2017年6月

●賭け   2017.6.30
何か新しいコトをやろうとするとき、新しいモノを作ろうとするときには、必ずその過程のどこかで「賭け」をしなければならない。実績があるコト、既にあるモノ、と同じであってはどこも新しくならない。最初は大風呂敷を広げて「新しいことをやるんだ!」と言いつつ、いざ始めてみると、過去に実例の無いことは不安で心配でビビってできない。結局は安全牌で過去の実例をなぞった結果が、どっこも新しくないモノしかできない、というのはよくあるハナシだ。何か新しいコトをやろうとするときには、必ずその過程のどこかで「やってみないとわからない」「賭け」をしなければならない。そして多くは賭けに失敗する。そこで負けずにリトライする勇気のある者だけが「新しいコト」ができる。

●iPhoneのケース   2017.6.29
iPhone(に限らずスマホ全般)はフタ付きのケースが無いと困ることがある。取り出したりしまったりする際に、誤ってタップしてしまうことだ。Siriが起動しまっている程度なら良いのだが、誰かに電話を架けてエンドレスで呼び出してしまうというのは誰しもが経験があることだろう(架ける側も受ける側も)。そこでフタ付きのケースが必要となるのだが、①熱がこもってしまう心配がある。②機種変したら買い換えなければならない。③デザインを選ぶのが面倒くさい。④意外と高い。などの問題があり、裸のまま、又はフタのないケースのままで使っている人も少なくないだろう。④の価格についてはスマホのキャリアショップや、家電量販店では高いものしか売っていないので、ネットで探すことをおすすめする。恐らく1000円以下でそれなりのクオリティのものが見つかるはずである。一番安いヤツとなれば③は解決する。1000円以下であれば②も、まあ、いいか。という気分にもなる。

●カウンタープラン   2017.6.28
「ディベート」は日本語でしばしば「討論」と訳される。しかし日本語の「討論」は、相手の意見を否定する、批判する、評価する、欠点を指摘することに終始することが多い。相手の意見に対してカウンタープランをお互いに提示し合うことが本来の「ディベート」であろう。自分で案を出すことよりも、相手の意見を否定する、批判する、評価する、欠点を指摘するほうが、すごく簡単だ。しかも否定する、批判する、評価する、欠点を指摘するのが、いかに賢いか、いかに教養があるか、という顔をして偉そうに言っていたりもする。それが最も安易で軽率で偉くないかということであるにもかかわらずだ。

●Google先生-2   2017.6.27
→昨日の続き。Google先生は言いました「鈴木君はテストが100点でした。遅刻、欠席もなく、授業態度も良かったので成績はクラスでトップです。」「田中君はテストが100点でしたが、遅刻、欠席が多く、授業態度も悪かったので成績はクラスで3位です。」「佐藤君は遅刻、欠席もなく、授業態度も良かったのですが、テストが0点だったので順位は圏外で、落第です。」「高橋君は遅刻、欠席が多く、授業態度も悪く、テストが0点だったので順位は圏外で、落第です。」ということでSEOは出席点、授業態度であって、テストの点数は、コンテンツの有用性ということなのだろう。クソ面白くもないコンテンツであれば、SEO対策をしようがしまいが同じということだ。

●Google先生-1   2017.6.26
Google先生は言いました「①遅刻はしないでください。②私語はせずに静かに授業を聞いてください。③そうすると私の授業は捗ります。」とのこと。Google先生は①②を守れば、成績が上がるとは一言も言っていない。ところがGoogle先生が言ったことに尾びれ背びれがついて①②を守ることで、あたかも成績が上がるというような噂が広まってしまう。これはGoogle先生にとってみれば、授業は進めやすくなり、成績もつけやすくなるので、思うツボであるようだ。そんでもって①②を守らなくても、一生懸命勉強すれば(ユーザーフレンドリーを重視した有用なサイトデザインをすれば)良い成績(上位のランキング)はとれるはずだ。→明日へ続く。

●自分らしくありたい   2017.6.25
「自分らしくありたい」と言っている人の99.9%は、全くもって没個性であり、ぱっと見ではどこが自分らしいのかはさっぱりわからない。ではどこが自分らしいのかといえば、ほんの些細な部分の爪の垢のような場所で差別化を行っているようである。基本は大衆の中に埋もれることで「抜きん出ず」「ハブられず」「仲間と争うことなく」生きていて、生きていく上で、日常生活を送る上で、まったくもって影響の無い部分を「自分らしく」していると思い込んでいるに過ぎない。そして、そういう人は、大衆の中に埋もれたまま、他の人とまったく同じように、大衆の中の一人として、何の「らしさ」も後世に残すことなく死んでいくのだろう。

●プライオリティー   2017.6.24
サラリーマンのプライオリティーNo.1は給料である。仕事で褒められるとか怒られるというのはその次である。会社に対する忠誠心とかさらに低いというか、機会があれば「こんな会社辞めてやる!」と思っている人間も少なくない。政治家のプライオリティーNo.1は当選することである。国民のため、市民のため、などというのは、全て選挙で当選するための手段である。プロ野球選手のプライオリティーNo.1は年俸である。同様に「試合に出ること」が年棒へとつながる。チームのため、というのはプライオリティーが3〜4番目だろう。実際、試合時間が長引くと「勝ちたい」よりも「早く帰りたい」という気持ちのほうが強くなる、そうだ。

●SEO業者   2017.6.23
ネットショップでの商品の売り上げが下がってきたとする。問題は契約しているショッピングモールの知名度、新規に参入してきた競合店の影響、ネットユーザーの嗜好の変化などであろう。抜本的な解決には「ネットショップの全面的なデザインリニューアル」が必要なことは分かっている。しかし仮に「ネットショップの全面的なデザインリニューアル」を行ったところで売り上げが改善するという保証はない。なので「SEO業者」は、h1タグの追加、titleの文言の変更、descriptionの文言の変更、など当たり障りの無い、アドバイスしか行わない。そして効果が上がらなくても、h1とtitleに整合性がない、descriptionのい内容に入れる単語が多すぎ、つい最近Googleの検索アルゴリズムが変わった、とかの店主やGoogleのせいにして自分は契約料だけを貰う。「全面的なデザインリニューアル」を推奨するだけの勇気がなく「言った通りにやったけどぜんぜんダメじゃん!」と言われることを恐れていて、自信もないのだ。自分でネットショップを運営しても上手くいかないのが分かっているから「SEO業者」をやっているようだ。

●経営コンサル   2017.6.22
実店舗での商品の売り上げが下がってきたとする。問題は立地条件や人通りの減少、近くにできた競合店の影響、消費者の嗜好の変化などであろう。抜本的な解決には「店舗の移転とリニューアル」が必要なことは分かっている。しかし仮に「店舗の移転とリニューアル」を行ったところで売り上げが改善するという保証はない。なので「経営コンサル」は、キャンペーンの実施、店内の装飾、プライスカードの書き方、など当たり障りの無い、アドバイスしか行わない。そして効果が上がらなくても、キャンペーンの対象商品が良くない、店内の装飾がセンスが無い、プライスカードの書き方がわかりづらい、とかの店主のせいにして自分は契約料だけを貰う。「店舗の移転とリニューアル」を推奨するだけの勇気がなく「言った通りにやったけどぜんぜんダメじゃん!」と言われることを恐れていて、自信もないのだ。自分で商売しても上手くいかないのが分かっているから「経営コンサル」をやっているようだ。

●紙   2017.6.21
温暖化で熱帯雨林の成長が早まり、パルプの供給が思ったほど深刻な状況ではないそうだ。とはいえ中国では甚大な量の紙が消費されるようになり、今後はアフリカなどでの消費が大きく増加することも予想され、このままでは供給が追いつかなくなるのでは?という意見もあるようだ。一方では、新聞、雑誌、教科書などの電子化により紙の需要が減っていることも事実。地球温暖化、地球の人口増加率、IT普及率、工業生産力の推移、リサイクル率、なども総合的に見ていかないと今後の予測は難しいようだ。いずれにしても無駄な消費は避けるようにしよう。最低限、尻を拭く分だけは確保しておかなければならない。

●平均化   2017.6.20
最近のプロ野球を見ていると、12球団の戦力が平均化されているように思う。ドラフト制度の影響も大きいが、スカウト、トレーナー、その他指導者、練習環境、用具、全てのレベルが上がり、球団による格差がなくなってきているように思える。また、プロに入る前の学生や社会人のレベルも向上しているようだ。このままでは選手が将棋の「駒」になり、監督が「棋士」になってしまうのではないか。将棋の駒は、作ったメーカーや材質、値段によって「強い」とか「弱い」というのは無い。「強い」「弱い」があるのは棋士だけである。どの球団であっても、扱う監督やフロントによって、優勝もできればビリにもなれる。というのでは面白くなくなるだろう。

●回想シーン   2017.6.19
ドラマや映画で回想シーンが出てくることがある。しかし回想とは人間の脳の中にある記憶なので、詳細は鮮明に覚えていないはずだ。例えば街中で誰かに会ったとした場合には、その誰かが誰であるかはわかっているにしても、その人が着ていた服の柄、履いてた靴、ての持っていた物、街中の背景に見えた家や店や電柱や看板、走っていた車の台数や種類、通行人の人数や服装、など、ほとんど全てのことは忘れているはずである。従ってその回想シーンを映像にする場合には、「会った誰かの顔」以外は、思いっきりぼかしや、思いっきり粗いモザイクをかけなければいけないはずである。しかしそれでは、あまりに現実に見たものとかけ離れてしまうために、記憶にないはずのリアルな画像を使っているのだろう。そもそも回想というのは「視覚」で表現するのは無理なのであろう。

●薬   2017.6.18
例えば咳やクシャミ、鼻水というのは体内の細菌やウイルスなどの有害なものを体外に強制的に放出する役割をしている。これを止めるための薬というのは、その場での効果はあるにしても、長中期的には治りを遅くさせることになる。防臭剤や脱臭剤というものがあるが、イヤな臭いというのは、「これを食べてはいけないよ!」「触ってはダメだよ!」というシグナルであり、その臭いを消してしまうというのは、そのシグナルを消してしまうということになる。日本は世界でもダントツの薬消費国家であり、国民はすぐに薬に頼ってしまう。しかし薬が無いにもかかわらず、原始人はちゃんと生き抜いてきたのだから、もう少し使用を控えたほうが良いだろう。ちなみアウストラロピテスクの平均寿命は20年足らずだったらしいので、やはり命にかかわる時には薬に頼ろう。

●ブログ   2017.6.17
4〜5年前は「ブログやってる人?」と100人の大学生にきいてみると、5人程度の学生が挙手をしていた。ところが今は皆無である。やっているのに手を挙げない学生がいないとも限らないが、若者にとって興味の対象でなくなっていることは確かなようだ。直感的に、思いつくままに書いて、すぐに投稿でき、読み返すこともあまり無い、その場限りのSNSへの投稿で十分なのであろう。「ブログって何だ?」「ブログやったほうがいいのかな?」とか騒いでいたのは、2002年頃のつい最近のハナシだ。一時期は国内でもブログ利用者が2,000万人を超えたという報道もあったが、今では芸能人や著名人の売名ツールとなっているようだ。

●次   2017.6.16
「次の番号を文字で書きなさい」という問題に対する答え。「3:よん」「15:じゅうろく」「21:にじゅうに」とのこと。「次」という言葉には「今自分が居る位置」に対して「次の1つ」という意味合いが強い。従ってこのような解釈になるのであろう。しかしだからといって1つ先が「こんど」、2つ先が「つぎ」、3つ先が「そのつぎ」、4つ先が「そのあと」という電車の案内表示もいかがなものだろうか。「最初」「2番目」「3番目」とかにしたほうがスッキリすると思うのだが。

●考える力(2)   2017.6.15
→昨日の続き。明治43年にハレー彗星が地球に再接近した。彗星の尾には空気がなく、通過中の5分間は地球から酸素がなくなるという噂が広まった。そこで自転車のチューブを買ってきて膨らませて空気を保管する人が続出した。また、ハレー彗星から大量の毒が放出されるために、その毒を消すための「飴」が売られたりした。3.11のときの中国では、日本から放射能が飛んでくる→放射能には塩が効く、ということで塩が飛ぶように売れたとのこと。いずれも噂によって広まったデマであり、人の言ったことを鵜呑みにしてしまう考える力が無い人が多かったせいで起こった事象でもあったのだろう。

●考える力(1)   2017.6.14
考える力が無いと色々と困ることがある。なかでも「騙される」ということ、すぐに「噂」を信じてしまうということ、は考える力さえあれば大抵は防げる。先月「妊娠菌付き米」というものがネットで高額売買されていた。ガンが治ると信じて「金の延べ棒」を患部に擦り付けていた芸能人がいた。いずれも、ちょっと考えれば「有りえない!」ことだと解りそうなものであり、それが事実なら世界中の人がとっくにやっておるわ!ということである。もっとも血液型や生まれた年の干支や星座によって、性格にある種の傾向があると信じている人間もまだまだ多いようなのだがら仕方あるまい。→明日へ続く。

●最近の若いモンは   2017.6.13
最近の若いモンは欲が無い。家もクルマも欲しがらないし、偉くなろうとも金持ちになろうとも思ってはいない。人並みの生活ができて、飛び抜けた個性とか特異なキャラクターとかは必要ない。敵を作らず、和を乱さず、紛争を嫌い、平和にみんなと仲良く暮らしていければ良い。という傾向が強くなっているようだ。全くもって情けないし、つまらない。と思われるかもしれない。しかし、このことは、今後、人口が減少していくシュリンク型の社会に馴染むのではないだろうか。シュリンク型の社会の中で、みんなが「俺が!俺が!」と叫んでいたのでは、そのみんなが不幸になってしまう。

●経験者がいない   2017.6.12
日本人は人口の「減少」というものを経験したことがない(第二次大戦による微減を除く)。直近の先祖は常に人口が増えていく発展型の社会を生きてきたし、数百年遡った先祖も、ゆっくりではあるが、未来に何らかの希望が持てる、発展型の社会を生きぬいてきた。ところが2010年ごろをピークに減少に転じた。恐らく今後100年は、この右肩下がりの状況が続くはずである。人口は、景気やGDP、社会のあらゆる発展や未来の予測、家庭の収支や店の売上、物価、失業率など、全ての事象にリンクし、影響を与える。そして人口の減少を経験した人は誰もいないということになり、どう対応するのか?どのような価値観も持ったらいいのか?というようなことは予測はできても誰も経験したことがないのであった。どうなるのだろうか。いずれにしてもシュリンク型の社会になるだろう。

●同じ箱   2017.6.11
ダイナミックに波乱万丈な人生を歩んだ人でも、これといった特徴のない平凡でそこそこ幸せな人生を過ごした人でも、大金持ちの著名人でも、貧乏な平民でも、みんな死ぬときは同じだ。ゲームが終わったあとの駒は「王」も「飛車」も「歩」も、みんな同じ箱にしまわれる。

●斧と森   2017.6.10
「斧が森にやってきたとき、木たちは言いました。『少なくとも取っ手は我々の仲間だ』」という格言がある。これは色々な捉え方ができるだろう。①木は逃げることができないので、せめてもの救いの可能性を求めている。②木は頭が良くないので、先のことは考えずに、ただ斧という珍しいもの見て言っている。③木は斧で切られたとしても痛くはないし、切られることで新たな世界に行ける可能性もあるので、普通に楽しんでジョークを言っている。どれが正解ということはないと思うが、何とも言えぬコミカルさが秀逸な格言、というかジョークである。

●かなとカナ   2017.6.09
かなとカナを組み合わせた単語というのがある。わさび味ポテトチップス、パエリア風焼きめし、とかであればどこが「かな」でどこが「カナ」かは想像がつく。しかし「ぐるなび」「ひえぴた」「ほっかいろ」「なびたいむ」「とらべるこちゃん」「ほっともっと」「すかいらーくぐるーぷ」などは、どこが「かな」でどこが「カナ」かはは全くもって想像がつかない。正解は「ぐるなび」「冷えピタ」「ホッカイロ」「ナビタイム」「トラベルコちゃん」「ほっともっと」「すかいらーくグループ」だ。そもそも何でこんなにややこしい言葉が多くなったかといえば「ドラえもん」のせいだろう。

●補強   2017.6.08
建築物の耐震補強は補強しただけ確実に強くなるだろう。しかしプロ野球チームの選手の補強は補強しただけ確実に強くなるわけではない。ベンチ入りできる選手の数、1軍登録できる選手の数はそれぞれ決まっている。従って出場できる選手が増えれば、それだけ出場できない選手も増えるわけである。補強した選手が圧倒的な実力を持っていれば別だが、出場できなくなった選手との実力の差が僅かであった場合は、出場できた選手は「いつ代えられるかわからない…」という不安な状態で、出場できない選手は「どうせオレにはチャンスは与えらないンだ」というモチュベーションが上がらない状態のままで試合の臨まなければならず、結果としてチームが負ける。ということになる。2015年のオリックス(小谷野栄一、中島裕之、ブランコ、バリントン)と2017年の巨人(陽岱鋼、マギー、カミネロ、山口俊、森福允彦、吉川光夫、石川慎吾)が良い例だろう。特に今年の巨人は選手の供給過多による選手のダブつきが目立つようだ。

●加計学園リーク文書   2017.6.07
民進党の加計学園リーク文書が切り貼りでつくられた可能性が浮上!というニュースがネット上を賑わしてるので、実際にそのPDFファイルをダウンロードして、Illustratorで開いてみた。すると噂通りに、Illustratorで切り貼りしたことが露骨に分かる。レイヤーが3つになっているのだ。印刷物をスキャンしたり、スクリーンショットであればレイヤーに別れるはずはない。ネット上では、あくまでも「疑惑の浮上」という扱いだが、イラレ職人から見れば「あっ、切り貼りしてある」以外の何物でもない。切り貼りした後、プレビューのスクリーンショットをPDFにすればバレないものを。。偽造、捏造するのであれば、バレないようにちゃんとやってほしいものだ。

●オタク度   2017.6.06
オタクと呼ばれる人間とそうでない人間をはっきり区別することができるか?というとそうではない。人間誰しもオタクの要素を持っていて、それをどこまでオモテに出すかということでその人のオタク度が決まる。オタクが決定的に嫌われる理由としては「他人の批判はするが自分は批判されたくない」という弱くて勝手なヤツだということだろう。これは誰でも思っていることであるが、このことを露骨に行動に表したのでは社会的にはやっていけないので、みんな我慢しているだけのことだ。その「我慢ができない度合い」が「オタク度」となって表れるのだろう。「返信不要」と前置きしてメールを出す人、Facebookのプロフィール写真にペットの画像を使う人などは、完全なオタクでは無いにしても、比較的オタク度の高い人と言えるだろう。

●完成   2017.6.05
「完成」がゴールだと思っている人間は芸術家にもなれなければ優秀な科学者にも技師にもなれない。日々の細かい作業の中では、スクジューリングの区切りを付けるための、費用を清算する上での便宜上の、「完成」は必要であろう。しかし大局的な「完成」などは無いと思ったほうが良い。仮に成果物の姿が完成に近づいたころには、その作者の頭の中では次の制作のプランが始まっているのである。「完成」の前には、その次の「完成」に向けての作業が始動していて、その副産物が、便宜上の「完成」した成果物なのであろう。

●名刺   2017.6.01
毎年正月休みに前の年に交換した名刺を整理してファイリングする。ということを続けていたが数年前からは、毎年正月休みに前の年に交換した名刺をそのまま輪ゴムで束ねてしまっておく。という風に改めた。名刺はもらった直後に電話番号とメルアドをパソコンとスマホのアドレス帳に写したら、その後は一切見ることがないからだ。そして輪ゴムで束ねてしまっておいた名刺は、念のために保管しておくのだが、2〜3年経ったらそのまま廃棄することになってきた。そしてデザインを依頼された名刺は、ネットで発注して、完成品は印刷屋さんからクライアントにそのまま配送しているので、現物を見ることもなく終わっているのが普通になった。出張のため次回更新は6月5日になります。

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