2016年5月

●安易な「知ったかぶり」はしてはいけない   2016.05.31
子:「私って、原子でできてるの?」、親:「そうだよ、全てのものは原子でできてるんだよ」、子:「じゃぁ影は?」、親:「……」、子:「夢は?」、親:「……」、というように質問に答えられない大人も少なくないだろう。影は、ある意味光であり光は電磁波であり原子ではない。また夢は睡眠中にもつ幻覚のことであり「実際には外界からの入力がない感覚を体験してしまう症状」なので原子ではない。というように「全てのもの」=「原子でできてる」と答えた時点で自らを窮地に追い込んでいるわけだ。安易な「知ったかぶり」はしてはいけないという事例だ。


天声人誤
●朝起きてもう一度見て気がついた   2016.05.30
朝起きてもう一度見て気がついた部分をどうしても直したいそうだ。しかし昨日の時点でOKを出して既に印刷の手配をしている。「まだ手配しないと思って…」じゃないだろ!こっちもさっさと手配してあんたのせいで遅れ遅れになっている案件を進めないといけないのだよ。だいたい「朝起きてもう一度見て気がついた部分」というのは「昨日、あれだけ確認しても気がつかなった部分」なので大したことはない部分だし、そこを修正したところで気がつく人は100人中、0.1人もいないのだよ。のめり込み過ぎて客観性を見失ってはいけない。


LINEスタンプ「人絵」
●ルーレット   2016.05.29
クライアントがデザイナーに指示をするとき、文章をexcelやメール本文にきちんと書いてもらえると非常にありがたい。中にはそのようにきちんとした指示がないと作業を進められないデザイナーもいる。しかし基本的にはクライアントの作業の負担を減らしてあげるのもデザイナーの能力のうちであり、できるだけ企画の部分も手伝ってあげることが望ましい。ところがそれをいいことに自分の考えが決まってないうちにあれこれと思いついたことを喋りながら指示を出すクライアントも少なくない。考えながら喋るのでその指示も二転三転して、そのうちに堂々巡りの思考がルーレットのように回転し始める。そんな時、適当なところでルーレットを止めてあげるのもデザイナーの仕事である。


LINEスタンプ「顔面遊離男」
●原始人度   2016.05.28
ICTがこれだけ普及した時代になったにもかかわらず、メールを使えない人がいる。もっぱらFAXを使いたがるのだ。 そして当然のように「じゃ、ファックス入れて!」とか「ファックス送るから!」などと言う。「おいおいちょっと待てよ、FAXなんて何年も使ってないし用紙もトナーもあるかどうかわかんないし、電源も入れてみないと動くかどうかもわからんし」ということになるのだが、あと数年もすれば「おいおいちょっと待てよ、FAXなんて何年も前に捨てたし」ということになるだろう。VHSのビデオテープを持ってきて「この映画、是非見てくれ!」と言うぐらいの原始人度になるだろう。


有名人の似顔絵
●おねだり   2016.05.27
ICTがこれだけ普及した時代になったにもかかわらず、メールを使えない人がいる。もっぱら電話とFAXなのだ。電話というのは細かいニュアンスや心境を伝えることができ、相手の出方によって内容を修正しながらのコミュニケーションが可能だ。なので非常に便利だ。しかし情報を伝えるというだけの用途のために双方で時間を合わせる必要もあり、お互いに時間を浪費することになり非常に効率が悪い。ともすると子供が親に「おねだり」をするようなぐづぐづどろどろずぶずぶのやりとりになってしまう。ビジネスの連絡であれば「要件だけを伝える」ということに徹すれば良いだけのことであり、そこで「おねだり」は必要ない。


エルトゥールル号の響
●平均寿命と定年   2016.05.26
日本人の平均寿命が男女ともに50歳を超えたのは昭和22年(1947年)とのことだ。戦後間もない最近のことだ。これに対して定年制が設けられるようになったのは1920年ごろからで、当時採用された定年は既に55歳が一般的であり、その時代の平均寿命は男女平均で45歳程度だったそうだ。平均寿命には乳幼児の死亡率が大きく影響したため実際には高齢者もいたはずであるが、それでも定年後の男性老後生活は10年未満であったそうだ。翻って現在では?というと仮に60歳で定年退職したにしても、その後は20年以上生き続けなければならない。定年を「引退」と考えるか「卒業」と考えるかは個人の自由であるが、何も生産しないで20年以上生き続ける人間が増えるということは、明らかな国力の低下となるはずである。ちなみに「隠居」という制度は1947年5月3日に廃止された。これからは国民誰しも死ぬまで働き続ければいけないのだろう。


よくわかる実習 情報
●役人は人間の屑だ   2016.05.25
「役人は人間の屑(くず)だ」というのは夏目漱石の言葉。役人は一旦既得権益を得ると死ぬまで放さない。そしてそのためには違法にならない限りどんなことでもする。その態度や生き様を見ると確かに「人間の屑」と言いたくなるのだろう。「そこまで言われて悔しいと思わないのか?」とか「たった1度の人生、そんな生き方のまま終わっていいのか?」とか色々なことが言われている。これに対して彼らの言い分は(口には出さないが)「生涯保証された安定というものが引き換えだからいいのだ」だろう。羨ましい限りだ。特にフリーランスや個人事業主にとっては。


人生を変える似顔絵
●福翁自伝   2016.05.24
「尊大な態度で農民に道を尋ねると、農民は卑屈になって応じた。卑屈な態度で道を尋ねてみると、農民は尊大に振る舞った。」というのは福沢諭吉の言葉。道を歩いてくる農民に「こらこら、そこのもの!」と切り出して道をたずねると、農民は下手に出て言葉遣いも敬語調になり、「あのー、誠に申し訳ないのですが…」と切り出して道をたずねると、農民は上から目線の横柄な態度になるというもの。福沢は「これでは日本はダメだ!」と思ったらしいが、今でもこの傾向は非常に根強く日本に残っている。役人で実験してみるとすぐに分かる。


WebDesign
●一人でやってみる   2016.05.23
売り上げが伸びて忙しくなる。とても一人では業務の全てをこなせなくなったので人を雇うことにする。というのが普通のやり方だろう。売り上げが全く上がらないうちに人を雇っても多くの場合は借金ばかりが膨れ上がって失敗する。まずは一人でやってみる。接客も経理も掃除も梱包も苦情処理も。起業した途端に気分だけが「経営者」になり、雑務は雇い人にやらせて、自分は一日中立派な椅子に座って取引先とに電話しているようではダメだろう。最初のうちは「経営者」といえども、大きな仕事も小さな仕事も、仕事という労働は全部自分でやるような意気込みが必要なはずだ。失敗する起業家の多くは「かたちから入る」からそうなる。


株式会社「かくの木」
●予定   2016.05.22
「予定が狂った!」とか「予定通りにはいかないものだ」とか「予定表に書いてあるじゃん!」とかいう前に、「予定」とはその通りにいかないから「予定」というのだ。その通りにいくものは「予定」ではなく「決定」だ。「予定」の「予」は「予想」「予備」「予測」「予感」「予算」の「予」であり、そもそもがその通りにいかないものに使われる「予」なのだ。


ふじみ一店逸品
●思ったことをすぐに口に出す   2016.05.21
思ったことをすぐに口に出してはいけない。自分がそのことを口に出したことにより、周囲の人がどう感じてどう思うのかを推察してから口に出そう。思ったことをすぐに口に出すと「制御装置の壊れた人間」と思われるだけである。思ったことをすぐに口に出す人間が1人いるだけで、そのコミュニティーはうまくいかなくなる。自分は「思ったことをすぐに口に出すような人間ではない」と思っている人に限って思ったことをすぐに口に出しながら生きていたりする。


話題の人の似顔絵BLOG
●弱みと強み   2016.05.17
人間は成長するに従って自分の弱みがだんだんと見えるようになってくる。そしてその弱みを克服するために一生懸命になり、自分の強みを伸ばすことを忘れてしまいがちになる。世の偉人と呼ばれる人たちは、弱みを克服しようなどとは一切考えずに、強みを伸ばすことだけに全精力を傾けたのだ!などとよく言われるが、世の偉人になれる確率は宝くじで1等に当たるよりも低い。もって生まれた才能や資質、タイミングや運が重なって「偉人」となったわけだ。「偉人」になれる可能性が無いと分かった凡人は、丹念に弱みを修復することに専念したほうが賢明な生き方かもしれない。※出張のため次回更新は5月21日になります。


一般人の似顔絵
●ユニバーサルデザイン   2016.05.16
インダストリアルデザインにおけるユニバーサルデザインは「当然」であり「当たり前」のことである。にもかかわらずここ数年「ユニバーサルデザイン」という言葉が頻繁に使われるようになってきた。聞こえがいい、とかカッコイイとか先進的な響きがあるためだろう。例えば文字を使わずシンボルマークを使っただけでユニバーサルデザインと呼ばれる場合まであるようだ。反対に完璧にユニバーサルデザインと言えるデザインも有りえないとも言える。ユニバーサルデザインとは文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(デザイン)をいう。とのことだ。ということは特定の言語で何か書いてあるだけで「ユニバーサルデザイン」とは言えなくなってしまうわけだ。


子ども始球式
●Facebookを広めよう!   2016.05.15
2009年にFacebookはMyspaceを追い抜き世界最大規模のSNSサイトとなった。その前は日本でSNSと言えばMixiだったし世界最大のSNSはMyspaceだった。そして当時は日本のほとんどのおっさんやおばさんはSNSなんてもんは知らなかった。しかし2016年の今、老若男女をとわず多くの人がFacebookのアカウントを持つようになった。twitterやInstagramは若者中心で入りづらいと感じていたおっさんやおばさんもFacebookには参加しやすかったようだ。そして2008〜2010年にかけてFacebookの布教活動を積極的に行ってきた人たちのFacebookのアカウントは今、「これ誰だっけ?」という友だちが増えすぎて収拾がつかなくなっている。


天声人誤
●忙しい人   2016.05.14
大企業の社長でもなければ国会議員でもなければ売れっ子の芸能人でもないのにスケジュールがびっしり詰まっていて常に「その日は空いてない」とか言ってる人は、単に要領と段取りが悪いだけの能力の低い人か、自分がいかに優秀で常に忙しいかを誇張してアピールしているプライドは高いが能力の低い人のどちらかだ。本当に能力が高い人は、対外的には「いつでも空いている」風に装っていて、いつ声をかけても大丈夫なような余裕がある。ルーティンの業務はさっさと終わらせ、余った時間で、次のプロジェクトを考えたり、未知の業界の情報を収集したり、利益とは無関係の部分で自分を磨いたり見聞を広げたりしているのだ。そして決して自分を必要以上に高く売ろうとしたりはしない。逆に自分を高く売ろうとして「忙しい、忙しい!」と言ってる人に「そんなに忙しいなら秘書とかマネージャーが必要だね!」と言って慰めてあげよう。


LINEスタンプ「人絵」
●一丸となって   2016.05.13
「一丸となって」という日本語は、最近では不祥事を起こした場合の再発防止に務めるときの副詞として使われることがほとんどのように思える。普通のアクションの場合は「一丸となって」物事を遂行するというケースはもはやほとんど無いように思う。例えばサッカーの試合でも、チーム一丸となって勝利を目指すのではなく、それぞれの与えられたポジションで与えられた役割を的確に遂行することが勝利に繋がるのではないだろうか?一丸となるというのは合戦のときに先のことは考えずに闇雲に皆で強い精神力と勢いでもって敵を粉砕するような印象があり、ようするに細かく戦略を練らずにとにかく勢いだけでいい加減で適当に気持ちだけは「不祥事の再発防止に務める」というように思えるのだがいかがなものだろうか?


LINEスタンプ「顔面遊離男」
●計れないバカな人   2016.05.12
「早く歩きなさい!」と子供を叱るバカ親。子供が4歳だとしたら身長は100cm程度で大人の2/3程度で足の長さも2/3程度で歩く速度も2/3程度となる。いくら急いでも大人より遅いのだ。にもかかわらず「早く歩きなさい!」と言われ続けると、すぐに他人の失敗をバカにするDQNな大人になってしまうのだろう。ペットに沢山の餌を与えるバカ飼い主。そのペットの体重が5kgだとすると餌の量は人間の1/10で良いのだ。それを自分の食事の量と比べて少ないからといって必要以上に大量の餌を与えていると、やがてペットは肥満と運動不足の悪循環で早死にするだろう。


有名人の似顔絵
●萌絵-2   2016.05.11
50年前に少女漫画をはじめて見た男子小学生は「なにこれ!気持ち悪りぃ〜絵!」と思ったはずである。実際の人間に比べると目が異様にデカイし鼻と口は異常に小さい。綺麗とか美しいとか可愛いと感じる以前に「気持ち悪りぃ〜」と思うのは当然である。また男子小学生でなくても、未開のジャグルで育って、漫画とかイラストなどの印刷物は一切見たことのない人に、突然少女漫画のイラストを見せたとすれば、「気持ち悪りぃ〜」以前に、見たことない生命体らしき有機体に恐怖と不気味さを感じるはずである。それほどに少女漫画や萌絵は、実際の人間とはかけ離れた特徴を持ち、我々はたまたまそれを見慣れているから恐怖と不気味さを感じないだけなのだろう。


エルトゥールル号の響
●萌絵-1   2016.05.10
萌絵的なイラストは50年前は少女漫画だけの世界だった。それが1990年後半ごろから所謂オタクが市民権を得るようになり、男であっても少女漫画のようなイラストを公然と好むようになってきた。業界では名の通った50歳のソフトウェア開発者でさえも萌絵の描いてあるグッズを会社に持ち込んで自分の机の上に置くようになった。彼らは萌絵さえ描いてあれば、その商品のデザインがどうであれ一切関係なかった。そして、とにかく萌絵さえ描いてあれば、何でも売れる時代になり、世の中の至るところが萌絵で溢れるようになったのだが、その萌絵商品を作っている人の多くは「何がいいのか?」さっぱり分からないままだった。わかっているのは「こういう絵が描いてあれば売れる!」ということだけだった。


よくわかる実習 情報
●アクセシビリティー(4)   2016.05.09
では視覚障がい者が何を読みたいのか?というと自治体の「広報」なのだそうだ。広報は元々印刷物をPDF化したものなのでハイパーリンクがなく、順序通りに読み進めば内容が理解できる。そしてほとんどの自治体のサイトには広報のPDFのダウンロードページがある。そしてダウンロードしたPDFはAdobe Acrobatのデフォルトの音声読み上げ機能で読むことができる。要するに自治体の公式サイトがJIS X 8341-3:2010の準規していたところで誰も使わないということになる。また「ZoomSight」のような専用の機器(けっこう高そうだ)も必要あるのかどうかということにもなる。


人生を変える似顔絵
●アクセシビリティー(3)   2016.05.08
全盲の視覚障がい者がパソコンを音声案内で操作するスピードは晴眼者の想像を超える超速だ。音声案内といってもその喋るスピードもとても晴眼者では聞き取ることのできないマッハな速度である。しかしその視覚障がい者をもってしても自治体の公式サイトのページを読んで理解することは極めて難解である。ウェブページにはハイパーリンクなるものが有るためだ。ネズミ講のように複雑に枝別れしたサイトマップを音声案内だけで理解して記憶するのは人間の脳では不可能だ。だから結局どんなにJIS X 8341-3:2010の基準を満たすサイトを作ったところでパソコンが操作できる視覚障がい者がウェブサイトを閲覧することはほとんどないわけだ。


WebDesign
●アクセシビリティー(2)   2016.05.07
視覚障がい者は全てが全盲ではない。そしてその障がいの程度の個人差は大きい。人によってはモニター画面に1文字、程度の大きさでなければ読めない、鍵穴から覗いたような視野しか確保できない、見たものがコマ送りの動画のような映像になってしまう、その他、視野角、色彩、明るさなどなど様々な視覚障がいの種類がある。サイト内によくある「文字サイズ:大・中・小」などという切り替えボタンは老眼用であっても視覚障がい者用としては機能として網羅するにはほど遠い。それ以前に視覚障がい者は予めパソコン自体のコントロールパネルでアクセシビリティー設定をしているはずだし、老眼や近眼であっても、ブラウザの設定でも文字のサイズは自分用に調整してあるのが普通だろう。アクセシビリティーと謳った「文字サイズ:大・中・小」の切り替えボタンなどは無意味である。アクセシビリティーと謳ってないとしたら、なおさら無意味だ。


株式会社「かくの木」
●アクセシビリティー(1)   2016.05.06
日本の視覚障がい者の数は31万人(平成18年、厚労省統計)である(以降の統計は未だないようである)。そのうちパソコンの利用者は「毎日」と「たまに」を合わせも12.4%だ。日本の人口が1億2千万として、全国に視覚障がい者が均等に暮らしていると想定した場合、人口が1万人の自治体であれば視覚障がい者が25.8人住んでいて、そのうち3.2人しかパソコンを使っていないという計算だ。10年前からパソコンの利用者数は約15ポイント増えているのを考慮しても、3.7人だ(「たまに」も含めて)。近年の自治体の公式サイトでは、例え「村」であってもアクセシビリティーに準拠したものが多いようだが、JIS X 8341-3:2010の基準を満たすサイトを作ろうとすれば自治体専用のCMSを使って専門の業者に制作と管理を委託して1000万円程度の予算を計上することになる。税金の使い方の「違うだろ!」感が強いように思える。


ふじみ一店逸品
●安売り   2016.05.05
デザイナーとして独立したとする。そこで多くのデザイナーが陥る失敗が「自分を安売りする」ということだ。安くしたほうがクライアントにとっては有難いのだが、相次ぐ NGややり直しとなったときに、だんだんと採算に合わなくなってきて、制作時間を短くしようとするあまり作品の完成度が落ちてきてNGを喰らう確率が高くなる。そうなると「自分はこんなに一生懸命やっているのに、なんて不幸なんだ…」とか「あのクライアントは血も涙もないオニのようなやつだ…」とか、全てを「運」や「他人」のせいにするようになる。全ては「自分を安売りした」ことが原因なのだが。


話題の人の似顔絵BLOG
●戦争   2016.05.04
人間誰しも労働はしたくない。特に他人に命令や指示をされての労働はやりたくないものだ。できれば働かずにぼーっとしていたい。でもそれでは餓死してしまうので他人の食料を盗んだり奪ったりする。そして時には相手を傷つけたり殺したりしてしまう。人類意外の動物はそうやって何億年のもあいだ生き延びてきた。そして現在でも自分が餓死しないために他人を殺して金品を奪うという行為は一部先進国を除いては日常的に行われている。鍬を持って農地を耕すよりも槍を持って獲物を捜すほうが楽しいのであって、それが現代では銃を持って金品を強奪する相手を捜すという行動にかわり、その行動が組織化されて「戦争」になったのだろう。


新座市に生息する動植物写真集
●ナビゲーション-2   2016.05.03
「分からなければサイト内検索を使えばいい!」ってもんではない。検索を使いこなせる人は最初からGoogleを使う。検索が使えない人のためにディレクトリ構成をシンプルでしっかりとして自然なナビゲーションが要求されるはずだ。コンテンツを増やすことはバカでもできる簡単な作業だ。削減してスリム化して身軽に動けるような機動性とスピード感のあるディレクトリ構成をデザインして、ストレスの無いナビゲーションをもっともっと検討すべきだろう。このへんは「かたち」として見えにくい部分でもあり、「かたちから入る」のが好きな人には難しい作業でもある。ちなみに自治体のサイトでは、その自治体がどこの都道府県にあるのか全く記されていないところも多い。あんたら地元だから知ってて当たり前のことでもよそ者は全く知らんのだよ、そんな町とか村なんぞは。


ギフト似顔絵ルーム
●ナビゲーション-1   2016.05.02
世の中のウェブサイトのナビゲーションのほとんどが使う側の利便性を考慮していない。アクセシビリティーとかユーザビリティーとかの屁理屈だけは宣ってはいるものの、実際の使い勝手は甚だお粗末だ。例えば「桜ホール高齢者福祉読み聞かせ会」を捜したい場合に親ディレクトリは「福祉」なのか「イベント」なのか「公共施設」なのか「文化」なのか皆目見当がつかない。そしてそれぞれのボタンにオンマウスすると、そのときだけプルダウンでメニューが現れる。一挙に表示させてじっくりと捜すこともできないのだ。それとカテゴリーが多すぎてワケが分からない。ウェブ制作業者はできるだけページ数を増やして制作費を上げたい。クライアントのほうはできるだけ多くの情報をアーカイブして達成感と満足感を得て、「よくやった!」と褒められたいわけだ。


コンビニ・スマホ・ホームページ
●加減   2016.05.01
「ママー、新聞貸してー!」「あらあら、それならこのiPadを使いなさい」「え、いいの?」「いいわよ」「わ〜い!」30秒後「バシ!」iPadは激しく破損し、裏側にはゴキブリの死骸がへばり付いていた。電子化とアナログが混在する世の中では、物理的な加減がわからない子供が増えているそうだ。


一般人の似顔絵
過去記事

メニュー