2005年8月
元々がWordで作った書類は比較的簡単にPDFに変換できる。しかしそのままHTMLに出力してもなかなか一発でうまくいくものではない。ホームページエディタで加工したり、時には直接タグを打つハメになり、そのために膨大な時間を費やすことも。つまり作る側としてはウェブページにするよりもPDFにしてダウンロードさせてしまったほうが格段にラクちんなのだ。
もちろん見る方にとっては、いちいちダウンロードしてAcrobatReaderの起動を待たなければいけないのでかったるい。大した時間ではないのだが検索結果を片っ端から見るときなんかはけっこうなストレスを感じるはず。
そこには、制作時に「え〜い、時間も無いしPDFにしてダウンロードさせちゃえ!」と言いたくなるのをじっと我慢してコツコツとタグを打つWEBデザイナーたちでいるのであった。
●モチーフ-2 2005.8.30
海外のサイトの「日本レストラン」または、東洋の骨董品を売るようなサイト。背景に富士山、とここまでは許せる。しかし着物とチャイナドレスを混ぜたような服装をした香港人のお姉さんが厚化粧して微笑んでたりするとちょっとげんなりもするものだ。さらには南太平洋出身であろう太った人が即席のチョンマゲとまわしをつけて「どすこい!」のポーズ。おいおいおい、と言いたくもなるのもだ。
しかし人のことは言えない。日本のイタ飯屋のサイトの多くは、イタリアの国旗、イタリア半島のシルエットを使っている。さらにはピサの斜塔の写真やポッティチェリの作品にCGで文字を合成したりと、イタリア人が見たら、オイオイオーイというものも多いのだろう。
●モチーフ-1 2005.8.29
そば屋、和菓子屋のサイトをデザインするとき。和紙風や京壁風の壁紙を多用し、行書体のフォントを使い、一部文字レイアウトを縦書きにしたりすると、それなりに雰囲気のあるデザインが出来る。高級洋菓子であれば白ベースに金文字の筆記体でエレガントと高級感とクラシックなイメージを強調する。とまあ、こんなやり方がベタではあるが定石だろうか。
困るのは「雇用」「創業」関係のNPO団体や「商工会」。モチーフにするものが無いのだ。その組織の正式なロゴマークがあれば多少は救われるのだが、これが無い場合も多い。地域の特長や名産、シンボルを使おうとするとその「自治体」の公式サイトとカブってしまう。 それなりの建物があれば良いのだが、貸しビルの一画の事務所だけだったりすると、もはやモチーフとするものが何も無い。
仕方なく「青空」「大地」を駆使して雰囲気を作り上げていかなければならない。ちなみに素材集の「緑の大地」はゴルフ場の写真であることが多い。
●言い訳 2005.8.28
言い訳が好きな人というか言い訳しないと気が済まない人。こういった人はデザイナには不向きであろう。 クライアントからの修正依頼。時には明らかな誤字脱字もあるが、例えば色とか文字の大きさとかデザインに関する内容であった場合、修正依頼が来たというのは過ちを指摘されたという訳ではない。そもそも正解など無いジャンルのことでもある。
よほどのことでない限りは黙って直して報告すればいいだけだ。にもかかわらず、何で自分はそうしたのかとか、修正する時間が無いとか、最初の指示と違うとか、言い訳を並べて自分に否は無いことを主張したがる人。それだけ言い訳を書く間に直したほうがよっぽど早いじゃん!とも思うのだが。
●チラシと仕様書 2005.8.26
ウェブデザインに対するコメント。営業担当者の場合は「文字を大きく目立つように!」「この部分が点滅して目立つように!」「派手な色でめりはりをつけて目立つように!」と、何でもかんでも目立たせたがる。その指示通りに対応するとロヂャースのチラシになってしまう。サイトとしての品位や統一感、高級感はどこへやら。色、使いすぎでどこがリンクしているのかもわからない。。
技術系の担当者の場合は「ここの文字の長さを揃えてくれ!」「写真の大きさを同じに揃えてくれ!」「文字の色とフォントを同じように揃えてくれ!」と何でもかんでも揃えたがる。その指示通りに対応すると味も素っ気も色気も彩りもない、技術者向けの設計仕様書のようになってしまう。
まあ、いずれにしても自分の価値観だけではデザインはできないということだ。
●指摘の仕方 2005.8.25
色々な人がメールを利用するようになると、基本的なルールやマナーを知らない人がビジネスメールを書くケースも増えてくる。CCやBCCの使い方を間違えたり、機種依存文字を多用したり、HTMLメールの使い方や添付ファイルの同報などなど。これは誰しも最初は知らずに間違えるもの。そして誰かに指摘されて覚えるというたぐいのものでもる。もっともメールのルールやマナーについて予め勉強しておけばこういったことも避けられるのだが、ケータイメールから感覚で覚えてきた世代にとってはそういうわけにもいかない。
問題はその指摘の仕方。「そんなことも知らないのか!」的な言い方(書き方)をする人もいるが、これは避けるべき。自分だって最初は知らなかったコトでもある。親切丁寧に教えてあげるようにしたい。 自分が初心者であったころのことも忘れて教習車を煽るような行為は大人気ないだろう。
●念のため 2005.8.24
ある設計事務所。移転することになり、同時に設備や機材も一新しようということになった。ところが年配の管理職が「ドラフターは念ため1台置いておきたいよな」と。気持ちは分る。しかし今や誰もドラフターなど使わない。強いて言えばこの管理職はCADができないため、いざ自分が製図するということになればドラフターを使わざるを得ない。とはいってももうこの人が自ら製図することは今後一切ないだろう。こういった「念のため」的考えが意外なロスを生みだすことにもなっているようだ。
念のため馬車を1台残した運送会社は結局一度もこの馬車を使わずに現在に至っているのだ。
●自転車操業 2005.8.23
SOHOの場合は大抵が自転車操業である。必死こいてこいでないと前に進まない。早く内燃機関を搭載してこがないでも進むようにしたいものだ。仕事がない時のSOHOは失業者である。果たしてこの状態のSOHO者が失業者としてカウントされ我が国の失業率の数値の増減に貢献しているかどうかは不明でもあるが。もっとお気楽な見方をすればNEETとも言える。
自転車操業がグレードアップすると自転者操業になる。自ら転ぶ者だ。別の亜種としては自転火車操業というのもある。意味は説明するまでもない。
●とはいえ 2005.8.22
高齢者の60代前半は2人に1人、後半は6人に1人がPCを利用とのこと。というのは疑わしい数字ではあるが、実際に60歳代でも完璧にパソコンを使いこなしている人も確かにいる。そしてそういった人たちに共通するのは「明るい」「分らないことは質問する」ということ。つまり素直で知ったプリをしないということだ。高齢者の多くがパソコンを使えない大きな要因が「知ったプリ」であろう。
一方まだ若いにもかかわらず知ったプリをするがためにパソコンのスキルが進歩しないという人もいるようだ。パソコンに限らずこれだけ情報が溢れている世の中。聞くは一時の恥などと言ってはいられない。チャンスがあるときに知っておかなければ知らないコトだらけになってしまう。パソコンのできるできないは実年齢ではなく「知ったプリ年齢」なのだ。
●疎外感 2005.8.21
これを味わうのがイヤがために世のおじさん達は「私はパソコンができる」ということにしてしまう。本当はできないのだ。アプリケーションのインストールもできなければデータをCDに焼いて保存することもできない。検索して目的のモノを捜すこともできない。
大本営発表では高齢者の60代前半は2人に1人、後半は6人に1人がPCを利用とのこと。しかしこの「利用」とは特定のアプリケーションの特定の操作を繰り返すことのみが出来るだけであったりする。それも月に1回程度だったり、誰かに起動してもらってからであったりもする。もっともどこまでが「利用」ということになるのか明確な基準などはないだろう。とにかく自分は「パソコンが出来る」おじさんであり、みんなと一緒に仕事をすることで疎外感を味わいたくない。ただそれだけなのだ。
●人通り 2005.8.20
楽天やショッピングモールへの出店やポータルサイトの傘下を前提としているサイトは別にして、単独で公開するサイトの多くは、店の前の人通りはゼロの段階から始まる。実店舗でもその売上げは立地条件、つまり店の前の人通りに大きく影響されるはずである。どんなに素晴らしい商品やサービスを提供したとしても山奥の獣道に開店した店では客は来ないだろう。
ウェブの場合はまずはここから解決していかなければならない。どうやって店の前の人通りを増やすか?である。このことをないがしろにしてむやみの販売価格を下げたり商品数を増やしたりしても無駄である。頻繁な模様替え(更新)も無駄となる。そのためにかけた費用も手間も無駄無駄。
●詐欺 2005.8.19
色々な架空請求や詐欺メールの来るのだが、最近のヒットは「架空請求やその他詐欺メールではありません」と書かれたもの。疑わしいと思われるから詐欺ではないと言っている。泥棒の多くは最初に職務質問されたときに「オレは泥棒じゃない」と言うのと似たようなもの。詐欺だと自白している。
さらには「電子消費者契約法に基づくメール」とも書かれている。電子消費者契約法とは基本的には消費者を守るという趣旨の法律。これも「違法だ」と自白しているようなものだ。
まあ、そうは言っても無作為に送信した数千人に一人が実際にビビって指定された金額を振り込んでくればビジネス、いや詐欺として成り立つのではあろうが。
★マークの続き 2005.8.18
飲食店に訪れる人は基本的にお客様である。お客様がおカネを払いその代償として美味しいものを食べるのである。しかしウェブサイトの場合はサイトを訪れる人は必ずしもお客様ではない。利用者であってもお客様ではないしおカネを払ってくれるわけでもない(ウェブショップとかは別であるが)。従って常に利用者を最優先して公開しているというものではないのだ。それを利用者の立場から評価されても困るというもの。
イタズラやいやがらせを防ぐためにわざとメルアドを階層の深いページに置いたり、不正コピーを防ぐためにわざとテキストデータを画像データに変換して掲載するというのもよくある話だ。利用者の利便性を考えれば考えるほど運営管理者側の負担ともなっていく。それでも公のサイトであればある程度は対応すべきではあろう。しかしだからといっていきなり★マークで評価するのは考えものだ。
★★★★★ 2005.8.17
他人の作ったウェブサイトに★マークをつけて評価するというとんでもないヤツがいる。例えば吉野屋の牛丼。★は何個だろうか?仮に単価が1000円だったら★☆☆☆☆だろう。100円だったら文句無しの★★★★★だろう。要するに商品やサービスにはそれに見合った価格というものがあり、評価はそのコストパフォーマンスによるところが大きい。従って制作コストが分らないままにウェブサイトを評価するというのは無責任なことこの上無い行為である。立派なサイトでもその制作費に膨大なコストをかけているものもある。逆にタダ同然のコストで善意とボランティア精神で作ったサイトもある。当然こういったサイトは色々な面で至らない部分もあろうもの。
そういった事情を無視して結果だけを見て★をつけるような無責任な行為。まあ、そうやって他人の評価をしたがるヤツに限って自分ではロクなものは作れないものだ。いや、作れないから制作者ではなく評論家になっているだけではあるのだが。
●CCのマナーその2 2005.8.16
何かが起こるとその内容はともかくできるだけ多くの人に知ってもらいたいがためにやたらとCCする人がいる。ここで問題は、CCに列記された人がお互いに知っている人かどうかということ。全く面識も無く、何処の誰だか分らない人のメルアドと自分のメルアドが同じCCの中にあるとすれば、まあ、これは「オレにはあまり関係ないことだと」と思わざるを得ない。
仮にレスするにしても何処の誰だか分らない人が読むことを想定すれば差し障りの無い挨拶やお礼ぐらいしか書けないだろう。ということは特にレスする必要も無いということ。ということは特にその内容に関して知っておくことが必須ということではないものだろう、と。
ようするにCCは必要最低限にすべしということだ。「困ってる私を助けて」とか「輝いてる私も見て」と言いたい人はDMのCCではなく、他の方法にして欲しいものだ。
●CCのマナーその1 2005.8.15
メールを送信するときにCCで何人かのメルアドに同報する。これを受けた人は送信者にレスする時に同じくCC宛てにもCCするのがマナーというもの。でないと最初のCCの意味がなくなるからだ。しかしケータイでレスするときにはこれがけっこう面倒。最初の送信者だけにしかレスされないということにもなる。そうなると最初にCCされた人は尻切れの情報しか知らないことになり「まあ、オレには関係ないか」という気分にもなるというもの。
どっちがいいとか悪いとかではなくこれはよくある話だ。結局は無作為に色んな人にCCせずに、本当に必要な人だけに送信したほうが問題無いということ。CCされる人は、知っていたほうが良いのではあるが、特に知らなくても支障は無いという場合も結構あるものだ。
●海外旅行 2005.8.14
ツアーというものがある。これは日本という環境のカゴに入れたまま観光客を海外に連れていくもので、鳥カゴに入れたままの鳥をカゴごと自然の森の木に吊り下げて「ほーら、これが自然というものだよ」というようなものだ。
だからパリに行ってもツアー客専用のレストランで食事をさせられる。店内は日本人ばかりだ。音をたててズルズルと喰おうが食事中にゲップをしようが文句は言われない。
お決まりの観光コースを回って決して安くもない免税店で買い物させられて満足して帰ってくるのだからおめでたいものだ。そしてもっと重要なこと。それはツアーで行く海外はそのほとんどが観光地であるということ。海外で観光地と呼ばれる地域は面積では0.1%にも満たないだろう。海外のほとんどの場所は日本人が1日たりとも生きて行ける保証のない物騒で殺伐としたところである。
●誘導経路 2005.8.12
例えばトップページに10種類の和菓子の写真が掲載されている。同じサイトで今度はお茶と洋菓子も売ろうということになる。しかしトップに全商品を並べるとデザイン的な統一感を損ねるということで、別のページにお茶と洋菓子を掲載。トップには「その他の商品はこちら」という大きめのボタンをつけてリンクさせるということになった。
果たしてこれで良いのだろうか?恐らくこの方法で公開してその後のアクセスログをチェックすると、トップに比較して「お茶と洋菓子」のページのアクセスは大きく下回っているはずである。
つまりこれは誘導する道幅を狭くして、顧客への風通しを悪くしているだけなのだ。本気で売るのであればお茶と洋菓子もトップに載せてしまったほうが絶対にアクセス数は稼げるはず。そこでどうデザインをまとめるかはまた別の話である。
●誉めてもらおう 2005.8.11
自分のやった仕事を誉めてもらおうなどと思ってはいけない。特にクリエーターの場合は完成に至るまでの色々な苦労や作り手としての感情の移入があったりもするし、自分なりに「今回のは良くできた!」というような評価も自然としてしまうというもの。しかしそれはクライアントには基本的に関係無いコトである。
時には「感動しました!」というメールをいただくこともある。が、全くもって無反応で請求した金額だけが振り込まれてくるということもある。「いいのか悪いのか、満足してるのか納得いかないのか言ってくれ!」とも言いたくなるが、そこはお互いビジネス。報酬さえきちんと支払ってもらえば全てOKなのだ。
「誉めてもらえなかった」ということで不満を感じるようではまだまだ一人前のクリエーターとは言えないだろう。
●電話の応対 2005.8.10
最近の若者は礼儀がなっとらん!電話のかけかた一つ知らない!などと吠えるおっさん。なにを怒っているかと思えば、娘の家に電話をしても孫たちの電話で口のきき方が非常に無愛想なのだそうだ。ただし、自分だと判るときちんと丁寧に受け答えはするそうだ。「あんな口調で電話したたんじゃ社会じゃ通用せん!」と怒っている。
しかし通用しないのはアンタのほうである。今どきの家庭の固定電話にかかってくるのは勧誘ぐらいのもの。無愛想になって当たり前。それに「○○さんいますか?」と言われれば「なんだよ、ケータイに直接かけろよ!」と思うのも当然であろう。かけられたほうは仕事中かもしれないし睡眠中だったかもしれない。電話まで階段を上り下りしてきたのかもしれない。
ケータイで済む、またはメールで済む用件を家デンにかけてくること自体が「なっとらん!」のだ。
●アクセシビりティーとレスポンス 2005.8.9
アクセシビりティーの一つの要素に、そのサイトの「レスポンス」というものがある。サイトのコンテンツが視覚障害者に対してどうこう言う以前に、このレスポンスという意味でアクセシビりティーに問題があるサイトというのもある。 JIS規格に則り立派なアクセシビりティー対応のサイトができました。ところがそのサイトにメールを出しても、1日経っても1週間過ぎてもレスがない。担当者がレスを書くにあたってその内容を上司に承認してもらわなければならないそうだ。そして上司はメールの文面をプリントアウトして持って来いなどという非電脳原始人であったりもする。
多くの公的機関がそうであるように、設備やシステム以前に「人」の問題が一番のアクセシビりティーの妨げになっているようだ。
●聞いたほうが早い 2005.8.8
それなりにコンピュータの知識もあり、インターネットの検索もそこそこ使えるだけのスキルを持っているにもかかわらず「そんなこと自分で調べてくれよ!」というような内容を質問してくる人がいる。「知ってることなら即答できるけど、そうじゃないことはこっちだって調べなけりゃいけないんだし。。」と言うのだが、「だってそのほうが早いし」。確かにそうであろう。
しかし立場変わってレンタルサーバーでのcgiの設定方法など調べる場合、サイトの中を色々と調べる前にサポートに電話する。「あ、すいません、聞いたほうが早いので電話しました!」
●ルール作り 2005.8.7
ウェブサイトを構築するときには「設計する」という概念が必要。きちんと土台になるコンセプトを作った上に骨組みを作り、屋根を葺いて壁を塗っていくような作業だ。そしてそのプロセスにおいて共通のルール作りも必要。ページ毎に異なったルールやデザインではサイトとしての一貫性が損なわれ、不親切なナビゲーションになってしまうわけだ。
ところがいざ納期が迫り、緊急を要する更新ともなると、このルールを忘れがちにもなる。特にその作業に見合った報酬が期待できない時や、強い被害者意識を伴った作業の場合は、ついつい早く終わらせようとしてその場凌ぎの最もラクな方法を選びたくもなるものだ。
1回ぐらいならいいかもしれない。しかしこれを重ねていくと、無計画な増築を重ねた家屋のようになり、火事になったときに無事に逃げ出せない迷路のような作りになってしまうのだ。
●ログ解析 2005.8.6
最近ではプロバイダーやレンタルサーバのサービスのオプションとしてログ解析プログラムが利用できるところが増えてきた。かなり詳細で正確な情報が把握できるので大変重宝するのであるが、これをクライアントに説明するのは一苦労である。
当たり前の話であるがページビューはファイル毎のヒット数で表示される。しかしファイル名を見てどこのページであるか理解するのは制作者にとっては簡単なことであってもクライアントにとっては難しいことでもある。「なぜページごとのタイトルを日本語で表示できないのか?」というような質問を受けるハメにもなってしまう。「私が作ったプログラムではないので」と言っても納得はしてもらえない。そもそもコンピュータ文化なるのもが英語ベースで発展うんぬんという歴史から説明しなければならない。クライアントが初心者の場合はログ解析は使わないほうが良い場合もあるのだ。極めて大雑把ではあるがアクセスカウンターがお薦めだったりもする。
●蘊蓄 2005.8.4
ウンチクをこいたほうが売れる商品がある。骨董品やマニアックな商品、高価な健康食品や医薬品などである。逆にウンチクこかれても迷惑なだけの商品もある。一般的な大衆消費財や消耗品などがこれに当たるだろう。
そしてウェブではこれをより極端に表現しないと売れない傾向にあるようだ。ウンチクの無い骨董品を売るのは難しい。商品の写真のすぐ隣に買い物カゴがあったとしても、そこに入れる人は皆無だろう。長々と蘊蓄こいてその商品の歴史や背景、作者の思い入れなどなどをこきまくらなければいけない。逆に消耗品を買う途中のページにその商品に関する説明や会社の考え方などが書かれていたとすれば、これはウザいだけである。買うほうは大抵の場合、急いでいるのだ。
●国際化 2005.8.2
プロ野球と大相撲の人気が落ちている。その要因の一つが「ローカル」である、ということではないだろうか。かたやサッカーやバレーボール、水泳や陸上の国際大会の中継の視聴率は伸びているようだ。ようするに日本国内だけでやっていたって、それはあくまで国内予選。決勝ではないのだ。大相撲は力士が国際色豊かになったとはいえ、あくまでも日本国内限定のスポーツ。プロ野球もワールドカップに出る出ないという話題はあるにせよ、やはり国内中心。 視聴者は世界最高のプレーや選手を見たいのだ。そしてそこで日本人選手がどこまで通用するのか見たいはずだ。
国際化という言葉が登場して数十年は経っているだろう。しかし実際には世界は日本列島で終わっていて、その向こう側には「外人」という自分達には関係ない人たちが住んでいる。と、なんとなくそんな風に思っている日本人がまだまだ多いのではないだろうか。
●目立つ 2005.8.1
ウェブサイトを訪れるのは人間である。魚ではない。目立たせれば喰いつくだろうという安直な手法がそうそう通用するものではない。人間は意思や目的を持って訪れ、必要に応じて自分で目的物を捜す。それが例え小さなリンクボタンや地味なバナーであっても。逆に用のないボタンやバナーはどんなに大きく派手に目立たせても絶対にクリックはしない。
というようなコトを理解せずに、とにかく目立たせれば良いと勘違いしている人も多いようだ。いざ、自分がウェブで買い物をするときの行動と心理を考えれば解りそうなものでも、一旦作る側の立場になると解らなくなってしまうということだろう。
過去記事
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