2006年11月

●CGMをやるには   2006.11.30

なんて言ったところでそうそう簡単なものではない。それなりにコツコツと時間をかけてコミュニティーを構築してきた場合と、それなりの予算をかけて本格的なマーケティングの上で構築した場合との二極化とも言えるだろう。

時間もカネもかけないでCGMを実現しようたって、そりゃあ無理ってもんだ。カネがかけられないのであれば、とりあえずは自分でBlogでも立ち上げて色々とやってみるしかない。結果を求める前に興味を持つことが先だろう。

●CGM   2006.11.29

CGMを意識したサイトを作りたいのだが、どうしたらいいのか?という相談を受けることがある。これは難しい。モータースポーツをやりたいのだが、上手くなるにはどうしたらいいのか?という質問に匹敵する難しさだ。

とりあえずは普通自動車免許をとることがモータースポーツであれば始めの一歩だろう。しかしITに免許はない。とりあえずは自分でBlogでも立ち上げて色々とやってみるしかないかな。という程度の回答しかできないわけだ。

●動画をどうするか   2006.11.28

例えば会社案内のようなサイトでも、やはり一つでもいいから動画を載せておかないといけない。そんな状況になってきたようだ。一般の人でもケータイで撮った動画をBlogやYouTubeに簡単に載せているわけであり、WEBデザイナーと名乗る以上は同様のことが、もっと楽しく、もっとハイクウォリティで出来なければいけないだろう。

そうしないと「動画は手間がかかるんですよ」という話に頷いてくれる、いささか古めの考えの持ち主のクライアントからしか仕事がもらえなくなるぞ。

●小学生にHTML   2006.11.27

久々に小学生にHTMLを教えた。いつも感じることではあるが、とにかく習得するスピードが速い。最初はアルファベットの大文字と小文字の区別がつかず、ローマ字入力もままならない子どもたちが1時間後にはHTMLを打っている。

これだけの潜在能力をもっと義務教育の場で活かすべきあろう。ローマ字を習うのは高学年から、などという理由で低学年にワープロを教えないという教育現場も多いようだが、彼等は読めるとか読めないとかとは関係なく、記号として、手順として身につけていく。その上、邪念とか沽券とかプライドとかとは関係なく素直に覚えていくので、習得するまでの過程に無駄がない。

その習得していくプロセスには大人も見習うべき点も多い。

●器用貧乏   2006.11.26

WEBデザイナーには器用貧乏が多い。というか器用でもないのに色々なアプリケーションに手を染め、どれも半端なままという状態の人が多いのだ。少なくともプロとしてお金をもらって仕事をしなければいけない。では一般の人は何に対してお金を払うのかというと、素人ではそうそう簡単に真似のできない高いスキルに対してお金を払うわけだ。

にもかかわらず、何でも出来ると言いながら、どれをとっても素人に毛が生えたレベルのスキルで、これだったら学生に頼んだほうがよっぽどマシ、なんてことになるわけだ。

しかしそういう人に限って、一通りのものに手を出しておかないと不安なのだろう。何か一つでもいいから「これだったら誰にも負けない!」というスキルを身に付けるほうが先だろう。

●インターネット人口   2006.11.25

インターネット人口はここ2年ほど横ばいだ。日本の人口も微減傾向にあり今後インターネット人口が急激に増加することは望めない。これに対してサイトの数は相変わらず増加を続けている。これはウェブ制作者にとっては由々しき問題だ。つまり平均的に見て相対的に1つのサイトに訪れる人の数は減っていくということだ。もはや「普通のサイト」を作ったところで、よほどの操作や戦略がない限りはアクセス数は期待できない。つまり普通のサイト作っても意味が無い、作る必要も無いということだ。

作る以上は何らかの特徴、魅力、差別化、個性、奇抜さ、などが必要であろう。といった簡単な考慮もされないままに今日も多くの「普通」のウェブサイトが公開されていく。

●売れないウェブショップ   2006.11.24

毎日膨大な数の新しいウェブショップがオープンしている。中には色々な理由で実質的な利益は期待せず「とりあえずあればいい」というサイトもあるようだが、大半はそのサイトで商品やサービスが「売れる」ことを期待しているようでもある。

しかしもはや定説ともなっている「ネットショップの9割は成功していない」という事実を知らないのだろうか?新たに開設されたとはいえ、同業他社のサイトとそのサイトを比べてみて、売れるであろう1割に入っているだろうか?

その1割に入っていないとしたら、開設、公開した時点で「失敗」なのだ。といった簡単な検証もされないままに今日も多くの売れないウェブショップが公開されていく。

●何で作るか   2006.11.23

ウェブサイトをどんなツールで作ればいいのか?ということを一生懸命考えているWEBデザイナーがいる。何らかの案件があって、そのサイトコンセプトやクライアントの要望、今後の運営管理体制やサーバの条件を踏まえた上で考えるのであれば話は分かる。

しかし何も具体的な案件が無いにもかかわらず、CMSをどう使うか、どういった部分をアウトソーシングするのか、どんなウェブエディタを使うのか、といったことを考えているわけだ。

サイトを訪れる人にとってはそのサイトがどんなツールで誰が作ったかなんてことは一切関係ないのだ。閲覧者にとって、クライアントにとって最も適したサイトコンセプトを考えることが先であろう。そこが固まった後に、どんなツールで、誰が、どうやってそのサイトコンセプトに最も適した作り方を考えればいいのだ。

●CMS   2006.11.21

XoopsやMTだけではない。今やBlog系やSNS系を含めて相当な数のCMSが世に出回っている。特定の機能に特化したものや初心者でも簡単に扱えるものなど様々なである。

そしていざサイト構築に使おうと思ってもどれを使うことが最適なのかを調べるだけでも一苦労である。というか正しい回答を導き出すのは不可能なようにも思える。それだけ新製品が多く、その評価がなされているサイトも少なく、もちろんそのソフトの公式サイトではデメリットやマイナス要因は掲載されていないので本当のポテンシャルは簡単には判らないということだ。

いずれにしてもWEBデザイナーがCMSを使うということは場合によっては価格競争で自らの首を絞めることにもなりかねないので慎重な対応が必要なところだろう。

●部分的に見るな   2006.11.20

サイト内のページを、そのページだけで見た場合に色々と手を加えたくなることがある。どうせだからこのページからも商品購入ページへ行けるようにしよう!とか、記載されている内容が会社の方針にも触れているので会社概要のページにリンクしようとか、ついでなのでここにも商品の画像を入れておこうとか、そういったたぐいのことだ。

しかしサイト全体で見れば、一定のルートを通るようにその階層構造が設計され、商品画像はサムネイルなのかカットなのかという一定のルールの元でデザインされているはず。このルールを無視して各ページ毎に「部分的」な対応をしていると全体のナビゲーションが煩雑になり、訪れた人は混迷することになる。

●薄過ぎ   2006.11.19

>昨日の続き。では薄味が良いのかというと、決してそういうわけではない。言うまでもなくケースバイケース。状況とコンセプトによって味付けは変わるというもの。

ところが必要以上に薄味になってしまう場合もある。その一つは「安全を見過ぎた場合」「必要以上に多くの人の意見を聞いた場合」だ。 アンケートでもそうだが、多くの人の意見を聞けば聞くほど、その結果は「安全なもの」「普通のもの」「当たり障りのないもの」になってしまう。

例えば「赤・青・黄」のうち、どの色が好きですか?とたずねるとする。10人に聞けば、適当にその答えがバラけるだろうが、1万人に聞けば、恐らく「青」が多くなるであろう。そうなってくるとアンケートをとる意味も薄れてくる。

●濃い味と薄味   2006.11.18

味は濃いほうが印象的で刺激的である。しかし続けて食べるのはしんどい。飽きがくるのも早い。これはデザインでも同じ。とかく刺激的で目立つデザインが要求されがちであるのだが、そういったものは毎日見ると飽きてくるし、うざったく感じるものである。

ということは説明すれば理解はできるが、いざそのデザインを決定する段になると「もうちょっと目立たせてくれ!」ということにもなる。特に年配の人にこの傾向は強いようだ。

これは薄味の食事を出されたときに、どうしても醤油をどばどばとかけてしまう高齢者に似ている。いや、そっくりだ。

●みんなの意見   2006.11.17

社長は会社のことであれば何でも決められるのだが、例えば商品のネーミングとかデザインに関することとなると、自信を持って決定できないこともある。また、こういったたぐいのものは、万が一「ダッサイ」ものを決めてしまって後から社員に文句を言われたくないという心理もはたらくようだ。

そして、こういったものを決める場合に「社員の意見を聞いて決めた。」「社内ミーティングで決定した。」というようなことにもなるのだが、実際には社長が「これでどうかな?」と聞けば、社員は下手に逆らって機嫌を損ねたくない。または現場に早く戻ってルーティンのい仕事をしたいがために「はい、いいと思います。」と答えるのだ。「他にアイディアがあったら言ってくれ。」「いえ、特にありません。」ということにもなる。

というわけで社員の意見も社内ミーティングもあってもなくても結果は同じ。結局は社長が一人で決めたのと同じことである場合が多い。

●無視   2006.11.16

企業の標語で「無くそう、無理、無駄、ムラ!」などというのがあったが、最近では最後の「ムラ」が「無視」になっているようだ。「いじめ」の最も悪質で陰湿な手段が無視であり、ペットのしつけでも叱責よりも無視が効果的とされている。

それだけ無視という行為が相手に与えるダメージは大きく、掲示板への辛辣な書込みなどは無視することが最も確実で効果的な撃退法ともされている。メールでの無視、つまり絶対に読んでいるはずなのにレスしないという行為も相手を失望させると同時に怒らせることにもなりるだろう。それがきっかけで人間関係や仕事でのパートナーシップがおかしくなったりするものだ。

多忙でレスできないとき、インターネットが使えない環境にいるとき、レス書く気分ではないとき、などなど、色々と理由はあるだろうが、どんなにカメでもかまわないので、レスをするのとしないのとでは大違いだ。

●伝書鳩-4   2006.11.15

では優秀な旗本はいうと、調理場に行って言う「最高の中華を作ってくれ」と。そして殿様にはこう言う「調理場には中華料理の達人がいまして、まだそれほど有名ではありませんが腕は確かです。いままでも数々の独創的な料理を作っております。」

それを聞いた殿様は「おお、そうか。ではその中華とやらにしてくれ。」そして旗本はまた調理場に行き言う「殿がとても楽しみにしておられるし、期待もしておられる。気合いを入れて最高の逸品を作ってくれ」と。 これを聞いた現場は、気合いも入り、適度な緊張感のもと、最高の料理を作るべく全力で取り組む、ということになるわけだ。

万が一、これでも殿様の口に合わない料理ができてしまったら、まあ、その時はその時だ。そのくらいのリスクは常に覚悟すべしということになる。

●伝書鳩-3   2006.11.14

なんとかこの3つの中から、殿様の好みを引き出そうと質問をする。「3つともお気に召さないとのことですが、強いてあげればどれが一番良いでしょうか?」というようにだ。そして個々の料理の具体的な質問をして内容も絞り込みにかかる。そして調理場に来て言うのだ。「 和ではハマチの刺身が好みのようだ。天ぷらは好きじゃないようだ。洋では海老フライに興味を持っていたようだった。中では餃子が美味そうだと言っていた。ということでハマチの刺身と海老フライと餃子をセットにした定食を作ってくれ」となるわけだ。

もちろん個々の料理がいかに美味くても、組み合わせによっては相殺することもあるし、定石を無視したものは現場とていやいや作ることになるので気合いも入らず、完成度も低く、大して美味いものはできないだろう。>明日に続く。

●伝書鳩-2   2006.11.13

殿様(クライアント)が「腹が減った」と言う。それを聞いた旗本(これがプロジェクト全体をコーディネートする役割の人とする)は、調理場に行って「何か美味いものを作れ」と命令する。しかし料理長(これが現場)は、いったい何を作ったらいいのか分からない。そこで旗本に「最低でも和洋中のうち、何なのかを指示してくださいよ」ということになる。

さてここからが問題。無能な旗本は「和洋中のれぞれのサンプルをとりあえず作ってくれ。それを殿に見せて選んでもらう。」ということになるわけだ。現場にしてみれば一度に3種類くつるのは相当な手間でもあり、限られた時間の中で一つ一つにかける集中力も散漫になり、完成度の低いものになってしまうわけだ。そしてそれを見た殿様は「どれも今ひとつじゃのう」ということになる。こりゃまずいというので旗本は次の行動に出る。>明日に続く。

●伝書鳩-1   2006.11.12

プロデューサやディレクターなど、プロジェクト全体をコーディネートする役割の人。

こういった人がただの伝書鳩である場合にはそのプロジェクトは絶対に成功しない。この人は進行の重要な段階で何度かはある程度のリスクを負った決断をしなければならない。

それを避けて、あとあと自分に責任の追求が来ないことばかりを考え、予防線を張り逃げ道を確保しながら行動されたのではたまらない。 では、どんな決断をしなければならないのか?>明日に続く。

●一緒にやろう!   2006.11.11

自分でホームページビルダーを使って多少のウェブページなら作ることができる。しかしサイト全体の構成やデザイン、画像の処理やちょっと複雑なソースは分からない。とはいえホームページ作るは楽しい。

というようなノリで、プロにホームページの制作を依頼し、納品したものを全体が完成する前に自分で勝手にいじくって楽しんだり、勝手に部品を作っては「これ使ってください」と差し出したりと、結局はプロと一緒にホームページ作りを楽しみたい!というようなクライアントがいる。困ったものだ。足手まとい以外の何ものでもない。

素人と一緒にお家を作っていたら大工は仕事にならないのだ。

●画面面積   2006.11.10

ウェブページでは、どんなに大規模なサイトでも、どんなに有名なサイトでも、トップページの面積はパソコンのモニターに納まる範囲でしかない。これはどんなに小規模なサイトでも、とりあえずスタートラインであるトップページという部分では大企業と同等の条件を自動的に与えられているということになる。

この願ってもいない好条件を活用しない手はない。それだけにトップページの果たす役割は大きい。ここがうまく行けば個人事業主であっても大手と対等に戦える可能性もあるわけだ。

しかしトップページのデザインをする前に大切なこと。それは、そのサイトのデザインコンセプト、そしてその前にサイトコンセプトを、作る側が明確にしておくことだろう。

●売り場面積   2006.11.9

ウェブショップでは理論上売り場面積は無限に近い。これは実店舗に比べると大きなアドバンテージでもある。しかし無限に近いからといって、その売り場の奥の奥まで見にいく客がいるかどうかというと、これは実店舗以上に客が諦めて、または面倒になって去っていく可能性が高いわけだ。立ち去るためにはボタン1個クリックするだけだし。

つまり、売り場面積がいくら広くても、そこに展示する商品やその商品の能書きが希薄であったり、くどかったり、退屈であったりすればすぐに立ち去られてしまうのだ。特に売りたい一心での「がつがつした感じ」は嫌われるようだ。

無限に近い売り場面積であったも、その商品ラインナップや店舗の規模に応じたスケールで、コンパクトにシンプルにまとめることが大切だろう。

●どうするWEBデザイナー【3】   2006.11.8

であれば手離れが良く、更新頻度も低い会社案内的なサイトだけを作っていればいいのか?というと、もはやそんな贅沢は言っていられないだろう。とはいえ多用化するウェブサイトの形態全てを知り尽くして対応することは一人の人間の脳みそでは不可能であろう。

であれば、やはりそこで必要になるのは単なるWEBデザイナーではなく「特に○○についてのスキルと経験のある」WEBデザイナーであることが必要になる。○○とは、特定のソフトやアプリケーションであったり、デザイン、企画、サポート、などのノウハウ。また、時間、コスト、奇抜性などの特長。映像、音響、取材、ライティング、イラスト、であってもいいかもしれない。いずれにしても「ただのWEBデザイナー」では生き残っていけないだろう。

[ウェブページのデザイン事情・画像] 
●どうするWEBデザイナー【2】   2006.11.7

仮にCGMサイトのプランニングからプロデュースをするとなれば、それはそこそこ収益性の高い仕事にもなる。またCMSサイトの構築から管理まで一手に引き受ければ、それはそれでお金になる仕事と言えるだろう。 しかしいずれも高いスキルと経験が要求され、デザイン以外でのテクニカルな知識やコミュニケーション能力も必要となり、責任や縛りも増え、長期的に一つのプロジェクトに拘束されることにもなる。同時にデザイナとしての想像力やクリエータとしてのセンス、HTMLを巧みに使いこなす職人技などがフルに発揮できる機会も少なくなろうというもの。

[ウェブページのデザイン事情・画像] 
●どうするWEBデザイナー【1】   2006.11.6

>昨日の続き。さて、そのような状況に至った今日、WEBデザイナーは何をしたらいいのか?という疑問もあろうというもの。ホームページを作っている分にはその制作費がもらえるのであるが、電子メールでは制作するものはない。HTMLメールであれば多少は請求できるかもしれないが、Blogでは代行してサイトを制作したところで個々の画像ぐらいしかお金がもらえる術はない。つまり「ホームページ」に近ければ近いほど収益性が高く、CGMやコミュニケーションサイト寄りになればなるほど収益性は低くなるわけだ。

[ウェブページのデザイン事情・画像] 
●コミュニケーションツール   2006.11.5

インターネットの創世記には「ホームページ」というものと「電子メール」というものがあった。ホームページは1対多数で一方通行のマスメディアであり、電子メールは1対1のコミュニケーションツールであったわけだ。やがてホームページには掲示板なるものが設置されるようになり、一部双方向のコミュニケーションがなされるようになり、電子メールのほうは、マールマガジンやメーリングリストといった1対多、または複数対複数のコミュニケーションが可能となった。そして最近ではCGMなどという参加者が育てていくタイプのサイトが注目を浴び、Blog、SNS、などといった当初のホームページと電子メールの中間に位置するようなコミュニケーション手段が生まれ、ホームページと電子メールのスキ間が埋め尽くされた感がある。

●ABC分析   2006.11.4

ABC分析は在庫管理や商品発注、販売管理などをするために、商品ごとの重要度や優先度を明らかにするために重要な順にA・B・Cの3つのランクに分ける方法。コンビニではこの方法が採用され、限られた売り場を最大限有効に活用するための最大公約数的な販売管理を行っている。

しかしウェブショップでは、確かに限りがあるという売り場ではないにしても、ロングテールばかりが重視され、本来、商売の正攻法であるはずの、このABC分析という考え方をしているケースは少ないようだ。

「売れるか売れないか分からないがとにかく沢山掲載してしまおう!」という安易な考えを正当化するために「ロングテール」という言葉を使っているだけであり、煩雑で統一感のないラインナップに訪れた人は困惑するわけだ。

●コミニティー【3】   2006.11.3

しかし不幸にして、こういった「何ごとも自分が正しいと思っている人」たちは、自分が独善的であるわりに知識やスキルや思慮深さや教養やコミュニケーション能力やその他諸々の経験が欠落しているということに気がつかない。自分は奇跡的に優れた才能や資質を持っていると信じ込んでいるわけだ。だからいつまでたっても他人の言うことを聞かない。そして自分の言っている「正しい」ことを理解してくれるコミニティーや組織を、そんなもんは「絶対に有りえねぇ」にもかかわらず、求めて今日も彷徨い続けるのだった。

●コミニティー【2】   2006.11.2

さて、そうなっては困るというので自分を常に正当化しても通用するコミニティーを求めてインターネットの中を彷徨い、同じような人間を見つけてバーチャルなコミニティーを形成する。またはそういった既成のコミニティーの一員となる。

しかし所詮は自分が正しいと思っている連中の集まりでもある。最初はお互いさぐりを入れたり妥協しながら他人の意見に同調していたりはするものの、基本的に他人の意見は受入れたくないという土壌がある。

ひょんなことから、または端から見れば実にくだらないこと、をきっかけにこのようなコミニティーは炎上し崩壊するのだ。

●コミニティー【1】   2006.11.1

何ごとも自分が正しいと思っている愚か者がいる。自分が正しいから他人の言うことは間違っている。だから他人の言うことは聞かない。というような信念を貫いていても、昔は何とかなったものだ。今でも限られた組織やコミニティーの中では何とかなるかもしれない。しかし急激に情報化が進み、個々の人間の持っている情報が多くなるに従って、このコミニティーは小さくなる。つまり自分を常に正当化しても通用する相手の数が少なくなるということだ。

そして気がついてみれば自分を常に正当化しても通用するコミニティーには自分一人しかいなかった。。なんてことにもなるわけだ。

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