2016年10月

●後期高齢者とテレビ   2016.10.31
高齢化社会が進み、75歳以上の後期高齢者が占める割合が増えている。リタイアした後期高齢者のほとんどは1日中テレビを見ている。面白いか面白くないのかにかかわらず1日中寝っ転がってテレビを観ている。観た内容を覚えているかどうかにかかわらず1日中寝っ転がってテレビを観ている。すでに現状でもテレビの視聴率の多くはこういった後期高齢者によるものだろう。では今の若い世代が後期高齢者になった時はテレビは観ないのか?というと、そうでもないように思える。観る側が100%受け身で良い「テレビ」というものが、まったくもって後期高齢者にうってつけのようなのだ。

●ありえない!   2016.10.30
「ありえない!」と言う人。それはあんたの想定する範囲がいかに狭いかということ。「信じられない!」という人。それはあんたが信じている人がいかに少ないかということ。「意味わかんない!」という人。言うまでもなくあんたの理解力が不足しているからだ。「マジで!」という人。それはあんたが今までいかに物事に真面目に取り組んでこなかったかということ。「うそ?」というのは、じつは「ほんと?」とまったく同じ意味で使われる。

●サヨナラ   2016.10.29
サヨナラホームラン!という言葉はしばしばメジャーリーグの中継の中でも使われるらしい。英語ではgame-ending home runなのだが、SAYONARA home runのほうが「ざま〜みろ感」が強く、相手にとっては「やられた感」が強いようだ。アメリカの観光地などで、日本人観光客に対して「サヨナラ!」と声を掛けるお土産屋のアメリカ人がいる。もちろん挨拶であり、親しみを込めた日本語の単語を言っているだけのなだが、この「サヨナラ」と言われた日本人観光客にとっては「終わったから帰ってね」「もう来ないでね」というような感じに捉えられなくもない。野球というのは英語と日本語がごっちゃになってたおかしな単語も多いようだ。例えば「ゴロ」は英語のgrounder、「サードゴロ(でアウトになる)」はground out to thirdとなる。「ナイター」はnight game、「ポテンヒット」はa Texas leaguer、これがまた輸入されて「テキサスヒット」などと呼ばれるようになった。「2塁打」はdouble、滑り込む必要のない余裕の2塁打はstand-up doubleで日本語でも「スタンダップダブル」と言われるようになった。「クリーンナップトリオ」という言葉は英語にはなく、4番打者のみがcleanup hitterと呼ばれる。「1塁キャンパス」というベースの素材を意味する言葉は英語では使われないそうだ。実況中に解説者がよく口にする「ボール球(だま)」は、サッカーの「トップ下(した)」と並んで、妙な日本語である。

●水平   2016.10.28
画面に対して水平線を合わせるのは、写真を撮る、絵を描く、うえでの基本中の基本だ。ただし画面上に地平線や海の水平線が実在しない場合に「どこに合わせるか?」ということは簡単ではない。なぜ簡単ではないかというと、そこには「遠近法」というものがあり、写っている水平のものを(真正面のアングル以外は)画角の水平線に合わせれば良いわけではない。図学の理論を用いて、時間をかけて画面上の「水平」を割り出すことは不可能ではないが、バシバシ撮る写真の1枚1枚にそんな処理をしている時間は(普通は)ない。実際の空間であれば「水平器」で測ればいいのだが、そうはいかないところがつらいところだ。とにかく感覚に頼るしかないのだが、その感覚は持ってない人の方が多いようだ。そしてその感覚を持っている人から見ると、水平の合っていない写真は実に気持ちが悪く見えるものだ。

●演出とスポーツの境目   2016.10.27
力道山全盛の時代には、国民の誰しもがプロレスが八百長などとは思ってなかった。このことはテリーファンクがブッチャーにフォークで血まみれにされるころまで同じであった。それがブルーザーブロディがジャイアント馬場の痩せた身体の空気抵抗の大きく威力の弱いであろうフライングボディープレスが飛んで来るまでの、馬場さんがコーナーポストに登る時間を含めた長い長い間、リング中央で倒れて気を失った風に待っていなければならないシーンをテレビで観たあたりから「ひょっとしてヤラセかな?」と、多くの国民が思い始めた。そして総合格闘技がブームとなると、プロレスというものが「八百長」とまでは言わないが「ヤラセ」または「演出」であることに気づいた。そもそも馬場、猪木の時代には「ローラーゲーム」などという、もろに「演出」のスポーツもあったものだ。演出とスポーツの境目というのは難しい。

●間違いさがし   2016.10.26
デザインを「詰める」作業を行っていると、気がつくと「間違い捜し」状態に陥っていることがある。長年、多くの人の目に触れるようなロゴデザインや建築デザイン、工業デザインであれば、例え「間違い捜し」と言われようとも、納得行くまで詰める必要があるだろう。しかし1週間経てば誰も見なくなるグラフィックデザインや、保って半年ぐらいのウェブデザインでは、ビフォアアフターの差がよ〜く見ないと分からないというような間違い捜しのような「詰め」は無駄であろう。「間違い捜し」は時間がかかるわりに差がわからないのでコスパが低い。

●私はテレビを観ないから…   2016.10.25
芸能界のことを全く知らなかったり、最近のヒット曲や話題になっている映画のことなんかで全く会話に加われなかったりする人がいる。そしてそんな人の代表的な言い訳が「私はテレビを観ないから…」だ。じゃぁ、ネットばかり観ていてテレビを観る時間がないのか?というとそうでもない。そんな人間に限ってスマホアプリやパソコンにも疎かったりもする。そもそも「私はテレビを観ないから…」というのは「私はテレビなどいうミーハーなメディアには、君たちのようには興味というものが湧かないのです(私はもっと高尚で勤勉で賢く知的な人間なのです)。」ということを暗に言いたいのだが、聞いてるほうは「へぇー、そうなんだ」としか思わないだけのハナシである。

●行動パターン   2016.10.24
どんなに自分が個性的で大衆には迎合しないエキセントリックでユニークな性格であると自負していても、その行動パターンは年齢、性別によってだいたい想像がつくものだ。GoogleAnalyticsにページ閲覧者の「性別」「年齢」という項目がある。いくらGoogleであってもアクセスした人の年齢や性別までは分かるわけはないし、そのような個人情報を持っているわけもない。しかし訪れたサイトの履歴やネットで買い物のパターンで、おおよそは想像がつくらしい。GoogleAnalyticsの「性別」「年齢」は実際に8割程度は当たっているそうだ。会ったこともなく見たこともない人間の年齢と性別等が、その人の行動パターンによって分かってしまうということは、いずれは身長や体重、家族構成、働いている業種までだいたいは分かるようになるのだろう。そして最終的には、顔や声まで分かるようになるのだろう、か?

●brand new   2016.10.23
brand new(ブランド ニュー)は真新しい、新品の、手に入れたばかりの、新型の、という意味の英語である。高度成長期からバブルの時代の日本では、新製品(brand new)が発売されると必ず購入する人や、クルマの新型(brand new)が発表されるたびに必ず買い換えるという人もいた。当時の新型(brand new)は、必ず「旧型」よりも性能もデザインも優れていたし、旧型を大事に使っていると「貧乏人」と思われる風潮もあった。しかし現在ではbrand newが優れているかというと必ずしもそうではない。brand newではバッテリーから火が出るスマートフォンや、brand newではその良し悪しがわからないので、発売されて半年ぐらい経ってから、世の中の評判を見て、購入するか否かを判断するというケースも少なくないようだ。さらに「新型」というと、すぐに連想するのは「新型ウイルス」という言葉にもなってしまった。

●オリオン座流星群   2016.10.22
「今夜はオリオン座流星群を見に出かけましょう!」とFacebookが言っている。ここでは「出かけましょう!」と言っている。つまり多くの人が住んでいるであろう都会や市街地ではオリオン座流星群は見ることができないのだ。山頂近くや人口密度の低い海岸やど田舎まで出かければ、天気さえ良ければ、きっとオリオン座流星群を見ることはできるだろう。しかしそれほどはっきりと夜空が見えるところであれば、流星群が来なくても、普通に流星を頻繁に見ることができる。ついでにオリオン座流星群はオリオン座とは全く関係がない。約3000年前のハレー彗星の塵が地球の大気圏に落ちてきて燃えるために見えるものだ。その見える方角がたまたまオリオン座の見える方向だったために名付けられている。ついでに「はっきりと夜空が見える」基準は「肉眼で天の川がはっきりと見える」ことであろう。理科の教育レベルが極めて低い日本人の中には「天の川は小さな星の集まり」と思っている人もいるらしいが、天の川は我々の太陽系がある銀河系の断面を内側から見ているものであり、地球よりもはるかに大きな星の集まりである。

●ハガキサイズのインクジェット対応のプリンター用紙   2016.10.21
ネットでハガキサイズのインクジェット対応のプリンター用紙を買った。特にクオリティを必要としなかったので一番安いのを買った。しかも紙が厚い。200kgは超えるであろう立派な厚さだ。そして失敗した。厚すぎてプリンターがエラーになる。エラーにならなかった場合でもプリンターヘッドが近すぎるせいか色ムラが激しい。高いプリンターであれば厚紙に対応とかもできるのだろうが安いプリンターではそうもいかない。いくら安くなったとはいえプリンターを買うよりも薄手のハガキサイズのインクジェット対応のプリンター用紙を買ったほうが安い。そして改めて気付いた。かなり薄い用紙であっても、堂々と「厚手」と書いてあることを。

●アデランス   2016.10.20
アデランスが近く上場廃止になるという。アデランスをかぶるおじさんが少なくなった利用としては、①リーズナブルな新興メーカーの台頭。②薄毛やハゲであっても堂々と見せる風潮。③バレた時にはハゲより恥ずかしい。これはスマホとSNSの普及で誰でも頻繁に簡単に写真が撮れるようになったということもあるだろう。写真ではアデランスが分かってしまう、ということではない。アデランスの人は1週間経っても1ヶ月経っても、1年経っても髪が伸びないのだ。④おじさんの平均身長が伸びたため、ハゲていても電車の中などで若者から見下ろされることが少なくなった。⑤ある日突然アデランスで出社したときに、周囲の人が「何と声をかけたらいいのやら…」と非常にその反応に困り、ギクシャクした職場の空気が数日間続いてしまう。などの理由が挙げられる。もっともバレていても平然と被り続けている人もいるようだ。例えばどこぞの県知事のように。ただしこの人が愛用しているのはアデランスのような高級品ではなく、Amazonで売ってる安物ではないか?というのがもっぱらのウワサだ。この人はTVでも頻繁に観るのだが、政治姿勢と同じくヘアースタイルも髪の長さも頭皮とカツラのすき間も常に一定である。

●ハーマングリッド   2016.10.19
ハーマングリッド錯視は、格子状の模様のことで、白の交差点の部分が灰色あるいは、やや影になったように見えるものだ。それを応用したのがこれだ。完全に静止した12の黒い点があるだけなのに、その点があちこちに移動しているように見えるというもの。つまり黒い点12を同時に見ることはできないという不思議な錯覚である。しかし目の錯覚のほとんどは不思議な現象なのではなく、それだけ人間の視覚というものがいい加減であり、脳に影響されやすい脆くも危ういものだということだろう。人間は「目の前に見えているものがすべてじゃない」と同時に「全てのものが常に見えているわけでなない」ってことだろう。

●Adobeのサポート   2016.10.18
Adobe Creative Cloudが壊れた。起動すると「サインアウトされました」となって「ログイン」ボタンを押しても同じ画面が出てくる。ウェブで調べてみると同じような症状の人が何人もいるようで、病状と治療と結果報告の記事がいくつか書いてあったのだが、その症状が微妙に違うようだし、治療方法もあまりあてになりそうもないのでAdobeのサポートに電話して聞いたところ、治療方法を詳細に書いたメールを送るとのこと。そして5分後に治療方法が詳細に書かれたメールが届き、そのメールの通りに治療を施して無事に快気となった。この一連の流れの中で最も時間がかかったのがサポートの人間に電話が繋がるまでの待ち時間だ。「該当する項目」をプッシュダイヤルで選ぶのだが、選択肢が8個もあって最初のは何だったか忘れてしまう。もう一度聞きなおそうにも「この電話は20秒で約10円かかります」だってさ。

●蓮舫   2016.10.17
野党の代表でこれだけ露出が多い人も珍しいかもしれない。そして蓮舫が珍しいのは露出度だけではない。すぐに「顔に出る」というところもだ。長年、多くの子供たちを見ている学校の先生や幼稚園や保育園の保母さんであれば判るだろう。嘘を言ってるときは子供のように一瞬目が虚ろになる。嫌な質問に答える時には子供のように口元が一瞬引きつる。答えたくない質問に対しては「はい」ではなく「うん」というタメ語の受け答えとなる。答えたくない質問に対しては耳を傾けるような動作をして回答を考える時間を稼ぐ(舛添要一や野々村竜太郎と同じように)。総じて「わかりやすい」人である。それゆえ都議会の内田茂のような「タヌキ感」はまったく無く、新規感と爽快感と新鮮感はある。しかしこんなに「わかりやすい人」には「交渉」や「折衝」や「かけひき」は無理であろう。

●時間と完成度のバランス   2016.10.16
時間をかければかけるほど完成度の高い制作物を作ることができる。逆に急げば急ぐほど完成度が落ちるということを覚悟しなければいけない。ただしかけた時間が完成度に比例するかというとそうでもない。かけた時間が10だとすると、時間を20にすれば完成度は2倍になるかもしれないが、時間を30にしても完成度は2.5倍ぐらいにしかならず、時間を40にしても完成度は2.7倍ぐらいにしかならない。つまりもっともコスパの高いポイントで時間と完成度のバランスを見極めなければならないというこになる。それを見極めるのもプロの仕事である。

●霞ヶ関ビルと東京ドーム-2   2016.10.15
昨日の続き→普通は東京ドームのほうが大きいということもイメージしずらいし、あんな「イカのフネ」みたいな形では容積もイメージしずらい。それに比べて霞ヶ関ビルはかっちりと直方体なので水をいっぱいに入れたときのイメージがしやすい。とはいえ霞ヶ関ビルに水を入れる時には、ヒックリ返して底から入れるのか、屋上に大きな穴を開けて入れるのかは不明であり、どちらにしても満遍なく水を行き渡らせるのは難しいように思う。その点、東京ドームは中に隔たりのない空間なので水は入れやすいことだろう。ただし空気圧で膨らませてある東京ドームは、無理をすれば2.48倍よりも多くの水を入れられるかもしれない。

●霞ヶ関ビルと東京ドーム-1   2016.10.14
日本初の超高層ビルが霞ヶ関ビルは1968年にオープンした。以降、テレビのニュースなどではダムの貯水量などを「霞ヶ関ビル◯◯杯分」というような表現が使われるようにった。しかしいつのころからかその例えは「東京ドーム」に奪われ、「霞ヶ関ビル◯◯杯分」は死語となった。今、改めて霞ヶ関ビルの実物を見ると「低っ!」という印象だ。では実際には東京ドームと霞ヶ関ビルは。どっちの容積がどのくらい大きいのか?ということだが、東京ドームのほうが2.48倍大きいそうだ。→明日に続く。

●知的ショートカット   2016.10.13
「バットとボールはセットで1ドル10セントします。バットはボールより1ドル高いです。ボールはいくらですか? 」という問題。多くの人は自信を持ってボールは10セントだと答える。しかし正解は、ボールの値段は5セントだ。1.05(バッドの値段)+0.05(ボールの値段)=1.10(総額)となり、1.05(バッドの値段)-0.05(ボールの値段)=1.00(差額)となるのでバットの値段は1.05(1ドル5セント)、ボールの値段は0.05(5セント)が正しい。 じっくりと時間をかけて計算するば分かることではあるが、問題が簡単であると思い込んだために「知的ショートカット」に判断を委ねてしまうことから誤った結論を出すことになるそうだ。これは「自信過剰バイアス」と呼ばれるもので、現実以上に自分が周囲は情報を十分把握していると思い込み、自分のスキルを現実以上に自信を持つ傾向を持ってしまうために起こる間違いだそうだ。

●官僚   2016.10.12
国家のほとんどのことは官僚が計画し実行させている。地方ではほとんどのことは役人が計画し実行させている。官僚や役人はその道のプロであり、とりあえず黙って任せておけば大きな間違いを犯すことはない。本当は全て任せておけばいいのだが、国民や市民の意向や意見も取り入れておかないと「反乱」や「一揆」が起こる可能性がある。だから国民や市民が代表者を選び、官僚や役人のやることに口を挟むことができるようになっている。彼らが「政治家」と言われる人たちだ。政治家は色々と目立つが、実質上国を動かしているのは「官僚」だ。だから人気や知名度だけで実力がなくてもできる政治家とは違って、「官僚」は確実に実力がなければなれない仕組みになっている。

●ルシファー効果   2016.10.11
善と悪は紙一重であり表裏一体である。善良な人が悪人に変貌することはとても簡単で、また悪人が善良な人に変貌することも可能であるということを、アメリカの心理学者「フィリップ・ジンバルド」がわかりやすく説明してくれている。ジンバルド教授は、人間は、その素質に関わりなく、おかれている状況や、環境、集団心理によって簡単に善人から悪人へと変貌するこのメカニズムに「ルシファー効果」という言葉を名づけた。ルシファーとは、天国から追い落とされて、やがてサタンと結託して神に反逆を企てる堕天使の名前である。人間の中には「悪と善」両方の側面があり、純度100%の善人も純度100%の悪人もいないわけで、それ故に自分も状況によっては「悪」に転落する危険性もあるということがわかっていれば、何か問題が生じてしまうことはあったとしても、軌道修正することは可能なんじゃないかと思うわけである。戦争がなくならない理由も、戦争とまではいかなくてもお互いを受け入れられず非難しあう「机上の戦争」がなくならない理由も、そんなところにあるのかもしれない。

●サイコパス   2016.10.10
サイコパス(精神病質者)は人口の約1%を占めるといわれる。共感能力の欠如、罪悪感の欠如、衝動的、口が達者で人を巧みに操る、表面的にはチャーミングなどがその特徴として挙げられる。日本の有名人でサイコパスではないか?と言われているのは蛭子能収、品川祐(お笑いコンビ品川庄司)、徳光和夫、みのもんた、渡辺美樹(ワタミグループ会長)、島田紳助、藤原紀香、和田アキ子、木村拓哉、中田敦彦(オリラジ)などの名前が上がる。自己中心的で傲慢、口達者で皮相的、感情が薄く共感能力がない、などがその理由だが、まぁ芸能人ってみんなそんなもんだろう。

●人和   2016.10.09
人和とは、麻雀における役のひとつ。子が配牌でテンパイした状態で、最初のツモより前に捨てられた牌でロン和了した際に成立する。天和・地和と同じく通常は役満であるが祝儀としての意味合いが強いようだ。ただしそれだけ滅多にない珍しい手である。ところが初心者は配牌でテンパっていることに気づかず、牌を並べ替えているうちに次のツモ順が回ってきてしまい、この人和を逃してしまう場合もあるようだ。しかし上級者であれば見逃すこともないが、始まってすぐにその場が終わってしまい、天和のように凄い!という印象も薄いので、他の3人にしてみれば、特に振り込んだ人は、拍子抜けである。もちろん気が付けば良いだけであって麻雀の実力とは関係ない。ちなみに人和は「レンホウ」と読む。始まってすぐにその場が終わってしまう、実力とは関係ない、祝儀としての意味合いが強い手だ。

●2人いればなぁ   2016.10.08
めちゃくちゃ忙しいときに「あ〜あ、オレが2人いればなぁ…」などと思うことがある。オレじゃなければできないことはたくさんある。他の人間でも技術的に出来なくはないが、言われたことしかやらないし、融通が効かないし、ミスを恐れて予防線ばかり張るし、始めるまでの時間がかかるし、屁理屈や言い訳が多いし、で、結局自分で全部やってしまうのが一番早いのだ。しかしだからと言って「オレが2人いる」のも実は問題が多い。オレは、他人の言うことは聞かないし、スタンドプレーが目立つし、共同作業が嫌いだし、すぐに他人を説教するし、常に自分が中心でないといけないし、基本的にめんどくさいやつだし、そんなヤツが2人もいたら間違いなくぐちゃぐちゃになる。だからオレは1人で十分なのである。

●指図する   2016.10.07
仕事をプロデュースする人というのは他人に指図するのが大好きだ。しかし他人から指図されるのは大嫌いだ。結果としてやることの方向性は同じであっても「指図する」のと「指図される」のでは全然違うようだ。他人に指図するのが大好きな人が、指図される時の気の入らない不貞腐れた顔の表情は滑稽でもある。しかし世の中のほとんどの人は他人から指図されることは好きではないはずだ。しかしそれでは世の中回らないから我慢しているだけなのだ。「オレは他人から指図されるのが嫌いだ!」と口に出して言う以上は、よほど卓越した、人を魅了するようなキャラがなければ滑稽に見られるだけであろう。

●「嫌」なこと   2016.10.06
仕事(作業)をする上で「嫌だなぁ」とか「やりたくない」と感じているものがあるだろう。それをいつまでも「嫌」と思っているわけにはいかない。どこが、何が、「嫌」なのかを考え、その部分を改善しなければいけない。無駄なコトを重複しているのかもしれないし、やらなくてもいいことをやっていたのかもしれないし、先入観だけで「嫌」と思っていただけで、作業自体はどうってことのないものかもしれない。「嫌」なものを「嫌」なまま10年、20年と受け入れて続けていると、いずれは人格が破綻したり崩壊したりするのだろう。

●自分の意思を押し通す   2016.10.05
自分の意思を押し通すことは正しいことである、または美学であると思っている人がいる。しかし自分の意思を押し通すということは、周囲に妥協して意思を曲げて譲ってくれる人がいるから、自分の意思を押し通すことができるわけだ。自分の意思を押し通す人にしてみれば、妥協して意思を曲げて譲ってくれる人のことを「はっきり言わない」「ぐずぐずしている」「言葉が足りない」などと言って、あたかも自分が優位に立っているかのように思っているようでもある。しかし妥協して意思を曲げて譲ってくれる人がいるから自分の意思を押し通す人が存在し得るわけであって、往々にして自分の意思を押し通す人のほうがコドモである場合のほうが多い。

●テレビCM   2016.10.04
テレビのCMがやたらと多くなった感じてる人は少なく無いだろう。感じるだけではない。実際に数えてみると8本も続けざまに流れていた。1本30秒だとすると4分にもなる。これが10分とか15分とかに1クール流れるのだからたまったもんじゃない。番組ではなくCMを見せられてると言っても良い。視聴率が下がれば下がるほどCMを多く投入しなければならないという理屈は分かる。しかしこんなにCMばかりを垂れ流していれば、よりテレビ離れが加速することになる。もうこうなるとテレビは「無くても良い」「無くても困らない」メディアの断末魔の様相のようにも思える。

●取説   2016.10.03
家電製品などには必ず取説「取り扱い説明書」なるものが同梱されている。そしてエアコンにしてもテレビにしても冷蔵庫にしてもそれなりにぶ厚い取説を読まなければならない。そして多機能化と法的な規格などによりにどんどんページ数が増えてきた。そしてコンピューターが一般家庭に普及するととても「取説」ではその機能を網羅できなくなり、ユーザーは専用サイトで使い方を学ばなければいけなくなった。これから先は取説が同梱されていないカテゴリーの製品は増えてくるだろう。そして今でもいる「取説を読まない人」は全くもって何も操作ができなくなることであろう。「実際に触ってみれば何とかなる」というのは「メカに強い人」ではなく、「時代遅れの人」になってから20年経とうとしている。

●言うのは簡単、やるのは大変   2016.10.02
言うのは簡単だから、もっぱら「言う側」に居たのだが、うっかりして言いすぎたために、ある日「やる側」になってしまった。仕方がないので「やる側」でいろいろとやったのだが、案の定、やることなすこと全てが上手くいかず、「言う側」の人から、えらくこっぴどく色々と言われた。そして間も無く「やる側」から「言う側」への降格となった。そして「やる側」に居たときにえらくこっぴどく言われたことへの復讐とばかりに「言う側」となった今、前よりもより一層「言うだけ」になってしまった。そして「こいつらには2度と『やる側』にはさせない!と誰もが思うようになった。そんな政党が日本にはあるそうだ。

●幽霊   2016.10.01
昔から心霊写真というのは色々とあった。光の加減や周囲の環境によって幽霊っぽく見えるものから、作為的に幽霊が写っているかのように撮影したものまで様々だ。これがデジタル画像処理技術が進歩すると誰でも簡単に心霊写真を作ることができるようになった。さらに常時人間がファインダーで確認していない監視カメラなどの定点カメラが普及すると、より幽霊的なものが写る可能性が増えた。レンズの周りを動き回る、蛾、クモ、羽虫などが、ちょうど良い按配にピントがズレて予期不能な不規則な動きをするためだ。1年中回しっぱなしであれば幽霊にみえる映像の1本や2本は普通に撮影できることだろう。

BACK

メニュー