2016年10月

●プロキシマb   2016.11.30
ほぼ地球と同じ大きさで、水が液体で存在できる環境とされた惑星がプロキシマbだ。地球と同じような生命が存在する可能性も高いと期待されている。しかし問題はプロキシマbの自転速度だろう。地球では自転1回転が24時間で1時間が60分で1分が60秒と定義されている。仮にプロキシマbが同じ定義だとした場合、元々の自転速度が地球の10倍だとしたら、プロキシマb星人は非常にせっかちで常に慌ただしい全くもって落ち着きの無い異星人ということなる。逆に自転速度が地球の1/10どとしたら、とめども無くスローモーでのんびり屋さんで反応が遅い鈍感星人ということになる。いすれにしても平和条約締結のために同じテーブルにつくのは難しいだろう。

●依存症   2016.11.29
若者のネット依存症が問題になっているというニュースを見ることがある。しかし老人のほとんどが既に発症している「テレビ依存症」についてはニュースにならない。また、数は減りつつあるが、まだまだ症例の多い「クルマ依存症」も話題になることはない。若者だけではない「子供」全般の発症例としては「親依存症」のほうが大きな問題であるようにも思える。国民に広く感染して100年以上経つ「会社依存症」も深刻な問題であろう。それに比べると薬物やアルコールの依存症の人の数はたかが知れたもんであろう。

●Twenty Sixteen   2016.11.28
Twenty SixteenはWordPressの最新版のデフォルトのテーマだ。恐らくWordPressの初心者の多くはこのテーマを使うことが予想される。しかしこのTwenty Sixteen、タイトルのフォントサイズがやたらとデカい。世界的にユニバーサルデザイン化とアクセサビリティーの考え方が進んでいるのでフォントが大きくなるとこ理解できる。とはいえ日本語のデカいのはどうにもかっこ悪い。ブログならまだしも公式サイトを作るときには到底デフォルトのままでは使うことができない。そこでこのフォントサイズを変更するのだが、そのためには「テーマの編集」で、3900行のcssファイルを変更しなければならない。もちろんレスポンシブのcssなので1箇所の変更だけでは事足りない。ということでその作業には1晩要することとなるのだが、その作業に対しては完成形しか見ないクライアントは当然のことながら何も評価をしてくれない。

●マスメディア   2016.11.27
米大統領選挙でのトランプ氏の勝利を予測できなかったマスメディアが批判の対象になっている。しかしマスメディアはあくまでマス(mass)、つまり「大衆」が対象である。そして大衆に属さないソーシャルメディアはマスメディアとは関係のないところで独自に動いていたのだろう。従ってマスメディアがどうであろうとソーシャルメディアにとってはあまり関係ないことだ。もはやマスメディアとかマスコミュニケーションの時代は終わっていると言ってよいのだろう。そもそもがマスコミュニケーションは和訳すれば「大衆伝達」という意味だ。「大衆」はもはや死語であるし「伝達」という一方方向のコミュニケーションというのも今の時代には有りえないことだろう。いずれにしてもマスメディアやマスコミュニケーションという言葉そのものが消滅しつつあるようだ。

●差別   2016.11.26
Wikipediaによれば、差別とは「特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為」とある。そして国連によれば、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為」としている。つまり特別な扱いとは、優遇したり贔屓することではなく、除外や否定の行為であるとのことであるようだ。しかし「逆差別」という言葉もあり、「差別を是正し撤廃しようとする過程において、差別されて来た集団(主に社会的弱者)を優遇することにより、優遇されて来た集団の待遇・利益・公平感が損なわれることで生じる差別」というのもある。つまり優遇したり贔屓することだ。差別の種類には「身分・階級・職業・人種・民族・文化・言語・地域・性・能力・病人」などがあり非常に複雑で多様なものだ。そして「逆差別」も差別の中の一つと定義されている。いずれにしても、差別されるのを防ぐためには、すぐに「差別だ!」と叫ぶの止めたほうが良さそうだ。

●染みったれた焼き鳥屋   2016.11.25
注文して出てくるまでの時間が長いし、オーダーを間違えることも多い。混み合ってくると客が自分でビールを出したりしなければならないし、店先にビールのコンテナを出して椅子代わりにする。そんなやる気があるのかどうかも分からない焼き鳥屋。しかし味だけは絶品である。そんな染みったれた焼き鳥屋が、店舗をリニューアル。店内は広く内装も綺麗になり、従業員も増やし、以前のような染みったれた感はなくなった。そして味のほうもリニューアルして「不味く」なったというのはよくあるハナシだ。

●書式デザイン   2016.11.24
キレイな写真や美しいイラスト、面白い動画やアニメ等をレイアウトするのは簡単だ。いや、簡単というより完成度の高いデザインを行ったところで、見る人の目は、その写真やイラストに向けられるので、そのレイアウトのデザインが評価されることも批判されることもない。つまり真剣にデザインする必要もなく、手抜きもできるということになる。しかしこれがテキストだけのデザインとなるとそうはいかない。クライアントの目も「文字」だけに向けられる。そして文字間、フォントサイズ、改行位置などの重箱の隅々に及ぶことになる。グラフィックデザインであれば印刷手配した時点でこの重箱コメントは終了するが、ウェブデザインの場合は公開後にも恒久的に続くことになる。拘りだすとエンドレスになってしまう人間というのいは、ある一定の確率でいるようだ。

●死者を惜しむ   2016.11.23
1人の人間が死んだ時、膨大の量のパソコンデータが管理されない放置状態となる。それもクラウドにアップされた状態で半永久的に誰にも見られることもなくクラウドのサーバー上に残されることになる。これをどうするか?例えば本人の生死に関わらず100年以上更新されていないアカウントは管理者が消去できるというような法的な整備をするというのも1つの方法だろう。または本人の死亡が確認された段階で一般の人に「死亡者アカウント一覧」みたいなかたちで公開できるようにするというのも1つの方法かもしれない。死者を惜しむという意味では「墓」よりも有効だろう。

●小さいコト   2016.11.22
小規模な会社の中だけで生きている人。彼のライバルは同じ会社内の同年代の人たちであり、毎年年度末になると、その人たちの同行や自分の処遇ばかりが気になる。ひょっとしたらアイツが自分よりも先に昇級して偉くなってしまわないか?もしかして自分は他の部署に移動させられたりはしないか?来年度は自分の上司や部下はどんなメンバーになるのか?アイツの上はどんな人物になり何人の部下がつくのだ?といったように、社外の人間から見ればどーーーでもいいような小さい小さいコトに気をかけて一喜一憂するのだ。100m上空から見れば、ほんの小さな空間の中で起こっている出来事であり、1000m上空からみれば。同じような規模の小さな会社は無数にあり、10000m上空から見れば目には見えない雑菌の世界で起こっているハナシであろう。

●もしも、生まれ変わったら   2016.11.21
もしも、生まれ変わったら今度はフランス人に生まれたい!とか、生まれ変わったら超大金もちの裕福な家庭に生まれたい!とか、…しかしちょっと待て。生まれ変わったら人間になれるとは限らない。地球上の牛、羊、豚、ヤギ、犬、猫などの家畜の数を足すとは約100億になる。人間に生まれる確率よりも家畜に生まれる確率のほうがちょっと高いのだ。さらに地球上には1兆4853億匹のゴキブリが生息していると言われている。ゴキブリに生まれる確率のほうが200倍高いのだ。さらに1人の人間の腸の中には100兆の腸内細菌が生息している。つまり人間に生まれるというのは超ミラクルボンバーな奇跡的なことなのだ。だから命は大切にしないといけない。

●暇つぶし   2016.11.20
普通の人間であればどこかで時間を潰さなければならない機会はよくある。駅や空港での待ち時間。待ち合わせ時間に早く着きすぎてしまった時。病院や銀行での待ち時間。そんなとき、人は雑誌や漫画をパラパラと捲ったりしていた。ところが今は老若男女を問わずもっぱらケータイいじりだ。スマホもあればガラケーもある。SNSもあればゲームやウェブの場合もある。それでは!ということでスマホで読める漫画を月額固定価格で発売したところが、これが売れてないようだ。雑誌や漫画は、所詮暇つぶしなのだ。人は暇つぶしのために積極的に金は使わない。リアルの雑誌や漫画はそのへんに転がってるから手に取るのであって、金を払ってまで、それほど読みたいとは人は思っていない。

●烏合の衆   2016.11.19
寄り集まって騒ぐだけの群衆や軍勢のことを烏合の衆という。耿弇(こうえん)という漢の武将が、敵である王郎(おうろう)の軍隊に対して言った「烏合の衆に過ぎない王郎の軍など、枯れるを挫き腐れたるを折るように簡単に蹴散らすことができる」という言葉に基づくとのこと。枯れたり腐ったりした枝を蹴散らすくらいに簡単にやっつけられるのが烏合の衆ということらしい。しかし烏合の「烏」は確かに大勢で泣きわめくこともあるが、1羽だけの単独の場合でも、けっこう独自性のある強い行動をとることもある。それに引き換え人間の烏合の衆と呼ばれる集団は、確かに1人だけでは、枯れた枝のように簡単に体も心も折れてしまうようである。

●戻るボタン   2016.11.18
スマホであれば最初からOSで戻るボタン(<マーク)が表示されるが、パソコンでは画面上に専用のJavaScriptでも使わない限りは戻るボタンは表示されない。この戻るボタンをhtmlでの設置は、デザイナーのセンスと腕の見せどころろも言える。コンテンツを見終わるであろうタイミングで適切な位置に配置し、コンテンツの内容によってオンマウスで色を変えたりボタンを凹ましたり、逆にテキストだけで何も変化させないようにしたりと。とまあ色々と工夫をするのではあるが、実際に使っている場面を見ると「常にブラウザの戻るボタンで戻る」人も少なくないようである(どんなにポインターからの位置が離れていても)。「常に同じ」ということも大切である。

●長〜い文章   2016.11.17
今に始まったことではないがレスポンシブルのホームページを作るときに、どうしてもパソコンのことだけしか考えられなくなる人が多い。安全を見て、色々と予防線を張って、突っ込まれないようにするために、文字がやたらと多くなる。パソコンであれば「ちっ!ぐだぐだと書いてやがるなぁ」と思われる程度であるが、スマホでは、そのぐだぐだと書いてあるテキストの量はぱっと見では分からない。スクロールすれどもすれどもテキストが続くと「くそ!いい加減にしてくれ!」という気分になり途中から読まなくなる。そして長〜い文章を書く人間に限って、他人の書いた長い文章は読まなかったりするものだ。

●性格タイプ   2016.11.16
最新の研究によると、ほとんどの人は基本となる4種の性格タイプに分類できるそうだ。90パーセントの人が「楽観型」「悲観型」「信義型」「嫉妬型」に分けられるという。ペインのマドリード・カルロス3世大学で実施された実験では、541人のボランティアを対象に2人1組のペアを組んでもらい社会的ゲームを行ってもらった結果、①楽観型(20パーセント)チームは両者にとってベストな選択を行うはずだと信じるタイプ。②悲観型(20パーセント)ましだと思える選択を行うタイプ。③ 信義型(20パーセント)負けることになったとしても、常に他人に協力しようとするタイプ。④嫉妬型(30パーセント)パートナーに勝っている限り、自分の成績自体は気にしないタイプ。となったそうだ。う〜ん、日本人は②と④が多いように思える。ちなみにもっとも多いのは数字を見て分かる通り嫉妬型だ。

●本音を聞けない人   2016.11.15
ワンマンでマイペースで人の話を聞かずに何でも自分の力で遂行する人。あたかもこの世に怖いものは無い!という感じでイケイケの人世を歩んできた。ろころが、ある時なんとなく感じる。「どうも最近周囲の人間や世の中の流れとオレの考え方とで歯車が噛み合ってないのではないか?」と。しかしその時にはもう手遅れである。周囲の人間は誰も本心を語らなくなっていて、腹を割って話をするような相手もいなくなっている。ワンマンは、自分の意見と反対の意見を言う人、自分と波長の合わない人を、力でねじ伏せてきた。そして誰もが「あいつを怒らせてはいけない」ということを第一条件として付き合うようになっていた。全ての人がまずは「ご機嫌取り」からアプローチするようになっている。だれも「本音」なんか絶対に言わない。

●嘘をつく子供の親は厳しい   2016.11.14
イギリスの心理療法士、フィリッパ・ペリーは、最近になって「子どもの嘘は、いわば親子が共同で生み出しているようなもの。子どもが安心して本音や真実を言えないような厳格な環境を作り出している親は、子どもに嘘をつかれたとしても、それは自らの責任である」と発言したそうだ。この発言は色々と物議を醸したようだが、普通に日本人の経験則からすると「上手い嘘をつく子供の親は厳しい」といことは何となく分かるような気がする。改めて、今さらニュースになるほどのことではないように思う。

●30年若かったら   2016.11.13
「あーあ、あと30年若かったらなぁ…」と思うことがある。しかしその場合、現在のまま30歳若返るのだろうか?そうはいかない。周囲の人間は今のままで自分だけが若返ったら色々と面倒なことが起こるはずだし、そもそも自分の子供が自分よりも年上になるのだ。では全員が平等に30年前にタイムスリップすればよいのか。それも最初は色々と懐かしく感激もするだろうが、いかんせんネットは無いし、ケータイも無いし、生活のテンポは遅いし、色々とストレスが溜まる一方だろう。従って30年前にタイムスリップするとすれば現在の記憶は完全消去させることが条件となるだろう。ということは既に何度も30年前にタイムスリップしているのかもしれない。

●ラジオと電話   2016.11.12
ひと昔前まではラジオと電話は別々のデバイスであった。この2つがいっしょになると考える人は少なかったはずだ。しかしスマホという電話にはアプリというプラグインを追加することで、世の中の多くのデバイスを代用できるようなり、ラジオも例外ではなくなった。今では「ラジオ」という単機能のデバイスを所有する人は少ないはずだ。ただ一つ困ることはラジオ番組の中でリスナーに電話を架けるものがある。プッシュ音と呼び出し音がラジオから流れるのだ。スマホアプリで聞いているラジオでは、これが実に紛らわしい。

●数値が低いほど凄いもの   2016.11.11
数値が低いほど凄いもの。陸上100m走のタイム。台風の中心気圧。順位。投手の防御率。ゴルフのスコア。虫歯の本数。前科。マイナス金利の利息。抜け毛の本数。ヤクザの指の数。不快指数。体脂肪率。死亡率。ウエストサイズ。顔のサイズ。水着の面積。働いている時間。遊んでいる時間。

●米大統領選   2016.11.10
どちらが良いか?ではなく、どっちがダメか?という意味では日本の安倍内閣は民進党がダメダメ過ぎて相対的に高い支持率を確保しているのとも言えるのではないか。それに比べるとアメリカの民主党は「ちゃんとしてる」感が強い。とはいえ今回の大統領選は、どちらが良いか?ではなく、どっちがダメか?という消去法で選ばれた感が強い。うんこ味のカレーとカレー味のうんこのどっちを食べるか?という感じだろうか。まぁ、名前がドナルドトランプのほうが、トイザらスのレシートみたいで親しみが持てるから、まぁ、いいか。という感じだろうか。

●XMC10(ポータブック)のその後のその後   2016.11.09
今年の始めに小売価格10万円前後で発売されたキングジムのXMC10であるが「これは売れない!」と散々このブログでも書き、価格変動をウォッチングもしてきたのだが、先日ついにヨドバシ・ドット・コムで新品が¥23,540という価格がつけられた。いくら価格変動の激しいコンピュータというカテゴリーの商品であっても、1年経つ前に価格が1/4に下がるというのも珍しいのではないか。今年の始めに10万円で買った人も、今、こんな値段で売らなければいけない人も、こんな値段で売らなければいけないモノを作った人も、ヤフオクに4万円で出品している人も、全員が不幸なように思える。

●フォトショ   2016.11.08
10年前まではフォトショ(Photoshop)を使わなければ出来なかったような作業が、今ではWordでもHTML5でも出来るようになってきた。またフリーのアプリでもかなりの加工ができるようになり、プロのデザイナーやイラストレーター以外はフォトショを使わなくても、ほとんどの場合、なんとかなるのが実情だろう。しかし「私はフォトショが使えるんだ!」というステイタスのためだけにフォトショをマスターしたいという人も少なくないようだ。基本的な操作を覚えるには1ヶ月、フォトショで稼げるようになるまでは1年かかるとも言われている。ところが「私はフォトショが使えるんだ!」というステイタスのためだけにフォトショをマスターしたいという人の多くは、数回の授業だけでフォトショが使えるようになりたいと思っている。大学の授業でも2コマの授業を7回やっても、黙っていても使えるようになる学生は1〜2割程度だ。

●5年保証   2016.11.07
パナソニックがLED電球に5年保証をつけるそうだ。点灯しなくなる故障が発生し、レシートや製造番号で5年以内と確認できれば新品と無料で交換するとのこと。しかし家電製品を「いつ買ったか?」などということは普通は覚えていないし、電球などという消耗品については尚更だろう。企業であれば出納帳に記録されているかもしれないが、いちいち購入履歴を調べるよりも、2〜3年経っていたとしたら新たに新品を購入するのが普通だろう。安さが売りの海外メーカーとの差別化なのだそうだが、消費者は「5年保証」よりも、その場で購入するときの「価格」で選ぶはずだ。長期保証はしていないものの、商品名が「長寿」とかいう中国製の商品がすぐに登場してくるかもしれない。とはいえ中国製がすぐに故障するわけでもなく、そこそこの長寿でもあるはずだ。「日本製=高品質」というのは遠い過去のハナシのはずだが、作る側のメーカーが「日本製=高品質」に頼ってる場合ではもはや無いだろう。そのことで痛い目を見てきたはずなのに「学習能力無いのか?」と思わざるを得ない戦略だ。

●強行採決   2016.11.06
日本の法律のほとんどが多数決ではなく「全会一致」で成立する。与野党の双方が議論をして修正をした後に、各党が共通して支持する法案となるケースがほとんどだそうだ。しかし法案の内容のよっては与野党の主張が真っ向から対立して、各党が共通して支持する法案には永遠にならないであろう時には、審議にかける時間を無駄にしないために、止む無く採決をとることもある。これが「強行採決」と呼ばれるようになっているが、「強行採決」とは、マスコミが作り出した用語であり、法律に定められているわけでもなく厳密な定義も無い。議会制民主主義は多数決で物事を決定していくシステムだ。選挙で多数を獲得した与党は、「民意」にしたがって決を取るに過ぎない。それを野党は「数にものを言わせて強行採決した!」とか言う以前に、何であんたの党は選挙で獲得した票数が少なかったのか?を考えるべきであろう。まあしかし、強行採決に反対するプラカードを作って、いいおっさんが国会で肉弾戦もどきを行うパフォーマンスは、チープな演劇のようもあり、見る人を楽しませてくれると同時に辟易するものでもある。

●Photoshopの教え方   2016.11.05
Photoshopを習得するには大雑把に1ヶ月かかると言われている。数十万円の月謝を払って専門のスクールに通えばもう少し早く習得できるかもしれない。とはいえPhotoshopは「モンスター」なソフトであり、全ての機能を掌握できている人はほんの僅かであろう。そしてその僅かな人がPhotoshopを使って魅力的な成果物を制作できるかといえば、それは別のハナシであろう。ただ、ある程度のコンピューターとグラフィックデザインのセンスとスキルがある生徒であれば次の3つの使い方を教えることで、大抵のことはすぐに出来るようになる。①レイヤーウインドウ、②投げ縄ツール、③自由変形。RGBの理論とかフィルターの使い方はずーーっと後からでも良い。

●エイリアン   2016.11.04
「エイリアン」とは「よそもの」を意味する言葉であり「外国人」「異星人」などに対して使われる。1979年の映画がヒットすると、主に「宇宙人」をイメージする言葉となった。また「プレデター」とは「天敵」「捕食者」の意味であり、必ずしも宇宙から来たものに限定されてはいない。こちらは1987年にヒットした映画である。いずれも映画でのキャラの印象が強く、宇宙人の代名詞として使われるようになった。そしてチープなB級SF映画でも、題名に「エイリアン」や「プレデター」を入れて興行収入を狙う作品も増えた。「ジャンゴvsエイリアン」「プレデターx」などは笑ってしまうくらいのお粗末なB級映画もある。ちなみにソウルの空港では最近まで外国人を意味する言葉として「Alien(エイリアン)」が使われていた。

●デザインコンペ-3   2016.11.03
入選するかどうかわからないコンペ用の作品制作にかける時間があれば、確実に報酬のある作品制作を優先するのがまともな考え方であろう。それだけに小規模なデザインコンペでは作品が集まらないことも少なくないようだ。そして提出期限ギリギリになって「作品が集まらないので何か出してくれないか?」的な要請が来ることがある。尋常ではない納期でだ。従って完成度の低いやっつけ仕事の作品を提出することになる。もっともその時点では誰を入選させるかが内々では決まっているのだろうから、完成度の高い本気モードのデザインをしたところで入選できる可能性は極めて低い。主催者側の「◯◯点の中から選ばれました」という◯◯の数字を増やすためだけの仕事である。

●デザインコンペ-2   2016.11.02
入札で参加者が用意するのは「書類」である。しかしコンペで参加者が用意するのは「作品」である。建築物や工業製品であれば「完成予想図」や「図面」が「作品」ということになるが、グラフィックデザインでは、ほぼ完成品が提出する「作品」となる。しかしコンペは落選作品については普通は賞金は出ない。つまり無償でな制作作業というわけだ。よほど仕事が無い場合以外では、プロのデザイナーが無償で長い時間をかけた制作活動はなかなかできない。そうなると「必ず入選させるから、気合いを入れてデザインしてくれ!」と誰かに言われない限り、本気のデザインはするわけには、なかなかいかないのが現実だろう。

●デザインコンペ-1   2016.11.01
「箱もの」の入札に相当するのがデザインコンペだ。入札は「金額・条件をそれぞれが書いて差し出すこと」であり「一番有利な条件を申し出た者と契約するという定め」になっている。これらの内容の多くは数値化されているために客観的な判断は容易である。しかしデザインコンペでは「複数の作品の評価を競い合わせ、優れたものを選ぶこと」となっている。ここでの「優れたもの」には客観性を見出すのは難しく、個人の趣味や好みで判定されることが多い。また「ぱっと見すごい」ものと「飽きのこない」ものとでは基本的に相反する場合が多く、公平公正な判定というよりは、審査員の影響力に左右されることが多いのは仕方のないところだろう。


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