2010年3月

●理論と感性-4   2010.3.31
しかし、例えばInternet ExplorerとGoogle Chromaを使い比べてみると分かる通り、IEは高機能でボタンの数も多いのに対してchromaは機能こそ多くはないが、シンプルなだけに使い易さ、分かり易さはIEを凌いでいることが理解できる。ものづくりにおいて、必要な機能を増やしていくことは比較的簡単だ。追加すればいいわけなのだ。逆に、シンプルにするために機能を削って必要最低限なものだけに絞り込んでいく作業は意外にも難しい。ユーザーのスタンスに立って、使用するシチュエーションや感性をイメージしながらの作業にもなるわけだ。つまり、この作業を怠る、スルーすると、多機能で煩雑なものになってしまうということだ。
●理論と感性-3   2010.3.30
工業製品は産業革命によって生まれたわけだが、1960年代になって、ようやく工業デザインという概念が生まれた。ウェブの場合はそこまでの時間差はないが、それでも現状は技術主導で進行していることは確かだろう。ボタンやリンクテキスト、その他の補足説明分やリンクの辿る道筋を増やすことは「これを追加すれば、こういう場合に有効になる。」というように理屈が成り立つわけだ。逆に、そうすることで「煩雑になる」「わかりにくくなる」「使いづらくなる」というのは、感覚的な問題なので、なかなか理論的な説明ができない。それだけにこういった意見は説得力が弱い。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●理論と感性-2   2010.3.29
従ってオンマウスで補足説明のコメントが出る前に、そのようなコメントが無くてもわかるように、その形状や色、大きさ、ページ上での配置、表示される 文字の表現などを考えるわけだ。これはユーザビリティや人間工学の基本でもあるのだが、現在のインターネットは、そういったデザイン的な概念よりも前に技術が優先して進歩、普及してきた。なので、あくまでも機能や論理が重んじられ、人間の感覚的な使い勝手は後回しにされてきた。理屈で説明できる「技術」が信仰され、感性やセンスがなければ理解してもらえない「デザイン」の部分は軽視されている。ウェブの制作者の多くが技術者であることも影響しているとも言えるだろう。
●理論と感性-1   2010.3.28
あくまでも基本的な考え方であり、例外も沢山あるが…ウェブのコンテンツは最終的に閲覧者に見て(読んで)もらいたい核となるコンテンツと、そこに誘導するためのナビゲーションに分けることができる。核のほうは、制作者が自分の意見や考え方、オリジナリティなどを表現する場なので、その書式や形式に制限や規格はないだろう。しかしナビゲーションの部分は、いかに簡単に分かり易くシンプルであるかが重要になる。例えば「ボタン」もナビゲーションの一部であり、そのボタンをクリックすることで何が起こるのかをできるだけ簡潔に表現する必要があるわけだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●情報   2010.3.27
情報は発信するだけでは意味は無い。相手に伝わったかどうかが重要なわけだ。「言ったはず」「送ったはず」ではダメなのだ。きちんと相手が受け取ってその内容を理解したことを確認しなければ情報を発信する意味が無い。「言ったはずなのに、ちゃんと聞いてなかったんじゃない?」などと後から受け手を非難しても始まらない。受け手が受けて理解したことを確認しないアンタが悪いのだ。まあ、そもそも思い付きと垂れ流しに発信された情報などというものは、そうそう理解してもらえるものではないが。
●プロのクリエータ   2010.3.26
クリエータは芸術家ではない。もちろん芸術家としてのスキルや感覚は兼ね備えている。芸術家と違うところは、プロとして、クライアントの要求をできるだけ満たすための創作活動をするということだ。これができなければプロのクリエータではない。プロになる途中で頓挫し挫折し離脱していく「クリエータを目指していた人間」は少なくない。彼らは、ちょっといい仕事ができた段階で「作家先生」の気分になってしまったのだ。クライアントの要望通りにやればいいものを、そこに自分の表現を無理にねじ込もうとした結果がNGとなり、何度もやりなすハメになる。しかし気分は「作家」なので、クライアントに対して「何であいつらオレの作品の良さがわからないんだ…」という思考になる。クライアントにしてみれば作品の良さとか芸術性以前にビジネスとしての条件や環境に見合ったものを要求しているだけなのだが。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●強行突破   2010.3.25
キリスト教徒とイスラム教徒が地球上の「神」を1人に統一しようという会議をしたとする。絶対にまとまるわけがない。プロジェクトを進行する上でも、全ての人が納得できる落としどころが「有る」場合と「無い」場合があるのだ。誰かが非難を浴びて裏切り者呼ばわりされる覚悟で強行突破しないと結論には達しないこともある。話し合いを重ねれば良いというものではない。
●ボタンの数-3   2010.3.24
だから、極力ボタンの数を増やさないように必死で仕様や使い方を考える。これは企画者、デザイナ、設計者の仕事でもあるのだが、ウェブの場合には、あまりにも簡単にボタンの数を増やすことができてしまうために、企画者もデザイナもプログラマもボタンの数を最低限にするという努力を怠ってしまう。まあ、簡単に増やせることはウェブのメリットでもあるのだが、例えばTVやDVDのリモコンのボタンの数はただでさえ多過ぎて使い方が分からないものが、さらに増えるとなれば余計に分からなくなる。ウェブページだって同じことだ。同じってことはないだろ?と思う人もいると思うが、それは使い方が分かっているからそう思うだけだろう。リモコンだって使い方が分かっている人間にとっては決してボタンの数は多くはないのだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●ボタンの数-2   2010.3.23
TVのリモコンのボタンを増やす場合、例えば4個増やすとしよう。人間工学的にボタンのサイズや間隔には最低限の基準があり、それより小さいものは使えなくなる。ということは従来最低限の外形サイズのリモコンにボタンを増やす場合には外形サイズが大きくなることは避けられなくなる。そうなると、リモコンの外装部品を新たにデザイン設計しなければならない。これには新規にデザイン設計費用と金型代が発生する。基板も書き替えなければならない。そこにも回路設計費用が発生し、基板の板取りも含めた部品単価が上昇する。工場のラインでの検査用機器も新たに設定、または新規に設計しなければならない。梱包箱やパッキン等の緩衝材、取扱い説明書も新たに作成、印刷する必要がある。つまりトータルでうん千万の新規費用が発生するわけだ。
●ボタンの数-1   2010.3.22
ウェブページのボタンやリンクしているテキストの数が多すぎるということは何度か書いたが、どうもこのことが感覚的に理解できない人間が多いようだ。多ければ、それは高機能ということにもなり、使い方さえ分かれば便利になることは確かだ。しかしそれは使い方が分かっていることが前提であり、サイトを訪れる人の大半は使い方が分かっていないと考えるほうが自然だろう。自分を基準で物事を想定することは簡単だが、世間一般、普通の人の感覚や価値観、初心者とか経験の無い人のスタンスで物事を想定するのは難しい。その難しいことを怠った結果、ボタンが増えるってわけだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●パクる   2010.3.21
長年ウェブデザインなる仕事をしていると、「パクられた!」というサイトを発見することもしばしばある。パクるどころか画像データをそのままコピーして使ってやがったりもする。しかし、だからといってそのことを追求したり訴えたりという気にはならない。なぜならば、そういったサイトは間違いなくデザインのレベルが低く、パクった部分が全体のバランスや構成において有効に機能して利益をもたらしているとは思えないからだ。部分的にパクったところでデザインのクウォリティが上がるわけではない。デザインというものは、あくまでもトータルでのバランスの上に成り立っているのだ。
●CI   2010.3.20
コーポレートアイデンティティ(CI)というものがある。そして多くのクライアントはこのCIなるものを理解していない。ロゴマークをデザインしたところで、その色を勝手に変えるわ、ロゴ自体に手を加えて、酷いのになると吹き出しつけてセリフ入れたりする。いったい自分たちの会社の意義や社会的役割、存在理由をどう考えているのだろうか。まあ、企業コンセプトやコアコンピュタンスの重要性に体する認識が無いから、きちんとマーケティングもしないで衝動的に違う畑に手を出して玉砕するんだろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●新着情報   2010.3.19
自分たちでも更新できるようにしたい。ということで「新着情報」なるページを作る。CGIやPHPをどっかから捜してきて何とか安くで作るのだが、多くの場合、結局は自分たちで更新はしない。このような記事を投稿してほしいとの内容のメールが来て、それをこちらで投稿するハメとなるのだ。メール書くもCGIで投稿するも手間はあまり変わらんだろ!と言いたいところではあるが、なぜか自分たちで投稿はしないのだ。だったら最初から「自分たちでも更新できるようにしたい。」なんて言うなよ。
●社長   2010.3.18
社長とアポをとる。これがけっこういい加減だったりする。その会社の担当者であれば訪問した際の段取りやスケジュールはきっちりとしているのだが、社長が直接窓口だと、何だか分からんが訪問した時のその場その場での行き当たりばったりの行動を余儀なくされることが多い。そもそも社長という人種は独善的でありロマンティストであり我がままであり、人の話は聞かずに自分の思い描いた構想ばかりを説明したがる。だから社長は社長じゃなくなった時には、現場で役に立たないめんどくさいヤツになってしまうのだろう、だから仕方なく社長をやっているのだろう。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●片付けの出来ない人間-2   2010.3.17
計画性がなく片付けの出来ない人間は「物を増やす」という特性がある。「物」を衝動的に買う、貰う、拾う、借りる、ダウンロードする、というもので、このことによって当然のことながら物が増える。物が増えた場合は当然のことながら、今までの物を含めた整理という作業が発生する。その作業とは新たに増えたものを置くための新たなスペースを確保する、又は増えたものに対して不要な物を廃棄し相対的な量を増やさないようにするのいずれかだ。この作業を怠る、またはそういった作業の必然性を理解していない場合に「片付けの出来ない人間」ということになる。
●片付けの出来ない人間-1   2010.3.16
片付けの出来ない人間。部屋の中もデスクトップもぐちゃぐちゃ。本人曰く「そういう性格」なのだそうだ。しかし片付けをしないことによって明らかに生活や業務に支障を来している。「性格」とかではなく「怠慢」なだけだ。もっと言えば衝動的で「計画性」が無いということ。「計画性」は人間のアタマの善し悪しを計る基準でもある。つまり「アタマが悪い」ということにもある。いや、そう言い切ることできないにしても、そう見られることはあるということだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●回す   2010.3.15
「チャンネル回してください」という言葉が今でも使われているが、これはがちゃがちゃとツマミを回してチャンネルを変えるTVが主流だったころのなごり。「はい、カメラ回りました」と、これは今でも普通に使われるが、どこもメカ的に回らないカメラが主流になりつつある。「VTRスタート!」のVTRはVideoTape Recorderのこと。ライブでない限りはほとんどの映像はRecordedであり、Tapeは使われなくなる方向であり、Videoという言葉は家電売り場から消えようとしている。ちなみにDVDのVはVideoではない。
●一眼レフ   2010.3.14
一眼レフのデジカメを使おうとして「あれ?画面が出ない?」と液晶を指差す。「あ、それは撮影してからでないと表示されないんですよ。」と説明するのだが解せない様子。「とりあえず撮ってみてください。」と言うと腕を伸ばして遠くからファインダーを辛そうに覗いている。「えっとですねぇ、カメラに目をくっつけて覗くんですよ。」と言うと不思議そうな顔でカメラを顔に近づける。その昔、デジカメの液晶を目にくっつけていた人とは逆の現象がいま起こっている。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●デジタルデバイド-2   2010.3.13
そうしてみると、本当にインターネットやコンピュータが人々に何らかの利益をもたらしたのか?ということさえも疑問に思えてくる。仮にインターネットもパソコンも無かったとしても、我々もきっと生きていただろう。IT云々というのはごく一部の人間が仕組んだどっきりカメラみたいなものだったのかもしれない。利益をもたらしかどうか?という点でも景気や経済動向の影響のほうがはるかに大きく、インターネットができるからといって不況にも微動だにしないような確固たる砦が築けたということでもなかろう。
●デジタルデバイド-1   2010.3.12
IT革命と言われていた2000年ごろ、地域の商店や製造業、農家などの第一次産業に携わる人たちのデジタルへの関心の無さと、意識の低さにはびっくりしたものだ。パソコンとファミコンとワープロの区別もつかなければ、インターネットなどというのは犯罪の巣窟であり、コンピュータは宇宙人が使う道具ぐらいにしか思っていなかった。このままでは情報弱者となり世の中から取り残されてしまうのでは…と心配もしたわけだが10年経ってみると、基本的に彼らのスタンスは変わっていない。10年前に「パソコンやインターネットなんて、無くても生きて行ける!」と豪語していた通りに今でもちゃんと生きている。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●中級意識   2010.3.11
日本人は中級が好きだ。1000円、750円、500円と3種類の定食があれば750円が一番売れる。例えばケータイにしてもパソコンにしても多くの人は中級機を買って使っている。それが最も安全でリーズナブルのように思えるからだ。また他人と同じでありたいという横並び意識と農耕民族のDNAがそうさせているのかもしれない。ところが実はケータイもパソコンも中級と思って使っている機種は中級ではなく上級なのだ。前記のような心理を上手く利用して、中級機の位置付けを上級機の方向に強引にシフトするという業界とメーカーの戦略なのだ。でなければ使うことのない機能がこんなに沢山ついてるはずはない。
●バッテリー(2)   2010.3.10
電力であれば、仮に電力1社が供給不能になっても他の電力会社がその分をある程度は賄うことも可能だが、バッテリーの場合はそうもいかないだろう。そういう意味では単1、単2、単3電池という規格は画期的であったようにも思えるのだが、世の中のデバイスがこれだけ軽薄短小化してくると、スペースファクターが悪い円筒形のバッテリーは敬遠されて当然。とはいえ今のようにバラバラと無数の形状のバッテリーが混在している状況は非常に効率が悪く、エコにも逆行する。何とか統一規格化してほしいものだ。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●バッテリー(1)   2010.3.9
生活水準が高度化すると家庭や事業所で使うデバイスも高度化、複雑化してくる。もし何らかの原因で電気が供給されなくなったとすると、経済や産業だけでなく、人間の命までもがその存続の危機にさらされるであろう。しかしこのことは自治体も関係省庁も企業もある程度シュミレーションし、予測し、それなりの対策は考えていることだろう。だがバッテリーについてはどうだろうか?ケータイ、ゲーム機、デジカメ、iPod、医療機器や自動車まで、多くの生活に密着したデバイスがバッテリーで駆動している。しかもそれぞれそのデバイス専用の形状、仕様になっているので転用は難しい。
●情報弱者   2010.3.8
インターネットを普通に使っていると、どんな世界の、どんなカテゴリーの、どんな人たちの情報もすぐに入手できると思われがち。しかし実際に「現場」に行ってみると、そうではないことが分かる。インターネットを通じて情報を発信できるのはごく限られた人たちであり、残りの多くの人は自分の思いや問題、置かれた状況や環境、その他諸々の自分のことや地域のことを発信できないでいる。情報を入手できない情報弱者も少なくないが、情報を発信できない情報弱者のほうがもっと多いはずである。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●制作者の視点   2010.3.7
インターネットの世界ではコンテンツを作るために色々な役割がある。プランナ、プログラマ、デザイナ、プロデューサ、ライター、などなど。しかしこういった人たちの間で仕事をしていると、ついつい忘れがちになるのは「インターネットは情報発信している人より、見るだけの人のほうがはるかに多い」ということ。制作者の視点でブログは「誰でも書ける」とか「ホームページはちょっと勉強すれば誰でも作れる」などと思ってはいけない。
●動画編集   2010.3.6
単にストリーを繋げるために各シーンを切り取ってつなげていく。これはその手順さえ理解していれば誰にでもできる。しかし編集で「魅せる」映像に仕上げていくには感性やセンスが必要だ。それと執拗さとこだわり。それと客観視と潔さだろうか。まあ、これは他のクリエイティブな作品にも言えることだが、素人はこだわりはあっても客観視ができない。さらにセンスが無い人間が編集した映像は、どんなに素晴らしいソースであっても見るに耐えないものになる。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●メリハリ   2010.3.5
例えば動画の編集は引きと寄りを交互に繰り返す。flashでは遅い動きと速い動きを交互に繰り返す。平面構成では大きなオブジェクトと小さなオブジェクトをバランス良く配置する。こういったものをメリハリと言う。音楽でも演劇でもお笑いでも、その他多くのクリエイティブな世界では、見る側、聞く側を飽きさせないためにこのメリハリが必要なわけだ。スポーツでも折衝でも教育でもこのメリハリが何らかのかたちで効力を発揮しているはずだ。しかしこのメリハリを理解していない人間も多い。ハリ(張り)だけを連続させて相手を疲れさせたり、メリ(減り)ばかりで相手を退屈させたりと。
●スタンドプレイ   2010.3.4
組織の中には大抵一人や二人はスタンドプレイに走る人間がいる。最初は積極的で前向きなキャラに映って周囲から信頼を得るが、2〜3の事業をこなすとその本性が見えてくる。目的はカネであったり、単に目立ちたがり屋であったり、過去にリーダーになれなかったぶんを取り返そうと躍起になっていたりと、まあそんなところだ。そのうちに周りの人間が少しずつ距離を置くようになり、最後には「この組織には馴染めない」とか言い残して去っていく。ただし最初にその積極さのあまり、権限を持つ役職に就いてしまった場合には厄介だ。個人的にイヤなやつでも組織としてはその指示に従わなければいけないわけで、そのことが組織の崩壊のきっかけになったりしたりもする。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●請けざるを得ない   2010.3.3
ここを直せの、これを追加しろのと、次から次へと色々な要望をしてくるクライアント。しかし、その内容のどれをとってもアクセス向上や滞在時間の延長につながるようなものでもない。逆にコンテンツもサイトマップも煩雑になって見るほうとしてはワケがわからなくなる。とはいえ、その分の費用を払ってくれるのだから仕方なく請ける。というか、断ると機嫌が悪くなるので請けざるを得ない。
●自分たちで更新   2010.3.2
自分たちで更新したいので新着情報のページを追加して自由に投稿できるようにして欲しい。という要望はよくあるのだが、その通りに自分たちで更新していくというケースは少ない。結局はメールでもらった原稿や電話で聞いた内容をこちらでアレンジして掲載することになってしまうケースのほうが多い。アクティブコンテンツにした意味が全くないわけだし、そもそもできないことを要望するな。 [ウェブページのデザイン事情・画像]
●アイディア出し   2010.3.1
商品名やプロジェクトのテーマ、キャラクターの名前や、キャッチフレーズなどのアイディア出しをして、締切内に決定させる方法。それは短い時間にいかに多くのアイディアを出すかということだ。だいたい100個ぐらい出せば、周りはその中から選ばなければいけないという気分になる。その気分にさせることが重要だ。アイディアなんてもんは常に無限にあるわけで無理に絞ればそれなりに出てくるはずだ。それを3つとか5つしか出さないで、自分で出したアイディアに惚れ込んで他のアイディアを考えようとせず、その自分のアイディアがいかに素晴らしいかという蘊蓄ばかりこいてるおっさんになってはいけない。
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