20180年5月

●リモコンの電池   2018.5.31
懐中電灯であれば電池がなくなってくると段々と暗くなってくる。プラレールであれば電池がなくなってくると段々と走る速度が遅くなってくる。シェーバーであれば電池がなくなってくると段々と剃るパワーが落ちてくる。ところがリモコンは電池がなくなってくると突然反応しなくなる。すぐに電池を交換すれば良いのだが、単四や単五であった場合などは家庭内にストックが無いこともある。そんな時人は、とりあえずリモコンを正確に本体の受光部に向けて、ぐっと強くボタンを押すのだが、それで解決することは滅多に無い。つくずく人間の原始的本能のプリミティブさを感じるひとときである。

●たいへんだー!   2018.5.30
野党議員は何かあるたびに「たいへんだー!」と騒いでいる。いったい何がタイヘンなのかと言うと、次の選挙で自分が落選することになったら「タイヘンだー」なのだ。日本の議員報酬は世界でもダントツで高いと言われている。それだけに当選と落選では雲泥の差となり、当選した議員は周囲から「先生」と呼ばれてちやほやされ、落選した場合には選挙にかかった費用が「まる損」となる。ようするに選挙に出るということはギャンブルのようなもので、だから「出馬する」と言われるのだろう。

●動画(2)   2018.5.29
→昨日の続き。2014年から2018年にかけて地方創生予算として毎年1000億円〜2000億円が全国に配布されている。だいたい一つの市区町村で毎年1000万円が計上されているようである。1000万円ではハコモノを作るには少なすぎる。そこで、「そうだ、プロモーション動画を作ろう!」となる。そして多くの自治体がプロモーション動画を作り始めた。最初のころは物珍しさもあって話題となる動画もあったが、すでに100以上の自治体プロモーション動画が公開されている。どれもそれなりに良く出来てはいるのだが、数が多すぎて「ネタ切れ感」も否めない。ぶらり旅風、世界の車窓風、テレビショッピング風、新日本紀行風、実際の移住者の紹介、ゆるキャラ登場、食レポ、ドラマ仕立て、寸劇風、みんなで踊る、日本昔話風、クイズ方式、お笑い芸人採用、ドローン空撮、などなど考えられるモノは全て出尽くしたようである。100本の自治体プロモーション動画を見るのは大変な作業である。4〜5本見ると「もうお腹いっぱい」となる。それでも我慢して見るのだが「なんだ、またこのパターンかよ…」となって辟易してくる。横並びが大好きな自治体のことだから、あと1900本(全国の自治体数は約2000)の自治体プロモーション動画が作られるのかと想像するとゾッとする。

●動画(1)   2018.5.28
2005年頃まではウェブページに掲載された動画が新鮮であった。動画が掲載されたページのアクセス数が他のページを圧倒し、これからのウェブは動画だ!という雰囲気もあった。しかし現在では国民の大半がビデオカメラ(スマホ)を持ち歩き、多くの自動車にドラレコが搭載され、街のいたるところに防犯カメラが設置されている。もはや動画は新鮮でも珍しくもなくなった。また動画は一度見れば、何ども繰り返し見られることは少ない。同じテレビ番組を何度も見ないのと同じだ。従ってウェブページに同じ動画がずっと固定で掲載されていると「またかよ…」という気分にもなる。動画は毎日更新されることが基本になりつつあり、ウェブページに掲載するのではなく、単独でYouTubeなどの共有サイトに、ひとつの番組としてアップするのが当たり前になっている。→明日へ続く。

●世界水没地図   2018.5.27
世界水没地図というサイトがある。海面が何メートル上昇すると水没するかということが全世界の地図で確認できるというものだ。海面上昇の数値も1〜60mまでプルダウンで選ぶことができる。地球温暖化による海面上昇や津波による被害が想定できるというものなのだろう。しかし海面が満潮時なのか干潮時なのか平均値を基準にしているのかは説明はしていない。また大きな河川だけを対象に想定した数値にしか見えないようにも思える。ようするに雑である。しかし全世界が対象なのだから仕方も無い。それに、もし雑ではなく正確なデータであったとしたら世界中の不動産の価格にも影響を及ぼすことだろう。しかし地盤の強さの日本全国の地図はすでに色々なサイトで公開されている。合わせて世界水没地図で、あなたの住んでいる場所は何メートルの津波で水没するかを知っておいても損はないだろう。

●経済の活性化   2018.5.26
久々に、というかうん十年ぶりに油彩画を描こうと思い、油絵の道具を出してみた。すると油絵具の大半は使えなくなっていた。どのように使えなくなっていたかというと、とにかくチューブのフタが開かないのである。ペンチで挟んで無理に開けようとづると、鉛のチューブの肩口付近が千切れて中身がブチュっと出てしまうのだ。ブチュっと出るからチューブなのかはどうかは知らないが、覆水盆に返らず状態になってしまうのだ。考えてみれば中身はまだまだ使えるのに容器の不具合により捨てざるを得ないものは色々とある。ジャム、モーターオイル、ピクルス、ペンキ、墨汁、化粧品の多く、などだ。それで仕方なく同じモノを買うという行為が経済の活性化ともいえるのだろう。

●個人事業主の場合   2018.5.25
会社員であれば常に一定量の業務があって平日には仕事をして休日には仕事をしないというのが一般的であろう。しかし個人事業主には平日と休日の区別はない。仕事があるときには仕事をして、仕事が無いときには遊んでいればいいのだ。ところがこの仕事の有無の波は決して一定ではない。ヒマな日が何にも続くこともあれば、鬼のように突然忙しくなることもある。そして会社ではないので基本的に外注はしない。基本的に一人で何でもやらなければいけないので、忙しいときの忙しさは半端なく忙しいのだ。そういう意味では「会社員はいいなぁ」と思う反面「張り合いないだろうなぁ」とも思えるのであった。

●VR   2018.5.24
Oculus Goが2万円台で発売され、VRも段々と市民権を得るようになってきた。では果たしてどこまで普及するのか?といことを考えてみると、「リアルな空間での体験にはまだまだ遠く及ばない」という意見の人も多いことだろう。しかし音楽レコードが普及し始めたころ「生で聞く音楽には遠く及ばない」と感じた人は多かったのではないか。その後CDとなり、データのダウンロードとなり、世界に広く普及したのが「リアルではない音楽」だ。同様にVRもリアルなレジャーやリアルな旅行などのシェアを喰ってしまい、取って代わるような存在になるかもしれない。とはいえ生の音楽を聞く演奏会やコンサートが無くならないのと同様、リアルなレジャーやリアルな旅行が無くなる訳ではないだろう。かと言ってVRの普及速度が緩まることはないだろう。作る方ほう、売るほうも必死だし。

●判官贔屓   2018.5.23
はんがんびいき、又は、ほうがんびいき、と読む。「悲劇的英雄、判官源義経に同情する気持ち。転じて、弱者・敗者に同情し声援する感情をいう。」ということだ。いつの時代にも必ず一定の割り合いで判官贔屓は存在する。昔で言えば、巨人や大鵬が負けると喜ぶ人たちで、今で言えば自民党が負けることを願っている人たちだ。彼らは何でもいいから、強いやつが負けると喜ぶのだ。負けることでの生じるマイナスの部分や、負けたあとに誰が代わりをやるとか、そういうことは考えずに、ただただ負けることを願っているようでもある。判官贔屓の意味の説明の中には「源義経が兄頼朝に滅ぼされたのに人々が同情したことから弱者や薄幸の者に同情し味方すること。また、その気持ち。」ともある。ようするに野党6党を応援している人たちは、野党6党が弱者であり薄幸だと思っているということだ。

●いいね!   2018.5.22
「いいね!」の数がその投稿の価値というわけではない。新しい店をオープンしました!という投稿に沢山の「いいね!」がついたとしても実際にその店を訪れる人が増えるとは限らない。「いいね!」は「あ、そう」とういう意味合いもあり、「とりあえず、あなたの投稿は見ました」という既読フラグのようなもので、「いいね!」した人が次の行動に移る可能性は低い。もともとはブログの記事にコメント欄というものがあったが、いちいち文章を入力するのも面倒くさい。でも自分が読んだという足跡は残してあげたい、という代わりに発明されたのが「いいね!」であり、大きな意味は無い。まあFacebookの友達の数も、twitterやInstagramのフォロワーの数も大した意味は無い。もしその数を生かしてビジネスに展開しようとするならば、あと3桁ぐらい増やさないとダメだろう。人類が「矢印」を発明する前には、図表の多くには人間の手が指差しているイラストが使われていた。それと似たようなもので、「いいね!」は「←」に次ぐ発明なのかもしれない。

●凡才   2018.5.21
素晴らしい写真を撮りたければ1枚撮るよりも、100枚撮ったものの中から選んだ1枚のほうが絶対に素晴らしいはずだ。素晴らしい動画を撮りたければ、1000のシーンを撮り、その中の優れた10シーンを編集することだ。素晴らしいデザインは100枚のスケッチの中から選んだ1枚である。素晴らしい企画は、99%捨てて残った1%だったりもする。発明家は1つの画期的な発明の裏では99個のアイディアを捨てている。たった1つ思いついただけで「オレって天才!」とか思っているやつは間違いなく凡才だ。

●儲からない仕事   2018.5.20
こんなことやって儲かるの?という仕事をやっている人が世の中には少なからずと実在する。何もしなくても十分に食べていけるアパート経営などの収入があるのだが、それとは別に儲からなくても良い仕事をやっているというケース。これは言ってみれば趣味みたいなもので、充実した日々を過ごすためのもののようだ。また、ギリギリ食っていけるかどうかという利益率の低い割に合わない仕事をやっている人もいる。そしてなぜそんな仕事をやっているのかと聞いてみると「日本でこれができるのは私しかいないからだ」そうだ。素晴らしい生きざまである。しかし日本中を調べてみると、実は同じことができる人はたくさんいたりもする。自分しかできない、と信じ込んでいることでモチュベーションも維持しているようだ。まあ、それはそれで悪いことではない。

●綺麗な花の写真(2)   2018.5.19
→昨日の続き。しかし自動で写すといっても限界はある。例えば1つの画面に10輪の花が入っていたとする。左から3番目の1輪だけを美しく撮ろうとしてもそうはいかない。やるのであればその1輪にフォーカスを当て、思いっきり被写界深度を下げて撮る、または色相を指定して彩度を上げて撮る、又はPhotoshopで加工、などという方法がある。しかしいずれにしても知識やスキルが必要な作業だ。これが人間の目であれば、誰でも左から3番目の1輪だけにフォーカスを合わせて美しく見ることが、瞬時にできるのだ。そういう意味では人間お目は究極の自動化機能を備えたデバイスなのだ。そしてそのことを知らない人たちによって一眼レフカメラの市場は成り立っているとも言えるのだろう。

●綺麗な花の写真(1)   2018.5.18
綺麗な花が咲いているのを見つけたのでスマホで写真を撮ってInstagramにアップしようとする。ところがその花は肉眼で見たときほど綺麗ではない。スマホではなく一眼レフであればもっと美しく撮れるはず!と思って一眼レフを購入する。確かにスマホに比べれば立体感もあり色の再現性もリアルであるように思える。ところが肉眼で見たときの美しさは伝わらない。なぜだろうか?これはカメラの性能のせいではなく人間の目と脳のせいなのだ。人間は美しいものを見るときには、より美しく見ようとする意識が働き、同じ画面内にある、例えばゴミとか枯れ草とかを脳の中で排除してしまうのだ。しかしカメラはこれらも写してしまう。最近ではAI化が進み、ある程度は自動で綺麗なものだけを写すことができるようになってきてはいるとしてもだ。→明日へ続く。

●RDD方式による電話調査(2)   2018.5.17
→昨日の続き。例えば大学生のスマホに電話をするとほとんどが出ない。そこで折り返し電話をするよう留守電にメッセージを残すと、しばらくして電話が来る。若者は基本的に「知らないヤツとは話したくない」のだ。対して高齢者は誰でも構わないので話しをしたくてしょうがないのだ。従って固定電話の「電話に出る率」はかなり高いはずであり、振り込め詐欺のターゲットは固定電話なのだ。RDD方式では折り返し電話をするよう留守電にメッセージを残すということは考えにくい。つまり携帯電話で得られる有効回答と、固定電話で得られる有効回答数は大きく違うはずであり、携帯電話で得られる有効回答の多くはガラケーの高齢者と言う可能性もある。いずれにしてもRDD方式による電話調査に若者の意見は反映されづらく、高齢者=反安倍の確率が高い、偏向した数字になるのだろう。そもそもが電話で行うアンケートというのが前時代的なのだ。

●RDD方式による電話調査(1)   2018.5.16
5月14日のNHK世論調査による安倍内閣支持率は38%だったとのこと。少し古くなるが3月30日のnetgeekの安倍内閣支持率は83% とのこと。4月17日のニコニコアンケートでは54.6%であった。NHKをはじめ民放や新聞社による世論調査にはRDD方式による電話調査が行なわれている。対象は固定電話と携帯電話となっているが、その割り合いについては書かれていない場合がほとんどだ。そして「ただし、携帯電話の番号には固定電話の「市外局番」のような地域情報がないため、一部の地域を対象にする形式の調査では、引き続き固定電話のみを対象にしています。」というのは朝日新聞のサイトに書かれている内容だ。固定電話=高齢者=反安倍の確率がぐうんと高くなるはず。となると、もしかして固定電話が対象のほとんどではないのか?という疑惑はさらに深まった。→明日へ続く。

●タダ働き   2018.5.15
タダ働きをさせれば労基法違反となる。しかし世の中にはタダ働きは沢山ある。フリー素材をアップしている人たちもそのうちの一部だ。現在では音楽もイラストも写真もかなりのクオリティのものがフリーで使えるようになっている。そして「この人に仕事を依頼する場合は個別に連絡をください」という自己PRと引き換えに無料で素材を提供しているわけだ。そして本格的な仕事を依頼することなどは眼中に無い人たちが無尽蔵にフリー素材をダウンロードし続け、作者は永久に素材制作というタダ働きをさせられるハメになっているようだ。まぁ、趣味だと思えばそれでも良いのだろ。趣味にしては格段に安く上がってるということだ。

●どこにあるんだcssファイル   2018.5.14
cssファイルは同じ階層にあるとは限らない、というか無いと思ったほうが良い。大きなサイトの場合、../../../../../css.cssだったりもする。ということはサーバーにアップされているディレクトリをローカルに再現して構築しようとすると膨大なフォルダが必要となる。しかしそれをやっておかないと、いちいちアップしてからの確認作業となり、後々苦労することになる。デザインを共有するためのcssではあるのだが、そのために実に複雑で込み入ったツリー構造の概要を把握しておかないといけなくなる。なので、できるだけHTMLの中にstyle=""も書いてしまったほうがよいのだ。とはいってもレスポンシブではそうもいかない。どこにあるんだーcss!と捜しまわる時間が占める割合が年々増えてくるようだ。自分で作ったディレクトリにしても然りである。

●モノを増やすな(2)   2018.5.13
→昨日の続き。モノが1つ増えたら、同時に1つ減らす(捨てる)というルールを守れば良いだけのことだ。そしてほとんどのモノは「無くても困らない」モノであり、「あっても意味のない」モノであり、「その存在を忘れられている」モノであり、「5年以上見てもいない」モノであり、「買った時以外は使ってない」モノであり、「そおっと捨てられても気がつかない」モノなのである。ある会社で社員の一人が事故でしばらく入院して会社を休むことになった。休み中に大掃除があった。休んでいる社員の机の下にあった段ボールには、びっしりと仕事関連の書類が入っていた。しかし本人がいないとその重要性も分からず仕分けするのも面倒くさいので段ボールごと捨ててしまった。しばらくしてその社員が復帰したのだが、業務に何の差し支えも無く、今まで通りに普通に仕事をしていた。

●モノを増やすな(1)   2018.5.12
家庭でも職場でも放っておくとモノはどんどんと限りなく増える。従ってモノを増やさない為には、必要なモノが増えると同時に不要なモノを減らすという積極的な「努力」を定期的に、または随時行わないといけない。モノが増えると、モノを探すのに時間がかかり、最終的に探すのを諦め同じモノを調達したり購入したりして、またさらにモノが増えることになる。そうなってはいけないのでモノが増えないように常に細心の注意を払ってモノの数を管理している人間がいるのにも関わらず、全くもって無造作に無神経に雑駁にモノを増やしてしまう人間がいる。そんな人間に限ってモノが沢山、潤沢に、豊富に、贅沢に、満遍なく、充溢にあることに充実感を覚えたりしていたりもする。そしてそんなヤツに限って整理整頓が苦手で片付けをしない人間である。→明日へ続く。

●パワポ   2018.5.11
プレゼンにパワポを使う人が少なくなってきた。プレゼンにはオリジナリティーが必要である。パワポで作ったプレゼンデータは誰が見てもパワポで作ってるな、ということが分かってしまう。そこで「Googleスライド」や「Keynote」、「Haiku Deck」、「Adobe Voice」、又はHTMLとJavaScriptによるオリジナル、などを使うことで、オリジナリティーのあるプレゼンができるようになった。基本的にパワポは一方通行である。プレゼン後の質疑応答でパワポのページを順送りで遡って該当ページを捜すという場面を見ることはよくある。もちろんパワポでもインデックスページを作って、任意のページにリンクさせることは可能だが、これがそう簡単ではないので、使っている人も少ない。また役所などでは日本語の使い勝手やセキュリティの問題で「JUST Office」を使っているところも多い。JUST Officeはパワポ(Microsoft Office)との互換性はあるが100%ではない。であればモバイルのデバイスを持ち込んでのプレゼンの方が安心ということにもなる。いずれにしてもプレゼン=パワポという概念はもう古いようだ。

●印象操作   2018.5.10
相手が受け取る印象を、恣意的な伝え方をして制御しようとすることを印象操作と言う。ところが世の中の事象のほとんどは真実をそのまま伝えたのでは面白くも何ともないものなのであろう。従って視聴率を少しでも稼ぐためには物事を面白く伝えるための印象操作が必要になる。しかしこれをやりすぎると「演出」とか「やらせ」になってしまうのでニュースなどではほどほどにすべきだ。ところが最近のテレビや新聞ではネットのできない高齢者に媚びているためか、ニュースであっても「演出」に近い印象操作がかなり露骨に行われるようになってしまっている。視聴率が確実に減少しているテレビ局や購読者数がが確実に減少している新聞社にしても食っていかなければいけないので仕方のないところなのかもしれない。真実を伝えるという精神とか使命感などと言っている場合ではないようだ。このグラフのような勢いで売り上げが落ちれば、なりふり構わなくなるのも当然のことであろう。朝日新聞の場合は「なりふり構わず」というより「断末魔」の様相でもあるが。

●荒削り   2018.5.09
荒削りのほうが見ていて楽しい場合がる。完成度が高くなって荒削り感がなくなると「なんだかつまらない」というものも多い。荒削りは「細部が詰められていない」「未完成な箇所が目立つ」「大雑把で雑駁で雑である」というような意味であろう。ではなぜ荒削りのほうが見ていて楽しいのかというと、完成したらだうなるのか?ということを想像したり予想したりすることが楽しいのだろう。反対に完成系は「なんだ思った通りじゃん」ということになって面白くない場合も多い。だから荒削りのうちはへんに完成系を求めないほうが楽しみが長く続くというものだ。

●呟きの責任   2018.5.08
人はふと本音を呟いてしまうことがある。呟くだけなのでその呟いたことに責任を持てと言われてれも困る。しかし社会人である以上は、人前で本音を呟かないように心がける。学生の中には授業中に「やってらんねえなぁ」とか「マジで?信じられな〜い」とか「あー、かったりぃ」などと口に出す子供もいるが、社会に出ればそのことを注意されたり、指摘されたりして、段々に自分で制御できるようになっていく。人間誰しも「やってらんねえなぁ」と思うことは多々ある。しかしそれを口に出すと、多くの場合自らが不利になる。しかし言わないで我慢しているとストレスになる。そこでそのストレスをtwitterで発散する。twitterは「呟き」なので書いた事に責任を持たなくてもよい。思いつきであり衝動であるのだ。しかしだからといって政治家や著名人が迂闊なことを呟くと炎上してしまうのだ。逆に「炎上商法」には、もってこい!のツールでもある。

●とんでもないコト   2018.5.07
ある事件が起きたとする。マスコミは、当事者とは関係のない評論家やコメンテイター、芸能人などにコメントを求めることがある。するとそこでは「何とも無責任な」「勝手な思い込みだろ」「他人の気持ちを考えていない」「浅はかで教養の無い」といったようなことを言って問題や話題になることがある。「何であんなヤツに聞くんだ!」とお怒りの方も多いと思われるのだが、それはそれで「思うツボ」なのであろう。マスコミはわざと「とんでもないコトを言いそうなヤツ」にコメントを求めるのだ。そのほうが視聴率が上がるからだ。そして「とんでもないコトを言いそうなヤツ」のほうも、期待以上に「とんでもないコト」を言い続けないと、次からコメントを求められなくなってしまい、自身を「売る」ことが出来なくなってしまうのだ。「売る」ためであれば、世間からどう思われようが、それは二の次なのである。売るためなら何でもやるのは個人商店と同じであろう。

●流行と変化(2)   2018.5.06
→昨日の続き。世の中の人の大半が流行ではなく変化であると、気づくまでには時間がかかるものだ。自動車も電話も百年以上かかった。しかしテレビは50年かからなかった。されにコンビニは30年ぐらいだろうか。Suicaは20年といったところか。ETCに至っては1997年に使われたのが最初である。インターネット、パソコン、スマホ、SNSあたりは、ほぼ20年以下であろう。どうせ流行り物だから放っておけば誰も使わなくなるだろう、と思っていたものが、気がつけばみんなが使っていて、自分だけが使っていない。てなことにならないようにしよう。しかし「レーザーディスク」のように、生まれてから二十歳を迎える前にほぼ消滅したものもあるので気をつけなければならないようだ。

●流行と変化(1)   2018.5.05
人間は色々な経験を積んで一人前になる。一方で世の中の流行に対して敏感に対応することも必要である。どちらかというと、流行には無頓着であっても地道に経験だけを重ねていったほうがリスクは少ないと思われていたのは昭和までである。確かに流行ばかりを追っていたのでは、表面的で薄っぺらな人間になりかねない。しかし流行には全く無頓着で無関心であったために完璧に世の中に置いていかれて仕事もなくなってしまうということが現実に起き初めてから、はや20年は経っている。それでも頑なに今まで通りの事をやり続けている人もいる。なぜならば彼らにとってはインターネットもスマートフォンも仮想通貨も「流行」だと思っているからだ。「流行」ではなく確実な「変化」であることを認めようとしない。→明日へ続く。

●女子力   2018.5.04
「女子力」という言葉は日本特有の差別的意識だ。改める必要がある。との女子高生の訴えが話題となっているようだ。しかし性別を表す言葉には多かれ少なら「差別」の意味合いは含んでいるのではないだろうか。「男らしい」は、潔い、大胆、細かいことには拘らない、力強い、というようなニュアンスだ。例えばカラになったティッシュの箱を畳もせずにそのままゴミ箱に捨てるような行為にも使われたりもする。言い換えれば「がさつ」「雑駁」「無神経」というようなことだ。「女らしい」は、しとやか、上品、エレガント、繊細、というようなニュアンスだ。例えばファミレスで皆を待たせた状態でなかなか注文するメニューが決められないときにも使われたりもする。言い換えれば「めんどくさいヤツ」「マイペース」「自己中」というようなことだ。「女優」といえば、美人で演技力のある人というイメージだが、「男優」はAVをイメージされることが多い。「女性専用車」に男が乗ると、何かとトラブルの元となり、「土俵」に女が乗ると、何かとトラブルの元となるようだ。

●活用されないホームページ   2018.5.03
今日は某市でのイベントが予定されている。屋外のイベントなので雨が降れば中止になる可能性が高い。毎年5月3日に開催され、毎年晴天に恵まれるというのが普通であった。しかし今日の天気予報は雨。雷や突風との予報も出ている。ところが、このイベントが中止になるのか否かの情報が、市のホームページ、観光協会のホームページ、商工会議所のホームページ、市の観光課のtwitter、どこを捜しても午前9時現在掲載されていない。イベントは12時からなので、県外から来る人は、もう家を出ていないと間に合わない。ただでさえGWで高速は大渋滞、電車の指定席も満席のはずである。まったくもって利用者のことを考えていない運営には呆れる。市の立派なホームページは、恐らく制作費1,000万以上はかかってるはずだ。こういうときに活用しないでどうするんだか。

●強行採決   2018.5.02
例えば巨人ファンと阪神ファンが今後応援するプロ野球チームについて審議する。巨人ファンは巨人を、阪神ファンは阪神を応援すると言って譲らない。いくら話し合ったところで巨人ファンが阪神を、阪神ファンが巨人を応援することにはならない。だから最後は多数決というのが民主主義だ。最後は数の力がモノを言うのも民主主義である。それを「数の力にものを言わせて」とか言う前に、より多くの有権者に支持されるような政策を打ち出して、数の力の後ろ盾を作るのが民主主義であろう。政権を取ってしまえば強行採決もできるわけで、強行採決は違法ではないのだ。そして今の野党は何を言っても「負け犬の遠吠え」にしか聞こえない。与党が次々とエラーをする中、それを上回る野党の三文芝居ぶりであろう。そして国民の多くは「安倍政権が素晴らしい!」と思っているのではなく「今の野党に比べれば数段マシだ」と思っているだけなのだ。

●マスク、メガネ、帽子   2018.5.01
日本はマスクをしている人の割合が極端に高い。表情を見られないためだそうだ。表情が見えないとヒマな老人に声を掛けられる可能性が低くなるそうだ。だから若者は老人に声を掛けられないために、マスク、メガネ、帽子などで武装する。ついでにイヤホンで耳を塞げば完璧だ。一方の老人のほうは顔を全開にしていることが多い。すぐに話し掛けられるようにだ。しかし老人であるかどうかは別にして、マスク、メガネ、帽子の人のほうから「こんにちは〜」と声を掛けられても、声を掛けられたほうとしては「誰?」ってことにもなる。いっそのことマスク、メガネ、帽子の代わりに覆面にでもしてしまってはいかがだろうか。1枚で済むし。そういえば、その昔「風邪でもないのにマスクをしている」のは「ツッパリ」と決まっていた。

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