2017年10月

●レスポンシブウェブのタブレット対応(2)   2017.10.31
→昨日の続き。そこで解決策であるが「タブレットの表示は基本的にスマホと同じにしてしまう」という発想だ。まず、
<meta name="viewport" content="width=600">
というふうに表示エリアの横幅を固定(上記では600ピクセル)とするのではなく、
<meta name="viewport" content="width=device-width">
というふうに表示エリアの横幅をデバイスに依存にする(横幅を固定にしたほうがスマホだけであれば、制作作業は効率的に進められるが、タブレットを考慮すると色々と不具合が生じる)。そして、
<link media="only screen and (max-device-width:900px)" href="css/mobile.css" type="text/css" rel="stylesheet" >
<link media="screen and (min-device-width:901px)" href="css/desktop.css" type="text/css" rel="stylesheet">
というように画面を大きめに設定(上記では900ピクセル)し、mobile.cssの中のcssの数値はピクセルではなくパーセントを使うようにする。画像などタブレットではでかくなりすぎてしまう箇所はピクセル数にしておく。フォントサイズは"width=device-width"であればスマホでもタブレットでも共通でいけるはずだ。これでいちいち確認しなくても、最終的な微調整は必要な場合もあるが、だいたいイケるはずだ。

●レスポンシブウェブのタブレット対応(1)   2017.10.30
レスポンシブウェブでのタブレット対応は難しい。タブレットの種類やタイプは実に様々で、市場に出回っている主なモデルだけでも、その動作確認や検証が困難というのもその理由の一つだ。また実際のアクセスログを見ても、5〜10%程度なので、とりあえずPCとスマホ優先でタブレットは後回し、又は無視されるケースも多かった。しかしタブレットによる閲覧者の割合はゆっくりではあるが確実に増えてきていて、サイトによっては20%のところもあるようだ。そうなってくると無下に無視できなくなってくる。ではどう対応するかというと、
<link media="only screen and (max-device-width:480px)" href="mobile.css" type="text/css" rel="stylesheet">
<link media="screen and (min-device-width:481px)and (max-width: 1200px)" href=" tablet.css" type="text/css" rel="stylesheet">
<link media="screen and (min-device-width:1201px)" href="desktop.css" type="text/css" rel="stylesheet">
のようにmobile.css、tablet.css、desktop.cssの3つのスタイルシートに画面サイズで振り分けるというのが正攻法であろう。しかしこの場合、高解像度の大画面スマホが低解像度小画面タブレットとオーバーラップしてしまうという問題がある。そして何よりも制作側の手間という大きな問題がある。スマホとPCだけでも、相互に確認しながらの作業はかなり面倒臭いのに、これがタブレットを含めた3つで確認しながらとなると途方に暮れる。→明日へ続く。

●確証バイアス(2)   2017.10.29
→昨日の続き。ちょっと考えればわかることであっても、儲かるハズのない儲け話に手を出す。その要因は希望的観測による「確証バイアス」というものらしい。「信じたいものだけを優先して信じる」というもので、先入観に基づいて、都合の良い情報だけを集めてしまい、都合の悪い情報を無視あるいは軽視してしまうという思考のクセのことだ。確証バイアスによって、先入観はますます強化され、人は適切な判断や選択ができなくなってしまうとのこと。例えば、お笑いタレントの熱湯風呂が本当に熱いお湯だと思っている人。24時間マラソンの芸能人が本当に100kmを完走していると思っている人。お宝鑑定で本当に一般人がお宝を持ってくると思っている人。などは、確証バイアスに汚染されつつある人なので気をつけよう。

●確証バイアス(1)   2017.10.28
「これからお話しすることはちょっと公にできない秘匿性の高い秘密なので・・・」で始まるCMが、YouTubeの相当なアクセス数がある動画で、相当に公になって流れている。その時点で「おかしくね?」と普通の人なら思うはずだ。「これからお話しすることは」でググってみると、検索結果の上位のほとんどがこのCMについての「うざい」「クソ長い」「不快」というコメントだった。実際にはどのくらいの人がこのCMを間に受けて高いカネを払ってセミナーに参加するのだろうか?という疑問もあるのだが、実際に交通事故にあって働けなくなって「こらからどうしよう…」と途方に暮れている人であれば、藁をも掴む気持ちにもなるのだろう。→明日へ続く。

●マーケティング   2017.10.27
まずは屋台を引いて空き地で焼き鳥を売り始める。だんだんと人気が出てきて固定客が増えてきたら本格的な店舗をオープンする。だがこういった手法は高度成長期の昭和のやり方だ。もし今、新規に店舗をオープンするならば、周辺の人口、近隣の競合店の数、交通の状況、近隣住民の年齢層、そういった情報を正確に分析し、売り上げをシュミレーションし確実な売り上げが見込めれば店舗をオープンし、見込めなければ中止する、といったやり方が普通だろう。分析とシュミレーションを含めたマーケティングが必須となるだろう。シュリンク型の国内マーケットでは、思いつきや気持ちだけでは商売はできない。「売りたいものを売る」のではなく「売れるものを売る」わけだ。マーケティング無しでの店舗の開設は、運転免許無しでクルマを運転するようなものだろう。

●GIFムービー   2017.10.26
フォトショップで動画の編集ができるようになった。便利になったとも言えるが盛り沢山すぎて分からなくなったとも言える。なんだこれならプレミアもアニメート(昔のフラッシュ)もいらないじゃないか?と思う人も少なくないだろう。しかしフォトショップでの動画の編集はレイヤーの依存度が高いので馴れるまでは使いづらい。そういえば少し昔のフォトショにはイメージレディーというGIFムービーを作るためのアプリが同梱されていた。そしてイメージレディーが登場する前(2005年ぐらい)にはGIFBUILDERというフリーソフトが重宝していた。一時期はGIFムービー自体が姿を消したかに見えたが2012年ごろから、格段に向上したPCの画像表示能力を効果的に活かした秀逸なGIFムービー作品が現れ始めた。そうしてみるとGIFの規格で上限を256色と定めておかなかったとすればGIFムービーの可能性は無限に広がったかもしれない。とはいえ16の2乗の256色が一般的であった時代の規格なのだから仕方のないところだ。

●忌憚のない指摘   2017.10.25
経営コンサル、税理士、中小企業診断士、などの言うことを鵜呑みにしてはいけない。彼らには彼らの存在意義があり、なにもかもを「これでいいんじゃない」「特に問題はないでしょう」「このままで行きましょう」とか言っていたのでは存在意義がなくなってしまう。だから内心「問題ないだろう」と思っていることでも、「このままではダメだ」「ここはこうしたほうがいい」「もっと○○しなければいけない」と口うるさく言うのだ。そうすることで「あの先生は忌憚のない指摘をしてくれる」ということになり、信頼感を得ることになる。彼らとてなるべく多くの随意契約が欲しいだけのことだ。

●働き蟻   2017.10.24
北海道大学の長谷川英祐博士の研究によれば、働く蟻だけをグループに別けると働かない個体が現れることを確認している。しかし一方でダニエル・シャルボノー氏による最新の研究では、怠け蟻が働き蟻になっても働き蟻が怠け蟻になることはないということらしい。一般的には20%の蟻が働き、80%がサボっている、というふうに言われていたが、シャルボノー氏によれば巣全体で平均40%もの個体がほとんど働かない「怠け蟻」であることが分かっているとのこと。さらに「怠け蟻」の他、ほとんどの時間巣の中をウロウロしている「散歩蟻」、餌や建材となる小石を集めるなど外部の仕事をこなす「調達蟻」、子供の面倒を見る「保育蟻」に分類されることが分かったとのこと。人間に例えれば「保育蟻」=主婦または主夫、「調達蟻」=労働者、「散歩蟻」=老人の多く、「怠け蟻」=ニート、 徒食者、パラサイト、タダめし食い、 穀潰し 、 ヒッキー、うんこ製造機、無為徒食などであろう。「怠け蟻」に例える言葉がこれだけ多いということは、実際の割合もそれなりに多いのだろう。

●真実は一つ(2)   2017.10.23
→昨日の続き。たぶんそれは「事実」ということになる。「事実」は個人の捉え方による差異はさておき、物理的に起こった事象であり、「FACT」などと呼ばれたりする。しかし今日のようにデジタル加工技術が進歩してくると、写真も動画も音声も簡単に加工することができて、所謂「動かぬ証拠」としての絶対的なものとは言えなくなってきた。本当の事実を見定めたかったら、記録された媒体ではなく、同じ時間軸上でリアルタイムで肉眼で見て感じたものでなくてはなかなか信用できなくなってきてしまったようだ。ただし「肉眼で見て感じたもの」では「人それぞれの経験値や評価基準や思い込みや精神状態や肉体的差異」などによって異なってしまうのであった。

●真実は一つ(1)   2017.10.22
両者の言っていることが食い違う。ただし真実は一つしかないので、どちらかが嘘をついている。などと言われることがある。真実とは「嘘偽りのないことで、本当のこと」という意味となる。しかし嘘も偽りも本当のことも、人それぞれの経験値や評価基準や思い込みや精神状態や肉体的差異によって異なることの方が多い。例えば「背後霊が見える人」にとっては、霊を見たことは嘘偽りのない本当のことであるが、見えない人にとっては霊がいないことが嘘偽りのない本当のこととなる。被害妄想の強い人にとっては「あいつはオレを殴ろうとした」というのは嘘偽りのない本当のことで、その「あいつ」にとっては「ちょっと視線が合っただけ」なのかもしれない。では「真実」よりも確かなものは何か?ということになるのだが…。明日へ続く→。

●SNSの埋め込み   2017.10.21
ホームページにFacebookやtwitterを表示されるようにしてほしい!というリクエストがたまにある。twitterは比較的簡単だがFacebookは「フェイスブックページ」を開設していないとできないのでちょっと厄介だ(フェイスブックページの開設はちょいと難しい)。そして表示されるようにするということはページに埋め込むということになり、これがスマホではほぼ画面全体に表示させるということになるので作った側も見る側も埋め込んだという実感はない。であれば普通にリンクして飛ばしたほうが早いということにもなる。また埋め込みであればLINEもInstagramも可能だ。LINEをホームページに埋め込むというケースは考えにくいが、Instagramはもともとがスマホからアップするので、スマホからアップした画像をPCで見られるという意味では、それなりに需要はあることだろう。

●動画のダウンロード   2017.10.20
YouTubeなど動画共有サイトから動画そのもののデータをダウンロードできるようなサイトやアプリは数多くある。しかしネット上に公開されている動画にはダウンロードできないようにプロテクターがかかっているものも多く、特にニュースサイトなどでは(当然の処置ではあるが)著作権の関係でダウンロードできないものが多いようだ。では絶対にダウンロードできないかというとそうでもない。ダウンロードできない画像であってもプリントスクリーンを使えば簡単に保存できるのと同様、QuickTime10を使えば簡単にダウンロード(というか画面上の動画のキャプチャ動画を保存)することができる。ただし音声データはまた別にダウンロードしなければならず、この動画と音声をPremiereなどで合体させる必要がある。けっこうな手間である。しかし最初から動画を撮ってから編集するのに比べれば格段に簡単な作業となる。

●世界平和   2017.10.19
外務省の海外安全ホームページによると、レベル4の最も危険な国には、シリア、イラク、アフガニスタン、イエメン、ソマリア、リビア、ニジェール、南スーダン、中央アフリカ、マリ、などになっている。レベル4は「退避勧告」が出ている渡航禁止の国や地域だ。その他「十分注意」のレベル1、「不要不急の渡航禁止」のレベル2、「渡航中止勧告」のレベル3、などに分けられている。そしてレベル0の危険ではない国や地域は、西ヨーロッパ、オセアニアの南側、東南アジアの東側。北米、南米の南側となっている。ロシアとの紛争が伝えられているウクライナはレベル1〜3、3000年以上続いていると言われているイスラエルとパレスチナ周辺もレベル1〜3、旧ユーボスラビアはレベル1、インドのパキスタン国境付近はレベル1、治安が悪いという印象の強いブラジルはレベル0、北朝鮮もレベル0である。そしてレベル0の国や地域でも、日本に比べると強盗殺人や窃盗にあう可能性がはるかに高い地域も含まれている。いかに世界には危険な地域が多いか、ということだろう。そしてレベル0の地域に住んでいる人が、安直な理想論だけで「世界平和」などと言ってはいけないのだろう。危険と隣り合わせて暮らしている人々が世界の大半ということだ。

●動画を聞く耳   2017.10.18
人間の耳は、常時動画の音を聞いている。画像には静止画というものがあるが、音声には静止音というのもは無い。物理的に音声の一部を静止音として再生させることは可能ではあるが、それは静止画のように鑑賞に耐えうるものではない。しかし脳に伝えられる音声データは、聞いている人にとって、とても都合の良いようにバイアスがかけられている。例えば雨の日の幹線道路脇の歩道で通行人に道を訪ねたとする。これをマイクで収録すると、雨粒が傘を叩く音、自動車が水を跳ねて走行する音、雑踏のざわめき音、店舗から流れるBGMや呼び込みの声、などで、とても通行人の喋っている声は聞き取れない。しかし人間の耳は、自分が聞きたい音声だけにフォーカスし、他のノイズは自動的に軽減して脳に伝えているわけだ。近づいて来る敵の足音を察知する原始的な能力かもしれない。自動車やスピーカーができる何十万年も前から備わっている能力なのだろう。

●動画を見る目   2017.10.17
人間の目は、常時動画を見ている。写真や絵画などの静止画を見るときにも、脳に伝えられるデータは動画になっている。つまりjpgデータを見るときであっても、脳に伝えられるデータはmp4に変換されているということだ。そしてそのときには「手ぶれ防止機能」や「フレームごとに色調や解像度が変わらないで見えるような機能」や「対象物を常に視野の中央付近に矯正させる機能」や「見たいと思った対象物に自動的にフォーカスする機能」が常時発動されているということになる。もし、これらの機能が発動されていないとすれば、ウェラブルカメラで撮影したような落ちつ気のない、非常に慌ただしい動画として見えてしまうことだろう。人間の目の分解能は、0.05~0.1秒程度とされていて、20fpsぐらいだそうだ。市販のカメラでは、まだまだ足元にも及ばない高機能で高性能なカメラを人間の目は備えているということだ。そして動画であるが故に「蛇の回転」のような錯視が見えることになる。

●コインロッカー   2017.10.16
関西の某私鉄のターミナル駅でコインロッカーを使おうとした。大量に設置されたコインロッカーのほとんどに鍵がささったまま(つまり空いている)である。サイズは大700円、中500円、小300円であった。「中」を借りることにして500円玉を入れようとしたら、100円玉しか使えなかった。「両替は案内センターで行っています」との張り紙があるのだが、その「案内センター」はどこにも見当たらない。仕方がないので定期券売り場で聞いてみると、「駅長室に行ってください」とのこと。いかにも「関係者以外立ち入り禁止」っぽい「駅長室」と書かれたプレートの下の重い小さなドアを開けて中に進むと若いお兄さんが座っていて両替をしてくれた。その間の移動は「中」のコインロッカーでないと入らないサイズのキャリーバックを転がしながらである。何とかしてほしいものだ阪急電鉄。

●本当のこと   2017.10.15
言いたいことが言えない、とか、「本当のこと」を言える環境にない、とか、バカではないのか。世の中の人間全員が言いたいことを言っていたのでは世の中はちゃめちゃになるし、「本当のこと」のほとんどは自分に都合の良いことであって、その「本当のこと」が本当になったら、沢山の人が不利益を被ることとなる。言いたいことは言わないで我慢する。「本当のこと」は言わないように心掛ける。ということで世の中のバランスは成り立っているのだ。それでも言いたいことが言えるようになりたいのであれば、沢山沢山勉強して政治家にでもなればよいだろう。ただし、そうやってぐずぐず言っている人のほとんどは、お勉強のできない人たちでもある。

●思い込みと現実   2017.10.14
人は、歌が上手いかどうかは見た目では分からない。将棋が強いかどうかも見た目では分からない。また、黒人だからといって走るのが早いとは限らないし、リズム感が良いとも限らない。外人から見れば、日本人はみんなカラテが強く、小学生はコンピュータを作ることができ、中学生になるとクルマを作ることができ、イラクのサマーワに日本の自衛隊が行ったときには、サマーワがトウキョウのような街になると思っていた人もいたとのこと。日本人の中でも、テキサスの人はみんな馬に乗っていると思っている人もいるだろう。しかしこれは間違いではない。今でも馬でスタバに来る客はテキサスでは珍しくないらしい。

●ろくでなし   2017.10.13
ろくでなしとは、役に立たない者。しょうのない、のらくらもの。とされているが、実際には役に立たないだけでなく、借りたカネとモノは絶対に返さないし、他人を傷つけるとか不幸にするということに一切の罪悪感が無いし、約束は絶対に守らないし、自分に不利な事態になると全力で逃げる。その場その時で快楽のみを求め、未来のことなど一切考えずに煩悩だけで生きているようなヤツだ。昭和の前半まではこのような「ろくでなし」は実際に多く存在した。流石に現在では「ろくでなし」と呼ばれるような人間に遭遇することはなくなったが、実はこの「ろくでなし」が進化して、より始末の悪い「サイコパス」となったようである。

●flexbox   2017.10.12
HTML5.1で新たに加わったタグである。オーバーフローした要素を画面の幅に応じて自動的に改行して美しくレイアウトしてくれる仕組み。または要素のサイズが不明なものでもダイナミックに変化するものでも柔軟なレイアウトを実現できるCSS3の新しいレイアウトモジュール、とのこと。W3C規格なので、さぞかし便利なんだろうと思いきや、実装するにはjqueryやこれに連動した難解なCSSが必要であることが分かってきた。また「要素のサイズが不明なもの」はPCでもスマホでも同じサイズで表示されてしまうため、それぞれ専用のCSSファイルでサイズを指定してあげないと、非常に収まりの悪いものになってしまう。ということはそれぞれ専用のCSSでレイアウトも含めて指示した方が手っ取り早いということになり、つまりflexboxは不要ということになる。それにしてもHTML自体が、初心者でも使いやすくするために、専門家でなければ理解できないような規格を提案するのはどうかと思うのだが。

●リベラル   2017.10.11
ちょっと前まで「保守」の対義語は「革新」だった。「conservative」に対して「innovative」であり、「現代資本主義を守る」に対して「社会主義に改革する」というようなニュアンスであったように思う。しかしいつの頃からか「革新」という言葉は使われなくなり、代わりに「リベラル」という言葉が使われはじめた。リベラル(liberal)は個人の自由を重んじて穏健な革新をめざすというニュアンスである。従って攻撃的な発言や態度の政治家はリベラルとは呼ばれないはずである。そして現在の10〜20代の若者の大多数は「自民党はリベラル」で「日本共産党は保守」とマジで思っているそうだ。確かに自民党は現状を変えようとしているし共産党は現状を守ろうとしているのだから、当然と言えば当然のことである。しかしいつから逆になったのだろうか。ちなみに海外ではリベラルは「右」で日本では「左」だ。クルマの車線じゃないんだから…。

●早く終わらせよう-2   2017.10.10
昨日の続き→「早く終わらせよう」ということを常に考えて仕事をしている人と、そうでない人がいる。考えている人は、仕事が早いし、納期は守るし、仕事の精度も高い。そうでない人は、仕事が遅いし、納期は守れず、仕事の精度も低い。では全ての人が「早く終わらせよう」ということを常に考えて仕事をすれば良いのかというと、そうでもない。「早く終わらせよう」ということを常に考えている人の仕事は、レベルが一定していて画一的であり、及第点は満たしているがズバ抜けた秀逸な結果は期待できない。従って新たな発明が生まれず、技術が進歩することもない。突然変異が無いと進化しないのと同じことだろう。その点では仕事が遅い人間には、何かが期待できたりもするもんだ。

●早く終わらせよう-1   2017.10.09
「早く終わらせよう」ということを常に考えて仕事をしている人と、そうでない人がいる。考えている人は、早く次の仕事にかかりたい、仕事はさっさと終わらせて遊びに行きたい、1秒でも早く仕事という労働から逃れたい、などの理由で早く終わらせたいのだろう。そうでない人は、時間内に終わらせないことで残業代を稼ごう、次の仕事が与えられていないのでゆっくりやらないとヒマになってしまう、生まれつきグズでのんびり屋さんである、などの理由で早く終わらせられないのだろう。こんな風に仕事の速度にバラつきがあるから世の中面白いのだろう。全員が同じ速度で仕事を終わらせることができたら、気持ちが良いが、気持ちが悪いことでもある。→明日へ続く。

●フルアーマー   2017.10.08
RX-78ガンダムに簡易増加装甲、追加武器、補助推進装置を装備させた機体で、自重は増加したものの、補助推進によって機動性は損なわれていない。 1機で戦艦一隻と同等の火力、またはコストが掛かっているとのこと。 機動性は損なわれていないとのことだが見た目は明らかな武器満載の過剰装備であり、やりすぎ感も満載である。2011年3月、「直ちに影響はない」と連日繰り返していた当時の枝野官房長官が現地を訪れた際、現地の職員は結構軽い装備だったのに、彼だけがまるで月面探検に行くような防護服のフル装備だった。その姿がまるでフルアーマーガンダムのようだと比喩された。以来ネット上では「フルアーマー枝野」と呼ばれるようになった。ただし枝野に限らずその後福島原発を視察した政治家は、みんなフルアーマーに近い防護服のフル装備だったように思える。もっとも政治家の歳にもなれば体内での細胞分裂は活発であるはずもなく、よほど放射線量が高くない限りは、α線による内部被曝などでど直ちに健康に影響が出ることはほとんど無いはずであろう。しかし人間は歳をとればとるほど健康に気を使うようになるのだから仕方がない。

●単純接触効果   2017.10.07
単純接触効果は、人は顔を合わせたり話をする機会を多く持つ相手に好意を抱きやすいという原理で、選挙で使われる常套手段である。難しいことを考えなくても接触頻度が多ければ、それだけ相手の心に残りやすいし、親近感も増すということだ。だから候補者は難しい政策やマニュフェストを語らなくても有権者に直接会って、相手の目をしっかりと見て笑顔で握手することが最も効果的で直接票につながるわけである。従っていくらインターネットやSNSが普及したと言っても、ネット上で政策を語るヒマがあったら直接有権者のもとに足を運ぶか、駅立ちしたほうが確実である。しかも投票に行くのは高齢者である。特に高齢者にとっては単純接触効果の効果は絶大である。

●違和感を感じられなくなるまで   2017.10.06
小池百合子が希望の党の公約の中で「ユリノミクス」を発表した。これって「アベノミクス」のまんまパクリじゃん!と思った人も多いことだろう。しかし「アベノミクス」も「レーガノミクス」のパクりであり、「エコノミクス」をもじった造語であり、決して「秀逸」とも「面白い」ともいえない違和感のある言葉であった。しかし何度も何度も何度もマスコミに登場することで、国民もその違和感を感じなくなり、普通の単語として耳に入ってくるようになった。従って「ユリノミクス」も、違和感を感じられなくなるまでにマスコミに取り上げられるか否かが、市民権を得て普及するかどうかのポイントであろう。例えば「Wi-Fi」という言葉ももともとはオーディオの「Hi-Fi」のパクりであり、WindowsのUIもMacOSのパクリであった。

●悪名は無名に勝る   2017.10.05
「悪名は無名に勝る」は竹中平蔵の名言である。政治家にとってはそのまま当てはまる言葉であり、名前が忘れられてきたころにスキャンダルで週刊誌を騒がせる芸能人も、この名言に従った行動なのだろう。一般人の凡人であれば、悪事を働きそのことが公になり自分の名前が残るということは絶対に避けたいものである。しかし例えばトランプ大統領の場合、大統領に就任した時にはアメリカだけではなく世界中から「悪い大統領」として認識されていたようである。そして今でもその行動や発言は、どちらかというと「悪人」ではあるが、その知名度や存在感はオバマ大統領を上回っているように見える。まさに「憎まれっ子世にはばかる」である。

●墓苑   2017.10.04
ペットの専用墓苑が利用者の事前通告無しに突然閉園となった、というニュースが4月末にあった。地権者に、借地であった墓苑の変換を迫られたためであり、そもそもが地権者に無断で墓苑を運営していたという無責任でずさんな経営であったという特殊なケースであったとも言えよう。しかしここで覚悟しなければいけないのは、同じようなケースが、今度は「人間の墓」でも起きるであろうことだ。寺や墓も恒久的にその経営が存続できるという保証(今でもかなり手厚くはあるが)は無い。日本の人口は年0.3%の割り合いで確実に減り続けている。寺とて確実に後継を確保できるとは限らないのだ。

●消去法   2017.10.03
消極的な選択方法を消去法と言い、あまり好ましく無い方法であり、建設的でもなく「やむを得ず」感と「仕方なく」感が強い。日本において最も典型的な消去法は、無党派層の選挙の投票であろう。「こいつには入れたく無い!」という候補者が何名かいて、その何名を除くと、名前も知らない候補者だけが残る。その中から「こいつは歳をとり過ぎ」「こいつは頼りなさそう」「こいつはチャラい感じがする」「こいつはケバいし」といった消去法によって残った候補者に投票する。政策とか実績とか公約とかはほとんど関係ないのだ。

●ハンバーガーアイコン   2017.10.02
webページの上の方にある3本線のことを、その形状から「ハンバーガーアイコン」と言われるようになった。スマホページではお馴染みであり、パソコンのオペレーションでも使われるようになった。主にタップ(クリック)するとメニューが現れるというものであり、多くのユーザー(主に若者)は、このハンバーガーを見ると、反射的に「押せば何かのメニューが表示されるはず」と感じて、とりあえずタップ(クリック)する。特に画面上に何もボタンらしきものが見当たらない時には、とりあえずタップ(クリック)する。ということでユニバーサルデザインとしての市民権を得たようである。これが少し前までは、このマークだけでは分からないので、近くに「MENU」の文字が入ったものもあった。これでは自動車のハンドルに「ハンドル」と書いてあるようなものであるが、普及するまでの過渡期においてはよくあることだ。

●TV番組   2017.10.01
若者はネットしか見ない。と、思われがちだが、YouTubeには多くのTV番組のコンテンツがそのままアップロードされている。若者はテレビ受信機という装置を通じてTV番組は見ないというだけであり、TV番組のコンテンツはけっこう頻繁に見ているのだ。TV番組のコンテンツはプロが作ってあるだけのことはあり完成度が高く面白いのだ。ユーチューバーでは一般ウケする60分の番組は作れないはずだ。と、それにしても何人もの芸能人がひな壇に並んでバカ笑いしているワンパターンの番組作りはどうにかならないのか?と思っているいる人も多いことだろう。しかし制作側の立場で考えると「とりあえず好きな芸能人が出ていれば良い」のだそうだ。無理してコンテンツの面白さやオリジナリティーを求めたところで、視聴率を左右するのは「好きな芸能人が出ているかどうか」の1点だけだそうなのだ。なので若者が見ているのはYouTubeにアップされたTV番組ではなく、好きな芸能人の動画をスマホで見ているというだけなのだ。それがTVであろうとネットであろうと、あまり関係無いようだ。

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