2017年12月

●写真(2)   2017.12.31
→昨日の続き。プリクラ経験者以降の世代や、自撮りやInstagramに抵抗のない若い世代であれば問題はない。しかしある一定以上の年齢の人は「今日は化粧が完全ではないので…」「今着ているシャツは気に入ってないやつだし…」「今朝ヒゲ剃ってこなかったので…」とかやたらと煩い。そしてカメラを向けられた時の表情が明らかに乏しい。自然な笑顔を作ることができずに笑うと不自然に引きつる。「写真は真実を写す」と思い込んでいるらしいのだ。真実を写されたいのであれば、写されるほうも、それなりの演出や工夫をしなければいけないということを分かってないらしい。さすがに「魂を吸い取られる」と思っている人はいなくなったようだが。

●写真(1)   2017.12.30
写真は誰でも簡単に撮れると思っている人も少なくないはずだ。しかし実際に「使える写真」というのは少ない。ウェブに掲載する写真を各個人から提供してもらった場合、ある人は観光地で撮ったスナップ写真、ある人は写真館で撮った威風堂々な写真、ある人は昔撮った戦没者名簿のような写真、またある人は慌ててスマホで撮った自撮り写真、というふうにスチエーションも撮影時期も光源も解像度もバラバラのものになってしまう。従って関係者が一同に会した時にまとめて撮影してしまったほうが早いのだ。ウェブではなく印刷物であれば尚更だ。しかしこのやり方での問題もある。→明日へ続く。

●二流のデザイナー   2017.12.29
例えば新しいクルマをデザインするとき、すでに世に出ている他社製品の中から最新のクルマを参照して世の中の動向や流行を調査、分析して売れるデザインを考える。と、こんなことをやっていたのでは新しいモノはできない。クルマのデザインであるならば、クルマ以外の他のカテゴリー、例えば航空機や兵器、建築物やインテリア、動物や植物、などからイメージを連想させて具現化に落とし込んでいかなければ新しいデザインはできないのだ。二流のデザイナーは同じカテゴリーの同業他社の製品だけを見ることしかできないから、いつまで経っても二流のままなのであろう。

●ウィン-ステイ、ルーズ-シフト戦略(2)   2017.12.28
→昨日の続き。勝っているときは作戦を変更せず、負けているときは作戦を変えなければいけないのが、ウィン-ステイ、ルーズ-シフト戦略だ。しかし負けが続いて窮地に追い込まれた状況になると、逆に作戦を変えられなくなる。今まで通りのことをより声を大きくして叫び続けないといけなくなるようだ。変えれば一瞬で消滅してしまい、変えなければ多少は寿命が伸びる、の二者選択しかなくなってしまうからだろう。例えば現在の朝日新聞はそんな状態のようだ。そして民進党はそうならないうちに、手を変え品を変え、を繰り返しているのだろう。

●ウィン-ステイ、ルーズ-シフト戦略(1)   2017.12.27
例えば野球で投手がフォークボールで三振を取ったとする。そうすると打たれるまでは決め球のフォークを使い続ける。そして打たれた時以降は、決め球をストレートや他の変化球に変えるというもの。単純だが効果的な戦略である。そして人間の真理として、この「ウィン-ステイ、ルーズ-シフト戦略」が「ジャンケン」にも当てはまるとのことらしい。中国、浙江大学の王志堅教授の実験によって解き明かされたとのこと。ジャンケンは完全なランダム変数でも良いようなものだが、人間の勝負に対するこだわりみたいな心理や、頭を使わないためには同じものを出し続けるという行動がそうさせているのだろう。ちなみに何も考えていない人間は「グー」を出す確率がかなり高いとのこと。→明日へ続く。

●分散と集中(2)   2017.12.26
→昨日の続き。しかし一定の地域に集中して住んだ場合のデメリットもある。生物が進化の過程で「♂」というものを作り出し、いろいろなタイプの種を作ることで環境の変化に対応したように。また基地を分散させて相互にネットワークで繋げることで敵からの一撃での全滅を防ぐというインターネットの概念のように。「一極集中」のリスクも実は大きかったりもする。ということで適度な分散と適度な集中が目指すべき姿なのだろう。と、いうことを特に意識しなくても、自然とその方向に向かっていっているようにも思える。

●分散と集中(1)   2017.12.25
このままでは消滅する「地方」が出てくると言われている。実際に過疎化が進んで労働力も経済力も確保できない地域にライフラインを整備、メンテし続けるには限界があることだろう。医療や教育、福祉施設を充実させていくにも限界があることだろう。本来であれば人間は一定の地域に集中して住んだほうが良い、ということは誰もが分かっている。しかし農耕民族である日本人は土地に対する愛着が強く「人間は一定の地域に集中して住みましょう!」なんてことを言う政治家には地方の人は誰も投票しない。従って誰もが分かってはいるものの口にはできない状況になっているのだろう。→明日へ続く。

●黙字   2017.12.24
英単語には「黙字」というものがある。oftenの「t」、 honestの「h」、knee、knifeの「k」などだ。それぞれ色々な経緯や理由があってそうなったようであるが、ofen、 onest、nee、nifeにしてしまったほうが、今となっては合理的であろう。なぜ無声音である「黙字」を入れて書かなければいけないのか、ある意味謎でもある。しかし外人から見た日本語の謎もある。「学校」は、そのまま読めば「がくこう」となるはずが、なぜ「がっこう」なのか?「一匹」は、なぜ「いちひき」ではなく「いっぴき」と読むのか?「体育」にフリガナをふる時は「たいいく」だが読む時は「たいく」なのか?「すみません」と書いてあるが読む時は「すいません」なのはなぜだ?これらを正しく説明できる日本人はほとんどいないだろう。

●紅白   2017.12.23
紅白といえば饅頭でもなく梅でもなく千歳飴でもなくNHK紅白歌合戦だ。紅が女なのはわかる。しかしなぜ白が男なのだ?結婚式では白が女だろう。ランドセルは基本、赤は女であるが、男は黒だろう。トイレのマークも女は赤だが男は黒(または青)だろう。運動会での紅白は紅も白も性別を指定してはいない。トランスジェンダーのミュージシャンも増えている中、男と女でのチーム分けには無理がきているだろう。そもそも「ピンキーとキラーズ」は男が4人で女が1人なのに紅組だったので、リードボーカル優先なのかとも思ったが「サーカス」も紅組から出ていた。昔から誰が何組だかはあまり関係なかったようである。視聴率さえ取れれば。

●CRM   2017.12.22
大手コンピューター関連企業の部長が会社を退職し、起業をした。大手企業時代にはCRM(Customer Relationship Management)を専門としていて、起業した会社にもこのCRMを活用して、それまでの地元の○○屋さんを短時間で駆逐していき顧客を奪い取った。「そのへんの○○屋さんなんてチョロいもんよ」とも言っていた。平均寿命が伸びて、大手を定年退職した後でもまだまだパワーが有り余っている人も増えている。そういう人たちが本気でビジネスを始めると従来の地元の○○屋さんにとっては相当な脅威になるはずだ。定年退職後も「一花咲かせてやろう!」と企んでる人たちには十分警戒しておいたほうが良い。顧客名簿を作っていなかったりインターネットやSNSを利用していない店は真っ先に餌食になるだろう。

●水色の「e」マーク   2017.12.21
レスポンシブwebでスマホでの表示を確認する際に使うのがエミュレーターだ。これまでは専用のサイトに行ったり、専用アプリをインストールしたりしてどたばたと確認していたのだが、今ではGoogleChromeのデベロッパーツールから簡単に確認できるようになっている。GoogleにもかかわらずiPhoneやiPadもサポートしているところが粋である。Chromeが確実に進化して使い勝手も良くなり、シェアも伸ばしているのに対して、Microsoftのブラウザはどんどんと使いにくくなり退化しているようだ。Edgeに至ってはローカルファイルを簡単には開くことができない!という開発者にとっては致命的なクソ使いにくい問題もある。世界のブラウザシェアではChromeが50%以上でiInternet Explorerは7%程度でそのクオリティの差がそのまま数字に反映されている。ところが日本では未だにInternet Explorerのシェアが25%もある。ブラウザというものが何なのかも知らずに、インターネットを見る時にはパブロフのように水色の「e」マークをダブルクリックしている人がいかに多いか?ということだろう。

●添付ファイル   2017.12.20
添付ファイルを添付し忘れてメールを送信してしまうことがある。メール本文を書き終わった段階で「できた!」という思いで、ついついいつものクセで送信ボタンを押してしまうというものだ。これを送信ボタンを押してすぐに気付けばいいのだが、永遠に気づかない場合もある。その割合は前者が7、後者が3、ぐらいではないだろうか。なので添付し忘れたメールを受信した場合には、相手が気づくまで半日ぐらいは待ったほうが良いだろう。へたに「添付ファイルが見当たらないようです」などというレスをすると、相手が添付し忘れたことに気がついて再送していて、行き違いになったりもする。また相手が再送した後に「添付ファイルが見当たらないようです」というメールを受信すると、「再送したのに添付されてない?」と勘違いして、色々とややこしくなってしまうようでもある。

●蟹は甲羅に似せて穴を掘る   2017.12.19
人はそれぞれの身分相応の考えや行いをするということで、どんなに意気がっている人でも、どんなに控え目な人でも、結局は身分相応の等身大の穴しか掘らないという諺である。人の行動を見ているとこの諺に滑稽なほど当てはまる行動をする人がいるので面白い。しかしこれに当てはまらない人はさらに滑稽である。穴を大きく掘りすぎて、隙間にできた空間の壁が崩れ落ち、そこを修理しているうちに反対側の壁が崩れ始めて、そうこうしているうちに崩れた壁に埋まって身動きが取れなくなってしまう人。穴を小さく掘りすぎて、なかなか体が入らずに、体をよじったり、傾けたりしながら悪戦苦闘している人。などである。

●四つ   2017.12.18
海外のアニメでは4本指が一般的だ。5本指では細かくなりすぎて、描写が面倒なのと指のアウトラインがくっついて絵がツブれてしまう可能性があるためだ。従ってミッキーもシンプソンズも4本指だ。しかし日本のアニメは必ず5本指だ。それは「四つ」という差別用語があるためで、4本の指を立てて「四つ」を表すこともあり、「四つ」=「四本足」=「家畜」=「屠殺する人」=「 部落」という差別問題につながる。従って雑誌の挿絵でも必ず5本指にしてある。ドラゴンボールのピッコロは当初4本指だったものにクレームがつき、途中から5本指に変更になった。ハクション大魔王も4本で描かれていて問題になったこともある。それぞれ「宇宙人」「魔人」だからいいだろう、と思ったところが、そうはいかなかったようだ。海外のキャラでもミッキーやシンプソンズのように世界的に有名なものは4本指でも日本でOKなのだが、マイナーなキャラは4本指ではその絵本やコミックは日本に輸入はできないそうだ。もっともネットの普及で日本だけの事情は通用しなくなりつつあるが、まだまだ気にする人が多いのも事実のようだ。

●勉強になった   2017.12.17
偉い先生の卓話を聞く、有名な人の講演を聞く、歴史的に貴重なビデオを観る、すると「勉強になった」と言う人がいる。おいおい違うだろ。それは単に情報を与えられたというだけで、あんたはまだ何も勉強してないだろ。聞いたこと、観たことについて、分析評価して論文にでもすれば「勉強になった」と言えるだろう。少なくともレポートや感想文を書くなどの行動をとれば、まあ、「勉強になった」と言えなくもない。聞いただけ、観ただけで、勉強になったとするならば、映画でも、ドラマでも、バラエティー番組でも勉強になるはずだ。しかしこれらは「勉強になる」より「馬鹿になる」パワーのほうが上回っている場合も多い。聞いただけ、観ただけで「勉強になった」という人に限って勉強のできない人だったりもする。

●サラリーマンはルーティーンの仕事が大好き   2017.12.16
逆に言うと、ルーティーン以外の仕事を確実にできる人というのは官民問わず非常に少ない。ルーティーン以外の仕事とは、基本的に新しい仕事であり、新しいスキルや技術が要求される。従って「新しい仕事」は失敗する確率が非常に高く、その失敗にめげずに何度でも立ち向かっていく執着心と根性も求められる。当然のことだが結果はすぐには出ないので、周囲から評価されたり褒められたりすることもない。ということは官民問わずサラリーマンは自分の仕事が評価され褒められることを目的にして仕事をしているということになる。そしてそいう人は掃いて捨てるほどいて、いかようにも差し替えが可能ということになる。そして掃いて捨てられたくないため、差し替えられないために、なおさら結果がある程度保証されているルーティーンの仕事ばかりをやりたがる。

●最近のニュース   2017.12.15
最近のテレビが取り上げているニュースと言えば「もりかけ」と「日馬富士」。どちらも国民の利益には直接関係ないし、結果がどうなろうと国民の生活には影響がない。もっと取り上げるべき重要なニュースは他にあるだろう!、と、しかし今日のワイドショーのトップニュースは「松居一代の離婚成立」である。こんなことをテレビで全国に放映する価値があるのか?これ以上ない「どうでもいい!」ハナシである。こんなもんを喜んで見ているのはよほど知能が低い人間なんだろうと思いつつ、一方では、なぜこんなことがニュースになるのだろうか?とも疑問に思う。松居一代は日本を代表するような大女優でもないし、離婚成立というのが「他人の不幸は蜜の味」というような不幸な出来事でもない。呆れると同時にマジで不思議である。

●カラス   2017.12.14
カラスの脳は体重の2.7パーセントを占めている。人間は1.9パーセントである。カラスは年上の兄弟が雛の子育てを手伝う。死ぬと葬式が催される。交通信号の意味が分かる。人間の顔を憶える。道具を作成して使う。などの能力があることがすでに発見されているらしい。しかし日本では回収に出した生ゴミを盛大に食い散らかしたり、光ファイバーケーブルを材料に使って変圧器の上に巣を作り、これが停電の原因になったりもしている。そこで人間はカラスを駆除しなければならなくなってきた。雑木林の奥深くにその駆除のための罠(カラス捕獲トラップ)が設置され、その中に罠にかかったいずれ処分されるであろう数羽のカラスがいる。童謡「七つの子」の 歌詞を思い起こすと、なんとも複雑な気分になるものだ。

●核廃絶(2) 2017.12.13
→昨日の続き。仮に世界各国が全ての核兵器を廃絶したとしよう。しかし核兵器は非常にコスパの高い兵器であり、国家レベルでなくても開発、所有することが可能だ。つまりテロ組織などが核を所有してしまったらタイヘンなことになるので各国とも核廃絶には踏み切れないのが現実のようだ。もう一つ、世界が核廃絶に踏み切れない理由は実際に起こるかもしれないアルマゲドンだ。小惑星や巨大隕石が地球に向かって飛んできたときに、できるだけ大きな破壊力を持った兵器が必要になるはずだからだ。小惑星や巨大隕石が地球に飛んでくるのは1億年先かもしれないし10年後かもしれない。

●核廃絶(1)   2017.12.12
世界中の核兵器を廃絶するのは簡単ではない。政治的な問題は別にして、物理的には点火装置(爆縮火薬の点火タイミング制御装置)を破棄してしまえば、とりあえず爆弾としては使えなくなるはずだ。しかし核物質はそのまま残る。原爆に使われているウラン235の半減期は7億年だ(7億年で放射量が半分になるので、放射線をほぼ出さなくなるまでは数十億年かかる)。従って使えないように処理するには地中深く埋めてしまうしかないのだが、人類の目の届かない所に隔離してしまうのは問題(格納容器の劣化による放射能の漏洩などの)があるので、とりあえず目の届く場所で保管せざるを得なくなる。原発でさえ1基廃炉にするには30年かかるとされているので、原発で使われているウラン238より核分裂しやすいウラン235を安全なかたちで処理するにはさらに長い年月がかかることだろう。→明日へ続く。

●サソリのハサミと毒   2017.12.11
サソリはハサミが細い種類のもののほうが毒が強力である。毒の強さに依存する割合が高く、ハサミは獲物を押さえる程度で良いからなのだそうだ。人間でも、がっちりした体型で見るからに喧嘩の強そうな人は武器を隠し持っている可能性は低いようである。また、メガネをかけているからといって勉強ができるとは限らず、単に目が悪い場合のほうが多いようだ。また、日焼けしているからといって健康であるとは限らない。日サロの行き過ぎだったり、肝臓が悪かったりもする。ただしサソリのハサミと毒の関係だけは永遠不滅のようだ。

●縦に長〜いページ(2)   2017.12.10
→昨日の続き。しかし今まではスマホの通信速度制限があるために表示に時間がかかることは避ける傾向もあった。ところがよく考えてみると通信速度制限の連絡が来たとしたら、ウェブを見るということはしなくなるだろう。LINEやショートメール、twitterなどにスマホの使い方を限定することだろう。つまり通信速度制限を意識したサイト作りという意味が薄れてくる。そしてデータ通信量を圧迫していたのがYouTubeなどの動画サイトであり、映像は見ずに音楽だけを聞いていた例もあることだろう。しかしAmazone primeなどが普及し、音楽だけを聞くようにすればデータ通信量は大幅に削減でき、通信速度制限もかかりにくくなっているのではないだろうか。そしてオンラインゲームで使いまくっている人は通信速度制限がかかったと同時にゲームアプリに切り替えて遊ぶのだろう。いずれにしてもウェブサイトはあまり関係ないようだ。

●縦に長〜いページ(1)   2017.12.09
縦に長〜いページというのが楽天などによくあった。いつまでスクロールさせんのや!もっとコンパクトにまとめろ!と言いたくなるようなページだ。しかし今では大手ネットショップやニュースサイトなどでもいつ表示し終わるか想像もつかないような縦に長〜いページが普通になってきた。見ているうちにページ下の画像が順番に表示されていくというタイプのページだ。こういったページが増えてきたのは、スマホのタップ数を少なくするためであろう。スマホの場合、タップしてページを移動すると、自分がどこにいるのか?ということが分からなくなるためだろう。→明日へ続く。

●エルサレム(2)   2017.12.08
→昨日の続き。アメリカはイスラエル寄りである。では日本は?というと決してそうではない。例えばイラン。MLBのダルビッシュ有はイラン人と日本人のハーフである。またイランではコメが主食であり日本製の炊飯器が売れていて、いわゆる「お焦げ」の部分は一家の家長が食べるそうだ。日本の石油の80%は中東に依存しているという現実もあり、アメリカのようにもろ手を上げてイスラエルを応援することはできないようだ。メンソールの煙草で有名な「SALEM」は「エルサレム」の古語であり、聖歌「エルサレム」はEmerson Lake & Palmer(イギリス・1973年)によって日本でも多くの人が知ることとなった聖歌でもあり、もともとの作詞は1808年にイギリス人ウイリアムブレークが書いたものである。まぁいずれにしても日本人には計り知れない長い歴史と、双方の恨みつらみが複雑に絡み合っているようだ。安易に意見を言ったりしないで静観しているのが得策なようだ。

●エルサレム(1)   2017.12.07
アメリカがイスラエルのエルサレムを首都として認定した。日本人からしてみると遠く離れた中東での出来事と思われがちだが、そうも言っていられない。1973年(第1次)と1979年(第2次)に始まったオイルショックは中東情勢の不安定に起因している。イスラエルのエルサレムを首都として認めるとなるとパレスチナ諸国が黙っているわけにはいかない。そもそもは文芸復興(ルネッサンス)のときにヨーロッパから派兵された十字軍の時代に遡り、その軋轢が今でも続いているわけで、バビロニア、ローマ帝国、ペルシャ、イスラム帝国などが入れ替わり立ち代わり占領を繰り返し、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の三つの宗教の聖地ともなっていて、現在に至るまでには3000年の歴史を理解していなければ語ることのできない地域でもある。→明日へ続く。

●冷蔵庫   2017.12.06
30年ぐらい前に、中味が見える冷蔵庫というものを提案したことがある。メリットとしては「ドアを開けずに中を確認することができ、節電にもなる」というものだったが、当時の主婦からは「他人に冷蔵庫の中を見られるなんて絶対にイヤだ」ということで瞬殺却下された。しかし現在ではドラム式洗濯機で中味が見えるようになっているし、掃除機でも吸ったゴミが可視化できるものが増えている。かたや「洗濯物」と「ゴミ」である。「食料」ぐらい、見えても良いのではないか?とも思う。

●IoT   2017.12.05
センサーやデバイスといった「モノ」がインターネットを通じてクラウドやサーバーに接続され、情報交換することにより相互に制御する仕組みのことをIoTという。様々な用途でビジネスやカスタマーエクスペリエンスを改善・拡張することができる可能性があるとのことだが、一方では、デジカメ、カーナビ、音楽プレーヤー、など、比較的カンタンにクラウドやサーバーに接続できそうな「モノ」が市場から消えつつある。言うまでもなく「スマホ」という「デバイス」に統合されていった結果である。また県民手帳が売れたりしているのも「何でもかんでもネットにつなげるようにすればいい!というものではない」ということなのだろう。そもそも人間自体がアナログな生き物なのだから、アナログな「モノ」のほうが親和性が高いのだろう。

●できない   2017.12.04
何かをやってみて「できない」場合に、すぐに他人に聞く人がいる。その人が教えてくれることによって「できない」ことが「できる」ようになる。しかしこの「人に聞く」ことを毎回やっていたのでは、いつまで経っても「できない」ことが次から次へと訪れるのだ。人に聞く前に自分で「やってみる」ことが重要だろう。そうしてやってみてるうちに「できる」ようになるかもしれないし、今回は「できない」にしても次回からは「できる」ようになるかもしれない。しかし困るのは特に計画性もなく衝動的に何でも「やってみちゃう」という人間だ。さんざん「やってみちゃった」あとに「できない」と言われても、もはや修復不可能な事態に陥ってる場合が多い。

●白と黒   2017.12.03
普通に肉眼で見ることのできるもっとも明るい「白」は太陽だろう。いきなり直視はできないが、目を細めることで何とかそのシルエットを見ることは可能だ。そしてその「白」はパソコンのモニターで再現できるいっちばん明るい白よりも格段に明るい。同様にパソコンのモニターで再現できる「黒」は意外にも黒くない。夜中にモニターの画面を電源を入れたまま真っ黒にして部屋の照明を全て落とすと、モニター画面がうっすらと明るいことが分かる(有機ELでない場合は)。要するにパソコンやテレビのモニターで再現できる白や黒は、リアルな肉眼の世界で見る白や黒に比べれば、白と言うほど明るくもなく、黒と言うほど暗くもなく、どちらも「ねずみ色」ということだ。

●誰も気づかない   2017.12.02
デザインが「詰め」の段階に入ってくると、どうでもいいような些細でマイナーな部分の変更を要求されるようになることがある。「そんなところいじったって『誰も気がつかないじゃん』」という部分だ。デザインとしてはまったくもって不必要なことなのだが政治的に必要な場合もある。そのプロジェクトに関わったオッさんの中には、基本的な、コンセプチュアルな、売り上げに左右しそうな、骨子となる、スキームとなる、ような部分では終始沈黙を保ち、大枠のデザインが決まって、詳細の「詰め」の段階に入ってくると、どうでもいいような些細でマイナーな部分を指摘したりするのだ。そして言われた通りに修正してあげることで「ワシもデザインには口出しさせてもらったんじゃよ」と言えるようになるわけだ。

●急ブレーキ   2017.12.01
自分の提案がいかに素晴らしくユニークであるかを言いたいがために、それを聞いていた人がポツリと言った重要な一言を聞き逃すことがある。自分が売りたい商品を必死で説明している時、それを聞いていた人がポツリと言った鋭い指摘の意味を理解しようとしないことがある。自分がいかに不幸でいかに不運かを語っている間に、相手がポツリと言った極めて有効な解決策に対して聞く耳を持たなかったりする。人間はフルスピードで走っているときには急には止まれないし、急ブレーキをかけるためには、①ブレーキパッドの急激な消耗、②それに伴って発生する熱、③減速で失われた速度を取り戻すための加速、などが必要になり、それ相応なエネルギーを消費するので、普通はブレーキを踏もうとはしない。が、そこでいかに素早くブレーキを踏めるかが、自分を客観的に見られるかどうかの分岐点となる。

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