2017年4月

●GoogleのAI(3)   2017.4.30
→昨日の続き。それではどのようにSEO対策をすればいいのか?ということだが、Googleは動画や画像そのものをAI(人工知能)で解析し、判断基準にしていくので、ユーザーが求めている、またはイメージしやすい動画や画像を積極的に取り入れることだろう。そして既存の、売り上げアップだけを睨んだセコい都市伝説的なSEO対策は一旦リセットして「ユーザー目線」をもう一度考え直す必要があるだろう。いずれは、大手サイトや有名サイトといった先入観を持たないAI(人工知能)が、正当に評価してくれるはずだ。という予測もあるが、知名度優先というのも、ある意味「ユーザー目線」なので、ここは簡単にはいかない部分かもしれない。

●GoogleのAI(2)   2017.4.29
→昨日の続き。動画の中身の情報を自動で解析し、動画に写っているシーンや人・物・アクションにタグ付け&テキスト化できるようになる。というのは、ずいぶん前から言われていた話。Googleの研究で、コンピューターが猫を認識する能力を自ら身につけたらしい。一週間にわたりYouTubeビデオを見せた結果、コンピューターは猫の写真を見分けることができるようになった、というのだ。その技術でGoogleの検索ロボットが画像データを理解しているということにもなる。実際にテキストデータがほとんどなく、バナー画像を並べただけのページが特定のキーワードで上位に表示されるようになった。その特定のキーワードはページ内に書かれていないものである。→明日に続く。

●GoogleのAI(1)   2017.4.28
AIとは推測(言われていないことができ、間違っても自分で訂正できる)、自分で勉強、成長することができるプログラムのことである。検索キーワード毎に、検索ユーザーがどんな情報が求めているかを学習し、検索結果に表示するページを改善するためにAIを利用している。そしてGoogleは、ページ内に書いてある文章の内容を読解するようになってきたとのこと。つまりページ内に書かれているテキストの内容が大切であり、"keywords"や "description"や"alt"や"h1"はあまり関係なくなってきている、というか本文の内容と合致しない場合は、むしろマイナスになる、ということなのか。しかしそれだけではない。ページ内に文章がほとんど無くても検索結果の上位にくるというケースもある。→明日に続く。

●4D(2)   2017.4.27
→昨日の続き。4次元が3次元+時間、なのだが、これにもう1次元追加した「5次元宇宙論」というものがある。これは4次元世界が折り重なるように多層的に存在し、その間を重力子を通して情報のやり取りをしているという理論のようなのだが、そもそも3次元で生活している我々にはイメージするのは難しい。仮に2次元で生活している人に3次元というものがイメージできないのと同じであり、先天的な全盲の人が「見える」という概念が理解できないのと同じであろう。「僕には1つ下の彼女がいます」の1つ下とは、次元が1つ下という意味で使われることがあるのだが、これは比較的理解しやすい。

●4D(1)   2017.4.26
1次元が点、2次元が面、3次元が奥行きのある立体、4次元が3次元+時間、という概念であるはずだが、「4D技術」という言葉は、3次元+嗅覚・味覚・触覚などの感覚で使われる場合が多いようだ。アミューズメントパークでの4Dアトラクションでは擬似タイムマシンのような感覚が味わえると思いきや、炎の熱を感じたり、水に濡れた感覚のために霧を吹いたりするような子供騙しの場合もある。シートが予期せぬ動きをすることで、これを1Dに追加して4Dと謳っている絶叫マシンとかもある。4Dも安売りされるようになったもんだ。→明日へ続く。

●レベルの均一化   2017.4.25
子供たちの学習レベルが年を追って、少しずつではあるが均一化しつつあるように思える。成績をつけるにしてもオール3.5という感じで、ズバ抜けて優秀とか、ズバ抜けて出来ないという生徒が少なくなってきた。野球で言えば全員が6番打者、相撲で言えば全員が前頭筆頭、全員が「合格」はできるが誰も「優勝」はできない、ということで、学校が、自動車教習所化していくようだ。免許(単位)がとれればそれでOKみたいに。

●パネル   2017.4.24
国会中継の定番となってきた「パネルをご覧ください」だが、このパネルで実に見にくくデザインされていないものが多い。何を訴えたいのか要点だけを簡潔にまとめればいいものを、細かい字でいらんデータまで細かく書いてある。新聞や週刊誌の記事をそのまま拡大コピーして作ったものや、都合の悪い部分は、わざと小さな字で書いたりと、あまりにもグラフィックデザインのセンスが稚拙でレベルが低すぎる。テレビカメラも映し出すのに苦労しているようでもある。いっそのこと議場に液晶プロジェクタでスクリーンに映し出せるようにしたほうがいいのではないか?と、そうなるまでには、もう1クール、世代が一巡しないと無理なのだろう。

●ググる-2   2017.4.23
→昨日の続き。それではもう少し具体的なワードでググってみよう「安倍 安保法案」 504,000ヒット、「今村 失言」513,000ヒット、「稲田 辞職」546,000ヒット、「中川 離党」464,000 ヒット、という感じだ。一方民進党では「蓮舫 国籍」1,030,000ヒット、「辻元 森友」1,020,000ヒット、とだいたいダブルスコアのようだ。「山尾 ガソリン」419,000ヒットと意外と少ない。また「足立 民進党」643,000ヒットというのも興味深い。足立信也という民進党議員もいるが、ここでの「足立」のほとんどは維新の会の「足立康史」であるようだ。同じく「西田 民進党」421,000ヒットも民進党の西田政充ではなく、民進党の天敵で自民党の「西田昌司」であるようだ。

●ググる-1   2017.4.22
「民進党」でググろうとすると、その候補のワードとして「民進党ブーメラン」「民進党はあほ」「民進党バカ」「民進党蓮舫」「民進党玉木」「民進党フルボッコ」「民進党小西」「民進党福島」「民進党福山」と出てくる。多くの人が入力したワードが自動的に表示されるわけである。どうせ政党なんてそんなもんだろ、と思って「自民党」でググろうとすると、「自民党大会」「自民党cm」「自民党党大会」「自民党西田昌司」「自民党戦国史」「自民党総選挙」「自民党西田」「自民党党歌」「自民党稲葉康弘」と出てくる。民進党に比べて実に普通でつまらない。そして民進党の議員の名前が全て吐きすてるように入力しているよいうにも思えてくる。→明日に続く。

●馬鹿としか言いようがない   2017.4.21
自動車が普及すると、馬車も人力車も駕籠も大八車も利用者がいなくなり、いずれ消えてゆくものだということは誰でも当たり前と思っていたし、そのことを否定する理屈があったにしても誰も耳を傾けなかった。インターネットが普及すると、新聞も手紙もテレビも雑誌も利用者がいなくなり、いずれ消えてゆくものだということは誰でも当たり前と思っているし、そのことを否定する理屈があったにしても誰も耳を傾けなくなっている。それでも新聞や手紙やテレビや雑誌の復活を待っている人は、超ド級のウルトラミラクルスーパー馬鹿としか言いようがない。

●250倍   2017.4.20
普段は理論的で冷静で教養もあり頭も良く、他人がやったことに対する評価や評論は実に適切で優秀と言われている人でも、いざ自分が出したアイディアや提案は稚拙でつまらない内容である場合が多い。要するに自分を自分で過大評価しているのだろう。そして他人に厳しく自分に甘いということなんだろう。または、自分が可愛くてしょうがないということなんだろう。いずれにしても他人のやったことを評価するのは、自分でやるのは比べれば250倍簡単だということが分かってはいない、ということなんだろう。

●大掃除   2017.4.19
大掃除をしなければいけない役所は全国にたくさんある。民間企業であれば「有りえない散らかりよう」でもそのままで平然と普通に仕事をしている。同じように役所の公式サイトの多くが「大掃除が必要」な状態だ。リアルではないので見た目では分かりにくいが、そのほとんどが1歩足を踏み入れたら自分が何処に居るのか分からないような、縦割りで多数のコンテンツが重複し場当たり的に増設された樹海のようなディレクトリ構成のまま長年大掃除されていない放置された状態である。担当者丸投げの管理職が入ったことがないというのも問題であろう。

●インターネット選挙   2017.4.18
インターネット選挙運動が2013年に解禁された。そして「買い物」と同じように「選挙」もインターネット化が進んでいったのかというとそうはいかない。「選挙」というのか超アンログで超リアルなもののようだ。どんなに素晴らしいポスターを作ろうが、どんなに内容の濃いリーフレットを作ろうが、どんなに立派なホームページを作ろうが、最終的には「握手をした有権者の数」が投票に直結する。ポスターもリーフレットもホームページもオマケの小道具のようなものだ。その証拠に、すっげーダサいポスターでも、すっげーダサいリーフレットでも、すっげーダサいホームページでも、トップで大差で当選を果たした候補者は珍しくない。

●準備体操   2017.4.17
料理の本に書いてある通りに作った料理。だいたい書いてある通りの味の料理を作ることができる。日曜大工の本に書いてある通りに本棚を作る。本に載っている写真とはちょっと違うかもせれないがだいたい同じものが出来た。プラモデルを作る。プラモデルには必ず設計図なるものが同梱されているが、なかなか設計図通りにはいかない。だいたいの形はできるのだが、接着剤がはみ出したり、塗装が不完全だったり、稼働部品がうまく動作しなかったりする。設計図では説明しきれないノウハウがそこにあるからだ。ホームページも同じだ。本に書いてあることは、あくまでも一部の理論にすぎない。実際に作ってみると、本には書いてない問題や疑問や課題が山ほどある。それらを解決していかない限りは永遠に完成することはない。本だけを読んで、理屈だけを理解するだけでは、準備体操が終わっただけに過ぎない。

●語学力   2017.4.16
クライアントからメールの英訳を頼まれた。どうやら海外のメーカーの日本法人に「英訳して現地の本社に送って欲しい」と依頼したところが「英訳してから持ってきてくれ」と言われたとのことでブリブリ怒りながら頼んできた。それもそのはずで、まずは英訳する前の日本語が「意味が分からない」。誰が何時、どいう理由で、何をしたいのか?が、文面からは全く読み取れないのだ。これでは「英訳してから持ってきてくれ」と言われるのも当然の話である。基本的に英語ができるということは語学力があるということで、英語ができない人の多くは語学力が無く、ついでに言ってる事にも主語と述語と修飾語がばらんばらんで、何を言いたいのか分からなかったりもするものだ。

●h1タグ   2017.4.15
h1、h2などの見出しタグはSEO対策としては重要な位置づけとされてきた。ただしh1をそのまま使うと、特に日本語では「デカすぎてカッコ悪い」ということになる。そこでcssでフォントサイズを小さく矯正するという方法になるのだが、これは「不正行為」とGoogleにみなされインデックスから除外される可能性もあるとされてきた。というのは昔の話で、今では多くのサイトでh1+cssでリサイズということを行っている。ホントに大丈夫なの?という気もするが、cssを使わないページなど無いので、ここだけを除外するわけにもいかないのだろう。もっともhttp://www.google.co.jpのソースでも同じようなh1の使われ方をしているので、ま、問題は無いのだろう。

●感性   2017.4.14
AIとロボットの進化によって、今からそれほど遠くない未来に「技術的失業」と呼ばれる大規模な人類規模の失業が起きることが危惧されているそうだ。まぁ、そうは言っても「デザイナー」という職業は人間の「感性」が重視される業種であり、そうそう簡単にロボットに奪われることない、と思われるかもしれない。しかし現実にウェブデザインの仕事などというのは、jQueryやCMSによって自動化が確実に進み、「感性」が要求される部分はほとんど無くなってきている。「感性」を重視というのは、作る側の手前味噌で勝手な思い込みであって、使う側はほとんど重視していないのが現実であろう。

●発信源を散在させる   2017.4.13
民進党の野田幹事長が「ネットが一番つらい。我々に厳しく自民党に甘い。」 と言ったそうだ。どうなんだろうか、ネットが自民党に甘く民進党に厳しいわけではなく、テレビや新聞が自民党に厳しく民進党に甘いのではないだろうか?もともとテレビや新聞は野党寄りで与党を批判したほうが見る人の興味をそそるし視聴率も販売部数も上がるというもの。それに比べてネットは営利とは関係無しに情報を発信している人も多く、発信源も世界中に散在しているために見つけて圧力をかけることもできない。その点、テレビや新聞は発信元は限定されているし、脅しに行ったり殴り込みに行ったりもできるわけだ。もともとインターネットは敵に拠点を攻撃されても大丈夫なように、拠点を分散させて世界中に配置してお互いをネットワークでつないで情報を共有するというものだったはずで、その通りになっているというだけのことだろう。

●時計   2017.4.12
時計はデジタルよりもアナログのほうが感覚的にわかりやすい、という人がいるが本当だろうか?単に子供の頃刷り込まれたからそう感じるようになってしまっただけではないのか。なぜ長針が2を指してるとに10分なんだよ?だったら紛らわしいから文字盤に数字書くなよ!てか、なんで12進法と60進法なんだよ!全部10進法で統一しろよ!そもそも1秒以下の桁は既に10進法だし。こんなに複雑で難解で世界共通で一般化しているシステムっていうのは他に無いだろう。いつか、ある時点で「せ〜の」で変えないと、この非効率な状況は永遠に続くことになってしまう。

●タイトルタグ(3)   2017.4.11
→昨日の続き。SEO騒動がひと段落し、タイトルタグへの記述もそれほどSEO効果が無くなってきたころ、もはやタブブラウザのタブが何を意味しているのか知ってる人も少なくなっていた。例えばPDFファイルなどをブラウザで表示させるときに、全く意味不明の呪文のようなものが、タブに表示されることもある。この現象はMicrosoft Wordで作ったファイルをPDFで保存したときに、元のWordファイルを保存したときのファイル名が表示されるというものだ。そんなこともあってかタブに表示された内容などは最初からスルーする人も多いようだ。まぁ、いずれにしてもウェブサイトがスマホ主流になれば、<title>と</title>の間にタイトルを書くという意味も色んな意味で薄れてくるのだろう。

●タイトルタグ(2)   2017.4.10
→昨日の続き。しかしタブブラウザの普及と同時に普及したのがオールFLASHのウェブサイトだ。リンクボタンもランクバナーも全てFLASHの中のActionScriptで作られているためにタブに表示されるのはFLASHを表示させている最初の1ページだけになってしまい、タイトルタグの意味合いも薄れてきた。そんな矢先にスティーブ・ジョブスが「もうFLASHは使わん!」と言ったためにFLASHで作ったサイトは激減し衰退した。そしてそのころからSEO対策が流行し、<title>と</title>の間にそのサイトのSEO用のキーワードを入れるようになった。例えば「◯◯のことなら◯◯市の◯◯専門店、◯◯◯商店へ!」というようにだ。タブはサイズが限られているので「◯◯のことなら◯◯市〜」ぐらいしか表示できず、各ページの内容まで分かるものにはならなかった。→明日へ続く。

●タイトルタグ(1)   2017.4.09
htmlで<title>Hello!</title>と打つと、ブラウザ左上に「Hello!」の文字が表示される。この<title>と</title>の間にそのページのタイトルを入力して、そのページの内容が一目で分かるようにするのがタイトルタグの本来の目的であった。ところが2000年過ぎからフレーム構造のホームページが流行り出し、フレーム=高級、というイメージになり、こぞってフレーム構造のホームページが作られるようになった。しかしそうなるとページのタイトルは親フレームの内容しか表示されないため、その時点で表示されている子フレームのコンテンツはブラウザ左上には表示されなくなった。そして2003年頃からはタブブラウザが主流となり、それまでブラウザ画面の左上に表示されていたものが、タブの中に表示され、より認識されやすくなった。→明日へ続く。

●サタデー・ナイト・フィーバー(2)   2017.4.08
→昨日の続き。1992年といえば、日本でも民間企業では既に週休二日制を採用されていたところも多く、「木曜ナイト・フィーバー」とか言って、木曜の夜にフィーバーして、金曜は会社でボーッとしながら何とかやり過ごし、土曜日はゆっくり休んで、日曜日はレジャーや趣味に費やす、といったライフスタイルが流行った。1968年に「恋の季節」がヒットしたピンキーとキラーズの1970年の曲で「土曜日はいちばん」というのがあったが、当時の日本人は「土曜日がいちばん幸せ」という気持ちはあったが、フィーバーするまでには至らなかったのであろう。まぁプレミアムフライデーでも、なかなかフィーバーするまでには至ってないようである。

●サタデー・ナイト・フィーバー(1)   2017.4.07
1977年製作のアメリカ映画であり、ジョン・トラボルタの出世作である。しかし、この当時はサタデーナイトにもっともフィーバーできたわけであり、それは次の日の日曜が休みだったからであり、ということは土曜日はみんな出勤していたということだ。日本で国家公務員の完全週休二日制を実施されたのは1992年であり結構最近のことだ。世界的に色々なモノの生産性が向上して、人間が週に6日も働かなくて良くなったということだろう。→明日へ続く。

●全角英数文字は使わないようにしよう   2017.4.06
日本語のワープロソフトを使っている場合、英数文字も全角のままで打つことがある。もともと英数は半角で収まるものを無理やり全角に広げているので書式デザインとしてのバランスが悪い。作表などで文字幅を日本語と英数を揃えるときには重宝するのだが、その重宝というのはほとんどが作り手側の拘りであり読む側にとっては関係が無い。文字情報というものは書式デザインがどうあれ伝えることができるという事が前提にある。スマホの狭い画面にできるだけ沢山の文字を収めなければならない場合に全角英数文字は百害あって一利無しだ。例えば全角で「89歳」と書くと、8と9の間で改行されてしまい、行の始まりが「9歳」からになるということがある。数字が途中で改行されることで読み間違いや勘違いの原因となるわけだ。いずれにしても全角英数文字は使わないようにしよう。

●「スマホ対応」ラベル   2017.4.05
スマホのGoogleの検索結果の「スマホ対応」ラベルが今後表示されなくなるらしい。というのは昨年8月のアナウンスだ。確かに今では「スマホ対応」ラベルは表示されていない。ということに気がつかなかったくらいにスマホサイトは一般化していて「今では85%ものGoogleモバイル検索掲載サイトがスマホ対応しているといいます。」と、昨年の8月にアナウンスされている。にもかかわらずスマホ対応されていないホームページとは、もはや存在価値も無いと言えるだろう。ではなぜ残り15%ものホームページがスマホ対応されていないまま公開されているかと言えば、そのほとんどが未だにガラケーを使っている社長の自己満足のための企業サイトであるからだ。

●試練   2017.4.04
どうあがいても雇用というものは確実に減少していくであろう。そして究極的には全ての人が働かなくても食べていけるという社会が到来するだろう。そうなると人間は「どう働くか?」よりも「どうやって余暇を過ごすか?」ということを考えていかなければいけなくなる。しかし問題は、その究極に達するまでの移行期間をどうやって耐え凌ぐか?ということになるだろう。仕事がなくなると同時に生活費が保証されるわけではない。また仕事がなくなってしまった人間が全く仕事というものをいないで過ごす生活に耐えられるか?という問題もある。いずれにしても「働かなくても食べていける」という薔薇色の社会が到来する前には、想像を絶するような試練を乗り越えなければいけないように思える。

●一人称   2017.4.03
自信の無い人間の会話の中にはやたらと一人称(私はー)が多い。論破されること、非難されることを恐れながら喋っていると、自ずと一人称が多くなる。ビビっていると同時に自分に言い聞かせて、念を押し、自らを納得させるという意味もあるのだろう。自信のある人、全体の進行を考えている人、他人の話を聞くことを優先している人の会話の中には一人称は登場しない。一人称が頻繁に登場する会話は、聞いている人間にとっては「鬱陶しい」「ウザい」「また始まった」「結局自分のことばかり」という印象を与える。例えそうでないにしてもだ。まぁ、とはいえ政治家の話に一人称が多いのは、1票を投じてもらうためなのだから仕方がないだろう。ということは政治家でもない一般人が一人称を多用すると、良くも悪くも政治家の演説のように聞こえてくるものだ。

●神のお告げ   2017.4.02
おばあさんは言った「この雨はすぐに止むよ」そして「敏子(嫁)はすぐに帰ってくるさ」。しかし雨は3日間降り続き、敏子は二度と帰ってこなかった。高齢者は多くの経験があるため、理屈ではなく、直感や第六感で物事を判断し、その結果が図星であったりもする。「さすが長老の言うことは、いつも的を得てる!」ということになるのだが、今は高齢化社会で長老だらけであり、昔のように村人から尊敬されたり崇拝されたりはしていない。そして高齢者だからと言って、神のお告げが聞けたり、封印された悪魔の動向が分かるわけでもない。単に、自分の希望を、何の根拠もなく言っていることのほうが圧倒的に多かったりする。

●安心   2017.4.01
最近の住宅にはブロック塀が無い。泥棒が身を隠せないようにオープンな作りになっているのだが、これば「安心」かと言うと、戦後の混乱の時代を生きてきた高齢者にとっては違う。「囲いの無い家なんぞは物騒で住めん!」となるわけだ。豊洲の移転問題で「安心」という言葉がクローズアップされているようだが、そもそも「安心」の基準には大きな個人差がある。心配性の人にとっては、家族が出かけるだけで、事故に遭ったりはしないかと不安で心配な出来事なのだ。何をもって「安心」と言えるのかに定義などはない。だいたい人は「安心」しきっているころに事故や災難に遭う。そいう意味では「安心」は「油断」と同じようなものなのかもしれない。

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