しないで済むように作られたのがホームページというもの。印刷機能はオマケでついているので完全ではないのです。」
●スクロール 2005.6.13
紙媒体では不可能な技がハイパーリンクとスクロール。ウェブページでは誌面の都合というのはない。必要があればページの大きさは無限に伸ばすことが可能だ。
しかしだからといってこのスクロールを見る側に常に強いるというのも考えもの。できればその移動量は出来るだけ少なくしておいたほうが親切だ。例えばページを何度も移動しなけれいけないような時、各ページ毎にスクロールが必要な場合と、スクロール無しで必要な情報が画面内に収まっている場合とでは、後者のほうが明らかにラクチンだ。特にページ毎に必ずスクロールしないと次のページに行くリンクボタンが出てこないというのはかったるい。
紙媒体では不可能と書いたが、実は「巻物」というのはスクロールだ。ページ物の製本が出来る前の時代にはこの巻物が主流だった。しかし巻物を何本を続けて見るのは面倒なはず。だからページ物の書物が出来たわけだ。ページ物にする以上は、各ページがそれぞれ巻物になっていたのでは、そのメリットは半減する。
●ノータイ 2005.6.12
ネクタイ業界がクールビズに反対しているとかいないとか。ネクタイが売れなくなることを懸念しているらしい。温暖化防止や環境保護を実施しようとすれば当然の事ながら何かしらの製造業はその影響を受ける。製造業は無から有を生みだすのではない。材料を使って加工生産するのだ。そして材料の多くは自然界に存在するもの。それを使わないようにするのだから影響が出て当たり前なのだろう。
反対しているヒマがあったら、この機を利用した商品企画をすべきであろう。冬でもクールビズ対応の通気性に優れた素材のネクタイとか、カジュアルでありながらフォーマルとしての品位を損なわないデザインのジャケットとか。その他にも考えれば色々とあるだろうに。
取り巻く状況が変わったときに現状維持に固執して文句を言う前にビジネスチャンスとしてポジティブに受け入れる姿勢が生き残るためのコツではないだろうか。
●クールビズ-2 2005.6.11
着るもので個性が表現できない。その大きな要因は経験が無いということ。自分で服を選んだことがなければ試着室に入ったこともない。ウエストサイズだけをカミさんに伝えてヨーカドーで買ってきてもらっている。全身を鏡に写して己の姿が客観的にどう見えるのか確認したこともない。そして自分にはファッションセンスなどはみじんも無いと思い込んでもいれば、何を着ても大して変わりはないと思っている。結果として可もなく不可もない白いシャツを選ぶのだ。
そして問題は大半の人間がこういった選択をするということ。その人間が集まったり並んだりしたときに、制服でもないのに何でこなんに一緒なんだ!と疑問に思わないのだろうか。いや、みんなと同じことで安心する人のほうが多いのだろう。「自由な服装」という条件を与えられたのにこの結果。滑稽にも写るのだが。
●クールビズ-1 2005.6.10
ノータイとなったおじさんたちを見ると、あー、やっぱり普段から背広とゴルフウェア以外は着たことないんだな、と思わざるを得ない。ノータイといえども品位を損なわないようにということで、ほとんどが白いシャツで横並び。もう少し個性っちゅうもんの表現はできないものか。薄くなった髪の毛にはあれだけ労力を惜しまずに執拗にケアしているのに、着るものとなると無頓着、というか全く工夫がない。こういう人たちにはオリジナリティーのある斬新な企画や提案は望めないだろう。
●指摘-2 2005.6.9
もっと雑駁に割り切れば、優秀な人間=怒らない。優秀でない人間=すぐ怒る。ということにもなる。怒らない、という表現は実は適当でないかもしれない。本当は怒っていても、それを我慢して表に出さないように努力している、または出さないようにする技術を持っているということだろう。
もしも世の中が”すぐに怒る”人間ばかりだとしたら現在のような文明的な社会は存在しなかったであろう。そこには”怒らない”人間が居るからこそバランスを保ち発展と進歩を遂げてきたわけである。すぐ怒る人間はそのことも認識しなければいけない。
しかし「ウチの社長は優秀だけどすぐ怒る」という場合もある。実はこれ、怒っているのではなく、怒っているという演出をしているのだ、自分が嫌われるのを覚悟の上で。そうしないと従業員が言うことを聞かないからだ。
●指摘-1 2005.6.8
「そこは○○○したほうがいいでしょう」というようなアドバイスをすると「文句を言われた!」と怒るやつがいる。確かに指摘はしたのだが、それはその人の落ち度を露呈させたり、能力の低さを意味するものではない。そうやってアドバイスすることで、その人の知識やスキルの向上に繋がる可能性があるから指摘しているわけだ。指摘された直後は多少ムっとするかもしれない。しかし賢い人間であれば、その指摘された内容を改善することが己にとってプラスになると気付くはず。
実はここが”伸びる人”と”伸びない人”の分岐点にもなる。また指摘された後のレスがそのバロメーターとも言える。”伸びる人”であれば謙虚に「貴重な情報ありがとうございました。」「勉強になりました。」となる。ムっとしたりカチンときたりした心情を押えつつ、である。”伸びない人”の場合は「心外だ」「そんなことを言われる筋合いは無い!」といった具合だ。図星であったがための代償で「そんなことわかってる!」などと見栄を張ったりと。
指摘するほうも相手がムっとする、多少は落ち込む、そして自分が嫌われる、というようなことを覚悟の上で指摘しているのだ。そんな瑣末なデメリットを補ってあまりある知識やスキルの向上を期待するからだ。期待しない人間には指摘はしない。
●OK 2005.6.7
OKの語源にはいつつかの説があり、例えば第8代アメリカ大統領「Martin Van Buren」を支持するクラブの名「Old Kinderhook」が略されてOKとなった説(これが一番有力であるらしい)や、承認する際の「All Correct」と書くところ、「Oll Korrect」とスペルミスしたものが略された説、またはスペル通りに略した「AC」では他に色々な意味があるため、あえてOKにしたとか。その他、ラテン語、ギリシャ語、フィンランド語等を語源とするいくつかの説もあるらしい。
さて日本語の中で使われるOKだが、これはいささか命令的な印象がある。上から下へ「許可する」というような雰囲気だろうか。なのでクライアントからOKと言われるぶんには良いのだが、懇願された末に好意でやってあげた仕事に対してOKと言われると、いささか気分は悪いものでもある。
その雰囲気を和らげるためには「OK牧場」と言う(書く)といいようだ。またはこれを略して「牧場」。 「OK」と「問題ございません。」の間に位置するのが「牧場です。」ということになる(ホントか?)。
●Fetch-3 2005.6.6
もうひとつの理由。それは、そもそもWindowsは専門家しか使えなかったMS-DOSを誰でも使える95にした。DOSの操作は基本的に1つ何かするたびに Yes or Noを選択しながら進んでいく。Windowsのアプリケーションの多くはこれを踏襲してるのではないか。または誰でも使えるように間違いのないものにした、という考えもあったかもしれない。またはWindows95の仕様に倣った、もしくは規格に従った。
一方Macは基本的に無くても済むものは無くしていくというコンセプトのOS。マウスでの操作を前提で考えているので、操作手順を省くことに 重きを置いている、ということだろう。
Winはtabキーを駆使すればマウス無しでも操作できる(実はMacもマウス無しで、かなりのところまで操作できるのですが、そうやって使う人はほとんどいないようです)。元を辿ればキーボードで操作するOSとマウスで操作するOSの違いということになるようだ。
●Fetch-2 2005.6.5
いちいち聞いてくるのもうざったい?ということもあるのではないか。サーバにデータを転送するくらいの人であれば上書きの概念は分かっているだろうし、バックアップもきちんととっているという前提で、SE等の専門家をターゲットとしているのではないか。Fetch が最初に作られたのは 1989年。恐らくその当時のコンセプトを今でも踏襲しているのではないだろうか。NextFTPは最初のバージョンが1996年。つまりインターネットが一般に普及し始めたころなので、一般ユーザーを対象にした作りになっているのではないか。と、こんなことが想像できる。
ついでなので、アメリカでは棒を投げたあと犬に向かって「フェッチ!」と言うそうで、「取りにいく、取ってくる、取ってくること」という意味。
遠くに行って取ってくるというFetchの動作を表した言葉だとのこと。明日に続く。
●Fetch-1 2005.6.4
Winユーザーには馴染みのない話題ではあるが、Macユーザーの多くが使っているFTPソフトがFetchである。WinでのNextFTPやFFFTPと同じような機能。さてそのFetchであるが、Win→Macに乗り換えたユーザーからの質問。なぜ同じ名前のファイルをアップする時に上書きしていいかどうか聞いてこないのか?というもの。確かにそうだ。元々そういうものだと思って使っていたので疑問に感じることはなかったのだが、不思議と言えば不思議。
そこでその理由を考えてみた。あくまでも想像の範囲なので、外れている可能性も高いが。さすがにこんなことまではウェブで調べても回答は見つからなかった。明日に続く。
●どこまで解っているのか解らない 2005.6.3
パソコンやインターネットに関する質問。これに答えるとき、果たして相手がどこまで解っているのか解らない場合が多い。かなりの知識を持ちながら遠慮がちに質問してきたため、初歩的なことから丁寧に説明したところが実は釈迦に説法だった。逆に相当な知識を持っているような内容だったので、専門的な回答をしたところが、実は聞きかじりの雑誌記事受け売りの知ったっぷり野郎だったりもする。
当然のことではあるが相手のレベルを外すと回答した意味もなくなる。自分のスタンスだけで答えてはいけない。しかし大は小を兼ねるという観点からすれば、例え釈迦に説法だろうが大きなお世話と受け取られようが、万全を期してイロハのイから説明したほうが間違いは無いようだ。知識が多様化、専門化、細分化してきたことで、ちょっと畑が違うと、超初歩的なコトを知らない、というケースもあるようだし。
●動画の威力 2005.6.2
動画の威力は多大である。練りに練って構築したサイトコンセプト。より魅力あるコンテンツを作るために考えたユニークな内容の読み物。楽しいイラストや奇麗な写真。と、苦労して製作したコンテンツに対して、それをあざ笑うかのように圧倒的なアクセスを稼ぎ出すのがQTやWMVによる動画である。
特別に取材や撮影や編集に労力を費やしたわけでもない、普通にDVで撮影して変換した動画。それでもそのアクセス数は他のテキストだけのページをはるかに上回る。
やはり所詮はTV文化。読むという能動的な作業よりも、見るという受動的な状態が好まれるのだ。仮にTVの画面が文字だけであったなら、その内容がどんなに面白くても見る人は激減するであろう。
●おカネの話 2005.6.1
クライアントが大手企業の場合は受注前に見積りを提出する場合がほとんど。大抵は1回打ち合わせた後に見積りを出さなければいけないので、その打合わせの中で相手の予算と妥当な金額を想像し、ハマりそうな額を提示しなければいけない。もちろん高すぎれば選定されないし、安すぎると利幅が薄くなってしまう。そのさじ加減には毎度苦労するところでもある。
これがクライアントが事業所であり交渉の相手が事業主本人であった場合、上記とは逆におカネの話は最後の最後になることもある。クライアント側から見れば、こちらの姿勢やスキルを観察しつつ「こいつにだったらいくらまでは払っていいか」ということを考え、こちらは「この社長だったらいくらまで出すか」ということを推測していくのである。 例えばその社長がどんなクルマに乗っているか、どんな規模の工場を持っているのか、従業員の数や商品を見て、どんな価値観を持っているのか観察する。社長のほうはこちらが言うことの信憑性や現実性、人間的な信頼度など、いろいろと観察されることになる。
とはいえ最後は人間同士の信頼関係。お互いに信頼できれば妥当な金額で折り合うことは多い。
過去記事
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