2008年11月

●知の混乱   2008.11.30
Googleの登録ページが一兆を超え、種々雑多で玉石混合の天文学的量の情報が氾濫している。集合知などと体裁のいい言葉が広まるのと平行して、無意味でいい加減で根拠の無い情報の中に正しい価値のある情報が埋もれてしまい、それを見極める、探し出す、ために膨大な時間を費やさなければならないという問題が広がっている。正しい情報を捜すという意志があればまだいいのだが、最初に出会った嘘の情報を信じてしまうという場合も少なくないだろう。知の集合というより知の混乱という様相のほうが色濃くなってきているようだ。
●無差別   2008.11.29
「自分が傷つかずに他人を傷つけたいという欲求を止める方法があったら教えて欲しい」というような人間が増えているらしい。何とも困ったことではあるのだが、そういった人間がインターネットを利用して考えられるありとあらゆる犯罪や犯罪に相当する悪質な行為を行っている。その矛先がいつ誰に向けられるか、それが彼らにとっては「誰でもいい」わけなのだから恐ろしい世の中になってきたものである。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●視聴率   2008.11.28
紅白も朝の連ドラもゴールデンのバラエティーもその視聴率の減少に歯止めがかからない。確かにコンテンツが「つまらない!」という問題もあるのだろうが、とにかく局側が決まった時間に視聴者をTVの前に座らせようとする身勝手な考え方のほうが問題だろう。今の時代、オンデマンドでないメディアに時間を合わせるようなヒマな人間はそうそういない。
●占い   2008.11.27
占いというものには科学的根拠は無い。科学的に説明できれば占いではなく学問になる。しかしこの占いというものを何の疑いも持たずに鵜呑みにする人間も多い。そういった人間は新興宗教や啓発セミナーやねずみ講などにも簡単に引っかかるのだろう。と、そういうふうにならない為に科学という学問を学ぶわけなのだが。占いに根拠が無い証拠に、ほとんどの占い屋は自分の売上げを予想できないわけだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●なりすまし注文   2008.11.26
ネットショップの最も簡単で悪質なのが「なりすまし注文」であろう。他人の住所と名前を使って代引きで高額商品を注文するというものだ。適当なフリーメールを連絡先にすれば認証の緩いサイトであれば比較的簡単にできる。しかも受け取りを拒否すれば誰が実害を受けるというわけでもないので訴えられる可能性も低いし、よほど大掛かりでもない限り警察だって動かないだろう。とはいえナマものなんかを受け取り拒否されたショップ側のダメージは大きいし、知らずに代金を支払ってしまう場合もあり、その商品の中身がアダルトグッズだったりすることも。。。
●トレース   2008.11.25
街頭アンケートやインタビューで二人連れに問いかけると、一人が答えたことと同じ事をもう一人が答えるという場面をよく見かける。二人目は一人目と全く同じことをトレースするかのように繰り返すだけだ。まあ、所詮人間の判断基準などというのはそんなもんで、熟慮したり深く考察するなどというケースは稀であろう。しかしそういった軽薄な判断もじっくりと考え自分の言葉で答えた回答もアンケートでは同じ1票にしかならない。まあ、選挙にしても似たようなものなのだから仕方あるまい。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●高齢者のパソコン利用率   2008.11.24
近年高齢者のパソコンとインターネットの利用率が急激に伸びているというのが総務省の調査結果のようだ。しかしこれは現実とはかけ離れているのではないか?昔から高齢者でもやってる人はやってるし、今でもできない人はできない。恐らく大半の高齢者は「やったことはある」しかし「自力でできるわけではない」という程度であろう。例えば電話アンケートで聞かれたとき、2000年ごろであれば「パソコンができる」などと答えるのはこっ恥ずかしいと思ったから「できない」と答え、最近は全くできないと答えるのもこっ恥ずかしいから「できる」と答えている程度であろう。
●多面性   2008.11.23
人間にも仕事にも多面性がある。色々と異なった切り口、違った角度で見ることでその多面性が見えてくる。それだけ複雑で理解するにも一筋縄ではいかない構造なのだ。しかしこの多面性をもった人間や仕事を、一元化、または二次元的に理論的に解釈しようとすると無理がある、というか不可能だろう。なんとか自分の分かる理屈のなかに納めようとすると、そのこと自体がストレスにもなる。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●楽して儲ける   2008.11.22
楽して儲けるなどということを考えている場合ではない。そんなもんはよほどの奇跡でも無い限りあり得ないだろう、今の時代。ということは多くの人は分かっているはずだ。にもかかわらず、ことインターネットに関しては「あり得る」と思っている人も少なくないのだ。ろくに更新もしないで費用もかけていないホームページがYahoo! の順位が落ちたとかアクセスが減ったとかで「コストをかけないで何とかしてほしい」なんてよくも図々しく言えたものだ。しかも「Yahoo! でトップに出るのが理想だが」とか。それは普通のアスリートが「五輪で金メダルをとるのが理想だが」と言ってるようなもんだろ。
●値切る   2008.11.21
いまどきパソコンショップなどでは値切る客は少なくなった。しかしウェブショップの中には、まだまだ値切る客もいるようだ。ASPで買い物かごなんかが設置されていても注文する前に安くならないか問い合わせてくるというもの。問い合わせてくればレスを書かなければいけない。これが何度も繰り返されればそこで人件費が発生し、元の価格で売ったにしても利益は少なくなるわけだ。ネットショップは運営経費をぎりぎりまで削減しているところも多い。単価の低い商品を値切ろうとする時点で、既に売る方はイヤになってるということを想定すべきであろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●値下げ   2008.11.20
ネットショップで商品が売れない。この際赤字覚悟で値下げを行う。ところが全く売れない。安くすれば売れるというのは実店舗での定石ではあるのだが、ウェブはそうそう単純なものではない。売れない理由としては、1.そのサイトが全く認知されていない。2.商品に魅力がなくいくら安くしても売れるようなものではない。のいずれかであろう。2の場合はさっさと止めるのが得策。
●キャンペーン   2008.11.19
ネットショップで商品が売れない。この際赤字覚悟でキャンペーンセールをやろう!ということで特価で販売したところがけっこう売れた。ところがキャンペーン終了と同時にパタっと売れなくなる。仕方がないのでまたキャンペーンを行いそこそこ売れる。終わると売れなくなる。そしてまたキャンペーン。こうして赤字を産み出すためのネットショップになってしまったサイトは少なくない。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●情報通信白書   2008.11.18
総務省の情報通信白書のデータをパワポに貼付け情報化についてさも有りがちなプレゼンをする人は少なくない。しかしだ。総務省のデータは普通は半年〜1年前のものであり、日本の情報化事情はアメリカから1年以上遅れている。またその集計をとりまとめる時間などを加味すると、だいたい2年遅れのデータということになる。半年毎に状況がドラスティックに変わっていくこのご時世に、そんな昔のデータを引っぱり出して現状を語るのはナンセンスだろう。昔の出来事として参照するならともかく、未来を語るにはあまりに説得力が無い。
●幸せとは?-2   2008.11.17
2.何かに没頭できること、とは仕事であり趣味だである。没頭するというのは、その世界に入り込むということであり、いわゆるバーチャルのことだ。 3.他人から認めら愛されること、とは金持ちになる、有名になる、ことで他人から尊敬されちやほやされること。そこで自分の確固たる存在感を認識し安心する。恋愛は特定の異性に無ければならない存在として認められることであり、友情とか家族愛もこの部類だろう。つまりコミュニケーション。 幸せになるキーワード。それはバーチャルとコミュニケーション。 では1.はと言うと、まあ、煩悩とでもしておこうか。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●幸せとは?-1   2008.11.16
人間は幸せになることも願い目指しているのだが、その基準には大きな個体差がある。しかし突き詰めて考えるとその根源は限られる
1.食睡性欲を満たすこと
2.何かに没頭できること
3.他人から認めら愛されること
大きくはこんなところだろう。何かやりたいコトというのは、これらのうちのどれかに必ず当てはまる。
●ターゲティング広告   2008.11.15
広告は無差別大量に打つものではなくなった。ターゲティングするのが常識になりつつある。だからTVのように(大雑把な分類はしているものの)ターゲットをきちんと絞っていない広告は無駄が多く、採算も合わなくなってくる。しかし正確なターゲティングするにはユーザーの詳細な個人情報が必要となり、ユーザー側の承諾を得ないとターゲティングできないというのが大きな問題でもある。全体的に個人情報の開示には抵抗がない人間は増えているものの、やはり全開!というわけにはいかないだろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●電話に広告   2008.11.14
通話の中に、又は通話者をターゲットとした広告は一部の試用的なものを除いては存在しない。ただし近い将来この常識は覆されるだろう。広告の投下する場所を必死で捜している人たちが沢山いるはずだからだ。未だに電話の通話は聖域であって広告の余地がないわけだが、聖域というより方法が無い、というのが実情だろう。その方法さえ見つかれば一気に通話という環境が車内吊りのような広告の花畑に一変する。とはいっても通話そのものの妨げにならない方法を考えるのは至難の業、のようだ。
●親指文化   2008.11.13
開発側から見ればケータイのUIは限界に達している。従ってタッチパネルという新しい試みもなされ、恐らく音声認識によるUIもその開発が進んでいることだろう。「かつて多くの学生が携帯電話を親指だけで操り短時間に大量のテキストを入力していた。」と言われる時代になるかもしれない。電卓の登場で珠算が実生活でのスキルではなくなったように、親指文化も1つの文化としては細々と継承さあれていくかもしれないが、どうだろうか。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●行けるんじゃないか   2008.11.12
新しい企画を他人に話したところ「お、そりゃ行けるんじゃないか!」と言われたときには、大抵は「行けない」。行けると思わせるのは、既存の成功例や実績をどこかで見聞きしているからであり、そう思われるということは既に多くの人が同じコトを考えているので、その企画は後発であり過当競争の中で埋没する可能性が高い。むしろ「そりゃ無理じゃね?」「あり得ないだろ!」「ばっかじゃねーの?」と言われるような企画のほうが成功する確率は高い。成功した先駆者の企画の多くがそうであったように。
●コメントとかトラックバックとか   2008.11.11
最近はブログのコメントとかトラックバックとかを書く人が減っているのではないか。通常のウェブサイトでもわざわざ意見や質問をメールするということは稀である。なぜ書かないのか?恐らく今までそういったモノを書いていた人たちはSNSの中で書いているのだろう、ほぼ確実にレス来るほうに書くのだろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●未来予測   2008.11.10
未来を予測するというのは簡単ではない。実績が無いから確証もない。あまり突拍子もないことを言うと誰にも信じてもらえないし、説得力がありそうでも理論的な裏付けが無ければ、やはり信じてもらえないだろう。逆に皆に信じてもらえる未来予測というのは予測ではなく予定だ。その予定をあたかも予測のようにまことしやかに話すことが上手い人間は沢山いるが、本当の予測をできる人間は少ない。
●独自の進化   2008.11.9
日本のケータイ事情のことだ。世界の動向を顧みず販売奨励金制度によって独自に進化してきたのだが、ここに来てそのシステムは頭打ちになっているようだ。何が問題かというと、ユーザーが所有している端末では、そのキャリアの帯域しか使えないということ。つまり「トヨタ車しか通行できない道路」みたいなものだ。これをオープンにしてどんな端末でも任意のアクセス方法を選択できるようにする、というのが世界的流れであろう。1980年代にNECやFujitsuが国内でのパソコンシェア争いをしている間にMicroSoftにOSのシェアをかっさらわれた時のように、例えばGoogleのAndroidにかっさらわれる可能性もある。DocomoやKDDIは、外来種が入ってきたときにカンガルーのように生き伸びられるか、タスマニアデビルのように絶滅するのか。。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●蟻地獄   2008.11.8
今までは人(蟻)通りのできるだけ多いところに、できるだけ大きな蟻地獄を作って獲物を待ち構える。そんな方法が主流だったが、どうもその方法には限界があることが分かってきた。蟻も利口になって避けて通るようになったわけだ。人(蟻)通りが少なくても、うっかり落ちてしまう確率の高いロケーションに小さな蟻地獄を沢山作る。それでもダメなら蟻地獄の蜻蛉の幼虫自らが外に出て蟻を捕まえる。そのくらいの工夫や努力が必要になるのだろう。
●釣り   2008.11.7
今までは立派な仕掛けと高級な竿を使って川面に糸を垂れる。そして大量の撒き餌をして魚を呼び寄せる。そんな方法が一般的であったが、どうもその方法には限界があることが分かってきた。竿や仕掛けはチープで構わないので、時間をかけて丹念に魚影の濃いところを捜す。そういう考え方になるのだろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●人通り   2008.11.6
ウェブサイトは人通りの多いところに設置しないといけない。いくら立派なサイトを作っても人が通らなければアクセスは期待できない。今まではサイトを作ってから客を呼び込むという発想が一般的であったが、どうもその方法には限界があることが分かってきた。では人通りの多い所とは?ということになるのだが、それは例えば楽天に出店とかいうことになるのだが、それでは面白くない。人通りの多い道に面してなくても、その付近に設置して、人の流れを引き寄せるということになる。の、だろうか。
●価値観の相違   2008.11.5
教科書に書いてある内容、政府が発表した内容、公の機関が定めた内容などなど、これらを「正しい」と信じている人が多いわけであるが、これだけ世の中の情報が錯綜し、一人一人の価値観や「信じるもの」が多様化してくると、全ての人に納得して信じてもらうことは難しい。結局は最大公約数的落としどころになるわけだが、その公約数の数値もだんだんと小さくなっているのではないだろうか。価値観の違いによって民衆を分類し、それぞれに異なった情報を提供する。 または情報の規制を強め価値観の相違を解消していく。のいずれかの指針が必要だろう、これからは。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●寄りどころ   2008.11.3
教科書に書いてある内容、政府が発表した内容、公の機関が定めた内容などなど、これらを「正しい」と信じている人に、それらの内容に逆らうようなコトを言うと、大抵の場合は眉をひそめられる。どこが違うのか、もしくはどこが現実に則していないのか、どこが時代にフィットしていないのか、ということを説明しても「言ってることは分かるが、何か違うんじゃないの?」ということになる。要は人間それぞれ「寄りどころ」があって、その寄りどころを肯定するとを基準に物事の賛否を判断するわけだ。寄りどころとなっている政府や教科書は立派なものである。
●鵜呑みにする前に疑う   2008.11.2
教科書に書いてある内容、政府が発表した内容、公の機関が定めた内容などなど、これらを「正しい」と信じている人が多いわけであり、多くの人に信じてもらい、その通りに考え行動してもらうことを目的としているのだから当たり前であろう。しかし教科書はバイブルでもなければ政府は神ではない。中にはちょっとした間違い、勇み足、勘違い、想定外、不可抗力、などもあるわけだし、根本的に発想のスタート地点がズレていたりすることもある。時には鵜呑みにする前に疑うことも必要だろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●パラドックス   2008.11.1
世の中の多くの人が正論と認めるような事を言っても面白くない。それは周知の事実であり新鮮さもオリジナリティーも無く、いくら自慢げに語ったところでタダの伝書バトだ。逆に「それはちょっと違うだろう!」と思わせるような意見は面白い。それをきっかきにした議論が周知の事実をレビューして、本当に正しいかどうかをもう一度考え直す契機にもなる。画期的な発明やアイディアの多くはパラドックスを起点に展開する。
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