2008年3月

●平成遷都キャラクター-2   2008.3.31

このキャラは、電通、博報堂、アサツーディ・ケイの大手広告代理店3社から計21作品のコンペにより、識者ら10人のデザイン選定委員会で選んだとのこと。この「識者」というのが問題だ。いくら知識があってもセンスの無い人間が選ぶとロクなことにならない。幼少期を学ランで過し、未だにスーツとスウェットとゴルフウェア以外は着たことがなく、しかもそれらですら自分で選ぶことができないようなオッサンには絶対にデザインの選考なんかやらせてはいけない。 センスが無いと理屈で選ぼうとする。(22日にも書いたのだが)その理屈が「奈良=大仏+鹿」ということだったのではないか。

●平成遷都キャラクター-1   2008.3.30

引続き大仏ネタだが、これはひどい!可愛くないというだけにとどまらず、選定過程が非公開であったことや、こんな駄作にもかかわらず著作権買い取りに費用が500万。その他コンペ参加料として3社に518万円を払ったとか。これらは全て税金である。

何でそこまで追求されるかといえば、とにかくこのキャラがひどい!という点に尽きる。まともなキャラなら、そこまで突っ込まれることもなかったろうに。 デザインとは恐ろしいもので、デザインが駄作だったばかりに、そのプロジェクト自体の存続が危うくなることもあるのだ。

●レゴで作った大仏   2008.3.29

レゴ(LEGO)で奈良の大仏を作ったとする。それを見た人は「凄い!」「素晴らしい!」と絶賛する。しかしその大仏は寺にも博物館にも郷土資料館にも個人の家庭にも置いてもらえることはない。そんなごつごつしたプラスチック製の大仏なんてものの用途は限られる。絶賛されたのは作品の価値ではなく、作ったという事実だ。努力と根気と発想の面白さといったところだろう。

どんなに高い評価を受けたデザインやプログラムなどの成果物でも、それがビジネスとして価値のあるものかどうかは別の話だ。

●相手のことを考える   2008.3.28

当たり前のことだが、これがなかなか難しい。メールにしても会話にしても自分の思惑や感情を一方的に発信する人間がいかに多いかということ。相手を困らせない、考えさせない、悩ませないように工夫し、検討し、推敲しながら情報は発信しなければいけない。結果としてそれが素っ気ない、淡白な、クールなものになっても構わない。受信した相手が何を答えていいのかわかららず困惑する、考え込む、あまりの面倒さに無視する、というようなことにならないように心がけるべきである。

●ウェブ   2008.3.27

ウェブ(web)はクモの巣という意味だ。クモの巣のように縦横無尽に行き来できる情報ネットワークがインターネットということなのだが、この設計思想を単独のウェブサイトの中にまで持ち込む必要はない。 複雑な階層の深いところでの水平リンクの数々。どこのページからでもどのページへもジャンプできるようなディレクトリ構成のこと。作るほうも見るほうも、いったい今どこにいるのやら?みたいなウェブサイトのことだ。

●老人の排除   2008.3.26

高齢化が進み老人の数が増える。相対的に権限を持った老人が増える。そうなると「老害」なるものが問題となる。老人達が自分達の権限を若い人間に渡さずに、いつまで経っても「老人の番」が続く。双六で老人ばかりがサイを振るというような状況だ。

これではいかんということで、老人が参画できないシステムを考えた。それがインターネットだそうだ。

●インターネットは必然   2008.3.25

インターネットの普及は一部の企業や国家の戦略ではない。爆発的に増加した地球上の人間が活動、生活する上で、いかに資源を消費しないで共存するための必然である。そもそも人間が移動すること自体に膨大なエネルギーが消費されるわけであり、これを軽減するための手段がインターネットである。仕事も買い物も娯楽も教育も人間が移動しないで行うことが人類絶滅までの時間を稼ぐために必要なのだ。

●自立塔   2008.3.23

現在の東京タワーは、確か「自立塔としては最も高い…」というようなアナウンスがエレベーターの中であったような。。自立塔って何やねん?というか、じゃあ他立塔っていうのもあるのか?いったい何に寄り添って立っているのだ?

●新東京タワーの名称   2008.3.22

名称の候補が出そろった。「東京EDOタワー」「東京スカイツリー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」 「ライジングイーストタワー」「ライジングタワー」だそうだ。「ライジングタワー」って、ばっかじゃないのか? センスの無さに愕然とする。こういうものは公募すればいいというものではない。広告代理店に丸投げしたほうが確実にいいものができるはず。

奈良のマスコットにしても然りだ。「大仏と鹿の要素を両方入れたほうがいい」などと言ったやつがいるんじゃないかと想像する。

●web2.0   2008.3.21

web2.0という言葉をあまり聞かなくなった。旬だったのは2006年ごろであり、では次がweb2.1とかweb3.0であるのかいうと、どうやらそういうことでもないらしい。バージョン2.0で生産打ち切りのようだ。

なぜそうなっかというと、とりあえずwebという言葉だけでは語れないメディア全般、人間の生き方や価値観全般に話しが発展していったためではないだろうか。

クロスメディアの中で情報が色々な経路を辿って行き来するようになり、紙の新聞は「いらねえだろ」と言われ、局主導型のTV放送も「あぶねえだろ」と言われ、雑誌や書籍も「需要は減る一方だろう」と言われている。 情報革命の第二段階。メディアの取捨選択の時期に差しかかったのかもしれない。

●そして踊る小作人   2008.3.20

Googleという大地主の一挙手一投足にいちいち反応して右往左往して踊らされる小作人。SEO対策も然りだ。前に書いたようにGoogleの最終目標は世界的集合知のデータベース化だ。そこに至る過程でコンテンツが希薄にもかかわらず検索結果の上位に表示されようとする姑息なサイトを排除しなければならない。これをどうやって排除するかという方策を考える前に、そのような姑息なサイトを積極的に作るように促してその実例を元に対策を考えるというのがGoogleの戦術だ。実例無しに対策は講じられないということだ。

そしてGoogle自らが「検索結果で上位に表示されるために」というような餌を撒き、これにまんまと引っかかった多くのウェブ制作者がSEO対策に目の色変えて挑んだわけだ。そしてその戦術に未だに気付かずSEOを崇拝している踊る小作人達。

●されどSEO   2008.3.19

例えば<title>と</title>の間に「○○市の○○自動車修理工場 ○○市にお住まいの方、自動車修理のことなら○○市の○○自動車修理工場にご用命ください!」などという記述。現時点でこのような方法が有効かどうかはGoogleやYahoo!のスタッフでない限りは分からないが、最近までそこそこの効果はあったようでもある。これは作文としては、くどい重複表現としてNGだろう。しかしSEOではOKなのだ。同じ単語を繰り返すという単純な刷り込み効果があるという点では人間もクローラも同じらしい。

●まだ言ってるSEO-3   2008.3.18

もう1つ、わかりやすい動向がGoogle Trendsでのクリック数だ。グラフ上では2007年まで微増傾向で、2007年末〜2008始めにかけてちょっと上昇。これが3月にかけて微減傾向。全体的に見れば、決して終わっているようには見えない。

しかし国別のアクセスではある傾向が見えてくる。ここ1〜2年は途上国からのクリックの割合が大幅に増えているということだ。2004年には日本を始め、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、オランダ等が上位を占めていた。しかし2007年はインド、中国、フィリピン、タイ、チェコ、ハンガリー、等が上位である。先進国から1サイクル遅れてと途上国や旧東欧諸国ではSEOがブームになっているということだ。

ところが相変わらず日本だけは2位になっている。他の先進国はすっかり上位から消えているのにもかかわらずだ。ここでも日本人のSEO好きがうかがえる。好きというより「おめだたい」という感じがしなくもないが。

●まだ言ってるSEO-2   2008.3.17

なぜ終わろうとしているかと言えば、世界的な集合知を構築するからには、できるだけクウォリティの高い情報を収集することが望ましい。つまりSEO対策に長けたもののコンテンツが希薄なサイトが上位に来ては困るわけだ。最近では数年前に施した裏技的SEO対策は不正とみなされ排除される方向にある。上位にランキングされるためには、できるだけあからさまなSEO対策は避けるのが最近の傾向だろう。同じ単語を必要以上に何度も繰り返したり、関連性の薄いであろうサイトに多くのリンクを張ったりというのも嫌われるようだ。 実際に今まで上位にきていたサイトがGoogleのアルゴリズムの変更によって忽然と姿を消すという事例もある。

●まだ言ってるSEO-1   2008.3.16

2005年ごろから、もうSEOの時代は終わったと言われてにもかかわらず、未だにSEO対策が不完全なサイトがどうのこうのと言っている人も少なくない。世の中には恒久的に定着するものと一過性で定着しないものがある。SEOは明らかに後者だ。

その理由はいくつかるのだが、その1つがGoogleの長期的戦略だろう。Googleが目指すものは世界的な集合知のデータベース化であり、そのデータ収集手段の1つとしてSEOなるものを何気に提唱して多くの人がGoogleの上位にランキングされることを目指して必死でSEO対策を考えた。結果としてGoogleが検索サイトの世界標準となり、世界中の多くの人に検索サイト=Googleを印象付けた。SEOは戦略ではなく戦術ということで、もうその役割は終わろうとしている。Googleは次の段階に入っているはずだ。

●罠   2008.3.15

社員を解雇するための罠がある。業務中に個人の趣味や遊びでインターネットを利用してはいけないという社内規定を作り、社内LANのログをとり、これをチェックするというもの。うっかり、とか、ついつい、とかいうことで仮にアダルトサイトや出会い系サイトにアクセスした暁には人事担当者から呼び出され解雇を言い渡される。これは業務上のことなので、個人の権利は認められず、裁判になっても会社側が勝訴する確率はかなり高いとのこと。

まあ、そんな姑息な罠を仕掛けるような会社はさっさと辞めて、新たな職場を捜すほうがいいのかもしれないのだが。

●愛社精神   2008.3.14

会社を愛することは決して悪いことではないのだが、溺愛して客観的に判断することができなくなる場合も少なくない。 そもそも会社というのは事業やプロジェクトを実行するために必要な「箱」である、愛すべきは事業でありプロジェクトであるはずが箱もの好きな日本人は箱のほうに興味があるようだ。しかし競争力も生産性が無くなった箱をいつまで愛していても意味はない。かと言って自力で事業を立ち上げるのは簡単なことではない。であれば新しい箱を捜したほうが早いだろう。

●我慢するか辞めるか   2008.3.13

会社の中で腹立たしいことが積み重なり我慢の限界に達したとき、それは辞めるときだろう。辞めたくないのであれば我慢も続ける。この2つしかない。我慢はしたくないけど辞めたくない。そういう人は社長になるしかないのだ。

●アフェリエイト-3   2008.3.12

そこで文中にリンク先の単語をうまいこと組みいれて誘導するということにもなるのだが、これには文章力も必要であり、そこそこ執筆に手慣れた人でも、それなりに労力を要する。であれば、何も1件数百円のために作文するのは割りは合わない。その労力を他の執筆業に投じた方がはるかに効率的だ。

さらにはスポンサーや代理店からの制限や要求が頻繁。ライティングだけでなくページ構成やデザインも考えなければならなくなる。てなことでごちゃごちゃ考える前に基本的なアクセス数を増やすことが先決のようだ。それに読者を欺くような誘導も気が引けるというもの。

●アフェリエイト-2   2008.3.11

よくアフェリエイトで月数十万儲かったなんて話があるが、それは極めて希なケース。希なケースだから話題にもなる。 宝くじに当たったようなものだろう。一般的にバナーをクリックさせるには1日のアクセスは最低1000程度は必要なようだ。しかもそのサイトへの訪問者の価値観やニーズに合ったものでなければならない。そこでのクリック率は0.0?%とかだろう。 ただ単純にバナーを載せただけでも何も全く効果が無いというのが普通のようだ。

●アフェリエイト-1   2008.3.10

このサイトの中にも一部文章の中に特定の企業サイトにリンクしている箇所がある。これは閲覧者がそのサイトにジャンプして資料請求やセミナーの申し込みがあった場合に、1件につき数百円〜千円代の報酬があるというもの。

最初はバナーを掲載したのだがクリックはゼロ。そこでクリックを誘導するように文中にリンク先を埋め込んだわけだが、そうすることで多少のクリック数は稼げた。ただしそこから資料請求やセミナーの申し込みを行うケースは無し。もっともこのサイト自体のアクセスが、あと2桁多ければ多少は効果があったかもしれないのだが。

●バイブル   2008.3.9

その昔「○○のバイブル」という言葉をよく聞いた。これが今では、例えば学校の教科書は多様化する価値観や急速に変化する世の中のパラダイムに追従できなくなりバイブルとしての価値は低下している。辞書にしてもしかりだ。世間一般で当たり前のように使われている単語の掲載は間に合わない状態になっている。印刷、製本という時間のかかる製造過程のせいもあるが、それ以前に1つの国家の中に普遍的に通用するバイブルを作ること自体が難しくなってきているし、バイブルを一途に信じているが故に新しい発想や提案が出なくなるという現象にもつながっている。今やバイブルと言えるのは聖書ぐらいではないか。

●ほうれんそう   2008.3.8

就職時に新入社員研修などで教わる言葉が「ほうれんそう」。つまり報告、連絡、相談ということ。ビジネスの基本ではあるのだが、これができてないケースも少なくない。ビジネスメールの中でも、報告とも連絡とも相談ともつかぬ愚痴めいたもの、感情や心境を垂れ流しているものだ。健全なビジネスメールでは、その内容のほとんどが「そうれんそう」のどれかに該当するはず。「ほうれんそう」の反意語は「はくさい」。反抗する、腐る、さぼる、言い訳する、だ。

●我慢   2008.3.7

普通に仕事のやりとりをする上で、細かい部分でカチンとくること、ムカつくことは多々ある。全く無いというのは極めて希だ。これはお互いの価値観や目的、スタンスやデータベースの量が異なる以上は仕方のないこと。また、これは一方的ということではなく、多くの場合は「お互い様」でもある。

これをお互いに我慢しながら進めていくことが、そのプロジェクトの成功にもつながる。お互いが細かい「ムカつくこと」にいちいち反応していてはプロジェクトは成功しない。我慢の数が信頼にもつながるというもの。

●駆け引き   2008.3.6

高度成長期のころ、バブルのころには駆け引きが巧みな人間にうまことやられたり、駆け引きを駆使して優位な立場を作ったりしたものだ。しかし現在では、成功している人、尊敬されている人の多くは駆け引きをしないようだ。おしなべて正直に素直な手法を展開する。

その場の議論で優位に立つ、1回の商談でより多くの利益を得る、優位に立つことで満足感を得る、というように、要は己が幸せになろうとしている人間は、やはりいつまで経っても不幸せのままのようだ。反対に、他人を幸せにすることに尽力する人間は幸せに見える。

●土壇場   2008.3.5

納期が迫る、仕事は終わらない、どう考えても確実に間に合わない、と、そんな土壇場になったときにキレる人間がいる。自分がもっと早く始めておけば間に合ったであろうその仕事。その責任と原因は自分にある。にもかかわれず、それを他人にせいにしようと必死で理屈を考える。そしてその理屈を自分で信じようとする。「自分で自分を洗脳してどうなるんだ!」という状況。

それでも他人のせいにして、「もっと早く資料を揃えてくらないから!」とか「元々この仕事はやりたくなかった!」とか「他にも色々と仕事があって無理はしてきたがもう限界だ!」とか「何でこんなことをやらなければいけないのか疑問だった!」とか、「○○さんは何もしていないのに、何で私がここまでやらなければいけないんだ!」とか。。土壇場でキレてる限りはプロとは言えないだろう。

●未練   2008.3.4

ウェブサイトをリニューアルする。完成したサイトを見てクライアントも満足している。ところが従来のサイトを更新していた担当者は、これが面白くない。自分でコツコツと更新を重ねてきたものが廃盤になり、もう今までのように多くの人に見てもらえなくなるからだ。そして「従来のサイトも平行して公開してもいいのではないでしょうか?」なんてことを言ったりもする。もちろんそんなことは有り得ない。すると今度は新しいサイトの問題点を捜してクレームをつけ始めたりもする。困ったものだ、未練たらたら人間。

●相容れない   2008.3.3

IT化が必須であることは分かっている。今までの価値観や考え方ではこの先立ち行かなくなることは分かっている。しかし実際にどのように改善、改革していけばいいのかということを具体的に考えていくと、そこに登場する単語のほとんどが相容れない。体が、そして本能が避けてしまい、結局は従来通りの選択をしてしまい、結果として大した改善が行われない。そんな中小企業の社長が少なくない。

●仮説   2008.3.2

人間にも製品にも仕事にも、付き合っていて、使っていて、遂行していて、どうしても分からない問題にぶち当たることがる。インターネットが普及した昨今では検索という手段で解決策や参考事例を捜すことはできるのだが、それでも分からない場合があるわけだ。

そんな時は仮説をたてるしかないだろう。もしかしてこうなのでは?とか、ひょっとしてこういうことか?とか。それが当たるかどうかは全くもって不明ではある。しかし毎回仮説をたてるように心がけていれば、それが当たる確率を高くなるというものだ。

●人間にも製品にも仕事にも   2008.3.1

人間にも製品にも仕事にも、それぞれメリットとデメリットがある。長所と短所、利点と欠点もある。それが絶対的な場合もあれば、付き合う側、使う側との相対的なものであったりもする。自分が購入した製品が上手く使えない、自分が選んだ仕事で思うような効果が出ない、コラボした相手と上手くコミュニケーションがとれない。そんなこともある。しかし完璧に要求を満たしてくれる製品、100%理想的な仕事、パーフェクトなパートナーなんてものは有り得ないだろう。必ず良い部分と悪い部分がある。

結果として良い部分が悪い部分を上回っていれば良しとする、というように総合的な判断をしなければいけないだろう。1つの欠点、デメリット、思うようにいかない部分を注視して、必要以上に問題視したり、暗い気分になったりするのはナンセンスというもの。

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