2018年10月


●殺人現場   2018.10.31
世界各地に監視カメラが設置され、中には殺人現場の映像がまんま写っていたりもする。そして世界中の人がネットを通じて本物の殺人現場を見ることができるようになってきた。そして映画やドラマと大きく違うところが二つあることに気づく。①拳銃で撃たれた瞬間に血しぶきは飛ばない。②殺し屋はターゲットに話しかけない。である。ネットがこれだけ普及しているにもかかわらず、相変わらず映画の中では、銃撃戦で血しぶき飛びまくりだし、殺し屋は最後の一言を言わせてからニヒルに笑って引き金を引いている。本物の殺し屋は問答無用で撃つ。自分もいつ殺(や)られるかも分からないともなれば、当然のことであろう。それからもう一つ、③ナイフで刺された人は、すぐには死なない。ようである。


●日本シリーズ(3)   2018.10.30
→昨日の続き。日本シリーズ日程表(*=ホーム)
A=セパいずれかの優勝チーム
B=セパいずれかの優勝チーム
C=チャレンジシリーズの勝ち残り1チーム

1日目
*A×C

2日目
*A×C

3日目
*B×C

4日目
*B×C

5日目
*A×B

6日目
*A×B

7日目
*B×A

メリットとしては、
  • アドバンテージは1勝ではなく試合数なので、最終日でもつれて面白い試合になる可能性が高くなる
  • 引き分けは負けと同じなのでギャンブル的な作戦が増えて面白くなる
  • 延長戦が無いので思い切った選手起用ができる
などがあるかと思われる。いかがだろうか?


●日本シリーズ(2)   2018.10.29
→昨日の続き。日程は以下の通り。

チャレンジシリーズ日程表(*=ホーム)

1日目
*セ2位×パ3位
*パ2位×セ3位

2日目
*セ2位×パ3位
*パ2位×セ3位

3日目
*セ2位×セ3位
*パ2位×パ3位

4日目
*セ2位×セ3位
*パ2位×パ3位

5日目
*セ2位×パ2位
パ3位×パ3位(シーズン中勝率が高いほうがホーム)

6日目
*パ2位×セ2位

→明日へ続く。


●日本シリーズ(1)   2018.10.28
日本シリーズが始まった。しかし今年のパ、昨年のセは、いずれもシーズンで優勝したにもかかわらずCSで敗退して日本シリーズに出られなかった。シーズン143試合で勝ち取った優勝が、1週間足らずの戦いで消えてしまう。優勝の喜びはCSで敗退して押された敗者の烙印によって全てかき消される。この理不尽なシステムには批判の声も多く寄せられているはずだ。そこでその理不尽さを解消すべくアイディアを考えてみた。
  • セパ両リーグの優勝チームは無条件で日本シリーズに参加できる。
  • 現在のクライマックスシリーズは廃止し、代わりにチャレンジシリーズを開設する。
  • チャレンジシリーズはセパ2位3位の4チームの中から1チームを決める。
  • 日本シリーズはセパ両リーグの優勝チームとチャレンジシリーズの勝ち残り1チーム、計3チームによって行われる。
  • チャレンジシリーズは3位のチームが5試合、2位のチームが6試合を行い、勝利数で順位を決める。
  • 日本シリーズはチャレンジシリーズの勝ち残りチームが4試合、セパ優勝チームが5試合を行い、勝利数で順位を決める。
  • いずれも引き分けはカウントされない(負けと同じ)。
  • いずれも延長戦は無しで、すべてゲームは9回までとする。
  • いずれも日程途中で1位が確定すれば、その時点で終了。
→明日へ続く。


●同窓会   2018.10.27
同窓会の幹事はタイヘンだ。連絡が取れない人、行方不明の人、ドタキャンする人、ドタ参する人、などなどがいるからだ。そして苦労した割に「苦労してでもやった甲斐があった」という達成感や満足感が得られることはない。それは、開催したところで、その内容はいつも同じ「昔の話」「他人の噂」だからなのだ。建設的な話題や、新たなビジネス展開というようなものは期待できない。さらに高齢になってくると「病気の話」「墓の話」がこれに加わる。苦労した割に「虚脱感」と「不毛感」だけが残るというものだ。


●大したヤツではない   2018.10.26
複雑で難解な理論的な議論をしている中で、突然、抽象的で感覚的な意見を言ったとする。例えば「それはマチュピチュの上空を高く飛ぶ翼竜のような、鳥観的な視野が必要でしょう」というような。例えば「仮にそれを実行したら、蜂の巣はつつくは、蜘蛛の子は散らすはの大パニックになるかもしれませんよ」というような。これを聞いて「真面目なハナシをしているときに…」と顔をしかめるのは、だいたいにおいて大したヤツではない。


●テレビ消滅   2018.10.25
テレビを見ていると消したくなる。なぜだろうか?テレビはテレビ側主体で番組が進行する。途中でPAUSEにしたり早送りしたりSKIPしたりできない。ネットに慣れてくると、このテレビの「押し付け」と「愚鈍なマイペース具合」がストレスになってくる。ところがネットをやらない人はそのことに気がついていない。テレビが「消滅」するまでには、まだ少し時間がかかりそうだ。


●市区町村消滅   2018.10.24
2040年には全国の896市区町村が「消滅」の危機に直面するそうだ(「日本創成会議」の人口減少問題検討分科会)。そこで国は「一億総活躍社会」の一環として「地方創生」との名目で、平成26年度から始まり年間予算1700億円、27年度1000億円、28年度2000億円、平成29年度1000億円。平成30年度1000億円が交付された。これが末端の自治体ではだいたい年間1000万円の程度になるようだ。要するに絶対数が減るので、あとは自治体同士で「喰いあえ」ということだ。もっとも国が積極的に市区町村を「消滅」させることはできない。しかし「喰いあって」負けたのなら仕方が無いということだろうか。


●スケール感   2018.10.23
台風を核兵器で吹き飛ばしたらどうか?などと言う人がいる。台風をピザ1枚とすれば広島型原爆は飯粒1粒ぐらいであろう。史上最大の核兵器である旧ソ連のツアーリボンバは広島型原爆の約3000倍の威力とされている。それでもおにぎり1個分の飯粒だ。ピザとおにぎりのどっちが強いかはやってみないと分からないが、いずれにしても今の時代にツアーリボンバ級の核兵器を爆発させることは許されないだろう。東日本大震災は核兵器により人為的に起こされたものだ。などと言う人がいる。東日本大震災のエネルギーは広島型原爆の3万倍であり、ツアーリボンバの10倍である。東日本大震災の震源は24kmであり、人類の掘削技術での最大深度は12kmだそうだ。ツアーリボンバ10個を24kmの穴を掘って爆発させるなどということは不可能なのだ。台風や地震を核兵器と結びつけて考える人というのは、100万円と1億円の区別がつかない子供のようなものだ。


●地動説   2018.10.22
1990年に電話のデザインをしたことがある。すると設計部から基本寸法図が送られてきて、そこにはハンドセット(子機)の、マイク(口元)からスピーカー(耳元)までの距離、それぞれの角度、サイズ、重さまでもが厳密に指定されていて、その寸法の公差(許容範囲)から外れたものは「電話ではない!」とされていた。確かに家庭用の黒電話や緑の公衆電話はその公差内で作られていたが故に、万人の手に馴染み、人間工学的に使いやすかったのかもしれない。ところがその後のケータイ、スマホでは、その基本寸法は完全に無視されるかたちとなった。そしてケータイが市場に出始めたころ、多くの電話の技術者たちは「あんなものは電話でない!」だから「あんなものは一時の流行りであって絶対に普及することは無い!」と言っていた。あぁ、こんな風にコペルニクスの地動説も、すぐには信じてもらえず、受け入れられない人も多かったんだろうな。と思った。


●荷物   2018.10.21
旅行に行く時、使う可能性がありそうなモノを、漏れなく持って行く人。逆に必要最低限のモノだけを厳選して、できるだけ荷物を少なくしようとする人。前者の場合、必然的に荷物の種類と量が増え、その分、モノを無くす、モノを忘れる、モノを探す、モノをパッキングする、などの時間と手間が余計にかかる。さらに、モノを盗まれる、モノが壊れる、モノを間違える、モノが変形してしまう、モノが腐る、モノから火が出る、モノにキノコが生える、などの危険性もある。帰ってきて、結局使わなかったモノがたくさんあったことに気づき、使わないモノを、移動させるための旅行であったことにも気づく。しかし使う可能性がありそうなモノを、漏れなく持って行く人は、次の旅行でも、また、モノをたくさんもっていき、モノを移動させるための旅行に意気揚々と出発するのであった。


●無用者階級(2)   2018.10.20
→昨日の続き。今まで人類は、一部の特権階級を除き、基本的に「生きるために必死」であった。しかしここ百年ぐらいの間に、「生きるために必死」の人の割合は激減した。先進国では「生きるために必死」の人がほとんどいなくなり、「生きるために必死」ではない人が特権階級に限られなくなった。そうなると皮肉なもので、「生きるために必死」な時には、如何にして生きるか?ということだけを考えていた人類は、今度は、いかにして死ぬか?生きている意味とは何か?自分の社会的存在意味は何なんだ?というような、考えなくてもいいことを考えるようになってくる。人類の大半が、こんな哲学者モドキのようなことを考えるようになったとしたら、世の中は大いに混乱することだろう。そうならないために“無用者階級”なるものが登場するのかもしれない。“無用者階級”は特に考えることもしないでタダ生きていればいい、と思っている。出世しようとも有名になろうとも思ってはいない。「人並みであれば幸せ」なのだ。


●無用者階級(1)   2018.10.19
21世紀に入るとデジタル化が進み、一部の人間は神のようにスーパー記憶力を有し、知性、抵抗力を有するようになる一方、大部分の人類はその段階まで進化できずに留まるだろう。19世紀、工業化によって労働者階級が出てきたが、21世紀には“無用者階級”と呼ばれる新しい階級が生まれてくる。「ホモ・デウス」の著者、ユバル・ノア・ハラリ氏が予測する未来の姿である。21世紀はまだ始まったばかりではあるが、周りを見渡すと、確かにこの無用者階級が登場しつつある兆候はあるのではないか?と思うことがある。世の中の「仕事」や「労働」の多くを、AIやロボットが代行してくれるようになり、人間は何もしなくても生きていけるよいうになる。人間は何もしなくても生きていければ、考える、工夫する、対応する、勉強する、といった行為も必要なくなるだろう。→明日へ続く。


●フリーランスの個人事業主(2)   2018.10.18
→昨日の続き。自宅で仕事をしていると、歩いて3秒のところにベットがあったりもする。集中して仕事をしていると、燃料切れで、どうにも頭が回らなくなることがある。もちろんそんな時には寝る。例え10分でも寝れば、また復活して仕事に戻れる。ときには10分寝るを、1日に4回ぐらい繰り返すこともある。そして思う。「サラリーマンはこういうとき、どうしているのだろう?」。そして思い出す。自分がサラリーマンだったころを。どうにも頭が回らなくなったときは、脳に負担の少ない仕事(意味の無い書類整理や、資料を読むふり)をやる。頬杖をついて、考え事をしているような顔をしたまま、机に座ったまま寝る。ってな感じだったかなぁと。そして今でもそういうことを、毎日のようにしてるサラリーマンは、全国各地に、たっくさんいるんだろうなぁ、とも思う。


●フリーランスの個人事業主(1)   2018.10.17
フリーランスの個人事業主の仕事は不安定である。仕事があるときは、大抵いくつも重なるし、無いときには全く無い。いくつも重なったときには、到底、納期までに一人でこなすことはできない。かといって他人に振るわけにもいかない。内容を正確に伝えるよりも自分でやったほうが早いからだ。そして、こういうときのために会社ってあるんだな、とも実感する。そしていくつも重なったときには、最初に誰に謝るかを決めておく。謝るのと怒られるのはタダである。→明日へ続く。


●割の合わない仕事   2018.10.16
例えばランダムに10人の人を集める。その10人で何かのサークルを作るとする。代表者は誰がやるか?会費をどうするか?入会と退会をどうするか?規約をどうするか?開催する頻度は?いつやる?などなど決めることは沢山ある。全員の意見を反映することなどは不可能だ。そしてそれを取りまとめ役になった人は「どいつもこいつも勝手なこと言いやがって…」と呟きながら割の合わない仕事をやることになる。そしてこの「割の合わない仕事」をやったことのない人が、国のやること、会社のやること、に対してぐちぐちぐちぐちと文句を言っているのであった。


●競合店   2018.10.15
A店の店主が言った「同じカテゴリーの商品を売っている人気のチェーン店が近所に進出してきたので、客を全部奪われて売り上げはガタ落ちだよ!」B店の店主が言った「同じカテゴリーの商品を売っている人気のチェーン店が近所に進出してきて、その店目当てで来る客が増えたので、うちの売り上げも伸びてるんだよ!」しかし、人気のチェーン店が近所に進出してきたにしろ、しなかったにしろ、A店の売り上げは落ちるべくして落ちて、B店の売り上げは伸びるべくして伸びたのだろう。


●完全試合   2018.10.14
9回を投げて被安打3、失点0の完璧な投球だった。とか言われることがある。しかし本当の完璧な投球とは「完全試合」のことで、もっと言えば投球数27球の完全試合が真の完全試合だそうだ。そして先発ピッチャーは、投げる前にまず27球の完全試合を目指し、相手打者が1球目を見送った時点で、普通の完全試合を目指し、打者にファーボールを与えた時点でノーヒットノーランを目指し。ヒットを打たれた時点で完封を目指し、点を取られた時点で完投を目指すそうだ。確かにたまたまとか、偶然で完全試合は達成できるものではないだろう。明らかに狙った者しか達成できない快挙でもある。そして完全試合は野手がエラーをした時点でも消滅する。野手との確かな信頼関係がなければ達成できないものでもある。これが一番高いハードルのようにも思える。


●自慢話   2018.10.13
何の話をしても、結局最後は自分の自慢話になってしまうという人がいる。「そりゃああんたは頭が良くて優秀かもしれない。でもコミュニケーションのうちの3割ぐらいは相手の話もじっくり聞いてあげるようにしないと友だちはできないよ。」という内容のことを遠回しに教えてあげた。それ以来、その人は、結局最後は自分の自慢話にならなくなった。代わりに、結局最後は自分の武勇伝となっていた。そもそも武勇伝は人づてに伝わるものであって自分で言うものではないのだが。


●ターレ   2018.10.12
築地市場の豊洲移転に伴いターレという乗り物が有名になった。正式にはターレットトラックといい、通常は、ターレット、ターレ、ターレーと略して呼ばれることが多いとのこと。市場関係者は「ぱたぱた」もしくは「ばたばた」と呼ぶ場合もあるそうだ。ほとんどの機種は小型特殊自動車として登録が可能で、登録すれば公道走行も可能であるとのこと。駆動はガソリン式と電気式があり、 生鮮食品を扱う現場などでは低公害の天然ガスを燃料とするエンジンを搭載した機種が用いられる例が多いそうだ。製造メーカーは埼玉県志木市にあった株式会社朝霞製作所がシェアNo.1だったが、2012年に破産し工場も閉鎖したらしい。「ターレットトラック」は、この朝霞製作所の登録商標なのだそうだ。朝霞製作所のホームページだけは残っていて最終更新日は2008年12月28日になっている。


●Google+   2018.10.11
Googleが、SNSサービス「Google+」を2019年8月で終了するとのこと。最大50万ユーザーの非公開プロフィールが流出したおそれがあるのと、Google+のユーザーセッションの9割が5秒未満で離脱しているためとのこと。そもそもGoogle+がSNSサービスとして認識されてない場合も多く、YouTubeやG-mailのユーザーを知らないうちにGoogleのアカウント登録のページに誘導して、無理やりGoogle+のアカウント登録をさせていたのだ。つまりユーザーの9割はGoogle+を使おうと思って来たのではなく、何かの拍子に間違ってGoogle+のページにアクセスしまったのだから、5秒未満で離脱するのも当然のことであろう。従って「アクティブユーザーの割合が最も低い(しかもダントツで)SNS」となってしまったわけだ。一時期は「ハングアウト」でSkypeの牙城を崩しにかかり、先進的インターネットユーザーの多くがGoogle+のアカウント登録をして、実際にハングアウトを数回使ってはみたが、Skypeに対してこれといったメリットもなく、もともとSkypeのほうが利用者が多かったため、ほとんどのユーザーがSkypeに戻ってしまった。そしてGoogle+には、使われてないアカウントだけが大量に残った、という感じなのだろう。


●アニメーション   2018.10.10
サザエさんで会社の波平の机が上があまりに殺風景でリアリティーが無いのでは?てな話題がネット上で盛り上がったりしている。しかし考えて欲しい。殺風景な机に本棚にしてもファイルにしてもパソコンにしても追加するからには誰かが描かなければいけないのだ。参考になる写真を探してパースを合わせて色付けしてアニメーションの背景画像に組み込まなければいけない。それなりに手間がかかるのだ。数秒のシーンのためにそこまでは普通はやらないで済ませたい。アニメーションというのはCGにしろ手描きにしろ、原画を何枚も描いて連続して動かすわけだ。まる1日かけて作ったアニメーションが数秒で終わる。というようなことを知らないで、実写で撮影した動画を見て「ここんとこはアニメにすればいいんじゃない?」とか軽く言う人間に対して「分かった。じゃ、おまえ描いてみろ!」と言いたいのをアニメーターは我慢をしている。


●売上No.1   2018.10.09
例えば売上No.1の缶コーヒーはたくさんある。消費者庁では「No.1表示の根拠となる調査結果に即して,一般消費者が理解することができるようにNo.1表示の対象となる商品等の範囲を明りょうに表示すること。」とのこと。なのでよーく見ると、広告で売上No.1とうたう場合には、必ず広告の隅っっっっこのほうに、時には読めないくらい小ーーさな文字で、根拠となるデータの定義が書いてある。そしてNo.1となった条件や定義はバラバラである。これが「明りょう」と言えるかどうかは甚だ疑問でもある。同じように「顧客満足度No.1」なんていうのも眉唾ものだ。世界最高峰の演奏家が1年に10人も来日するコンサートホールのようなものだろう。ちなみに洗剤等では「100%」という表記が公正競争規約でできないため、「除菌率99.99%」とか表示されていることが多いとのこと。どっちにしてもみんな「嘘くさい!」と思っている消費者がほとんどだと思うのだが。それでも書いたほうが書かない場合よりも売れるのだろう。


●Dream   2018.10.08
夢には叶う可能性があるものと、叶う可能性がほとんどないものがある。英語のDreamはどちらかというと後者であり、夢の他に、願い事、夢想、幻、空想といったニュアンスがあるようだ。従ってドーリームジャンボなどという名前の宝くじを買う人も少なくなっている(売り上げの低下傾向に歯止めがかかっていないそうだ)。そもそも一攫千金を狙うという考え方が昭和であるし、目立たなくていいから堅実に生きたい、人並みでいいので幸せでありたい、といったような今どきの若者の生き様にはミスマッチであろう。叶う夢は「dream come true」であり、夢が叶った、という驚きと喜びを意味している、というくらいに「dream come true」はOnce in a blue moonな出来事なのだ。


●名刺アプリ   2018.10.07
名刺アプリというものがある。これがどこまで普及するのかは謎である。そもそもが名刺をもらったら電話番号をスマホの連絡先に、メールアドレスをパソコンのアドレス帳に、それぞれ書き写して終わりである。その作業が自動でできるというのだから重宝するように思えるのだが、そのためには紙の名刺を撮影してデータ化しなければいけない。だったら最初からデータをやりとりしたほうが早いのではないか?と思うのが普通であろう。しかしネットが普及すると同時に年賀状制作ソフトが大いに売れた時代が過去にもあった。こんなものは流行らない!と決めつけてはいけないようでもある。


●バランス   2018.10.06
セロトニンは、血管の緊張を調節する物質として発見された。ヒトでは主に生体リズム・神経内分泌・睡眠・体温調節などに関与し、日中に太陽光を浴びると作られるとのこと。このセロトニンが不足すると「季節性情動障害」という脳機能障害の一種を発症するらしい。倦怠感、気力の低下、過眠、過食などの症状が見られ、日照時間が短くなり空がどんよりと暗くなる10月から11月にかけて発症すると言われている。放っておいても3月ごろに収まるらしい。そもそも人間は、日の出とともに活動して、日没になったら休むというサイクルで10万年生活してきた。そのサイクルが狂うと色々な弊害が出てくるのも当然のことであろう。なので積極的に屋外に出て、太陽光を浴びるようにしよう。しかし紫外線を避けるために屋外には出ないという人もいる。紫外線によって肌に出る影響と季節性情動障害のどっちをとるか?ということにもなるのだが、世の中のほとんどの事象は、こういったトレードオフの関係にある。重要なのは、その「バランス」であろう。


●偽物   2018.10.05
企業や商品のロゴマークのほとんどは意匠登録されている。意匠登録されているロゴマークが「正式」であり「本物」なのだ。従って本物とはデザインが微妙に違ったりすものは「偽物」ということになる。その「偽物」が使われているメールが来たら、それは「詐欺」である。
とか とかだ。
しかしどうせ「詐欺」という犯罪を行うのであれば、なぜわざわざ偽物と分かるロゴマークを使うのろうか?


●旅   2018.10.04
居住地から離れるのが「旅」。旅に行くのが「旅行」。行けば楽しいのが「行楽」。楽しいことを娯しむのが「娯楽」。一般の人が行くほとんどの「旅」は「娯楽」が目的であるようだ。「娯楽」が目的であるならばわざわざ居住地から離れる必要もない。だから1990年をピークに国内旅行者の数も消費単価も減り続けている。人間が場所を移動する時代ではない。コンテンツが人間の居る場所に移動してくる、または居ながらにして「娯楽」と同じ体験ができる時代なのだろう。


●サプリメント   2018.10.03
サプリメントでビタミンやカルシウムを摂っていると、自然の食品からビタミンやカルシウムを摂取する能力が衰えていき、サプリメントからでなければ必要な栄養素を摂れない体になってしまう。だからサプリメントを常用するのは止めたほうが良い。しかしその考え方は、ある意味時代遅れであるのかもしれない。縄文時代にはほとんど全ての成人男子が自分で獲物を捕獲することができたはずだ。ところが現代では自力で野生動物を仕留めてさばいて料理することができる人は滅多にいない。現代人が縄文時代に放置されたら生きていけないなずだ。従ってサプリメントがいつでも手に入る時代を生きていくのであれば、全ての栄養素をサプリメントから摂っても問題はないはず、ということにもなる。もっとも現代人は、ライフラインがきちんと整った場所でしか生きていけない体になってしまっているのだから、今さらサプリメントどうこう言ってもしょうがないだろう。


●ビデオ判定   2018.10.02
プロ野球にビデオ判定というものが取り入れられた。不可解で不公正な判定が解消されゲームの運びがスムーズになった反面、監督が審判に詰め寄るシーンの面白みも少なくなったように思える。そして今日のように映像技術が進歩することでストライクとボールの判定もビデオで行うことも将来的には可能になることだろう。しかし人間が判定することの面白さも無くなってしまうはずだ。高校野球をテレビで観ていると、明らかな「負けてるほうに有利」なストライクとボールの判定というのがある。10点取られて尚もランナー満塁でフルカウントの時の1球は、多少ボール気味でも「ストライク!」にするというやつだ。人間だからできる「情け」なのだが、これを全てビデオ判定にしてしまった場合、強いチームが一方的に大差で勝ってしまうという試合も増えるのではないか。もちろん審判は「そんなことは無い!」と言うのだろうけど。


●教室   2018.10.01
○○教室に通う。○○教室の先生は実に親切に丁寧に教えてくれる。生徒が作った作品がどんなに駄作であってもそれなりに褒めて讃えて持ち上げて、決して生徒が気分を害さないように気を使いながら教えてくれることだろう。○○教室の生徒は○○教室の先生にとってお客様であるから当然のことである。ということは○○教室に通ったからといって、そこで身につけたスキルというのはプロには遠く及ばないゆるゆるのものなのだ。そのゆるゆるなスキルをプロに匹敵するものではないかと錯覚してはいけない。○○教室はあくまでも「お教室」でしかないのだ。


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