2020年5月


●オンライン授業   2020.5.31
オンライン授業のメリット。①生徒同士での私語がなくなった。②通勤という重労働がなくなった。と、この二つが最も大きいのではないか。もちろんデメリットも色々とあるがそのほとんどが些細なことであり「オンライン授業を止める」ということにはつながらない。①については、今までのリアルな授業では、授業時間の多くを「私語に対する注意」に割いてきたわけであり、そのために要するエネルギーも相応なものであった。これがなくなるのだからそのメリットは大きい。まあ、「聞いてない」「寝てる」「遊んでる」のはこちらも(VIDEOがOFFの場合は)監視できないし、他の生徒に迷惑をかけるものでもないので黙認するしかない。そして聞いてなかろうが寝てようが最後の「課題、レポート、テスト」で良い点数が取れれば良いわけで、今までの「出席主義」から「実力主義」に転換できるのも良いことであろう。②は、授業が終わった時点で既に家にいるわけなのでしばらくは「ワープした気分」が味わえる。


●首長   2020.5.30
大統領、総理、知事、市長などの首長には政務と公務がある(国会議員にはこの区別はほとんどないようだ)。選挙活動は政務、コロナ対策は公務であり、一人の人間が両方こなさなくてはいけない(もちろん双方に秘書はいるが)。そして今回は公務のほうだけでめちゃくちゃ忙しくなっているはずだということは容易に想像がつく。トランプ大統領や小池百合子知事は、選挙の準備は大丈夫なの?と心配になったりもする。政治家は選挙で勝ってからこそなれるものであり、とにかく選挙有りきなのは当然のことだ。しかしマスコミは公務で打ち出した政策の多くを「選挙のため」と紐付けて報道する。たしかに選挙を意識した政策もあるかもしれない。しかしそれ以上に首長は自分の首から下の部分のことを真剣に考えながら仕事をしているはずだ。特にトランプ大統領はまるで行動の全てが「選挙のため」かのように報道されているが、アメリカではコロナでの死者の数が10万人に達しようとしている。アメリカの第1次世界大戦での死者数は11万人、第 2次世界大戦では29万人とされている。つまりアメリカにとっては戦争なのだ。戦争中に選挙のことを考えるヒマはないはずであり、全ては戦争に勝ってからのことになるはずだ。ところが「ソーシャルメディア閉鎖」を示唆するような発言は、確かに「選挙のため」かのように報道されても仕方がない。


●一択   2020.5.29
パソコンは苦手、とか言っていられない時代になった。国の持続化給付金の申請は「電子申請」のみ。できなければもらえないだけの話しだ。Zoomミーティングやるから参加して、と言われる。やり方が分からなければ参加できないだけの話しだ。授業はオンラインでやるから宜しく、と言われる。やり方が分からなければ教師をクビになるだけの話しだ。パソコンができない、やれない、というのは電車に乗れない、乗り方が分からないと言っているのと同じだ。パソコンができない、やれない、のであれば決定的に置いていかれて村八分にされるだけの話しだ。つまり「やる」の一択しかないということだ。ということで、今回のコロナで相当数の国民の脳の活性化に繋がったことでもあろう。パソコンができるようになるには、それ相応に脳を使うからね。


●政府の政策   2020.5.28
コロナの感染者数が少なったのは「日本人が素晴らしかった。政府の政策がよかったわけではない」とワイドショーのコメンテーターが言っていたのには驚いた人も少なくないだろう。まるで「運動会で白組が勝ったのはオレのおかげだ!」と言っているようなものだ。今回のパンデミックは誰のせいとか誰のお陰とかそんなに簡単に判断できるような事象ではない。政府も自治体も失敗した部分もあれば上手くいった部分もあるだろう。国民も素晴らしい部分もあれば情けない部分もあったろう。まあ、どっちにしても「上手くいけば国民のお陰」「失敗すれば政府のせい」にするというシナリオに沿っての発言だったのだろう。ようするに、困って焦って追い詰められて、誰かにモンクを言わないと精神のバランスが保てない人たちの視聴率を取るための発言なのだろう。ということ(ワイドショーの情報の薄弱さ)を今回のStayHomeで多くの人が気づき始めたことだろう。


●演出   2020.5.27
「ドキュメンタリー」とうたっていないTV番組のほとんどは「演出」である。台本は無いにしても演出する内容の大筋はディレクターの指示によるものだ。この「演出の指示」が無い状態で演者に勝手にやらせても絶対に「番組」にはならない。ディレクション無しでの動画がいかに退屈でつまらないものになり時間の無駄であるかを知っている人も多いはずである。「テラスハウス」にしてもしかりであろう。ところがテラスハウスを全くのドキュメンタリーだと思っている人が多いということには驚いた。その「ドキュメンタリー」風に作ってある「演出」に対して誹謗中傷をするというのも滑稽な話しである。水戸黄門に出てくる悪代官の役者に「あの悪行はけしからん!」と言っているようなものだ。あるTV番組のロケバスの中で「やらせ」について話しをしていたら、「やらせ、じゃなくて演出って言ってほしいな」とディレクターに言われたことがある。ようするに番組というものは演出の塊りだということなのだ。


●国民   2020.5.26
今の政権は国民のことなど考えていない!などと言っている人がいる。で、そんな人に言いたい「いつからあんたが国民の代表になったんだ?」と。国民には金持ちも貧乏人もいるし、老人も子供もいる。健常者も障害者も病人もいるし、公務員も民間人もいる。その国民が全て何不自由なく安心安全で幸せに暮らせるようにするのは無理なハナシだろう。あっち立てればこっちが立たずの凸凹をできるだけ平坦に均しながら舵取りをしているはずだ。で、国民の代表になりたいならば代議士になればいい、なれないのであれば信頼できる代議士に投票すればいい。ついでに過去の政権であんたの言う「国民」のために完璧に尽くした政権ってあったの?または海外には「国民」のために完璧に尽くしている政権ってあるの?あったら教えて欲しいものだ。まぁ、そもそもが民主主義は非常事態には弱いのだから、今は「政権は国民のことなど考えていない!」などと言う人がいても仕方あるまい。というか今回みたいな非常事態が起こり色々なマイナスな事象に直面してくると、人はだいたい「誰かのせい」にして己の中の精神のバランスを取ろうとする。その槍玉に真っ先に上がるのが「政権」なのであろう。


●賭け麻雀   2020.5.25
勝負事には大抵は何かを賭ける。ワールドカップ、真紅の優勝旗、ペナント、プライド、賞金、などである。賭けるから面白い。レートが点ピンの賭け麻雀であれば一晩徹マンして大きく負けてもせいぜい1万円程度だ。実力が伯仲していれば千円だったりもする。パチンコ、競輪競馬、宝くじに比べても動く金額は極端に少ない。今ではオンライン麻雀や健康麻雀のように金を賭けない麻雀もあるが、基本、リアルでの麻雀は金を賭けてやる。だからと言って「哭きの竜」や「カイジ」じゃあるまいし命を賭けたりはしない。確かに違法ではあるが、それが政権の腐敗というほどのことではないだろし、闇が深いということでも無いだろう。ま、しかしやってることがバレてしまった以上は言い訳はできない、ということだ。


●日本の感染者数   2020.5.24
世界では、日本の感染者数や死者数が異常に少ないことに首を傾げているらしい。でもどうなんだろうか?日本だけではなく、韓国、台湾も少ない。発生源の中国も含めて東アジアは少ない。普通に考えて東アジアの人たちは①日常的にマスクをしている、②親しくない人とは握手はしない、③超親しくない人とはハグはしない、とこの3つが大きいのではないか。トランプ大統領はこの場に及んでもマスクで記者会見をしない。それだけ元々欧米人にとってはマスクは縁遠いものだったのだ。マスク=かっこ悪い、鬱陶しい、というイメージが強いのだろう。つまり感染者数や死者数が多いのはマスクをしないで握手やハグをしていたからではないのだろうか。普通に考えてそう思うのだが。特に首を傾げることではないように思うのだが。


●ヤフコメ   2020.5.23
20年ほど前にテレワーカーになったばかりのころ「平日の昼間のテレビってなんてレベルが低いんだ…」と思ったものである。レベルが低いだけでなく、取り上げている内容が各局(NHKとテレ東を除いて)みんな同じ。ということはこういうふうにしないと視聴率が取れない、つまり見るほうのレベルが低いということなんだろう。今回のStayHomeで同じことを感じたという人も多いことだろう。そしてネットではそのテレビのワイドショーのMCやコメンテーターの発言に対して「酷い」「バカ」「偉そう」「無知」とか言いたい放題でもある。「だったら見なければいい」という正論もある。それでもみんな結局見ているんだぁー。確かに昼飯食うときとか、仕事がひと段落ついたコーヒータイムの時ってついついテレビをつける。そうするとワイドショーをやっている。するとコメンテーターが勝手なことを言っている、のを見て腹が立つ。その腹いせにヤフコメする。気がつくとテレワークそっちのけでヤフコメを読みふける。これって「思う壺」ってやつだなと思いつつも。


●田舎に引っ越そう   2020.7.22
田舎は寂しい。田舎はやることがない。田舎の夜は早い。田舎は朝が早い。田舎は噂が広まるのが驚異的に早い。田舎は年寄りが多い。田舎はよそ者に冷たい。田舎は極めて保守的である。田舎はどこに行くのも遠い。田舎の電車やバスは本数が少ない。田舎は公務員が威張っている。田舎のゴキブリは大きい。田舎の人は急がない。田舎は時間が過ぎるのが遅い。田舎は人が少ない。もちろん田舎には良い部分もたくさんある。ただし田舎に引っ越す前にそのデメリットも予定しておこう。そして最も大きなメリットは、どこに行っても「ソーシャルディスタンスが維持できる」ということであろう。


●おでかけ   2020.5.21
不要なおでかけは社会に迷惑をかけるということは今回多くの人が思い知ったことであろう。おでかけは重さ50kgとかの物体を移動させることなので、それに相当するエネルギーを消費することとなる。徒歩で移動するのであれば自らのカロリーを消費すれば良いのだが、乗り物を使った場合には50kgとかの物体を相応の距離に運ぶための資源を消費することになる。ただでさえ人間は増えすぎていろいろなことがひっ迫しているのだから、せめて不要なおでかけはしないようにしないと、これからの人類は地球上で生き残っていけないだろう。ということを今回のパンデミックが示唆してくれたのではないだろうか。「おともだちに会いに行く」などというのは立派な「不要なおでかけ」であるのだよ。そしておでかけに行けないから「つまんなーい」などと言っている人間は、これからは淘汰されていくのだよ。


●大手家電量販店   2020.5.20
ある大手家電量販店では、客のマスク着用を義務付けているのだが、マスクを忘れてきた中学生に3枚で990円もする高価なマスクを購入させた“事件”が起きた。ボッタクリの恐喝だとして警察を呼んで話したところ返金してもらえたとのこと。しかし大手家電量販店側に悪気はなかったことだろう。基本的に大手家電量販店に置いてある商品は「高い」のだよ。ネットでは数百円で買えるiPhoneケースやイヤホンでも最低価格は2千円〜3千円、USBメモリーやSDカードも最低価格はネットよりも明らかに高い。これはボッタクってんのではなく、家電製品なので平均単価はスーパーやコンビニよりも格段に高い。例えば繁忙期に単価が50円〜100円の客にレジに大勢並ばれても困るし、商品説明にスタッフを割けないのだ。だからマスクにしても単価が高いものしか売っていないのだろう。30年ぐらい前のこと、テープレコーダーのヘッドクリーニングキットと称して売っていた商品。赤い瓶に入った金属部分の汚れを落とす用の液体(たぶん除光液と同じような成分)と、青い瓶に入ったゴム部分の汚れを落とす用の液体(たぶん消毒用のアルコール)。どちらもヤクルトよりも小さなガラス瓶。その2つの瓶に挟まれてクリーニングスティック(どう見てもジョンソン綿棒)が20本ぐらいがセットで800円(当時の価格)で売っていたのを思い出した。


●可聴周波数   2020.5.19
人間が聞こえる範囲の音は、だいたい20Hzから20kHzとされている。人間の声や楽器の音は、その中の2000Hzから15000Hzぐらいであり、可視光線同様、可聴周波数は宇宙に存在する電磁波のうちの、ほんの僅かな一部でしかない。つまり地球上に溢れかえっている全ての周波数の音が聞こえたとしたら、百花繚乱の賑やかしい目眩く音が聞こえるというより「うるさくて気が狂う」ということになるだろう。先天性の聴覚障がい者が手術を受けて耳が聞こえるようになった時の印象は「な、なんてうるさい世の中だったんだ!」なのだそうだ。そういう意味では可聴周波数は、人間にとって適度で程よい範囲にできているのかもしれない。いや、もっと狭くしても静かで良いかもしれない。それより「目」と同様に「耳を瞑る」ことができればもっと良いだろう。あ。でもそうなると「寝坊」が劇的に増えてしまうか…


●可視光線   2020.5.18
人間が目で見える範囲の光を可視光線という。可視光線は宇宙に存在する電磁波のうちの、ほんの僅かな一部でしかない。つまり我々人間が見ることのできない範囲での光と色が地球上には溢れかえっているというわけだ。その溢れかえっている百花繚乱の賑やかしい景色のうちのほんの僅かな一部しか見えてないのだ。「ものごとの本質を見極める」とか偉そうなことを言ったところでほんの僅かな一部しか見ることはできないのだ。そしてそのほんの僅かな一部についてあーでもないこーでもないと騒いでいる姿は、百花繚乱の賑やかしい景色を全て見ることのできる生物(神か宇宙人か…)からすれば、「なんと愚かなことよ」なのだろう。


●おうちでZoom   2020.5.17
おうちでZoomって当たり前じゃん!ではなくて家の中で家族同士がZoomでコミュニケーションすること。やれば便利ということは10年前から分かっていたが、なぜかSkypeでは「ちょっとめんどくせー」という雰囲気があったがZoomになると多くの国民がインストールしているせいもあるがハードルが1段低くなったように思える。で、どんなときに使うかというと「画面の共有」を使って「〇〇からこんなLINEが来たよ!」「わー、ウケる〜」とか、 「〇〇の設定方法わかる?」「うん、わかるわかる。今やってみるからね」とか。「画面の共有」を使わなくても普通に「そこから火事見える?」「うん、こっからだと煙が見える。」とか、「ご飯できたよ。今日はカレーだよ(カレーを写しながら)」とか使い道は色々とあるだろう。家族内オンライン飲み会が行われる日も遠くはないかもしれない。


●制服でオンライン授業   2020.5.16
教育現場で広がるオンライン授業で、生徒に制服の着用を求める学校や教育委員会がある。「在宅でも生活にメリハリをつけるため」などと目的を説明しているらしい。「そのほうが気が引き締まる!」という賛成意見もあるが「制服で受けろってふざけてんだろ」という反対の意見が多いことも想定内であろう。しかしよく考えてみよう。制服ば無くなって最も困るのは制服を納品していた業者であろう。オンライン授業以外では制服が必要になるかもしれないが、例えば儀式の時だけのために1着数万円の制服が本当に必要か?という議論にもなり、いずれは制服は廃止になる学校も多いことだろう。納品業者にしてみれば、今年も来年も再来年も10年後も制服の売り上げが数千万円見込んでいたとこがゼロになるわけだ。もっとも男子=詰襟、女子=セーラー服などというのは、男子=士官、女子=水兵という男女差別を露骨に可視化した最たるものでもあるし。


●検察庁法改正反対のその後   2020.5.15
ボロが出ている。きゃりーぱみゅぱみゅは作成者自らがデマと認めるコラを拡散した後に慌てて削除して逃走。他人から教唆されたことも示唆している。やっぱり思った通りのバカだった。小泉今日子は「勉強した結果」と息巻いてはいるが、勉強したならば、この法案が国家公務員の定年の延長であり、平成30年に人事院の意見の申請で示された方針であり、黒川氏の定年云々の遥かに昔からの議論であったということも分かるだろう。そもそも検察は行政機関でしかなく、仮に安倍総理を公訴したとしても、このことでクビになることなない。というとこで今回分かったことは「やっぱり芸能人にはバカが多い」ということと「芸能人は事務所を通さないで発言させてはいけない」ということだろうか。ただしその芸能人の発言に同調するバカな一般人も少なくなかったということだろう。そいいう意味での印象操作は成功したのかもしれない。利用された伝書鳩(芸能人)は飛んでる途中で散弾銃を浴びることにもなったが。


●二極化   2020.5.14
コロナ前の生活に戻ろうとしている人と、これを機会にいろいろな事を見直して変革しようとする人たち。というふうに二極化しそうでもある。しかし人間なんてもんは基本的に保守的にできているので元通りに戻ったほうが楽ちんなのだ。だからいくら3密がいけないと言ったところで、時が経てば以前のように芋洗い状態の群衆があちこちで密集するのだろう。世界には「祭り命」の人もたくさんいる。密集して騒ぐために生きているような人たちであり、その大部分はまた密集することだろう。だから実際は変革派の人が思っているほど世の中変わらないかもしれない。世界の大部分の人は、何事もなかったかのように元の生活を営んでいるということになっている可能性も高い。ただし明らかに変わるであろうものが「仕事」と「教育」の在り方だろう。いままでいかに無駄が多く非効率なことをやっていたかが浮き彫りになることは間違いなさそうだ。


●これでいいじゃん   2020.5.13
テレビ(地上波)では、かつての「グスト雛壇てんこ盛り」から「ゲスト全員TV会議出演」になっている。これを見た多くの人は「あ、これでもいいじゃん!」と思ったはずだ。コロナ収束後も「これでいいじゃん」ということだ。どっちにしても視聴者は最終的にテレビ画面を通じて観るのだから。そして日を追うごとにその画面も工夫されている。最初は1人のゲストが横長の画面で登場していたものが、最近では縦長で複数人が密集の画面が主流のようだ。そしてスタジオにリアルに出演しているMCと、TV会議出演の顔の大きさが同じになるように見せるようなテレビ的な設定もされている。ある意味疑似バーチャルが本当のバーチャルに近づいてきているのだろう。しかし面白いのはメインの大きな画面は「専門家」で、端っこの小さな画面が「芸能人」みたいな画面配置になっている番組だ。全員がスタジオだと重要なゲストもそうでもない人も、みんな同じ大きさで映っていたのだが、TV会議ではその人の「重要度」を画面の大きさで表すようにできるということだ。この「画面の大きさ」により視聴者は出演者のギャラも想像できるようになるだろう。そしてコロナ収束後も「これでいいじゃん」という色々なコロナ対応のために生まれたものも増えるはずである。


●不公平と理不尽   2020.5.12
コロナの感染者数が減ってくる傾向が見えるや否や一斉に野外に繰り出す人々。ただし全員が遊びに出ているわけではない。元の生活に戻るため、早く経済を復旧させるために働きに出ている人もいる。そしてそのことが感染第二波の引き金になってしまうのではないか?とビビりながらであろう。しかしビビりながらが当たり前であり、全くビビることなく「もう大丈夫だ!」と思ってコロナ以前と同じ行動に戻ってしまうのはおバカさんである。ところがビビりながら慎重に行動していたはずの人が第二波で感染し、おバカさんのほうは全く健康そのものだったりもするもんだ。世の中には不公平と理不尽はいたるところにあるので油断してはいけない。


●検察庁法改正反対   2020.5.11
検察庁法改正に反対するツイートが落ち目の芸能人から一斉にウジ虫のように湧いて出た。これには多くの国民が「???」であろう。そもそも国民に直結したテーマでもないし、公務員の定年年齢に引き上げに伴った処置であり普通に考えれば特に違法性は感じないし、行政府がやることであるし(立法府がやることではないし)、ツイートしている芸能人がこの話題に興味を持っているとは到底思えないし、芸能人が最も無関心なカテゴリーの出来事であろうし、リツイートに反安倍の左翼の毎度お馴染みの面々の名前が並んでいるし、明らかに「やらされている感」満載だ。「騙されているぞ!」「いくらもらった?」「芸能人ってバカなんでなぁ」というような反応がほとんどであるようだ。いくらステイホームでイライラが溜まっているからといって、その矛先が「検察庁法改正に反対」に向かうことは無いだろうし、いくらやることが無いといって「検察庁法改正に反対」について考えるということにはならないだろうし。しかし落ち目の芸能人たちも反安倍の左翼の毎度お馴染みの政治家たちも、やることがないんだなぁ、という印象は漂ったようではある。


●TV会議の背景   2020.5.10
Zoomミーティングが当たり前になってきている。問題になるのが背景だ。①バーチャル背景の人、②明らかに意識した背景にしている人、③全く気にしていない人、の大きく分けて3種類があるようだ。そして最も興味深いのは②だ。「金持ち感」を出すために高そうな家具を背景にしている。「教養感」でやたらと本棚を映す。「片付いている感」を見せるために片付けてある。などがあるようだ。まぁ、もっとも見る方にしてみれば背景なんてどーでもいいのだが。とはいえ何人もの画像が並べばついつい見比べてしまうというものだ。と、まずは背景よりもカメラの位置がやたらと低く全ての発言が「上から目線感」になってしまっているのをどうにかするのが先だろう。鼻の穴もはっきり見えちゃってるし。


●考える力   2020.5.09
緊急事態宣言が解除される基準を明確にしてくれ!旅行や帰省は控えるってどういうこと?行っていいの?行ったらダメなの?はっきりしてほしい!というようなことをTVのワイドショーで熱弁している芸能人。そんなことは自分で考えろや!と言いたくなる。人類が誰も経験した事のない非常事態なのだからどうしたらいいのか?なんてことは誰にも分からないはずだ。色々の事象の動向を見ながらできるだけ総合的に判断する以外に方法はないだろう。だからある程度のバッファーを持たせたファジーな表現に留めているのだろう。そこに国民一人ひとりが自分で考えて行動するという猶予を残しているということだ。もちろん何も考えないで命令されるがままに行動したほうが楽チンだ。犬になりたいのであればそれでも良い。人間であると自負するならば「自分で考えろ!」や。


●あんたなんかまだいいわよ!あたしなんかね   2020.5.08
非常事態になってくると「あんたなんかまだいいわよ!あたしなんかね」という被害妄想が露わになってくるようだ。劇作家の平井オリザは「製造業はコロナ後に増産すればいいが、私たちはそうではない」と宣った。製造業でコロナ後まで会社を維持できるかどうか分からないところも沢山あるだろう。いかにも私たちは格調高い文化人で製造業に携わっているような一般人とは違って文化を後世に伝えなければいけないといいう義務があるんだ!みたいな上から目線の世間知らずの言動であろう。パチンコ屋が「我々は居酒屋と違って1日に動く金額の桁が違うから簡単に店を閉めるわけにはいかない」と言っていた。あたかも居酒屋よりも自分たちのビジネスのほうがランクが上と言っているようなものだ。韓国や台湾に対して「あんたんとこなんかまだいいわよ!あたしんとこなんかね、もう500人以上死んでるんだから」とか言ってしまう日本人がいないことを期待する。


●ビル・ゲイツ   2020.5.07
ビル・ゲイツが「ビル・ゲイツ未来を語る」で未来を語ったのが1995年のことである。そしてそこで語った通りの未来が訪れた。読んだときには「ヘぇー、そんなふうになるんだ」と言う感じに漠然と思っていたが、実際にそのように変わっていく状況を見ていると、実に適切な予測であった。そして自らがMicrosoftというブランドを率いて実現してしまったのだから、「予定」だったのかもしれない。さらに今回のパンデミックを予測したTEDでの発言が話題になっている。この発言は2014年のことだ。そして2019年10月、今回のパンデミックを ほぼ完璧に予測(本編は2分過ぎから)している。そして「最短9カ月でコロナワクチン開発できる可能性と指摘」しているとのこと。期待したい。


●暇つぶし   2020.5.06
暇つぶしをしている時でもしていない時でも、確実に時間は経過している。つまり時間が経過している以上は何をしているかに関係なく地球上の全ての人類は暇をつぶしているということになる。ただし「暇つぶし」という言葉は「頭や体力を使わないコト」によって「時の流れに身を任せる」というような行動に対して使われるようだ。ということは人生の中で「暇つぶし」をしている時間が長ければ長いほど、人間はバカになっていくということなんだろう。幸い今は人間はバカになっていかないための方策を考える時間はたっぷりとありそうだ。


●コロナ菌に効く薬   2020.5.05
「コロナ菌に効く薬ができれば大丈夫」とか言っている人が手作りのマスクをつけていたりする。家に余っていた布を使ったらしくやたらと目が粗い。中には一部がレースでできていたりもする。これじゃコロナ菌1億匹様ご自由に出入りできてしまうだろ。そもそもコロナウイルス はバイ菌ではないし、開発するのは薬ではなくワクチンだ。ワクチンとは、生物学的製剤(バイオテクノロジー技術によって生産された医薬品)の一種で、接種することで感染症の予防に有効な作用を持つ医薬品のこと。毒性がなくなった、もしくは弱められた病原体を体内に注入することで抗体を作り、対象となる感染症にかかりにくくする効果を持つ生物学的製剤のことなのだそうだ。超雑駁に言うと「コロナウイルスという眼には見えない小さなバイ菌をやっつけてしまう薬を注射するとコロナにかかっても大丈夫!」ということなのだろう。「コロナ菌に効く薬ができれば大丈夫」というのもあながち間違いではない。そして、本当に「コロナ菌に効く薬」はいずれ開発されることだろう。これについては「時間はたっぷりとありそうだし」とかは言っていられない。


●リフォーム   2020.5.04
リフォーム屋さんからホームページリニューアルの依頼が来た。こんなふうにしたいという要望が事細かに書いてある。この時期に仕事の依頼が来ることは有り難いのだが、「コロナが収束するまで様子を見たほうがいい」と回答した。コロナ収束後には色々な事の基準が変わってパラダイムシフトが起こる。リフォーム屋さんの仕事では「オンラインでの遠隔見積もり」「お部屋アンリウイルス(隔離室)リフォーム」「9月新入学キャンペーン」など前面に打ち出すべき事業内容も変わってくるはずだ。しかしそんな提案に対しての返事はない。どうやらコロナ収束後もそれまで通りの事業が成り立つと思っているらしいのだ。ホームページなんかリニューアルする前に、会社のコンセプトをリフォームしたほうが良いのだが。その頭の切り替えの期間の時間はたっぷりとありそうだし。


●元どおり   2020.5.03
やることがないとか言っている場合ではない。コロナが収束した後には色々なパラダイムシフトが起こる。そのときに備えておく必要があるだろう。元どおりになることは絶対にないはずだ。ちょうど遊びたい盛りに頑張って勉強した人が社会的に成功し、勉強しないで遊びほろけてた人間がDQNになってしまったのと同様に、今、準備をしている人間と、ひたすら元どおりになることを祈っている人間との間では、雲泥の差がつくはずである。今はお休みの期間ではない。準備の期間なのだ。そしてその準備の期間の時間はたっぷりとありそうだし。


●オンライン   2020.5.02
オンライン飲み会は飲みすぎるらしい。家に帰る心配をしなくていい!し、自分のペースで飲めるし、自分の好きなツマミを食べることができるし、割り勘負けすることもない。思った以上にメリットが多い。ということはコロナが収束した後も頻繁に行われることだろう。ということはリアルな飲み屋が元通りに復活するのは難しいということになるのかもしれない。飲み会だけではない。色々なことがオンラインでできないかどうか?という世界規模な壮大が実験が行われている。その結果、仕事や教育のほとんどが「可能である」ということが分かってきた。ということは、もはや「ネットは苦手」なんて言っていられなくなる。オンラインでのコミュニケーションができない人は、電車の乗り方が分からない人、ぐらいの扱いになってくるだろう。そうならないためにもオンラインでのコミュニケーションのやり方を今のうちに覚えておこう。覚える時間はたっぷりとありそうだし。


●スポーツ観戦(2)   2020.5.01
昨日の続き→。対戦型のスポーツには、どうしても相手が必要になるので選手の移動は必須になる。大型スクリーンとVRの技術を駆使しても、現状ではかなり難しいはずである。だったらe-スポーツにしてしまえ!という考え方もある。実際にe-スポーツのF-1を見ると「これでいいじゃん!」と思ってしまう人も少なくないだろう。設備や場所に膨大な費用がかかる種目はe-スポーツに置き換えてしまえ!というのも無い話ではないかもしれない。任天堂リングフィットアドベンチャーのようなコントロールデバイスの、さらに精度の高いものがができてくれば、本当に身体を鍛えたプロのアスリート同士の対戦を観戦することができるのも遠い未来の話しではない。e-スポーツがオタクのゲーマーの世界だけであると思ってはいけない。



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