2018年6月

●孤独   2018.6.30
振り込め詐欺がなぜなくならないのか?それは高齢者のふれあい欲望が原因であろう。孤独な高齢者が増加している。家族と一緒に住んでいても若い人の話題には全くついていけないのだ。ラインがどうのこうの、アマゾンがどうのこうのと言われてもちんぷんかんぷんである。仕方がないので昔の話をすると「まぁたはじまった…」という空気になる。家族と一緒に住んでいてもコミュニケーション枯渇症になっていて、孤立感が否めないのである。そんなときに若い男の声が向こうからアプローチしてくると、その話についつい乗ってしまう。怪しくてもハイリスクであっても孤独よりはマシなのだろう。

●フォアボール   2018.6.29
「ヒットを打たれたのならともかくフォアボールでランナーを出すのはいただけない」と、これは野球解説者の常套句であろう。しかし本当にそうだろうか?ヒットというのは打たれれば2塁打、3塁打になることもある。走者が2類にいればホームに帰ってくることもあり、1塁走者が3塁に進塁することもあり、エラーを誘発することもあるのだ。しかしフォアボールは常にテイクワンベースであり、それ以上のことは起こらない。最初の打者をフォアボールで出して次の打者を三振にとる。これを3回繰り返せば1点も与えずにその回を終わらせることができる。6人の打者の中で好きな3人を選び、嫌いな3人との勝負を避けるための手段なのだ。敵に塁を与える手段の中で最も安全な方法なのである。サッカーで、オフサイドでイエローカードが出ることは無いのと同じく、フォアボールで、一度にランナーが2人以上生還することはないのだ。

●同じようなモノ   2018.6.28
同じようなモノをいくつも見るのは退屈だし飽きる。だから最初の3〜4つを見て、それが同じようなものだった場合には、残りもほぼ同じようなものであると容易に想像がついてしまい見るのを止めてしまう。ただし同じようなモノは作るほうにとってはラクでありカンタンである。同じようなモノであっても作ったほうから見ればオンリーワンであるのだが、見る方から見れば、ただの「同じようなモノ」なのだ。だから世の中には、なぜこんなに同じようなモノがタクサンあるのだ?と思うようなモノがタクサンあるのであった。

●うんこ製造機   2018.6.27
食うために生きるか?生きるために食うのか?本来は後者であるはずだ。しかし明らかに前者であろうと思われる人も少なくない。食うために生きているとしても、ちゃんと仕事をして、一定の収入があり、一定の社会貢献をしているのであれば、それでも良いだろう。しかし何の仕事もしないで食うためだけに生きている人間に生きる価値は無い。本人は「食うために生きている」と言うかもしれないが、ハタから見れば「うんこを作っている」だけだ。「引きこもり」の同義語として「うんこ製造機」というのが載っているサイトがあるので調べてみよう。

●自然淘汰   2018.6.26
原始時代の人類では、身体の弱い個体が病気になったり外敵に襲われたりして死んでしまう確率が高かったはずだ。頭の弱い個体は感情の制御ができずに無謀な行動に出たり先読みができずに危険な行動に出たりして死んでしまう確率が高かったはずだ。現在の人類は、身体が弱くても、頭が弱くても生きていけるようになってきている。しかし心の弱い人間が自殺をするのを社会が防ぐのはなかなか難しい。何かが弱い個体を切り捨て、優秀な個体だけで子孫を残していくという自然淘汰を、人類自らが防ぐことは出来ない仕組みになっているようだ。

●里   2018.6.25
春が来るのは、山、里、野の順である。しかし最近では「里」という言葉を聞かなくなった。山、田舎、都会という分類が一般的でもあるようだ。「里」というのは、大自然に対して「人の住むところ」を意味する。だから古くから住んでいるところを「古里」と呼び、今では「故郷」と書くほうが普通となった。また「里」は「り」とも読み、距離を表す単位としても使われていて、日本では約3.9kmだそうだ。だいたい4kmぐらいで隣の「人の住むところ」に辿り着いていたという感じなのだろう。いずれにしても日本中どこに行っても、「里」の多くは「街」になり、コンビニがあって飲み屋の数件はあるという感じになっているだろうか。そのうちの一軒が「◯里」という名前の小料理屋だったりもする。

●自動支払機   2018.6.24
スーパーで見かけるようになった自動支払機。人とのふれあいが希薄になるという意見がある。しかしスーパーのレジ全てが自動支払機になったわけではない。人とのふれあいを求めるのであれば今まで通りの有人のレジに行けば良い話だ。もっともレジの人との事務的な会話が「ふれあい」と言えるのかどうかも疑問である。そしてスーパーの自動支払機にふれあいが無いというのであれば駅の券売機や改札はとっくにふれあいはなくなっている。たかが電車に乗るという行為にいちいちふれあいを求めていたのではコスパが悪すぎるから自動化されたのだ。利用者が求めているほとんどのことは券売機とネットでできるようになっている。まぁそれでもふれあいが欲しい人のために緑の窓口なるものが今でもあるのだろう。そういう意味では、いくらスーパーの自動支払機が普及したところで、有人のレジは当分の間は残るのではないか。人とのふれあいが希薄になるなどと言ってる人が生きている間は。

●寿命   2018.6.23
寿命というのは基本的に有機物の生命が尽きるときに使われるのだが、無機物である機械などに使われることもある。「この掃除機もう寿命だしな」とか「寿命をとっくに過ぎてる洗濯機」とか。モーターやエンジンなどの駆動部品を有する機械に使われることが多い。また駆動部品が無くてもバッテリーなどの電気部品に使われることもある。ただし人工物では無い自然の無機物、例えば石とか砂とかの寿命というものが論及されることは無いようだ。しかし石や砂によって構成されている地球については、その寿命について語られる場合もある。ちなみに地球の寿命は、あと55億年ぐらいだそうだ。我々有機体の寿命が終わったあとのことであるのは間違いないので心配には及ばない。

●心を読む   2018.6.22
もし心に思ったことが周りの人に分かってしまうとしたら、辛すぎて生きていけないだろう。ところがカナダの心理学者によって、そんなマシンが開発されてしまったらしい。あなたの心の目を覗き込むというものだ。人が誰かの顔を目にした時に生じる脳の電気信号から、心に描かれているそれを再現することができるとのこと。現在最先端の脳波測定(EEG)は解像度に優れ、認知の様子をミリ秒単位で細かく計測することができるらしい。推定によれば、脳は目にした顔をきちんと描写するまでに0.17秒かかる。画像が提示されてから0.18秒後および5.83秒後の再現画像が公開されているが、その描写力は驚くべきものなのだそうだ。これを測定するにはEEGキャップという入力デバイスが必要になるので、普通の生活の中で他人に心を読まれることはないので安心してほしい。「ちょっと!今妄想に私いたでしょう?」となるまでには、まだ猶予はありそうだ。

●聞き上手   2018.6.21
自分の話したいことだけを話す。放っておけば永遠にエンドレスで話す。自分が思っていることを復唱して確認するかのようでもある。話しながら自分が疑問に思っていることや不安に思っていることを解決していったりもすることが聞いていて分かったりもする。であれば他人に話すのではなく、自問自答すればいいのではないか。自分の話したいことだけを話している人の話しを聞くのはタイヘンなのだ。貴重な時間を費やされ、聞いてるほうには何もメリットもない。耐えるだけの作業になるのだ。多少のメリットがあるとすれば、「聞き上手」になるためのスキルをアップさせるための修行、ぐらいだろうか。

●コロンビア   2018.6.20
昨日日本が対戦したのはコロンビア共和国である。コロンビア山はアメリカ合衆国のコロラド州にある。ブリティッシュコロンビア州はカナダの州だ。コロンビア号はアメリカ航空宇宙局 のスペースシャトルだ。もともとコロンビアとは「コロンブスの土地」を意味し、コロンビア共和国以外でもアメリカ大陸のあちこちで使われている名称でもある。しかしコロンブスが上陸したわけでもない日本にも「日本コロンビア」というレコード会社があったりもする。「コロムビア・トップ・ライト」はコロンビア代表チームのワントップと右サイドバックではなく、日本の漫才コンビの名前だった。

●記憶にございません   2018.6.19
記憶にあったとしてもその記憶が100%正しいとは限らない。いやむしろ記憶というものは自分の都合の良いように脳に記録されているものだ。上司が部下を叱ったとしよう。部下にしてみれば「パワハラ上司に恫喝された」となり上司からみれば「どうにも使えない部下に注意した」となるわけだ。従って国会の証人喚問で証人が言ったことなどというのは、本人は全く嘘をつく気はなくても、真実と異なる場合がほとんどなのだ。人間の脳はもともと自分の都合の良いように情報を改竄するという習性があるのだ。そんな人に文書を改竄したかどうかを聞いたって仕方ないだろう。

●山崎さん(2)   2018.6.18
昨日の続き→。しかし山﨑さんの場合、「ざ」と「さ」の違いは軽微であり、小声や早口では聞き取りにくいため、こちらも間違った読み方をされても、いちいち指摘しないようになってしまったらしい。そして漢字のほうであるが、「﨑」はShift-Jisでは機種依存文字であり正しく表示されなかったため、最近までは山﨑さんであっても、パソコン上では仕方なく「山崎」という表記を使っていた。そしてそうしているうちに、間違った漢字を使われてしまっても、いちいち指摘しないようになってしまったらしい。そして「ヤマちゃん」と呼ばれている人の多くが「山崎さん」であり、「ザッキー」の多くも「山崎さん」である。山崎さんは色々と寛容である。

●山崎さん(1)   2018.6.17
正しい漢字で書くのが難しい苗字には、あべ、わたなべ、さいとう、などがある。これらの苗字の漢字を間違えて書くかどうかで、その人の安直さといい加減さが分かるというもの。増して著名の入ったメールの返信の相手の名前の漢字を間違えるというのはおっちょこちょいとしか言いようがない。また表記は同じで読み方が異なる苗字としては、羽生、東海林、水上、などがある。そして漢字も読みも間違えやすいのが「山崎」である。まず漢字のほうは、山崎、山﨑、がある。そして読みのほうは「やまざき」と「やまさき」がある。仮に「はぶさん」が「はにゅうさん」と呼ばれた場合「いいえ、はぶです」と正すことだろう。→明日へ続く。

●AIと芸術(2)   2018.6.16
昨日の続き→。AIが描いたかどうか以前に、美しいもの=芸術、という漠然とした概念を持っている人が多すぎるのではないか。そもそも芸術作品を見て感動したことがある人はどれこらいいるだろうか?その感動は「すっげえー!」とか「感動した!」というレベルのものではなく、「背筋が凍りついてその場から動けなくなった」「脳に強いビームを受けて瞬きができなくなった」というようなミラクルな衝撃のことである。そういった体験をしたことがない人が、ちょっと美しいものを見ただけで、安易に「芸術だぁー」と叫んでいるだけのことだろう。

●AIと芸術(1)   2018.6.15
何千枚もの裸婦を描いた作品を、AIの一種である「敵対的生成ネットワーク」に学習させたところ、まるでサルバドール・ダリのような中毒性のある作品が完成してしまったようだ。まるでAIが「美しさ」を理解しているように思われる作品だ。そしてこの作品を見て「ついにAIが芸術を描けるようになった!」と思う人もいるかもしれない。しかしそれにはまだ時期尚早であろう。人間が意識しないで偶発的に作られた作品が芸術だとすると、エブル作品のほとんどが芸術ということになり、空に浮かぶ雲やオーロラや虹、花や生物のほとんど、手芸教室で床に落ちた毛糸を集めたものや、射出成形機から出た樹脂が固まったもの、使いかけの絵の具がついたパレット、世の中の「美しいもの」のほとんどが芸術になってしまうだろう。→明日へ続く。

●東京五輪ボランティア8万人募集   2018.6.14
宿泊費支給せず10日以上8時間活動でもちろん報酬は無し。これに対しネットでは「仕事そんなに休めないだろ普通」「8万人も無給で働く天使みたいな奴らいるわけねーわな」「オリンピックだからタダで働けというがそもそもおかしい。 」などの声が相次いでいる。しかし大会組織委員会とて全くマーケティングしなかったわけではないだろう。無報酬でも8万人ぐらいは集められると踏んでのことだろう。日本には2500万人もの年金生活者がいる。彼らの中には毎朝目が覚めると「今日は何をして1日をやり過ごそうか…」と悩んでいる人も沢山いるのであった。

●CSSをどこに書くか   2018.6.13
htmlタグの中に書く、htmlのheadの部分にまとめて書く、cssファイルにまとめて書いたものをhtmlから呼び出す、の3つの方法がある。構造が複雑化するに従ってcssファイルにまとめて書くことが一般的になっているが、htmlを作成中に、いちいち該当するcssファイルを開いて参照しながらの作業は簡単ではない。なぜcssファイルにまとめて書くという方法が普及したかと言えば、レスポンシブウェブが一般的になったので、仕方なくそうせざるを得なかったためだろう。JavaScriptやjQueryが絡んだ複雑なcssであればcss別ファイルは必至であるが、フォントサイズやテーブルやリスト、画像サイズなどの簡単なものであれば、htmlタグの中に書いたほうが絶対的に見易いはずだ。従ってレスポンシブではないパソコン専用のページであればhtmlタグの中に書くべきであろう。例え数百ページであったとしても複数行を一括置換できるツールも色々とあるし。css=別ファイル、という概念は捨てた方が良いだろう。レスポンシブではないならば。

●マスタープランとアクションプラン   2018.6.12
個人商店や零細企業では日々の仕事や売り上げに追われてマスタープランを立てずにもっぱらアクションプランだけを実行しているところが多いようだ。マスタープランを立てるだけの知識が無いというのもあるが、そんなヒマがあったら1円でも多く売ることを考えたほうが良い!というわけだ。一方で偉い先生たちが集まった学会などでは、それはそれは立派なマスタープランは立てるものの、アクションプランは積極的にはやりたがらない。アクションプランで成果が出ない場合には、マスタープランに欠陥があることがバレてしまうためというのもある。マスタープランとアクションプランの両方をバランスよく実行できれば、これはけっこう無敵なのだが、ほとんどは大きくどちらかに偏っているというのが現実のようだ。

●Googleアカウント   2018.6.11
しばらく使っていなかったG-mailを久々に使う。すると今までのパスワードでログインできなくなっている。通常であれば新たなパスワードへの変更手続きをすれば良いのだが、G-mailでは簡単にパスワードを変更するには覚悟がいる。パスワードを変更してしまうと、Googleの他のアカウントのパスワードも変わってしまうのか否かが分からない。もちろんウェブで調べればどこかに書いてあるのだろうけれど、GoogleによるGoogleのページの多くは「何を言っているのか分からない!」のであった。例えばAnalytics、YouTube、Blogger、Google+、Picasaなどなど同時にパスワードが変わってしまうのか?今までのままでいいのか?ログイン状態にあるものはどうなってしまうのか?一度ログアウトすると次からどうなるのか?皆目見当がつかない。てな不安や心配も持っているユーザーは少なくないはずだ。Googleは何だか知らないうちにアカウントを登録させられたり、パスワードを変更させられたりする。だからGoogle+は最もアクティブユーザーの少ないSNSと言われているのであった。

●自転車に乗れない   2018.6.10
自転車に乗れない(運転できない)という人がいる。身体に障害があるとか極端な運動オンチということでもなく、単に子供のころに自転車に乗る訓練をしなかったためのようだ。特に都心に住んでいて、歩いて何処にでも行けちゃうという人の中に多いようだ。at home VOX のアンケート調査(2017年、全国20〜59歳の男女516名が対象)によると、自転車(補助輪なしで)に乗れない人の割合は4.5%のこと。そして自転車は一度乗り方を覚えれば一生忘れないと言われている。ところが女優吉永小百合は、映画「北のカナリアたち」の撮影現場会見で『自転車に乗るシーンのために「最近まったく乗っていなくて乗り方忘れちゃって」と練習を積んだ』と会見した。自転車の乗り方を忘れるとはさすが大女優である。

●工事の再開   2018.6.09
htmlが複雑化するに従い、作った本人にもワケが分からなくなるということが増えてきた。特に半年前に途中まで作って一旦ペンディングになり、半年後にまた再開して作り始めるといった場合などには、ほぼ間違いなく分からなくなる。何のためにどういった目的で書いたのか分からないタグがたくさん登場する。しかしよく紐解いて考えてみると「なるほどそういうことだったのか!」と思い出してくる。そして再開してからの半日は、この「思い出す」ことにエネルギーを費やすことになる。建築中の住宅で梁と柱ができた段階で、一旦工事を中断してブルーシートを被せて、また半年後に工事を再開する。というようなことをしないのは、一旦中断して再開すると色々とワケが分からなくなるということがあるからなのだろう。

●クロスメディア   2018.6.08
「申し込み書は市のホームページからダウンロードできます」と、市の広報に書いてある。それも1箇所ではない。果たして広報を読んで自力でそのダウンロードページに辿り着ける人がいるのだろうか?いまどきの市のホームページといえば階層がいくつにも分かれ、ページ数も半端ない多さだ。その中から目的のページにたどり着くのはウェブの専門家であっても簡単ではない。増して広報を愛読しているのは高齢者が中心だろう。仮に広報に該当するページのURLを記載したところで、それをブラウザに入力する人もいないだろう。ホームページを見ている人は広報などは一切読まないし、広報を読んでいる人はホームページなどは一切見ないのだ。普通の人はクロスメディアなどという面倒くさいものには付き合わない、という根本的なことを理解しないで、自分の仕事の効率化と責任の転嫁だけしか考えていない人がいかに多いか?ということだろう。

●ゴミ収集車の音楽   2018.6.07
ある自治体で住民がゴミを時間までに出すのを忘れないように、ゴミ収集車が音楽を流すことにした。しかしゴミ収集作業員からは「オレたちはその音楽を作業中ずっと聞き続けることになり、うるさくて作業に集中できない」「言い歳してなんだか小っ恥ずかしい」などといった不満の声が上がった。しかし議会でも可決されたことなので実践されることになった。そして20年後、ゴミを時間までに出すのを忘れる住民はほとんどいなくなった。また近隣の学校や病院から「うるさい」とのクレームもあったため、ゴミ収集車の音楽は中止となった。しかしゴミ収集作業員からは「静かで何となく拍子抜けして作業に集中できない」「リズムがないので作業効率が落ちる」などといった不満の声が上がった。要するに人間は「何かが変わると、すぐに対応できない」だけ、ということだ。

●マインドフルネス   2018.6.06
直訳すると心(マインド)が満たされている(フルネス)状態のことで、あるがままを受け入れ、心を健全な状態に保つことをいう。思考・感情・感覚を完全に感じつつ、意識を今の瞬間に置いた精神状態のことを指すそうだ。最新の脳科学で「ストレス軽減」「集中力アップ」「自律神経回復」などの効果が実証され、アメリカではGoogleをはじめFacebookやintel、McKinseyといった企業のほか、政府機関の研修でもマインドフルネスは取り入れられている。また、小学校などの教育機関で積極的に取り入れた結果、子どもたちのいじめや差別が減ったという報告もあるそうだ。このマインドフルネスを取得するために、昔の人は山にこもって何日間も瞑想とかしてたわけだ。精神的、宗教的な、効率的修行とも言えよう。逆に言えば普通の人でも修行が必要なほど、ストレスに対処する手立てが求められるようになってきたということだろう。

●SNSの情報の限界   2018.6.05
社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間のことをエリートと呼ぶ。中央省庁や一流企業で働く人たちがそれに該当する。エリートではない一般人から見ればエリートはリア充な生き方をしていると思われがちだが、実際にはそうではない。入社1〜2年は社内でゴミのように扱われ理不尽な命令に従って耐え忍ぶ修行の日々を送らなければいけないのが普通である。プライドや自尊心を徹底的に潰されるところから始まる。しかしそれをパワハラとかいじめとかブラックとか言われてしまうと、人的な品質が保てなくなってくることだろう。だからエリートは基本的にSNSに投稿したり、他人の投稿を読んだりはしないのだろう。SNSの情報の深さに限界があるのはそのせいでもある。

●間違いなく選べる   2018.6.04
漢字を書くという機会がほとんど無くなった。同時に書けない漢字がどんどんと増えてくる。大体のイメージは覚えているのだが正確に書くことはできなくなっている。これは例えば国旗と同じようなものではないかとも思う。イギリス、ブラジル、韓国、の国旗を正確に描ける人は少ないだろう。しかしこの3カ国の国旗を並べて「どれがブラジル?」と聞けばほとんどの人は正解するであろう。正確に書けることより、間違いなく選べる、ということが重要な世の中になってきているようだ。

●スマホの次に来るモノ(3)   2018.6.03
→昨日の続き。2015年ごろまではGoogleAnaryticsでデスクトップ(パソコン)とモバイル(スマホ)のアスセス数の比率を見ると、デスクトップはどんどんと少なくなっていき、モバイルは増える一方であり、このままではいずれデスクトップは消滅するのではないか?と思ったくらいであった。しかし、これが昨年あたりからデスクトップは下げ止まり、モバイルは上げ止まりになってきた。Internet Live Statsを見ても、2015年ごろまでは、全世界でのスマホの販売台数がコンピュータの10倍程度であったものが、最近では6〜7倍まで落ちている。スマホは既に全世界に行き渡り、新しいモデルが出ても、すぐに買い換えるという人も減ってきたのであろう。つまり、徐々に人々の興味の対象からも遠ざかってきたのではないだろうか。

●スマホの次に来るモノ(2)   2018.6.02
→昨日の続き。実際に、ヨーロッパと北米の14か国16,000人を対象に行われた調査では、1日の大半を室内で過ごすアメリカ人が増えているそうだ。およそ25パーセントが、自宅と職場の往復に外出するだけで、ほとんどは室内にいると回答したとのこと。自宅と職場の往復に要する時間は不明だが、仮にそれが短時間であった場合、その間に利用するモバイル機器の重要性も低くなるはずである。自宅にも職場にもパソコンはあるはずだし、ネットもSNSもパソコンでゆっくりやればいい。モバイルはせいぜい「電話をかける」ぐらいの機能があれば間に合うのではないか。そうなってくるとスマホには、現在のような機能性やコスパやデザインが求められることは少なくなり、とりあえず「あればいい」的なものになり、人々の興味の対象からも遠ざかっていくのではないか。→明日へ続く。

●スマホの次に来るモノ(1)   2018.6.01
スマホの次に来るモノは何か? Google Glass? Apple Watch? その他のウェアラブル? いや、どれも本命ではない。次に来るモノは、モバイルを必要としない時代である。つまり人が外出しなくなる、1億総引きこもり時代であろう。仕事はテレワーク、旅行はVR、このことはビルゲイツの「アトムからビットへ」が予言していたものが、徐々に現実のものになろうとしているだけのことだろう。→明日へ続く。

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