2019年10月


●アポガドグリーン   2019.10.31
その昔、電気屋に並ぶ冷蔵庫は全て白か緑のいずれかだった。オーディオ製品はブラックかシルバーのいずれか。これがラジカセになるとなぜか赤が加わった。炊飯器とポットはどのメーカーも全ての製品が花柄になるという時代もあった。冷蔵庫は緑が登場する前は、全てのメーカーが白だった。白物家電と言われる由縁でもあった。しかし1970年代後半、急に「アポガドグリーン」と言う色が出現し、あっという間にどのメーカーの冷蔵庫も緑色になった。反公害からの自然志向が高まった時期であり、食料を貯蔵する冷蔵庫がその考え方にフィットしたのかもしれない。しかし同時期、洗濯機まで、ほとんどの機種が緑になったのだから可笑しなものだ。メーカーのデザイナーが考えることとは裏腹に、消費者は「電気屋に行ったら緑しかなかったので緑のを買った」というだけなのだろう。


●トンボ   2019.10.30
トンボは製版フィルムを用いた印刷工程において、見当合わせの機能を果たすもので、かつての熟練した職人はカラス口などを用いて手書きしていたものだ。しかし工程がDTP化されるとトンボ作成はソフトウェアの中の1コマンドに過ぎなくなっているとのこと。Illustratorでも昔はトンボという言葉を使っていたが、いまではトリムエリアという表示になっている。そして英語ではセンタートンボをレジスターマーク、角トンボをクロップマークなどと呼ぶそうで、ドラゴンフライでは通じない。新入りのグラフィックデザイナーに「この版下、トンボ書いておいてくれ!」と指示したら、版下の片隅にトンボのイラストを描いた、というのは有名なハナシである。ついでにグランド整備に使うトンボは英語ではレーキ(rake)となり、このレーキを和訳すると熊手になるそうだ。


●大したことない   2019.10.29
戦場で敵の銃弾が当たり倒れ込んだ兵士に隊長が「おい!大丈夫か!?」と話しかける。すると倒れ込んだ兵士は「大丈夫です、大したことはありません。」と答える。しかし隊長は「バカを言え!腸が見えてるじゃないか!」と言う。というように「大したことはない」ことの多くは「大したこと」なのである。その事象が起きた瞬間、本人は「これは一大事だ」と思うのであるが、「一大事を起こしてしまったことを、できれば無かったことにしたい」という思いから「大したこと無い」と答えてしまうようである。しかし「あいつは大したこと無い」の場合の「あいつ」は、本当に「大したこと無い」場合が多い。


●神   2019.10.28
人によって信じる神は違う。もちろん神などは存在しないと思っている人も多い。神を信じている人の多くは、自分が信じている神を冒涜するような発言や行為に対しては烈火のごとく怒るが、信じていない神のことは全く無頓着である。そして自分の信じていない神は邪宗であり到底認められないということになる。ということで世界で起きた戦争や紛争の大部分は宗教戦争と言われている。それではいかんということで、自分が信じている神以外の他の宗教をお互いに認めあおう、尊重しよう、という機運が世界的に高まってきているようだ。しかしアイルランドで森を伐採して道路を作ろうとした時に、地域住民が猛反対した。その理由が「森に住んでいる妖精たちが死んでしまう」ということだ。それでもその考えを認めて尊重するのは無理なハナシだ。ということで宗教戦争は今でも続いている。


●楽天モバイル   2019.10.27
安心・お得な格安スマホとのことだが、混んでる時間帯にはやはり繋がりにくい。見られなくなるウェブサイトも多い。そして何とも困ったことにはウェブサイトの閲覧履歴が簡単には消せないということ。何度アクセスしても更新以前の古いデータが表示されてしまう。ネットの回線速度が遅いころ(ISDNやADSLが全盛だったころ)には、同じような現象があった。履歴を消しても消しても更新前の古いデータが表示されるというもの。これはウェブサーバー側にキャッシュが設定されていて、いくら最新データをアップロードしてもその最新データはすぐには見られない。色々なページにアクセスさせて自然と閲覧履歴が上書きされるまで待たなければならない。楽天モバイルはこれと同じことをやっているのでは?とも想像するのであるが、そこんとこはいくらウェブを調べても載っていないようである。


●人生フォアボール   2019.10.26
「人生送りバント」は「こち亀」の両さんが寺井巡査の人生を例えてつけた言葉で、リスクのあることやギャンブルはしないで、堅実に生きていくことだ。確かにそういう人は世の中には多い。しかしもっと多いのは「人生フォアボール」の人だ。打たれる危険性のあるタマ(ストライク)は投げずに、ボール球しか投げない。だから打たれることはないのだがフォアボールで塁が埋まっていき、最後は押し出しで1点を失う。押し出しなので一度に失う点は常に1点である。1点しか失わないので事の重大さに気づかない。「まぁ、このくらい仕方ないか」と軽く考える。そもそもの原因はストライクを投げていないということには気づいていない。そしてランナーが満塁になっているので、もう一度フォアボールを出す毎に、1点づつ失っていくという状況にあることにも気づいていない。実際の野球であれば、そうなる前に監督に交代させられるが、人性に交代要員はいないということも気づいていないのだ。


●マイスペース   2019.10.25
今現在の主な通信手段は、LINE、電話、Gmail、ショートメール、twitter、Facebookのメッセンジャー、Instagram、その他SNSなど実に様々である。誰かに連絡しようとするとき、どの通信手段を使えばいいのか、連絡先が登録されているか否かも含めて考える必要があり非常にめんどくさい。その昔、一斉を風靡した、プロフやmixiは既に消え、twitterやFacebookも大方の見方では、それほど長くは続かんだろう、と思っていたところが、すっかり定着しちゃった感がある。Facebookが日本で流行する前、世界最大のSNSはMyspace(マイスペース)だったことを知っている人は少ない。そしてMySpaceは巨大メディア企業・ニューズ・コーポレーションに約600億円で売却されたそうだ。このことを知っている人はさらに少ない。そして今、カタカナで「マイスペース」と検索すると、ルノアールの会議室がトップに出てくる、くらいにマイナーな存在になってしまった。


●獣医   2019.10.24
個人で動物病院を経営している獣医は個人事業主だ。動物病院なので、そうそう頻繁に客(動物の患者)は来ない。だから売れてない月は、1件当たりの単価を吊り上げて帳尻を合わせることもあるのだろうなと想像する。ーある時ペットを個人経営の動物病院で診てもらった。簡単な診察とレントゲンで2万円とられた。さらに盛んに手術を勧められた(手術をしなくても今でもそのペットは元気に生きている)。個人事業主の獣医という職業もラクではないのだな…、ということを実感した。と同時に「ラクではない」感を出してしまうと二度と客は来なくなるということも改めて確認できた。


●ダブスタ   2019.10.23
ダブスタはダブルスタンダードの略で、同じ状況にもかかわらず、対象によって異なる基準を設ける事を意味し、二重規範、二枚舌など、良い意味で使われることはない。しかし同じ状況にもかかわらず、社員とクライアントに同じ基準で対応するわけにはいかないし、初対面の他人と家族に対して同じ基準で対応しないのが普通であろう。ただし政治家が、他党の議員のトラブルには非常に厳しく辞任を迫るのに対して、自らに発覚した不正には大甘な対応しかしないのは「国民の投票によって選ばれた人間」としては、明らかなダブスタだ。そういった例があるからダブスタは悪い意味で捉えられることが多いのだろう。それとダブスタという文字の中には、ブタ、ブス、タダ、が含まれていることから、字面的に悪い印象があるのかもしれない。


●個性   2019.10.22
日本語では「個性的」「無個性」という言葉がある。つまり個性は強かったり弱かったり、有ったり無かったりするもの。しかし「個性」は英語で「Individuality」となる。これは、「個々の」「独立した」というニュアンスになり、あって当たり前、あることが前提、ということだ。つまり日本では画一化された、みんな同じ、というベースがあって、そこから分岐していった部分が「個性」と呼ばれているようだ。英語では最初から、みんな違っている、というところから始まっているのだ。


●テレビのワイプ画面   2019.10.21
テレビ番組の多くが、スタジオのひな壇に芸能人が5〜10人並んでいる。そして画面がニュースやレポートに切り替わると、その芸能人の顔が画面4隅のうちのどこかにワイプ画面で写し出せれる。好きな芸能人が映るだけで視聴率に繋がるということと、ひな壇に芸能人が多すぎて一言も喋らないで終わる芸能人がいること、などの理由が考えられる。しかし最も大きな理由は、一人でテレビを観ている高齢者に「一緒に観ている人がいる」感を演出するためであろう。つまりニコ動のテレビ版である。


●トランプ大統領   2019.10.20
テレビのニュースを見ながらおっさんが言った。「このトランプという男はバカだ!」と。しかし本当にバカだったとしたらアメリカの大統領になれるわけはない。それをなぜオッサンは上から目線で「バカだ!」と言い切るのだろうか。そのオッサンは、その人脈、経済力、教養、経歴のどれをとっても大統領になれる確率はほぼゼロだし、総理大臣にも国会議員にもなれないだろう。県会議員や市会議員だとしても、なれる確率は限りなくゼロに近い。頑張ってなれるとしたら町内会長ぐらいがせいぜいであろう。で、そのオッサンに「あんたは、人脈、経済力、教養、経歴のどれをとっても大統領になれる確率はほぼゼロでしょ」と言ったとする。するとオッサンは「あーあ、オレも東大入っていればなぁ」と答える。


●延長戦   2019.10.19
プロ野球には延長戦というものがある。延長戦になるとベンチは投手や代打の遣り繰りにテンテコ舞いになり、選手はどんなに疲れていても残業を強いられることとなる。そして特に先攻めの場合は1点とられればその時点で「負け」になるわけなので、より一層の緊張感をもって戦う必要がある。これはクリエーターがOKが出なかったときの「やりなおし」に酷似していて観ていてちょっと辛い気分になる。完全にNGであれば担当のクリエーターは交代させられて帰宅ということになり、完璧なOKであればもちろん帰ることができる。しかし「ここを直せばOK」というような場合には延長戦になる。もちろんどんなに疲れていても残業をしなければいけないわけだ。そして疲れがピークに達してくると「OKでもNGでもどっちでもいいから早く帰りたい」と思うようになる。ということでプロ野球選手で「勝っても負けてもいいから早く帰りたい」と思って延長戦を戦っている選手もいるのではないかな?とも思うのだがいかがなものだろうか?


●テキストエディタ   2019.10.18
Windowsには「メモ帳」という非常にシンプルで使い勝手の良いテキストエディタが標準装備されている。遡ることWindows 3.1以前の時代からバンドルされていたそうだ。そしてWindows95以降には「ワードパッド」がバンドルされるようになったが、これを使うのであれば「Microsoft Word」を起動しちゃえ!ということで最近では使われなくなってきているようだ。しかしMacintoshには「メモ帳」に該当するようなテキストエディタがない。「テキストエディット」というアプリがあるが、リッチテキストという概念が「Mac版Microsoft Word」と混同して分かりづらい。「メモ」というのもあり、単なるメモには便利ではあるが、コーディングやプログラミングには不向きのようである。そこで「mi」というテキストエディタが非常に使い勝手が良かったのであるが、最新バージョンでは機能盛り込みすぎで、余計なお世話満載で非常に使いづらくなっている。最近のCPUでは処理能力が向上して「何でもできる」ようになった結果が、テキストエディタの複雑化、多機能化、使いにくさ、につながってもいるようだ。


●日本人の科学基礎知識-2   2019.10.17
→昨日の続き。東日本大震災の震源の深さは約24km。一般的に震源の深さとは地表からの深さなので海の水深も含まれる。震源地付近の水深は地震後に日本の深海探査艇「しんかい6500」が震源地付近の海底3,200mで亀裂を発見したとのこと。 従って海底から震源までの深さはおおよそ20,000mということになる。しかし海底掘削の世界記録は12,261m(ロシア・コラ半島、1992年)とのことだ。 さらに核爆弾が入る直径の穴を水圧の高い海底で掘削するのは現在の技術では不可能だろう。 また、まことしやかな噂では、核兵器を使うと放射能が発生するので、それを隠すために原発が被害を受けたことにしたらしい。しかし核兵器ではウラン235の瞬間的な核分裂により甚大なエネルギーを放射させ、長期的に放射線を出す大量の放射性物質を一気に撒き散らしている。対して福島原発は冷却水の不足によって燃料棒が溶け出し水素爆発によって大気に拡散されたものであり核兵器とは被害の規模が違う。さらに日本の地球探査船「ちきゅう」が海底を掘削して核爆弾を仕掛けたとするブログもあった。 SFの世界と現実の世界を、きちんと見極められるようにしておこう。見極めらないまま大人になると「あの人、中二病をこじらせているんだってさ」と、まことしやかな噂にされることとなる。


●日本人の科学基礎知識-1   2019.10.16
東日本大震災はテロリストが海底で核兵器を爆発させたという、まことしやかな噂が流れたことがある。日本人の科学基礎知識は先進国中12位だそうなので、このまことしやかな噂を信じた人も少なくなかった。しかし広島に投下された原子爆弾が爆発したときに放出されたエネルギーは55 TJ(テラジュール)、マグニチュード 9の地震のエネルギーは2.00 EJ(エクサジュール)で約36,000倍。となる桁が違うのだ。しかしこれが人類史上最大の核兵器ツァーリ・ボンバ、1961年となると、250 PJ(ペタジュール)、マグニチュード 9の地震の1/7.2となる。ツァーリ・ボンバは50年も前のことなので、現在の技術力ではマグニチュード 9の地震相当の核兵器も作れる可能性もあると推測できる。しかし問題はその核爆弾をどうやって震源地に埋めるかだ。→明日へ続く。


●プロデューサーの失敗   2019.10.15
プロデューサーの失敗の多くが、プロデューサー自身がクリエーターを兼任したことに起因する。プロデューサーは優秀な人が多い。優秀が故にちょっとしたクリエーターの仕事は代行できたりしてしまう。しかしプロデューサーは優秀な故に基本的に自信家である場合が多い。自信家は自分の作ったものに過大な自信を持っている場合が多い。そしてその過大な自信が冷静な判断を見誤ることになる。つまりプロデューサーは他人が作ったものであれば冷静で的確な評価ができるが、自分が作ったものとなると冷静で的確な評価ができなくなる。従ってプロデューサーがクリエーターとして作った成果物を自身が過大に評価して、売り込もうとした結果が大失敗!ということになるようだ。


●国民の意見   2019.10.14
日本には1億2千万人の人が住んでいる。そこには1億2千万種類の意見がある。他人と100%同じ意見も持っている人はほとんどいないだろう。どんなに平和で平等な社会ができたとしても、仮にユートピアが実現したとしても、そこには人々による意見の食い違いというものは必ず発生する。また発生するから進歩というものがある。そして膨大な数の異なった意見から一定のベクトルを見出して、向かうべき方向に進めるのが政治の役割であり民主主義の在り方であろう。従って「国民はそう思っていない!」とか「多くの国民が不満を持っている」とか発言している政治家もいるようだが、どんな時代のどんな場面でも「そう思っていない!」国民も、「不満を持っている」国民も存在する。これは国民だけでなく、市民、社員、家族であっても同じことだろう。構成員の意見の食い違いがなくなったとしたら、その時点で進歩というものも止まる。


●ため息   2019.10.13
話している途中にため息をつくやつがいる。これは失礼なことこの上無い行為である。ため息をつくということは、話してる相手にとっては、「どうせ私の言ってることなんか理解してもらえないんだ…」「いくら言ってもこいつらには無駄なんだ…」「こんな簡単なことが分からないんだ…」というような態度に見えるものだ。「私の言ってることなんか理解してもらえない」のは相手の理解度が低いのではなく、説明する方の説明が足りないからなのだ。説明する方は「そのこと」についてずうっと考えてきて「そのこと」に関する情報もたくさん集めてきた。しかし聞いてる方は「そのこと」ははじめて知ったことであり、いきなり同じ土俵には立てない。理解が浅いのは当然のことであり、理解が浅いことで「いくら言ってもこいつらには無駄」と感じて、「ふぅ〜」とため息をつくことは相手に対して甚だ失礼なことである。どのくらい失礼かというと、「舌打ち」と同じくらいだ。


●寿命のロウソク   2019.10.12
人間の寿命は、よくロウソクに例えられる。それは「自分の残りの寿命を視覚化したい」という欲求も少なからず持っている人がいるためであろう。そんな人のために人生の残り時間を視覚的に確認できるサイトというのがある。自分の生年月日と何歳まで生きる予定かを入力すると残りの年数がブロックで表示される。同時に残りの月数、残りの日数も表示される。もちろん月数、日数のブロックは年数よりも細かくなる。しかし日数のブロックは、限りなく細かいというわけではなく、視覚的にも数えられる雰囲気の数でもある。ここで改めて気付く。人間は生まれた時から、死に至るまでのカウントダウンが始まっているということを。


●自己中   2019.10.11
自己中の人がなぜ自己中かというと、①自分が自己中だとは思っていない。②自分を客観的に見ることができない。③思いついたことはやらずにいられない。などが挙げられる。①と②は、まぁそういうもんだよな、ということになるが、③は始末が悪い。自己中なので「思いついたこと」を否定されると、その否定した人間を排除する。その「否定」にはどういう意味が含まれているのか?を考えることはしない。そして「やらずにいられない」ことを実現するために暴走する。ところが自分が暴走しているとは思わない。暴走しているのではなく「夢を叶える」のだそうだ。


●国家の枠組み   2019.10.10
経済制裁は戦争の新しい形かもしれない。100年前であれば、対立する国同士のどちらか、又は双方がブチ切れて相手の国に兵を送り爆撃したり皆殺しにしたりしていたわけだ。しかし今では国家間での交流や情報の共有も盛んになり、お互いに、ブチ切れて暴力行為に走らないように監視体制が機能しているといって良いだろう。そして今後もこの監視体制が機能し続けるとすると、国家の枠組みというものは、ひょっとして物流経済のみ?ってことになってしまわないだろうか。そして物流経済の国家の枠組み、民族言語風習での国家の枠組み、宗教による国家の枠組み、居住地域と移動範囲による国家の枠組み、のようなクロスフィールドな国家の枠組みを設定しないと対応しきれなくなるかもしれない。つまり「私は物流経済はA国、居住はB国、民族はC国、にそれぞれ所属してます」というように。一人の人間が、いろんな金融機関のクレジットカードを持ち、いろんなお店のポイントカードを持っているように。


●イヤホン   2019.10.09
もともとイヤホンというのはテレビの音を聞くものだった。一家に一台のテレビには大抵は肌色(今は肌色と言ってはいけないらしいが)のイヤホンが一つ常備されていた。子供が宿題をしているときは時代劇を見るお父さんが、お母さんが家計簿を付けているときはアニメを見る子供たちが、それぞれその一つのイヤホンを共有していた。しかし今ではイヤホンを共有するという概念は無い。他人の耳に突っ込んだものを自分の耳には入れたくないのだ。「ホントかよ?」と思う高齢者と「当たり前じゃん!」と思う若者がいることだろう。今では他人が素手で握った「おにぎり」は食べられないという若者も少なく無いそうだ。行き過ぎた清潔さは免疫力の低下につながり、結果的にはバイ菌に弱い身体になってしまうのであるが。とはいえ見た目の不衛生さの感覚には勝てないのだろう。寿司職人が手袋をするようになる日は遠くないかも。


●未来志向   2019.10.08
未来志向とは未来に目標を定め向かうことだ。これは単に未来のことを語り合うのでなく、未来の目標を定めた上で、それを実現させるために、今、何を行うべきか?どこにベクトルを向けて行動するべきか?を模索したりシミレーションしたりすることだ。しかし実際には未来志向を口にする人間ほど過去への拘りが強かったりもする。というか未来のことを予測するためには、それなりの知識や情報を持ってなければ難しい。対して過去を語るのは簡単である。実際に起こった事象を説明すればいいだけのハナシだ。そして未来のことを予測した場合には、予測した通りにいかなかった場合の責任を恐れて口に出さないという人も多く、年齢を重ねるに従ってこの傾向が強くなるようだ。未来の残り時間が少ないのだから責任を問われる可能性も少ないはずなのだが…


●タッチ   2019.10.07
運動が苦手の人にとって体育の時間は苦痛である。音痴にとっての音楽の時間は苦痛である。絵が不得手な人にとっては図工の時間は苦痛である。苦痛の時間はなるべく少なくしたい。しかし運動が苦手の人にとっての徒競走のタイムは他人より長くなってしまい苦痛の時間も長くなる。音痴といえども音楽の授業で歌を歌っている時間は決まっているために早く終わらせることはできない。ただし絵については授業の時間は決まっているものの、実際に描いている時間、つまり筆を紙に触れている時間は短くすることができる。なので絵が不得手な人の絵は筆数(タッチ)が極端に少ない。絵が上手い人は、モチーフの観察時間を長くして、その分で筆数を少なくする(少数精鋭のタッチを目指す)ことがある。しかし絵が不得手な人のタッチは苦痛の時間を短くするためのものである。ただしそのことが逆にアーテュスティックなものになることもあるか?というと、それは無い。


●IQ   2019.10.06
知能指数(IQ)が高い人には2つのパターンがある。自分がIQが高いことを公言する人と、黙っている人である。後者は黙っているのでIQが高いかどうかは分からないが、明らかに頭脳明晰で頭の回転が早く、恐らくIQが高いであろうことは容易に想像がつく。前者の場合は、基本的に世の中を甘く見ていて、常に他人を上から目線で見下している。自分は頭がいい!と思っているので学業に本気で励むこともなく、最終学歴も低かったりもする。そしてそのうちにIQが低くても地道にコツコツと蓄えた経験値が、いずれIQを凌駕することに気がつくのだが、時すでに遅しで、中学校のころバカにしていたIQの低い子供が、今は自分の上司だったりもするのであった。


●収束させる   2019.10.05
N国党首立花孝志の発言に対して立民の小西洋之が噛み付いた!これに怒った立花孝志が小西洋之の事務所に押しかけて激しい口喧嘩に展開し、その時の動画が公開されている。それはまるで中坊の口喧嘩のようであり、弱い犬を散歩させていたら他の弱い犬と出会った途端に2匹ともキャンキャンと吠えまくっているかのようでもある。この動画を見た多くの人は「どっちもどっち…」と思ったのではないだろうか。何かトラブルが起こったら、まずは相手の話をよく聞いて、極力誰も傷つかない方向でまーるく事態を収束させるのも政治家の仕事であろう。とは言っても関西電力の記者会見は、自分たちが極力傷つかない方向でまーるく事態を収束させようとしているようだが、そうはいかないよね。


●デマ-2   2019.10.04
→昨日の続き。しかし正義の行為と思ってデマを拡散させてしまった人たちは、そのデマを裏付けるための取材とかは一切していない。ただネット上の他の人の書き込みを鵜呑みにして、これに便乗してしまったのだろう。無責任であり短絡思考であるとも言えよう。そしてその裏には「良いことをした満足感」というものがあるように思える。正義の行為に「拡散希望」がつけば、その投稿に興味を示す人間は自然と増え、「良いことをした満足感」は満たされる。逆にそれまでの普段の投稿では、見る人は限られていて、ネット上に広く拡散することはなく、「満たされない承認欲求」というものもあったのだろう。


●デマ-1   2019.10.03
2019年8月、あおり運転の宮崎文夫容疑者のクルマに同乗していた「ガラケー女」こと喜本奈津子容疑者。2017年6月、同じくあおり運転で2人を死亡させた石橋和歩被告。いずれも全く関係のない一般の人が容疑者本人、または被告の父親だというデマがネット上で拡散して、当事者は多大な被害と迷惑を被った。しかし拡散させた人に悪意は全く無く、喜本奈津子や石橋和に対して普通に「怒り」の感情を抱き、その発散場所がネット上のデマの拡散という行為に繋がったのだろう。そしてこの時点では、拡散させた人もデマだとは思わず、正義の行為と思っていたはずだ。→明日へ続く。


●CI   2019.10.02
CIはコーポレート・アイデンティティ(corporate identity)の略称で、企業文化を構築し特性や独自性を統一されたイメージやデザインのこと。わかりやすいメッセージで発信し社会と共有することで存在価値を高めていく企業戦略のひとつだ。そこで使われる企業のロゴマークは厳密にデザインが制限されていて、色、サイズ、周囲の余白などが、この制限に合致したものでないと社内規定により使用はできない。従って色やサイズ(縦横比)などが変更されたロゴマークが使われている場合、それは「偽物」と思ったほうが良い。こういうのは明らかな偽物だ。


●高齢化   2019.10.01
あらゆる業界で高齢化が進んでいる。人口が減少し高齢者の占める割合が増加しているのだから当然のことであろう。ベビーブームの1920年〜1940年代に生まれた赤ん坊が高齢者になったわけであり、こうなることは80年前から分かっていたことである。そして高齢化は日本だけでなく、北米、欧州、オセアニアなどでも多少の地域差はあるものの同時に進行してきた。1990年頃にドイツのある会社に行った特に出席した技術者がみんなオッサンで驚いた記憶がある。「いずれ日本にも訪れるであろう高齢化がドイツではもう始まっているのだ…」と思ったものだ。そして日本は今、高齢化の真っ只中である。新興国から来た人たちが、日本人のスタッフがみんなオッサンで驚いている最中でもある。



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