2019年7月


●キャッシュレス-2   2019.7.31
→昨日の続き。なぜ今の時期に消費税を10%に上げるのか?というのは国民の多くが疑問に思っているはずだ。その理由の一つが、これを機にキャッシュレス化を加速させるという政府の目論見のように思える。消費税10%と同時に軽減税率が導入される。この軽減税率は今までのレジでは対応できないし、人間が計算をしていたのでは、とてもではないが追いつけない。従って小売店の多くが新しいレジの導入を迫られる。といっても補助金も出るしスマホやタブレットを持っていればアプリだけの導入で用が足りるケースもある。キャッシュレス化で、従来の「レジ締め」や「棚卸し」を無くすことができれば、そこで節約できる経費は膨大な額になるはずである。消費税を上げることではなく、キャッシュレス化を加速させるための消費税アップだったのではないかとも思えてくる。ISOが品質の向上よりも社内コンプライアンスや経営コンセプトの見直しが目的であったように。


●キャッシュレス-1   2019.7.30
日本はキャッシュレス化が極端に遅れている。韓国では90%、中国60%、カナダ、イギリス、オーストラリア、スウェーデンなどでは50%が20105年時点のキャッシュレス決済率である。もちろん2019年ではもっと上がっていることだろう。そして日本は20%以下である。政府は40%を目指して色々な取り組みを行っているようでもあるが、いずれにしても、このままでは日本は「キャッシュレス後進国」になってしまうことは間違いないようである。中国ではホームレスの「お恵み」もカード決済であるらしい。しかし日本の農家の無人野菜販売所がカード決済になる日は、かなり遠いように思える。→明日へ続く。


●モータリゼーション   2019.7.29
身近にある無駄の最も顕著なものが「自動車」だろう。自動車のエンジンはエネルギーの40%しか動力になっていないわけで、残りの60%は熱や音となって捨てられている。そんな非効率なことをしながら重さ50kgの人間1人を運ぶために1トンの金属の箱を動かしているのだ。重さにすれば20倍だが、容積にすればもっと大きくなるだろう。基本的には人を運ぶというよりも1トンの金属の箱自身を運んでいるということだ。そしてその金属の箱を大量に移動させるために日本国内だけでも総延長120万キロにも及ぶ「道路」がある。そしてそんな無駄と贅沢のカタマリを肯定するための言葉が「モータリゼーション (motorization) 」なのだろう。


●好み   2019.7.28
デザイナーがよく言われる言葉。「デザインは好みだから…」って、じゃぁ「味」はどうだ。味だって好みだろ。好みだからと言って不味いものを出している飲食店には誰も来ないだろ!デザインも味もある一定の基準をクリアした状態で「好み」が語られるはずである。どーしようもないデザインをデザインした人が、そのデザインを批判されたときに「デザインは好みだから…」と言い訳するのは、まずその前に「不味くないものを作れ!」ということになる。


●足   2019.7.27
肉体的な意味ではない「足」がつく言葉。不足、発足、充足感、定足数、不満、満足、補足、などがあり、何かが十分であるときに「足りている」というように「足」が使われるようである。なぜ足なのか?一般には人間や動物に限らず、地に向かい体部を支えるものを足と呼び、それを機軸として慣用句として様々な意味合いを持つ言葉に発展してきたということのようだ。つまり安定して支えることが出来ているような状態を「足」と呼び、そこから色々な言葉に展開していったようである。「五体満足」はある意味重複表現とも言えそうだ。


●吉本の芸人   2019.7.26
内容的には昨日の続き。吉本の芸人が色々なところで色々なことを発信している。芸人を支持する意見もあれば経営者を擁護するコメントもある。同じ吉本興業という組織に所属していながら、これだけ意見が分かれるというのも面白いものだ。というか、ここぞとばかりに売名行為に走っているようにも思える。「あいつがこう言ってるから反対のこと書いてやろう!」「ここでこんなことを書けば注目されるだろう」「こんなことを書けば笑いが取れる」というような魂胆が見え隠れしている。そして加藤浩次が何かのアクションを起こせば「スッキリ」の視聴率は確実に上がるはず。


●吉本興業   2019.7.25
吉本興業の芸人が経営者と話し合いを行ったが、なかなか具体的な解決策が見出せないままのようである、という感じのことが報道されている。吉本興業は楽天市場みたいなものであろう。楽天市場に入っていれば、楽天の知名度を利用して、ある程度の売り上げが期待できる。ものすごく頑張ればそれに見合った成果も期待できる。しかし利益の半分は楽天に持っていかれる。だから「不公平だ!」「楽天はボロ儲けしてやがる!」というな印象が強くなる。ところが楽天から脱会すると全く売れなくなってしまう。吉本興業も楽天市場も経営する側はそれなりにタイヘンなはずである。売り上げ、投資、収益のバランスを見ながら経営を行っているはずだ。そして芸人と経営者は同じ組織の中にいても全く価値観も役割も立場も違う人間なのだ。だから話し合うにしてもお互いのプロトコルが違っているのだから折り合いがつくはずもない。


●常識   2019.7.24
自分の生まれ育った環境で身についたものや、自分の中での常識と思っているもの。人はそれらを基準として物事を判断する。そして身につけたものが少ない人間ほど、世の中で起きた事象の多くが非常識に見える。従って「それは常識では考えられない」「それは尋常ではない行為だ」とか言っている人間は、身につけたものが少ないということになる。世界には196の国家があって、76億人の人間が、それぞれの常識の範囲で生きているのだ。自分の常識が通用する範囲は極めて限定的であるということを理解しておこう。


●レジ袋   2019.7.23
レジ袋の有料化が急速に広がっているが、レジ袋がプラスチックごみの中で占める割合は2%ほどであり、消費者の意識を高めるうえでは意味があってもプラスチックごみを減らすという根本的な解決にはならないとのこと。膨大な量の産業用のプラスチックや飲料用のペットボトルがごみとなって廃棄されていて、これをどうにかするのが先決であろう。しかしプラスチックには実に沢山の種類がありそれぞれの特性も異なっている。しかし一般的には「プラスチックとピニールはどう違うの?」という程度の認識であろう。そうこうしてるうちに自然界では分解されないであろうと思っていたプラスチックも、実は分解してしまう微生物が存在することも分かってきた。ただしだからといって安心してはいけない。不用意にポイ捨てしたペットボトルが分解された状態を、そのポイ捨てした本人が生きている間には見られない。


●未来予測-2   2019.7.22
→昨日の続き。現在の一番大きな問題は世界の人口が移動するということ。人が移動するためには、それ相応のエネルギーが必要だ。例えば大人一人がと東京⇔ニューヨークを往復すると1ガロンのジェット燃料を消費する。自動車であれ鉄道であれ、体重60kgの物体を何キロも移動させるにはそれなりのエネルギーを消費する。この移動エネルギーを無くすためには、人が移動しないということだ。そしてそれが段々と現実化しつつある。買い物はネットショッピング、仕事はテレワーク、勉強はe-ラーニング、旅行やレジャーはVRという具合にだ。インドア-ジェネレーションの延長が、こういった「人が移動しないで済む」世界なのだろう。今でもフランス人の70%は一度もパリに行かずに一生を終えるそうだ(ホントかウソかは知らないが)。


●未来予測-1   2019.7.21
現在の一番大きな問題は世界の人口が多すぎるということ。現在は「人口爆発」に合わせた世界の構造となっていて、何かの要因でちょっとした歪みができた段階で甚大な被害が予想される。これが、もし世界の人口が1億人程度になれば、1つの家族に1つの山が割り当てられるようになる。そうすれば1つとの山で採(獲)れる食物だけで1つの家族全員を養っていくことができる。仮に大きな自然災害によって電気や水道が使えなくなったとしても、世界の人口が1億人程度まで少なくなっていることで、人類は滅亡の危機を乗り越えられるということになる。できるだけ自然に近い状態に先祖返りしておくことが得策である。そうなれば、コンピューターとかインターネットや電気や水道は、特に無くてもよいものになる。→明日へ続く。


●投票に行かない若者たち   2019.7.20
20〜30代の若者は会社にとっては機動力の中心であり兵隊であろう。それだけにコキ使われる。そして土日の休日は待ちに待った体を休ませる大切な時間でもある。土日は1分でも多く寝ていたい。だから投票などというものには行かない。勤務先と自宅の選挙区が違う場合、選挙区は自宅の住所になる。しかしこういった企業戦士は地元民とのコミュニケーションと地元への興味は皆無である。だから投票に行ったとしても誰に投票すればいいのか皆目見当もつかない。そして誰に投票したところで、土日が体を休ませる大切な時間であることには変わりはないことも知っている。


●政権   2019.7.19
政権が代わったところで官僚の隠蔽体質は変わらないであろう。政権が代わったところで年金の問題が解決するとは思えない。政権が代わったところでだいたい誰がリーダーをやるの?というふうに考えるのが一般的な大多数の国民であろう。だから安倍一強が続いている。増してあの暗黒の時代を築いた民主党の残党には「絶対にやらせない!」と思っている国民は多いはずである。とりあえず安倍政権に委ねておけば、色々と問題はあるものの、他の政党に任せるよりは確実に安心である、と考えるのは普通であろう。「まぁ、とりあえず安倍でいいんじゃねぇ」ということだろう。他の選択肢が無いのだから仕方がない。そして投票率も上がらない。


●格差-3   2019.7.18
→昨日の続き。そして福沢諭吉の言葉には続きがあって、要約すると「人類は平等である」→「しかし実際には貧富の差も身分の差もある」→「学問をやらない人は貧乏になり、学問をやった人は富になる」→「だから学問しよう!」というのが「学問のすゝめ」となる訳だ。つまり格差があることを前提にした名言である。格差を無くすためには、全ての国民が同じように高度な学問を身につける必要があるのだろう。しかし未だに「学問が嫌いで仕方のない」国民が大半なのだから、格差は恒久的になくならないだろう。


●格差-2   2019.7.17
→昨日の続き。しかし中世の貴族に仕えた奴隷が、貴族に対して格差を実感していたかというとそうではないだろう。もともと別世界の人間だと思っているからだ。ところがそこに平等という意識が芽生えてくると、自分が相対的に、恵まれていない、不幸である、酷使されている、というようなことを感じはじめ、そのことが「格差をなくせ!」「差別があってはいけない!」という考え方になってくるのだろう。福沢諭吉が「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言ったのは、つい最近のことである。それまでは(今でも)格差のある社会は脈々と続いていたのだ。→明日へ続く。


●格差-1   2019.7.16
アメリカ人には日本人の倍以上の格差がある。アメリカが突出して格差が大きいと思われがちだが、世界各国の所得格差を表にしてみると、そんなことはないことが分かる。アメリカは世界で占める資産割合が突出しているために所得格差がクローズアップされるのだろう。そしてクローズアップされるのはあくまでも所得の格差だ。では中国はどうだろうか?国の所得格差順リストでは中ほどにあってそれほど目立たない。しかし共産党幹部とウイグル人では格段の格差があるはずだ。それは所得ではなく人権だ。→明日へ続く。


●スマホが売れない   2019.7.15
スマホが売れないそうだ。平成30年の「情報通信白書」によれば、個人のスマートフォン保有率は84%なのだから当たり前のことだ。残りの16%はガラケーのほうがいい、またはガラケー+タブレット派なのだろう。つまり84%という数字は実質上ほぼ100%行き渡った、ということなのだろう。一般的なウェブサイトのスマホでのアクセスの割合は2010年〜2015年頃に急激に増え続け「このままではパソコンでアクセスする人がいなくなるのでは?」と思ったくらいであったが、これが2016年ごろにピタッと伸びが止まり、以降現在まで「スマホ6:パソコン3:タブレット1」の割合でずうっと変わらず推移している。つまり2016年ごろには既に必要な人のほぼ全てにスマホが行き渡っていて、後は約4年サイクルの買い替え需要のみに頼るしかない。かつてのように売れないのはあったり前のハナシである。買い替え需要も以前は2年ぐらいだったものが今は4年なのだそうだ。既にケータイショップも斜陽産業ということのようだ。


●手順   2019.7.14
Illustratorの操作手順を覚える事でイラレ職人になれると思い込んでいる人がいる。しかし操作手順を覚えただけでは職人にはなれない。旋盤の操作手順を覚えただけでは金型職人になれないのと同じだ。何を作りたいのか?そのためにはどうしたいいのか?という目的意識がない限りは職人にはなれない。操作手順だけであれば1週間もあれば覚えられる。しかし作りたいものを実際に作れるようになるまでは何年もの修行が必要だ。いわゆるアナログの職人であれば何年もの修行が必要であるということを人は感覚的に理解できる。ところがデジタルの世界になると、手順さえ覚えてしまえば何でも作れる、と思ってしまうらしい。じゃオマエやってみろ!と言われても、絶対にやることのない立場にいる人たちが、手順さえ覚えてしまえば何でも作れると思っているようだ。


●絵-2   2019.7.13
→昨日の続き。ところが絵画というものは「自由」という意識が描く方にも見る方にも必要以上に強い。だから写真には遠く及ばない、明らかにデッサンが狂っている未完成な作品が世の中に氾濫している。そしてその作品を面と向かって「ヘタクソ!」と言ったときには、その言った人が悪者になってしまう。そうして多くの作品はデッサンが狂ったまま仕上げにかかっている。建築物に例えれば基礎がユガんでヒズんだまま、壁を塗って、家具を配置しているようなものだ。そんな家には住めないのだが、絵画は「絵」だから許されるようだ。だから「絵に描いた餅」なんていう比喩をされることになる。


●絵-1   2019.7.12
例えば音楽では、譜面通りに一箇所も間違えることがなく演奏ができたときに、「制覇でできた」「完成した」「クリアした」などと勘違いをする人もいる。しかし譜面通りに一箇所も間違えることがなく演奏ができたとしてもコンクールで優勝はできない。そこから先、もっともっと深く考え、表現力を高めていかなければ評価はされないのだ。これが譜面というものが存在しない絵画ではどうだろうか。写生や具象であれば、譜面の代わりになるものは、とりあえずは写真だろう。とりあえずは写真のように描けた時点で、最初のステップがクリアできたことになる。「いやいや写真のように描くなんて、とてもできないよ。」という人がほとんどだろう。しかしそれは「いやいや譜面通りに弾くなんて、とてもできないよ。」と言っているのと同じだ。→明日へ続く。


●全員不合格   2019.7.11
人気コピーライター、田中泰延氏のツイートで「大学生に作文をメール提出という課題を出したのだが、ただの一人も『田中泰延様 〇〇大学の〇〇です。講評お願いいたします。』という当たり前のメールが来ずにただ、誰のものかわからない作文だけが送られてくる。」とのこと。続けて「世の中ここまで来たか。全員不合格です。」と書いている。まず、今どきの大学生はSNSでしかコミュニケーションしないのでメールは使わない。SNSは「〇〇大学の〇〇です。」などと書く必要がないから書かないのだ。世の中を嘆く前に「メールでは『田中泰延様 〇〇大学の〇〇です。講評お願いいたします。』と書くのですよ。」と教えてあげてからメール提出の課題を出すべきだろ。というか今どきの大学の評価で「全員不合格」なんてことはできないはずなのだが。


●パソコンだけは死んでもやらない(2)   2019.7.10
→昨日の続き。パソコンやネットが出来ないまま、残りの余生を送るのは厳しい。かと言って今さら誰かにパソコンを教えてもらうという行動は沽券に関わる。そうだケータイだ!ケータイならパソコンほど難しくなさそうだし、ネットも使える。ということでパソコンは完全にスルーしてケータイに活路を見出すオッサンが増え始めた。彼らの概念はパソコンは全否定でメールは一切やらない。基本的にアナログ全開である。しかしショートメールとスマホでのLINEは出来る。というヘンな立ち位置に落ち着いてしまっているようでもある。たぶんこの立ち位置のままで一生を終えるのだろう。


●パソコンだけは死んでもやらない(1)   2019.7.09
パソコンだけは死んでもやらない!と決めて生きてきた人がいる。2000年以前は、パソコンを使うのは科学者やNASAの人であり、一般市民が使うことはあり得ないことだった。しかし身の回りにパソコンを使う人間が徐々に増え始め、パソコンだけは死んでもやらない!と言っている人の肩身が狭くなってきた。そして「やっぱりパソコンをやろう!」と決断するチャンスを逸したまま時は流れ、今さら「やっぱりパソコンをやろう!」とは言えなくなった。しかし今のままでは明らかに時代に置いていかれる!ということも覚悟せざるを得なくなってしまった。→明日へ続く。


●プレゼンテーション   2019.7.08
入札のときは必ずプレゼンテーションを行う。入社試験の面接も一種のプレゼンテーションである。商品の広告もプレゼンテーションだ。プレゼンテーションを行わなければ基本的に誰も振り向いてくれないし、待っているだけでは誰も訪れてくれない。プレゼンテーションしなければ友達もできない。だから人は一生のうちの多くの時間をプレゼンテーションに割くようになってしまっている。しかしプレゼンテーションをつずけることはラクではないしカンタンでも無い。だから「もうプレゼンテーションをするのを止めよう!」と決めてしまった人たちもいる。「引きこもり」と呼ばれる人たちだ。


●センス   2019.7.07
「私はセンスがないから…」と言う人がデザインをすると、本当にセンスのないデザインになる。ではその人が本当にセンスが無いのかといえばそうではない。美しいモノを見れば美しいと感じるはずだし、汚いものはキタナいと感じるはずである。ところが自分で何かを作るときに、その作ったモノを美しくしよう!という努力をしない。美しいかどうかを自ら確認するまえに「これでいいや!」と勝手に判断して「完成」したことにしてしまうから、客観的に見てセンスが無いものになってしまうのである。美しくしよう!という努力をするか否かが。センスの有無になるだけのことだ。


●惑わされてはいけない。   2019.7.06
どんな商品であっても、基本的に消費者の傾向は2種類に分けられる。①本物志向でこだわりがある消費者。②安さと流行を優先する消費者。そしてこの①と②では、商品を作るときのアプローチが全く異なる。まずは①の消費者が商品を購入して市場を広げていく。広がった市場に②の消費者が入っていってさらに市場を広げる。①をターゲットにして商品を作っていた会社は、商品に対する考え方の方向転換を余儀なくされるが、①が染み付いているので②に徹しきれないで中途半端な商品を作るようになる。結果として商品が売れなくなる。②の市場がどんなに拡大しても、①のある一定量の市場は確実に残っているのだが。業界内で「究極の神の寸法」と言われた「黒電話のハンドセット」もこんな形で市場は僅かに残っている。


●ギャンブル   2019.7.05
高度成長期の人の多くは「他人よりも少しでも偉くなりたい!有名になりたい!金持ちになりたい!」と思っていた。それは基本的に自分の周囲のほんの一部しか見えていなかったからだ。現在のようなネット社会になると、最初から自分の立ち位置やランクが俯瞰的に見ることができるようになっている。だから現在の人の多くは「他人とできるだけ同じでありたい!普通でいたい!安定していたい!」と思っている。つまり生まれた時からギャンブルとは無縁なのだ。そんな人たちに公営ギャンブルやパチスロや宝くじを売り込もうったって無理なハナシである。


●教養   2019.7.04
高い教養のある人は、同じく教養のある人、又はある程度の教養のある人、又はある程度の学力のある学生、などとしか基本的には付き合ってはいない。Facebookの友だちも、そういった人が中心だ。ところが世の中には、あまり教養のない人のほうが圧倒的に多い。あまり教養のない人の書く文章は基本的に「何を言っているのか」「何が言いたいのか」が分からない。しかし多くのあまり教養のない人によって世の中は成り立っている。高い教養のある人は、あまり教養のない人のことを、「見下してはいけない」「平等に接しなくてはいけない」と思っていることも確かだ。しかし何かの拍子に「バカ!」というのが態度や顔に出てしまうこともある。だから高い教養のある人ほど、積極的にあまり教養のない人と本気で付き合うようにしなければ、社会全体の底上げはできないのではないか。


●AIは空気が読めるか(2)   2019.7.03
→昨日の続き。またディープラーニングのほうも、会話の音声波形から「身体のどこかの調子が悪いので早く喋り終えたい」「他の人に喋らせたくないので、なるべく長く話したい」「突っ込まれたり反論されたりすることを恐れながら話している」などということが分からないといけないだろう。ただしAIなので人間よりも早く経験値を上げることは可能なはずだ。ところがインプットデバイスの精度が悪いと、ディープラーニングもディープではなくなり、データの量だけは多いが内容が浅いシャローラーニングになってしまうのではないか。高性能な頭脳を活かすためには、高性能なインプットデバイスが必要になることだろう。そうすれば、いずれ空気の読めるAIも可能になるかもしれない。しかし、AIは空気が読めたところでどうする?という疑問も残る。AIだからクールであってほしいものだ。


●AIは空気が読めるか(1)   2019.7.02
空気を読める人間と空気の読めない人間がいる。ではAIは空気を読むことができるだろうか?人間の場合、空気を読むには、そこにいる人たちの表情や会話の内容、その会場の静けさや発言者の話す内容、空気を読まない行為をした場合のその場の人々の予測される反応、などなど実に複雑で多角的な視野が必要とされることだろう。それはビッグデータだけでは対応できないようにも思える。情報をより高精度に収集するためのデバイスが必要だろう。人の顔の表情筋の動きを正確に察知して記録できるデバイス。部屋の中で複数の人間の極めて小音量な会話の内容を正確に記録できるデバイス。室温、風向きや風速、匂いなども正確に収集できるデバイス。などなどである。→明日へ続く。


●無尽蔵に増える   2019.7.01
Adobe Lightboxを使っていて思った。ほぼほぼ無尽蔵に写真がアップできる。もちろんDropboxも感覚的には同じようなものでデータ保存期間を無制限に設定できる。毎日のようにクラウドに画像データがアップされていく。そしてアップしているのは人間だ。人間だからいつかは死ぬ。死ぬ前にクラウド上のデータを全て消去するという人は稀なはずだ。従ってクラウド上のデータは膨張宇宙論のように無尽蔵に増え続けることになる。これは一体いつ誰が何とかしてくれるのだろうか。とはいえ一個人がこれだけの動画を含めたデータを残すようになれば、墓は不要になり、葬式は簡素化されていくことだろう。墓が無尽蔵に増えるという問題に比べれば、クラウド上のデータが無尽蔵に増えるという問題は小さい。


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