2020年7月



●同業他社のホームページ   2020.7.31
ホームページを作る前に、どんな機能が必要なのかを洗い出しておくことが大切であり、その目的と趣意を明確にしておき、コンセプトがブレないように完成したときのイメージを社内のスタッフ間で共有しておかなければいけない。なんてことがホームページ制作業者のサイトに書いてあったりする。ところが実際にはそんな仰々しいことをやっているクライアントなどはいない。よほど革新的で今までにない特殊な業種であれば別だが、国内のほとんど(感覚的には99%)の企業には同業他社が存在する。そしてほとんどのクライアントはその同業他社のホームページを見て「こんなふうにしてくれ」と言うだけである。そこにはスタッフ間でコンセプトの共有などは無く、社長の「こんなふうにしてくれ」という一言だけなのである。そして「こんなふう」が諸々の事情で不可能な場合には「じゃ任せる」と業者丸投げになる。中には社内に「ホームページ制作プロジェクトチーム」なるものを立ち上げる場合もあるが、そのスタッフは専任ではないために通常業務に追われて機能しないまま何年もほったらかしになる。従って社長の一言か業者丸投げのいずれかになる。これが実態なのだ。


●パラダイムシフト   2020.7.30
出納帳を付けていたら今月(7月)の現金の出費がゼロだった。全く外出していないわけではないが、出かけたとしても近隣だけということで、1ヶ月以上PASMOをチャージしないで済んでいるうということになる。大学の授業は全てオンラインになり、学会関連のフォーラムやサロンもほぼオンラインとなり、通常の仕事の打ち合わせの多くもZoomになった。そうしてみると今まで高い交通費と宿泊費と長い時間をかけて出かけていたのは何のためだったのか?とも思う。ほとんどのことはオンラインで用が足りるじゃん!ということだ。しかし多くの人が「ほとんどのことはオンラインで用が足りるじゃん!」となれば確実に交通、宿泊、飲食などの産業は打撃を被るはずだ。電車とかバスはどうなるのだろうか?今のままでは確実に赤字のはず。だからといって本数を減らせばさらに不便になって利用者も減ることだろう。コロナが去ったとしてもオンラインを止めるわけではない。これから先、色々なものがじわじわと淘汰されていくことだろう。そしてじわじわと大規模なパラダイムシフトが既に始まっているのだろう。


●病床数   2020.7.29
病院ではコロナ患者受け入れのために急に病床数を増やすことはできないそうだ。病院は常にベットをある程度は満たしておかないと経営的に苦しくなる。これは考えてみれば当たり前のことでベット1つで数坪の床面積が必要であり、利用されていなければそれなりに固定費がかかるということだ。ということは、医者が患者を入院させるかどうかを判断するのは、患者の病状ではなくベットの空き具合が優先されるということだ。どーりで「こんなに大したことないのに入院?」「こんなに重傷なのに自宅療養?」ということが今までも沢山あったことも理解できる。そもそもが入院というシステムに問題があるようだ。今後は病院という中央集権から家庭という分権システムに徐々に移行していくのかもしれない。


●砂漠のゴルフボール   2020.7.28
砂漠にゴルフボールを無作為の位置に100個バラ撒いたとしよう。そして100人の兵士に「今日の日没までにゴルフボールを1個見つけて持って帰って来い!」と命令したとしよう。100人の兵士は広大な砂漠の中を一日中ゴルフボールを捜し回って日没に帰ってきた。するとゴルフボールを持ち帰ることができたのは100人中7人であった。PCR検査ってこんな感じなのではないかな、とも思う。


●声を出さない 2020.7.27
外出をするとき、家を出てから帰ってくるまでの間、ひとっことも口を開かないで済んでしまうことがある。電車やバスに乗る時、スーパーやコンビニで買い物をするとき、飲食店(タブレットで注文ができる店)で飲食をするとき、ネット予約で宿泊するとき、などなどである。たまに口を開くことがあっても、タクシーでの行き先、美術館や映画館やアミューズメントパークなどでチケットの種類や枚数を告げるときのほんの一言で済んでしまう。そうなると知人や友人と会ってお喋りをするときが唯一の口を開く機会になるのかもしれない。しかしお喋りなどというものは基本的に相手の話は聞かずに自分の不平不満ストレスを発散させるためのものであるので、無くてもいいものであるはずだ。不平不満ストレスを発散させるためにはお喋り以外の方法はいくらでもある。従って総じて世の中は静かな方向へ移行しつつあるようだ。そんな中、TVを点けるとコロナ対策が緩和されつつあるためか芸能人が(一時期よりも近くなってきたソーシャルディスタンスを保ちつつも)大声で話したりバカ笑いしている場面を見ると「うるせーなー」と感じて自然にチャンネルを変えるようになってきた。


●声を出す   2020.7.26
プロ野球も大相撲も観客は声を出さない!がデフォルトとなりつつある。仮にコロナが収束すればまた以前のように観客は大声を出すことが可能になるのだろうか?というかコロナは完全に収束ということはない、という意見が多くなっているようでもある。Zoomでの遠隔授業では声を出しての質問や意見は非常に少ない。参加者にとっては音声よりもチャットのほうが便利なようだ。ましてニコ動世代にはチャットの方が自然でもあるようだ。そうやって考えてみると、世の中から「声」が段々と消えていき、たとえ家庭内であっても日常会話がチャットになる日はそう遠くないようにも思える。小学校での隣の席同士のタブレットでの会話「ごめん、消しゴム落としちゃった」「あ、これかな? はいよ」「ありがと」てな感じで。


●民主主義   2020.7.25
人間は生きている以上、失敗と成功を繰り返して常に成長している。欠点や弱点もあれば素晴らしい点も長所もある。完璧で非の打ち所のない人間など生身である以上存在はしない。それは会社のトップであっても、行政のトップであっても同じだろう。しかし特に行政のトップはちょっとした不手際や不具合があっただけで叩かれる。そしてそれが世論の声として拡散されてしまう。そうなれば政権の維持が危うくなる。しかし人間のやることなので不手際や不具合を完全に無くすことはできない。ではどうするのか?世論の声を封殺し、拡散を防止する、ということになる。そのほうが何かとラクなのだろう。それをさせないのが民主主義であるのだが、民主主義も長年やっていると意外と面倒臭くて手間のかかることも多いようだ。民主主義でも独裁政権でもない、何か新しいシステムが採用される国家がそろそろ誕生しても良いのではないだろうか。


●下ネタオヤジ   2020.7.24
宴会や打ち上げの席で下ネタを連発するオヤジがいる。誰でも一度は遭遇したことがあるだろう。世の中のほとんごの事象や行動は最後に下ネタに落とすことが可能だ。だから下ネタオヤジのハナシはそれなりに面白いのだが、そのオヤジに特別な喋りの才能があるわけではない。誰しもが思いついても顰蹙(ひんしゅく)を買うから口に出さないだけだ。したがって下ネタオヤジのハナシは最初の2〜3発目までは周囲にウケるのではあるが、4〜5発目からは苦笑と不快感が上回るようになり、最後は聞いてないフリをされるようになる。しかし酔いが回ると下ネタオヤジの下ネタが止まらなくなる。下ネタ以外の話が無いのであろうし、普段から家族や友人に話を聞いてもらえないのだろうと思い始めたころ、下ネタオヤジの下ネタは尽きて下ネタオヤジはテーブルに突っ伏して潰れるのであった。可哀想な下ネタオヤジの1日が終わる瞬間であった。


●WordPressの設定   2020.5.23
WordPressを使うことになった。ホームページを新規で作り新たに独自ドメインを取得してレンタルサーバーと契約するのであればWordPressが使えるようになるまでの手順は至ってカンタンだ。ところが今回はGMOのサーバーでGMOが吸収しまくる以前のiSLEのサーバーだっただけに面倒だ。まずGMOのサポートに電話をすると「それは旧iSLEの代理店に聞いてくれ」とのこと。なんとかデータベースへの対応まではやってもらえたのだが、そこから先はWordPressをダウンロードしてプランマネージャーだかコントロールパネルを使って自分で何とかしなければいけない。WordPressの中のconfigファイルを書き直しているときに「そういえば昔こんな作業をよくやったものだなぁ」と感慨に耽ったりもする。と同時に今の世の中、随分とラクになったもんだ、としみじみ実感するのであった。つい5年前のことなのだが…。


●リモートワーク-2   2020.5.22
→昨日の続き。リモートワーク中のMicrosoft社員が行っていた交流の中には、みんなで同じ時間にランチを食べるといったものから「パジャマデー」や「ペットの見せ合い」といったユニークなものもあったそうだ。これは「帰属意識は人間の核心的な欲求の1つであり、つながりを感じることはやる気に結び付く。これが、仕事上の人間関係が非常に重要な理由であり、強い社会的なつながりは、従業員をより幸せで健康的な気分にさせ、より強固なネットワークを構築するのに役立つ」と分析された。そして「今の私たちの働き方が、コロナ発生前やリモートワーク制度が導入される前とは永久に違ったものとなってしまったのかはまだ分からないが、こうした変化について学ぶことは、今後の数カ月間から数年間における組織の回復力の鍵となると確信している」と考察している。なるほど。。。


●リモートワーク-1   2020.7.21
Microsoftが「新型コロナウイルス対策として導入していたリモートワークにより同社の社員の働き方がどう変わったのか」についての分析結果を発表した。リモートワークが職場に与えた影響を調べるため、MicrosoftのサービスであるModern Workplace Transformationに携わる350人の社員と、ほかの職場の社員の協力関係についてのデータを収集したとのこと。その結果、以下の4つの変化が浮かび上がったそうだ。①会議が短くなった。②管理職は苦労したが、部下にはいい影響があった。③仕事とプライベートの境があいまいになった。④社員同士のつながりは断たれなかった。①〜③は何となく想定内であるように思えるが、④は予想外の結果であろう。調査前には、リモートワークにより、社員が働く環境や仕事のリズムが変化したため「社員のネットワークは大幅に減少するだろう」と予想していたとのこと。しかし、実際に全米で働くMicrosoft社員9万人の人間関係の広さを測定したところ、ほとんどの社員の人間関係は縮小していなかったとのこと。それどころか、多くの社員はむしろ人間関係を拡大させており、自分の職場だけでなく別の職場の社員とも交流するようになっていたとのことだ。→明日へ続く。


●「色」は無限にある。   2020.7.20
「色」は無限にある。ただしそれは細かく切り刻むと無限に分けることができるということである。つまり1枚のピザは無限に切り分けることができるというのと同じだ。1枚のピザを分子レベルまで分解すれば何兆個にもすることができるが1枚のピザは1枚のままである。同様に「色」(可視光線)の1枚の範囲も決まっている。400〜800nmであり赤から紫の範囲である。人間はこの可視光線を赤・橙・黄・緑・青・紫というように連続的に変化して知覚される「色」を連続的に配列し円環状にしたもの(色相環)を利用している。この色相環が1枚のピザであり、これ以上の「色」は世の中に存在しないことになっている。というのは実は嘘である。人間の可視光線という範囲を輪っかに括ったというだけであり、可視光線外の紫外線、赤外線、マイクロ波、X線、放射線など、人間が見ることの出来ない「色」が、それこそ無限にこの宇宙の中には存在している。可視光線はその中のほんの僅かな一部の電磁波であり、可視光線以外の電磁波が宇宙の大部分を占めている。ただしそれらを実際に見た者はだ〜れもいない。我々が見えない部分で、実は凄いことが毎日のように起こっているのかもしれない。


●メールのダウンロード   2020.7.19
iPhoneのメールアカウントを何かの設定をしている最中に誤って消してしまった。すぐに気がついて設定しなおして正常にメールの受発信ができるようになったのだが、1つ困ったことが起きた。メールサーバーに残っていたメールを過去に遡ってダウンロードし始めたのだ。メールは1日に数百通(ほとんどがスパム)は受信しているので、合計でたぶん1万通以上の1度は読んだ、または捨てたメールをダウンロードしなければいけない。auショップで聞いてみると「あ、それはなくなるまでダウンロードしますね」と言われた。しかしいつまで遡るのだろうか?①今のモデルに機種編したときだろうか?②iPhoneにしたときからだろうか?③スマホ(当初はAndroid)で同じメルアドを設定してから?④auで契約して同じメルアドを(ガラケーで)設定してから?などなど考えられる。最悪④だった場合15年分ダウンロードしなければいけない。ということでWi-Fiにつないで丸1日かかる覚悟でダウンロードを開始した。結果①だったようで2016年でダウンロードが止まった。それでも1回のダウンロードが100〜1000通で、ダウンロード→ゴミ箱→ゴミ箱を空に、の繰り返しで、アバウト6時間ぐらいかかったかな。ふ〜。


●Go Toキャンペーン   2020.7.18
「Go Toキャンペーン」で国と自治体の言っていることが違う!と文句を言っている人が多いようだ。しかしこれは当たり前のことであり国と自治体の言っていることが全て一致するのであれば、国が全てを一括管理をして自治権のある地方自治体というものが必要無いということになる。国は公正かつ普遍的な統治構造を維持するため、国家全体の運営について画一的、均一的運営を行うことが要請される。しかし国が各地方の隅々にまで目をやることはできない。そして地方の実情や地方における住民からの要望は各地方によって様々であり、これらをすべて同一に運営することは不可能であることから、地方の運営に当たっては地方の独自性を考慮している。そこで、地方の総合的な運営は地方に委ね、国は国家に係る根幹的な事柄を担当し、かつ、国家全体の総合的な調整を図るという役割分担がなされる、ということだ。そして「Go Toキャンペーン」があたかも国の愚作のように評している人もいるが、「だったらこのまま放っておいたら倒産が相次ぐであろう観光業を救済する案を出せや!バラまき以外に」ということにもなろう。


●密   2020.7.17
密の状態が継続すれば密になった生き物はいずれ死んでしまうリスクは非常に高い。小さな水槽いっぱいにメダカを飼った場合、そのうちの1匹が何かの感染症を発症すれば水槽のメダカは全滅する。しかし密になったと同時に全滅はしない。しばらくの間は生きている。だから人間も密になってはいけないわけではないが、密の状態が継続することにリスクがあるのだろう。つまり密の時間と疎の時間とのバランスが需要なのかもしれない。そしてどうしても密の時間が長くなってしまう場合は、密のまま疎になることなく一生同じ仲間とを過ごしたほうが良いのかもしれない。養豚所の豚のように。


●働きがい   2020.7.16
「日本一働きがいのある会社」という本がある。このタイトルを見て「あれっ?」と思った人もいたことだろう。「働きがい」って会社によって変わるもんじゃないはずだ。どんなに素晴らしい会社でも働く人の考え方や価値観、理想や基準によってどうにでも捉えることができるだろう。逆にどーしよーもない会社でも、どーしよーもない会社だからこそ、立て直すことに働きがいを持って挑む人もいることだろう。そもそも仕事というのは、そこに見出せる「やりがい」はほんの少しであって、残りはつまらないことを我慢して耐えてやっているわけで、だから報酬がもらえるわけである。そしてそのつまらないこと、耐えていることに、をやることに何とかやりがいを見つけながらやっているのが仕事というものだろう。会社にやりがいを求める時点で「仕事できないやつなんじゃねぇ?」と思われるぞ。


●コロナはちょっとした風邪   2020.7.15
ブラジル大統領のジャイール・ボルソナーロがコロナに感染した。彼はこれまで新型コロナを軽視し「私はかつてスポーツをしていたから感染しても心配ない」などと言っていた。州や市が感染拡大防止策として進めた経済規制について、この日も「経済が機能しなければ自殺など別の原因で死ぬ人が出てくる」と批判した上で、州や市が耐えきれずに経済再開に動いている状況を指して「われわれが正しかったことが明らかになった」と胸を張った。これまでにも「コロナはちょっとした風邪」陽性確認後も「雨みたいなもの、みんながかかる」などと言っている。これら一連の発言については国の内外から当然のように批判が相次いでいる。しかしOECDのデータによればブラジルは世界主要国の貧困率(全世代)国際比較統計・ランキング3位である。貧困率は20%も超えている。この20%の人たちは3密を避けた生活などはできないし、働かないで自宅待機も不可能であり、PCR検査を受けることもできなければ医者に診てもらうことも中にはマスクを買うこともできない人たちもいることだろう。そして国民の20%という数値は政府が支援できる範囲ではない。となれば「コロナはちょっとした風邪」とか言って誤魔化す以外に対策は無いのかもしれない。


● 名刺   2020.7.14
名刺を整理しようと思ったのだが必要なものと不要なものを分類する基準を自分の中で作るのが面倒なので、結局全部捨てることにした。必要なものは電話帳にもアドレス帳にも登録済みなので名刺自体は不要ということになる。でもって元々不要なものは不要なのだから持っている必要もない。そう考えると各家庭に配布されていた分厚い電話帳なるものはケータイの普及とともに早々に見なくなったが名刺は未だに健在なのは何故だろうか?と考えてみる。今ではスマホを持っていないビジネスパーソンはいないはずなので、スマホ画面のQRコードを交換するだけで自動的にお互いに登録されるようにすれば無駄が省けるはずだし技術的にも可能なはずだ。しかしそのアプリが見つからない。そのアプリの設定をしていない。バッテリーがない。などの理由でQRコードの交換だけでえらく時間がかかってしまうことが容易に想像できる。であれば紙に印刷したカードを互いに交換するようにしてしまえ!ということで今でも使われているのが名刺なのであった。ただしZoomで仕事で初対面という場合には明らかに不要なものになってしまった。


●超人的な低予算   2020.7.13
ホームページというものが根本的に分かってない人が今でもいる。どう分かってないかと言うと「大手サイトと同じデザイン」のものが「超人的な低予算」でできると思っている。つまり「5つ星ホテルのスイートルーム」を見て、こんな部屋がいい!と近所の不動産屋の賃貸物件一覧を見て言っているようなものだ。しかも家賃やは月5万円が上限だそうだ。そんな客が来たらその不動産屋の社長は「おいおい、そこの若いの。世の中の常識ってものをもっと勉強したほうがいいぞ!」と嗜めるのであった。と自分が大手サイトと同じデザイン」のもを「超人的な低予算」で依頼していたことも忘れて。


●マーケティング(2)   2020.7.12
昭和の人たちは今でも「お客様は神様」と思っているようだ。電気屋さんに行っても店員のほうから声をかけてこなくなった時点で「お客様は神様」の時代は終わってはいるのだが。お客様は神様ではなく一般人であり、神のように敬うものではなく商売とは一般人同士の対等な立場での「取り引き」である。確かにお客様はお金を出して買ってくれるわけであり、その瞬間に売っている方はお金が手に入るわけであり「お客様は神様」の概念を拭い去るのは難しいことであろう。だから昭和の商売人は「マーケティング」などという言葉は使わなかった。商売は経験と直感と気合だ!などと言っていたのだが、さすがに客の意見にも耳を傾けないといけない、ということを感じ始めたので客の話を聞くようになった。そして客に話を聞いたことを「マーケティングした結果では…」などと言っているようだ。だ・か・らぁ。二人や三人の話を聞いたことを鵜呑みにするのではなく、100人のアンケート結果を分析して次の方向性を見出さなければいけないのだよ。


●マーケティング(1)   2020.7.11
「この商品を1万円で売ろうと思うのだがどうかな?」「う〜ん、ちょっと高いかな…」「じゃ、いくらだったら買う?」「まぁ5000円だったら買うかな?」というやりとりのあと「常連のお客様の意見を聞いたら『5000円なら買う!』と言っていた」ので、実際に5000円で売ったところが誰も買わなかった。なんてことはよくある話しだ。その常連のお客様は本当は1000円でもタダでも欲しくなかったのだが、1万円と切り出されたので「タダでもいらねぇ」とは言うことができずに5000円と言ってしまっただけのことであった。こういうのは「マーケティング」とは言わない。客の意見を聞くことも大事だが、その客が何を意図してそういったのか?ということを市場の動向や世の中の流行を想定して統括的に考え分析して戦略を立てるのが「マーケティング」だろう。だいたい客はマーケッターではない。材木の切り方を大工でも木こりでもない普通の人に聞いたところで正しい答えは返ってこないのであった。


●習いごと   2020.7.10
何事もそうなのだが、プロになるために教わるのと、趣味として習いごとを教わるのではレベルが違う。どのくらい違うかと言うと、鮫と金魚ぐらいだろう。プロになるためには教えるほうも真剣だし手を抜かないし指導も厳しい。時には人格までもを否定されて精神的に耐えられなくなって脱落していく者もいて、最後に生き残った者だけがプロになれる。しかし習い事は、教える方は極力脱落者が出ないようにやさーしく教える。生徒が落ち込んだり傷付いたりしないように細心の注意を払って教えている。だから「何度言ったら分かるんだ!」「ホントにヘッタクソだなぁ」「そんなに結果を急いでどうすんだ?」「暇つぶしに来ているなら帰れ!」「イッチミリも上達しないなァ」などなど、言いたいことは沢山あるのだが、それを言わずに我慢している。言ってしまったら次回から来なくなり月謝を払ってくれなくなるからだ。だから習い事のレベルでは、いっくら有名で偉い先生に教わったところで、所詮は素人の域からは脱せない。ところが有名で偉い先生に教わったことで自分の実力や知識がプロと対等であると勘違いしちゃう人もいる。そんな人がプロを目の前にして◯◯論を展開しても、失笑を買うだけのことになるので気をつけよう。


●イベントはオンラインで   2020.7.09
イベントはオンラインで、と言うとコロナ前であれば「できない人のことも考えろ!」とか「高齢者を排除するつもりか!」という声が当然のように聞こえてきた。しかし今では「できない人のことも考えろ!」なんて言えない状況になっている。ところが実際にはできない人もまだまだ多い。「できない人のことも考えろ!」なんて言えないが「オンラインになったらどうしよう……」と思っている人も少なくないはずだ。ズーム、ダウンロード、インストール、ログイン、ミーティグルーム、などという彼らにとって意味不明な言葉がたくさん出てきてどうにもこうにもわけが分からないのだろう。さらにパソコンを持っていない、スマホを持っていない、となればどうにもならないはずであろう。となると、まずはガラケーをスマホに機種編して、スマホという未知のデバイスの使い方を覚えなければならない。またはパソコンという未知の機械を買ってその未知の機械の使い方を習得しなければいけない。そう考えるとズームに参加するまでのハードルはもんのすごく高いのであった。


●収束   2020.7.08
コロナは果たして収束するのか?「完全に収束することは無い」「共存していかなければいけない」というのが大方の見方であるようだ。ということで来年度のイベントを企画する場合には「収束していない」ことを前提に考えなければいけなくなる。ということはできる限りはオンラインで、ということになる。で、これは来年度に限った話しではなく、今後しばらくの間、ということになる。ということはオリンピックもオンラインで、ということになるんか?いやいやそれはいくら何でも無理だろ!ということになる。じゃ、中止も止む無しかよ?ということになる。そして「今後しばらくの間」がいつまで続くのかは誰にも分からない。もしかしたら「恒久的に」かもしれないし「永久に」なのかもしれない。いずれにしても「収束すること」の「願い」よりも、「収束しないこと」の「覚悟」が必要なのであろう。


●犯罪   2020.7.07
友達がFacebookに投稿する。するとその投稿の内容の良い悪いに関係なく「いいね!」をする。知り合いが市議会議員に立候補する。するとその候補の政策の良い悪いに関係なく投票をする。ということで忖度とか癒着とかが始まっていく。所詮人間は相対的な評価や判断はできない。良い評価を与えるということは、その見返りに自分も良い評価を与えられることを期待してのことである。ということで汚職とか贈収賄とかが始まっていく。人間が最も恐れているのは孤独である。孤独にならないために常にコミュ二ティーの中で存在感をPRし続けていないといけない。しかし全ての人間が正当な方法で存在感をPRすることはできない。ということで盗用とか侵害とかが始まっていく。そもそも現在の地球上には人間の数が多すぎる。人類全てが平等に衣食住を確保することはできなくなってきている。ということで窃盗とか強盗とかが始まっていく。人間は自分が一番可愛い。自分を可愛がるために他人を排除しようとする。ところが自分が可愛くなくなるときもある。ということで前者が殺人、後者が自殺となる。


●実力   2020.7.06
人間の実力にはぞれぞれ個人差というものがある。卓越した技術を持っている人もいれば、人並み以下の技術しか持っていない人もいる。例えば英語であればTOEIC、TOEFL、英検などでその実力を数値化できる。剣道や柔道、算盤などではその段数や級数によってその実力を測り知ることもできる。しかし音楽や美術などの芸術の分野においてはその実力を示す指針がいかにも曖昧である。実力の個人差は英語や剣道よりも遥かに大きいにもかかわらず、実力が無い人間が自分の実力の無さを理解していない場合が実に多い。そういう人間が本当に実力のある人の演奏や作品を目の前にしたとき、必ず口にするのは「私とはタイプは違うが素晴らしい!」とか「私とはアプローチの仕方が異なるが素晴らしい!」とかである。同じ土俵で比べられると自分の実力の無さがバレてしまうので、無理矢理違う土俵で起こった出来事にしているのであった。


●フォトショ職人   2020.7.05
Photoshopで画像加工をやってみせると「すげー!」と驚かれることがある。そしてPhotoshopを使えば誰でも簡単に同じことができるとも思っているようだ。しかし実際は「フォトショ職人」という言葉があるように、何年も修行を積まなければできないことなのだ。修行というと大袈裟ではあるが、ある程度の期間、何度も使いながら按配やさじ加減を調整しながら「自分のもの」にしていかなけらばならない。Photoshopに限らずオーサリングツールと呼ばれるアプリのほとんどは、使いこなしてそれ相応の作品が作ることができるようになるまでにには、それ相応の修行が必要になる。ということを理解していない人は多い。そして彼らは「世の中にはフォトショが使える人とフォトショの使えない人の2種類がいて、フォトショが使える人に頼めば何でもやってくれる」と思っているようだ。実際にはフォトショが使える人のほとんどは修行中の身でもあるのだが。


●猿   2020.7.04
そこそこ混んでいる電車に乗る。駅に着いて電車が止まる。ドアが開いて何人かの乗客が降りる。そしてホームから何人かの乗客が電車に乗り込む。座れなかった乗客がのほぼ全ての乗客はつかまりやすい吊革を捜してつかまる。という光景を見ていると「こいつらの祖先は猿だったんだなぁ」と実感する。川辺で水を飲んでいた猿の集団にワニが襲かかり、1匹の猿が逃げ遅れて頭をワニに噛みつかれる。しかし幸いなことに歯のない部分で挟まれたために猿は怪我もないままワニの口に挟まれたまま生きている。この光景を仲間の猿たちは木の上から心配そうに眺めている。次の瞬間、挟まれていた猿はスキをついてするりと頭を抜き出し脱出に成功!すぐさま仲間のもとに帰っていくのであるが、仲間の猿たちは「うわ!こっち来んな!」とばかりに、その脱出した猿から逃げていくのであった。さすが本物の猿は猿である。


●売れない商品   2020.7.03
ネットショップで売れない商品に対してクライアントのリクエストは「商品名の文字を大きくしてくれ」「価格を赤文字の太文字にしてくれ」といったところが一般的なようだ。クライアントのリクエストなので、要求通りに修正するのではあるが、正直なところ「そんなことしても売れないですよ」「そもそもその商品に問題があるのだから無駄ですよ」と言うのを我慢しての修正作業となる。リクエストするほうにしてみれば「そうすることで売れるかもしれない」と思ってのことであろうが、残念ながら十数年ウェブデザイナーの仕事をしていれば経験上分かるのであった。売れない商品は「商品名の文字を大きくしてくれ」「価格を赤文字の太文字にしてくれ」と言ってくるのであるの法則であるのであった。


●webに掲載する動画   2020.7.02
webに掲載する動画は一度完成するとその修正を要求されることは滅多にない。その理由は、①修正は非常にタイヘンだということが容易に想像がつく。②シーンが時系列で変化していくので問題点を気が付きにくい。③細かい部分を指摘しているとキリがない。などなどがある。特に③は、納得のいくものを求めていくと、修正がエンドレスになって納期に間に合わなくなる。またマズい部分は指摘できるが、どのように修正するかというアイディアは無い人がほとんどである。と、それよりも何よりも「自分が映っている動画は小っ恥ずかしくて見ていられない!」というのが1番の理由のようだ。


●吠える   2020.7.01
テレビの討論番組を観ていると、色んなオッサンたちが吠えている。そんなに言うんだったら自らが国会議員にでも立候補してその言ってることを実現すればいいんじゃネ?とも思うのだが、それはやらないらしい。立候補しても当選できる可能性は低いことと、仮に当選できても言ってることを実現できる可能性は極めて低いことは分かっているからだ。だから「吠えるだけ」にしているのだ。吠えているぶんには何も変わらないことも分かっているから、安心して吠えているんだ。ワンワンワン。


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