2009年6月

●失敗と成功-5   2009.6.30
スタート時点での商品の選択を誤れば、いつまで経っても成功はしないだろうが、正しい選択をしたのであれば、あとは根気と工夫次第で成功に導くことはできるだろう。いずれにしても公開後半年や一年で「売れない…」と言って諦めるのは時期尚早。まあ、リアルの商売でも同じだが、継続が力となるわけだ。逆に公開直後に爆発的に売れたというのは極めて稀な例か眉唾物のどちらかであろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●失敗と成功-4   2009.6.27
そう考えてみると、ネットショップで最初に目標を設定するのは、あまり意味が無いようにも思える。顧客がついてリピーターが訪れて、明らかに利益を産み出すようになるまでには時間もかかる、もちろんそのサイトで扱う商品の種類やカテゴリーにもよるが、1〜2ヶ月で成果が出るものではない。ときには3〜5年かかることもある。しかしその3〜5年の間は、それなりにメンテ、更新を続けなければいけない。となると公開当初と3年後ではサイトの構成や商品の種類も様変わりすることもある。
●失敗と成功-3   2009.6.26
では売上げというのはどうか。販売件数、販売金額、純利益などの目標値を掲げることになるのだろうが、これも規模が小さければ小さいほど、いかようにも捏造、いや、見かけ上の辻褄合わせは可能だろう。入場者数目標1000人のコンサートで出演者が家族や友人に動員をかけるのと同じようなやりかたをすればいいわけだ。さらにウェブの場合はコンサートと違って家族や友人以外にも動員はかけられる。低価格の商品やサービスであれば難しいことではない。既存のSNSの中で宣伝、関連するBlogを検索してDMする、というような方法もあるわけだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●失敗と成功-2   2009.6.25
ネットショップではどうだろうか。と、考えると、これがなかなか難しい。特に小規模なサイトの場合、目標を掲げても、それを見かけ上クリアする方法が色々とあるからだ。アクセス数などというものは専用のスクリプトを組んで巡回させれば、あっと言う間に稼げるし、どこかのコミュニティーを使ってアクセスだけを促すという手もある。サイト内のテキストに内容とは全く関係ない旬な有名人の名前を一時的に埋め込んでもアクセスは上がる。最近は見かけなくなってきたが、カウンターなどというものは、いかようにも調整できるものでもある。
●失敗と成功-1   2009.6.24
日本においては企業や省庁、自治体のプロジェクトが明らかに失敗だろ!という場合でも「それなりに成功した」とか「失敗したとは言えない」というように対外的には発表する。メンツを保つということだけが原因ではなく、最初に目標を掲げて公開しないことが、そもそもの要因だろう。明確なコンセプトが無く、「何となく」「予算を消化するため」「他がやっているから」というような安易な発想でスタートするからいけないのだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●商用Blogと商用SNS-5   2009.6.23
オリジナルのSNSやBlogを構築したがるもう1つのい理由は、データ管理を自前でできる安心感であろう。既存のものでは、まあ、滅多にあることではないが、投稿したデータが消えてしまう可能性もあるわけだ。しかしよおっく考えてみよう。大切なのはタイムリーな投稿であって、アーカイブスではない。今のニュースとこれからの情報が必要なわけだ。過去のデータが消えたからって、それほど問題ではないだろう、とまあ、その内容にもよるが。 というかそれ以前に、BlogにしてもSNSにしても、まずはテキストファイルに打ってからコピペして、テキストファイルは自分でバックアップしとけよ!ってことだ。画像にしても然りだ。
●商用Blogと商用SNS-4   2009.6.22
または会員数は少ないが商用利用が許可されているSNS、FIDELIなどを利用する。またBlogであればPressBlogなどを利用するという方法もある。とにかくSNS内での告知はGoogleのような広大な海の中に釣り糸を垂れるのではなく、最初から魚影が見えているところに糸を垂れるわけだから、そのヒット率は圧倒的に違うわけだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●商用Blogと商用SNS-3   2009.6.21
オリジナルのSNSやBlogを構築しないといけない理由は他にもある。まずは既存のSNSは基本的に商用利用は禁じられているということ。Blogのほうは、そのへんの縛りは薄いようではあるが、成り済ましや実際にスポンサーから報酬を受けていて問題になったりもする。ではどうするのか?直接営利目的にならないような方法で告知するという、いかにもグレーなやり方ではあるが、利用規約をよく読んで抵触しない範囲で考えれば間接的な告知や紹介は可能かもしれない。
●商用Blogと商用SNS-2   2009.6.20
BlogやSNSを持つというと、社内で専用に構築しようとする動きが生じる。ビジネスチャンスとばかりに、そういったシステムを開発して売り込もうとするベンダーも登場してくるわけだ。しかしよく考えてみよう。単独で公開されたSNSやBlogにどうやって集客するのだろうか?既存のSNS(mixi、greeなど)や既存のBlog(livedoorやYahooなど)は既に膨大な数の利用者が同じコミュニティの中に存在する。だから集客力が期待できるわけなのだが。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●商用Blogと商用SNS-1   2009.6.19
2006年に総務省の担当者が「これからはホームページ同様、SNSやBlogを持っていない企業は生き残れないだろう」と言ったとか。いかにも理論だけで物事を考える役人の言いそうなことだ。商用Blogと商用SNSがより普及していくことは確かだろう。しかし肝心なことはタイムリーに利用者が欲する情報をアウトプットできるかどうかであって、その方法はホームページだろうとBlogだろうとSNSだろうと構わないはず。発信するコンテンツの質の問題だろう。
●その場限り   2009.6.18
知名度の低い一般人のBlogのアクセスには波がある。ある日突然増えて、その余波が2〜3日あり、また元に戻る。逆に極端に少ない日が続くこともある。要するに定期購読する人がいないということだ。何かの拍子でどこかで紹介されたりしたときにアクセスが増えるというだけのこと。もっとも読むほうの立場に立てば、同じようにBlogをその場限りの拾い読みをしているわけだから文句は言えまい。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●そのまま使えよ   2009.6.17
ウェブサイトを作る時、そのクライアント企業が今までに制作してきたフライヤー、カタログ、ポスターなどの中に、そのままデザインとして、資料として転用できるものが意外と沢山あるものだ。しかし志の低いウェブ制作業者は、そのような資料は見て見ぬフリをする。なるべく最初から作ったほうが制作費が高く見積もれるからだ。
●欲しいものと必要なもの   2009.6.16
欲しいものと必要なものは違う。趣味や道楽であれば欲しいものだけ買っていればいいのだが、仕事の中でこの区別がつかないというのは困ったものだ。不要な経費ばかりがかさむことになる。彼らは自分が欲しいと思ったものに何かと理由をつけて必要なものに見立てる。しかし、その前になぜ「欲しくなったか」ということは自分では分かっていなかったりもする。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●ウェブサイトの数   2009.6.15
世界のウェブサイトの数は2006年には1億で、2009年には2億だそうだ。つまり2006年にGoogleで100件中トップに表示されていたサイトは、2009年にトップになるためには200件中のトップにならなければいけない。しんどいわけだ。
●Twitterのどこが面白い?   2009.6.14
と思う人も多いだろう。簡単に言えば他人のつぶやきをフォロー(追従)することのようだ。これが単に楽しいでけではなく、最前線の情報収集の手段になったり、未来予測のためのヒントにもなったりするとのこと。まあ、編集されていないリアルタイムのドキュメンタリーを見るようなものだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●不況だからといって   2009.6.13
今までと同じように制作することが確定したウェブ制作の仕事だけを請けようとすると仕事が減ったという感じがするだろう。請けられるかは分からない、プロジェクト自体が採択されていない、あくまでも提案用、といったような制作費が貰える可能性が不明、低い、ほとんど無い、といったような仕事もやってしまうようにしないとダメだ。例え無報酬でも確実に己のスキルアップには繋がる。同時に依頼した相手に借りを作ることにもなる。そうやって不況の間に色々と蓄えておくことが大切。
●不況で仕事が減った   2009.6.12
不況で仕事が減ったというウェブ制作者もいるようだが、そこは「靴のセールスマン」の考え方で、不況になって経営方針の変換を検討したりリアルな部分での投資をバーチャルに切り替えるケースが増えることでウェブの仕事が増えてくるということにもなる。どんな業種でも不況はチャンスにもなる。今までと同じことを続けて同じように報酬を得ようとするから仕事が来なくなるだけだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●オリジナル   2009.6.11
オリジナルを産み出すというのは非常に難しい。それに比べ、ひな形を使って作るとか既存のものをトレースして何かを作るということは非常に簡単だ、成果物を比べただけではその差はわからない場合が多いが、そこに至までの苦労は雲泥の差がある。つまりオリジナルでないほうがはるかに効率が良いということにもなる。だからといってオリジナルを作ることを避けていたのでは、技術は進歩しても脳みそはさほど進化しない。
●暴走   2009.6.10
私はたまに暴走するから…と言うのだが、実は誰でも何かに没頭したときには思考が暴走する。要は暴走したときに、安直にもそのまま出してしまうか、一度冷静に考え直して修正してから出すかの違いである。つまり制御装置の性能の問題なのだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●主語   2009.6.9
主語が無いメールが来ることがある。書いた人間は自分が分かっているからその意味が分かるのだが、読んだほうは全くチンプンカンプンだ。色々と思考を巡らせた結果がそのような文面となって送信されるわけだが、送信する前に自分で読み返してみて、客観的に読んだ人間が理解できるかどうかを確認して欲しいものだ。といっても、そういうメールを書く人間は会話においても同じようなアウトプットをするのだから、それを文章に求めるというのは難しいリクエストなのかもしれない。
●メールの引用分   2009.6.8
引用文の分、がメールに延々と引っ付いていて、それが過去の何度かのやりとりを全部引っ付けて無駄な行数を占領している。ま、今時のBB時代にはどうってことも無いわけだが、これがケータイで見ると迷惑なものでもある。少なくともパケホーダイでない人にとっては、この不要な引用部分の受信時の通信費を自分で払わなければならない。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●デザインとファインアート-2   2009.6.7
ファイナートとは作品と作者との対話であり、その制作過程での試行錯誤や意識や感情の変遷を堪能するものである。だからその作品の評価とか価値は、そのプロセスを経た後の残骸みたいなものである。その残骸に必要以上の執着心と愛情を注ぐ必要はない。さらにはそこに金銭的価値を望むなどというのは言語道断。それを望むのであればアーティストではなくデザイナになれ。
●デザインとファインアート-1   2009.6.6
デザインとファインアートの違い。デザインには常に「お金」が絡む。つまりデザインを提供したクライアントからお金を貰うことができるわけだ。商用ということになる。だから常にお金を出してくれる人を満足させるような仕事をしなければならない。ところがへんにクリエーターぶって、自分が満足するとか納得することを求めるデザイナもいる。そういうのは本当のデザイナではない。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●考える事   2009.6.5
パソコンができない人の多くは自分の歳のせいにする。たしかに若いほうが脳みそに柔軟性があり吸収力も良い。しかし根本的には「自分で考える事」ができるかどうかが問題。考える事をしないでパソコンが何でもやってくれるだろう、と、常に受け身でいると年齢とは関係なくコンピュータの操作はできないということになる。
●起承転結   2009.6.4
会話でも行動でも起承転結が必要だ。いつ始まって、どう展開して、どう終わるかが分からないまま永遠と自己満足と垂れ流しを繰り返すような人間は、初対面では「面白いヤツ」だが、2回目以降は「垂れ流し人間」と思われるようになる。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●ワンクッション   2009.6.3
思いついた事を次から次へと口に出す人間がいる。ブレストの場であればそれでも良いのだが日常生活全てでそんな調子だと周りから敬遠されるようになる。思いついたら口に出す前にワンクッション置いて、その思いついた事を口に出すことで、それを聞いた人間がどんなふうに思い、どう考えるかを想像してから口に出すべきであろう。それが賢いと思われるかどうかの基準になる。
●GMが破産法適用を申請   2009.6.2
ヨーロッパのカーデザイナーがアメリカのカーデザイナーのことを「彼らはインチ単位で設計している」と皮肉った。もちろん車の図面はミリ単位で書かれているのが普通だ。それだけ大雑把に作られているということだったのだろう。と、この話はもはや20年前のことだ。当時のアメリカ車は、造形を極めたヨーロッパ車や精度とコストを徹底した日本車に比べて全体的にアバウトな感じであり、それでもアメリカ国内ではそこそこ売れていた。その後、日欧の技術やコンセプトを見習い、かなり改善はされてきたが、時既に遅し。図体が巨大なだけにタイムリーな対応もしづらかったのだろう。いずれにしてもクウォリティの高い商品を作らない限りは健全な再生は難しいだろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●怪しい企画書   2009.6.1
ある企画書を見せてもらうと、その内容は「地球上から全ての核を廃絶して全ての人類が平和に暮らせる世界を作りましょう」的な、「なことできれば誰も苦労しない!」机上の空論、現実を無視した理想論である。こんな企画書を誰が真に受けるのだろうか?いや、真に受ける人間がいるからこういう企画書が存在するのだろう。しかしここまできな臭いとプロジェクトの企画書というより新興宗教の勧誘パンフだ。
過去記事

メニュー



























.