2008年12月

●日本に住んでいるのに   2008.12.31
日本に住んでいるのに、なんでこんなに生活が苦しいのか!などという人間。そんなに苦しいなら他の国に移住すればいいだろう。もっと治安が悪い国、もっと税金が高い国はいくらでもある。一度経験した生活水準を落とすと途端に苦しいと感じるようだ。
●新聞-2   2008.12.30
そもそも90年代後半にインターネットが普及し始めた時点でもう新聞は終わるであろうことは普通に考えれば分かるはず。実際には各新聞社ともウェブサイトでの情報公開にはそれなりに力も入れているし、ワケの分からない情報が氾濫する中では信憑性のある貴重な情報源とも言えるのだが、いかんせん紙に頼り過ぎた。社内的にもインターネット部門よりも紙部門のほうが優遇されていたのだろう。世の中が大きく変わっている時期に過去の実績に頼りすぎると失敗するという事例だ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●新聞-1   2008.12.29
朝日に続き毎日と産経も半期赤字に転落した。「若者が新聞を読まなくなったから」だそうだが、逆に言えばインターネットに疎い高齢者層が購読することで食い繋いでいただけのことだろう。「情報が遅い・資源の無駄使い・内容の偏り」と情報三重苦の原始的メディアが生き残れるほうが問題だろう。
●自己中心   2008.12.28
自己中心の人間は、他人の言うことは聞かないが、自分の言うことを他人が聞かないと怒る。それがよっぽど凄い人間であれば許される場合もあるだろうが、大抵はそれほどでもない。そして自己中心的人間は自分の言うことを聞いてくれる人間だけを集めて組織を作る。その組織の大きさでその自己中心的人間のスケールも測れるというもの。社長さんは多かれ少なかれ自己中心でもある。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●自己主張   2008.12.26
日本人は控えめであまり自己主張をしない、などとも言われているが、実際は「しない」のではなく「下手」なだけではないのだろうか。自己主張するには、それなりの裏付けが必要で、他人にはないスキルや知識、経験やノウハウが無ければ自己主張をしてもタダの鬱陶しい目立ちたがり屋にしかならないのだが。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●営業   2008.12.25
営業の基本は相手の立場でモノを考えること。商品も売り込むにしても、自分を売り込むにしても相手が何を求めているのか?何をやりたいのか?ということを常に考え、反応を見ながら行動しなければいけない。いくら良い商品であっても優れた才能を持った人間であっても、やみくもに押し付ければ相手は引く、疑う、ウザいと感じるわけだ。
●失敗は成功のもと   2008.12.24
失敗して落ち込んでいる人間に対して「失敗は成功のもと!」なんて言うのは慰めのようでもあるのだが、実際にはあまりにベタでもあるが的確な表現でもある。失敗をしないでいきなり成功するなんていうことはほとんど無いだろう。失敗することを恐れてトライしないでいる限りは永遠に成功もしない。他人の失敗を指摘したがる人間ほどこの傾向が強い。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●スペルミス-3   2008.12.23
実際に1万字ぐらいのテキストを打てばスペルミスのひとつやふたつはあるものだ。問題は、それをいつ誰が発見するかということ。もちろん印刷前であれば問題は少ない。大量に刷ったあとに致命的(偉い人の名前、電話番号など)があった場合には費用的にも信用度でも相当なダメージを受けることになる。しかし致命的ではない単なる変換ミス程度は、誰にも気づかれないまま(その印刷物の)一生を終えることもけっこうあるものだ。
●スペルミス-2   2008.12.22
その理由のひとつが、受発注のタイミングや会社同士の関係、間に入った営業担当者の認識の無さである。そしてもうひとつが「スペルミスを発見されないため」である。ウェブ制作者はそれなりに細かくチェックを行うので、万が一今まで誰も発見していないスペルミス(誤字脱字)を発見されてしまった場合、時にそれが要因で、全部刷り直し!になりかねないからだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●スペルミス-1   2008.12.21
ウェブサイトを制作する際に印刷物を見ながらテキストを打ち込むという全くもって無駄な作業を行うことがある。今どきの印刷物は必ず誰かがどこかでテキストデータを打ち込んでいるはずだ。そのコピーを渡してもらえれば、ぐっと作業効率が上がり、コストを抑えることができるはず。しかし現実的にはこらが意外にも難しいのだ。
●好き嫌い   2008.12.20
一概には言えないが総じて仕事の出来る人間は食べ物の好き嫌いが少ない。食べ物の好き嫌いが激しい人間は特定のカテゴリーで高い能力は持っていても応力が乏しかったり他のカテゴリーへ踏み込む勇気が無かったりもする。一概には言えないが総じてそんなような気がする。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●ネーミング   2008.12.19
お笑い芸人のネーミングで検索時に非常に不利なものがある。「コロッケ」「オードリー」「火災報知器」「アジアン」などだ。なかなか出てこない。2ちゃんねるで話題にもなった「キングコング」は比較的出てきやすい。
●世界恐慌-3   2008.12.18
現在の世界恐慌はオイルショックやバブル崩壊よりもスケールが大きく世界規模のものであり、脱却するまでには相応な年数も必要となるだろう。2000年頃に始まったIT革命が間接的に影響していることも確かだ。専門家の間ではこのIT革命をきっかけに世界規模でのパラダイムシフトが起こり、そのピークは2015年ごろではないか?とも言われている。世界恐慌はその一環というかプロローグに過ぎないのかもしれない。いずれにしてもこれから先何年かの間に、今までの常識を覆すような変化がじわじわと起こってくるだろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●世界恐慌-2   2008.12.17
1929年の世界恐慌のとき、アメリカはニューディール政策、イギリスやフランスなどは植民地を利用したブロック経済でそれぞれ乗り切り、植民地の無かったドイツ、イタリア、日本がこの煽りを受けて戦争へと展開してまった。世界経済はそれまでの金本位制から貨幣本位制に代わり、戦争後はアフリカ、中東、南米、アジアの植民地が独立に向かい、1950年ごろまでの20年間に世界は大きく様変わりした。
●世界恐慌-1   2008.12.16
サブプライムローンから始まった世界的な不況は「世界恐慌」とも呼ばれるようになった。つまり1929年のニューヨークでの株価大暴落に匹敵するような深刻な状況ということだ。もちろん当時に比べれば色々と状況は異なるが、この恐慌がじわじわと世界に浸透していることは確かなようだ。金融、経済、流通システムが当時よりも遥かに複雑になっているぶん、じわじわと、だ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●web3.0とは?   2008.12.15
色々な見方が出てきたようだ。1つは「web3.0は動画である」というもの。ベタではあるが、だいたいあってる感じ。もう1つは「web3.0はSNSである」というもの。既にその傾向が顕著であるので、これはほぼ正しい。あとは「リアルも含めたコミュニケーションの見直しと改革である」というもの。どう転んでも「やっぱそうだっただろ」と言える巧妙な表現である。
●批判   2008.12.14
他人のやっていることを批判するのは簡単だ。「じゃ、おまえ代わりにやってみろ」なんて言われたときに「よっし、ではやってやろう」と答えるなんてことは考えずに批判する。特に最近のマスコミを見ているとそんな傾向が強くなっているのではないか。代替案の提示も、新しい提案も、改善の参考になるアドバイスも何も無く、ただ結果だけを見て「こうすべきだった」と批判しまくっている。そして問題が起こると「大変だ!大変だ!」とまくしたてる。だから2ちゃんねるで「マズゴミ」と言われてしまうのだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●Googleトレンド   2008.12.13
Googleトレンドである商品名を入れてみたところ、やや下降気味のグラフ。これをどう解釈するか。web3.0の時代になってググらない人が増えたせいであって、下降傾向はGoogleのせい?いや、日本ではまだまだYahoo! Japanの利用者が多く、それらがGoogleに移行しつつあるので対Yahoo! Japanという視点で見ればGoogle利用者は増加しているのでやはり商品に問題があるのだろう。というか景気が後退しているので消費者の購買意欲が下降しているので商品そのももの問題ではないのでは?いやいや実店舗での消費は後退しているがネット通販は順調なので、やはり商品に問題があるのだろう。ということでよく分からない。
●無責任   2008.12.12
ウェブ2.0とかの世界では自分の発信する情報に責任を持つ必要がない。誰でも自由にその信憑性や確実性とも関係なく好きなように情報を発信することができ、そこには検閲もなければ法的規制が及ぶ可能性も低い。もちろん受信するほうも、その情報をどこまで真に受け信じるかも自由なわけだ。ということで無責任な情報が氾濫してしまうことにもなる。ま、このコラムもそのようなものである。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●消費-4   2008.12.11
コンビニもネットショップも「決して安くない」という印象が強かったが、消費というものは商品そのものの価格だけではなく、購入に至るまでの総合的にかかる費用を考慮するという時代になってきたようだ。消費者が1ステップ、レベルアップしたとも言える。
●消費-3   2008.12.10
外出しない買い物ということではネット通販の売上げも堅調だそうだ。コンビニ同様、メールのやりとりや商品発送手配の人件費が含まれるため決して安いということでもないのだが、消費者自らが外出するよりはおカネは使わないで済む。また、商品を選ぶための時間もマイペースで無制限、時間をかけて特定の商品を日本で一番安く売っている店を捜すこともできる。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●消費-2   2008.12.9
「どんなに安い物でも買えばおカネは減る」ということだ。コンビニは商品数が限られているために無駄なものを買わないで済む確率が高い。コンビニでウインドウショッピングすることもなければ、買い物終わって一休み(コーヒーを飲む)なんてことも少ないだろう。安く商品を買うことより、買い物に出かけても無駄な消費をしないようにするという発想。徒歩や自転車で行けることも多く移動費用もかからない。
●消費-1   2008.12.8
金融危機の影響で消費者の財布の紐はどんどんと固くなっている、デパートや郊外型ショッピングモールの売上げが減少し、代わりにコンビニやディスカウントショップが伸びているらしい。ディスカウントショップはより安くという明確な理由があるにせよ、なぜ決して価格が安いというわけでないコンビニなのか。その理由は「どこに行くにも外出すればコストがかかる」ということだそうだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●タメ口-4   2008.12.7
とはいってもおおよその基準はあるようで、年収、学歴、資格、勤めている企業の株価や知名度、ブランド力、などなどだ。要はどれだけ多くの人間に必要とされ、尊敬されているのか、といったところだろうか。最も分かりやすいのは葬式のときに集まる人数なのだが、既にタメとかどうとか関係なく口はきけない。
●タメ口-3   2008.12.6
ではリアルの世界でタメ口きいていいのは誰?ということになるが、一般的には同僚、同級生、といったところだろうか。もっと正確に言えば、世間的なステータスが同じ位置の人物ということになるだろう。しかし実際には単純に年下の人間を見下し、年上の人間を必要以上に敬ってコミュニケーションする人も少なくない。 まあ、それが手っ取り早いし分かりやすいということにもなるわけだ。世間的なステータスを計ろうとするにも厳密な基準を設けるわけにもいかんし。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●タメ口-2   2008.12.5
SNSの中で専門家が発言をしなくなり、脱会し、レベルの低い素人の集まりになってしまうと、群衆の叡智ではなく、それは衆愚化したタダのゴミ捨て場みたいなものだ。素人が沢山集まる事によって専門家とは別の意味での能力を発揮することもあるが、そうではないカテゴリーも明らかに存在する。リアルな世界で発言力のない、経験や知識のない、組織に馴染めないような人間は、SNS内でも専門家にタメ口をきくような行為は控えたほうがいいだろう、といっても相手の素性がわからないのではどうしようもないか。
●タメ口-1   2008.12.4
mixiなどのSNS内では匿名であると同時に年齢やスキル、経験値や学力、そのカテゴリーにおける専門知識や能力もすぐには分からない。従って暗黙の「平等」意識みたいなものがある。ということは、その分野での権威とも言われるような人に対して、高校生ぐらいのガキがため口で話かけ、時に安易に批評したりすることもある。リアルではあり得ないことでもあるのだが、こういった状況になると、専門知識を持った人間にとってはバカバカしくていちいち対応はしてられない気分にもなるというもの。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●日本語-3   2008.12.3
日本人が外国に行ったときには英語を喋らないといけない。だから外人が日本に来たときには日本語を喋れ!などという日本人がいる。しかし日本に来たドイツ人もロシア人もオランダ人も英語を喋っているのだ。彼らの母国語は英語ではない。日本では英語のほうが通じるから、あえて母国語ではない英語を喋っているのだ。にもかかわらず国際的には極めてマイナーであり難易度も高い日本語を喋れなどと全くもって勝手な言い方だ。そういうことは言うのは国際感覚の欠片もないタダの頭の悪い田舎者だ。
●日本語-2   2008.12.2
外人が日本に来た時に「日本に来たならば日本語を喋れ!」などと言う人間がいる。そういう人間が海外に行っったときに、その国の言葉を喋れるかといえば、絶対に喋れない。こういうことは言うのはタダの頭の悪い田舎者だ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●日本語-1   2008.12.1
麻生総理が漢字の読み間違いを連発しているようだが、このことがどの程度の問題であるのかはさておき、日本語の読み間違いや誤字脱字に対して鬼の首を取ったように指摘している人間の多くは日本語しかできない人間である。2カ国語以上喋れる人間はこういったことに対していたって寛容である。
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