2018年9月


●学芸会   2018.9.30
お互いが口論しているうちにエキサイトしてきて相手が喋っている上に被せて喋り始めるということはよくあることだ。一般の人の口論でもテレビの討論番組とかでもよくあるシーンだ。ところが日本のテレビドラマではこういったシーンが無い。一方が喋っている間は、どんなにエキサイトしていても相手が喋り終わるまではきちんと持っている。台本がそうなっているとはいえ、これはあまりにリアリティーを欠いているのではないか。お互いが興奮して殴り合うようなシーンでさえ、殴りながらも、ちゃんと相手が喋り終わるのを待って、自分の台詞を喋る。村人たちが集会所に集まり、村長が「今回の戦に降参すること」を村人たちに伝える。これは村人たちにとっては「とんでもないこと」であって、リアルの世界であれば、蜂の巣を突いたように一斉に喋り始めるはずである。そんな時でも、ちゃんと一人ずつ順番に喋るのである。だからテレビドラマは見ているほうが恥かしくなるような「学芸会」なのでろう。


●ムンカー錯視   2018.9.29
同じ色であっても隣接する色の色相、明度などによって全く違う色に見えてしまう目の錯覚をムンカー錯視という。同じ色のドレスが青にみえたり金に見えたりするのもこのムンカー錯視という。この錯視の画面を見て「えっ、何で?」とか「うっそー!」とか言って驚いている人もいるが、別に驚くほどのことではない。誰でもが今までに何万回となくこの錯視の応用を目にしているはずだ。例えばパソコン、スマホ、テレビの画面がそうだ。RGBの赤、青、緑の三原色の強弱によって1700万色を再現している。身の回りにななる印刷物の多くがCMYKのシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの四原色の濃淡によってほぼ無限の色を再現している。どちらも「色の同化」や「色の対比」といった現象から生じると考えられているのだが、結局人間の目というものは人間と同様に「極めて簡単に騙されやすいもの」なのだ。


●うちの子に限って   2018.9.28
何回読んでも意味の分からないメール。主語が無いので何について書いてあるのか全く分からない。しかし書いた本人は分かるように書いたはずだと譲らない。しかも読むほうが分かろうとしないように読んでいるのではないか?とまで言う。その自信はいったいどこから来るのだろうか?と色々と考えてみると、「自分が書いたメールは自分で読んで分かるので、他人が読んでも分かるはず」という極めて単純はロジックのようなのだ。自分が書いた文章を「分からない部分はないだろうか?」「どこかに間違いや誤りはないだろうか?」と疑ってみるという意識は全く無い。子供が何か悪さをして警察沙汰になったときの「うちの子に限って…」と事実を認められない親のようなものなのだろう。


●通夜をFacebookのに載せるな   2018.9.27
どこに行って何をして何を食べたか、ということ全ての足跡をtwitterやFacebookにアップしている人。有名人や著名人であれば、その投稿に対する「いいね」の数が自分の知名度を計る上でのマーケティングとして重要になるだろう。しかし、一般人が全ての足跡をtwitterやFacebookにアップするという行為は、自分の承認欲求を満たすという極めて小さな意味しか持たない。中には「◯◯さんの通夜に行ってきました」などという投稿もある。悔やむ内容を書いているのだが、この投稿を見た◯◯さんの家族の心境は、恐らく考えてはいないのだろう。なぜ「通夜は身内だけ」で行われることがあるということが分からないようである。承認欲求を満たすためには何でも有りとしている人が増えているようだ。


●いつもキレイに   2018.9.26
タクシーやハイヤーが洗車機で洗われているのを見ることは滅多にない。しかし彼らのクルマはいつでもそれなりにキレイだ。彼らは1日のうちに待機している時間も少なくない。そこで彼らはクルマを拭き掃除する。もちろん全体をを拭き掃除できるだけの時間、運転席を離れることはできない。そこで拭き掃除する場所をローテーションで決めている。左前のフェンダー部分、とか、ボンネットの上の右側とか。これを毎日の待機時間で続けることで、結果的にはクルマはいつもキレイだ。簡単なことだが、その方法を行うことで、毎日ある一定のクオリティに保つことができることもあるはずなので、考えてみると良いかもしれない。


●その他大勢烏合の衆   2018.9.25
優れた企画は少数精鋭で作れ。これは鉄則であろう。多くの人間が関われば関わるほどつまらないものになる。色を沢山混ぜると最後はグレーになるのと同じである。市民からの投票で決めた「市の名称」がいたって平凡でつまらないものになるのと同じだ。優秀な人間が数人で決めて、それを上層部がフォローして関係者その他大勢を強引に納得させて走り出す。だいたいにおいてその他大勢は烏合の衆であり、その烏合の衆の一人ひとりを平等に扱おうとしてはいけないのだ。そうやって(烏合の衆の一人ひとりを平等に扱うとして)コケた企画を数えれば枚挙に暇はない。


●総論賛成、各論反対   2018.9.24
アメリカの黒人差別に先頭に立って反対していた白人の上院議員が、いざ自分の娘が黒人と結婚するとなったら猛烈に反対した。湾岸戦争で自衛隊の海外派遣に対して多くの人が賛成もしたが、いざ自分の家族が行くとなったら、心の中では反対していただろう。今、LGBTは生産性がない!と発言したことが、色々と論議を呼んでいる。そして世の中の風潮は「ふざけんな!」という意見が優勢のようである。しかし、もし自分の子供全員がレズやゲイだったとしたら、一生孫の顔は見られないということにもなる。ようするに、世の中、総論賛成、各論反対ということがいかに多いか?ということだろう。とはいえ、海外では養子を迎えるLGBTのカップルが、身よりのない子供たちを救っているというのも事実であるようだ。


●青信号   2018.9.23
信号の色はなぜ緑なのに青信号と呼ぶのか?同じように緑なのに青と呼ぶものはたくさんある。青草、青菜、青虫、青リンゴ、青葉、青蛙、青銅、青竹、青田、青梅、青物などなどだ。信号が登場した1930年には光源に白熱球を使っていたはずである。白熱球なので色温度が低く、色つきのガラスを透過させて青を再現させるのは難しかったはずで、青を再現しようとしても緑色になってしまったのではないかとも思えるのだが、実際には、一部の新聞で「青信号」と発表されたのが原因との説が有力なようだ。しかし今日では青色LEDが普及して比較的簡単に青が再現できるようになってきた。従って今の時点で「緑信号」に呼び名を変えると、もう青にはできなくなってしまう。気のせいか、最近のLEDの青信号を見ると、昔に比べて青に近い緑(エメラルドグリーン系)になっているように感じる。LEDなので純粋な緑(#00ff00、なたは0 255 0 )を再現することも簡単なはずである。もしかするとあと20年後ぐらいには全国全ての青信号が純粋な青(#0000ff、なたは0 0 255)になっているのかもしれない。


●業界   2018.9.22
盗人の夫婦がいた。ある時この二人は揃って盗みの現場で御用となった。二人は揃って座敷牢に入れられ、その中で子供を出産した。10年後、その夫婦と子供は釈放されることになり、船に乗せられ生まれ故郷に向かった。3人を乗せた船が橋の下をくぐろうとしたとき子供が言った「止めてくれ!あんな小さな橋の下をこの船では通れない!」。彼は座敷牢の中だけで育ったために遠近法を知らなかったのだ。現在の座敷牢に近いのが「業界」であろう。業界の中だけにいて、内部のことばかり考えていると、外では常識とされていることを見落としがちになる。


●大相撲の改善しなければいけない部分   2018.9.21
伝統芸能的な要素もあるので、大相撲というイベントの形態は基本的に変える必要は無い。しかし絶対に改善したほうが良いと思うのは、現役を引退した後の健康管理だろう。相撲協会の理事会に参加する親方衆の映像をテレビで見ることがあるが、見るも無残である。もはや自力での歩行も困難なのでは?と思えるような体型の元力士もいる。江戸時代の平均寿命は40歳程度だっただろうから問題は無かったのだろうが、今の時代、引退してからのセカンドライフをあんな体型のままで過ごすのは難しいであろう。もう一つは実演時間だ。他のプロスポーツやイベントは18時開演、21時終了ぐらいが普通だろう。18時に終わってしまうというのでは、仕事が終わってから観に行けないではないか。


●あいつだけは絶対にイヤだ   2018.9.20
「あいつだけは絶対にイヤだ」という人は誰にでもいることだろう。そしてそのことが原因での人事や編成に影響が出るということもあるだろうと想像するのが一般的な考え方だろう。しかし実際の政界や財界では人の好き嫌いが影響することはほとんど無いそうだ。なぜならば政界や財界のトップクラスにもなれば「あいつだけは絶対にイヤだ」という人間がたっくさんいて、「あいつだけは絶対にイヤだ」とたっくさんの人に思われている人もたっくさんいるからだ。いちいち好き嫌いを考慮していたら立ちいかなくなってしまうのと、「あいつだけは絶対にイヤだ」と思っている人間に任せたほうが色々と面白い結果に繋がることが多いからだそうだ。


●3通の封筒   2018.9.19
ある会社の部長が退任することになった。業務の引き継ぎのとき、新任の部長は退任する部長から①〜③までの3通の封筒を渡された「困ったときには、この封筒を①から順番に開けてみなさい」。半年後、取引先とのトラブルで窮地に立たされた。そこで①の封筒を開けてみると「前任者のせいにしなさい」と書いてあり、その通りに前任者のせいにすることで何とか終息させた。また半年後、売り上げが大きく落ち込み窮地に立たされた。そこで②の封筒を開けてみると「編成を刷新しなさい」と書いてあり、その通りに編成を大幅に変更することで何とか売り上げをもとに戻すことができた。また半年後、商品に欠陥が見つかり大量のリコールが発生して窮地に立たされた。そこで③の封筒を開けてみると「3通の封筒を用意しなさい」と書いてあった。


●シャッター通り   2018.9.18
2000年、大規模小売店舗法が改正され、全国各地の郊外にショッピングセンターや総合スーパーが矢継ぎ早に建設されるようになった。そして十分な駐車場を持たず、商品の目新しさや価格競争力に劣っていた既存の商店街から客が流出し、一気に衰退するようになった。これをシャッター通り、またはシャッター街と呼ぶようになった。2001年に地方のある街に行ったときに、昼間でもそのシャッターを閉めた店舗の多さに「これがシャッター通りか…」と目の当たりにして実感した記憶がある。今でこそ珍しくはなくなったが、法改正の1年後でもその効果が現れ始めていたということだ。そしてその恩恵をこうむったはずの郊外のスーパーも、今ではネットに押されて壮絶な生き残り競争を続けている。ということは2000年以前に頭の良い官僚の一部は、いずれ訪れるであろうネット社会を予想していたのであろう。既存の商店街ではネットに太刀打ちできなくなり、リアル店舗がネットに対抗するためには、ショッピングセンターや総合スーパーにしておかなければいけないということを。


●専門用語   2018.9.17
どんな業種にも必ず専門用語というものがある。多くの人にとって身近な業種であっても知られていない言葉も多い。これは普通は学校では教えてくれない。OJTで身につけるしかない。それだけに始めて聞くと「えらい難しそう」という印象を受けるのだが、実際に覚えてみるとどうってことはないものも多い。当たり、あんこ、馬、拝む、ねこ、ネットなどは、現場で使われている土木用語のほんの一部である。意味はそれぞれ、でっぱり、詰め物、4本足の台、傾く、一輪車、正味量ということだ。どうってことはないが、正しく覚えておかないと仕事に差支える。しかしその業界意外では使わないようにしよう。まったくもってトンチンカンな出来事が起こってしまう可能性があるからだ。


●一石二鳥   2018.9.16
一石二鳥とは、一つの石を投げて二羽の鳥を同時に捕らえる、という意味なのだが、一羽の鳥ですら、石を投げて当てることは至難の技であるはずだ。猟銃でさえ外れることも多いのだ。なのでもう少しハードルを下げて、一つの石を投げて、一羽の鳥を捕らえる、という意味が「一鳥一石(いっちょういっせき)」かと思っていたのだが、どうやら漢字では「一朝一夕」と書くらしい。鳥に石を当てられるようになるまでは、一朝、一夕の練習では無理だということのようだ。


●集まって飲みたがる   2018.9.15
人は何かあるたびに理由をつけて集まって飲みたがる。老若男女を問わず集まりたがるのだ。そしてそこでお互いに話す内容はいつも決まっている。昔の話と人の噂だ。そして他人の話を聞くのではなく自分の話をするために集まりたがるのだ。しかしよく考えてみれば「お互いに話す内容はいつも決まっていて、他人の話を聞くというより自分の話をする」というのは家族の団欒の席でみんなが毎日することではないのだろうか。そいう場が用意されているにもかかわらず、家族を差し置いて、外で他人と集まって飲みたがる日本人は、やはりちょっと異常のように見える。ようするに家族に相手にされなくなった人の割合が多いということなのだろう。ヨーロッパでは、家族同士が「お互いに話す内容はいつも決まっていて、他人の話を聞くというより自分の話をする」というのが日課となっている。小さな町で、それほど変化のない生活を送っているにも、かかわらずだ。「よくそんなに話すコトあんなぁ?」と、日本人からみれば思う。特にラテン系の人たちは、放っておけば、3時間でも、5時間でも喋り続けるのであった。


●通ったあと   2018.9.14
あいつの通ったあとには何も残らない。という人と、あいつの通ったあとには大量のゴミが延々と落ちている。という人がいる。どちらも傍迷惑なことこの上なく、できればどちらもどこも通らずにいてほしいものだ。しかしだからといって座敷牢に閉じ込めておくわけにもいかない。ではどうすれば良いか?後者を先に通らせてから、前者に通ってもらえば良いだけのことだ。と思いきや、前者はゴミだけはキレイに残していったのであった。


●せっかち   2018.9.13
誰だって待つのはイヤだ。無駄な仕事はしたくないし結論は早く出したい。しかしだからといって人の話をよく聞かず、言っていることの表面だけを捉えて短絡的に反応するのは「せっかち」な人なのだろう。「せっかち」な人が書くメールは決まって「相手のメールを深く読まずに直感的に反応してすぐにレスを送信する」そして自分が送信したメールも「自ら読み返すこともなく、確認も修正も推敲もしないで送信ボタンを押す」ということになる。誰だって「せっかち」の素質は持っている。ただし「せっかち」であることで不利益を生じたり、他人を不機嫌にさせたり、大切なものを失ったりした経験があるから、「せっかち」な気持ちを抑えて社会で行動しているのだ。だから「せっかち」な人は、「せっかち」であることで痛い目にあったことのない人なのだろう。または痛い目にあったことに気付いていないのだろう。


●二刀流   2018.9.12
家ではMac、会社ではWindows、という人も少なくないことだろう。しかし一日中Macを使った後に、いきなりWindowsを使おうと思っても、なかなか最初はスピードが出ない。巡行速度で作業できるまでには数分間のウォーミングアップが必要だ。特にMacのCommandキーとWindowsのControlキーの位置の違いと、英数/かなの切り替えキーには「慣れ」を取り戻す必要がある。なのでいきなりの操作ではしどろもどろになりがちだ。ところがこのしどろもどろ状態を横目で見て「おっせぇなぁ…」という顔をしている上司にはムカつくものだ。「だいたいあんたはWindowsしか使ったことネェだろ!」「だいたいあんたはショートカットキーを使ったことネェだろ!」「だいたいあんたはリンゴマークのパソコンには絶対に触んねぇだろ!」「だいたいあんたはMacに触ったこともねぇくせに、さも使えるようなコトをのたまっているだろ!」


●他人を思い通りに動かすのは難しい   2018.9.11
他人を思い通りに動かすのは難しい。よほどのカリスマ性や威圧感を持って指示するか、それなりの報酬を支払わなければ不可能である。前者は教祖や独裁者であり、後者は社長や首長である。子供が言うことを聞かないのは、見返り(報酬)もなく、親にカリスマ性(愛情)が足りないからであろう。自分の子供とはいえ、分身でもアバターでもなく、全くの別の人格なのだ。そうそう簡単には思い通りに動かない。こればアカの他人ともなれば尚更だ。他の動物ともなればさらに難しい。犬は飼い主の思惑とは違う場所で必ずうんこをしたがる。


●素直でダイレクトで正直に   2018.9.10
何かを示唆している、何かを比喩している、遠回しに言っている、皮肉を混じえて言っている、というようなことを全く理解できない人がいる。いつ何時でも聞いた言葉を額面通りに受け取り、その裏にある本当の意味を理解できない人たちだ。「せっかくうまい具合に絶妙な言い回しができたのに…」と、話したほうは落胆もするのだが、コミュニケーションというものは基本的に裏のない、素直でダイレクトで正直に行うものだろう。忖度や玉虫色は大きな間違いの元となることも多いし、よほどの分かり合った者同士で無い限りは使わない方が良いだろう。それでも多くの日本人は玉虫色が大好きのようだ。素直でダイレクトで正直に言うと「あいつが言った!」と指差されることにビビっているのだ。と心配するほど世間はあんたに注目はしていない。


●ミニ氷河期   2018.9.09
理屈はこういうことらしい↓
①温暖化で、陸地の氷河が溶けて、海に流れ込み、海面が上昇する。
②アメリカ五大湖の大量の淡水が大西洋に流れ込む。
③大西洋の塩分濃度が下がる。
④表層の海水が深海に沈み込まなくなる。
⑤深層海流の流れが停滞する。
⑥黒潮やメキシコ湾流が温暖な空気を運ばなくなる。
⑦北半球の気温が下がりミニ氷河期に入る。
今は猛暑や台風で騒いでいるが、ミニ氷河期に入ったらもっとタイヘンだろう。寒いぞ〜。


●ゆっくり歩く人   2018.9.08
最近、やたらと歩くのが遅い人を街や駅で見かける。高齢者に限ったことではない。若者にもゆっくり歩く人を見かける。早く歩くと早く目的地に着いてしまう。その目的地が自宅だった場合には、自宅に早く着いてしまい、早く家に着くと「やることがなくなってしまう」わけだ。だからわざとゆっくりと歩いて、時間を潰しているのだ。以前のように誰しもがあくせくと働かなくても生活できる時代になってきた。同時に「やることがない人」も増えてきた。そして「やることがなくならないためにゆっくり歩く人」も増えてきたということだろう。


●おまえはそんなにかわいくはない   2018.9.07
Facebookのプロフィール画像に、かわいいアニメ風の似顔絵を使っている人がいる。そういう人でもプロフィールページの「写真」を見れば、大抵は本人が写っている。そしてかわいい似顔絵を見た人の多くは「おまえはそんなにかわいくはない」と呟きたくなることだろう。自分を美化したいのは分かるが、そのギャップがありすぎると「変な奴」と思われる可能性も高くなることだろう。ナルシストは、もともとそれなりに美しい容姿をしているわけで、自分を過大評価しているわけではない。


●AVCHD形式   2018.9.06
SONYやPanasonicなどが採用している動画形式にAVCHDというのがある。SONYやPanasonicのビデオカメラを使っている人はたくさんいるはずだ。一方でコンピューターはMacを使っている人も増えている。しかしこのAVCHDとMacの相性がすこぶる悪い。といっても使えないわけではない。色々と手間がかかるだけなのだ。とはいっても一般家庭用ビデオカメラにもAVCHDが採用されているわけで、子供の成長をビデオにおさめる、と言う目的でビデオカメラを買った人が、撮ったデータをMacで編集しようとした途端に、高めのハードルをまたぐ羽目になるようだ。家庭用ビデオカメラの世界には、使い方を簡単にしようと思って作ったであろう規格が、プロ用以上に状況を煩雑でややこしくしているようでもある。


●自分の子供はカワイイ   2018.9.05
クライアントから写真が送られてくる。自分で撮ってきた写真らしい。すごく下手くそで見栄えも悪い。「使えるようでしたら検討してください。基本的にはお任せします。」とのこと。どう見てもダサい写真なので、フリー素材の中から見栄えの良い、プロが撮ったであろう写真を探し出しで掲載したところ、「やっぱり自分の撮った写真を使って欲しい」とのこと。誰が見てもプロが撮ったであろう写真のほうが美しく、魅力的で、訴求力もあるのだが。どんなにブサイクであっても自分の子供はカワイイということのようだ。


●かたちから入る   2018.9.04
その焼き鳥屋さんは、近所の酒屋の店先の狭い空き地を借りて、屋台を引いて店をやっていた。その後「美味い」と評判になり、売り上げが伸び、今では酒屋の店舗を買い取って自分の店を出している。恐らく昭和の「成功している店」の多くは、こんな風に包丁一本から始めるのが普通であったのかもしれない。しかし最近の事業者は独立するときにいきなり家賃20万の部屋を借りていきなり商売を始めようとする。起業をした10人中9人が、5年の間に廃業している時代に、そんな「かたちから入る」やり方で成功する可能性は限りなくゼロに近い。


●うちの会社貧乏なので   2018.9.03
「うちの会社貧乏なので」「うち、お金無いんで」というのは値切りの常套手段の台詞である。まるで借金を踏み倒すときに蠅頼みをする小作人の如くである。会社なんだから確実に資本金というものがあるだろ。本当にお金がないなら、あんたの給料も払ってもらえないはずだし、あんたの着ているスーツだって、その給料で買ったものだろう。「うちの会社貧乏なので」などと口に出すことは、相手に良い印象を与えることは決して無い。上から予算を削減するように強く言われているのは分かる。だからと言って自分の会社を貧乏呼ばわりするのは、あまりに短絡的で策が無い、という印象を与えるだけであろう。


●近視眼的   2018.9.02
日本の自治体には長期的戦略が無い。極めて近視眼的だ。それもそのはずで概ね3~4年に1回は移動があるのだ。そして希望通りに配属される可能性は低い。だから3~4年の間に結果を出さなければいけない。下地を作っただけでは成果は次の担当者のものになってしまい「オレがやった!」とは言えなくなってしまうのだ。公務員は一生懸命仕事をしても、何もしないで仕事をしているフリをしていても給料は大して変わらない。なので「オレがやった!」に拘るのだ。だから「オレがやった!」とは言えない仕事は積極的にはやらない。即ち近視眼的にならざるを得ない。という話しを元公務員から聞いたことがある。


●丸投げ   2018.9.01
デザインを丸投げされることがある。そしてそれが上手くいく事は無い。丸投げするクライアントのほうは「この人ならイメージ通りのものを作ってくれるだろう」と思うのと同時に「自分のイメージを伝えるのが面倒である」と思うのと同時に「できてきたのを見てから修正させればいい」と思うわけである。しかしデザイナーはクライアントの頭の中は見えない。イメージというものは正確に相手に伝えない限りは絶対にその通りのものはできないのだ。「それは最初に言ってよ!」ということになるわけだ。会社にもいる。「全てキミに任せる!」とカッコよく言ってはみたものの、結果を見てからぐちぐちぐちぐちぐちぐちと文句を言う上司。

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